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セービングゾーンはルーマニア館、ポーランド館と南通りを挟む北側のエリアにも共同展示のコモンズパビリオンや複数の国のパビリオンが同じ棟に入る建物の他に7か国の単独パビリオンがある。<br /><br />まず、ポーランド館の向かいにハンガリー館。ハンガリーは中央ヨーロッパに位置する共和制国家。ハンガリーと云う国名の由来は、初期のハンガリー人を構成した10部族を意味するオノグル(Onogur)で、これがスラブ語やドイツ語、ギリシャ語などを経て変化したと云われる。首都はブダペスト(Budapest)。先日、初めて行った。<br /><br />面積約9万平方kmは国の面積リスト107位で、人口約950万人は国の人口リストで93位。オーストリア、スロベニア、スロバキア、ウクライナ、ルーマニア、セルビア、クロアチアに囲まれた内陸国。<br /><br />公用語はハンガリー語。通貨はフォリント(HUF)。日本との時差は7時間(遅れ)、3月末から10月末までは1時間早いサマータイムを採用している。<br /><br />ハンガリー平原といわれる広大な平原が中心で、古来さまざまな民族が侵入し定着してきたが、国として成立したのは10世紀末のハンガリー王国。13世紀にはモンゴル帝国軍の襲来を受け大きな被害を受けたが、その後は中央ヨーロッパの強国となるが、16世紀にはをオスマン帝国やハプスブルク家の干渉を受ける。<br /><br />19世紀にはオーストリア=ハンガリー帝国として発展するが、第一次大戦で敗戦国となり、オーストリアと分離、1918年にハンガリー人民共和国が成立する。しかし、その寿命は短く、1920年には再びハンガリー王国となり、ナチス・ドイツと協調するようになる。<br /><br />第2次大戦の終結と共にソ連の占領下に置かれ、再びハンガリー人民共和国となる。しかし、1980年代に入ると共産党一党独裁が限界となり民主化運動が加速、1989年に現在の第三共和国が成立した。<br /><br />パビリオンは草原や森を想起させるデザイン。内部には太陽や木々、森を表現したガラスのアート作品が並ぶ。またドーム型のシアターでは、民謡を目の前で聴くことができる。パビリオンのテーマは「過去から未来への架け橋」。伝統音楽や民俗文化、そしてハンガリーの未来を支える持続可能な取り組みを感じることができる展示が盛りだくさん。<br /><br />その隣がオマーン館。オマーンはアラビア半島の東端にある絶対君主制国家。正式にはオマーン国(Sultanate of Oman)。オマーンは「滞在地」を意味する古アラビア語から来たと云う説があるが、他にも人名が地名化したとする説もある。首都はマスカット(Muscat)。行ったことない。<br /><br />面積約31万平方kmは国の面積リスト69位で、人口約500万人は国の人口リストで120位。南はインド洋のアラビア海、東はペルシャ湾に繋がるオマーン湾に面し、北から西側はアラブ首長国連邦、サウジアラビア、イエメンと隣接する。国土の大部分は砂漠だが、北部や南部には緑豊かな地域もある。<br /><br />公用語はアラビア語だが、イギリス植民地であったことから英語は広く使われている。通貨はオマーン・リアル(YTL)。日本との時差は5時間で、サマータイムは採用してない。<br /><br />オマーンは紀元前3000年頃から交易の要所として栄えていた。7世紀にイスラム教が伝来し、イバード派を信仰する独自の文化を築き始める。16世紀初頭にポルトガル人が渡来し、その支配下に入るが、17世紀半ばにはその支配を脱し、オマーン海洋帝国として発展する。1820年にはオマーン帝国が成立し、19世紀には東アフリカのザンジバル(現在はタンザニア)を支配するほどの発展する。<br /><br />しかし、19世紀半ばになると帆船から蒸気船の時代に移行し、オマーンは急速に衰退、1891年にイギリスの保護国となる。そして、1970年に皇太子がクーデターを起こし、翌年イギリス保護領より独立し、以後近代化が進められている。<br /><br />オマーンパビリオンのデザインは、オマーンの海洋文化と歴史を反映し、現代的な革新と伝統的な技術を融合させている。パビリオンのテーマは「伝統が革新を刺激する」。内部の展示では、オマーンの過去と未来をつなぐ新技術や持続可能なエネルギーに関連した革新的なアイデアが紹介されている。<br /><br />大屋根リングの内側に沿って5つのパビリオン。一番南はオランダ館。オランダ(Nederland)は西ヨーロッパに位置する立憲君主制国家。憲法上の首都はアムステルダム(Amsterdam)だが、王宮や政府官庁はデン・ハーグ(Den Haag)にあり、こちらが事実上の首都となっている。アムステルダムやキンデルダイク(Kinderdijk)やザーンセ・スカンス(Zaanse Schans)の風車、キューケンホフ(Keukenhof)公園のチューリップ、フォーレンダム(Volendam)、エダム(Edam)、アイセル湖の大堤防など行ったことがある。<br /><br />面積約4万平方kmは国の面積リスト131位で、人口約1700万人は国の人口リストで66位。北と西は北海に面し、東はドイツ、南はベルギーと国境を接する。<br /><br />公用語はオランダ語だが、国民の4分の3以上は英語やフランス語、ドイツ語など、2ヶ国語以上を話せると云われる。通貨はユーロ(&#8364;)。日本との時差は8時間(遅れ)、3月末から10月末までは1時間早いサマータイムを採用している。<br /><br />オランダ語の国名のネーデルラント(Nederland)は「低地の国」などを意味し、基本的に定冠詞をつける必要がある。英語表記では「the Netherlands」となる。日本語のオランダは俗称のホラント州から来ているホラント(Holland)のポルトガル語表記の「Holanda」が戦国時代に来航したポルトガル人宣教師によってもたらされたことによる。<br /><br />15世紀まではローマ帝国やフランク帝国、神聖ローマ帝国の一部としか見なされず、15世紀末にスペインを本拠とするハプスブルク家の領土となる。しかし、重税を課すスペインへの反発と宗教の違い(プロテスタントとカトリック)で、1568年にオランダ独立戦争が勃発する。<br /><br />1596年に北部7州によるネーデルラント連邦共和国が成立。17世紀初頭以来、東インドを侵略してポルトガルから香料貿易を奪い、オランダ海上帝国を築いて黄金時代を迎えた。しかし、1795年にフランス革命軍の侵攻によって崩壊する。1813年にナポレオン帝国が崩壊して、イギリスに亡命していたウィレム1世(Willem I)が即位宣言を行うまでの期間、オランダ国旗を掲げている場所は日本の長崎出島とアフリカ西海岸のエルミナ要塞しかない状態となった。<br /><br />1815年のウィーン会議によって国家として成立。これが現在の国の始まり。この時は現在のベルギーとルクセンブルクも含む地域だったが、ベルギーは1830年に独立、ルクセンブルクは1839年に独立するがオランダとの同君連合が続き、それが解消されたのは1890年だった。第2次大戦では中立を宣言するもナチス・ドイツに占領されたが、ドイツの敗戦により解放された。<br /><br />パビリオンの建物の中心には球体があり、日の出をイメージしている。テーマは「コモングラウンド-新たな幕開け」。人々が共に分かち合い、新しい価値を生み出し、共に学び、刺激し合う社会を目指すオランダの理念を表現している。<br /><br />その北隣りはブルガリア館。ブルガリアは東南ヨーロッパ、バルカン半島に位置する共和制国家。正式にはブルガリア共和国(Republic of Bulgaria)。首都はソフィア(Sofia)。行ったことない。<br /><br />面積約11万平方kmは国の面積リスト102位で、人口約700万人は国の人口リストで105位。東側が黒海で、北からルーマニア、セルビア、北マケドニア、ギリシャ、トルコと国境を接する。<br /><br />公用語は南スラヴ系のブルガリア語。通貨はレフ(BGN)。日本との時差は7時間(遅れ)、3月末から10月末までは1時間早いサマータイムを採用している。<br /><br />紀元前4000年頃のものと思われる古代トラキア文明が繁栄していたと思われる地域。7世紀までは東ローマ帝国領だったが、中央アジアから移住してきたブルガール人がブルガリア帝国を建国する。このブルガール(Bulgars)がブルガリアの国名の由来で、ボルガ川流域の人々を指す。<br /><br />ブルガリア帝国は11世紀に東ローマ帝国に滅ぼされるが、12世紀末に第二次ブルガリア帝国として復活する。しかし、13世紀にモンゴル人の侵攻によって打撃を受け、14世紀末にオスマン帝国に滅ぼされる。<br /><br />現在に繋がるブルガリアが独立したのは1908年。それまではオスマン帝国の支配下にあった。第1次大戦、第2次大戦ともドイツと共に敗戦国となり、ソ連の侵攻を受け王政が廃止されソ連の支配下のブルガリア人民共和国となるが、1990年に共産党政権が崩壊し、現在の国となった。<br /><br />パビリオンのテーマは「自然と共に進化する」。自然と共に進化する「バクテリア」の世界を覗くことができる。ブルガリアと云えばヨーグルトのイメージがあるが、これは70年の大阪万博のブルガリア館で初めて紹介され広まった。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.30642242462085719&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />このエリアにはあと3館、単独海外パビリオンがあるが、続く

大阪 夢洲 大阪・関西万博 セービングゾーン(2)(Saving Zone,Expo 2025,Yumeshima,Osaka)

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2025/04/22 - 2025/04/22

3824位(同エリア3986件中)

旅行記グループ 大阪・関西万博

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ちふゆ

ちふゆさん

セービングゾーンはルーマニア館、ポーランド館と南通りを挟む北側のエリアにも共同展示のコモンズパビリオンや複数の国のパビリオンが同じ棟に入る建物の他に7か国の単独パビリオンがある。

まず、ポーランド館の向かいにハンガリー館。ハンガリーは中央ヨーロッパに位置する共和制国家。ハンガリーと云う国名の由来は、初期のハンガリー人を構成した10部族を意味するオノグル(Onogur)で、これがスラブ語やドイツ語、ギリシャ語などを経て変化したと云われる。首都はブダペスト(Budapest)。先日、初めて行った。

面積約9万平方kmは国の面積リスト107位で、人口約950万人は国の人口リストで93位。オーストリア、スロベニア、スロバキア、ウクライナ、ルーマニア、セルビア、クロアチアに囲まれた内陸国。

公用語はハンガリー語。通貨はフォリント(HUF)。日本との時差は7時間(遅れ)、3月末から10月末までは1時間早いサマータイムを採用している。

ハンガリー平原といわれる広大な平原が中心で、古来さまざまな民族が侵入し定着してきたが、国として成立したのは10世紀末のハンガリー王国。13世紀にはモンゴル帝国軍の襲来を受け大きな被害を受けたが、その後は中央ヨーロッパの強国となるが、16世紀にはをオスマン帝国やハプスブルク家の干渉を受ける。

19世紀にはオーストリア=ハンガリー帝国として発展するが、第一次大戦で敗戦国となり、オーストリアと分離、1918年にハンガリー人民共和国が成立する。しかし、その寿命は短く、1920年には再びハンガリー王国となり、ナチス・ドイツと協調するようになる。

第2次大戦の終結と共にソ連の占領下に置かれ、再びハンガリー人民共和国となる。しかし、1980年代に入ると共産党一党独裁が限界となり民主化運動が加速、1989年に現在の第三共和国が成立した。

パビリオンは草原や森を想起させるデザイン。内部には太陽や木々、森を表現したガラスのアート作品が並ぶ。またドーム型のシアターでは、民謡を目の前で聴くことができる。パビリオンのテーマは「過去から未来への架け橋」。伝統音楽や民俗文化、そしてハンガリーの未来を支える持続可能な取り組みを感じることができる展示が盛りだくさん。

その隣がオマーン館。オマーンはアラビア半島の東端にある絶対君主制国家。正式にはオマーン国(Sultanate of Oman)。オマーンは「滞在地」を意味する古アラビア語から来たと云う説があるが、他にも人名が地名化したとする説もある。首都はマスカット(Muscat)。行ったことない。

面積約31万平方kmは国の面積リスト69位で、人口約500万人は国の人口リストで120位。南はインド洋のアラビア海、東はペルシャ湾に繋がるオマーン湾に面し、北から西側はアラブ首長国連邦、サウジアラビア、イエメンと隣接する。国土の大部分は砂漠だが、北部や南部には緑豊かな地域もある。

公用語はアラビア語だが、イギリス植民地であったことから英語は広く使われている。通貨はオマーン・リアル(YTL)。日本との時差は5時間で、サマータイムは採用してない。

オマーンは紀元前3000年頃から交易の要所として栄えていた。7世紀にイスラム教が伝来し、イバード派を信仰する独自の文化を築き始める。16世紀初頭にポルトガル人が渡来し、その支配下に入るが、17世紀半ばにはその支配を脱し、オマーン海洋帝国として発展する。1820年にはオマーン帝国が成立し、19世紀には東アフリカのザンジバル(現在はタンザニア)を支配するほどの発展する。

しかし、19世紀半ばになると帆船から蒸気船の時代に移行し、オマーンは急速に衰退、1891年にイギリスの保護国となる。そして、1970年に皇太子がクーデターを起こし、翌年イギリス保護領より独立し、以後近代化が進められている。

オマーンパビリオンのデザインは、オマーンの海洋文化と歴史を反映し、現代的な革新と伝統的な技術を融合させている。パビリオンのテーマは「伝統が革新を刺激する」。内部の展示では、オマーンの過去と未来をつなぐ新技術や持続可能なエネルギーに関連した革新的なアイデアが紹介されている。

大屋根リングの内側に沿って5つのパビリオン。一番南はオランダ館。オランダ(Nederland)は西ヨーロッパに位置する立憲君主制国家。憲法上の首都はアムステルダム(Amsterdam)だが、王宮や政府官庁はデン・ハーグ(Den Haag)にあり、こちらが事実上の首都となっている。アムステルダムやキンデルダイク(Kinderdijk)やザーンセ・スカンス(Zaanse Schans)の風車、キューケンホフ(Keukenhof)公園のチューリップ、フォーレンダム(Volendam)、エダム(Edam)、アイセル湖の大堤防など行ったことがある。

面積約4万平方kmは国の面積リスト131位で、人口約1700万人は国の人口リストで66位。北と西は北海に面し、東はドイツ、南はベルギーと国境を接する。

公用語はオランダ語だが、国民の4分の3以上は英語やフランス語、ドイツ語など、2ヶ国語以上を話せると云われる。通貨はユーロ(€)。日本との時差は8時間(遅れ)、3月末から10月末までは1時間早いサマータイムを採用している。

オランダ語の国名のネーデルラント(Nederland)は「低地の国」などを意味し、基本的に定冠詞をつける必要がある。英語表記では「the Netherlands」となる。日本語のオランダは俗称のホラント州から来ているホラント(Holland)のポルトガル語表記の「Holanda」が戦国時代に来航したポルトガル人宣教師によってもたらされたことによる。

15世紀まではローマ帝国やフランク帝国、神聖ローマ帝国の一部としか見なされず、15世紀末にスペインを本拠とするハプスブルク家の領土となる。しかし、重税を課すスペインへの反発と宗教の違い(プロテスタントとカトリック)で、1568年にオランダ独立戦争が勃発する。

1596年に北部7州によるネーデルラント連邦共和国が成立。17世紀初頭以来、東インドを侵略してポルトガルから香料貿易を奪い、オランダ海上帝国を築いて黄金時代を迎えた。しかし、1795年にフランス革命軍の侵攻によって崩壊する。1813年にナポレオン帝国が崩壊して、イギリスに亡命していたウィレム1世(Willem I)が即位宣言を行うまでの期間、オランダ国旗を掲げている場所は日本の長崎出島とアフリカ西海岸のエルミナ要塞しかない状態となった。

1815年のウィーン会議によって国家として成立。これが現在の国の始まり。この時は現在のベルギーとルクセンブルクも含む地域だったが、ベルギーは1830年に独立、ルクセンブルクは1839年に独立するがオランダとの同君連合が続き、それが解消されたのは1890年だった。第2次大戦では中立を宣言するもナチス・ドイツに占領されたが、ドイツの敗戦により解放された。

パビリオンの建物の中心には球体があり、日の出をイメージしている。テーマは「コモングラウンド-新たな幕開け」。人々が共に分かち合い、新しい価値を生み出し、共に学び、刺激し合う社会を目指すオランダの理念を表現している。

その北隣りはブルガリア館。ブルガリアは東南ヨーロッパ、バルカン半島に位置する共和制国家。正式にはブルガリア共和国(Republic of Bulgaria)。首都はソフィア(Sofia)。行ったことない。

面積約11万平方kmは国の面積リスト102位で、人口約700万人は国の人口リストで105位。東側が黒海で、北からルーマニア、セルビア、北マケドニア、ギリシャ、トルコと国境を接する。

公用語は南スラヴ系のブルガリア語。通貨はレフ(BGN)。日本との時差は7時間(遅れ)、3月末から10月末までは1時間早いサマータイムを採用している。

紀元前4000年頃のものと思われる古代トラキア文明が繁栄していたと思われる地域。7世紀までは東ローマ帝国領だったが、中央アジアから移住してきたブルガール人がブルガリア帝国を建国する。このブルガール(Bulgars)がブルガリアの国名の由来で、ボルガ川流域の人々を指す。

ブルガリア帝国は11世紀に東ローマ帝国に滅ぼされるが、12世紀末に第二次ブルガリア帝国として復活する。しかし、13世紀にモンゴル人の侵攻によって打撃を受け、14世紀末にオスマン帝国に滅ぼされる。

現在に繋がるブルガリアが独立したのは1908年。それまではオスマン帝国の支配下にあった。第1次大戦、第2次大戦ともドイツと共に敗戦国となり、ソ連の侵攻を受け王政が廃止されソ連の支配下のブルガリア人民共和国となるが、1990年に共産党政権が崩壊し、現在の国となった。

パビリオンのテーマは「自然と共に進化する」。自然と共に進化する「バクテリア」の世界を覗くことができる。ブルガリアと云えばヨーグルトのイメージがあるが、これは70年の大阪万博のブルガリア館で初めて紹介され広まった。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.30642242462085719&type=1&l=223fe1adec


このエリアにはあと3館、単独海外パビリオンがあるが、続く

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