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2025年4月22日(火)午後の1時40分頃、マレーシア館の見学を終えて、何も考えずに次に向かう。マレーシア館と道を挟んではフィリピン館(下の写真1)。<br /><br />フィリピンは東南アジア、ベトナムの沖の南シナ海(South China Sea)、フィリピン海(Philippine Sea)、スールー海(Sulu Sea)の7641の島々から構成される国で、正式にはフィリピン共和国(Republic of the Philippines)。<br /><br />首都はルソン(Luzon)島にあるマニラ(Manila)市。面積約30万平方kmは国の面積リスト70位で、人口約1億1千万人は国の人口リストで13位。公用語はフィリピン語(Filipino)と英語だが、母語として使われる言語は、合計172に及ぶ。通貨はフィリピン・ペソ(PHP)。日本との時差は1時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。<br /><br />16世紀初頭からスペインによる植民が始まり、スペイン領東インド(Indias Orientales Espa&#241;olas)となる。1898年にアメリカの支援によりフィリピン(第一)共和国が建国されたが、アメリカは建国を承認せず、武力制圧し、アメリカのフィリピン諸島政府(Insular Government of the Philippine Islands)の支配下に置かれる。<br /><br />1935年に改めて独立準備をする暫定政府としてフィリピン・コモンウェルス(Commonwealth of the Philippines)が成立するが、1942年に日本に占領され、1943年に傀儡のフィリピン(第二)共和国が樹立される。<br /><br />戦後は、いったんコモンウェルスが復活しアメリカ支配下となるが、1946年にフィリピン(第三)共和国として独立。1965年からは反共産主義を唱えるマルコス独裁国家体制が20年余り続くが、1986年にフィリピン(第5)共和国が成立、現在に至る。<br /><br />国名は1542年に、のちにスペイン帝国国王となったフェリペ2世(Felipe II)の名から、イスラス・フィリピナス(Islas Filipinas)諸島と名づけられたことに由来している。<br /><br />私は行ったことないが、息子は先日も出張で行ってて、土産くれた。また、JICAの訓練中に私が習った先生は違ったが、フィリピン人の英語の先生がいた。<br /><br />パビリオンは「自然、文化、共同体― よりよい未来をともに織りなす」というテーマを掲げ、フィリピンの豊かな伝統、多様な自然、創造性を表現している。入ってないけどね。<br /><br />建物の外観は、フィリピンの職人により織りなされた籐を規則正しく編み込んだ籐細工をイメージしたユニークなデザイン。入ってないけど、なかなか面白い。<br /><br />その西側にはモザンビーク館、空飛ぶクルマステーション、ペルー館、ヨルダン館が並んでいる(表紙の写真)が、モザンビーク館は待ち行列がなかったので入ってみる。<br /><br />モザンビーク(Mozambique)はアフリカ大陸南東部に位置する共和制国家。首都はマプト(Maputo)で、面積約80万平方kmは国の面積リスト35位で、人口約3100万人は国の人口リストで47位。公用語はポルトガル語で、通貨はメティカル(MZM)。日本との時差は7時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。<br /><br />16世紀初頭からポルトガルによる植民が始まり、17世紀半ばにポルトガル領モザンビーク(Portuguese Mozambique)となる。1975年に独立。国名はかつてポルトガル領東アフリカ(&#193;frica Oriental Portuguesa)の首府が置かれた北部のモスリル(Mossuril)湾にあるモザンビーク島から来ているが、その名は北部沿岸の島を支配し交易を行っていたアラブの君主、ムサ・アル・ビーク(Musa al bique)の名前に由来している。<br /><br />織田信長の家来として活躍した弥助は、かつてのポルトガル領東アフリカ出身。行ったことないけど、JICA関係の方でモザンビークに行ってたっていう方と話したことがあるような気がする。マダガスカル(Madagasikara)の島の本土側なのね。<br /><br />パビリオンテーマは「広がる地平線」で、外装に掲げたビーチのパノラマ写真と「どこまでも広がる水平線をその目で」のコピー、館内のイルカが泳ぐ海の映像が熱帯の楽園への憧れを膨らませる。中央に帆船を模したベンチを据え、壁側には液晶モニターやパネルを置いて、海洋研究などSDGs関連の取り組みを紹介。<br /><br />目の不自由な人に振動で障害物を知らせる歩行補助デバイスなど、興味深い先端技術にも触れられる。華やかな模様の民俗衣装「カプラナ(Capulana)」をはじめ民芸品の展示・販売もしている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.29804153435894630&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />ついでに入ってないが、横に並ぶ3つのパビリオンについて。空飛ぶクルマステーションは空飛ぶクルマが身近になった近未来社会を実際に体感できる展示施設と云うことだが、入ってないのでそれ以上は分からない。夕方にも前を通ったが、外から見えた空飛ぶクルマはけっこうデカかった(下の写真2)。<br /><br />その奥はペルー館。ペルーは南米大陸北部、太平洋に面する国で、正式にはペルー共和国(Republic of Peru)。首都はリマ(Lima)。<br /><br />面積130万平方km弱は国の面積リスト19位で、人口約3300万人は国の人口リストで39位。公用語はスペイン語、ケチュア語、アイマラ語で、大部分の人はスペイン語を話す。通貨はヌエボ・ソル(PEN)。日本との時差は14時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。<br /><br />紀元前3000年くらいからの遺跡が残る地域だが、13世紀にクスコ(Cusco)王国が1438年にインカ(Inca)帝国となり、エクアドル(Ecuador)からペルーとボリビア(Bolivia)国境になっているチチカカ(Titicaca)湖辺りまでを支配地域とする。<br /><br />1526年、スペイン人が初めてインカ帝国の領土に到達、スペイン国王の認可を得て、1532年から武力征服を開始し、翌年にはインカ帝国は崩壊し、スペインの植民地となる。1543年にスペインはスペイン領南アメリカのすべてを統括するペルー副王領(Virreinato del Peru)を創設、リマを首都とした。<br /><br />19世紀に入り南米各地で独立への動きが加速し、ペルーでも1811年からペルー独立戦争が起こる。当初はスペインを支持する王党派が有利に展開するが、1821年7月にリマが占拠され、ペルー共和国が成立した。王党派はこの後もクスコに司令部を移し、巻き返しを図ったが、1824年に革命軍に敗れ、スペインの南米統治は終了した。<br /><br />ペルーと云う名の語源には諸説あるが、16世紀初めにパナマ地峡の東南部付近を支配していたビルー(Biru)という首長に由来すると云う説が有力らしいが、位置が違うので本当かしらと思う。<br /><br />いずれにせよ、ビルーと云う言葉がスペイン人により転訛されてペルーになり、当時エクアドル(Ecuador)からペルーとボリビア(Bolivia)国境になっているチチカカ(Titicaca)湖辺りまでを支配していたインカ(Inca)帝国をペルーと呼んだことからこの地域を指す名称となった。<br /><br />2017年の11月から12月に掛けてに行ったことがある。リマ(Lima)、ナスカ(Nazca)、チチカカ湖、クスコ、マチュピチュ(Machu Picchu)などを回った。<br /><br />パビリオンは「ペルー、無限の可能性」をテーマに、5000年に及ぶペルー古代文明の展示や工芸品などが紹介している(下の写真3)。<br /><br />そしてヨルダン館。ヨルダンは中東、アラビア半島の付け根でイスラエル、パレスチナ国、サウジアラビア、イラク、シリアに囲まれた国で、国土南端でわずかにアカバ湾に接する。正式にはヨルダン・ハシミテ王国(Hashemite Kingdom of Jordan)。首都はアンマン(Amman)。行ったことない。<br /><br />面積約9万平方kmは国の面積リスト110位で、人口約1000万人は国の人口リストで88位。公用語はアラビア語。通貨はヨルダン・ディナール(JOD)。日本との時差は6時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。<br /><br />ヨルダンには、およそ50万年前の旧石器時代から人類が住み着いていたことが知られている。ペトラ(Petra)遺跡が有名なナバテア(Nabatea)王国は紀元前2世紀前半頃に栄えた。7世紀にはイスラム帝国の支配下に入り、アラブ化・イスラム化が進んだが、8世紀半ばにウマイヤ(Umayyad)朝が滅ぶと、ヨルダンも歴史から消える。<br /><br />19世紀に入り、オスマン(Ottoman)帝国の支配下で次第に活気づき始める。第一次世界大戦後の1919年にイギリス委任統治領パレスチナ(British Mandate for Palestine)に組み入れられ、1923年にイギリスの保護領であるトランスヨルダン首長国(Emirate of Transjordan)が成立。トランスヨルダンは「ヨルダン川の向こう」を意味する。第二次世界大戦後の1946年に独立、現国名となった。<br /><br />ヨルダンの名は、国土の西を流れるヨルダン川の名に由来。ヘブライ語起源の河川名で「流れ下る」を意味する言葉から来ており、聖書にその名が記されている。国名になったのは独立前のイギリスの保護領の名を前身としたため。<br /><br />パビリオン(下の写真4)のテーマは「未来を紡ぐ」。ヨルダンの歴史や文化を紹介している。メイン展示室は、奈良県上北山村の杉の木に囲まれた円形の映像空間で、映画「アラビアのロレンス(Lawrence of Arabia)」や「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け(Star Wars: The Rise Of Skywalker)」のロケ地として知られる砂漠地帯の保護区ワディ・ラム(Wadi Rum)の赤い砂22トンを船便で運び敷き詰めている。<br /><br /><br />続いて向かいのコモンズAへ入るが、続く

大阪 夢洲 大阪・関西万博 モザンビーク館(Mozambique Pavilion,Expo 2025,Yumeshima,Osaka)

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2025/04/22 - 2025/04/22

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ちふゆ

ちふゆさん

2025年4月22日(火)午後の1時40分頃、マレーシア館の見学を終えて、何も考えずに次に向かう。マレーシア館と道を挟んではフィリピン館(下の写真1)。

フィリピンは東南アジア、ベトナムの沖の南シナ海(South China Sea)、フィリピン海(Philippine Sea)、スールー海(Sulu Sea)の7641の島々から構成される国で、正式にはフィリピン共和国(Republic of the Philippines)。

首都はルソン(Luzon)島にあるマニラ(Manila)市。面積約30万平方kmは国の面積リスト70位で、人口約1億1千万人は国の人口リストで13位。公用語はフィリピン語(Filipino)と英語だが、母語として使われる言語は、合計172に及ぶ。通貨はフィリピン・ペソ(PHP)。日本との時差は1時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。

16世紀初頭からスペインによる植民が始まり、スペイン領東インド(Indias Orientales Españolas)となる。1898年にアメリカの支援によりフィリピン(第一)共和国が建国されたが、アメリカは建国を承認せず、武力制圧し、アメリカのフィリピン諸島政府(Insular Government of the Philippine Islands)の支配下に置かれる。

1935年に改めて独立準備をする暫定政府としてフィリピン・コモンウェルス(Commonwealth of the Philippines)が成立するが、1942年に日本に占領され、1943年に傀儡のフィリピン(第二)共和国が樹立される。

戦後は、いったんコモンウェルスが復活しアメリカ支配下となるが、1946年にフィリピン(第三)共和国として独立。1965年からは反共産主義を唱えるマルコス独裁国家体制が20年余り続くが、1986年にフィリピン(第5)共和国が成立、現在に至る。

国名は1542年に、のちにスペイン帝国国王となったフェリペ2世(Felipe II)の名から、イスラス・フィリピナス(Islas Filipinas)諸島と名づけられたことに由来している。

私は行ったことないが、息子は先日も出張で行ってて、土産くれた。また、JICAの訓練中に私が習った先生は違ったが、フィリピン人の英語の先生がいた。

パビリオンは「自然、文化、共同体― よりよい未来をともに織りなす」というテーマを掲げ、フィリピンの豊かな伝統、多様な自然、創造性を表現している。入ってないけどね。

建物の外観は、フィリピンの職人により織りなされた籐を規則正しく編み込んだ籐細工をイメージしたユニークなデザイン。入ってないけど、なかなか面白い。

その西側にはモザンビーク館、空飛ぶクルマステーション、ペルー館、ヨルダン館が並んでいる(表紙の写真)が、モザンビーク館は待ち行列がなかったので入ってみる。

モザンビーク(Mozambique)はアフリカ大陸南東部に位置する共和制国家。首都はマプト(Maputo)で、面積約80万平方kmは国の面積リスト35位で、人口約3100万人は国の人口リストで47位。公用語はポルトガル語で、通貨はメティカル(MZM)。日本との時差は7時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。

16世紀初頭からポルトガルによる植民が始まり、17世紀半ばにポルトガル領モザンビーク(Portuguese Mozambique)となる。1975年に独立。国名はかつてポルトガル領東アフリカ(África Oriental Portuguesa)の首府が置かれた北部のモスリル(Mossuril)湾にあるモザンビーク島から来ているが、その名は北部沿岸の島を支配し交易を行っていたアラブの君主、ムサ・アル・ビーク(Musa al bique)の名前に由来している。

織田信長の家来として活躍した弥助は、かつてのポルトガル領東アフリカ出身。行ったことないけど、JICA関係の方でモザンビークに行ってたっていう方と話したことがあるような気がする。マダガスカル(Madagasikara)の島の本土側なのね。

パビリオンテーマは「広がる地平線」で、外装に掲げたビーチのパノラマ写真と「どこまでも広がる水平線をその目で」のコピー、館内のイルカが泳ぐ海の映像が熱帯の楽園への憧れを膨らませる。中央に帆船を模したベンチを据え、壁側には液晶モニターやパネルを置いて、海洋研究などSDGs関連の取り組みを紹介。

目の不自由な人に振動で障害物を知らせる歩行補助デバイスなど、興味深い先端技術にも触れられる。華やかな模様の民俗衣装「カプラナ(Capulana)」をはじめ民芸品の展示・販売もしている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.29804153435894630&type=1&l=223fe1adec

ついでに入ってないが、横に並ぶ3つのパビリオンについて。空飛ぶクルマステーションは空飛ぶクルマが身近になった近未来社会を実際に体感できる展示施設と云うことだが、入ってないのでそれ以上は分からない。夕方にも前を通ったが、外から見えた空飛ぶクルマはけっこうデカかった(下の写真2)。

その奥はペルー館。ペルーは南米大陸北部、太平洋に面する国で、正式にはペルー共和国(Republic of Peru)。首都はリマ(Lima)。

面積130万平方km弱は国の面積リスト19位で、人口約3300万人は国の人口リストで39位。公用語はスペイン語、ケチュア語、アイマラ語で、大部分の人はスペイン語を話す。通貨はヌエボ・ソル(PEN)。日本との時差は14時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。

紀元前3000年くらいからの遺跡が残る地域だが、13世紀にクスコ(Cusco)王国が1438年にインカ(Inca)帝国となり、エクアドル(Ecuador)からペルーとボリビア(Bolivia)国境になっているチチカカ(Titicaca)湖辺りまでを支配地域とする。

1526年、スペイン人が初めてインカ帝国の領土に到達、スペイン国王の認可を得て、1532年から武力征服を開始し、翌年にはインカ帝国は崩壊し、スペインの植民地となる。1543年にスペインはスペイン領南アメリカのすべてを統括するペルー副王領(Virreinato del Peru)を創設、リマを首都とした。

19世紀に入り南米各地で独立への動きが加速し、ペルーでも1811年からペルー独立戦争が起こる。当初はスペインを支持する王党派が有利に展開するが、1821年7月にリマが占拠され、ペルー共和国が成立した。王党派はこの後もクスコに司令部を移し、巻き返しを図ったが、1824年に革命軍に敗れ、スペインの南米統治は終了した。

ペルーと云う名の語源には諸説あるが、16世紀初めにパナマ地峡の東南部付近を支配していたビルー(Biru)という首長に由来すると云う説が有力らしいが、位置が違うので本当かしらと思う。

いずれにせよ、ビルーと云う言葉がスペイン人により転訛されてペルーになり、当時エクアドル(Ecuador)からペルーとボリビア(Bolivia)国境になっているチチカカ(Titicaca)湖辺りまでを支配していたインカ(Inca)帝国をペルーと呼んだことからこの地域を指す名称となった。

2017年の11月から12月に掛けてに行ったことがある。リマ(Lima)、ナスカ(Nazca)、チチカカ湖、クスコ、マチュピチュ(Machu Picchu)などを回った。

パビリオンは「ペルー、無限の可能性」をテーマに、5000年に及ぶペルー古代文明の展示や工芸品などが紹介している(下の写真3)。

そしてヨルダン館。ヨルダンは中東、アラビア半島の付け根でイスラエル、パレスチナ国、サウジアラビア、イラク、シリアに囲まれた国で、国土南端でわずかにアカバ湾に接する。正式にはヨルダン・ハシミテ王国(Hashemite Kingdom of Jordan)。首都はアンマン(Amman)。行ったことない。

面積約9万平方kmは国の面積リスト110位で、人口約1000万人は国の人口リストで88位。公用語はアラビア語。通貨はヨルダン・ディナール(JOD)。日本との時差は6時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。

ヨルダンには、およそ50万年前の旧石器時代から人類が住み着いていたことが知られている。ペトラ(Petra)遺跡が有名なナバテア(Nabatea)王国は紀元前2世紀前半頃に栄えた。7世紀にはイスラム帝国の支配下に入り、アラブ化・イスラム化が進んだが、8世紀半ばにウマイヤ(Umayyad)朝が滅ぶと、ヨルダンも歴史から消える。

19世紀に入り、オスマン(Ottoman)帝国の支配下で次第に活気づき始める。第一次世界大戦後の1919年にイギリス委任統治領パレスチナ(British Mandate for Palestine)に組み入れられ、1923年にイギリスの保護領であるトランスヨルダン首長国(Emirate of Transjordan)が成立。トランスヨルダンは「ヨルダン川の向こう」を意味する。第二次世界大戦後の1946年に独立、現国名となった。

ヨルダンの名は、国土の西を流れるヨルダン川の名に由来。ヘブライ語起源の河川名で「流れ下る」を意味する言葉から来ており、聖書にその名が記されている。国名になったのは独立前のイギリスの保護領の名を前身としたため。

パビリオン(下の写真4)のテーマは「未来を紡ぐ」。ヨルダンの歴史や文化を紹介している。メイン展示室は、奈良県上北山村の杉の木に囲まれた円形の映像空間で、映画「アラビアのロレンス(Lawrence of Arabia)」や「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け(Star Wars: The Rise Of Skywalker)」のロケ地として知られる砂漠地帯の保護区ワディ・ラム(Wadi Rum)の赤い砂22トンを船便で運び敷き詰めている。


続いて向かいのコモンズAへ入るが、続く

  • 写真1 フィリピン館

    写真1 フィリピン館

  • 写真2 空飛ぶクルマ

    写真2 空飛ぶクルマ

  • 写真3 ペルー館

    写真3 ペルー館

  • 写真4 ヨルダン館

    写真4 ヨルダン館

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