2025/06/14 - 2025/06/14
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gianiさん
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新幹線や在来線で異常にお城が近い駅が気になりつつも、まじめに取り合わなかった町。尾道へ向かう通過点に過ぎなかった福山市街を歩いてみます。
一筆書きの位置情報も、ぜひ参考に!
- 旅行の満足度
- 5.0
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福山駅を訪れる度に、北口と福山城の距離の近さに驚かされます。
いつも気になる光景でしたが、いつも南口ばかり利用していて、今回初進出です。 -
2022年に天守閣が再オープン。
1622年築から400年を記念しています。
内部の博物館は400円で適量かつ秀逸な内容ですが、撮影禁止です。
では、城内の県立博物館の撮影可能エリアの展示と併せて、福山の今昔を追っていきます。 -
広島県は芸備とも呼ばれ、(右)東半分は旧備後国。中心は芦田川河口から25km遡った現在の府中市です。山陽道は河口から15km遡った神辺(かんなべ 写真上端の赤丸)を通過します。
中世の平地は橙部分で、現在の福山は未だ海の中です。 -
草戸千軒遺跡(13-15c)
鎌倉時代後半~応仁の乱後まで栄えた街が、福山駅南西2kmほどのところに現れます。皇室領長和荘(1184-)の産物を京都へ積み出す港として誕生したようですが、水運で山陽道へも簡単にアクセスできる地の利を活かして繁栄します。 -
室町時代の市域
現在の福山市域は鞆の浦も含まれ、室町幕府と大きくかかわります。足利尊氏が光厳上皇から朝敵追討院宣を受け取り、室町幕府開府のきっかけとなったのが鞆の浦です。そして、織田信長によって京を追われた足利義昭が毛利氏の庇護のもと鞆城に鞆幕府を置きました。 -
福山城の建設
草戸千軒の衰退後1世紀の空白を経て、芸備を治める福島正則が1619年に改易されると、安芸の広島城には浅野氏が入府し、割譲された備後半国(10万石)には家康の従兄弟の水野勝成が神辺城へ入府します。
一国一城令発布後で城の新設は事実上不可能な時勢でしたが、神辺を廃城にして福山にゼロから城と町を建設します。1622年に城は完成します。城下町は、主に干拓で整備されます。 -
水野勝成
家康の母方のいとこで、三河衆の中でも特別なポジションです。1584年(21歳)に、何かと自分を諫める父の忠臣を斬り殺して勘当されます。秀吉配下の各武将をホッピングして、四国攻め/九州攻め/肥後国人一揆/天草合戦など前線を渡り歩きます。 -
1599年に家康の仲介で父と和解し、上杉攻め/大垣城攻防/大坂夏の陣等で軍功を上げ、戦死した父兄に代わって家督を継ぎます。誰も欲しがらなかった明智光秀の官職日向守を授かり、鬼日向と呼ばれます。
歴戦の強者は、天草島原の乱では西国大名ではないにもかかわらず出陣を要請されました。 -
福山は西国大名を牽制する要衝なので、有事の軍事拠点として機能するために30万石相当の破格の城郭を築きました。
歴代藩主は農民の殆どを占めた小作農を無くす等の改革を施しますが、跡継ぎが絶えて1698年に改易になります。 -
阿部氏入府
天領/松平領を経て、1710年に安倍正邦が入府します。阿部氏は家康乳母の息子正勝を祖として、幼い家康が今川家に人質となった際も同行します。幕末には正弘が25歳で老中首座に就き、黒船来航等の国難に立ち向かいます。家柄を問わずに有能な人材を幕閣に登用します。 -
明治維新後
1908年に陸軍歩兵第41連隊が駐屯し、地域経済を支えます。備後では交易都市として最初に市制を施した尾道が斜陽化する中、1916年に市制を施行します。
1966年には松永市との対等合併と日本鋼管福山製鉄所(現JFEスチール)の火入れで、福山は県東部の中心のみならず、独自の経済圏を形成するようになります。福山通運/青山商事(洋服の青山)の本社も擁し、岡山/広島に次ぐ中国四国第3の都市圏を形成します。
では、現地も歩いてみます。 -
芦田川
府中/神辺/福山市役所の西方1kmを流れる一級河川。備後国の発展に欠かせないアイコンです。
※鞆の浦は、遣唐使の寄港から始まり、足利氏とのかかわりや瀬戸内航路で近世に絶頂期を迎えますが、福山市に編入されたのは1956年です。 -
草戸千軒遺跡
法恩寺橋の中洲に位置します。大雨の増水でほぼ埋没。1919年の大洪水後の河川改修工事の際に、偶然発見されました。草戸千軒町遺跡 名所・史跡
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橋の上の掲示板
本格的な学術調査は1960年代からで、河川工事(市民の生命/財産)が優先されたので、成果は県立博物館に展示されています。1990年撮影の写真では、中洲の存在感があります -
下流(瀬戸内海)方向の光景
戦前の河川工事で現在の流路になりましたが、それまでは芦田川右岸の自然堤防に位置しました。江戸時代の河川工事で左岸になり、昭和に中洲となりました。元々中州に町があったわけではありません。上の写真の赤エリアの場所の変遷からも良く分かります。明王院 寺・神社・教会
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右岸には明王院五重塔/本堂が建ちます。国宝です。
常福寺がオリジナルですが、江戸時代に明王院と合併して現在に至ります。明王院五重塔(国宝) 名所・史跡
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横の草戸稲荷は、明王院の鎮守社でした。
明王院本堂(国宝) 名所・史跡
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地形図を見ると、旧河道と江戸時代の海岸線(赤)が読み取れます。
草戸稲荷神社 寺・神社・教会
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城内に建つ県立博物館には、当時の街並みが再現されています。
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まじない関係の出土品は、作者の個性が現れていて面白いです。
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江戸時代の町のイメージと変わらず、貨幣も流通していました。ただし、宋銭です。
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農具にも、先端部分に鉄が使われています。包丁も出土しています。
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紙は普及していませんでしたが、文字/識字は普及していました。木簡や土器に記録していました。
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近世との大きな違いは、肉食が専ら犬肉だったこと。日本もアジアの一員だと感じます。ちなみに草戸での魚の主食は、真鯛でした。
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堤防沿いには、アパレル工場が。
戦前まで、福山の工業の主役でした。江戸時代に藩領で綿花栽培(木綿生産)が盛んだったことがルーツです。 -
旧河道の近くには、陸軍水道の貯水池跡が。現在は駐車場になっています。ここから駐屯地まで1350mの軍用水道を引きました。
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1919年の洪水の被害や、城下町建設の際に人柱としてヨネさんが犠牲になった現場であることも説明されています。
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最近は、バラの町としてアピールしています。
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福山駅の南口
目の前に櫓台の石垣が露出しています。目の前のタワマンとトモテツビルは、大手門跡です。トモテツビル(鞆鉄)大手町という名称にも名残が。トモテツビルの左の路地は、外堀跡です。福山駅 駅
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ローソンの奥へ続く路地が外堀跡で、JRの線路に並行します。
駅は三の丸に位置しますが、旧家臣が武家屋敷を返上したので、更地になっていました。さらに内堀も埋立てて、1891年に神戸から山陽鉄道が伸張します。 -
お城の位置関係と現在の土地割。
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駅高架下の案内所で、市街のマップを入手します。
1975年の新幹線博多伸張に伴い、高架駅となっています。福山観光案内所 名所・史跡
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北口の光景
内堀の幅は19-36mなので、内堀は高架下にも掛かっています。福山駅ホームから見る独特の光景は、鉄道が三の丸を突き抜けていることが原因です。 -
内堀の東側は、雰囲気だけ再現されています。
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長崎原爆投下前夜の福山空襲で、石垣の鉄分が赤茶けている部分があります。
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内堀跡を渡って、核心へ迫ります。ここは二の丸と三の丸の間です。
現在は直進するショートカット路が整備されていますが、当時は右折して、門を潜らなければなりませんでした。 -
福山城は、標高20mほどの蝙蝠山(常興寺山とも)と呼ばれる小高い丘の上に建てられました。コウモリは福をもたらすので、転じて福山と命名します。右の二の丸石垣の横には、蝙蝠山の岩盤が残っています。ちなみに手前の角の上には、東坂三階櫓が建っていました。
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東上り櫓門跡
何度も曲がって二の丸へ上がっていく構造で、上から侵入者を攻撃するのに最適です。門を挟んで左側には神辺城から移設した鹿角菜櫓、右側には東坂三階櫓が建ちます。大手門から入る正規の入口の反対側に位置するので、搦手と呼ばれます。 -
明治6年の取り壊し前の東坂三階櫓の写真
三層の櫓で、小天守の出で立ちです。 -
鬼門櫓
名前の通り、北東角に位置します。 -
天守閣に到着です。
もう一度、福山駅へ戻ります。 -
駅高架を西進すると、高架下に櫓台跡の石垣が遺っています。
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西御門三の丸櫓台跡
実際に櫓は立てられず、稲荷神社が設置されました。 -
県立美術館に面した通りは、外堀(西側)の跡です。
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北からふくやま美術館、県立博物館を覆う感じで外堀がありました。
ふくやま美術館 美術館・博物館
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県立博物館は、外堀と内堀に挟まれた三の丸跡にあります。
広島県立歴史博物館(ふくやま草戸千軒ミュージアム) 美術館・博物館
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大手門から内堀を渡ると、西坂口門がありました。博物館の東側にあります。
福山城 名所・史跡
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西側の二の丸は、殺伐としています。
東側の二の丸には水野勝成像が立ちますが、こちらは阿部正弘像が立ちます。 -
二の丸西側から本丸を見上げると、神辺城から移設した神辺一番櫓~四番櫓が林立しました。西国大名が江戸へ向かう際に最初に視界に入る光景です。防備を固めた福山城を目にして、大きな抑止力となることを意図していました。
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当時の図面
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本丸へ到達するには、伏見櫓の南面と東面を通行しないといけません。素晴らしい防衛システムです。
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伏見櫓の南面を通って、左折して東面に移ります。
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更に右折して、筋鉄御門を潜ります。その際は、伏見櫓に背中を向けて丸腰です。枡形です。
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筋鉄御門から見た伏見櫓
名前の通り伏見城から移設され、旧国宝に指定、現在は国の重文指定。 -
伏見櫓から見た筋鉄御門
窓にはめられた格子が四角柱ではなく三角柱になっており、鉄砲で敵を狙う際のことが考慮されています。瓦は、水野家の家紋が入っています。こちらも旧国宝、現在国の重文指定。 -
鐘櫓
伏見櫓/筋鉄御門と共に、福山空襲を生き残った3建築の一つ。 -
本丸御殿
今は広場と化していますが、本丸は政務の中心地かつ藩主の邸宅で、建物がぎっしりと建っていました。 -
御湯殿
清水の舞台のように、南側の石垣から建物が張り出している珍しい構造です。入浴施設が残っていることも珍しく旧国宝に指定されましたが、戦災で焼失し1966年に復元されています。 -
月見櫓
南東角に位置し、名前の通り月見のために使用されました。伏見城から移築されましたが、1873年の廃城令で棄却され、1966年に再建。本丸には、人質櫓など面白い名前の櫓が多く存在しました。 -
天守閣
本丸北に位置し、旧国宝に指定されましたが、福山空襲で焼失、1966年に再建されました。 -
黄金水
本丸北西にある井戸で、深さ13m水深5m。城内で十分の水量を確保できる唯一の井戸で、尚且つ水質も素晴らしかったようです。現在も汲めます。 -
本丸北西の棗(なつめ)門を出て、天守北側の二の丸へ移動します。
福山城公園 公園・植物園
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外堀/内堀は城の東西南のみをカバーしており、堀のない天守閣北側は火器の攻撃に備えて、全面鉄板を貼っていました。それゆえ、黒く映ります。
福山城博物館 美術館・博物館
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明治初期の写真
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拡大すると、鉄板が鋲で留められ、隙間なく重ねて敷き詰められていたことが分かります。
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天守閣最上層からの北東方向の眺め
この場所には藩の米蔵が林立しました。加えて五千石蔵(幕府の御米蔵)が建ち、福山藩が管理していました。中国/西国で天災が起きると蔵が開かれ、被災地救援に用いられました。現在は福寿会館になっています。
※米5000石=米750t福寿会館 名所・史跡
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北西方向の眺め
手前と奥の小さな丘が城の盾となり、丘の間を流れる吉津川(現蓮池川)が要害となりました。吉津川は芦田川の旧流路の一つをベースに開削されました。 -
三蔵稲荷神社
水野勝成は京都の伏見稲荷のお守りを身に着けて歴戦に挑み、いずれも無傷で帰還しました。築城の際に鬼門(北東)を守る神社として、稲荷神社を勧請しました。三蔵稲荷神社 寺・神社・教会
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福山藩士が公金を江戸まで運ぶ際に何度か強盗に遭うも、その度に救われ名前を訊くと「城北に住む三蔵と申す」と答え、城内の稲荷神社のお使いのキツネであると悟り、以降三蔵稲荷と呼ばれます。
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北面は堀がなく、丘となっており、現在は護国神社となっています。
備後護国神社 寺・神社・教会
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ふくやま文学館を抜けて城の北西端を越えると蓮池があります。
ふくやま文学館 美術館・博物館
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蓮池
地元では、どんどん池という名称の方が通りが良いです。風光明媚な池です。芦田川の分流吉津川(蓮池川)の途中に貯水池として建設されました。 -
実は、日本で5番目に開通した上水道の水源と建設されました。最古は1590年の玉川上水で、近江八幡/赤穂/中津/福山(1622)と続きます。福山は干拓地で水を得にくかったので、城下町建設時に上水道もセットで開発されました。
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どんどん池より下流に4つの取水口があり、武家町(東町/西町/古吉津町(北側))と町人町(南側)へ4つの幹線が走り、総延長は14kmでした。古吉津町へ供給した妙政寺取水口は、現在も目視できます。
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水道は石畳/土管(埋設)で、管と管の継ぎ目は写真のようなジョイント部分(枡)があり、枡の部分に各家庭へ通じる竹管が分岐しました。三蔵神社横、お城の駐車場にも取水口がかつて存在しました。
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福山駅南口のロータリーへ戻ります。バス待合室のある辺りは舟入で、お城へ船が乗り入れていました。
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この地図を見ると、現在地の右上に船着場がプロットされています。
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ロータリーに面する天満屋北側を斜め横断する形で船川(海へ通じる水路)が延びていました。
YOKU MOKU 天満屋福山店 グルメ・レストラン
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伏見町の信号を斜め右に入り、入川跡を歩きます。現在は元気一番街となっています。厳密には右側に写る歩道部分と歩道に面する建物の部分が入川跡です。
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北側を上にして地図を掲載
元気一番街と並行するシンボルロードきたはま通りの部分が入川跡で、瀬戸内海へ通じていました。 -
天下橋跡
シンボルロードきたはま上に位置する船町(北)交差点には、天下橋が再現されています。入川を渡る交通の要所で、歌川貞秀の浮世絵にも登場する福山名所でした。 -
天下橋北詰には福山銀行が建ちました。現在はマンションですが、駐輪場が銀行風のファサードで再現されています。
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旧福山銀行本店跡
1896年に城下初の銀行として創業。現中国銀行の母体となった銀行の一つです。入川は埋立てられるまでは多くの商船(帆船)が行き来し、昭和初期まで多くの船の荷揚げで賑わいました。現住所は船町、周囲は入船町/御船町といった住所であることからも分かります。そんな商業の中心地に本店を構えました。 -
木綿橋跡
次の交差点には、木綿橋跡が。干拓地は土壌の塩分が多いので、稲作ではなく綿花栽培が盛んになりました。引き続き入川跡を追いかけます。 -
このまま直進すると国道2号線を斜め横断し、手城産業道路と名前を変えて東南東方向へ直進すると、
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大山樋門交差点に到達します。右斜め前には福山みなと公園が現れます。この公園の南側が入川跡です。
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横にある市民ホールには、JFEスチールのスポンサーが表示。西日本事業所の福山セグメントは、独立した設備としては日本最大の製鉄所です。山陰地方全体の工業出荷額を凌駕するほどの生産設備です。
リドテリア グルメ・レストラン
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産業道路を挟んで福山湊公園の反対側には、城下町の北面/東面を防御するために通した吉津川の終点が姿をとどめています。ここで入川と合流していました。現在、入川は暗渠となっています。
果汁工房 果琳 ゆめタウン福山店 グルメ・レストラン
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福山みなと公園の縁には稲荷神社の赤鳥居があり、金毘羅宮に奉納された大きな灯篭が残っています。
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明治13年(1880年)奉納とあるので、その頃は此処を船が通行していたことが分かります。ちなみに現地は、入船町という地名です。
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公園が終わると、暗渠から入川が姿を現します
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こんな感じで、左側は福山市立大学のキャンパスになっています。
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大学キャンパスを越えると、はっきりとした運河の姿になります。
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後ろを振り返ると、こんな感じ。
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福山港のプロフィールが書かれていました。
当初(1622年)は入川の長さは1.4kmでしたが、福山藩の干拓事業で総延長4kmまで伸びます。現在の入川の終点は幕末と一致します。 -
入川は延々と続きます。
COWCOWステーキ 引野店 グルメ・レストラン
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入川の南側には緑町公園があります。
ここには、陸軍歩兵第41連隊跡の記念碑があります。大きな公園ですが、隣接するショッピングセンターと共に、兵営跡でした。空襲後に学校と市役所が庁舎として仮使用したことを契機に、広島大学のキャンパスが移転し、現在に至ります。 -
隣のばら公園よりもバラが充実しています。
緑町公園 公園・植物園
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JA福山は陸軍病院跡に建ち、ばら公園と続きます。1908年に連隊が転営したことで都市基盤が整備され、1916年の市制に繋がりました。
ばら公園 公園・植物園
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国道2号線と交差する御船町交番交差点付近まで連隊の敷地でした。連隊本部は、カトリック広島司教区管轄の教会/幼稚園となっています。
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新幹線開通時から、福山はこだまのみの停車でしたが、のぞみが毎時1本停車するようになり(姫路と同格)、福山のアドバンテージは増しています。
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木綿橋跡の交差点を北進すると、福山らしいおしゃれな通りが走っています。
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福山と岡山を結ぶ鴨方往還を横断し
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1910年に福山で点灯したガス灯モニュメントを過ぎると
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水野勝成の墓所へ着きます。
水野勝成墓 名所・史跡
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右には長子、左は父の墓です。
新幹線/山陽本線高架で分断された賢忠寺の境内です。代々の城主の墓があります。ちなみに阿部家は代々幕閣を務めたので江戸詰ということで、江戸に埋葬されています。 -
最期に、福寿会館を訪問。海産物商で財を成した安部和助が1935-37年にかけて建造しました。
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和館は結婚式の撮影で使用中で入れませんでした。
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洋館は瓦葺き急勾配の切妻屋根で、外壁はモルタル造りです。
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ヴェネチアルネッサンス風擬似窓装飾や柱の装飾などが特徴的です。
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1階は、こんな感じ。
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2階はこんな感じです。
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市の施設です。
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おまけ
JOYロード船町には、乙なお店が。天下橋跡近くの怒赤鬼ラーメン/居酒屋天は、本格的な尾道ラーメンが味わえます。 -
芸術的内容です。750円
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店主イチオシの台湾風白湯麺。830円。
唸る味です。 -
カープ愛のあふれた店です。
ちなみに通りには、阪神ファンのためのお店もありました。
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