2025/02/28 - 2025/02/28
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Octtaさん
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この度私事ながら転職する事となり長期休暇を得られたので、念願の東欧と中欧に周遊旅行に行くことに。
ただ、直近のブッキング、中欧の物価高、円安、転職関連の出費で夢はいっぱいでもお財布はさもしいので(笑)、
バックパック貧乏旅行でバッサリ割り切りつつも、したいことは存分に叶えるプランをざっくりと立てました。
この旅行記ではポーランド第二の都市クラクフから到着後ワルシャワでポーランドの歴史や音楽に触れてヨーロッパ最後の時を過ごした後に、
カタール経由で適当にも程があるソウルでの滞在を経て日本に帰国しております。
いつものように月以外は日時適当、旅の計画も行き当たりばったりですがよければごゆるりとお読みください。
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こんにちは、こちらはポーランドはワルシャワの中央駅です。
ポーランドの南部の古都、クラクフより列車に揺られてまいり、現在時刻はちょうど昼の12時でございます。 -
まずワルシャワ駅を出て驚いたのがまず昼間でも余裕の氷点下のしばれるような寒さ、そして大都会ぷりです。
この旅、最初に訪れたアラブの産油国カタール以来の高層ビル群です。 -
その大都会ぷりに驚かされつつも、感嘆では寒さと腹減りにはどうにも出来ず、
正面の写真の有機的な建物のショッピングモールへ駆け込みます。
そしてEU加盟国ではレストランなど貧乏旅行者の私の身分不相応ですので、目的地はフードコート、ケンタッキーです。 -
半ば飢えたケモノのように頼みましたのはランチョンマットの左側のマカロニチーズのブリトーのセットです。セットにすると存外高く約1150円でした。
ここ数日は節約と健康を考えて非常にヘルシーな食事しか取らなかったこと、
そして日本では発売されてないメニューであったこともあり、健康の対義語のような密かに憧れのマッケンチーズを喰らいます -
そしてこちらだけかもしれませんがポーランドのケンタッキーは飲み物がフリーフィルでした。
されども、ポーランド人は健康意識が高いのか殆どが私の嫌いなノンシュガーでしたので、唯一ノンシュガーでないペプシを3回もオカワリして大満足なのでした。 -
久しぶりのジャンクフードを詰め込み、ワルシャワの街歩きをしていきます。
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このワルシャワという街、このような落書きなども見受けられますが、
私がこれまで行った都市でもソウルあたりとあまり体感変わらないくらいに整然としていて治安もかなり良く感じられました。 -
街をこのままぶらぶらするのも乙なものですが、
2月も末の日中だというのに鼠色の空のワルシャワはあまりにも凍てつく寒さでさっそく地下鉄駅に潜り、48時間フリー券を買い込み、 -
メトロに乗ります。
ワルシャワがいかに綺麗で秩序だっているのかが治安や社会情勢の写鏡になりがちな大都市の地下鉄の駅を見てもわかるかもしれません。
列車も当然のように定刻で来ます。 -
途中今日からお世話になるホテルに荷物を置き、バスに乗り換え着いたのは
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ワルシャワ旧市街地です。
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冬場のヨーロッパらしく華やかなオーナメントが飾られていて雰囲気が良いです。
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重厚な教会があったので入ってみます。
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こちらは聖ヨハネ大聖堂ですが、新しい見た目は2次大戦にこの街のほとんどが破壊されたが故のものです。
ワルシャワ蜂起のモニュメントが目立つ場所にありました。 -
道路をぬけ開けた所に来るとスケートリンクが御出迎えです。
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私のお目当てはこちらのワルシャワ歴史博物館です。
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英語の説明が全面的に添えられていて旅行者に優しく非常に見応えのある施設です。
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そしてこちらワルシャワの人口統計ですが、1945年前の数年で人口が133万人から16万人まで激減しました。
これがまさに先程触れた第二次世界大戦にナチ占領下のワルシャワが受けた被害を可視化しています。約1200万人の東京で言ったら140万人くらいまで人が減るようなものでしょう。
避難した人等の減少もあるにしてもあまりにもグロテスクな数字で正直現実として受け入れがたかったです。 -
この博物館の町屋も例外でなく2次大戦で焼き尽くされたのですが、
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ワルシャワの人々の執念は凄まじくほかの旧市街の建物と同じく写真や記憶を頼りにヒビの1本まで再現したといいます。
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ワルシャワの概況を知れた後には展示とともにワルシャワの歴史を辿ります。
近世のワルシャワのレプリカだったと思うのですが、説明を撮り忘れてしまいました。 -
そしてこちらがワルシャワのシンボル人魚像です。
この人魚を助けた夫妻の名前に因んでワルシャワという都市名が名付けられたと言われています。
ちなみにこちらにある像が本物で先程のスケートの広場(人魚広場)にあるものはレプリカだそうです。 -
かなり広い博物館ですが壁一面に広がる絵画のゾーンに来ました。
19世紀のワルシャワの街並みだとか。
写真のように精巧でありながらどこか温かみのある絵たちです。 -
こちらは打って変わって共産党時代の労働者たちの絵です。共産圏のプロパガンダ絵画は不思議とどれも同じようなトーンです。
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続いて戦争前のワルシャワのモダンな人々の装いです。
中々きらびやかですが、こちら展示の服装が変わるみたいなのでまた来ても楽しめそうです。 -
19世紀の裕福なワルシャワ民のお家の再現です。いかにも仕立ての良さそうな家具でワルシャワの都市としての発展を伺いしれます。
これも元になった家の説明を撮り忘れてしまいました… -
展示を奥に行くとオドロオドロしい雰囲気になりますが、第二次世界大戦時にナチスがワルシャワのユダヤ人を閉じ込めていたワルシャワ・ゲットーからの押収品です。
Googleレンズで訳してみるとユダヤ人地区配給所と書いてあったので配給品かと思いますが、戦況が悪化するにつれて配給は滞っていったようです。この辺は太平洋戦争の日本の末期に似てます。 -
ワルシャワ・ゲットーは1940年頃にユダヤ人の隔離を目的としてナチス占領後建設されました。
当日のワルシャワには人口の3割ほどユダヤ人がいてそのほとんどが劣悪なゲットーに詰め込まれたのも束の間、
1942-43年頃にはアウシュヴィッツビルケナウを筆頭にユダヤ人は第三帝国各地の収容所に移動、殺害されました。
それゆえ、上の写真のような残留物がこの博物館にも多く残っています。 -
こちらも説明撮り忘れたのですが、アウシュヴィッツで見たものに酷似しているので、収容の時に着せられる囚人服でしょうか。
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全部見きれず出てきましたが、それでも3時間ほど展示を見るのにかかりました。
内容的にかなり頭をフル回転させながら見たので、 -
黄昏時の冷たいワルシャワの空気が脳みそにはちょうど良かったです。
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脳の換気を終えてワルシャワは治安の心配があまりなさそうなので歩いて帰っても良かったのですが、寒いのとフリーチケットを買ったのでバスに乗りこみます。
バスには綺麗なディスプレイが据えられていて、旅行者も安心です。 -
という訳でワルシャワ新市街まで戻ってきましたが、ちょっと寄り道をします。
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ここは先程の博物館でも触れたワルシャワ・ゲットーの分離壁の残りです。
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すぐそこにアパートがあって調べなければたどり着けないかつこの場所になにか博物館等がある訳では無いのですが、歴史を踏まえて合掌しました。
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踵を返して大都会に佇む共産主義色の強い団地にエモさを感じながらたどり着いたのは
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文化科学宮殿です。こちらはまさにスターリン建築の権化であり、スターリンからポーランドに寄贈された共産主義建築もいいところのランドマークです。
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あまりにもでかくて2回も入口を間違えましたが
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無事に辿り着いて1000円ほど払って上に登ります。
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上に昇った途端、思わずうお~と声を上げてしまいました。
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ここまで高層建築の少ないヨーロッパを旅していたのもありますが、もう大都会も大都会です。
何よりスゴイのは1度100年もしないうちに、街が瓦礫の山と化して人口も9割近くを失いその上戦後もつい30年ちょっと前まで東側陣営であったのに、
ここまで発展したポーランドの胆力に本当に感動しました。 -
感動を引き摺りながら外へ出てみると
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ライトアップされてましたがこれはちょっと悪趣味ですね。
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歩いてすぐ近くが駅なので
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駅チカのモールのカルフールで飯を拵えて宿へ戻ります。
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今日からお世話になるのがこちらカプスラホステルです。
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まずはサラダで腹ごなしです。食物繊維たっぷりの生野菜サラダは日照時間の少ない北部ヨーロッパでは栄養剤のようなものです。
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栄養剤その2です(笑)
このビールもなかなか飲みやすくて良かったです。 -
そしてカスプラという名前のごとくこのホテルはカプセルホテルです。しかも日本と違ってキャビンにロックがかかるので素敵です。
それではおやすみなさい。 -
おはようございます。
本日もフルーツパンヨーグルト紅茶の朝ごはんからスタートです。 -
外に出ると相変わらず氷点下なので
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逃げるように地下鉄に乗り込みます。
ホームがとっても暖かいなんてことは無いですけど風が吹かないだけ有難いです。 -
よく読めない地名の駅で降りて向かいますのは
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ワルシャワ蜂起博物館なのですが…
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なななんと、定休日は確認したのに今日だけクローズです…
ダメ元で中にいた人に聞いてみてもやっぱりやってないよ~とのこと。 -
計画崩壊ですがせっかくのワルシャワ旅行、ここで何もせずに過ごすのもナンセンスなので次なる目的地をさくっと探し、トラムに乗り込みます。
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このいたく大きな建物はポーランドユダヤ人博物館です。
ちょろっと触れているように戦前のポーランドには多くのユダヤ人がおりまして、
ことさらワルシャワにはニューヨークに次ぐ世界第二位のユダヤ人口が居たそうです。彼らの軌跡を辿れるそんな場所です。 -
目の前にはワルシャワ蜂起の犠牲者を偲ぶモニュメントがございました。実物は本当に見応えあるので是非。
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なんとこちら、日本語のオーディオガイドが無料で借りられるので借りまして早速入場です。
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ポーランドはポーランド王国時代に先史以来迫害の歴史を辿ったユダヤ人を受け入れたことにより、前述の通りヨーロッパでも屈指のユダヤ人コミュニティが出来上がりました。
彼らの多くは都市部に住み共同体を築きました。 -
こちらは近世のユダヤ人在住地の分布だったかと思います。南部の方が多かったようです。
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日本や東南アジアの民家のような写真のこちらは在りし日のユダヤ教の寺院のシナゴーグです。
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そのほとんどは破壊された訳ですがこちらには再現がございます。在り来りな表現ですがまさにエキゾチックという言葉が似合う素敵な建物です。
あまりユダヤ教には明るくないのですが、もしイスラエルないしは、ほかのユダヤディアスポラの土地でこのようなシナゴーグが残っているのなら見学したいものです。 -
ここまでポーランドへ移り住んだユダヤ人たちの民俗にフォーカスを当てた展示がほとんどだった訳ですが、この肖像画3枚が掲げられたゾーンから少しづつ毛色が変わります。
そうです、プロイセン、オーストリア、ロシアによるポーランド分割、近代への幕開けです。
ポーランド・リトアニア共和国下による穏健な暮らしを営んでいたユダヤ人に少しつづ不穏ともいえる変化が訪れていきます。 -
暫くは分割統治下でありながら、ナショナリズムを培いながらも近代化していくポーランド、主に都市圏で文化の一員として活躍するユダヤ人の様子がこのような(これは鉄道のチケットです)体験型の展示を含めながら楽しめたりしつつも
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一方で明らかにポーランド・リトアニア共和国時代より苦しくなった立場からアイルランド人やイタリア人のように新大陸アメリカに移民をしていったユダヤ人の記録も残されています。
何かと議論を起こすアメリカにおけるユダヤ人コミュニティは何も一朝一夕に築かれたものでもないこともよく分かります。 -
また20世紀にかけて、彼らの定義するところの故郷であるパレスチナに帰郷しようというシオニズム運動が起こったのも、史料として実感できます。
そして1918年には第一次大戦が終戦し、ポーランドは世界的潮流の中で民族自決の元、独立を回復しポーランドに住まうユダヤ人にも少しの希望の灯火が見えてきたと思いきや、 -
そうではないのはとっても分かっているので、展示を見る前に少しの休息を取ります。
こちらはポーランドで有名なお菓子、プリンスポロです。
ありたいていに言うと、チョコレートがけウエハース、大きなキットカットなのですけれど、
キットカットよりチョコレートの味やウエハースが上品で洗練されていて美味でした。 -
さて、見学に戻るとある一点から明らかに無彩色へと移ろいます。そして「とどのつまり、ユダヤ人の歴史にとって最も苦難の時代が始まったのだ。」という記載も。
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いうまでもなくナチスのポーランド侵攻です。
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おどろおどろしいナチス・ドイツの侵攻風景に耳や目をふさぎたくなりますが、ここは堪えて歩みを進めます。
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まだひよっこであった新生ポーランドは当然の如く、ナチス・ドイツの支配下に置かれ、そして他の第三帝国内と同様に支配下のユダヤ人は管理のためゲットーに押し込められます。
ここまでの歴史を見た通り、ワルシャワのユダヤ人人口は第三帝国内でもことさら多く、壁に記載されたゲットーの地区名はスマホのカメラに収まらないほどです。 -
ワルシャワのゲットーは大きく東西に隔たれており、その行き来は写真の粗末な木橋のみだったそうです。見ての通り、ユダヤ人以外は普通の往来がされていました。
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昨日のワルシャワ歴史博物館やゲットー跡から伺い知れるようにゲットーの環境もそれはそれは劣悪極まりなかったですけれど、
更に最悪な事が彼らに襲いかかります。1942年1月20日に決議された「ユダヤ人問題の最終的解決について」です。 -
これがいわずもがな、ユダヤ人ジェノサイド、ホロコーストです。
これ以降、ゲットーからユダヤ人は種の絶滅の為、強制収容所へ移動を余儀なくされたのですが、
実はこの時代ゲットーにはナチス・ドイツの元、ユダヤ人評議会というユダヤ人コミュニティの自治を行う組織があったのです。 -
彼らは歪な社会ゆえの腐敗はありつつ、ナチス・ドイツとの融和も視野に入れながら一定はゲットー内のユダヤ人に便宜を図ったのですが、
ナチス・ドイツは彼らにゲットーの住人の収容所への移送を促進するように命令しました。
彼らはナチス・ドイツとの融和は不可能だと悟り、抵抗をしましたが、叶わずついぞゲットーは解体。評議会メンバー含めてユダヤ人たちはことごとく強制収容所へ収監されていきました。 -
ゲットーの解体とユダヤ人の連行がほぼ完了した1944年、ワルシャワでは別の惨事が起こりました。
それがワルシャワ蜂起、そして失敗からのナチによる街の焦土化です。
その惨事については昨日の博物館に詳しく記していますが、ナチス・ドイツが敗戦し強制収容所が解放されようと、もはや極々僅かのホロコーストの生き残りの帰る場所も失われたというわけです。 -
その後、前の対戦の密約や各地のユダヤ人ディアスポラの働きかけもあり、1948年、パレスチナの地にユダヤ人の念願の国イスラエルが建国されたのは周知の事実です。
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一方、ポーランドではナチスという暗黒の時代が終わり、たとえ焦土になろうとユダヤ人にとっては自由な時代が来たかと言うとそれもそうでなく、
共産党政権となったポーランドは親米のイスラエル、しいてはユダヤ人を決して歓迎はしませんでした。1967年の第三次中東戦争の煽りを受けて親玉ソ連がイスラエルと断交したのをポーランドも同調したのを決定打に -
元からイスラエルへの移民は自発的にも多かれど、そうでないものも僅かな支度金と片道だけ有効の旅券を手渡されポーランドを離れることになりました。
そうしてかつては人口の数割をユダヤ人が占めていたポーランドという国家からほとんどユダヤ人はいなくなった。という訳です。 -
この博物館の最後には数少ないポーランド在住のユダヤ人のインタビューが放映されていましたが、
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博物館全体で初めて知ることや既知のことであってもかなり内容が重かったので、程々に退出することに。息を吸い込むと頭が少し軽くなった気がします。
昨日の歴史博物館同様、昼間だろうと凍りつくワルシャワの空気もこんな時には有難いものです。
博物館は余裕で一日潰せるほどに内容が濃く、見学内容はかなり削ったほどです。また日本語のオーディオガイドのクオリティも破格に高く、予定外で来た場所ですが、かなりオススメではあります。
ただ、イスラエル建国とその後の経過は当たり前ながらユダヤ人サイドな見解でしかないので、正直、最後の方は少し複雑な気持ちでした。 -
気持ちを切り替えてドラムに乗って郊外へと向かいます。
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到着したのはArkadiaというショッピングモールです。
ここに来たのはお土産を入手するためです。
ここまで3週間弱周遊旅行をしながらほぼ土産を買わなかったのですが、明日いよいよヨーロッパを離れるのでやっとこさな訳でございます。 -
非常に大きなショッピングモールで日本未上陸のブランドも多くあり色々見て回りたいところですが、今日はこの後予定があるので、友人や自分向けのお土産をワトソンやカルフールでサクッと買います。
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腹も空いたので買い物ついでにサンドウィッチを食みます。
カルフールなもんでポーランドなのにボナペティと書かれていてシュールですが、スモークサーモンと穀物たっぷりのハード系のパンはフランスでなくしっかりとポーランドの風を味わえます(笑) -
腹も満ちてそそくさとバスに乗り来たのは
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昨日も来たワルシャワ旧市街です。
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今日のお目当ては可愛らしい旧王宮です。クラクフで入り損ねたのでリベンジです。
そしてなんと有難いことにこの日は入場料フリーだったので、その恩恵を受けます。貧乏旅行者に優しいです。 -
さて、まず最初に現れるのが大会議室です。
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正直こちらの王宮そこまで期待せずに来たのですが、
思った以上の豪華絢爛な装飾で驚くばかりです。 -
うろ覚えで恐縮なのですが、こちらはポーランド・リトアニア共和国成立の際をモチーフにした
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絵画たちだったと思われます。
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続いては王座の間です。
豪壮な玉座の裏には白鷲のポーランド国章が散りばめられております。 -
次は王の寝室です。
ここまでポーランドらしく赤色メインであったところ、ブルーグリーンとウォルナットでシックにまとめられた空間です。
さすがに寝る時まで赤だとチカチカするものね…なんて頓珍漢な庶民な感想が出ます(笑) -
またこの手の施設にありがちな刀剣も勿論展示されています。
あまり詳しくないですが純粋にかっこいいです。 -
続きましては19世紀頃のワルシャワの街並みが描かれた風景画のコレクションです。こういうと陳腐ですけれど、写真と見間違えるようなリアルな絵画たちでした。
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これは近く居たガイドの聞きかじりですがヤポーネと言っていったので恐らく日本製の磁器です。
100年以上前のものですが、その精巧さには目を瞠るものがあります。 -
こちらも磁器のコレクションですが、ここまでフルセットで整えられていると圧倒されます。
推測ですがおそらく使うことではなく保有していることに価値のある物なのでしょう。 -
時代が変わり、こちらはナチス・ドイツと共産党支配時代に運営されたポーランド亡命政府の執務室と
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食器のコレクションです。初期はフランスのパリが拠点だったようで背景にエッフェル塔が見えます。
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そしてこちらがこの施設のハイライトの一つである大広間です。
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豪勢な内装もさることながら、こちらの見所はポーランドの歴史を切り取った名画たちです。
写真はヤン・マテイコの『レイタン、ポーランドの没落』です。
こちらはポーランド分割の決議に反対する政治家レイタンの決死の抗議を描いた絵画です。画像では見た事はあっても実物を見るとかなりの迫力と写実性でしばらく足を止めてしました… -
閉館時間が近かったこともありざっくりとした見学となり全てを見切ることは出来ませんでした。
しかし、ただこの王宮が凄いのは写真にあげた展示物自身もさることながら、実はナチス・ドイツの支配下、戦乱でほかの旧市街の建物と同じく破壊されたのにも関わらず、
これまであげたコレクションは全てワルシャワの人々により秘密裏に保管されていて現物であること、そして豪華絢爛、広大な王宮自体も史料を元に再建されたことです。
本当にいい意味で執念の強い人々の国だなと再認識したのでした。 -
次の予定まで少し時間があるのでワルシャワ旧市街の散策をします。
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こちらはバルバカンというヨーロッパの城塞都市あるあるの防壁です。
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アンバーの光も相まって中世に迷い込んだような気分になります。
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バルバカンを抜けると人通りはだいぶ減りますがtheヨーロッパという街並みが続きます。
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さて時間も経ち、やって参りましたのはフレデリックコンサートホールです。
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という訳でこの旅の〆として音楽には全く明るくないのですが、ワルシャワに来たのならとショパンの曲のコンサートを聞きに来ました。
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曲のリストを見ても何も分からないぐらいの無知でピアノオンリーのコンサートを楽しめるのかと自分で申し込んでおきながら疑っていたのですが、
いざ聞いてみると聞き馴染みのある曲も3分の1くらいあり、聞いた事のない曲も美しくも情動的な旋律が染み入り1時間があっという間でした。 -
幕間にはスパークリングワインのサービスもあり、少し敷居が高そうに見えますが、
実際はジーパン、トレーナーでふらっと来ている人(私も長期旅行なのでトレーナーでした笑)もいらして、
値段も2500円程度でしたのでワルシャワに来たらこちらの会場に限らずコンサートに出向くのはありかもしれません。
非常にいい旅の思い出になりました。 -
音楽で心を満たしたあとは腹も満たしに行きます。ポーランドでメジャーなレストランらしいZapiecekに来ました。
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まずはたっぷりな赤ワイン、そしてボルシチを頼みます。
ただ、このグリューワインみたいな見た目のボルシチはほぼ具なしで塩辛いだけで残念な感じだったので、久々のレストランでの食事でチョイスを見誤ってしまいました。 -
ただ、メインで頼んだポーランドの名物料理、ピエロギはもう文句無しに美味でございました。
こちらは9個味が違うもののミックスだったのですが、同じ名前の料理とは思えないほど甘い系からしょっぱい系とバラエティ豊かで一つ一つ食べるのが楽しい料理でした。特にキノコの餡のピエロギが美味でワインともバッチシです。 -
ワイン1杯とはいえ酒を入れたので足元や周りに気をつけながら、宿へ戻ります。
気温が低いからか雪がどこもかしこも残って凍っているので、シラフだろうが冬のワルシャワの街歩きはなかなか危険です。 -
先程の店のワインがスペイン産で最後にポーランドのお酒を飲んで締めたいな~と思ったので、途中コンビニでレモンビールをゲットします。
甘すぎず少し苦味もありながら爽やかな味わいで旅の終わりにピッタリでした。 -
おはようございます。
今日でヨーロッパを離れるので、パンとフルーツの朝ごはんも最後です。
なのでという訳でもありませんが、ジュレックという発酵ライ麦のポーランド特有のスープもインスタントですが添えてみました。
発酵食品で酸っぱいので人を選びそうですが、パンとの相性は非常に良く朝から温まりました。 -
温まったのはつかの間、朝6時前、5時代ですが極寒のワルシャワから空港に向けて出発しなければなりません。
有難いことに朝早くてもバスは動いているのでバスで向かいました。
ちなみに見ての通り、こんな早朝なのに人が割とおります。それも早朝の首都の繁華街にありがちな酔っ払いや何をしているのか分からない人たちではなく、ちゃんと働きに出ている人が多かったです。
この勤勉さもポーランドの成長の一因なのだろうと思います。 -
30分ほどでワルシャワショパン空港へ到着です。やっと空が白み始めました。
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ポーランドはここまで書いてきたように思った以上に印象がよく素晴らしい旅行先だったので、
名残惜しいですが飛行機は待ってくれないのでチェックインを済ませます。帰りもカタール航空です。2時間前くらいですけどチェックインは見ての通りスムーズでした。 -
セキュリティが過去一で厳しくて公然の前でパーカーをぬいでババシャツ(死語?)を見せびらかすことになり眠気が去った珍事(笑)はありましたが、
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イミグレは問題なく通り抜けて搭乗ゲートに向かいます。
日本からはなかなか行きにくいモーリシャス便のゲートなんかを見つけてこれからアジアに戻るというのに、あ~いいなあモーリシャス!と後ろ髪を引かれます。 -
さて自分の搭乗ゲートに着きましたが、搭乗便はカタール航空なのでモチのロンで行先はドーハです。
約10日間オーストリア入国後からずっと氷点下で過ごしてきたので、19℃という表示が信じられません。 -
いざ搭乗です。バイバイポーランドとヨーロッパです。
今度はハンガリーとか行きたいですね。 -
フルキャリアなのでシートピッチは余裕です。ドーハまで6時間快適に過ごせます。
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離陸して1時間くらいで食事のサービスが回ってきました。朝ですが1日移動日なのでビールをいただきました。
ステラアルトワとライスクラッカー、朝から優雅です。 -
食事は2週間ぶりにお米、グリーンカレーを選びました。ポーランド積み込みなので少し心配でしたが、さすがカタール航空、非常に美味です。
ヨーロッパのパン食にも慣れたつもりですがやっぱりアジア人なので米が最高なのです。 -
食後は紅茶をいただきました。カタール航空恒例のロータスが有難いです。
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という訳で定刻でドーハ着です。
行きはカタール入国しましたが、帰りはさすがに乗継だけです。 -
次のフライトまで3時間ほどありますので世界屈指のハマド空港をプラプラします。天井のオーナメントはシャネルとのコラボだと思われますが、流石お金持ち国家でございます。
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そしてお金持ち要素がいちばんムンムンなのがこちらの巨大なお庭です。
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シンガポールのジュエルを小さくしたような作りですが、砂漠の国で水たくさん植物たくさんの施設を作り上げるあたりに豊かさを感じます。
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他にもBMWの展示もありました。よくある懸賞でしょうか?
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空港の観光を終えたあとは空港内鉄道も使い急いだのにあまりにも広すぎて
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ゲートに着いた頃には搭乗開始しておりました。という訳で向かうのは日本ではなく韓国のソウルでございます。
東京の直行便よりソウル行きの方が4万くらい安く、別口でソウル成田便のチケット&ソウルの滞在費を考えてもまだ安かったのがソウル経由にした理由です。 -
されども面白いことに機内のアメニティの柄は東京、さらにソウル行きのフライトだと言うのに隣の方は日本人でした。実質成田行きみたいなもんです(笑)
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これまでのおつまみはライスクラッカーでしたが今回は素揚げのトウモロコシでした。
これも中々に美味でして、ビールが進みます。
さらにはこの便は成田発と同じでエコノミーでも無料でスターリンクのWiFiが使えるので、飛行機の上でネットをみながらビールを飲むという贅沢な時間でした。 -
カタール航空は夜行便はパープルの妖艶な間接照明になるのであまり美味しそうに見えませんが、最初の食事はベジタリアンのラビオリパスタにしました。
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お供は赤ワインです。相変わらずちょっとケチなサイズで来るので見えてませんが2杯貰いました。パスタにワイン、合わないわけがなく満喫です。
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夜行便になるので食事後は寝るに努めてどうにか3時間ほど眠り、到着前の食事です。
これまた色味が写真では美味しそうに見えませんがあんかけのぶっかけ飯のようなもので寝起きでもスルッと美味しくいただけました。
あとデザートのムースが写真だと見えないですが柑橘のゼリーが下にあって、外資系の航空会社ながら日本人の口にも合う美味なものでした。ご馳走様です。 -
という訳で6年ぶりのソウル到着です。
東京発ドーハ行きに比べると物理的距離の短さと偏西風もありドーハ仁川は3時間以上ショートのフライトなので寝る時間があまり確保できず正直身体がしんどいのですが、もうここまで来たら帰ってきたようなものなのできっと大丈夫です。
なお、一応記載しておきますが、ソウルは全くもって観光らしい観光していないので、旅行記らしさを求める方はこちらでブラウザバックを推奨します。 -
韓国入国早々、仁川空港の地下のフードコートに向かい待望のご飯です。
韓国式ちゃんぽんを頼んだら麺が春雨で麻辣湯のようでして想像と違ったのですが、旨辛味にハズレはなく噛み締めます。 -
今回の旅行ではahamoの無料のローミングを使っていたのですが高速通信は15日間の有効期限でポーランドを出た段階でキツイ速度制限がかかっていたので、
空港でSIMカードを拵えます。24時間無制限で700円くらいなので良心的でした。 -
アジアのハブ空港ということでろくに下調べせずともするっとことが進み
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空港鉄道でソウル市内へ出ます。最後まで貧乏旅行者なので直通の特急ではなく鈍行です(笑)
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というわけでホテルの最寄りシンソルトンまで来ました。
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ホテルのチェックインまでまだ時間があるのでカフェで時間を潰します。
こちらは日本にもある香港飯店0410やセマウル食堂のプロデュースをしている有名料理人のペクジョンウォン氏の手がけるカフェチェーンのパイクスコーヒーです。 -
こちらの売りはスタバのグランデくらいあるのに2500ウォン(260円くらい)という格安のミルクコーヒーです。
まあぶっちゃけとっても美味しいという訳ではなくマックスコーヒー系統の少しチープな味の甘いコーヒーですが、時間を潰すのにはこの安さと量は魅力的です。 -
さて15時になりチェックインが出来たので本日のお宿と対面です。
こちらはマングローブシンソルです。旅の最後ということで疲れているのは容易に推測できるので、個室にしました。 -
部屋からの眺めはまさに大都会ですが、正直東京との違いはよく分かりません(笑)
またこのホテルは長期間滞在も考慮されており無料で洗濯乾燥機が使えるので日本に帰る前にあらかた洗濯物を済ませられたのもありがたいポイントです。
水周りも水圧温度共に問題なくアジアの先進国スタンダードに感謝です。 -
3時間くらいぼーっとしたり洗濯や荷物の整理をした後にやっと動き出します。
このホテルは韓国の旅行者に便利なWOWPASS(SuicaやPASMOみたいなもの)の発券機があったので発行してから出かけます。日本円も両替せずにそのままトップアップ出来るのが凄いです。 -
というわけで地下鉄で二駅、東大門駅まで来ました。
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地上に上がると走っている車がヒュンダイやキアだらけなことと言語以外は雰囲気も何もかも東京とさして変わらず安心します。治安もほぼ日本と変わらないのはここ数週間スリに神経を尖らしていたので助かります。
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もうすっかり旅モードが消えて店の外観も取ってないのですが、冷麺好きの私なので評判良さげなビビン麺屋さんに直行いたしました。
麺が日本でほぼない葛粉とそば粉の黒い麺で激うまでした。これだけでも韓国来た甲斐があります。
なお、店のアジュンマは英語よりカタコトの日本語の方がよっぽど通じるのはさすがです(笑) -
食後は駅までぷらっと歩いていきます。こういう景色は韓国来たなぁ~と実感できますが、
ソウルもワルシャワ程ではないですが十分極寒なので、買い物だけ済ませて早々に宿に戻ります。 -
さて、さっき食べたばっかですが韓国に来てやりたかったことの一つがミーハーですがカップ麺のアレンジとトッピング入りヨーグルトのビヨットを食べることでした。
どちらもジャンクながら間違いない味で1000円程度で夜食をエンジョイです(笑) -
そしてこの私が韓国でソジュを飲まないわけがございません。
日本でも買えますがチャミスルに比べると高い上に売っている場所が少ないセロというソジュを選びました。韓国だとコンビニでも200円くらいでした。
他のソジュと比べると甘みが控えめ、でもアルコール臭さは抑えられた上品な味でストレートでもするっと頂ける素晴らしくも恐ろしい子です。 -
おはようございます。この旅行、正真正銘の最終日です。ですがもう11時過ぎです。
というのも時差ボケで明け方まで全く寝付けず、寝れたと思ったら目覚ましを余裕でシカトし起きたのがチェックアウト時刻の11時丁度…
この旅でも1番くらいに青ざめましたが鬼のようなスピードで身支度を整えどうにかホテルを問題なくチェックアウト出来ました。 -
今日の日本行きのフライトは16時、当然今から観光の計画を練るのも無理なのです。
されど腹は空いたので飯屋に入ります。韓国あるあるの無料の突き出しを食べながら待ちます。 -
頼んだのは飲んだ次の日の味方、ソルロンタンです。日本に味噌汁あれば韓国にソルロンタンありと言わんばかりに滋味に溢れた優しい味わいです。ご馳走様です。
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観光は無理ですが買い物くらいはできそうな時間があったのでナウなヤングに流行っているオリーブヤングに寄ります。もう荷物がいっぱいなのとそこまで惹かれるものは無かったのでパックを数個買いまして撤退です。
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帰りは行きと同じく地下鉄と鈍行を乗り継ぎ
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昨日ぶりの仁川です。
ここまで旅程を考えて全てフルキャリアで移動してきましたが、仁川成田(羽田)間は便数が多いので万が一何かがあろうとLCCでもどうにかなるだろうと思い、エアソウルにしました。
直近にとって片道18000円くらいで15kgの預け荷物が着いてきたので上等です。 -
私の渡航した時期は出国時の仁川のイミグレとセキュリティの混雑がエグく2時間も待たされたという情報が出回っていたので、珍しく優等生(笑)で3時間以上前に空港についたのです。
ただ実際は時間帯が良かったのか有難いことに15分で制限エリア内に入れたので時間を余らせまして -
安定のスタバで時間を潰します。
ストローないのですか?と聞いたらないよ~と言われたので直飲みでちょっと飲みにくいですがさっぱりとしていて美味しかったです。 -
さてなんだかんだであっという間に搭乗時間になりましていよいよ帰国です。
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LCCですがちゃんとボーディングブリッジで搭乗です。ソウル初日で触れた通り、ソウルも大概寒いので助かりました。
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そしてシートピッチもエアソウルはアシアナ航空の子会社なので元アシアナの機材でございまして、2時間の飛行時間なら十二分に広くて快適です。
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遅延が酷いといわれるエアソウルですがこの日はドアクローズからテイクオフまで待たされたものの、ほぼ定刻で旅立ちました。
韓国は2回目でしたが、今回もまたろくに観光しなかったので次回こそはDMZだの行ってみたいものです。 -
LCCなので機内食もなく特に紹介事項もなく無事成田到着です。
約3週間という海外一人旅では最長の日程で、かつ直前1ヶ月で計画と予約を済ませたので反省点は多かれど、
円安の中、最終的に40万円程度の予算で人生で1度は行ってみたいという所を多く回れて、何より特に大きなトラブルがなく帰ってこれたので個人的には非常に良い旅となりました。
そして、ここまで長々と記しましたがご覧いただきありがとうございます。
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