2025/05/13 - 2025/05/13
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montsaintmichelさん
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宝塚と言えば宝塚歌劇が有名ですが、都会的センスを帯びながらも花と緑に溢れた牧歌的な街という一面もあります。現在は歌劇と手塚治虫アニメを2本柱とした「観光の街」づくりが進められています。手塚先生が幼少期から24歳まで過ごされた宝塚には、作品創造の原点や所縁あるメモリアルスポットが遺されています。お洒落でモダンな宝塚歌劇の文化や豊かな自然が息づく街で過ごしたことや、太平洋戦争の体験を通じて感じたことが一貫して「生命の尊厳」を根底にしたテーマで作品を描く原動力となっています。ここでの暮らしが手塚先生の創作にインスピレーションを与え、生涯のテーマ発見に至ったそうです。つまり、宝塚は「漫画の神様」と称される手塚先生が創造力を培ったかけがえのない場所と言えます。
そうした手塚先生の足跡が遺された聖地を宝塚駅をベースに前・後編に分けてレポいたします。前編は阪急 宝塚駅と宝塚ホテル、宝塚大劇場にスポットを当ててみました。宝塚駅は『アトム大使』や『アドルフに告ぐ』を生んだエピソードのスポット、宝塚ホテルは結婚式の披露宴の場、宝塚大劇場は『リボンの騎士』の発想が生まれた原点です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
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阪急 宝塚駅
宝塚大劇場を彷彿とさせるモダンなデザインの駅舎です。
手塚先生は、人間とロボットの悲劇や異民族間の誤解など「言語や文化によるすれ違い」をテーマとした作品、例えば『アトム大使』や『アドルフに告ぐ』などを手掛けられました。『アトム大使』では、地球人と宇宙人、更に父親でもある天馬博士との間で苦悩するアトムの姿が描写されています。こうした作品のテーマに多大なる影響を与えた場所こそ宝塚駅周辺であり、手塚作品の原点とも言える聖地です。 -
阪急 宝塚駅
2014年に駅名プレートが更新されました。左端に「電車マーク」と漢字の下に「英字表記」が新設されています。インバウンド対応ということでしょうか?
『アトム大使』や『アドルフに告ぐ』などが誕生するルーツとなったエピソードは次のようなものです。
戦後間もなく、手塚先生は宝塚駅付近で酔っぱらった米兵のグループから何かを訊ねられたそうです。しかし手塚先生は英語が判らず、うまくコミュニケーションが取れませんでした。すると米兵はいきなり手塚先生を殴り倒し、笑いながら去って行ったそうです。この時の強烈な記憶はその後の作品テーマに影響を及ぼし、意思疎通やコミュニケーションをテーマにした作品を描くことになりました。
手塚先生にとっては決して良い思い出ではないでしょうが、宝塚駅は手塚漫画にとって不可欠な場所のようです。 -
阪急 宝塚駅 階段
まるでタカラジェンヌになったようなルンルン気分で足取りも軽く上り下りできます。宝塚歌劇を観劇される方々に、到着時から出立時まで「夢の世界」を送り届けようという粋な計らいです。
綺麗なすみれ色にペイントされているため、足で踏み付けるのが憚られるのか、階段を使う方はほとんどいません。因みに、すぐ右側にはエスカレータもあります。
阪急 宝塚駅の今津線では2014年から発車メロディーに『鉄腕アトム』(高井達雄氏作曲)の主題歌が採用されています。因みに高田馬場駅や新座駅でも発車時に『鉄腕アトム』のメロディーが流されています。 -
阪急 宝塚駅 銅像「タカラヅカ・レビュー」
駅前の「ゆめ広場」にあり、ただならぬオーラを放っています。この銅像は宝塚歌劇団が2014年に100周年を迎えたのを記念して2015年に設置されたモニュメントです。
高さ約1・7m、台座も含めると約2・3mあります。男役と娘役が華麗にデュエットダンスを踊る姿をモチーフにしています。歌劇団の舞台芸術デザイナーに依頼した複数の原案の中からインターネット投票にて選ばれたデザインです。 -
花のみち
阪急 宝塚駅と宝塚大劇場を結ぶ段葛型歩道で、全長約400mあります。
1924年の宝塚大劇場開場に伴い造成されました。「宝塚歌劇へ続く花道」の意味合いが込められており、訪れた人々を四季折々の花々や景色が出迎えてくれます。
左側の街路灯に揺れるのはイラストレーター 中村佑介氏が手掛けられた「宝塚ウェルカムフラッグ」です。若い男女が写真を撮りながら、宝塚の隠れた観光スポットを巡る様子を描いています。 -
宝塚ホテル
「花のみち」の近くにある宝塚ホテル(2020年6月21日に宝塚大劇場西隣に移転開業)も手塚先生の聖地です。実は手塚先生は1959年10月4日に幼馴染の岡田悦子さんと結婚式を挙げ、その結婚披露宴が催されたのが旧宝塚ホテルでした。同年、週刊少年サンデーに連載した『スリル博士』のラストシーンには宝塚ホテルを登場させており、思い入れの強さが窺えます。また、悦子さんは『リボンの騎士』のサファイアにそっくりだったそうです。
因みに手塚先生は幼い頃から旧宝塚ホテルの常連であり、家族で食事に訪れたり、ホテル主催のクリスマスパーティに参加することも多々あったそうです。 -
宝塚ホテル 花舞台
宝塚ホテル前に設けられた歩道橋「花舞台」は、側面にカラフルな色とりどりの花がペイントされており、とてもお洒落です。鳥籠を彷彿とさせるドームもよいアクセントになっています。
1926(大正15)年、欧州文化に彩られた宝塚の街に創業したのが大正モダニズム溢れる感性を散り嵌めた瀟洒な佇まいの旧宝塚ホテルでした。その後、約100年間に亘り多くの人たちを魅了し続け、街のシンボルとして愛されてきました。阪神間のリゾートホテルとして愛され、その非日常的空間は行楽地の宿泊だけでなく、社交団体「宝塚倶楽部」による食事やダンスパーティー、テニス等々と紳士淑女が集う格式あるホテルでした。また長期滞在する利用者も多く、中には別荘代わりにするツワモノもいたそうです。
2020年に移転開業した現在の宝塚ホテルにもクラシカルで格式高い雰囲気や伝統が随所に受け継がれています。外観は、阪神間モダニズムと称される旧ホテルのクラシカルなデザインを継承し、温もりが感じられる色彩や細やかなテラコッタ装飾などを復元しています。
因みに阪神間モダニズムとは、明治時代後期~大正時代~昭和時代戦前期にかけて、大阪と神戸間(阪神間)のエリアで生まれた、近代的な芸術や文化、生活様式とその時代状況を指します。 -
宝塚ホテル ファサード
ホテルのブランドコンセプトは「夢のつづきを、ここで。」としており、観劇後の余韻に浸れるのが魅力です。阪急阪神第一ホテルグループが運営しており、支配人には元タカラジェンヌの憧花(とうか)ゆりのさんを迎え入れ、クラシカルな雰囲気と宝塚歌劇の華やかさを違和感なく両立させています。憧花さんは月組の実力派娘役として2018年まで活躍されていました。
建物の設計は日建設計、施工は大林組が請け負いました。鉄筋コンクリート造 一部鉄骨造、地下1階・地上5階建。
ホテルの設計コンセプトは「CLASSIC ELEGANT」。創業から約100年に亘って培ってきた意匠的要素や設えを新しいホテルの随所に継承させ、一部の装飾品はそのまま、あるいはリニューアルして移設しています。こうした設計コンセプトは事業者の思いである「次の100年、お客様にご愛顧いただける新しい宝塚ホテル」にも通じるものです。 -
宝塚ホテル ファサード
外観は旧宝塚ホテルの意匠を引き継ぎ、新しくも伝統を感じさせるクラシカルなデザインです。
切妻屋根の妻壁には建築美を象徴する流麗な曲線で動植物を図案化したドイツ発のユーゲントシュティールのレリーフを施し、他にも半円形の屋根やドーマ窓、逆台形型の窓など旧ホテルの意匠が随所に復元されています。
因みに旧宝塚ホテルの設計は、地元の建築家 古塚正治氏が担いました。フランスやドイツ、イギリスなどの海外滞在を経験した古塚氏のモダニズム溢れる感性が随所に散り嵌められ、不変の輝きを放っていました。 -
宝塚ホテル プロムナード・ゲート
エントランスへと繋がるプロムナード・ゲートは、宝塚大劇場の正面ゲートのフォルムに合わせたアーチ形状と淡いベージュ色の外壁で設え、オレンジ色の瓦屋根で瀟洒な雰囲気に仕上げています。
このプロムナード・ゲートが館内に足を踏み入れる瞬間までドキドキ・ワクワクを増強させる仕組みです。 -
宝塚ホテル プロムナード・ゲート
建物を印象付けるアーチ型の窓やエントランスはルネッサンス風様式建築を基調にしており、欧州の伝統的なモチーフを組み合わせた装飾が華やかさを奏でています。
外観で特に目を引くのは、1階のアーチ窓の周辺に用いられた黄色がかった石材です。旧宝塚ホテルの印象を引き継ぐため、石切り業者に思いを伝えて原石の採掘量が激減していた兵庫県兵庫県高砂市宝殿産「黄竜石(きたついし)」を必要数量確保して仕上げています。
黄竜石は白亜紀後期(約1億年前)に噴出した火山灰が凝固してできた、比較的軟質の凝灰岩です。加工が容易なことから仁徳天皇陵などの石棺にも使用されており、近畿内の巨大古墳の石棺の9割は竜山石製だとの説もあります。
また、江戸時代には姫路城や明石城の石垣などに使用されています。近代には美しく優れた建築資材として盛んに活用され、旧造幣局幣鋳造所や住友銀行本店ビル、京都ホテル旧館、旧国鉄大阪鉄道管理局等の外壁を飾りました。 -
宝塚ホテル プロムナード・ゲート
シンボルマークは、ホテルの象徴でもある切妻屋根に施された植物モチーフのレリーフを優美な曲線で描き、エレガントで気品あるものに仕上げています。 -
宝塚ホテル プロムナード・ゲート
旧宝塚ホテルは実業家 平塚嘉右衛門氏と阪急電鉄の共同出資により1926年に開業しました。往時、阪神間で活躍していた建築家 古塚正治氏が設計を担当し、大林組が施工を担当した、クラシカルな中にもアール・デコ様式を取り入れた西洋風の洋館でした。しかし太平洋戦争後には全館が米軍に接収され、将校の宿舎となった暗黒の歴史もあります。
余談ですが、旧宝塚ホテルは、仁川の風景をこよなく愛し、宝塚文芸図書館に足繫く通っていた遠藤周作氏の定宿でもあったそうです。遠藤氏は1965年『神戸っ子』6月号に「想い出すこと」と題して寄稿し、次のように述べています。
「もともと話をするのが不得意なのと、講義などは私の本来の仕事ではないので、大抵はお断りするのだが、関西の大学から依頼されると何となく承諾してノコノコ出かけて行く。そしてそれが京都や大阪での仕事であっても事情が許す限り宿は宝塚ホテルにとる。」
宝塚ホテルを定宿にしていた理由は、遠藤氏が仁川に住んでいた頃、宝塚大劇場の庭にあった文芸図書館に通っていたからでした。
エッセイ『心のふるさと』には「仁川から阪急電車で四つ目に宝塚がある。私は夏休みなど、ほとんど毎日、この宝塚にでかけた。駅から桜の路が大劇場まで続いており、図書館が劇場の庭にあった。」と記しています。 -
宝塚ホテル エントランス
外部回廊は採光ルーフを持ちいたサンルームを彷彿とさせる設えです。 -
宝塚ホテル メインロビー
大理石製フロアには「すみれ」の花を象徴するマークが描かれ、メインロビーを華やかに彩ります。
宝塚歌劇のシンボルフラワーといえば「すみれ」です。舞台でもすみれ色の衣装を纏ったスターたちがよく登場しますが、何故、宝塚歌劇と言えば「すみれ」なのかご存知でしょうか?
実は、かの名曲『すみれの花咲く頃』に由来します。元々は1930年8月に上演された『パリゼット』の主題歌のひとつでした。この曲が人気を博し、やがて宝塚歌劇を象徴する曲となっていきました。素朴ながら上品で愛らしい花、すみれ…。タカラジェンヌのイメージにぴったりではないでしょうか? -
宝塚ホテル メインロビー 大階段
エントランスから大理石が敷き詰められた広大なメインロビーに足を踏み入れた途端、目を惹き付けられるのは真紅の絨毯が敷かれたゴージャスな大階段です。旧宝塚ホテルの象徴でもある真紅をアクセントカラーとして受け継いだものです。歌劇場の改札内にも「T階段」と呼ばれる階段がありますが、それと同様に中段の踊り場から左右に分岐して2階へと誘います。
階段は一段ずつが少し高めに設計されています。その理由は、宝塚ホテル開業当時は社交場として西洋文化を広める先駆けとなっていたからです。「洋装+ハイヒール」でも上り易いようにとの配慮だそうです。そんな細やかな気遣いと歌劇のフィナーレを飾る舞台のワンシーンを彷彿とさせる大階段に、身も心も弾みます。 -
宝塚ホテル メインロビー
地下1階、地上5階建で、1階にフロントや大小宴会場、ラウンジ、ホテルショップがあり、2階には中宴会場、ビュッフェや日本料理、鉄板焼きなどのレストランがあります。3~5階は客室で、スイートルームを含めた計200室を備えます。 -
宝塚ホテル メインロビー 大階段
階段下にある石造りの親柱には旧宝塚ホテル時代の植物モチーフの装飾を復元しています。
アクセントカラーとなる真紅の絨毯や手摺りも旧宝塚ホテルの本館階段から継承したものです。 -
宝塚ホテル メインロビー
メインロビーの上に掲げられているのは旧宝塚ホテルの館内に飾られていた巨大な緞帳です。元々は1976(昭和51)年1月~1981(昭和56)年5月まで宝塚大劇場で使用されたものです。宝塚ホテルに飾る際、この緞帳を制作した職人自らが修復し、往時の雰囲気そのままに色彩鮮やかに蘇らせています。このように宝塚大劇場のオフィシャルホテルとして夢と憧れを未来にまで紡いでいって欲しいと思います。
原画『騎士の門出』の作者は昭和時代に阪神間で活躍した洋画家 小磯良平画伯です。日本を代表する洋画家のひとりである小磯画伯は親しみ易い女性像を中心に、古典的な西洋絵画の伝統の中に市民的でモダンな感覚と気品溢れる画風を融合させた画家です。フランス留学時代に西洋画に魅了された小磯画伯は、ルーヴル美術館で目にした巨大な絵画 パオロ・ヴェロネーゼ作『カナの婚礼』に描かれた群衆の表現力に魅了され、群集を描くことを人生の目標にされました。 -
宝塚ホテル メインロビー 肖像画
この肖像画はメインロビーに飾られている緞帳の原画の作者 小磯良平画伯の作品です。皆さんご存じの宝塚歌劇団出身の女優さんですが、誰だか判りますか?
小磯画伯が1956年に描いた油彩画『婦人像』のうち、和装姿の八千草薫さんを描いた複製パネルです。
八千草さんは、1955 年上映の東宝によるイタリアと日本の合作映画『蝶々夫人』で「日本人女性の象徴」としてヒロインを演じられました。小磯画伯は、その八千草さんに感銘を受け、往時の週刊誌の表紙モデルとして和装姿の清楚な八千草さんを描きました。ご主人の話では「和装」が女優の八千草さん、「洋装」がプライベートな八千草さんとおっしゃられていたそうです。「和装」を描いた後に「洋装」も描かれ、この2枚の絵は「小磯良平美術館」に所蔵されています。
この絵画をメインロビーに展示しているのにはそれなりの理由があります。
古典的な西洋画家の技法を得て、丹精な人物画を描いた小磯画伯。
清く正しく美しくの教えを受け継ぐ宝塚歌劇団。
そして、社交の場として西洋文化を広める先駆けとなった宝塚ホテル。
この3者に共通するのは、モダンな感覚、気品溢れるスタイルです。この3つのハーモニーが、ホテルの新しい象徴として、お客様の夢の続きとなって響き合うことを願って展示されています。 -
宝塚ホテル メインロビー シャンデリア
スワロフスキー製クリスタルガラスの煌めきに思わず溜息が漏れるほど華麗なシャンデリアです。
メインロビーの吹き抜け空間に燦然と輝く2基の巨大シャンデリアは、旧宝塚ホテルの宴会場から移設されました。創業当時、旧宝塚ホテルはラグジュアリーなダンスパーティー会場としても話題になり、粋な社交場としてモダンな紳士淑女が集う場所でした。宴会場で毎夜繰り広げられるダンスパーティーや豪華な結婚披露宴は往時の人々の憧れであり、人生の晴れ舞台を優美に照らし続けた数々のシャンデリアが現在の宝塚ホテルへ受け継がれています。 -
宝塚ホテル フロント
フロントは1階の大階段の裏手奥にあり、白い制服を纏ったスタッフが笑顔で出迎えてくれます。 -
宝塚ホテル フロント アンティーク大時計
旧宝塚ホテルの歴史とそこで繰り広げられた人間模様をずっと見守ってきたアンティーク調の古時計です。
旧宝塚ホテルのロビーから受け継がれたもので、施された美しい装飾はシックなインテリアが配された空間に見事に調和しています。 -
宝塚ホテル フロント シャンデリア
館内には「これでもか!」というくらいに随所にシャンデリアが取り付けられています。
因みに、メインロビーの中央にある2基は旧宴会場、メインロビーの4隅に配されたものは旧フレンチレストラン、2階にある2基は同レストラン横の廊下にあったものを遺産として引き継いでいます。 -
宝塚ホテル フロント 「金箔アート」
館内を華やかに彩っているのが「宝塚歌劇の世界」をイメージして描かれたアート作品です。
こちらはフロントの対面に掲げられている、宝塚歌劇の豪華で華やかな衣装を表現したアート作品です。
上方は男役を、下方は娘役をイメージしたものです。 -
宝塚ホテル フロント 「Dancing Spotlight」
舞台ライトの光線を表現したアート作品です。 -
宝塚ホテル EVホール
アール・デコ調の装飾が施され、床は大理石張りで重厚感があります。 -
宝塚ホテル
1階大宴会場「宝寿」近くにある宝塚歌劇トップコンビのデジタルサイネージです。 -
宝塚ホテル
1階小宴会場の廊下に展示されているアート作品です。
「Rhythm Dance」(上段の2点)
華麗にダンスを舞う男役と娘役をイメージしています。
「Elegance Dress」(下段左)
華やかな白いドレスをきた娘役をイメージしてます。
下段右は楽器の特許に関する説明図や楽器をベースにしたアートの詰め合わせです。 -
宝塚ホテル
フルートの特許の説明図です。
1908年とあるので約120年ほど前のものです。 -
宝塚ホテル
楽器の特許に関する説明図や楽器をベースにしたアートの詰め合わせです。 -
宝塚ホテル メインロビー
2階から俯瞰したメインロビーです。 -
宝塚ホテル 2階 ギャラリー
階段を2階に上がると、廊下はサンルームを彷彿とさせる明るく爽やかな空間になっています。
その一画に宝塚歌劇の花・月・雪・星・宙の5組のトップスターが用いた衣裳や小物、写真などを飾ったギャラリーがあります。これが常設展示できるのはオフィシャルホテルの面目躍如といったところです。衣装は季節毎に入れ換え、また写真は現在公演中のものを展示してます。
左が2023年の花組公演『鴛鴦(おしどり)歌合戦』で星風まどかさん(ヒロインのお春役)が着用された衣装、右が同じく柚香光(ゆずか れい)さん(浅井礼三郎役)着用のものです。『鴛鴦歌合戦』は1939年公開の時代劇映画(日本初のオペレッタ映画)を元にしたミュージカルです。長屋住まいの貧乏浪人 浅井礼三郎と隣家で傘張りを生業とする浪人の娘 お春の恋の鞘当てに、骨董狂いの殿様 峰沢丹波守を巻き込んでの大騒動をミュージカルに仕立てています。 -
宝塚ホテル アート作品
「Revue」
宝塚歌劇レビューの舞台の華やかさを表現したアート作品(3点)です。
これらは2階の宴会場「琥珀」の前にあります。
「Finale」(右下)
パレードの羽根を表現したアート作品です。
こちらは1階、八千草薫さんの肖像画の奥にあります。 -
宝塚ホテル 2階 バンケットルーム(宴会場)「琥珀」
旧宝塚ホテルの正統派クラシックのデザインを継承した宴会場です。
明るい輝きに満ちた優美な宴会場「琥珀」は、天井高が6.2mもあり、開放感に満ちています。旧宝塚ホテルの宴会場「すみれ」のシャンデリアを移設し、新たにLEDを駆使した音響に合わせて色やパターンが変わる照明演出ができます。
「琥珀」と言えば、『琥珀色の雨にぬれて』は柴田侑宏氏作、1984年初演の宝塚歌劇団のミュージカル作品です。1920年代のフランスを舞台に、青年貴族クロードが神秘的な女性シャロンと清純な令嬢フランソワーズの間で揺れ動く恋愛模様を描いていまさす。本作の着想についてドストエフスキー著『白痴』に着想を得て、宝塚歌劇に相応しいロマンティックなストーリーに仕上げています。 -
宝塚ホテル サブエントランス
ホテル裏手に当たるサブエントランスは武庫川に面しており、解放感に満ちた空間です。タクシーなどで乗り付ける場合はここが玄関口になります。
アーチ窓と白いアイアンチェアが何ともフォトジェニックです。 -
宝塚ホテル
さて、ここは何処でしょうか?
正解はトイレです。
アーチ窓からの採光が眩しいほどです。
勿論、ガラスは摺りガラスですのでご安心を…。
大宴会場付近のトイレなので、キャパも半端ではありません。 -
宝塚ホテル
ホテルの全景を写すには武庫川の対岸に渡る必要があります。
このエリアは、元々宝塚大劇場の建物にマッチするような景観で建てられているため、宝塚ホテルもその一部としてしっくりと馴染んでいます。
このようにオレンジ色の瓦屋根が連なる風景はフィレンツェの街並みを彷彿とさせます。 -
宝塚ホテル
建物全体の基本レイアウトは上空から俯瞰してH字形ですが、目立たないように2階建の宴会場が左側に付属されています。 -
宝塚ホテル
西向きの一部の部屋にはベランダらしきものが窺えます。 -
宝塚ホテル
ホテルの設計者は数社を指名したコンペで選定されたそうです。コンペ段階で旧ホテルの意匠を引き継ぐことは決定しており、日建設計案が当選した決め手は「街に対する在り方」でした。日建設計案は、旧宝塚ホテル本館とほぼ同規模の建物を「花のみち」から少し奥まった所に配置し、両脇にそれと直交する形で宿泊棟を並べ、上空から俯瞰してH字形を描くレイアウトとしています。また、街並みや景観を重視し、低層階に抑えたのも奏功しました。 -
花のみち 小林一三先生の銅像
この宝塚大劇場ゲート前に佇む銅像は劇場ロビー内にあるものよりも若干お若いお姿です。1957(昭和32)年設立とあります。宝塚大劇場を寡黙に見守っておられるかのようなお姿がとても印象的です。
石碑には「小林一三先生が逝去したのは1957年1月。同年「宝塚市功労者顕彰条例」の功労者第1号となり、10月15日に宝塚市によって往時の宝塚新温泉正面入口前広場(現在地)に銅像が建立され、盛大な除幕式が行われた。」と記されています。
約100年前、宝塚新温泉を利用し、終点駅である宝塚を一大リゾート地にしようと考えたのが阪急電鉄の創始者 小林一三氏でした。そして、その「客寄せパンダ」として結成された少女合唱団が宝塚歌劇団の始まりです。
銅像の制作者はリアリティに徹する作風から「東洋のロダン」と称された彫塑家 朝倉文夫氏です。1910(明治43)年に27歳で発表した代表作『墓守』は最高傑作と称されています。自然主義的写実への転換点となった作品であり、以後の作風に多大な影響を与えました。墓守の老人が朝倉家の者が指す将棋を見て微笑んでいる一瞬を切り取ったものです。自然主義的かつリアルな表現が評価され、2001年に石膏原型が重文に指定されています。 -
宝塚大劇場
宝塚歌劇団の2代目の専用劇場として、1993年に開場しました。2550席の客席数を有し、最先端の照明技術やオーケストラの生演奏でドラマチックな空間を演出します。南欧風の外観が特徴的です。
手塚先生は1933(昭和8)年(5歳時)に宝塚に引っ越され、24歳まで過ごされました。往時、宝塚には遊園地「ルナパーク」と植物園、動物園(いずれも2003年に閉園となった宝塚ファミリーランドの前身)などのレジャー施設がありました。
一方、宝塚歌劇では1930(昭和5)年8月に白井鐵造氏の演出による『パリゼット』が上演され、主題歌のひとつである『すみれの花咲く頃』が巷に広まりました。更に武庫川の左岸と右岸を結ぶ宝塚大橋が完成するなど、花のみちを中心に武庫川の両岸一帯は一大レジャーランドとして賑わい、「夢のまち」そのものでした。少年だった手塚先生の目には西洋を模した建物や電車、少女が演じる歌劇は「未来のまち」として投影されたのでしょう。 -
宝塚大劇場 風見鶏
宝塚大劇場の西隣、大劇場と小劇場「宝塚バウホール」の間にある敷地に、新ビル建設計画があり、2026年度末の竣工予定で進められています。新ビルは地上6階、地下1階。1993年に新築開場された大劇場には事務所や稽古場、スタジオが同居していますが、手狭になったことから建設が決まったそうです。新ビルは主に事務所として使われ、1階には店舗が入るそうです。
余談ですが、『すみれの花咲く頃』は、ウィーンの流行歌『白いライラックがまた咲いたら』を、フランス語でカバーした『白いリラの咲く頃』の日本語カバーです。歌詞の「リラ=ライラック」は、日本で馴染みの深い「すみれ」に置き換えられました。
因みに阪急 宝塚駅 宝塚線の発車メロディーは、宝塚歌劇100周年を記念して2014年から宝塚歌劇団を象徴する曲『すみれの花咲く頃』に代わっています。 -
宝塚大劇場
手塚少年は、宝塚歌劇団の舞台が大好きだった母親の影響もあり、幼い頃から宝塚歌劇に親しみました。また、手塚家の隣家には宝塚の大スター 天津乙女とその妹 雲野かよ子が住んでおり、更にはその辺りは「歌劇長屋」と呼ばれるほど劇団員が多く住んでおり、歌劇団は身近な存在でした。
手塚先生は大人になってからも時間を見つけては宝塚歌劇を観劇し、漫画家デビュー後は歌劇団の情報誌『歌劇』や『宝塚グラフ』にイラストや漫画を寄稿されています。
そんな宝塚歌劇の影響を色濃く反映させて誕生した作品が手塚漫画の代表作のひとつ『リボンの騎士』でした。お姫様が男装の麗人となって悪と戦う設定は、女性が男性を演じる宝塚歌劇からヒントを得たものでした。 -
宝塚大劇場
手塚少年は、宝塚歌劇の影響により、舞台役者にも興味を持ち始めました。小学3年生の学芸会の際、衣装の調達に困った少年らは宝塚歌劇団の衣装部に衣装を借りに行くという大胆不敵な行動にでました。今ではあり得ない話ですが、衣装部も衣装を提供したのです。また大阪大学付属医学専門部に入学した後も学生劇団学友座へ所属するなど、演劇への情熱は冷めることがなかったそうです。もし漫画家で成功していなければ、舞台監督だったのかもしれません。 -
花のみち 「ベルサイユのばら」銅像
宝塚歌劇史に刻まれた人気ミュージカル『ベルサイユのばら』のオスカルとアンドレの銅像は、題名通りフランスのメイアン社が作出した「ベルサイユのばら」に囲まれて立っています。
制作者は久保田博之氏です(2001年)。
ミュージカル『ベルサイユのばら』はフランス革命を舞台にした池田理代子さんの劇画が原作です。貴族の家に生まれたオスカルは、男として育てられ近衛連隊長となるが、自由・平等・友愛の精神に目覚めて民衆側に立つことを決意。男装の麗人オスカルを一途に見守る従卒アンドレや王妃マリー・アントワネットと恋に堕ちるスウェーデン貴族フェルゼンなど、それぞれが革命の炎の中でもがき苦しみながらも愛を貫くというストーリーです。 -
花のみち 「ベルサイユのばら」
2012年にメイアン社(仏)が作出した、ビロードのように滑らかで、艶やかな輝きを帯びた深紅色の大輪バラです。
日本の少女漫画の金字塔『ベルサイユのばら』に心からの賞賛と敬意を込めて命名されました。メイアン家は1世紀以上に亘り、バラを創り続けてきましたが、日本の漫画の名を冠したバラを発表するのは初めてであり、画期的なことです。
その名に恥じない、凛とした気品と他を圧倒する華やかさが感じられるバラです。 -
花のみち 「ベルサイユのばら」
「ベルサイユのばら」の斜め向かいにある黄色いバラも見事です。
『ベルばら』繋がりとすれば「アンドレ グランディエ」という品種なのかも? -
花のみち 「ベルサイユのばら」
凛とし、濃いピンク色のバラなので「王妃アントワネット」という品種です。
こちらもメイアン社の作出になります。 -
花のみち 「燕尾服の紳士」の銅像
男役のスターを表現したモニュメントです。
こちらも制作者は久保田博之氏です
お洒落な「Quatre Reves(キャトルレーヴ)」の外ウィンドゥを借景にしてみました。 -
宝塚大橋
宝塚大劇場と宝塚音楽学校の建物の間から颯爽と飛び出してくる阪急電車 今津線の電車を撮影できます。
武庫川に架けられている宝塚大橋(全長159m、幅20m)は1933(昭和8)年に完成、その後1979(昭和54)年3月1日に架け替えが竣工。彫刻や円形シェルター・植栽帯等が設けられた全国でも先進的なガーデンブリッジ(橋上公園)として話題になりました。 -
宝塚文化創造館(宝塚音楽学校旧校舎)
「花のみ」の行き止まりにある「手塚治虫記念館」のもう少し先に佇みます。
かつてはタカラジェンヌになるために2年間通う宝塚音楽学校校舎でした。
旧校舎が建設されたのは1935(昭和19)年3月20日、設計者は糸川政雄氏、設計は竹中工務店。モダニズム様式の簡素かつ簡潔な建物であり、2008年度に近代化産業遺産に認定された歴史的建築物です。
建築当初は宝塚公会堂として阪神急行電鉄(現 阪急電鉄)の一施設として博覧会や各種講習会が使用目的でしたが、1937年から宝塚音楽歌劇学校(現 宝塚音楽学校)の本科校舎として使用されました。それ以来、1998年に現在の校舎へ移転するまで、第二次世界大戦の戦前戦後一時期を除く約45年間に亘り宝塚音楽学校として活用され、この校舎で学んだ卒業生は約2400名にのぼります。 -
宝塚文化創造館(宝塚音楽学校旧校舎)
創設者 小林一三氏が唱えた「清く 正しく 美しく」の理念のもと、長年に亘って営々と引き継がれてきた活動の痕跡は、建物内部の階段など至る所に残されています。
かつての講堂であった1階は、現在はホールとなり、宝塚OGによる舞台やショーが開催されています。
2階の「すみれ♪ミュージアム」では、宝塚音楽学校で使用された教材の展示や、宝塚歌劇旧大劇場こけら落とし公演から現存するポスター約800点を展示しています。
またミニシアターもあり、5分程の映像により宝塚歌劇の歴史や文化が学べます。
3階にはバレエ教室や日舞教室が以前のまま残されており、多くのタカラジェンヌの汗と涙が詰まっています。 -
宝塚文化創造館(宝塚音楽学校旧校舎)
このエリアは、1911年の宝塚新温泉開業を契機にレジャー施設として宝塚ファミリーランドやガーデンフィールズが開設され、子ども達の歓声で賑わいました。レジャー施設は閉園するも、その思い出の地に旧校舎が寡黙に佇みます。タカラジェンヌを夢見た乙女たちは日々研鑽を重ねるためにここへ通学しました。汗と涙と努力の結晶が凝縮された旧校舎には、今でも日本を元気にするエンジンが組み込まれているように感じられてなりません。
現在、旧校舎の隣には産婦人科医院があり、旧校舎の過去の栄光を知ってか知らでか、妊婦さんの姿が見受けられます。一方、宝塚音楽学校のキャッチフレーズは「タカラジェンヌの生まれるところ」。そして現在の建物の名称は「宝塚文化創造館」。この3つの建物は共に「誕生」というキーワードで固く結ばれています。産婦人科医院においては宝塚文化創造館と軒を連ねることでシナジー効果が得られているのではないでしょうか? -
産婦人科「サンタクルス ザ タカラヅカ」
こちらが宝塚文化創造館の東隣にある産婦人科医院です。
一見リゾートホテルを彷彿とさせますが、マタニティリゾートをコンセプトに、分娩のみならず、入院中、出産後の小児科専門医によるケア、助産師による母乳・育児相談、高度不妊治療センター、デンタルクリニック、ファーマシーなど、妊娠前から出産後まで、トータルで出産をサポートする事を目指して作られた産婦人科医院です。
設計監修は株式会社 一粒社ヴォーリズ建築事務所、2008年竣工。
https://www.santacruz.or.jp/takarazuka/facilities
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
この続きは青嵐薫風 北摂宝塚逍遙⑤手塚治虫 聖地巡礼(後編)エピローグでお届けいたします。
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