2025/05/13 - 2025/05/13
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montsaintmichelさん
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宝塚市立手塚治虫記念館は、1946年のデビューから1989年に60歳で亡くなるまで手塚作品を通じて訴求し続けた現在のSDGsにも通じる「自然への愛」「生命の尊さ」をテーマに、青少年の夢と希望を未来へ広げていくミュージアムとして、没後5年に当たる1994年に設立されました。運営は宝塚市が担っており、2020年6月8日にリニューアル・オープンしています。
手塚先生は1928年に大阪府豊中市で生まれましたが、物心がつき始める5歳から多感な少年時代、そして大人の自覚を持つに至る24歳まで宝塚市で過ごしました。お洒落でモダンな宝塚歌劇の文化に触れ、また身近には豊かな自然が息づいていました。そんな中で太平洋戦争を実体験して感じたことが、一貫して「生命の尊厳」を根底にしたテーマで作品を描く原動力となりました。ここでの暮らしが手塚先生の創作にインスピレーションを与え、生涯のテーマ発見に至ったそうです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
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手塚治虫記念館は、阪急電鉄 宝塚駅から徒歩10分程の距離、宝塚大劇場前を通る遊歩道「花のみち」を抜けた所にあります。欧州の古城を彷彿とさせる意匠のファサードです。
この記念館には未完の遺作エッセイ『ガラスの地球を救え』をモチーフにした手塚先生の業績を偲ばせる様々な演出・仕掛けが見られます。まず、建物のファサードの上部にある窓部は昆虫好きな手塚先生へのオマージュとして「玉虫などの構造色」を彷彿とさせる虹色に光るイメージカラーで彩られています。
またファサードの屋根に相当する部位には、シンボルモニュメントとなる「ガラス製の地球」でドームを構成しています。 -
本館の側壁(展示室)は宝塚市の景観形成基準に基づく明るい煉瓦色の色合いでコーディネートしています。これは宝塚歌劇にインスパイアされたとされる『リボンの騎士』に登場する城壁をイメージさせます。
また、外壁には『ジャングル大帝』や『鉄腕アトム』などのキャラクターのレリーフを埋め込んでいます。 -
建物の設計は株式会社 山下設計です。
1928(昭和3)年に山下寿郎氏によって創立され、霞が関ビルディングやNHK放送センター、上高地帝国ホテル(1993年)など数多くの建築設計を行なっています。 -
入口広場には手塚先生のライフワークともなった作品『火の鳥』の巨大なモニュメントが出迎えてくれます。これは太平洋戦争の体験から強く平和を願った手塚先生の意思を継承した作品で、何度も再生する火の鳥に「戦争のない平和がつくられ、宇宙に存在するすべての命が大切にされますように」との願いを託した宝塚市平和モニュメントとして開館の翌年に設置されました。
ブロンズ製で高さ4.4mあります。『火の鳥』の原典はロシア民話です。自らの体を炎に焼き、その炎の中から復活し永遠に再生し続ける「生命の象徴」として登場します。因みに『火の鳥』は1954年に初めて連載され、その後色々な雑誌に掲載されながら1986年まで続いた息の長い作品でした。 -
モニュメント 火の鳥
手塚先生が『火の鳥』に取り組まれたのは、1954年に「漫画少年」に連載した「黎明編」が最初でした。同誌の休刊で中断後、「少女クラブ」(講談社)に新たな構想で連載が始まりました。しかしこれも中断し、1967年の「COM」創刊と共に再度「黎明編」からりスタートしました。
「COM」版は永遠の生命を象徴する火の鳥を狂言回しに「生と死・生命の神秘」を共通のテーマとして持つ独立したエピソードが、古代日本と人類の最後という歴史の両端から交互に綴られる構成で、21世紀のエピソードでは鉄腕アトムも登場し、最後は現代のエピソードで完結する予定でした。
各々のエピソードには関連性があり、人類の最後を描いた「未来編」では、途方もない時の流れの末に再び登場した新しい人類の歴史が「黎明編」へと繋がることも暗示されており、完結すれば手塚流輪廻の世界が完成するはずでした。
「COM」の休刊で中断後、「マンガ少年」(朝日ソノラマ)に「野性時代」(角川書店)と、その後も発表の舞台を変えて描き継がれ、死の直前まで日中戦争当時の中国大陸を舞台にした「大地編」の構想も練られていました。文字どおりのライフワークでした。 -
手塚先生は、宝塚にあるモダンでロマンチックな建物から得たインスピレーションで未来都市をイメージし、『鉄腕アトム』を描きました。また、宝塚歌劇と接することで『リボンの騎士』に代表される王様や妖精、お姫様、盗賊といったファンタジーが創造できたのでしょう。更には、身近な自然の中で暮らす小さな昆虫や生き物たちを観察しながら、どんなものにもかけがえのない命があることを認識したのです。それが『ジャングル大帝』の礎となったことでしょう。
一方、手塚マンガで繰り返し描かれる社会の矛盾や理不尽さといった大人社会の歪みや平和への願望というモチーフもこの街で戦争を体験されたことが根底にあると思われます。美しいものが破壊され、奪われ、焼き払われてしまう。その絶望感の中、焼き払われた大地から芽吹く新しい生命の力強さに心震わされた実感を漫画の中に描き続けたのです。 -
キャラクターの手型・足型
玄関前の敷き石にはハリウッドのチャイニーズ・シアターに似せた手塚作品に登場する25のキャラクターの手型や足型があります。それぞれの特徴がコミカルに生かされており、思わず頬が緩みます。
お茶の水博士は手・足・鼻の3点セットです。 -
キャラクターの手型・足型
こちらは『鉄腕アトム』に登場する主人公アトムの手型です。10万馬力という強いパワーとは対照的に手足はとても小さく可愛らしいものです。こうした遊び心が手塚ワールドに足を踏み入れるワクワク感を高揚させてくれます。 -
キャラクターの手型・足型
ヒョウタンツギもあります。 -
キャラクターの手型・足型
何故、手塚先生を顕彰するミュージアムが宝塚市に建てられたのでしょうか?
実際の所、多数の自治体から記念館設立の申し出があったそうですが、ご遺族が「手塚が記念館を造るなら故郷の宝塚に造るだろう」と判断されたそうです。宝塚市で暮らした時代が手塚マンガの揺籃形成期に当たる事からもベストマッチとの思いだったのでしょう。実際、手塚先生のエッセイ『ガラスの地球を救え』では「宇宙の彼方へ飛んでいく、あるいは小さな虫の中に入り込んでいく想像力を育んだのは幼い頃の思い出だ」と語られています。手塚先生がかつて暮らした街という意味合いだけでなく、全ての手塚作品の根底に流れるメインテーマを培った街、インスパイアを与えた街がこの宝塚市だったのです。
その後、宝塚市は1989年に「手塚治虫記念館」建設計画を構想し、1994年4月に竣工しました。当初は手塚先生の奥様 悦子様が名誉館長を務めておられましたが、現在はご子息 眞氏に代わられています。 -
エントランス
宝塚歌劇にインスパイアされた作品『リボンの騎士』に登場するサファイア姫の王宮をイメージしたメルヘンチックな空間に仕上げられています。 -
エントランス 天井ステンドグラス
手塚作品のキャラクターたちが天井のステンドグラスや壁、床に至るまでギッシリと埋め込まれ、一気に手塚ワールドへ引き込まれていきます。 -
エントランス サファイア
少女マンガの大古典『リボンの騎士』の主人公である男装のヒロインです。『リボンの騎士』は手塚先生も「宝塚体験の総決算」と語られてるように「宝塚歌劇へのノスタルジー」から生まれた作品です。そのため思い入れも強く、4度(4度目は原案のみ)も『リボンの騎士』を描いています。
サファイアは、宝塚で育った手塚先生ならではの統括的キャラクターとして、続編『双子の騎士』では母親に成長。この作品以降の彼女はひたすら女性的な役柄を演じ続けました。しかも『ブラック・ジャック』シリーズにゲスト出演する際は決まって「女の悲しさ」を体現する役回りでした。ある時は教え子を守って焼死する悲劇の先生、ある時は美貌を武器に社交界で成り上がったものの運命に翻弄されて浮浪者のように零落れてしまう女性などです。男子の心を持った少女剣士の面影はそこには見られません。手塚先生はサファイヤの中にあらゆる「女性像」を膨らませていたのかもしれません。 -
リーフレットにあったフロアマップです。
1階と2階、地下階があります。
記念館は斜面に建てられている関係もあり、出入口は1階と地下階にあります。
今回は1階から入館します。 -
手塚治虫グッズ展示コーナー
手塚先生からのメッセージ(エッセイ『ガラスの地球を救え』より抜粋)をエントランスに掲示しています。
手塚先生のペンネームは、最初は手塚治虫と描いて「てづか おさむし」と読んでいました。しかし、1950年頃から「てづか おさむ」と読むようにしたそうです。
わざわざ読みにくいペンネームをつけた意味は手塚先生が昆虫が大好きだったからです。
手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集1』には次のように記されています。
「ぼくのペンネームに『虫』がついているのはオサムシという虫の名を借りたものである。このペンネームは小学校5年生のときつけたのだ。(中略)
オサムシというのは別名ゴミムシという甲虫の一種で、夜行性で、からだが黒光りし、首が長い。(中略)
ぼくは首が長いうえ、オサムシ同様肉食である。われながらいいペンネームをつけたものだと自負している。」 -
常設展示室「手塚治虫年表」
手塚先生は、1928年に1928年に大阪府豊中市で生まれ、5歳の時に宝塚市へ引っ越し、18歳から60歳まで約700作品を手がけられました。約40年に亘り、幅広い世代を対象とした作品群を休むことなく創出してこられたことを絵巻物のような年表が物語ります。
幼い頃から自然を愛した手塚先生は、『ジヤングル大帝』や『海のトリトン』など、自然や動物をモチーフにした作品を多く描きました。中でも昆虫への愛情は深く、自らのペンネームに「虫」という文字を入れてしまうほどです。戦争経験後、一度は本気で医師の道を志しましたが、結局、マンガ家として偉業を成し遂げました。代表作『火の鳥』で生と死、輪廻転生など壮大なテーマを扱ったことからも、滲み出るような強いメッセージが感じられます。 -
常設展示室
奥には『火の鳥(未来編)』に登場する生命維持装置をモチーフにした展示カプセルが40本も立ち並び、幼少期からマンガ家としての地位を確立するまでの生い立ちを2系統に分けてゆかりの品々を展示・紹介しています。
宝塚で過ごした幼少期からマンガ家デビューまでの「宝塚と手塚治虫」とその後の活躍にスポットを当てた「作家 手塚治虫」です。手塚少年を魅了した昆虫採集、貴重な医師免許など、一つひとつのカプセルに手塚マンガの1ページを凝縮して再現しています。 -
常設展示室
手塚先生のトレードマークである「ベレー帽」と「メガネ」もあります。
メガネを掛けるようになったのは小学校5年生の頃。
ベレー帽は大学生時代にマンガ家であることをアピールするための小道具として被るようになったのが始まりとのこと。 -
常設展示室
手塚先生のイメージはズバリこの出で立ちで定着しています。
常設展示室では、幼少期から没年まで生涯に亘りマンガを描き続け、「マンガの神様」とまで称された手塚先生について知識を深めることができます。世界中の人々を愉しませてきた総作品数は700作品以上もあり、凄まじいスピードで人気作品を次々に生み出した豊かな創造力に脱帽させられると共に、マンガ家という職業を如何に愛し、全力で走り抜けたかが窺えます。 -
常設展示室
上部は小学生時代の思い出を描いた日記風の作品です。
左下は『ピンピン生(セイ)チャン』です。小学校4年生(8歳)だった1938年頃に描いた処女作です。ワラ半紙に手描きしてタコ糸で製本しており、友人たちの間で回覧されたとのこと。
内容は子どもたちの他愛ない日常を描いたほのぼのとしたエピソードが中心ですが、日中戦争開戦当時の世相を反映し、「動物たちが戦争をしかけてきたので人間側も青年団を結成して戦闘準備をしよう」というエピソードもあります。 -
常設展示室
『トキワ荘物語』は手塚先生をはじめ石ノ森章太郎氏や赤塚不二夫氏など、日本マンガ界を彩った有名マンガ家たちが若かりし頃に暮らしていた思い出のアパート「トキワ荘」をテーマに描かれた作品です。
1953年、手塚先生はは東京 椎名町のトキワ荘に引っ越しました。それに続いて寺田ヒロオ氏が入居。さらに手塚先生が退居した後に安孫子素雄氏・藤本弘氏(藤子不二雄氏)が入居し、その後も鈴木伸一氏、石ノ森章太郎氏、赤塚不二夫氏、森安なおや氏、水野英子氏、横田とくお氏らが相次いで入居しました。東京在住の永田竹丸氏、つのだじろう氏、長谷邦夫氏らもここに集まるようになり一躍若きマンガ家の梁山泊になりました。 -
常設展示室
手塚作品は、光と影が複雑な陰影を織り成しており、いつどんなシチュエーションで読んでも学ぶものや考えさせられるものが多いと思います。
『鉄腕アトム』も「人間と機械のディスコミュニケーションを書きたかった」と語られています。
「アトムも人間の中にあっては、『差別される子』なのであって、『ふつうの子』ではありません。けれども、信念を持って行動し、決してあきらめたりしない。ときには、どう考えても勝ち目のなさそうな相手にも、ぶつかっていく子として描いています。」
手塚先生は、自らが「いじめられっ子」であり、小さい頃は劣等感の塊だったと語られています。それ故、未来を担う子どもに対しては優しく温かい目を向けられているのではないでしょうか? -
ジャングル大帝 レオ
1965年10月から、虫プロダクションは『鉄腕アトム』に続くTVアニメとして『ジャングル大』の放映をフジテレビ系で開始しました。この作品は国産初のカラーTVアニメでした。往時のカラーテレビはまだ一般家庭には普及しておらず、また赤色の発色が悪い事から、赤色を強めに使うなどの工夫がなされていたそうです。
制作費はモノクロの3倍かかり、これを賄うために商品化や海外輸出が前提となりました。監督は山本暎一市、音楽を冨田勲氏が担当しました。
山本氏が制作予算の大半をつぎ込んで作り、冨田氏が曲を付けたオープニングの映像は現在でも作るのは難しいとされるほどの出来栄えと評価されました。特にフラミンゴの群れが一斉に飛び立つシーンは圧巻でした。
テレビ記者会賞特別賞受賞、劇場版でベネチア国際映画祭でサンマルコ銀獅子賞を受賞。 -
階段を使って2階へ進みます。
天井はトップライトを兼ねたシンボルモニュメントとなる「ガラス製の地球」を象徴するドームです。
写真撮影に関しては、記念館のHPでは企画展とアニメ動画以外はOKとなっていますが、受付で確認した所、アニメ動画を動画撮影すること以外はOKとのことでした。企画内容によっては状況が逐次変わるようですので、都度受付で確認されることをお勧めします。 -
「ガラスの地球を救え」展
序章『ガラスの地球を救え 21世紀の君たちへ』とは
右端にあるパネルは『火の鳥 望郷編』からの抜粋です。
手塚先生の生前最後のエッセー集『ガラスの地球を救え 21世紀の君たちへ』(1989年刊)に込められたメッセージを、代表作の原画とともに紹介する企画展が2025年6月29日まで開かれています。手塚先生は1946年のデビューから1989年に60歳で没するまで、作品を通して一貫して「自然への愛」「生命の尊さ」を訴求し続けました。
今回の展示では、『火の鳥』『ジャングル大帝』『ブラック・ジャック』をはじめ約25の代表作の直筆原稿など約110点に、エッセー集に綴られたメッセージを
添えて展示しています。
手塚先生が語られた「生命の尊厳」や「かけがえのない地球」の素晴らしさや、人間が引き起こした様々な環境問題によって地球が危機に瀕していること、そして今にも壊れそうな「ガラスのような地球」想いや、未来の子どもたちに託したメッセージを3章で構成しています。
序章 『ガラスの地球を救え 21世紀の君たちへ』とは
第一章 自然が僕にマンガを描かせた
第二章 地球は死にかかっている
第三章 IFの発想
同展は、大阪・関西万博に連動した兵庫県の取り組みである「ひょうごフィールドパビリオンでも開催されています。 -
序章 『ガラスの地球を救え 21世紀の君たちへ』とは
『白雪姫』に登場する「7人の小人」を彷彿とさせるデッサンが展示されていますが、これは『森の伝説』のキャラクター設定に用いられたものです。 -
序章 『ガラスの地球を救え 21世紀の君たちへ』とは
『森の伝説』のアニメが流されており、切株に腰かけて鑑賞することができます。
1989(平成元)年2月、手塚先生は執筆中の『ガラスの地球を救え』の完成を待たずに急逝されました。病に倒れた前年3月以降も創作への意欲と情熱は凄まじく、手術後の入院中も連載漫画を描き続け、亡くなる10日前までアニメーションの仕事をされていたはど精力的だったそうです。 -
「ガラスの地球を救え」展 第一章 自然が僕にマンガを描かせた
手塚治虫氏は1928(昭和3)11月3日、カメラ好きなサラリーマンの父と宝塚歌劇のファンで話し上手だった母の間に3人兄弟の長男として生まれました。その日が明治天皇の誕生日を祝う明治節であったことから「治」と命名されました。
一家は手塚氏が5歳の時に祖父が宝塚市御殿山の山林の麓に建て別荘へ引っ越し、そこで24歳まで過ごしました。そこは現在は高級住宅地となっていますが、往時は雑木林に狐や狸が生息し、昆虫の宝庫だったそうです。
また、宝塚歌劇や宝塚ホテル、宝塚ゴルフ倶楽部、ダンスホールなどがあるモダンな街でもあり、手塚マンガのモダニズムはここで培われました。隣家には宝塚歌劇の大スター 天津乙女と雲野かよ子の姉妹が住んでおり、母の影響とも相俟って宝塚歌劇は手塚氏が物心ついた時分から身近な存在だったようです。因みに宝塚歌劇団は1994年の手塚治虫記念館の開館に当たり、ミュージカル『ブラック・ジャック 危険な賭け』とショー『火の鳥』を上演したほどです。
一方、大阪府立北野中学生の時には太平洋戦争も体験しており、宝塚市でモダンと華やかさ、豊かな自然、戦争による社会の歪みや平和への願いなど、手塚作品で生涯描き続けられるテーマが育まれました。 -
「ガラスの地球を救え」展 第一章 自然が僕にマンガを描かせた
手塚氏は幼少時から絵を描くのが好きで、小学校の頃からマンガや紙芝居などを制作して友人を愉しませていたそうです。これには、両親がマンガに対して寛容だったこと、特に母がマンガの内容を声色を変えて再現してくれたという経験は小さくないようです。また読書家でもあり、特に読むスピードが驚異的に早く、それゆえ知識も豊富になり、マンガのアイデアには困らなかったそうです。
昆虫に興味を持つようになったのは小学校5年生の時でした。やがてクラスメートに見せられた昆虫図鑑『原色千種昆蟲図譜』が起爆剤となり、それ以来友人に誘われて箕面公園などに昆虫採集に出かけるようになり、卒業する時にはすっかり昆虫マニアになっていたそうです。甲虫から採った治虫(オサムシ)というペンネームもこの頃から使っていました。 -
「ガラスの地球を救え」展 第一章 自然が僕にマンガを描かせた
中学生の時には美術部で絵を描いたり科学雑誌の編集をしながらもマンガを本格的に描くようになりました。手塚マンガによく登場するヒゲオヤジはクラスメートのおじいさんがモデルだそうです。
また、中学2年生の時に『原色甲虫図譜』を制作しています。昆虫図鑑のようにカラー写真を潤沢に使えず、全て手書きでした。約300種類もの甲虫を実物大で写実し、第2集には約200種類の甲虫が集められました。因みに1988年に手塚先生の呼び掛けで「日本昆虫倶楽部」が設立されました。どうやらこの頃の夢が諦めきれなかったようです。
大学は大阪大学付属医学専門部へ進学しました。子どもの頃、腕から侵入したバイ菌から両腕切断寸前まで至ったところを優秀な医者のおかげで助かったことから、医学の道を志したそうです。しかし医学生時代もマンガを描くことを諦められず、医者になるか漫画家になるか悩んでいた時に母の応援もあり、漫画家になることを決意したそうです。因みに子どもの頃は、医者や漫画家になりたいという夢の他に昆虫学者になりたいという夢も持たれていたそうです。 -
「ガラスの地球を救え」展 第一章 自然が僕にマンガを描かせた
漫画家としてのデビューは17歳。1946(昭和21)年1月のことで、『マアチャンの日記帳』で、「少國民新聞(後の毎日小学生新聞)大阪版」に連載されました。その翌年、酒井七馬(さかい しちま)原作、手塚治虫画の長編マンガ『新寳島』が40万部のベストセラーとなり、大学在学中に漫画家としての地位を確立しました。その後、1950年には『ジャングル大帝』を、1952年には『鉄腕アトム』を発表し順調に地歩を固めました。1963年には『鉄腕アトム』が国産初の本格的TVアニメシリーズとして放送され、高視聴率を獲得。更に、1966年には『ジャングル大帝』が国産初のカラーTVアニメシリーズとなるなど、アニメーションの分野を開拓者となりました。
モダンと華やかさ、豊かな自然、戦争による社会の歪みや平和への願いなどは手塚作品で描き続けられたメインテーマ。手塚が青春期を宝塚で過ごしたからこそ生まれたテーマと言えます。そんな手塚先生にインスパイアを与えた街だからこそ、業績を顕彰するミュージアムが宝塚市に造られたのは頷けます。 -
「ガラスの地球を救え」展 第二章 地球は死にかかっている
エッセイ『ガラスの地球を救え』を要約してみました。
「現在の地球を予言」
地球は大宇宙の暗黒の中に浮かぶ青く輝く水の惑星だ。誕生から46億年。人類が誕生してからわずか3百万年。恐竜は1億数千万年も地球上で繁栄した王者にもかかわらず何故か6500年前に絶滅してしまった。人類などまだ生まれたばかりなのに…。このままでは人類史など儚い一瞬の夢で終わるかもしれない。地球は今息も絶え絶えの星になってしまった。
人類は進化の方向を間違えてしまったのではないか?元のままの下等な動物でいた方がもっと楽に生きられ楽に死ねたかもしれない。残忍で嘘つきで嫉妬深く、他人を信用せず浮気物で派手好きで、同じ仲間なのに虐殺し合う醜い動物だ。しかし、罪のない子供たちの未来を絶対に諦めてはならない。 -
「ガラスの地球を救え」展 第二章 地球は死にかかっている
「母親の教え」
母親はいじめられっ子だった治虫に漫画を読ませました。声色を変えて面白おかしく読んでくれた。家には漫画が200冊。やがていじめっ子も家に来て漫画を読むようになり母親はそれを歓待したそうです。治虫の漫画を誉め、漫画家になれると背中を押してくれた教師の存在も彼の人生に多大な影響を与えました。 -
「ガラスの地球を救え」展 第二章 地球は死にかかっている
「情報過多、科学技術の進歩への懸念」
情報過多により頭が混乱し全てが未消化、中途半端となるのは怖いことである。本当に必要な情報を取捨選択するのはとても難しい。何が正しいかは当事者以外誰にも分からないからです。また、誤情報やフェイクニュースなどを統制しようと政治が介入するのは言論の自由を履き違えた者も居ると言う観点から大変危険なことであり、本質的には読み手のリテラシーが求められる。
科学技術の発達は、テクノロジー・アセスメントが重要となる。受け入れ側(子供や若者)への政治的な介入なしに、自主的に生命の尊厳や生きることの価値を子供達に伝える事が大切である。 -
「ガラスの地球を救え」展 第三章 IFの発想
手塚先生の言葉をお借りします。
「自分以外の人の痛みを感じとるには、想像力が必要なのです。」 -
「ガラスの地球を救え」展 第三章 IFの発想
エッセイ『ガラスの地球を救え』には「なんとしてでも、地球を死の惑星にはしたくない」という手塚先生の最期の切実な想いが込められています。
「ぼくたちが子どものころに駆け回った野山、林をふきわたる風の音、小川に群れていた魚たち、どこにでもいた昆虫、そして無造作なほど咲きほこっていた草花-。いまは失われてしまったそれらは、しかし、決して取り戻せないわけではないのです。その気にさえなれば、いまならまだ間に合うのです。たとえ、すべては戻ってこないとしても、少なくとも今宵の月、明日の青空だけは、もう失いたくありません。」
今からでもできることは幾らでもあります。そして、そのために重要なのが「IFの発想」だと語ります。この世の現実未来を観るためには、現実を見るだけではその奥にある本質を発見することはできません。一つひとつの事件・状況に想像力を働かせ、そのものの中に入り込んでみることです。想像力は大きな夢に繋がるものですが、ごく日常の現実、隣に住む人の悩みにも届かせることができます。それは決して他人の悩みを詮索するということではありません。 -
「ガラスの地球を救え」展 第三章 IFの発想
手塚先生は『火の鳥』の連載開始時、「生命とは何か、死とは何か」という問いを読者に投げかけています。作家人生の大半をかけて描き続けたものの、物語の結末は「死ぬときに描く」と語り、結局、未完のまま終わっています。
未完のまま残された『火の鳥』をどう読み解くかは、私たち一人ひとりに委ねられているのかもしれません。 -
「ガラスの地球を救え」展 第三章 IFの発想
『鉄腕アトム』の原画には次のメッセージが添えられています。
「子どもたちの明るく輝く未来は、いったいどこへ行ってしまったのでしょう。こんなさびしいところへ子どもたちを追いつめてしまったのは、ほかならぬぼくら大人なのです。たとえどんな状況にあっても明日へ夢をつなげていくための活力や理想を育む、それがわれわれ大人の責任ではないでしょうか」 -
「ガラスの地球を救え」展 第三章 IFの発想
ブラック・ジャック
「医療漫画」という新しいジャンルを築き上げた金字塔的存在です。
天才的外科医だが医師免許を持たない「ブラック・ジャック」こと間黒男(はざま くろお)の活躍を描いています。彼のキャラクターには手塚先生自身の医学生時代の経験が反映されています。
手塚先生の漫画家生活30周年を記念して『週刊少年チャンピオン』の1973年11月19日号から始まったこの作品は、最初は短期連載の予定でしたが、その人気により約10年間に亘る長期連載となりました。
『ブラック・ジャック』は、その短編形式ゆえ、『火の鳥』同様に明確な最終回を持たない作品です。しかし多くのファンは、1978年9月の『週刊少年チャンピオン』の第229話「人生という名のSL」を最終回と認識しています。それは、このエピソードが連載終了の話として特別な意味を持ち、エンディングも最終回と思わせるようなものだったからです。
しかしその後、更に13篇のエピソードが単発で描かれました。これらは「第何話」という形式を取らず、正規の流れには含まれないアナザーサイド的な位置付けとされます。因みに執筆上の最後の作品となったのが、1983年10月に発表された「オペの順番」です。つまり、各々のエピソードが独立した物語として成立しており、終結としての決定的な線引きがなされていないのです。最終回が存在しないが故、価値を高めているのかもしれません。 -
2階フロア
展示ルームを抜けると今度は異次元の世界へと引き込まれます。 -
情報・アニメ検索機
近未来的なフォルムでワクワク・ドキドキさせてくれます。PC端末では、手塚先生の生涯や作品年鑑を自由に閲覧できる他、2000年までに制作された手塚関連のテレビアニメ・劇場版アニメ・オリジナルアニメの一部作品が全編全話視聴できます。また、キャラクターたちとのゲームにもチャレンジすることができます。 -
テーマ展示棚
「スターシステム手帳」や「新宝島」、また宝塚歌劇の影響や舞台の取材マンガの展示など、「宝塚時代に手塚治虫が描いた作品」を年代別に紹介しています。
「現地」でこうした展示が見られるのは臨場感があります。
作品が持つ独特の世界観をじっくりと味わうことができるように工夫されています。 -
テーマ展示棚
右端にある「宝塚オンパレード漫描」には宝塚歌劇の機関誌に掲載されていたマンガが展示されています。
宝塚市ならではのお宝と言えます。
「ヅカ」ファンには垂涎の的かも!? -
テーマ展示棚『ピンピン生(セイ)チャン』
常設展示室にあったものの中味(抜粋)がここで展示されています。
手塚先生が8歳の時の処女作とは言え、パース(遠近法)が掛けられた描写や迫力あるモブシーン(街頭の群衆シーン)まで描かれており、吃驚です!
ストーリーは、主人公の生ちゃんと友達のフクちゃんを中心に展開され、徐々にユーモア溢れる奇想天外な方向へと発展していきます。 -
フィギュア&グッズ
沢山の手塚作品関連のフィギュアやグッズが展示されています。
右端の棚には話題の「PLUTO(プルートゥ)」も居ますよ!
2023年秋、『鉄腕アトム』の一編を原作とした「PLUTO(プルートゥ)」が初めてアニメ化され、世界に向けて配信されました。原作は2003年9月から連載が始まった漫画『PLUTO(プルートゥ)』。これまで数々の作品を生み出してきた浦沢直樹氏が敬愛してやまない『鉄腕アトム』の一編「地上最大のロボット」をオマージュして描き上げた作品です。
「プルートゥ」はサルタンお抱えの学者アブラー博士が造り出した100万馬力(アトムの10倍)のロボットです。当初は追放されたサルタンが国を奪い返す目的で造られたのですが、「世界の王者」として世界の高性能7体のロボットを破壊するミッションを命じられます。しかし、体内にはサルタンの命令により負けた際に自爆する装置が組み込まれているのです。 -
フィギュア&グッズ
どちらのロボットも雑誌『少年』1964(昭和39)年6月号から1965(昭和40)年1月号に連載された『鉄腕アトム』「地上最大のロボットの巻」に登場しました。「世界最高水準の7体のロボット」の一体です。
左側は「エプシロン」です。
子どもたちから慕われているオーストラリアの州立保育園の心優しい保父ロボットです。光が動力源の光子ロボットで、外見に似ず太陽の下ではそのパワーは底なしです。プルートウをして「今までで一番手ごわいかもしれない」と恐れられたロボットです。また、プルートウからの頼みで、彼と共に海底からアトムを救い上げてもいます。この時、一度は計略でプルートウを葬ろうとしましたが思い止まり、堂々の勝負に臨みます。
右側は「ノース2号」です。
スコットランド北部の古城に住んでいる研究者の助手として活動し、6本の腕を用いて戦闘も行います。体内には様々な工具を内蔵しており、腕と入れ替えて使う事も可能。脚は生えておらず、普段はロビタのように地面を滑走して移動しますが、戦闘時にはジェット噴射で空を飛び、巧みな空中殺法を見せます。
プルートウの襲撃を察知して出撃しますが、6本の腕を駆使してプルートウを岸壁に叩き付け破壊しようとするも、逆に腕をもぎ取られてしまい腕の代わりに工具を出して挑むも、電磁角で完膚なきまでに破壊されてしまいます。 -
ジャングル大帝休憩コーナー
元々あったジャングル・カフェはリニューアルによって無料スペースに変身しており、『ジャングル大帝』の世界観に包まれた可愛いフラワーテーブルでホッとひと息付けます。
まるで森の中に居るような気分に浸れます。 -
ジャングル大帝休憩コーナー
天井にはメルヘンチックな絵が描かれています。 -
手塚治虫ライブラリー
オールスターズの絵の横にある図書コーナーです。
館内を見学していると手塚作品が無性に読みたくなってくるかと思います。そんな時はこのスポットが「駆け込み寺」となります。マンガやイラスト、絵本、その他執筆本などの多様な作品群など、海外版や点字版を含め2000作品もの手塚作品を手に取って読めるライブラリーです。
貸し出しの手続きは一切不要です。気に入った作品を手に取り、その場で物語の世界に浸れます。 -
手塚治虫オールスターズ
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エレベーターの扉にまで手塚キャラクターが描かれています。
こちらは『ジャングル大帝』です。 -
肖像画『夢・翔』
地下階へ階段で降りる際に見られる肖像画『夢・翔』は手塚先生の奥様 悦子さんによって描かれた作品です。
『ジャングル大帝』のレオやユニコ、アトムなど、自身が生み出した人気キャラクターに囲まれ優しく微笑んでおられます。
子どもたちに夢を与え続けた手塚先生が家庭の中で見せた素顔について悦子さんは次のように語られています。
「手塚と過ごした30年間。そのうち半分が自宅と仕事場が一体のような生活でした。なかなか仕事部屋から出ない夫とは顔を合わせることがあまりなく、まさに『声はすれども、姿は見えず』の状態。体調が心配でも、どんなふうに寝起きしているのかも分からない。ひと段落ついて、『ああ、終わった』と言いながら部屋から出てくると、私もホッとしました。でも、3人の子どもたちは別でした。特に長男の真は仕事場で古い原稿に絵を描いたり、父親に話しかけたりしていました。ある時、まだ幼い真が仕事部屋から出ようとせず、困った夫が私に言うんです。「マコをここから出してくれ」。「子どもは一番のお得意さまだから、とてもしかれない」。本気でそう話す夫の代わりに私がいつも“父親役”でした。」 -
地下階
ミラーボールの上では『リボンの騎士』に登場するキャラクター「チンク」が誇らしげです。チンクは、サファイアに男の心を飲ませてしまい、彼女の運命を狂わせた無責任天使です。名前の由来はおそらく亜鉛(英:Zinc)。父である神様に罰としてサファイアから男の心を抜き取る事を命じられ、下界に降り人間の子に生まれ変わりました。以降、サファイアを助ける小さなナイトとして大活躍します。
右端のモニターは「まねっこロボット」です。モニターの前に立った人の動きを、モニター内のロボットたちが真似してくれます。しかも、ただ真似をするだけではありません。ロボットからポーズのリクエストがあり、その通り真似してロボットたちとシンクロできると…。(ネタばらしはご法度!) -
地下階
地下階の出入口では小柄なブラック・ジャックがお出迎えです。 -
地下階
地下階のモチーフは『鉄腕アトム』の主人公アトムが製造されたラボです。宇宙船内のようなメカニックなパネルが所狭しと並び、マンガの世界に飛び込んだような気分です。
沢山の計測器やパイプなどロボットアニメやSF好きならワクワク・ドキドキしてしまう異空間です。右手の壁にはゾートロープなどアニメーションの原理を解説する模型もあります。 -
地下階 鉄腕アトムのロボット工場
1950年頃の仕事部屋の再現や漫画やアニメの制作体験ができる工房があり、手塚先生とのコラボレーションが愉しめるよう趣向になっています。
地下階のある場所はかつては宝塚ファミリーランドに直通する入口でした。しかし2003年に宝塚ファミリーランドが閉園、その後跡地にオープンした宝塚ガーデンフィールズも2013年に閉園したため、長らく出入口としては閉鎖されていました。 -
地下階 アニメ工房
初歩的なアニメーション制作が体験できます。アニメ制作で実際に使われる動画用紙2枚(上級コースは5枚)に鉛筆で少しずつ動いた絵を描き、コンピューターに取り込むとモニターに動いた絵が映し出されます。また、背景や色を付けて自分流に好きなロボットのパーツを組み合わせて動かすこともできます。
当日受付制となっており、所要時間は約40分です。 -
地下階 アニメ工房
前方には、手塚先生の仕事部屋が再現されています。
机に向かっているのは手塚先生の人形です。お仕事中のようですが、時々後ろを振り向いてくれます。
このように鏡越しに目が合うと人形だと判っていてもドキリとします。 -
トイレ
可愛らしい絵タイルが散り嵌められています。 -
トイレ
どれも微笑ましいものばかりで和みます。 -
地下階 出入口
地下階にある出入口でも圧巻の天井画が見られます。
リニューアルにより、ピロティ天井も開館当初の鮮やかな色彩が蘇っています。 -
地下階 出入口
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メインガーデン
出口周辺にはレオもいます。 -
メインガーデン
こちらはかつての「宝塚植物園」の跡地になります。
1927(昭和2)年、この地に宝塚植物園が開園し、その広大な池ではボートを愉しむ人々の姿が見られたそうです。手塚先生も子供の頃に家族と一緒に来られていると思います。
池の周囲にあった石造りの欄干は宝塚ファミリーランド、宝塚ガーデンフィールズ時代を経て、人々の記憶の残照としてこの地で悠久の時を刻んでいます。 -
メインガーデン
欄干沿いに敷かれた石畳にはこうした隠れキャラが潜んでいます。
手塚治虫記念館とは時代が違うため、宝塚ガーデンフィールズ時代の遺構ではないかと思います。
石畳は池の周辺に限られるため他にないか探してみましたが、この1点だけでした。 -
メインガーデン
紫陽花がかなり色付いていきています。
前方に見える建物は宝塚市立文化芸術センターです。
建物の屋上が緑に覆われているのは屋上庭園があるからです。 -
メインガーデン
お茶目なヒョウタンツギのオブジェが樹木の陰に潜んでいますよ!
マニアにとっては手塚漫画最大のスターです。逆三日月の眼をしたしかめっ面、豚のような鼻とヒョウタンの形をした顔に多数のツギハギが特徴です。妹 美奈子さんのイタズラ描きから誕生し、物語の落し所や突っ込みシーンなどに突然出てくる訳の分からないギャグ生物です。赤塚不二夫氏のケムンパスや谷岡ヤスジ氏のムジドリなどに影響を与えたとも。そうした意味でも日本漫画史上に残る貴重なキャラクターと言えます。彼が主役を演じた作品はマンガにはなく、SF短編小説『妖蕈譚』となります。 -
メインガーデン
ヒョウタンツギは樹木の陰と手水鉢の脇の2ヶ所で見られます。
サファイアとユニコも見つけましたが、草木が生い茂る時期は探すのが難儀です!
ユニコは手塚漫画史上「最も可愛い」キャラと言われています。ギリシア神話に登場する伝説の一角獣「ユニコーン」の子どもと言う設定です。その存在があまりにも人々を幸せにし過ぎるがために女神の嫉妬を買い、忘却の彼方へと葬られてしまうという凄まじいストーリーです。 -
メインガーデン
アトムと渡メルモもいます。
メルモちゃんは、青いキャンディを飲むと大人になったり、赤いキャンディを飲むと赤ちゃんになったりして、兄弟たちを守って生きていく逞しい子です。3つ青を飲むと老女になって、2つ赤を飲むと卵になってしまいます。2つの赤と傷つけた青を飲むと動物に変身します。頑張り過ぎな行動力や健気さが魅力の少女です。 -
メインガーデン
紫陽花もきれいですが、借景を彩る草木もエレガントです! -
メインガーデン
円形花壇にある2種類のバラは2020年の宝塚市立文化芸術センターのオープンを記念して横浜市から寄贈されたものです。左は「はまみらい」、右は「セント・オブ・ヨコハマ」です。
左下は「ヒペリカム・ヒデコート」。中国原産のキンシバイの園芸種で、大輪金糸梅(タイリンキンシバイ)とも呼ばれるオトギリソウ科の半常緑低木です。よく似た花に「ビヨウヤナギ」がありますが、そちらは雄しべが長く髭のように見えるので容易に判別できます。
右下は「ケムリの木」。遠くから見ると煙が上がっているように見えることから、「スモークツリー」とも呼ばれます。花柄と呼ばれる花に見える部分がふわふわしており、とても可愛らしい木です。 -
宝塚市立文化芸術センター 中村祐介展 in TAKARAZUKA2025
中村祐介氏は名実ともに日本を代表するイラストレーターのひとりと称されています。1978年生まれの宝塚市出身で、大阪芸術大学デザイン学科卒業。花のみちの「宝塚ウェルカムフラッグ」や「宝塚観光ガイドブック」の表紙を描き下ろすなど宝塚市とゆかりの深いアーティストです。
また、ASIAN KUNG-FU GENERATION、さだまさしのCDジャケットをはじめ、『謎解きはディナーのあとで』、『夜は短し歩けよ乙女』、音楽の教科書など数多くの書籍カバーを手掛けています。画集『Blue』と『NOW』は13万部を記録中です。 -
宝塚市立文化芸術センター 中村祐介展 in TAKARAZUKA2025
中村祐介氏の作品は主にセーラー服を着た少女と動物をモチーフにしたものが多く、ノスタルジックでカラフルな作風で人気を得ています。 -
宝塚市立文化芸術センター 中村祐介展 in TAKARAZUKA2025
影響を受けた人として松本隆、小沢健二、藤子・F・不二雄、あだち充、近藤ようこ、さくらももこ、ウディ・アレンを上げられており、好きなイラストレーターは林静一、わたせせいぞう、米澤稔、兵藤聡司、ノーマン・ロックウェルとされてます。 -
宝塚市立文化芸術センター 中村祐介展 in TAKARAZUKA2025
中村祐介さんからのメッセージを記しておきます。
「僕は大阪芸大で4年間を過ごした後、助手として2年間大学に残りました。大阪芸大は学科が多いから、学生間でさまざまな交流ができるのがいいですよね。僕も学生時代は映画のポスターや演劇のパンフレットのイラストを頼まれて描いていました。テーマやターゲットごとにイラストを描いたこの頃の経験は、全部今に役立っています。
たとえば小説『謎解きはディナーのあとで』の装丁画を手がけたときも、主な読者層となる女性や中高生がどうしたら手にとってくれるだろうといろいろとリサーチしました。ファンの方からは、 “神”なんて言葉をかけていただくこともありますが、「自分には才能がある!」と思えるほど、能天気ではないのです。
僕は就職しないでフリーになりましたが、当時はインターネットも普及していなかったので、情報に疎かったです。結構危険なことだったと思いますよ。社会をよく知らない分、転んで気づくことがありました。独立するにしても一度就職して、営業やお金のことを知ってからのほうが、結果的に成功への近道になるんじゃないかと思います。お金って、本当に大切! 学生相手の講演でも「このイラストで1 枚いくら」なんて話をすることもあるんですよ(笑)。」。 -
宝塚市立文化芸術センター
屋上庭園から望む手塚治虫記念館です。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
この続きは青嵐薫風 北摂宝塚逍遙④手塚治虫 聖地巡礼(前編)でお届けいたします。
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