2014/11/27 - 2014/12/01
664位(同エリア667件中)
リュックさん
第2日目、11月27日(木)は快晴に近い良い天気。
今日は耶馬溪、青の洞門、羅漢寺などを訪れる現地ツアーに参加する。
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早朝の冷気が心地よく肌を刺す。
昨夜と同じ食事処で朝食を済ませ、庭内を散歩する。
少し時期が過ぎた感があるが、もみじなどの紅葉が美しい。 -
身支度を整え、こがね山荘入口前から宿の送迎バスで中津駅に。
雨上がりでしっとり濡れた木々の紅葉はもうすぐ終わるであろう。 -
宿の車で中津駅まで送ってもらう。
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中津駅前の観光バス発着場でバスの到着を待つ。
今日は快晴に近い極上の天気!
駅前はソテツ・ビンロー樹
中津駅前から耶馬溪ツアーに参加する。
ツアーは事前予約制でバスの座席は指定席。
我々は最前列の席を予約。
最近、旅先で参加するバスツアーは可能な限り
最前列の席を確保している。
最前列席はガイドさんと近すぎ居眠りがしにくいが、
エンジン音はなく静か、しかも揺れが少なく、
前方、左右の景色を堪能できるメリットがある。
ツアー参加者は20人弱。ほとんど年配。 -
バスは中津市内を走り最初の訪問地は福沢諭吉旧邸宅。
福沢諭吉が3歳から21歳までの青春時代をここで過ごした。
庭内にある記念館で「学問のすすめ」の原本を見学した。
和綴じの薄い書であった。
ここは有名な観光地。
次から次へと観光バスがきて、多くの観光がどっと訪れ、
庭内をさーっと見学してバスに乗り込み帰ってゆく。
記念館でじっくり歴史ある資料を見学する人は少ない。 -
福沢諭吉旧邸宅を後に中津市街を離れ、山国川に沿って走る。
福岡県と大分県の県境となった山国川の中流にある耶馬渓、
その中に羅漢寺がある。
やがて川の岸壁が高くそそり立ってくる。
バスを降りてここから前方にある岩をくり抜いた隧道に
向かって歩いてゆく。
青の洞門
岸壁に張り付いたような車道脇の歩道を進む。
岩を荒々しくくり抜いた隧道内にはいる。
ガイドさんの説明によるとここが青の洞門で
当時は狭い通路であったがその後隧道内を広げ
車も通れるように整備したとのこと。
この青の洞門が無い時代は
この隧道のはるか上の方の狭い参道で
幾多の旅人が崖から落ちて命をなくしている
難所中の難所であったとのこと。 -
そこである僧侶が何十年もかけて
のみ一つで硬い岸壁をくり抜き、安全な通路を作った。
洞門内に入る。荒々しく削った岩肌。
洞門の中ごろにぽっかりとあいた窓がある。
ここから削り取った砕石を外の山国川に捨てた。
洞門内にのみとハンマーで掘り進んだ禅海和尚の像がある。
しかし、この堅い岸壁をのみ一つで掘り進んだとは驚きである。 -
洞門がない時代はこの切り立った断崖の小道を使って
旅をしていた。
人馬とも多くの犠牲者が出た。 -
『六十余州名所図会』より「豊前 羅漢寺 下道」より
1854年(安政元年)から1856年(安政3年)にかけて
制作された歌川広重の『六十余州名所図会』には、
「豊前 羅漢寺 下道」と題し、この洞門が豊前国の名所として描いている。 -
青の洞門が開通して旅人は安全に楽に往来できるようになった。
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この話は菊池寛の「恩讐の彼方に」の題材で小説化された。
この逸話をガイドさんが車中で物語風に語り、上手な語りで感動した。
ガイドさんの語りがあまりにも上手で感激し、
菊池寛の「恩讐の彼方に」の短編小説を帰宅後に読んだ。
旅行記ではありませんがこの小説の主題になった青の洞門の
物語を別稿でご紹介します。 -
青の洞門についてもう少し詳しく紹介すると;
国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚が、
断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、
ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、
托鉢勧進によって掘削の資金を集め、
石工たちを雇ってノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたといわれる。
1750年(寛延3年)の第1期工事の完成後には、
通行人から人4文、牛馬8文の通行料を徴収したという話が伝わっており、
この洞門は日本最古の有料道路ともいわれている[。
1906年(明治39年)から1907年(明治40年)にかけて
陸軍日出生台演習場への輸送路整備のために大改修が行われ、
車両が通過できるよう拡幅された。
この工事の結果、完成当初の原型はかなり失われたが、
明かり採り窓等の一部に手掘りのノミの跡が残っている。
青の洞門を過ぎると山国川沿いに青の禅海橋があり、
橋の袂に禅海僧の像がたてられ、
その足元には禅海僧を題材にした「恩讐の彼方に」の著者、
菊池寛の記念碑がある。ここも一大観光名所。
観光バスで乗り付けた人々は青の洞門を見学し、
ここで記念写真を撮っている。我々もその中に入る。 -
ここからバスに乗り、
山間部を走り、やがて丘陵地帯の山裾に入る。 -
ここから羅漢寺に行く。
寺の入口周辺には数軒の土産物屋兼食事処がある。
派手な昇り旗などなく、ひっそりとした静かな山寺の門前だ。
羅漢寺は丘陵のはるか上にある。 -
我々は狭い山道を上り、
青の洞門を掘り抜いた禅海和尚を祀る禅海堂で手を合わせ、
少し坂道を上る。
ここからスキーなどでおなじみのリフトで羅漢寺本堂に向かう。
若いころはスキー場でよくリフトを気軽に利用していたが、
久しぶりに乗るリフトはなんとなく恐怖心が沸いた。
年を取ったな~。 -
かなり急なリフトをしばらく乗る。
リフトを降り、狭い、足場の悪い山道を山裾沿いにゆく。
目の前に山門が見えてくる。
山門脇にはこれから先は信仰に霊場であり、写真撮影禁止とある。
いろいろ写真を撮りたかったがやめた。
山門を過ぎると山を削った祠のようなところに凝灰岩であろうか、
いろいろな表情をした仏が所狭しとたくさん置いてある。
仏の表情は皆異なり民芸調。 -
説明によると、
洞窟内に3,700体以上の石仏が安置され、
五百羅漢としては日本最古のものらしい。
窟内の釈迦三尊像、五百羅漢像などの石仏群は
2014年8月21日に国の重要文化財に指定された。
羅漢寺は伝承では大化元年(645年)、
法道仙人の創建といわれている。
羅漢寺の由来などが記されていた。
羅漢寺本堂の庭から眼下に広がる色とりどりに紅葉した丘陵地帯を眺め、
またリフトで下り、羅漢寺参道入り口にある食べ物屋で手配の昼食を取り、
またバスに乗り深耶馬溪に向かう。 -
バスは山深い谷間を進みかなり広い駐車場に到着。
観光バス、個人の車などでかなりの混雑。
駐車場の周囲は紅葉のっ盛りを多少過ぎ、
一部落葉し始めている。
しかし、あたり一面素晴らしい紅葉。
これだけでもここに訪れた価値がある。 -
バスを降りガイドさんの案内で山国川支流の渓谷沿いに山道を進む。
本格的山道でかなり歩きにくい。
谷川からの冷気と山裾からの湿気が深山の趣で寒い。
しばらく進むみ橋を渡ると舗装道路にでる。
多くの観光客がいた。ガイドさんから耶馬溪の説明がある。
谷川に向かってそそり立つ岸壁、柱状節理だろうか。
岸壁の上部は浸食によりいろいろな形状をしている。
ガイドさんはあの岩は海望嶺、仙人岩、嘯猿山、夫婦岩、群猿山、
烏帽子岩、雄鹿長尾嶺、鷲の巣山などと説明する。
確かに言われてみればそのように見える。
奥耶馬溪の紅葉を堪能し、
帰りは谷川の上のほうに作られた舗装道路に沿って下り
バスの待つ駐車場に戻る。
道路沿いや駐車場にはたくさん土産物屋や食べ物やがと並びにぎやか。
ご当地特産の鳥の空揚げやが目立った。 -
今回参加したバスツアーはここで終了し、
一路山国川に沿って中津、大分に向かう。
途中、山国川に架かる「青の洞門」より500mほど下流にある
耶馬渓橋は全長116m、日本最長の石造アーチ橋。
アーチは12mスパンでやや偏平で、
その西洋的な外観から「オランダ橋」と
愛称で呼ばれているとのこと。
この近辺には他にも石造アーチ橋が多くかけられている。
耶馬渓橋の1.5km上流には橋長89mの三連アーチの羅漢寺橋が、
また、さらに4km上流には橋長83mの馬渓橋がある。 -
今日は昨日と打って変わりとても良い天気で紅葉を十分堪能した。
中津駅でツアーバスを降り、
迎えに来てくれた宿の車に乗り再度山国川に沿って走り宿に戻った。 -
宿泊したこがね荘は本館、食事処、客室、露天風呂など
広い敷地内に点在し、静かな山里の宿だ。
宿泊した離れの部屋への通路は寒かったが
なかなか風情があってよい。
離れは2部屋続きで囲炉裏の部屋がある。
炭火は入っていなかったが暖房がよく効いていて
ごろり横になっていても気持ちがよく快適。
今夜は鱧づくし料理。
数組の客が食事をしている食事処で
静かな中津での一夜を楽しんだ。
明日は高千穂に向かう。
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