耶馬溪・中津・玖珠旅行記(ブログ) 一覧に戻る
菊池寛 恩讐の彼方に<br />1919年(大正8年)に発表された。禅海和尚の逸話を元にして書かれ、<br />この小説では、隧道は「樋田の刳貫」と呼ばれ、<br />「青の洞門」という名称は用いられていない。<br />また、主人公の僧の名は了海とされている。<br />この小説とは別に、<br />1923年(大正12年)の『尋常小学国語読本 巻十二』でも<br />教材として取り上げられ、<br />青の洞門は多くの人々に知られるようになった。<br />青の洞門が完成した当時は「樋田の刳抜」(ひだのくりぬき)と<br />呼ばれていたが、江戸時代末期から大正時代にかけて、<br />「樋田のトンネル」や「青の洞門」と呼ばれるようになったとされる。<br />「青の洞門」が用いられた初期の例としては、<br />1923年(大正12年)の『尋常小学国語読本 巻十二』や、<br />1942年(昭和17年)の大分県の史跡指定がある。<br />「恩讐の彼方に」を「菊池寛 短編と戯曲」文芸春秋 青空文庫から<br />引用。<br /><br />少し長文ですが、この小説を読まれてから青の洞門を訪ねられたら<br />「単なる隧道」ではなく、別な印象を持たれると思います。

想い出の旅14 九州縦断の旅(2)       青の洞門 「恩讐のかなたに」

5いいね!

2014/11/27 - 2014/11/27

572位(同エリア669件中)

0

3

リュック

リュックさん

菊池寛 恩讐の彼方に
1919年(大正8年)に発表された。禅海和尚の逸話を元にして書かれ、
この小説では、隧道は「樋田の刳貫」と呼ばれ、
「青の洞門」という名称は用いられていない。
また、主人公の僧の名は了海とされている。
この小説とは別に、
1923年(大正12年)の『尋常小学国語読本 巻十二』でも
教材として取り上げられ、
青の洞門は多くの人々に知られるようになった。
青の洞門が完成した当時は「樋田の刳抜」(ひだのくりぬき)と
呼ばれていたが、江戸時代末期から大正時代にかけて、
「樋田のトンネル」や「青の洞門」と呼ばれるようになったとされる。
「青の洞門」が用いられた初期の例としては、
1923年(大正12年)の『尋常小学国語読本 巻十二』や、
1942年(昭和17年)の大分県の史跡指定がある。
「恩讐の彼方に」を「菊池寛 短編と戯曲」文芸春秋 青空文庫から
引用。

少し長文ですが、この小説を読まれてから青の洞門を訪ねられたら
「単なる隧道」ではなく、別な印象を持たれると思います。

  • 青の洞門の近くにある菊池寛の記念碑<br /><br />小説「恩讐の彼方に、<br />恩讐の彼方に(1)<br />(1)ねんごろになった妾の主人の妾死傷させる<br />市九郎は、主人の切り込んで来る太刀を受け損じて、左の頬から顎にかけて、微傷ではあるが一太刀受けた。<br />たとえ向うから挑まれたとはいえ、主人の寵妾と非道な恋をしたという、自分の致命的な罪を意識している市九郎は主人の振り上げた太刀を必至な刑罰としてその切り先を避ける気持ち少しも持ってはいなかった。<br />彼はただこうした自分の迷いから命を捨てることがいかにも惜しまれたので、できるだけは逃れてみたいと思っていた。それで、主人から不義を言い立てられて切りつけられた時あり合せた燭台を早速の獲物として主人の鋭い太刀先を避けていた。<br />しかし、五十に近いとはいえまだ筋骨のたくましい主人が畳みかけて切り込む太刀を攻撃に出られない悲しさにはいつとなく受け損じて最初の一太刀を左の頬に受けたのである。が、一旦血を見ると市九郎の心はたちまちに変っていた。彼の分別のあった心は闘牛者の槍を受けた牡牛のように荒んでしまった。<br />どうせ死ぬのだと思うとそこに世間もなければ主従もなかった。今までは主人だと思っていた相手の男がただ自分の生命を脅そうとしている一個の動物――それも凶悪な動物としか見えなかった。彼は奮然として攻撃に転じた。彼は「おうお」と叫びながら持っていた燭台を相手の面上を目がけて投げ打った。<br />市九郎が防御のための防御をしているのを見て気を許してかかっていた主人の三郎兵衛は不意に投げつけられた燭台を受けかねて、その蝋受けの一角がしたたかに彼の右眼を打った。市九郎は相手のたじろぐ隙に脇差を抜くより早く飛びかかった。<br /><br />「おのれ、手向いするか!」と三郎兵衛は激怒した。市九郎は無言で付け入った。主人の三尺に近い太刀と市九郎の短い脇差とが二、三度激しく打ち合った。<br />主従が必死になって十数合太刀を合わす間に主人の太刀先が二、三度低い天井をかすってしばしば太刀を操る自由を失おうとした。市九郎はそこへ付け入った。主人はその不利に気がつくと自由な戸外へ出ようとして二、三歩後退りして縁の外へ出た。その隙に市九郎がなおも付け入ろうとするのを主人は「えい」と苛だって切り下した。が、苛だったあまりその太刀は、縁側と座敷との間に垂れ下っている鴨居に不覚にも二、三寸切り込まれた。<br /><br />「しまった」と三郎兵衛が太刀を引こうとする隙に市九郎は踏み込んで主人の脇腹を思うさま横に薙いだのであった。<br />あいてが倒れてしまった瞬間に市九郎は我にかえった。今まで興奮して朦朧としていた意識がようやく落着くと彼は自分が主殺しの大罪を犯したことに気がついて後悔と恐怖とのためにそこにへたばってしまった。<br /><br />夜は初更を過ぎていた。母屋と仲間部屋とは遠く隔っているので主従の恐ろしい格闘は母屋に住んでいる女中以外まだだれにも知られなかったらしい。その女中たちはこの激しい格闘に気を失い一間のうちに集ってただ身を震わせているだけであった。<br />市九郎は深い悔恨にとらわれていた。一個の蕩児であり無頼の若武士ではあったけれどもまだ悪事と名の付くことは何もしていなかった。まして八逆の第一なる主殺しの大罪を犯そうとは彼の思いも付かぬことだった。彼は血の付いた脇差を取り直した。主人の妾と慇懃を通じてそのために成敗を受けようとした時、かえってその主人を殺すということはどう考えても彼にいいところはなかった。彼はまだびくびくと動いている主人の死体を尻眼にかけながら静かに自殺の覚悟を固めていた。するとその時次の間から今までの大きい圧迫から逃れ出たような声がした。<br /><br />「ほんとにまあ、どうなることかと思って心配したわ。お前が間二つにやられた後は私の番じゃあるまいかとさっきから屏風の後で息を凝らして見ていたの<br />さ。ほんとうにいい塩梅だったね。こうなっちゃ、一刻も猶予はしていられないから有り金をさらって逃げるとしよう。まだ仲間たちは気がついていないようだから逃げるなら今のうちさ。<br />乳母や女中などは台所の方でがたがた震えているらしいから、私が行ってじたばた騒がないようにいってこようよ。さあ! お前は有り金を探して下さいよ」というその声は確かに震えを帯びていた。が、そうした震えを女性としての強い意地で抑制して努めて平気を装っているらしかった。<br />市九郎は――自分特有の動機を、すっかり失くしていた市九郎は、女の声をきくと、蘇ったように活気づいた。彼は、自分の意志で働くというよりも、女の意志によって働く傀儡のように立ち上ると、座敷に置いてある桐の茶箪笥に手をかけた。そして、その真白い木目に血に汚れた手形を付けながら引出しをあちらこちらと探し始めた。が、女――主人の妾のお弓が帰ってくるまでに、市九郎は、二朱銀の五両包をただ一つ見つけたばかりであった。お弓は台所から引っ返してきてその金を見ると、<br />「そんな端金が、どうなるものかね」といいながら今度は自分でやけに引出しを引掻き回した。しまいには鎧櫃の中まで探したが、小判は一枚も出てきはしなかった。<br />「名うての始末屋だから瓶にでも入れて土の中へでも埋めてあるのかも知れない」そう忌々しそうにいい切ると金目のありそうな衣類や印籠を手早く風呂敷包にした。<br />こうして、この姦夫姦婦が、浅草田原町の旗本、中川三郎兵衛の家を出たのは、安永三年の秋の初めであった。後には、当年三歳になる三郎兵衛の一子実之助が父の非業の死も知らず乳母の懐にすやすや眠っているばかりであった.

    青の洞門の近くにある菊池寛の記念碑

    小説「恩讐の彼方に、
    恩讐の彼方に(1)
    (1)ねんごろになった妾の主人の妾死傷させる
    市九郎は、主人の切り込んで来る太刀を受け損じて、左の頬から顎にかけて、微傷ではあるが一太刀受けた。
    たとえ向うから挑まれたとはいえ、主人の寵妾と非道な恋をしたという、自分の致命的な罪を意識している市九郎は主人の振り上げた太刀を必至な刑罰としてその切り先を避ける気持ち少しも持ってはいなかった。
    彼はただこうした自分の迷いから命を捨てることがいかにも惜しまれたので、できるだけは逃れてみたいと思っていた。それで、主人から不義を言い立てられて切りつけられた時あり合せた燭台を早速の獲物として主人の鋭い太刀先を避けていた。
    しかし、五十に近いとはいえまだ筋骨のたくましい主人が畳みかけて切り込む太刀を攻撃に出られない悲しさにはいつとなく受け損じて最初の一太刀を左の頬に受けたのである。が、一旦血を見ると市九郎の心はたちまちに変っていた。彼の分別のあった心は闘牛者の槍を受けた牡牛のように荒んでしまった。
    どうせ死ぬのだと思うとそこに世間もなければ主従もなかった。今までは主人だと思っていた相手の男がただ自分の生命を脅そうとしている一個の動物――それも凶悪な動物としか見えなかった。彼は奮然として攻撃に転じた。彼は「おうお」と叫びながら持っていた燭台を相手の面上を目がけて投げ打った。
    市九郎が防御のための防御をしているのを見て気を許してかかっていた主人の三郎兵衛は不意に投げつけられた燭台を受けかねて、その蝋受けの一角がしたたかに彼の右眼を打った。市九郎は相手のたじろぐ隙に脇差を抜くより早く飛びかかった。

    「おのれ、手向いするか!」と三郎兵衛は激怒した。市九郎は無言で付け入った。主人の三尺に近い太刀と市九郎の短い脇差とが二、三度激しく打ち合った。
    主従が必死になって十数合太刀を合わす間に主人の太刀先が二、三度低い天井をかすってしばしば太刀を操る自由を失おうとした。市九郎はそこへ付け入った。主人はその不利に気がつくと自由な戸外へ出ようとして二、三歩後退りして縁の外へ出た。その隙に市九郎がなおも付け入ろうとするのを主人は「えい」と苛だって切り下した。が、苛だったあまりその太刀は、縁側と座敷との間に垂れ下っている鴨居に不覚にも二、三寸切り込まれた。

    「しまった」と三郎兵衛が太刀を引こうとする隙に市九郎は踏み込んで主人の脇腹を思うさま横に薙いだのであった。
    あいてが倒れてしまった瞬間に市九郎は我にかえった。今まで興奮して朦朧としていた意識がようやく落着くと彼は自分が主殺しの大罪を犯したことに気がついて後悔と恐怖とのためにそこにへたばってしまった。

    夜は初更を過ぎていた。母屋と仲間部屋とは遠く隔っているので主従の恐ろしい格闘は母屋に住んでいる女中以外まだだれにも知られなかったらしい。その女中たちはこの激しい格闘に気を失い一間のうちに集ってただ身を震わせているだけであった。
    市九郎は深い悔恨にとらわれていた。一個の蕩児であり無頼の若武士ではあったけれどもまだ悪事と名の付くことは何もしていなかった。まして八逆の第一なる主殺しの大罪を犯そうとは彼の思いも付かぬことだった。彼は血の付いた脇差を取り直した。主人の妾と慇懃を通じてそのために成敗を受けようとした時、かえってその主人を殺すということはどう考えても彼にいいところはなかった。彼はまだびくびくと動いている主人の死体を尻眼にかけながら静かに自殺の覚悟を固めていた。するとその時次の間から今までの大きい圧迫から逃れ出たような声がした。

    「ほんとにまあ、どうなることかと思って心配したわ。お前が間二つにやられた後は私の番じゃあるまいかとさっきから屏風の後で息を凝らして見ていたの
    さ。ほんとうにいい塩梅だったね。こうなっちゃ、一刻も猶予はしていられないから有り金をさらって逃げるとしよう。まだ仲間たちは気がついていないようだから逃げるなら今のうちさ。
    乳母や女中などは台所の方でがたがた震えているらしいから、私が行ってじたばた騒がないようにいってこようよ。さあ! お前は有り金を探して下さいよ」というその声は確かに震えを帯びていた。が、そうした震えを女性としての強い意地で抑制して努めて平気を装っているらしかった。
    市九郎は――自分特有の動機を、すっかり失くしていた市九郎は、女の声をきくと、蘇ったように活気づいた。彼は、自分の意志で働くというよりも、女の意志によって働く傀儡のように立ち上ると、座敷に置いてある桐の茶箪笥に手をかけた。そして、その真白い木目に血に汚れた手形を付けながら引出しをあちらこちらと探し始めた。が、女――主人の妾のお弓が帰ってくるまでに、市九郎は、二朱銀の五両包をただ一つ見つけたばかりであった。お弓は台所から引っ返してきてその金を見ると、
    「そんな端金が、どうなるものかね」といいながら今度は自分でやけに引出しを引掻き回した。しまいには鎧櫃の中まで探したが、小判は一枚も出てきはしなかった。
    「名うての始末屋だから瓶にでも入れて土の中へでも埋めてあるのかも知れない」そう忌々しそうにいい切ると金目のありそうな衣類や印籠を手早く風呂敷包にした。
    こうして、この姦夫姦婦が、浅草田原町の旗本、中川三郎兵衛の家を出たのは、安永三年の秋の初めであった。後には、当年三歳になる三郎兵衛の一子実之助が父の非業の死も知らず乳母の懐にすやすや眠っているばかりであった.

  • 恩讐の彼方に(2)<br /><br />(2)市九郎と妾お弓の悪行<br /> 市九郎とお弓は、江戸を逐電してから、東海道はわざと避けて、人目を忍びながら、東山道を上方へと志した。市九郎は、主殺しの罪から、絶えず良心の苛責を受けていた。が、けんぺき茶屋の女中上がりの、莫連者のお弓は、市九郎が少しでも沈んだ様子を見せると、<br />「どうせ凶状持ちになったからにはいくらくよくよしてもしようがないじゃないか。度胸を据えて世の中を面白く暮すのが上分別さ」と、市九郎の心に明け暮れ悪の拍車を加えた。が、信州から木曾の藪原の宿まで来た時には二人の路用の金は百も残っていなかった。<br />二人は窮するにつれて悪事を働かねばならなかった。最初はこうした男女の組合せとしては、最もなしやすいつつもたせを稼業とした。そうして信州から尾州へかけての宿々で、往来の町人百姓の路用の金を奪っていた。初めのほどは女からの激しい教唆でつい悪事を犯し始めていた市九郎もついには悪事の面白さを味わい始めた。浪人姿をした市九郎に対して被害者の町人や百姓は金を取られながらすこぶる柔順であった。<br />悪事がだんだん進歩していった市九郎は、美人局からもっと単純な、手数のいらぬゆすりをやり最後には切取強盗を正当な稼業とさえ心得るようになった。<br />彼は、いつとなしに信濃から木曾へかかる鳥居峠に土着した。そして昼は茶店を開き、夜は強盗を働いた。<br />彼はもうそうした生活に、なんの躊躇をも、不安をも感じないようになっていた。金のありそうな旅人を狙って殺すと巧みにその死体を片づけた。一年に三、四度そうした罪を犯すと彼は優に一年の生活を支えることができた。<br /><br />それは、彼らが江戸を出てから三年目になる春の頃であった。参勤交代の北国大名の行列が二つばかり続いて通ったため木曾街道の宿々は近頃になく賑わった。ことにこの頃は信州を始め越後や越中からの伊勢参宮の客が街道に続いた。その中には京から大坂へと遊山の旅を延すのが多かった。市九郎は彼らの二、三人をたおしてその年の生活費を得たいと思っていた。木曾街道にも杉や檜に交って咲いた山桜が散り始める夕暮のことであった。市九郎の店に男女二人の旅人が立ち寄った。それは明らかに夫婦であった。男は三十を越していた。女は二十三、四であっただろう。供を連れない気楽な旅に出た信州の豪農の若夫婦らしかった。<br /> 市九郎は、二人のみなりを見ると、彼はこの二人を今年の犠牲者にしようかと思っていた。<br />「もう藪原の宿までいくらもあるまいな」<br />こういいながら男の方は市九郎の店の前で草鞋の紐を結び直そうとした。市九郎が返事をしようとする前にお弓が台所から出てきながら、<br />「さようでございます。もうこの峠を降りますれば半道もございません。まあ、ゆっくり休んでからになさいませ」といった。市九郎はお弓のこの言葉を聞くとお弓がすでに恐ろしい計画を自分に勧めようとしているのを覚えた。藪原の宿までにはまだ二里に余る道をもう何ほどもないようにいいくるめて旅人に気をゆるさせ、彼らの行程が夜に入るのに乗じて間道を走って宿の入口で襲うのが市九郎の常套の手段であった。その男はお弓の言葉をきくと、<br />「それならば、茶など一杯所望しようか」といいながら、もう彼らの第一の罠に陥ってしまった。女は赤い紐のついた旅の菅笠を取りはずしながら夫のそばに寄り添って腰をかけた。<br />彼らはここで小半刻も峠を登り切った疲れを休めると鳥目を置いて紫に暮れかかっている小木曾の谷に向って鳥居峠を降りていった。<br />二人の姿が見えなくなるとお弓はそれとばかり合図をした。市九郎は獲物を追う猟師のように脇差を腰にすると一散に二人の後を追った。本街道を右に折れて木曾川の流れに沿って険しい間道を急いだ。<br />市九郎が藪原の宿手前の並木道に来た時は春の長い日がまったく暮れて十日ばかりの月が木曾の山の彼方に登ろうとしてほの白い月しろのみが木曾の山々を微かに浮ばせていた。<br />市九郎は、街道に沿って生えている、一叢の丸葉柳の下に身を隠しながら夫婦の近づくのをおもむろに待っていた。彼も心の底では幸福な旅をしている二人の男女の生命を不当に奪うということがどんなに罪深いかということを考えずにはいなかった。が、一旦なしかかった仕事を中止して帰ることはお弓の手前彼の心にまかせぬことであった。<br /><br />彼は、この夫婦の血を流したくはなかった。なるべく相手が、自分の脅迫に二言もなく服従してくれればいいと思っていた。もし彼らが路用の金と衣装とを出すなら決して殺生はしまいと思っていた。彼の決心がようやく固まった頃に、街道の彼方から急ぎ足に近づいてくる男女の姿が見えた。<br />二人は、峠からの道が覚悟のほかに遠かったため疲れ切ったと見えお互いに助け合いながら無言のままに急いで来た。<br />二人が、丸葉柳の茂みに近づくと市九郎は、不意に街道の真ん中に突っ立った。そして、今までに幾度も口にして馴れている脅迫の言葉を浴せかけた。すると、男は必死になったらしく、道中差を抜くと、妻を後にかばいながら身構えした。市九郎は、ちょっと出鼻を折られた。が、彼は声を励まして「いやさ、旅の人、手向いしてあたら命を落すまいぞ。命までは取ろうといわぬのじゃ。有り金と衣類とをおとなしく出して行け!」と叫んだ。その顔を、相手の男はじーいっと見ていたが、<br />「やあ! 先程の峠の茶屋の主人ではないか」とその男は必死になって飛びかかってきた。市九郎はもうこれまでと思った。自分の顔を見覚えられた以上、自分たちの安全のためもうこの男女を生かすことはできないと思った。<br />相手が必死に切り込むのを巧みに引きはずしながら一刀を相手の首筋に浴びせた。見ると連れの女は、気を失ったように道の傍にうずくまりながらぶるぶると震えていた。<br />市九郎は、女を殺すに忍びなかった。が、彼は自分の危急には代えられぬと思った。男の方を殺して殺気立っている間にと思って血刀を振りかざしながら、彼は女に近づいた。女は両手を合わして市九郎に命を乞うた。市九郎はその瞳に見つめられるとどうしても刀を下ろせなかった。が、彼は殺さねばならぬと思った。この時市九郎の欲心はこの女を切って女の衣装を台なしにしてはつまらないと思った。そう思うと彼は腰に下げていた手拭をはずして女の首を絞った。市九郎は、二人を殺してしまうと急に人を殺した恐怖を感じて一刻もいたたまらないように思った。彼は二人の胴巻と衣類を奪うとあたふたとしてその場から一散に逃れた。彼は今まで十人に余る人殺しをしたもののそれは半白の老人とか、商人とか、そうした階級の者ばかりで若々しい夫婦づれを二人まで自分の手にかけたことはなかった。<br />彼は深い良心の苛責にとらわれながら帰ってきた。そして家に入るとすぐさま男女の衣装と金とを汚らわしいもののようにお弓の方へ投げやった。女は悠然としてまず金の方を調べてみた。金は思ったより少なく二十両をわずかに越しているばかりであった。<br />お弓は殺された女の着物を手に取ると、「まあ、黄八丈の着物に紋縮緬の襦袢だね。だが、お前さん、この女の頭のものはどうおしだい」と彼女は詰問するように、市九郎を顧みた。<br />「頭のもの!」と、市九郎は半ば返事をした。<br />「そうだよ。頭のものだよ。黄八丈に紋縮緬の着付けじゃ、頭のものだって、擬物の櫛や笄じゃあるまいじゃないか。わたしは、さっきあの女が菅笠を取った時にちらと睨んでおいたのさ。」と、お弓はのしかかるようにいった。殺した女の頭のもののことなどは夢にも思っていなかった市九郎はなんとも答えるすべがなかった。<br />「お前さん! まさか、取るのを忘れたのじゃあるまいね。 瑁だとすれば、七両や八両は確かだよ。駆け出しの泥棒じゃあるまいしなんのために殺生をするのだよ。あれだけの衣装を着た女を殺しておきながら頭のものに気がつかないとはお前はいつから泥棒稼業におなりなのだね。なんというどじをやる泥棒だろう。なんとか、いってごらん!」と、お弓は威たけ高になって市九郎に食ってかかってきた。<br />二人の若い男女を殺してしまった悔いに心の底まで冒されかけていた市九郎は、女の言葉から深く傷つけられた。彼は頭のものを取ることを忘れたという盗賊としての失策を或いは無能を悔いる心は少しもなかった。自分は、二人を殺したことを悪いことと思えばこそ、殺すことに気も転動して女がその頭に十両にも近い装飾を付けていることをまったく忘れていた。市九郎は、今でも忘れていたことを後悔する心は起らなかった。強盗に身を落して利欲のために人を殺しているものの悪鬼のように相手の骨まではしゃぶらなかったことを考えると、市九郎は悪い気持はしなかった。それにもかかわらずお弓は自分の同性が無残にも殺されて、その身に付けた下衣までが、殺戮者に対する貢物として、自分の目の前に晒されているのを見ながら、なおその飽き足らない欲心はさすが悪人の市九郎の目をこぼれた頭のものにまで及んでいる。そう考えると市九郎はお弓に対していたたまらないような浅ましさを感じた。<br />お弓は市九郎の心にこうした激変が起っているのをまったく知らないで、<br />「さあ! お前さん! 一走り行っておくれ。せっかくこっちの手に入っているものを遠慮するには当らないじゃないか」と、自分の言い分に十分な条理があることを信ずるように勝ち誇った表情をした。<br />が、市九郎は黙々として応じなかった。<br />「おや! お前さんの仕事のあらを拾ったのでお気に触ったと見えるね。本当にお前さんは行く気はないのかい。十両に近いもうけものをみすみすふいにしてしまうつもりかい」と、お弓は幾度も市九郎に迫った。<br />いつもはお弓のいうことを、良しとしてきく市九郎ではあったが、今彼の心は激しい動乱の中にあってお弓の言葉などは耳に入らないほど考え込んでいたのである。<br />「いくらいっても行かないのだね。それじゃ、私が一走り行ってこようよ。場所はどこなの。やっぱりいつものところなのかい」とお弓がいった。<br />お弓に対して抑えがたい嫌悪を感じ始めていた市九郎はお弓が一刻でも自分のそばにいなくなることを、むしろ喜んだ。<br />「知れたことよ。いつもの通り藪原の宿の手前の松並木さ」と、市九郎は吐き出すようにいった。「じゃ、一走り行ってくるから。幸い月の夜でそとは明るいし……。ほんとうにへまな仕事をするったらありゃしない」と、いいながら、お弓は裾をはしょって草履をつっかけると駆け出した。<br /><br />市九郎はお弓の後姿を見ていると浅ましさで心がいっぱいになってきた。死人の髪のものを剥ぐために血眼になって駆け出していく女の姿を見ると市九郎はその女にかつて愛情を持っていただけに、心の底から浅ましく思わずにはいられなかった。その上、自分が悪事をしている時、たとえ無残にも人を殺している時でも金を盗んでいる時でも自分がしているということが常に不思議な言い訳になってその浅ましさを感ずることが少なかったが、一旦人が悪事をなしているのを静かに傍観するとなるとその恐ろしさ、浅ましさが、あくまで明らかに、市九郎の目に映らずにはいなかった。自分が命を賭してまで得た女がわずか五両か十両のために女性の優しさのすべてを捨てて死骸に付く狼のように、殺された女の死骸を慕って駆けて行くのを見ると市九郎はもうこの罪悪の棲家にこの女と一緒に一刻もいたたまれなくなった。そう考え出すと、自分の今までに犯した悪事がいちいち蘇って自分の心を食い割いた。絞め殺した女の瞳や、血みどろになった繭商人の呻き声や一太刀浴せかけた白髪の老人の悲鳴などが、一団になって市九郎の良心を襲ってきた。彼は一刻も早く自分の過去から逃れたかった。彼は自分自身からさえも、逃れたかった。まして自分のすべての罪悪の萌芽であった女から極力逃れたかった。<br />彼は決然として立ち上った。彼は、二、三枚の衣類を風呂敷に包んだ。さっきの男から盗った胴巻を当座の路用として懐に入れたままで支度も整えずに、戸外に飛び出した。が、十間ばかり走り出した時、ふと自分の持っている金も衣類もことごとく盗んだものであるのに気がつくと、跳ね返されたように立ち戻って、自分の家の上りがまちへ衣類と金とを力一杯投げつけた。<br />彼は、お弓に会わないように、道でない道を木曾川に添って一散に走った。どこへ行くという当てもなかった。ただ自分の罪悪の根拠地から一寸でも一分でも遠いところへ逃れたかった。

    恩讐の彼方に(2)

    (2)市九郎と妾お弓の悪行
     市九郎とお弓は、江戸を逐電してから、東海道はわざと避けて、人目を忍びながら、東山道を上方へと志した。市九郎は、主殺しの罪から、絶えず良心の苛責を受けていた。が、けんぺき茶屋の女中上がりの、莫連者のお弓は、市九郎が少しでも沈んだ様子を見せると、
    「どうせ凶状持ちになったからにはいくらくよくよしてもしようがないじゃないか。度胸を据えて世の中を面白く暮すのが上分別さ」と、市九郎の心に明け暮れ悪の拍車を加えた。が、信州から木曾の藪原の宿まで来た時には二人の路用の金は百も残っていなかった。
    二人は窮するにつれて悪事を働かねばならなかった。最初はこうした男女の組合せとしては、最もなしやすいつつもたせを稼業とした。そうして信州から尾州へかけての宿々で、往来の町人百姓の路用の金を奪っていた。初めのほどは女からの激しい教唆でつい悪事を犯し始めていた市九郎もついには悪事の面白さを味わい始めた。浪人姿をした市九郎に対して被害者の町人や百姓は金を取られながらすこぶる柔順であった。
    悪事がだんだん進歩していった市九郎は、美人局からもっと単純な、手数のいらぬゆすりをやり最後には切取強盗を正当な稼業とさえ心得るようになった。
    彼は、いつとなしに信濃から木曾へかかる鳥居峠に土着した。そして昼は茶店を開き、夜は強盗を働いた。
    彼はもうそうした生活に、なんの躊躇をも、不安をも感じないようになっていた。金のありそうな旅人を狙って殺すと巧みにその死体を片づけた。一年に三、四度そうした罪を犯すと彼は優に一年の生活を支えることができた。

    それは、彼らが江戸を出てから三年目になる春の頃であった。参勤交代の北国大名の行列が二つばかり続いて通ったため木曾街道の宿々は近頃になく賑わった。ことにこの頃は信州を始め越後や越中からの伊勢参宮の客が街道に続いた。その中には京から大坂へと遊山の旅を延すのが多かった。市九郎は彼らの二、三人をたおしてその年の生活費を得たいと思っていた。木曾街道にも杉や檜に交って咲いた山桜が散り始める夕暮のことであった。市九郎の店に男女二人の旅人が立ち寄った。それは明らかに夫婦であった。男は三十を越していた。女は二十三、四であっただろう。供を連れない気楽な旅に出た信州の豪農の若夫婦らしかった。
     市九郎は、二人のみなりを見ると、彼はこの二人を今年の犠牲者にしようかと思っていた。
    「もう藪原の宿までいくらもあるまいな」
    こういいながら男の方は市九郎の店の前で草鞋の紐を結び直そうとした。市九郎が返事をしようとする前にお弓が台所から出てきながら、
    「さようでございます。もうこの峠を降りますれば半道もございません。まあ、ゆっくり休んでからになさいませ」といった。市九郎はお弓のこの言葉を聞くとお弓がすでに恐ろしい計画を自分に勧めようとしているのを覚えた。藪原の宿までにはまだ二里に余る道をもう何ほどもないようにいいくるめて旅人に気をゆるさせ、彼らの行程が夜に入るのに乗じて間道を走って宿の入口で襲うのが市九郎の常套の手段であった。その男はお弓の言葉をきくと、
    「それならば、茶など一杯所望しようか」といいながら、もう彼らの第一の罠に陥ってしまった。女は赤い紐のついた旅の菅笠を取りはずしながら夫のそばに寄り添って腰をかけた。
    彼らはここで小半刻も峠を登り切った疲れを休めると鳥目を置いて紫に暮れかかっている小木曾の谷に向って鳥居峠を降りていった。
    二人の姿が見えなくなるとお弓はそれとばかり合図をした。市九郎は獲物を追う猟師のように脇差を腰にすると一散に二人の後を追った。本街道を右に折れて木曾川の流れに沿って険しい間道を急いだ。
    市九郎が藪原の宿手前の並木道に来た時は春の長い日がまったく暮れて十日ばかりの月が木曾の山の彼方に登ろうとしてほの白い月しろのみが木曾の山々を微かに浮ばせていた。
    市九郎は、街道に沿って生えている、一叢の丸葉柳の下に身を隠しながら夫婦の近づくのをおもむろに待っていた。彼も心の底では幸福な旅をしている二人の男女の生命を不当に奪うということがどんなに罪深いかということを考えずにはいなかった。が、一旦なしかかった仕事を中止して帰ることはお弓の手前彼の心にまかせぬことであった。

    彼は、この夫婦の血を流したくはなかった。なるべく相手が、自分の脅迫に二言もなく服従してくれればいいと思っていた。もし彼らが路用の金と衣装とを出すなら決して殺生はしまいと思っていた。彼の決心がようやく固まった頃に、街道の彼方から急ぎ足に近づいてくる男女の姿が見えた。
    二人は、峠からの道が覚悟のほかに遠かったため疲れ切ったと見えお互いに助け合いながら無言のままに急いで来た。
    二人が、丸葉柳の茂みに近づくと市九郎は、不意に街道の真ん中に突っ立った。そして、今までに幾度も口にして馴れている脅迫の言葉を浴せかけた。すると、男は必死になったらしく、道中差を抜くと、妻を後にかばいながら身構えした。市九郎は、ちょっと出鼻を折られた。が、彼は声を励まして「いやさ、旅の人、手向いしてあたら命を落すまいぞ。命までは取ろうといわぬのじゃ。有り金と衣類とをおとなしく出して行け!」と叫んだ。その顔を、相手の男はじーいっと見ていたが、
    「やあ! 先程の峠の茶屋の主人ではないか」とその男は必死になって飛びかかってきた。市九郎はもうこれまでと思った。自分の顔を見覚えられた以上、自分たちの安全のためもうこの男女を生かすことはできないと思った。
    相手が必死に切り込むのを巧みに引きはずしながら一刀を相手の首筋に浴びせた。見ると連れの女は、気を失ったように道の傍にうずくまりながらぶるぶると震えていた。
    市九郎は、女を殺すに忍びなかった。が、彼は自分の危急には代えられぬと思った。男の方を殺して殺気立っている間にと思って血刀を振りかざしながら、彼は女に近づいた。女は両手を合わして市九郎に命を乞うた。市九郎はその瞳に見つめられるとどうしても刀を下ろせなかった。が、彼は殺さねばならぬと思った。この時市九郎の欲心はこの女を切って女の衣装を台なしにしてはつまらないと思った。そう思うと彼は腰に下げていた手拭をはずして女の首を絞った。市九郎は、二人を殺してしまうと急に人を殺した恐怖を感じて一刻もいたたまらないように思った。彼は二人の胴巻と衣類を奪うとあたふたとしてその場から一散に逃れた。彼は今まで十人に余る人殺しをしたもののそれは半白の老人とか、商人とか、そうした階級の者ばかりで若々しい夫婦づれを二人まで自分の手にかけたことはなかった。
    彼は深い良心の苛責にとらわれながら帰ってきた。そして家に入るとすぐさま男女の衣装と金とを汚らわしいもののようにお弓の方へ投げやった。女は悠然としてまず金の方を調べてみた。金は思ったより少なく二十両をわずかに越しているばかりであった。
    お弓は殺された女の着物を手に取ると、「まあ、黄八丈の着物に紋縮緬の襦袢だね。だが、お前さん、この女の頭のものはどうおしだい」と彼女は詰問するように、市九郎を顧みた。
    「頭のもの!」と、市九郎は半ば返事をした。
    「そうだよ。頭のものだよ。黄八丈に紋縮緬の着付けじゃ、頭のものだって、擬物の櫛や笄じゃあるまいじゃないか。わたしは、さっきあの女が菅笠を取った時にちらと睨んでおいたのさ。」と、お弓はのしかかるようにいった。殺した女の頭のもののことなどは夢にも思っていなかった市九郎はなんとも答えるすべがなかった。
    「お前さん! まさか、取るのを忘れたのじゃあるまいね。 瑁だとすれば、七両や八両は確かだよ。駆け出しの泥棒じゃあるまいしなんのために殺生をするのだよ。あれだけの衣装を着た女を殺しておきながら頭のものに気がつかないとはお前はいつから泥棒稼業におなりなのだね。なんというどじをやる泥棒だろう。なんとか、いってごらん!」と、お弓は威たけ高になって市九郎に食ってかかってきた。
    二人の若い男女を殺してしまった悔いに心の底まで冒されかけていた市九郎は、女の言葉から深く傷つけられた。彼は頭のものを取ることを忘れたという盗賊としての失策を或いは無能を悔いる心は少しもなかった。自分は、二人を殺したことを悪いことと思えばこそ、殺すことに気も転動して女がその頭に十両にも近い装飾を付けていることをまったく忘れていた。市九郎は、今でも忘れていたことを後悔する心は起らなかった。強盗に身を落して利欲のために人を殺しているものの悪鬼のように相手の骨まではしゃぶらなかったことを考えると、市九郎は悪い気持はしなかった。それにもかかわらずお弓は自分の同性が無残にも殺されて、その身に付けた下衣までが、殺戮者に対する貢物として、自分の目の前に晒されているのを見ながら、なおその飽き足らない欲心はさすが悪人の市九郎の目をこぼれた頭のものにまで及んでいる。そう考えると市九郎はお弓に対していたたまらないような浅ましさを感じた。
    お弓は市九郎の心にこうした激変が起っているのをまったく知らないで、
    「さあ! お前さん! 一走り行っておくれ。せっかくこっちの手に入っているものを遠慮するには当らないじゃないか」と、自分の言い分に十分な条理があることを信ずるように勝ち誇った表情をした。
    が、市九郎は黙々として応じなかった。
    「おや! お前さんの仕事のあらを拾ったのでお気に触ったと見えるね。本当にお前さんは行く気はないのかい。十両に近いもうけものをみすみすふいにしてしまうつもりかい」と、お弓は幾度も市九郎に迫った。
    いつもはお弓のいうことを、良しとしてきく市九郎ではあったが、今彼の心は激しい動乱の中にあってお弓の言葉などは耳に入らないほど考え込んでいたのである。
    「いくらいっても行かないのだね。それじゃ、私が一走り行ってこようよ。場所はどこなの。やっぱりいつものところなのかい」とお弓がいった。
    お弓に対して抑えがたい嫌悪を感じ始めていた市九郎はお弓が一刻でも自分のそばにいなくなることを、むしろ喜んだ。
    「知れたことよ。いつもの通り藪原の宿の手前の松並木さ」と、市九郎は吐き出すようにいった。「じゃ、一走り行ってくるから。幸い月の夜でそとは明るいし……。ほんとうにへまな仕事をするったらありゃしない」と、いいながら、お弓は裾をはしょって草履をつっかけると駆け出した。

    市九郎はお弓の後姿を見ていると浅ましさで心がいっぱいになってきた。死人の髪のものを剥ぐために血眼になって駆け出していく女の姿を見ると市九郎はその女にかつて愛情を持っていただけに、心の底から浅ましく思わずにはいられなかった。その上、自分が悪事をしている時、たとえ無残にも人を殺している時でも金を盗んでいる時でも自分がしているということが常に不思議な言い訳になってその浅ましさを感ずることが少なかったが、一旦人が悪事をなしているのを静かに傍観するとなるとその恐ろしさ、浅ましさが、あくまで明らかに、市九郎の目に映らずにはいなかった。自分が命を賭してまで得た女がわずか五両か十両のために女性の優しさのすべてを捨てて死骸に付く狼のように、殺された女の死骸を慕って駆けて行くのを見ると市九郎はもうこの罪悪の棲家にこの女と一緒に一刻もいたたまれなくなった。そう考え出すと、自分の今までに犯した悪事がいちいち蘇って自分の心を食い割いた。絞め殺した女の瞳や、血みどろになった繭商人の呻き声や一太刀浴せかけた白髪の老人の悲鳴などが、一団になって市九郎の良心を襲ってきた。彼は一刻も早く自分の過去から逃れたかった。彼は自分自身からさえも、逃れたかった。まして自分のすべての罪悪の萌芽であった女から極力逃れたかった。
    彼は決然として立ち上った。彼は、二、三枚の衣類を風呂敷に包んだ。さっきの男から盗った胴巻を当座の路用として懐に入れたままで支度も整えずに、戸外に飛び出した。が、十間ばかり走り出した時、ふと自分の持っている金も衣類もことごとく盗んだものであるのに気がつくと、跳ね返されたように立ち戻って、自分の家の上りがまちへ衣類と金とを力一杯投げつけた。
    彼は、お弓に会わないように、道でない道を木曾川に添って一散に走った。どこへ行くという当てもなかった。ただ自分の罪悪の根拠地から一寸でも一分でも遠いところへ逃れたかった。

  • 恩讐の彼方に(3)<br />(3)仏門に入り大誓願<br />二十里に余る道を、市九郎は、山野の別なく唯一息に馳せて、明くる日の昼下り、美濃国の大垣在の浄願寺に駆け込んだ。彼は、最初からこの寺を志してきたのではない。彼の遁走の中途、偶然この寺の前に出た時、彼の惑乱した懺悔の心は、ふと宗教的な光明にすがってみたいという気になったのである。<br />浄願寺は、美濃一円真言宗の僧録であった。市九郎は、現往明遍大徳衲の袖に縋って、懺悔のまことをいたしたい。上人はさすがに、この極重悪人をも捨てなかった。市九郎が有司の下に自首しようかというのを止めて、<br />「重ね重ねの悪業を重ねた汝じゃから、有司の手によって身を梟木(きょうぼく)に晒され、現在の報いを自ら受くるのも一法じゃが、それでは未来永劫、焦熱地獄の苦艱(くげん)を受けておらねばならぬぞよ。それよりも、仏道に帰依し、衆生済度のために、身命を捨てて人々を救うと共に、汝自身を救うのが肝心じゃ」と、教化した。<br />市九郎は上人の言葉をきいてまたさらに懺悔の火に心を爛らせて、当座に出家の志を定めた。彼は上人の手によって得度して了海と法名を呼ばれ、ひたすら仏道修行に肝胆を砕いたが、道心勇猛のために、わずか半年に足らぬ修行に、行業は氷霜よりも皓く、朝には三密の行法を凝らし、夕には秘密念仏の安座を離れず、二行彬々として豁然智度の心萌し天晴れの知識となりすました。彼は自分の道心が定まってもう動かないのを自覚すると師の坊の許しを得て諸人救済の大願を起し、諸国雲水の旅に出たのであった。<br />美濃の国を後にしてまず京洛の地を志した。彼は幾人もの人を殺しながら、たとえ僧形の姿なりとも自分が生き永らえているのが心苦しかった。諸人のため、身を粉々に砕いて自分の罪障の万分の一をも償いたいと思っていた。ことに自分が木曾山中にあって行人をなやませたことを思うと道中の人々に対して償い切れぬ負担を持っているように思われた。<br />行住座臥にも人のためを思わぬことはなかった。道路に難渋の人を見ると彼は手を引き、腰を押して、その道中を助けた。病に苦しむ老幼を負って数里に余る道を遠しとしなかったこともあった。本街道を離れた村道の橋でも破壊されている時は、彼は自ら山に入って、木を切り、石を運んで修繕した。道の崩れたのを見れば土砂を運び来って繕った。かくして、畿内から中国を通して、ひたすら善根を積むことに腐心したが、身に重なれる罪は、空よりも高く積む善根は土地よりも低きを思うと、彼は今更に半生の悪業の深きを悲しんだ。市九郎は些細な善根によって自分の極悪が償いきれぬことを知って心を暗うした。逆旅の寝覚めにはかかる頼母しからぬ報償をしながら、なお生を貪っていることがはなはだ腑甲斐ないように思われて自ら殺したいと思ったことさえあった。が、そのたびごとに不退転の勇を翻し諸人救済の大業をなすべき機縁のいたらぬことを祈念した。<br /><br />享保九年の秋であった。彼は、赤間ヶ関から小倉に渡り、豊前の国、宇佐八幡宮を拝し、山国川をさかのぼって耆闍崛山羅漢寺に詣でんものと、四日市から南に赤土の茫々たる野原を過ぎ道を山国川の渓谷に添って辿った。<br />筑紫の秋は駅路の宿りごとに更けて雑木の森には櫨赤く爛れ、野には稲黄色く稔り、農家の軒にはこの辺の名物の柿が真紅の珠を連ねていた。<br />それは八月に入って間もないある日であった。彼は秋の朝の光の輝く山国川の清冽な流れを右に見ながら、三口から仏坂の山道を越えて、昼近き頃樋田の駅に着いた。淋しい駅で昼食の斎にありついた後、再び山国谷に添うて南を指した。樋田駅から出はずれると、道はまた山国川に添うて火山岩の河岸を伝って走っていた。歩みがたい石高道を市九郎は杖を頼りに辿っていた時、ふと道のそばにこの辺の農夫であろう、四、五人の人々が罵り騒いでいるのを見た。<br />市九郎が近づくと、その中の一人は早くも市九郎の姿を見つけて、<br />「これはよいところへ来られた。非業の死を遂げた哀れな亡者じゃ。通りかかられた縁に、一遍の回向をして下され」といった。<br />非業の死だときいた時、剽賊のためにあやめられた旅人の死骸ではあるまいかと思うて市九郎は過去の悪業を思い起して、刹那に湧く悔恨の心に両脚の竦むのをおぼえた。<br /><br />「見れば水死人のようじゃが、ところどころ皮肉の破れているのはいかがした子細じゃ」と、市九郎は、恐る恐るきいた。<br />「御出家は旅の人と見えてご存じあるまいがこの川を半町も上れば鎖渡しという難所がある。山国谷第一の切所で南北往来の人馬がことごとく難儀するところじゃが、この男はこの川上柿坂郷に住んでいる馬子じゃが、今朝鎖渡しの中途で馬が狂うたため五丈に近いところを真っ逆様に落ちて見られる通りの無残な最期じゃ」と、その中の一人がいった。<br /><br />「鎖渡しと申せば、かねがね難所とは聞いていたが、かようなあわれを見ることは、たびたびござるのか」と、市九郎は、死骸を見守りながら打ちしめってきいた。<br />「一年に三、四人、多ければ十人も思わぬ憂き目を見ることがある。無双の難所ゆえに、風雨に桟が朽ちても、修繕も思うにまかせぬのじゃ」と、答えながら、百姓たちは死骸の始末にかかっていた。<br />市九郎はこの不幸な遭難者に一遍の経を読むと足を早めてその鎖渡しへと急いだ。 そこまでは、もう一町もなかった。見ると、川の左に聳える荒削りされたような山が、山国川に臨むところで、十丈に近い絶壁に切り立たれて、そこに灰白色のぎざぎざした襞の多い肌を露出しているのであった。山国川の水は、その絶壁に吸い寄せられたようにここに慕い寄って絶壁の裾を洗いながら濃緑の色を湛えて渦巻いている。<br />里人らが鎖渡しといったのはこれだろうと彼は思った。道はその絶壁に絶たれ、その絶壁の中腹を松、杉などの丸太を鎖で連ねた桟道が危げに伝っている。かよわい婦女子でなくとも俯して五丈に余る水面を見、仰いで頭を圧する十丈に近い絶壁を見る時は、魂消え、心戦くも理りであった。<br />市九郎は、岩壁に縋りながら、戦く足を踏み締めてようやく渡り終ってその絶壁を振り向いた刹那、彼の心にはとっさに大誓願が、勃然として萌した。<br /><br />積むべき贖罪のあまりに小さかった彼は自分が精進勇猛の気を試すべき難業にあうことを祈っていた。今目前に行人が艱難し一年に十に近い人の命を奪う難所を見た時、彼は自分の身命を捨ててこの難所を除こうという思いつきが旺然として起ったのも無理ではなかった。二百余間に余る絶壁を掘貫いて道を通じようという不敵な誓願が彼の心に浮かんできたのである。<br />市九郎は自分が求め歩いたものがようやくここで見つかったと思った。一年に十人を救えば十年には百人、百年、千年と経つうちには千万の人の命を救うことができると思ったのである。<br />こう決心すると、彼は、一途に実行に着手した。その日から、羅漢寺の宿坊に宿りながら、山国川に添うた村々を勧化して、隧道開鑿の大業の寄進を求めた。<br />が、何人もこの風来僧の言葉に、耳を傾ける者はなかった。<br />「三町をも超える大盤石を掘貫こうという風狂人じゃ、はははは」と、嗤うものは、まだよかった。「大騙りじゃ。針のみぞから天を覗くようなことを言い前にして、金を集めようという、大騙りじゃ」と、中には市九郎の勧説に、迫害を加うる者さえあった。<br /><br />恩讐の彼方に(4)<br /><br />(3)苦難の隧道開鑿に挑む<br /> 市九郎は、十日の間、徒らな勧進に努めたが、なんびとも耳を傾けぬのを知ると奮然として、独力でこの大業に当ることを決心した。彼は石工の持つ槌とのみを手に入れてこの大絶壁の一端に立った。それは一個のカリカチュアであった。削り落しやすい火山岩であるとはいえ、川を圧して聳え立つえんえん蜿蜒たる大絶壁を市九郎は己一人の力で掘貫こうとするのであった。<br />「とうとう気が狂った!」と、行人は、市九郎の姿を指しながら嗤った。<br /> が、市九郎は屈しなかった。山国川の清流に沐浴して観世音菩薩を祈りながら、渾身の力を籠めて第一の槌を下した。<br />それに応じて、ただ二、三片の砕片が、飛び散ったばかりであった。が、再び力を籠めて第二の槌を下した。更に二、三片の小塊が巨大なる無限大の大塊から分離したばかりであった。第三、第四、第五と市九郎は懸命に槌を下した。空腹を感ずれば、近郷を托鉢し、腹満つれば絶壁に向って槌を下した。懈怠の心を生ずれば、只真言を唱えて勇猛の心を振い起した。一日、二日、三日、市九郎の努力は間断なく続いた。旅人はそのそばを通るたびに嘲笑の声を送った。が、市九郎の心は、そのために須臾も撓むことはなかった。嗤笑の声を聞けば、彼はさらに槌を持つ手に力を籠めた。<br />やがて、市九郎は、雨露を凌ぐために、絶壁に近く木小屋を立てた。朝は、山国川の流れが星の光を写す頃から起き出て、夕は瀬鳴の音が静寂の天地に澄みかえる頃までも止めなかった。が、行路の人々はなお嗤笑の言葉を止めなかった。<br />「身のほどを知らぬたわけじゃ」と市九郎の努力を眼中におかなかった。<br /> が、市九郎は一心不乱に槌を振った。槌を振っていてさえすれば彼の心には何の雑念も起らなかった。人を殺した悔恨もそこには無かった。極楽に生れようという欣求もなかった。ただそこに、晴々した精進の心があるばかりであった。彼は出家して以来、夜ごとの寝覚めに身を苦しめた自分の悪業の記憶が日に薄らいでいくのを感じた。彼はますます勇猛の心を振い起してひたすら専念に槌を振った。<br /><br />新しい年が来た。春が来て、夏が来て、早くも一年が経った。市九郎の努力は、空しくはなかった。大絶壁の一端に、深さ一丈に近い洞窟が穿たれていた。それは、ほんの小さい洞窟ではあったが、市九郎の強い意志は、最初の爪痕を明らかに止めていた。が、近郷の人々はまた市九郎を嗤った。<br />「あれ見られい! 狂人坊主があれだけ掘りおった。一年の間、もがいてたったあれだけじゃ……」と、嗤った。が、市九郎は自分の掘り穿った穴を見ると、涙の出るほど嬉しかった。それはいかに浅くとも、自分が精進の力の如実に現れているものに相違なかった。市九郎は年を重ねてまた更に振い立った。夜は如法の闇に昼もなお薄暗い洞窟のうちに端座してただ右の腕のみを狂気のごとくに振っていた。市九郎にとって右の腕を振ることのみが彼の宗教的生活のすべてになってしまった。<br />洞窟の外には、日が輝き月が照り、雨が降り嵐が荒んだ。が、洞窟の中には、間断なき槌の音のみがあった。<br /> 二年の終わりにも、里人はなお嗤笑を止めなかった。が、それはもう声にまでは出てこなかった。ただ、市九郎の姿を見た後、顔を見合せて互いに嗤い合うだけであった。更に一年経った。市九郎の槌の音は山国川の水声と同じく不断に響いていた。村の人たちはもうなんともいわなかった。彼らが嗤笑の表情はいつの間にか驚異のそれに変っていた。市九郎は梳らざれば、頭髪はいつの間にか伸びて双肩を覆い湯浴しないので、垢づきて人間とも見えなかった。が、彼は自分が掘り穿った洞窟のうちに、獣のごとく蠢きながら、狂気のごとくその槌を振いつづけていたのである。<br />里人の驚異はいつの間にか同情に変っていた。市九郎がしばしの暇を窃んで、托鉢の行脚に出かけようとすると洞窟の出口に思いがけなく一椀の斎を見出すことが多くなった。市九郎はそのために托鉢に費やすべき時間を更に絶壁に向うことができた。<br />四年目の終りが来た。市九郎の掘り穿った洞窟は、もはや五丈の深さに達していた。その三町を超ゆる絶壁に比ぶればそこになお、亡羊の嘆があった。里人は市九郎の熱心に驚いたものの、いまだ、かくばかり見えすいた徒労に合力するものは一人もなかった。市九郎はただ独りその努力を続けねばならなかった。、もう掘り穿つ仕事において三昧に入った市九郎はただ槌を振うほかは何の存念もなかった。ただ土鼠のように命のある限り掘り穿っていくほかには何の他念もなかった。彼はただ一人拮々として掘り進んだ。洞窟の外には春去って秋来り、四時の風物が移り変ったが、洞窟の中には不断の槌の音のみが響いた。<br />「可哀そうな坊様じゃ。ものに狂ったとみえあの大盤石を穿っていくわ。十の一も穿ち得ないでおのれが命を終ろうものを」と、行路の人々は市九郎の空しい努力を悲しみ始めた。一年経ち二年経ち、ちょうど九年目の終りに穴の入口より奥まで二十二間を計るまでに掘り穿った。<br /><br />樋田郷の里人は初めて市九郎の事業の可能性に気がついた。一人の痩せた乞食僧が九年の力でこれまで掘り穿ち得るものならば人を増し歳月を重ねたならば、この大絶壁を穿ち貫くことも必ずしも不思議なことではないという考えが里人らの胸の中に銘ぜられてきた。九年前、市九郎の勧進をこぞって斥けた山国川に添う七郷の里人は、今度は自発的に開鑿の寄進に付いた。数人の石工が市九郎の事業を援けるために雇われた。もう、市九郎は孤独ではなかった。岩壁に下す多数の槌の音は勇ましく賑やかに洞窟の中からもれ始めた。<br /><br />翌年になって里人たちが工事の進み方を測った時それがまだ絶壁の四分の一にも達していないのを発見すると里人たちは再び落胆疑惑の声をもらした。<br />「人を増しても、とても成就はせぬことじゃ。あたら了海どのに騙かされて要らぬ物入りをした」と、彼らははかどらぬ工事にいつの間にか倦ききっておった。市九郎はまた独り取り残されねばならなかった。彼は自分のそばに槌を振る者が一人減り二人減り、ついには一人もいなくなったのに気がついた。が、彼は決して去る者を追わなかった。黙々として自分一人その槌を振い続けたのみである。<br /><br />里人の注意はまったく市九郎の身辺から離れてしまった。ことに洞窟が深く穿たれれば穿たれるほどその奥深く槌を振う市九郎の姿は行人の目から遠ざかっていった。人々は闇のうちに閉された洞窟の中を透し見ながら、<br />「了海さんはまだやっているのかなあ」と疑った。そうした注意もしまいにはだんだん薄れてしまって、市九郎の存在は里人の念頭からしばしば消失せんとした。が、市九郎の存在が里人に対して没交渉であるがごとく里人の存在もまた市九郎に没交渉であった。彼にはただ眼前の大岩壁のみが存在するばかりであった。<br /><br />しかし、市九郎は、洞窟の中に端座してからもはや十年にも余る間、暗澹たる冷たい石の上に座り続けていたために顔は色蒼ざめ双の目が窪んで、肉は落ち骨あらわれこの世に生ける人とも見えなかった。が、市九郎の心には不退転の勇猛心がしきりに燃え盛って、ただ一念に穿ち進むほかは何物もなかった。一分でも一寸でも岸壁の削り取られるごとに彼は歓喜の声を揚げた。<br /><br />市九郎はただ一人取り残されたままにまた三年を経た。すると、里人たちの注意は再び市九郎の上に帰りかけていた。彼らがほんの好奇心から洞窟の深さを測ってみると全長六十五間、川に面する岩壁には、採光の窓が一つ穿たれもはや、この大岩壁の三分の一は主として市九郎の瘠腕によって貫かれていることが分かった。<br />彼らは再び驚異の目を見開いた。彼らは過去の無知を恥じた。市九郎に対する尊崇の心は再び彼らの心に復活した。やがて、寄進された十人に近い石工の槌の音が再び市九郎のそれに和した。<br />また一年経った。一年の月日が経つうちに、里人たちはいつかしら目先の遠い出費を悔い始めていた。<br />寄進の人夫はいつの間にか一人減り二人減って、おしまいには市九郎の槌の音のみが洞窟の闇を打ち震わしていた。が、そばに人がいてもいなくても市九郎の槌の力は変らなかった。彼はただ機械のごとく渾身の力を入れて槌を挙げ、渾身の力をもってこれを振り降ろした。彼は自分の一身をさえ忘れていた。主を殺したことも剽賊を働いたことも人を殺したこともすべては彼の記憶のほかに薄れてしまっていた。<br /><br />一年経ち、二年経った。一念の動くところ彼の瘠せた腕は鉄のごとく屈しなかった。ちょうど十八年目の終りであった。彼はいつの間にか岩壁の二分の一を穿っていた。里人はこの恐ろしき奇跡を見るともはや市九郎の仕事を少しも疑わなかった。彼らは、前二回の懈怠を心から恥じ七郷の人々合力の誠を尽くし、こぞって市九郎を援け始めた。その年、中津藩の郡奉行が巡視して市九郎に対して奇特の言葉を下した。近郷近在から三十人に近い石工があつめられた。工事は枯葉を焼く火のように進んだ。<br />人々は、衰残の姿いたいたしい市九郎に、<br />「もはや、そなたは石工共の統領をなさりませ。自ら槌を振うには及びませぬ」と勧めたが市九郎は頑として応じなかった。彼はたおるれば槌を握ったままと、思っているらしかった。彼は三十の石工がそばに働くのも知らぬように寝食を忘れ懸命の力を尽くすこと少しも前と変らなかった。<br /><br />人々が市九郎に休息を勧めたのも無理ではなかった。二十年にも近い間、日の光も射さぬ岩壁の奥深く座り続けたためであろう。彼の両脚は長い端座に傷み、いつの間にか屈伸の自在を欠いていた。彼は、わずかの歩行にも杖に縋らねばならなかった。<br />その上、長い間、闇に座して、日光を見なかったためでもあろう。また不断に、彼の身辺に飛び散る砕けた石の砕片が、その目を傷つけたためでもあろう。彼の両目は朦朧として光を失い、もののいろあいもわきまえかねるようになっていた。さすがに、不退転の市九郎も身に迫る老衰を痛む心はあった。身命に対する執着はなかったけれど、中道にしてたおれることを何よりも無念と思ったからであった。<br />「もう二年の辛抱じゃ」と、彼は心のうちに叫んで身の老衰を忘れようと、懸命に槌を振うのであった。<br />冒しがたき大自然の威厳を示して市九郎の前に立ち塞がっていた岩壁は、いつの間にか衰残の乞食僧一人の腕に貫かれて、その中腹を穿つ洞窟は命ある者のごとく、一路その核心を貫かんとしているのであった。<br /><br />(4)親の仇<br />市九郎の健康は過度の疲労によって痛ましく傷つけられていたが、彼にとって、それよりももっと恐ろしい敵が彼の生命を狙っているのであった。<br />市九郎のために非業の横死を遂げた中川三郎兵衛は家臣のために殺害されたため、家事不取締とあって家は取り潰されその時三歳であった一子実之助は縁者のために養い育てられることになった。<br />実之助は、十三になった時、初めて自分の父が非業の死を遂げたことを聞いた。ことに、相手が対等の士人でなくして、自分の家に養われた奴僕であることを知ると、少年の心は、無念の憤りに燃えた。彼は即座に復讐の一義を肝深く銘じた。彼は、馳せて柳生の道場に入った。十九の年に免許皆伝を許されると、彼はただちに報復の旅に上ったのである。もし、首尾よく本懐を達して帰れば、一家再興の肝煎りもしようという、親類一同の激励の言葉に送られながら。<br /><br />実之助は馴れぬ旅路に多くの艱難を苦しみながら諸国を遍歴してひたすら敵市九郎の所在を求めた。市九郎をただ一度さえ見たこともない実之助にとっては、それは雲をつかむがごときおぼつかなき捜索であった。五畿内、東海、東山、山陰、山陽、北陸、南海と、彼は漂泊の旅路に年を送り年を迎え、二十七の年まで空虚な遍歴の旅を続けた。敵に対する怨みも憤りも、旅路の艱難に消磨せんとすることたびたびであった。が、非業に殪れた父の無念を思い、中川家再興の重任を考えると、奮然と志を奮い起すのであった。<br /><br />江戸を立ってからちょうど九年目の春を、彼は福岡の城下に迎えた。本土を空しく尋ね歩いた後に、辺陲の九州をも探ってみる気になったのである。福岡の城下から中津の城下に移った彼は二月に入った一日、宇佐八幡宮に賽して、本懐の一日も早く達せられんことを祈念した。実之助は、参拝を終えてから境内の茶店に憩うた。その時に、ふと彼はそばの百姓体の男が居合せた参詣客に、<br />「その御出家は、元は江戸から来たお人じゃげな。若い時に人を殺したのを懺悔して、諸人済度の大願を起したそうじゃが、今いうた樋田の刳貫は、この御出家一人の力でできたものじゃ」と語るのを耳にした。<br /><br />この話を聞いた実之助は、九年この方いまだ感じなかったような興味を覚えた。彼はやや急き込みながら、「率爾ながら、少々ものを尋ねるが、その出家と申すは年の頃はどれぐらいじゃ」ときいた。その男は自分の談話が武士の注意をひいたことを光栄であると思ったらしく、<br />「さようでございますな。私はその御出家を拝んだことはございませぬが、人の噂ではもう六十に近いと申します」<br />「丈は高いか、低いか」と、実之助はたたみかけてきいた。<br />「それもしかとは分かりませぬ。何様、洞窟の奥深くいられるゆえ、しかとは分かりませぬ」<br />「その者の俗名は、なんと申したか存ぜぬか」<br />「それも、とんと分かりませんが、お生れは越後の柏崎で若い時に江戸へ出られたそうでござります」と、百姓は答えた。<br /> ここまできいた実之助は、躍り上って欣んだ。彼が、江戸を立つ時に、親類の一人は、敵は越後柏崎の生れゆえ、故郷へ立ち回るかも計りがたい、越後は一入心を入れて探索せよという注意を受けていたのであった。<br />実之助はこれぞ正しく宇佐八幡宮の神託なりと勇み立った。彼はその老僧の名と、山国谷に向う道をきくと、もはや八つ刻を過ぎていたにもかかわらず、必死の力を双脚に籠めて、敵の所在へと急いだ。その日の初更近く、樋田村に着いた実之助は、ただちに洞窟へ立ち向おうと思ったが、焦ってはならぬと思い返して、その夜は樋田駅の宿に焦慮の一夜を明かすと、翌日は早く起き出でて軽装して樋田の刳貫へと向った。<br />刳貫の入口に着いた時、彼はそこに石の砕片を運び出している石工に尋ねた。<br />「この洞窟の中に、了海といわれる御出家がおわすそうじゃがそれに相違ないか」<br />「おわさないでなんとしょう。了海様は、この洞の主も同様な方じゃ。はははは」と石工は心なげに笑った。<br />実之助は本懐を達することはや眼前にありと欣び勇んだ。が、彼はあわててはならぬと思った。<br />「して、出入り口はここ一カ所か」ときいた。敵に逃げられてはならぬと思ったからである。<br />「それは知れたことじゃ。向うへ口を開けるために、了海様は塗炭の苦しみをなさっているのじゃ」と、石工が答えた。<br />実之助は、多年の怨敵が嚢中の鼠のごとく目前に置かれてあるのを欣んだ。たとえ、その下に使わるる石工が幾人いようとも切り殺すに何の造作もあるべきと勇み立った。<br />「其方に少し頼みがある。了海どのに御意得たいため遥々と尋ねて参った者じゃと伝えてくれ」といった。石工が洞窟の中へはいった後で、実之助は一刀の目くぎを湿した。彼は心のうちで生来初めてめぐりあう敵の容貌を想像した。洞門の開鑿を統領しているといえば五十は過ぎているとはいえ筋骨たくましき男であろう。ことに若年の頃には、兵法に疎からざりしというのであるから、ゆめ油断はならぬと思っていた。<br /><br />しばらくして実之助の面前へと洞門から出てきた一人の乞食僧があった。それは、出てくるというよりも、蟇のごとく這い出てきたという方が適当であった。それは、人間というよりも、むしろ、人間の残骸というべきであった。肉ことごとく落ちて骨あらわれ、脚の関節以下はところどころただれて、長く正視するに堪えなかった。破れた法衣によって、僧形とは知れるものの、頭髪は長く伸びて皺だらけの額をおおっていた。老僧は灰色をなした目をしばたたきながら実之助を見上げて、<br />「老眼衰えはてましていずれの方ともわきまえかねまする」といった。<br />実之助の極度にまで張り詰めてきた心はこの老僧を一目見た刹那たじたじとなってしまっていた。彼は心の底から憎悪を感じ得るような悪僧を欲していた。しかるに彼の前には人間とも死骸ともつかぬ半死の老僧が蹲っているのである。実之助は失望し始めた自分の心を励まして、<br />「そのもとが了海といわるるか」と、意気込んできいた。<br />「いかにも、さようでござります。してそのもとは」と、老僧は訝しげに実之助を見上げた。<br />「了海とやら、いかに僧形に身をやつすとも、よも忘れはいたすまい。汝、市九郎と呼ばれし若年の砌、主人中川三郎兵衛を打って立ち退いた覚えがあろう。某は三郎兵衛の一子実之助と申すものじゃ。もはや、逃れぬところと覚悟せよ」<br />と、実之助の言葉はあくまで落着いていたが、そこに一歩も許すまじき厳正さがあった。<br />市九郎は実之助の言葉をきいて少しもおどろかなかった。<br />「いかさま、中川様の御子息、実之助様か。いやお父上を打って立ち退いた者、この了海に相違ござりませぬ」と、彼は自分を敵と狙う者に会ったというよりも、旧主の遺児に会った親しさをもって答えたが、実之助は、市九郎の声音に欺かれてはならぬと思った。<br /><br />「主を打って立ち退いた非道の汝を討つために十年に近い年月を艱難のうちに過したわ。ここで会うからはもはや逃れぬところと尋常に勝負せよ」といった。<br /> 市九郎は、少しも悪怯れなかった。もはや期年のうちに成就すべき大願を見果てずして死ぬことがやや悲しまれたがそれもおのれが悪業の報いであると思うと彼は死すべき心を定めた。<br />「実之助様、いざお切りなされい。おきき及びもなされたろうが、これは了海めが罪亡しに掘り穿とうと存じた洞門でござるが、十九年の歳月を費やして、九分までは竣工いたした。了海、身を果つとももはや年を重ねずして成り申そう。御身の手にかかりこの洞門の入口に血を流して人柱となり申さばはや思い残すこともござりませぬ」といいながら、彼は見えぬ目をしばたたいたのである。<br />実之助はこの半死の老僧に接していると、親の敵に対して懐いていた憎しみが、いつの間にか消え失せているのを覚えた。敵は父を殺した罪の懺悔に身心を粉に砕いて、半生を苦しみ抜いている。しかも、自分が一度名乗りかけると、唯々として命を捨てようとしているのである。かかる半死の老僧の命を取ることが、なんの復讐であるかと実之助は考えたのである。が、しかしこの敵を打たざる限りは多年の放浪を切り上げて江戸へ帰るべきよすがはなかった。まして家名の再興などは思いも及ばぬことであったのである。実之助は憎悪よりもむしろ打算の心からこの老僧の命を縮めようかと思った。が、激しい燃ゆるがごとき憎悪を感ぜずして打算から人間を殺すことは実之助にとって忍びがたいことであった。彼は消えかかろうとする憎悪の心を励ましながら、打ち甲斐なき敵を打とうとしたのである。<br /><br />その時であった。洞窟の中から走り出て来た五、六人の石工は、市九郎の危急を見ると、挺身して彼を庇いながら「了海様をなんとするのじゃ」と、実之助を咎めた。彼らの面には、仕儀によっては許すまじき色がありありと見えた。<br />「子細あって、その老僧を敵と狙い、端なくも今日めぐりおうて、本懐を達するものじゃ。妨げいたすと、余人なりとも容赦はいたさぬぞ」と、実之助は凜然といった。<br />そのうちに、石工の数は増え、行路の人々が幾人となく立ち止って彼らは実之助を取り巻きながら市九郎の身体に指の一本も触れさせまいと銘々にいきまき始めた。<br />「敵を討つ討たぬなどはそれはまだ世にあるうちのことじゃ。見らるる通り、了海どのは、染衣薙髪の身である上に、この山国谷七郷の者にとっては、持地菩薩の再来とも仰がれる方じゃ」と、そのうちのある者は、実之助の敵討ちを、叶わぬ非望であるかのようにいい張った。<br /><br />こう周囲の者から妨げられると実之助の敵に対する怒りはいつの間にか蘇っていた。彼は武士の意地として手をこまねいて立ち去るべきではなかった。<br />「たとい沙門の身なりとも、主殺しの大罪は免れぬぞ。親の敵を討つ者を妨げいたす者は一人も容赦はない」と実之助は一刀の鞘を払った。実之助を囲う群衆も皆ことごとく身構えた。すると、その時市九郎はしわがれた声を張り上げた。<br />「皆の衆、お控えなされい。了海、討たるべき覚え十分ござる。この洞門を穿つこともただその罪滅ぼしのためじゃ。今かかる孝子のお手にかかり半死の身を終ること、了海が一期の願いじゃ。皆の衆妨げ無用じゃ」<br /><br />こういいながら市九郎は身を挺して実之助のそばにいざり寄ろうとした。かねがね、市九郎の強剛なる意志を知りぬいている周囲の人々は、彼の決心を翻すべき由もないのを知った。市九郎の命、ここに終るかと思われた。その時、石工の統領が実之助の前に進み出でながら、<br />「御武家様もおきき及びでもござろうが、この刳貫は了海様、一生の大誓願にて二十年に近き御辛苦に身心を砕かれたのじゃ。いかに、御自身の悪業とはいえ、大願成就を目前に置きながらお果てなさるることいかばかり無念であろう。我らのこぞってのお願いは長くとは申さぬ、この刳貫の通じ申す間了海様のお命を我らに預けては下さらぬか。刳貫さえ通じた節は即座に了海様を存分になさりませ」と、彼は誠を表して哀願した。群衆は口々に、<br />「ことわりじゃ、ことわりじゃ」と、賛成した。<br /><br />実之助もそういわれてみるとその哀願をきかぬわけにはいかなかった。今ここで敵を討とうとして群衆の妨害を受けて不覚を取るよりも刳通の竣工を待ったならば今でさえ自ら進んで討たれようという市九郎が義理に感じて首を授けるのは必定であると思った。またそうした打算から離れても敵とはいいながらこの老僧の大誓願を遂げさしてやるのも決して不快なことではなかった。実之助は市九郎と群衆とを等分に見ながら、<br />「了海の僧形にめでてその願い許して取らそう。束えた言葉は忘れまいぞ」と、いった。<br />「念もないことでござる。一分の穴でも一寸の穴でも、この刳貫が向う側へ通じた節はその場を去らず了海様を討たさせ申そう。それまではゆるゆると、この辺りに御滞在なされませ」と、石工の棟梁は、穏やかな口調でいった。<br />市九郎は、この紛擾が無事に解決が付くと、それによって徒費した時間がいかにも惜しまれるようににじりながら洞窟の中へ入っていった。<br />実之助は大切の場合に思わぬ邪魔が入って目的が達し得なかったことを憤った。彼はいかんともしがたい鬱憤を抑えながら石工の一人に案内せられて、木小屋のうちへ入った。自分一人になって考えると敵を目前に置きながら討ち得なかった自分の腑甲斐なさを無念と思わずにはいられなかった。彼の心はいつの間にか苛だたしい憤りでいっぱいになっていた。彼は、もう刳貫の竣成を待つといったような、敵に対する緩かな心をまったく失ってしまった。彼は今宵にも洞窟の中へ忍び入って、市九郎を討って立ち退こうという決心の臍を固めた。が、実之助が市九郎の張り番をしているように、石工たちは実之助を見張っていた。<br /> 最初の二、三日を、心にもなく無為に過したが、ちょうど五日目の晩であった。毎夜のことなので、石工たちも警戒の目を緩めたと見え、丑に近い頃に何人もいぎたない眠りに入っていた。実之助は今宵こそと思い立った。彼はがばと起き上ると、枕元の一刀を引き寄せて静かに木小屋の外に出た。それは早春の夜の月が冴えた晩であった。山国川の水は月光の下に蒼く渦巻きながら流れていた。周囲の風物には目もくれず実之助は足を忍ばせてひそかに洞門に近づいた。削り取った石塊がところどころに散らばって歩を運ぶたびごとに足を痛めた。<br />洞窟の中は入口から来る月光とところどころに刳り明けられた窓から射し入る月光とでところどころほの白く光っているばかりであった。彼は右方の岩壁を手探り、手探り奥へ奥へと進んだ。<br />入口から、二町ばかり進んだ頃、ふと彼は洞窟の底からクワックワッと間を置いて響いてくる音を耳にした。彼は最初それがなんであるか分からなかった。一歩進むに従って、その音は拡大していっておしまいには洞窟の中の夜の寂静のうちにこだまするまでになった。それは明らかに岩壁に向って鉄槌を下す音に相違なかった。実之助はその悲壮な凄みを帯びた音によって自分の胸が激しく打たれるのを感じた。奥に近づくに従って玉を砕くような鋭い音は洞窟の周囲にこだまして、実之助の聴覚を猛然と襲ってくるのであった。彼はこの音をたよりに這いながら近づいていった。この槌の音の主こそ、敵了海に相違あるまいと思った。ひそかに一刀の鯉口を湿しながら、息を潜めて寄り添うた。その時、ふと彼は槌の音の間々に囁くがごとく、うめくがごとく、了海が経文を誦する声をきいたのである。<br /><br />そのしわがれた悲壮な声が水を浴びせるように実之助に徹してきた。深夜、人去り草木眠っている中に、ただ暗中に端座して鉄槌を振っている了海の姿が、墨のごとき闇にあってなお、実之助の心眼にありありとして映ってきた。それはもはや人間の心ではなかった。喜怒哀楽の情の上にあってただ鉄槌を振っている勇猛精進の菩薩心であった。実之助は握りしめた太刀の柄がいつの間にか緩んでいるのを覚えた。彼はふと、われに返った。すでに仏心を得て衆生のために、砕身の苦を嘗めている高徳の聖に対し、深夜の闇に乗じてひはぎのごとく、獣のごとく、瞋恚の剣を抜きそばめている自分を顧ると、彼は強い戦慄が身体を伝うて流れるのを感じた。<br />洞窟を揺がせるその力強い槌の音と悲壮な念仏の声とは実之助の心を散々に打ち砕いてしまった。彼は潔く竣成の日を待ちその約束の果さるるのを待つよりほかはないと思った。<br />実之助は深い感激を懐きながら洞外の月光を目指し洞窟の外に這い出たのである。そのことがあってから間もなく、刳貫の工事に従う石工のうちに武家姿の実之助の姿が見られた。彼はもう、老僧を闇討ちにして立ち退こうというような険しい心は少しも持っていなかった。了海が逃げも隠れもせぬことを知ると、彼は好意をもって了海がその一生の大願を成就する日を待ってやろうと思っていた。<br />それにしても、茫然と待っているよりも自分もこの大業に一臂の力を尽くすことによっていくばくかでも復讐の期日が短縮せられるはずであることを悟ると、実之助は自ら石工に伍して槌を振い始めたのである。<br />敵と敵とが相並んで槌を下した。実之助は本懐を達する日の一日でも早かれと、懸命に槌を振った。了海は実之助が出現してからは一日も早く大願を成就して孝子の願いを叶えてやりたいと思ったのであろう。彼はまた更に精進の勇を振って狂人のように岩壁を打ち砕いていた。<br /><br />そのうちに、月が去り月が来た。実之助の心は了海の大勇猛心に動かされて、彼自ら刳貫の大業に讐敵の怨みを忘れようとしがちであった。石工共が、昼の疲れを休めている真夜中にも敵と敵とは相並んで黙々として槌を振っていた。<br />それは、了海が樋田の刳貫に第一の槌を下してから二十一年目、実之助が了海にめぐりあってから一年六カ月を経た、延享三年九月十日の夜であった。この夜も、石工どもはことごとく小屋に退いて了海と実之助のみ、終日の疲労にめげず懸命に槌を振っていた。その夜九つに近き頃、了海が力を籠めて振り下した槌が朽木を打つがごとくなんの手答えもなく力余って槌を持った右の掌が岩に当ったので、彼は「あっ」と思わず声を上げた。その時であった。了海の朦朧たる老眼にも、紛れなくその槌に破られたる小さき穴から月の光に照らされたる山国川の姿がありありと映ったのである。了海は「おう」と全身を震わせるような名状しがたき叫び声を上げたかと思うと、それにつづいて狂したかと思われるような歓喜の泣笑が、洞窟をものすごく動揺めかしたのである。<br /><br />「実之助どの。御覧なされい。二十一年の大誓願、端なくも今宵成就いたした」<br />こういいながら、了海は実之助の手を取って小さい穴から山国川の流れを見せた。その穴の真下に黒ずんだ土の見えるのは、岸に添う街道に紛れもなかった。敵と敵とはそこに手を執り合うて大歓喜の涙にむせんだのである。が、しばらくすると了海は身を退って、<br />「いざ、実之助殿、約束の日じゃ。お切りなされい。かかる法悦の真ん中に往生いたすなれば極楽浄土に生るること必定疑いなしじゃ。いざお切りなされい。明日ともなれば、石工共が妨げいたそういざお切りなされい」と、彼のしわがれた声が洞窟の夜の空気に響いた。が、実之助は、了海の前に手を拱いて座ったまま涙にむせんでいるばかりであった。心の底から湧き出ずる歓喜に泣く凋びた老僧を見ていると彼を敵として殺すことなどは思い及ばぬことであった。敵を討つなどという心よりもこのかよわい人間の双の腕によって成し遂げられた偉業に対する驚異と感激の心とで胸がいっぱいであった。彼はいざり寄りながら再び老僧の手をとった。二人はそこにすべてを忘れて感激の涙にむせび合ったのであった。<br /><br />完

    恩讐の彼方に(3)
    (3)仏門に入り大誓願
    二十里に余る道を、市九郎は、山野の別なく唯一息に馳せて、明くる日の昼下り、美濃国の大垣在の浄願寺に駆け込んだ。彼は、最初からこの寺を志してきたのではない。彼の遁走の中途、偶然この寺の前に出た時、彼の惑乱した懺悔の心は、ふと宗教的な光明にすがってみたいという気になったのである。
    浄願寺は、美濃一円真言宗の僧録であった。市九郎は、現往明遍大徳衲の袖に縋って、懺悔のまことをいたしたい。上人はさすがに、この極重悪人をも捨てなかった。市九郎が有司の下に自首しようかというのを止めて、
    「重ね重ねの悪業を重ねた汝じゃから、有司の手によって身を梟木(きょうぼく)に晒され、現在の報いを自ら受くるのも一法じゃが、それでは未来永劫、焦熱地獄の苦艱(くげん)を受けておらねばならぬぞよ。それよりも、仏道に帰依し、衆生済度のために、身命を捨てて人々を救うと共に、汝自身を救うのが肝心じゃ」と、教化した。
    市九郎は上人の言葉をきいてまたさらに懺悔の火に心を爛らせて、当座に出家の志を定めた。彼は上人の手によって得度して了海と法名を呼ばれ、ひたすら仏道修行に肝胆を砕いたが、道心勇猛のために、わずか半年に足らぬ修行に、行業は氷霜よりも皓く、朝には三密の行法を凝らし、夕には秘密念仏の安座を離れず、二行彬々として豁然智度の心萌し天晴れの知識となりすました。彼は自分の道心が定まってもう動かないのを自覚すると師の坊の許しを得て諸人救済の大願を起し、諸国雲水の旅に出たのであった。
    美濃の国を後にしてまず京洛の地を志した。彼は幾人もの人を殺しながら、たとえ僧形の姿なりとも自分が生き永らえているのが心苦しかった。諸人のため、身を粉々に砕いて自分の罪障の万分の一をも償いたいと思っていた。ことに自分が木曾山中にあって行人をなやませたことを思うと道中の人々に対して償い切れぬ負担を持っているように思われた。
    行住座臥にも人のためを思わぬことはなかった。道路に難渋の人を見ると彼は手を引き、腰を押して、その道中を助けた。病に苦しむ老幼を負って数里に余る道を遠しとしなかったこともあった。本街道を離れた村道の橋でも破壊されている時は、彼は自ら山に入って、木を切り、石を運んで修繕した。道の崩れたのを見れば土砂を運び来って繕った。かくして、畿内から中国を通して、ひたすら善根を積むことに腐心したが、身に重なれる罪は、空よりも高く積む善根は土地よりも低きを思うと、彼は今更に半生の悪業の深きを悲しんだ。市九郎は些細な善根によって自分の極悪が償いきれぬことを知って心を暗うした。逆旅の寝覚めにはかかる頼母しからぬ報償をしながら、なお生を貪っていることがはなはだ腑甲斐ないように思われて自ら殺したいと思ったことさえあった。が、そのたびごとに不退転の勇を翻し諸人救済の大業をなすべき機縁のいたらぬことを祈念した。

    享保九年の秋であった。彼は、赤間ヶ関から小倉に渡り、豊前の国、宇佐八幡宮を拝し、山国川をさかのぼって耆闍崛山羅漢寺に詣でんものと、四日市から南に赤土の茫々たる野原を過ぎ道を山国川の渓谷に添って辿った。
    筑紫の秋は駅路の宿りごとに更けて雑木の森には櫨赤く爛れ、野には稲黄色く稔り、農家の軒にはこの辺の名物の柿が真紅の珠を連ねていた。
    それは八月に入って間もないある日であった。彼は秋の朝の光の輝く山国川の清冽な流れを右に見ながら、三口から仏坂の山道を越えて、昼近き頃樋田の駅に着いた。淋しい駅で昼食の斎にありついた後、再び山国谷に添うて南を指した。樋田駅から出はずれると、道はまた山国川に添うて火山岩の河岸を伝って走っていた。歩みがたい石高道を市九郎は杖を頼りに辿っていた時、ふと道のそばにこの辺の農夫であろう、四、五人の人々が罵り騒いでいるのを見た。
    市九郎が近づくと、その中の一人は早くも市九郎の姿を見つけて、
    「これはよいところへ来られた。非業の死を遂げた哀れな亡者じゃ。通りかかられた縁に、一遍の回向をして下され」といった。
    非業の死だときいた時、剽賊のためにあやめられた旅人の死骸ではあるまいかと思うて市九郎は過去の悪業を思い起して、刹那に湧く悔恨の心に両脚の竦むのをおぼえた。

    「見れば水死人のようじゃが、ところどころ皮肉の破れているのはいかがした子細じゃ」と、市九郎は、恐る恐るきいた。
    「御出家は旅の人と見えてご存じあるまいがこの川を半町も上れば鎖渡しという難所がある。山国谷第一の切所で南北往来の人馬がことごとく難儀するところじゃが、この男はこの川上柿坂郷に住んでいる馬子じゃが、今朝鎖渡しの中途で馬が狂うたため五丈に近いところを真っ逆様に落ちて見られる通りの無残な最期じゃ」と、その中の一人がいった。

    「鎖渡しと申せば、かねがね難所とは聞いていたが、かようなあわれを見ることは、たびたびござるのか」と、市九郎は、死骸を見守りながら打ちしめってきいた。
    「一年に三、四人、多ければ十人も思わぬ憂き目を見ることがある。無双の難所ゆえに、風雨に桟が朽ちても、修繕も思うにまかせぬのじゃ」と、答えながら、百姓たちは死骸の始末にかかっていた。
    市九郎はこの不幸な遭難者に一遍の経を読むと足を早めてその鎖渡しへと急いだ。 そこまでは、もう一町もなかった。見ると、川の左に聳える荒削りされたような山が、山国川に臨むところで、十丈に近い絶壁に切り立たれて、そこに灰白色のぎざぎざした襞の多い肌を露出しているのであった。山国川の水は、その絶壁に吸い寄せられたようにここに慕い寄って絶壁の裾を洗いながら濃緑の色を湛えて渦巻いている。
    里人らが鎖渡しといったのはこれだろうと彼は思った。道はその絶壁に絶たれ、その絶壁の中腹を松、杉などの丸太を鎖で連ねた桟道が危げに伝っている。かよわい婦女子でなくとも俯して五丈に余る水面を見、仰いで頭を圧する十丈に近い絶壁を見る時は、魂消え、心戦くも理りであった。
    市九郎は、岩壁に縋りながら、戦く足を踏み締めてようやく渡り終ってその絶壁を振り向いた刹那、彼の心にはとっさに大誓願が、勃然として萌した。

    積むべき贖罪のあまりに小さかった彼は自分が精進勇猛の気を試すべき難業にあうことを祈っていた。今目前に行人が艱難し一年に十に近い人の命を奪う難所を見た時、彼は自分の身命を捨ててこの難所を除こうという思いつきが旺然として起ったのも無理ではなかった。二百余間に余る絶壁を掘貫いて道を通じようという不敵な誓願が彼の心に浮かんできたのである。
    市九郎は自分が求め歩いたものがようやくここで見つかったと思った。一年に十人を救えば十年には百人、百年、千年と経つうちには千万の人の命を救うことができると思ったのである。
    こう決心すると、彼は、一途に実行に着手した。その日から、羅漢寺の宿坊に宿りながら、山国川に添うた村々を勧化して、隧道開鑿の大業の寄進を求めた。
    が、何人もこの風来僧の言葉に、耳を傾ける者はなかった。
    「三町をも超える大盤石を掘貫こうという風狂人じゃ、はははは」と、嗤うものは、まだよかった。「大騙りじゃ。針のみぞから天を覗くようなことを言い前にして、金を集めようという、大騙りじゃ」と、中には市九郎の勧説に、迫害を加うる者さえあった。

    恩讐の彼方に(4)

    (3)苦難の隧道開鑿に挑む
     市九郎は、十日の間、徒らな勧進に努めたが、なんびとも耳を傾けぬのを知ると奮然として、独力でこの大業に当ることを決心した。彼は石工の持つ槌とのみを手に入れてこの大絶壁の一端に立った。それは一個のカリカチュアであった。削り落しやすい火山岩であるとはいえ、川を圧して聳え立つえんえん蜿蜒たる大絶壁を市九郎は己一人の力で掘貫こうとするのであった。
    「とうとう気が狂った!」と、行人は、市九郎の姿を指しながら嗤った。
     が、市九郎は屈しなかった。山国川の清流に沐浴して観世音菩薩を祈りながら、渾身の力を籠めて第一の槌を下した。
    それに応じて、ただ二、三片の砕片が、飛び散ったばかりであった。が、再び力を籠めて第二の槌を下した。更に二、三片の小塊が巨大なる無限大の大塊から分離したばかりであった。第三、第四、第五と市九郎は懸命に槌を下した。空腹を感ずれば、近郷を托鉢し、腹満つれば絶壁に向って槌を下した。懈怠の心を生ずれば、只真言を唱えて勇猛の心を振い起した。一日、二日、三日、市九郎の努力は間断なく続いた。旅人はそのそばを通るたびに嘲笑の声を送った。が、市九郎の心は、そのために須臾も撓むことはなかった。嗤笑の声を聞けば、彼はさらに槌を持つ手に力を籠めた。
    やがて、市九郎は、雨露を凌ぐために、絶壁に近く木小屋を立てた。朝は、山国川の流れが星の光を写す頃から起き出て、夕は瀬鳴の音が静寂の天地に澄みかえる頃までも止めなかった。が、行路の人々はなお嗤笑の言葉を止めなかった。
    「身のほどを知らぬたわけじゃ」と市九郎の努力を眼中におかなかった。
     が、市九郎は一心不乱に槌を振った。槌を振っていてさえすれば彼の心には何の雑念も起らなかった。人を殺した悔恨もそこには無かった。極楽に生れようという欣求もなかった。ただそこに、晴々した精進の心があるばかりであった。彼は出家して以来、夜ごとの寝覚めに身を苦しめた自分の悪業の記憶が日に薄らいでいくのを感じた。彼はますます勇猛の心を振い起してひたすら専念に槌を振った。

    新しい年が来た。春が来て、夏が来て、早くも一年が経った。市九郎の努力は、空しくはなかった。大絶壁の一端に、深さ一丈に近い洞窟が穿たれていた。それは、ほんの小さい洞窟ではあったが、市九郎の強い意志は、最初の爪痕を明らかに止めていた。が、近郷の人々はまた市九郎を嗤った。
    「あれ見られい! 狂人坊主があれだけ掘りおった。一年の間、もがいてたったあれだけじゃ……」と、嗤った。が、市九郎は自分の掘り穿った穴を見ると、涙の出るほど嬉しかった。それはいかに浅くとも、自分が精進の力の如実に現れているものに相違なかった。市九郎は年を重ねてまた更に振い立った。夜は如法の闇に昼もなお薄暗い洞窟のうちに端座してただ右の腕のみを狂気のごとくに振っていた。市九郎にとって右の腕を振ることのみが彼の宗教的生活のすべてになってしまった。
    洞窟の外には、日が輝き月が照り、雨が降り嵐が荒んだ。が、洞窟の中には、間断なき槌の音のみがあった。
     二年の終わりにも、里人はなお嗤笑を止めなかった。が、それはもう声にまでは出てこなかった。ただ、市九郎の姿を見た後、顔を見合せて互いに嗤い合うだけであった。更に一年経った。市九郎の槌の音は山国川の水声と同じく不断に響いていた。村の人たちはもうなんともいわなかった。彼らが嗤笑の表情はいつの間にか驚異のそれに変っていた。市九郎は梳らざれば、頭髪はいつの間にか伸びて双肩を覆い湯浴しないので、垢づきて人間とも見えなかった。が、彼は自分が掘り穿った洞窟のうちに、獣のごとく蠢きながら、狂気のごとくその槌を振いつづけていたのである。
    里人の驚異はいつの間にか同情に変っていた。市九郎がしばしの暇を窃んで、托鉢の行脚に出かけようとすると洞窟の出口に思いがけなく一椀の斎を見出すことが多くなった。市九郎はそのために托鉢に費やすべき時間を更に絶壁に向うことができた。
    四年目の終りが来た。市九郎の掘り穿った洞窟は、もはや五丈の深さに達していた。その三町を超ゆる絶壁に比ぶればそこになお、亡羊の嘆があった。里人は市九郎の熱心に驚いたものの、いまだ、かくばかり見えすいた徒労に合力するものは一人もなかった。市九郎はただ独りその努力を続けねばならなかった。、もう掘り穿つ仕事において三昧に入った市九郎はただ槌を振うほかは何の存念もなかった。ただ土鼠のように命のある限り掘り穿っていくほかには何の他念もなかった。彼はただ一人拮々として掘り進んだ。洞窟の外には春去って秋来り、四時の風物が移り変ったが、洞窟の中には不断の槌の音のみが響いた。
    「可哀そうな坊様じゃ。ものに狂ったとみえあの大盤石を穿っていくわ。十の一も穿ち得ないでおのれが命を終ろうものを」と、行路の人々は市九郎の空しい努力を悲しみ始めた。一年経ち二年経ち、ちょうど九年目の終りに穴の入口より奥まで二十二間を計るまでに掘り穿った。

    樋田郷の里人は初めて市九郎の事業の可能性に気がついた。一人の痩せた乞食僧が九年の力でこれまで掘り穿ち得るものならば人を増し歳月を重ねたならば、この大絶壁を穿ち貫くことも必ずしも不思議なことではないという考えが里人らの胸の中に銘ぜられてきた。九年前、市九郎の勧進をこぞって斥けた山国川に添う七郷の里人は、今度は自発的に開鑿の寄進に付いた。数人の石工が市九郎の事業を援けるために雇われた。もう、市九郎は孤独ではなかった。岩壁に下す多数の槌の音は勇ましく賑やかに洞窟の中からもれ始めた。

    翌年になって里人たちが工事の進み方を測った時それがまだ絶壁の四分の一にも達していないのを発見すると里人たちは再び落胆疑惑の声をもらした。
    「人を増しても、とても成就はせぬことじゃ。あたら了海どのに騙かされて要らぬ物入りをした」と、彼らははかどらぬ工事にいつの間にか倦ききっておった。市九郎はまた独り取り残されねばならなかった。彼は自分のそばに槌を振る者が一人減り二人減り、ついには一人もいなくなったのに気がついた。が、彼は決して去る者を追わなかった。黙々として自分一人その槌を振い続けたのみである。

    里人の注意はまったく市九郎の身辺から離れてしまった。ことに洞窟が深く穿たれれば穿たれるほどその奥深く槌を振う市九郎の姿は行人の目から遠ざかっていった。人々は闇のうちに閉された洞窟の中を透し見ながら、
    「了海さんはまだやっているのかなあ」と疑った。そうした注意もしまいにはだんだん薄れてしまって、市九郎の存在は里人の念頭からしばしば消失せんとした。が、市九郎の存在が里人に対して没交渉であるがごとく里人の存在もまた市九郎に没交渉であった。彼にはただ眼前の大岩壁のみが存在するばかりであった。

    しかし、市九郎は、洞窟の中に端座してからもはや十年にも余る間、暗澹たる冷たい石の上に座り続けていたために顔は色蒼ざめ双の目が窪んで、肉は落ち骨あらわれこの世に生ける人とも見えなかった。が、市九郎の心には不退転の勇猛心がしきりに燃え盛って、ただ一念に穿ち進むほかは何物もなかった。一分でも一寸でも岸壁の削り取られるごとに彼は歓喜の声を揚げた。

    市九郎はただ一人取り残されたままにまた三年を経た。すると、里人たちの注意は再び市九郎の上に帰りかけていた。彼らがほんの好奇心から洞窟の深さを測ってみると全長六十五間、川に面する岩壁には、採光の窓が一つ穿たれもはや、この大岩壁の三分の一は主として市九郎の瘠腕によって貫かれていることが分かった。
    彼らは再び驚異の目を見開いた。彼らは過去の無知を恥じた。市九郎に対する尊崇の心は再び彼らの心に復活した。やがて、寄進された十人に近い石工の槌の音が再び市九郎のそれに和した。
    また一年経った。一年の月日が経つうちに、里人たちはいつかしら目先の遠い出費を悔い始めていた。
    寄進の人夫はいつの間にか一人減り二人減って、おしまいには市九郎の槌の音のみが洞窟の闇を打ち震わしていた。が、そばに人がいてもいなくても市九郎の槌の力は変らなかった。彼はただ機械のごとく渾身の力を入れて槌を挙げ、渾身の力をもってこれを振り降ろした。彼は自分の一身をさえ忘れていた。主を殺したことも剽賊を働いたことも人を殺したこともすべては彼の記憶のほかに薄れてしまっていた。

    一年経ち、二年経った。一念の動くところ彼の瘠せた腕は鉄のごとく屈しなかった。ちょうど十八年目の終りであった。彼はいつの間にか岩壁の二分の一を穿っていた。里人はこの恐ろしき奇跡を見るともはや市九郎の仕事を少しも疑わなかった。彼らは、前二回の懈怠を心から恥じ七郷の人々合力の誠を尽くし、こぞって市九郎を援け始めた。その年、中津藩の郡奉行が巡視して市九郎に対して奇特の言葉を下した。近郷近在から三十人に近い石工があつめられた。工事は枯葉を焼く火のように進んだ。
    人々は、衰残の姿いたいたしい市九郎に、
    「もはや、そなたは石工共の統領をなさりませ。自ら槌を振うには及びませぬ」と勧めたが市九郎は頑として応じなかった。彼はたおるれば槌を握ったままと、思っているらしかった。彼は三十の石工がそばに働くのも知らぬように寝食を忘れ懸命の力を尽くすこと少しも前と変らなかった。

    人々が市九郎に休息を勧めたのも無理ではなかった。二十年にも近い間、日の光も射さぬ岩壁の奥深く座り続けたためであろう。彼の両脚は長い端座に傷み、いつの間にか屈伸の自在を欠いていた。彼は、わずかの歩行にも杖に縋らねばならなかった。
    その上、長い間、闇に座して、日光を見なかったためでもあろう。また不断に、彼の身辺に飛び散る砕けた石の砕片が、その目を傷つけたためでもあろう。彼の両目は朦朧として光を失い、もののいろあいもわきまえかねるようになっていた。さすがに、不退転の市九郎も身に迫る老衰を痛む心はあった。身命に対する執着はなかったけれど、中道にしてたおれることを何よりも無念と思ったからであった。
    「もう二年の辛抱じゃ」と、彼は心のうちに叫んで身の老衰を忘れようと、懸命に槌を振うのであった。
    冒しがたき大自然の威厳を示して市九郎の前に立ち塞がっていた岩壁は、いつの間にか衰残の乞食僧一人の腕に貫かれて、その中腹を穿つ洞窟は命ある者のごとく、一路その核心を貫かんとしているのであった。

    (4)親の仇
    市九郎の健康は過度の疲労によって痛ましく傷つけられていたが、彼にとって、それよりももっと恐ろしい敵が彼の生命を狙っているのであった。
    市九郎のために非業の横死を遂げた中川三郎兵衛は家臣のために殺害されたため、家事不取締とあって家は取り潰されその時三歳であった一子実之助は縁者のために養い育てられることになった。
    実之助は、十三になった時、初めて自分の父が非業の死を遂げたことを聞いた。ことに、相手が対等の士人でなくして、自分の家に養われた奴僕であることを知ると、少年の心は、無念の憤りに燃えた。彼は即座に復讐の一義を肝深く銘じた。彼は、馳せて柳生の道場に入った。十九の年に免許皆伝を許されると、彼はただちに報復の旅に上ったのである。もし、首尾よく本懐を達して帰れば、一家再興の肝煎りもしようという、親類一同の激励の言葉に送られながら。

    実之助は馴れぬ旅路に多くの艱難を苦しみながら諸国を遍歴してひたすら敵市九郎の所在を求めた。市九郎をただ一度さえ見たこともない実之助にとっては、それは雲をつかむがごときおぼつかなき捜索であった。五畿内、東海、東山、山陰、山陽、北陸、南海と、彼は漂泊の旅路に年を送り年を迎え、二十七の年まで空虚な遍歴の旅を続けた。敵に対する怨みも憤りも、旅路の艱難に消磨せんとすることたびたびであった。が、非業に殪れた父の無念を思い、中川家再興の重任を考えると、奮然と志を奮い起すのであった。

    江戸を立ってからちょうど九年目の春を、彼は福岡の城下に迎えた。本土を空しく尋ね歩いた後に、辺陲の九州をも探ってみる気になったのである。福岡の城下から中津の城下に移った彼は二月に入った一日、宇佐八幡宮に賽して、本懐の一日も早く達せられんことを祈念した。実之助は、参拝を終えてから境内の茶店に憩うた。その時に、ふと彼はそばの百姓体の男が居合せた参詣客に、
    「その御出家は、元は江戸から来たお人じゃげな。若い時に人を殺したのを懺悔して、諸人済度の大願を起したそうじゃが、今いうた樋田の刳貫は、この御出家一人の力でできたものじゃ」と語るのを耳にした。

    この話を聞いた実之助は、九年この方いまだ感じなかったような興味を覚えた。彼はやや急き込みながら、「率爾ながら、少々ものを尋ねるが、その出家と申すは年の頃はどれぐらいじゃ」ときいた。その男は自分の談話が武士の注意をひいたことを光栄であると思ったらしく、
    「さようでございますな。私はその御出家を拝んだことはございませぬが、人の噂ではもう六十に近いと申します」
    「丈は高いか、低いか」と、実之助はたたみかけてきいた。
    「それもしかとは分かりませぬ。何様、洞窟の奥深くいられるゆえ、しかとは分かりませぬ」
    「その者の俗名は、なんと申したか存ぜぬか」
    「それも、とんと分かりませんが、お生れは越後の柏崎で若い時に江戸へ出られたそうでござります」と、百姓は答えた。
     ここまできいた実之助は、躍り上って欣んだ。彼が、江戸を立つ時に、親類の一人は、敵は越後柏崎の生れゆえ、故郷へ立ち回るかも計りがたい、越後は一入心を入れて探索せよという注意を受けていたのであった。
    実之助はこれぞ正しく宇佐八幡宮の神託なりと勇み立った。彼はその老僧の名と、山国谷に向う道をきくと、もはや八つ刻を過ぎていたにもかかわらず、必死の力を双脚に籠めて、敵の所在へと急いだ。その日の初更近く、樋田村に着いた実之助は、ただちに洞窟へ立ち向おうと思ったが、焦ってはならぬと思い返して、その夜は樋田駅の宿に焦慮の一夜を明かすと、翌日は早く起き出でて軽装して樋田の刳貫へと向った。
    刳貫の入口に着いた時、彼はそこに石の砕片を運び出している石工に尋ねた。
    「この洞窟の中に、了海といわれる御出家がおわすそうじゃがそれに相違ないか」
    「おわさないでなんとしょう。了海様は、この洞の主も同様な方じゃ。はははは」と石工は心なげに笑った。
    実之助は本懐を達することはや眼前にありと欣び勇んだ。が、彼はあわててはならぬと思った。
    「して、出入り口はここ一カ所か」ときいた。敵に逃げられてはならぬと思ったからである。
    「それは知れたことじゃ。向うへ口を開けるために、了海様は塗炭の苦しみをなさっているのじゃ」と、石工が答えた。
    実之助は、多年の怨敵が嚢中の鼠のごとく目前に置かれてあるのを欣んだ。たとえ、その下に使わるる石工が幾人いようとも切り殺すに何の造作もあるべきと勇み立った。
    「其方に少し頼みがある。了海どのに御意得たいため遥々と尋ねて参った者じゃと伝えてくれ」といった。石工が洞窟の中へはいった後で、実之助は一刀の目くぎを湿した。彼は心のうちで生来初めてめぐりあう敵の容貌を想像した。洞門の開鑿を統領しているといえば五十は過ぎているとはいえ筋骨たくましき男であろう。ことに若年の頃には、兵法に疎からざりしというのであるから、ゆめ油断はならぬと思っていた。

    しばらくして実之助の面前へと洞門から出てきた一人の乞食僧があった。それは、出てくるというよりも、蟇のごとく這い出てきたという方が適当であった。それは、人間というよりも、むしろ、人間の残骸というべきであった。肉ことごとく落ちて骨あらわれ、脚の関節以下はところどころただれて、長く正視するに堪えなかった。破れた法衣によって、僧形とは知れるものの、頭髪は長く伸びて皺だらけの額をおおっていた。老僧は灰色をなした目をしばたたきながら実之助を見上げて、
    「老眼衰えはてましていずれの方ともわきまえかねまする」といった。
    実之助の極度にまで張り詰めてきた心はこの老僧を一目見た刹那たじたじとなってしまっていた。彼は心の底から憎悪を感じ得るような悪僧を欲していた。しかるに彼の前には人間とも死骸ともつかぬ半死の老僧が蹲っているのである。実之助は失望し始めた自分の心を励まして、
    「そのもとが了海といわるるか」と、意気込んできいた。
    「いかにも、さようでござります。してそのもとは」と、老僧は訝しげに実之助を見上げた。
    「了海とやら、いかに僧形に身をやつすとも、よも忘れはいたすまい。汝、市九郎と呼ばれし若年の砌、主人中川三郎兵衛を打って立ち退いた覚えがあろう。某は三郎兵衛の一子実之助と申すものじゃ。もはや、逃れぬところと覚悟せよ」
    と、実之助の言葉はあくまで落着いていたが、そこに一歩も許すまじき厳正さがあった。
    市九郎は実之助の言葉をきいて少しもおどろかなかった。
    「いかさま、中川様の御子息、実之助様か。いやお父上を打って立ち退いた者、この了海に相違ござりませぬ」と、彼は自分を敵と狙う者に会ったというよりも、旧主の遺児に会った親しさをもって答えたが、実之助は、市九郎の声音に欺かれてはならぬと思った。

    「主を打って立ち退いた非道の汝を討つために十年に近い年月を艱難のうちに過したわ。ここで会うからはもはや逃れぬところと尋常に勝負せよ」といった。
     市九郎は、少しも悪怯れなかった。もはや期年のうちに成就すべき大願を見果てずして死ぬことがやや悲しまれたがそれもおのれが悪業の報いであると思うと彼は死すべき心を定めた。
    「実之助様、いざお切りなされい。おきき及びもなされたろうが、これは了海めが罪亡しに掘り穿とうと存じた洞門でござるが、十九年の歳月を費やして、九分までは竣工いたした。了海、身を果つとももはや年を重ねずして成り申そう。御身の手にかかりこの洞門の入口に血を流して人柱となり申さばはや思い残すこともござりませぬ」といいながら、彼は見えぬ目をしばたたいたのである。
    実之助はこの半死の老僧に接していると、親の敵に対して懐いていた憎しみが、いつの間にか消え失せているのを覚えた。敵は父を殺した罪の懺悔に身心を粉に砕いて、半生を苦しみ抜いている。しかも、自分が一度名乗りかけると、唯々として命を捨てようとしているのである。かかる半死の老僧の命を取ることが、なんの復讐であるかと実之助は考えたのである。が、しかしこの敵を打たざる限りは多年の放浪を切り上げて江戸へ帰るべきよすがはなかった。まして家名の再興などは思いも及ばぬことであったのである。実之助は憎悪よりもむしろ打算の心からこの老僧の命を縮めようかと思った。が、激しい燃ゆるがごとき憎悪を感ぜずして打算から人間を殺すことは実之助にとって忍びがたいことであった。彼は消えかかろうとする憎悪の心を励ましながら、打ち甲斐なき敵を打とうとしたのである。

    その時であった。洞窟の中から走り出て来た五、六人の石工は、市九郎の危急を見ると、挺身して彼を庇いながら「了海様をなんとするのじゃ」と、実之助を咎めた。彼らの面には、仕儀によっては許すまじき色がありありと見えた。
    「子細あって、その老僧を敵と狙い、端なくも今日めぐりおうて、本懐を達するものじゃ。妨げいたすと、余人なりとも容赦はいたさぬぞ」と、実之助は凜然といった。
    そのうちに、石工の数は増え、行路の人々が幾人となく立ち止って彼らは実之助を取り巻きながら市九郎の身体に指の一本も触れさせまいと銘々にいきまき始めた。
    「敵を討つ討たぬなどはそれはまだ世にあるうちのことじゃ。見らるる通り、了海どのは、染衣薙髪の身である上に、この山国谷七郷の者にとっては、持地菩薩の再来とも仰がれる方じゃ」と、そのうちのある者は、実之助の敵討ちを、叶わぬ非望であるかのようにいい張った。

    こう周囲の者から妨げられると実之助の敵に対する怒りはいつの間にか蘇っていた。彼は武士の意地として手をこまねいて立ち去るべきではなかった。
    「たとい沙門の身なりとも、主殺しの大罪は免れぬぞ。親の敵を討つ者を妨げいたす者は一人も容赦はない」と実之助は一刀の鞘を払った。実之助を囲う群衆も皆ことごとく身構えた。すると、その時市九郎はしわがれた声を張り上げた。
    「皆の衆、お控えなされい。了海、討たるべき覚え十分ござる。この洞門を穿つこともただその罪滅ぼしのためじゃ。今かかる孝子のお手にかかり半死の身を終ること、了海が一期の願いじゃ。皆の衆妨げ無用じゃ」

    こういいながら市九郎は身を挺して実之助のそばにいざり寄ろうとした。かねがね、市九郎の強剛なる意志を知りぬいている周囲の人々は、彼の決心を翻すべき由もないのを知った。市九郎の命、ここに終るかと思われた。その時、石工の統領が実之助の前に進み出でながら、
    「御武家様もおきき及びでもござろうが、この刳貫は了海様、一生の大誓願にて二十年に近き御辛苦に身心を砕かれたのじゃ。いかに、御自身の悪業とはいえ、大願成就を目前に置きながらお果てなさるることいかばかり無念であろう。我らのこぞってのお願いは長くとは申さぬ、この刳貫の通じ申す間了海様のお命を我らに預けては下さらぬか。刳貫さえ通じた節は即座に了海様を存分になさりませ」と、彼は誠を表して哀願した。群衆は口々に、
    「ことわりじゃ、ことわりじゃ」と、賛成した。

    実之助もそういわれてみるとその哀願をきかぬわけにはいかなかった。今ここで敵を討とうとして群衆の妨害を受けて不覚を取るよりも刳通の竣工を待ったならば今でさえ自ら進んで討たれようという市九郎が義理に感じて首を授けるのは必定であると思った。またそうした打算から離れても敵とはいいながらこの老僧の大誓願を遂げさしてやるのも決して不快なことではなかった。実之助は市九郎と群衆とを等分に見ながら、
    「了海の僧形にめでてその願い許して取らそう。束えた言葉は忘れまいぞ」と、いった。
    「念もないことでござる。一分の穴でも一寸の穴でも、この刳貫が向う側へ通じた節はその場を去らず了海様を討たさせ申そう。それまではゆるゆると、この辺りに御滞在なされませ」と、石工の棟梁は、穏やかな口調でいった。
    市九郎は、この紛擾が無事に解決が付くと、それによって徒費した時間がいかにも惜しまれるようににじりながら洞窟の中へ入っていった。
    実之助は大切の場合に思わぬ邪魔が入って目的が達し得なかったことを憤った。彼はいかんともしがたい鬱憤を抑えながら石工の一人に案内せられて、木小屋のうちへ入った。自分一人になって考えると敵を目前に置きながら討ち得なかった自分の腑甲斐なさを無念と思わずにはいられなかった。彼の心はいつの間にか苛だたしい憤りでいっぱいになっていた。彼は、もう刳貫の竣成を待つといったような、敵に対する緩かな心をまったく失ってしまった。彼は今宵にも洞窟の中へ忍び入って、市九郎を討って立ち退こうという決心の臍を固めた。が、実之助が市九郎の張り番をしているように、石工たちは実之助を見張っていた。
     最初の二、三日を、心にもなく無為に過したが、ちょうど五日目の晩であった。毎夜のことなので、石工たちも警戒の目を緩めたと見え、丑に近い頃に何人もいぎたない眠りに入っていた。実之助は今宵こそと思い立った。彼はがばと起き上ると、枕元の一刀を引き寄せて静かに木小屋の外に出た。それは早春の夜の月が冴えた晩であった。山国川の水は月光の下に蒼く渦巻きながら流れていた。周囲の風物には目もくれず実之助は足を忍ばせてひそかに洞門に近づいた。削り取った石塊がところどころに散らばって歩を運ぶたびごとに足を痛めた。
    洞窟の中は入口から来る月光とところどころに刳り明けられた窓から射し入る月光とでところどころほの白く光っているばかりであった。彼は右方の岩壁を手探り、手探り奥へ奥へと進んだ。
    入口から、二町ばかり進んだ頃、ふと彼は洞窟の底からクワックワッと間を置いて響いてくる音を耳にした。彼は最初それがなんであるか分からなかった。一歩進むに従って、その音は拡大していっておしまいには洞窟の中の夜の寂静のうちにこだまするまでになった。それは明らかに岩壁に向って鉄槌を下す音に相違なかった。実之助はその悲壮な凄みを帯びた音によって自分の胸が激しく打たれるのを感じた。奥に近づくに従って玉を砕くような鋭い音は洞窟の周囲にこだまして、実之助の聴覚を猛然と襲ってくるのであった。彼はこの音をたよりに這いながら近づいていった。この槌の音の主こそ、敵了海に相違あるまいと思った。ひそかに一刀の鯉口を湿しながら、息を潜めて寄り添うた。その時、ふと彼は槌の音の間々に囁くがごとく、うめくがごとく、了海が経文を誦する声をきいたのである。

    そのしわがれた悲壮な声が水を浴びせるように実之助に徹してきた。深夜、人去り草木眠っている中に、ただ暗中に端座して鉄槌を振っている了海の姿が、墨のごとき闇にあってなお、実之助の心眼にありありとして映ってきた。それはもはや人間の心ではなかった。喜怒哀楽の情の上にあってただ鉄槌を振っている勇猛精進の菩薩心であった。実之助は握りしめた太刀の柄がいつの間にか緩んでいるのを覚えた。彼はふと、われに返った。すでに仏心を得て衆生のために、砕身の苦を嘗めている高徳の聖に対し、深夜の闇に乗じてひはぎのごとく、獣のごとく、瞋恚の剣を抜きそばめている自分を顧ると、彼は強い戦慄が身体を伝うて流れるのを感じた。
    洞窟を揺がせるその力強い槌の音と悲壮な念仏の声とは実之助の心を散々に打ち砕いてしまった。彼は潔く竣成の日を待ちその約束の果さるるのを待つよりほかはないと思った。
    実之助は深い感激を懐きながら洞外の月光を目指し洞窟の外に這い出たのである。そのことがあってから間もなく、刳貫の工事に従う石工のうちに武家姿の実之助の姿が見られた。彼はもう、老僧を闇討ちにして立ち退こうというような険しい心は少しも持っていなかった。了海が逃げも隠れもせぬことを知ると、彼は好意をもって了海がその一生の大願を成就する日を待ってやろうと思っていた。
    それにしても、茫然と待っているよりも自分もこの大業に一臂の力を尽くすことによっていくばくかでも復讐の期日が短縮せられるはずであることを悟ると、実之助は自ら石工に伍して槌を振い始めたのである。
    敵と敵とが相並んで槌を下した。実之助は本懐を達する日の一日でも早かれと、懸命に槌を振った。了海は実之助が出現してからは一日も早く大願を成就して孝子の願いを叶えてやりたいと思ったのであろう。彼はまた更に精進の勇を振って狂人のように岩壁を打ち砕いていた。

    そのうちに、月が去り月が来た。実之助の心は了海の大勇猛心に動かされて、彼自ら刳貫の大業に讐敵の怨みを忘れようとしがちであった。石工共が、昼の疲れを休めている真夜中にも敵と敵とは相並んで黙々として槌を振っていた。
    それは、了海が樋田の刳貫に第一の槌を下してから二十一年目、実之助が了海にめぐりあってから一年六カ月を経た、延享三年九月十日の夜であった。この夜も、石工どもはことごとく小屋に退いて了海と実之助のみ、終日の疲労にめげず懸命に槌を振っていた。その夜九つに近き頃、了海が力を籠めて振り下した槌が朽木を打つがごとくなんの手答えもなく力余って槌を持った右の掌が岩に当ったので、彼は「あっ」と思わず声を上げた。その時であった。了海の朦朧たる老眼にも、紛れなくその槌に破られたる小さき穴から月の光に照らされたる山国川の姿がありありと映ったのである。了海は「おう」と全身を震わせるような名状しがたき叫び声を上げたかと思うと、それにつづいて狂したかと思われるような歓喜の泣笑が、洞窟をものすごく動揺めかしたのである。

    「実之助どの。御覧なされい。二十一年の大誓願、端なくも今宵成就いたした」
    こういいながら、了海は実之助の手を取って小さい穴から山国川の流れを見せた。その穴の真下に黒ずんだ土の見えるのは、岸に添う街道に紛れもなかった。敵と敵とはそこに手を執り合うて大歓喜の涙にむせんだのである。が、しばらくすると了海は身を退って、
    「いざ、実之助殿、約束の日じゃ。お切りなされい。かかる法悦の真ん中に往生いたすなれば極楽浄土に生るること必定疑いなしじゃ。いざお切りなされい。明日ともなれば、石工共が妨げいたそういざお切りなされい」と、彼のしわがれた声が洞窟の夜の空気に響いた。が、実之助は、了海の前に手を拱いて座ったまま涙にむせんでいるばかりであった。心の底から湧き出ずる歓喜に泣く凋びた老僧を見ていると彼を敵として殺すことなどは思い及ばぬことであった。敵を討つなどという心よりもこのかよわい人間の双の腕によって成し遂げられた偉業に対する驚異と感激の心とで胸がいっぱいであった。彼はいざり寄りながら再び老僧の手をとった。二人はそこにすべてを忘れて感激の涙にむせび合ったのであった。

この旅行記のタグ

5いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP