2025/04/21 - 2025/04/30
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ペコちゃんさん
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函館は札幌・旭川に次ぐ北海道第3位の街で、人口は約24万人。
幕末に横浜港・長崎港とともに日本国内で最初の交易港として開港した港湾都市ですが、夜景の名所として知られる函館山や五稜郭などの観光スポットも沢山あり、毎年500万人以上の観光客が訪れる観光都市でもあります。
クルーズ最初の2日間は好天だったのに、今回は午前中が小雨、午後は曇りとあいにくの天気でしたが、久し振りの函館なのでゆっくり街歩きを楽しむことにしました。
写真は、元町公園にある「旧函館区公会堂」の2階のバルコニーから望む函館港の絶景・・・大きなベリッシマが停泊しています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
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ベリッシマは6時半に函館港に入港済みで、7時過ぎにバルコニーから外を見ると、あいにくの小雨模様ですが、既に観光バスが何十台もズラリ!
「ぐるっと循環バス」の運行は7時半からで、「はこだて明治館」から「港町ふ頭」への最終出発時間は16時25分、出航は20時。 -
天候不良のため、今日のラジオ体操はデッキ6「プロムナード」で。
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朝食を済ませ、8時に「ぐるっと循環バス」に乗って先ずは函館駅に向かいます。
車窓から見えるのは、青函連絡船記念館「摩周丸」・・・青函トンネルが開通した昭和63年まで青函連絡船として運航された摩周丸を、実際の乗り場であった旧函館第2岸壁に係留・保存し、一般公開しています。
初代摩周丸は昭和23年に就航し、この2代目摩周丸は昭和40年から青函航路に就きました。
大きさは8,328トン、旅客定員1,200名、搭載車両48両・・・ベリッシマと比べると、おもちゃのような規模ですが、青森-函館間を3時間50分で結び、北海道の発展に貢献しました。 -
8時半過ぎに函館駅に到着。
明治35年に北海道鉄道の函館駅として開業した駅舎は、現在で5代目。
船舶をモチーフにデザインされたという外観はシンプルで綺麗・・・駅前の赤いモニュメントが目を惹きます。 -
これは、親子が触れ合う姿を表現している「Oyako」・・・工業デザイナー・林昌平氏によるモニュメントです。
JR函館駅の建替えに伴う駅前広場再整備の一環として、「ふれあい」をテーマに全国から寄せられた公募作品の中から選ばれたもので、親がお腹の下に我が子を隠して守る姿を形にしています。 -
改札口の上には、札幌行の特急・北斗などの案内が表示されています。
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駅前広場のブロンズ像『陽』・・ かつて道教大函館校の教壇に立っていた全道展会員の彫刻家・秋山沙走武(すすむ:1930~2001)の作。
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駅前にある湯の川行の路面電車・函館市電の乗り場から五稜郭に向かいます。
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「五稜郭公園前駅」で降りて、五稜郭タワーまで歩いて約10分。
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電停から五稜郭公園へと続く道路は「行啓通」・・・大正11年に皇太子(後の昭和天皇)がこの道を通ったことから付けられた通り名です。
道路沿いには小さなアートが、道行く人の心を和ませてくれます。
このヒグマとクマゲラの像は、石川啄木からインスピレーションを受けた藤原吉志子さんの作品で、作品名は「ぢっと手を見る」。
『働けど 働けどなお わが暮らし 楽にならざり ぢっと手を見る』・・・実際の啄木は借金までして遊びまくっていたそう。 -
これは峯田義郎作「ぼくたちの旅」・・・少年とワンちゃんの肩の力を抜いた像が、何とも可愛い。
= あの空の向こうに 僕たちのまだ知らない広い世界が きっとある = -
行啓通をしばらく歩き、右に曲がると五稜郭タワー・・・桜が咲き始めています。
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見頃は来週・5月上旬のようですが、この木はよく咲いています。
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函館に来たら、海鮮だけでなく「ラッキーピエロ」にもお立ち寄りを・・・函館市内に17店舗あり、五稜郭タワーの目の前にも。
店の前には河津桜のようなピンクの桜が満開! -
店の向かいにある「函商五陵ヶ丘記念碑」・・・1922~1970年までこの地にあった函館商業学校の校門を、創立90周年記念として1976年に移設しました。
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その左に建つ「皇太子殿下行啓記念碑」・・・函館商業学校が元町にあった明治44年に皇太子(後の大正天皇)が来函し、授業参観をした記念の石碑で、学校の五稜郭移転に伴いここへ移されました。
満開に近い桜が石碑を見守っています。 -
9時半に五稜郭タワーへ到着。
現在のタワーは2006年にオープンした2代目で、建物の高さ:98m、避雷針の高さ:107m。
展望台の高さは1階床:86m、2階床:90mで、五稜郭の特徴である星形城郭のほぼ全景が見下ろせます。 -
観光シーズンに入り、駐車場も観光バスで満車状態。
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入り口の土産物屋を見ながら中央のチケット売り場に行くと、嬉しいことにジャパネットクルーズ割引が!
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でも、修学旅行生や一般の旅行者で、チケット売り場もエレベーター乗り場も長蛇の列!
1時間以上かかると思って、展望台に上るのは止む無く諦め、五稜郭公園内にある箱館奉行所を見学することにしました。
クルーズメンバーの中には頑張って並んだ人もいたようです。 -
1階のアトリウムには、函館出身の彫刻家・小寺眞知子さんが制作した土方歳三のブロンズ立像・・・新選組の副隊長だった土方は榎本武揚と仙台で合流し、蝦夷地に渡って徳川幕府軍の副司令官として戦いを指揮しましたが、明治2年に箱館戦争(五稜郭の戦い)で銃撃を受け、35年の生涯を閉じました。
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当時の大砲がタワー前に展示されています。
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五稜郭タワーの目の前にある「最上寺」・・・昭和7年創建の法華宗のお寺です。
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御朱印は五稜郭に因んだ「五稜星(青・赤)」のほか「妙法」「土方歳三」の4種類があります。
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五稜郭の中央にある箱館奉行所。
幕末の黒船来航によって200年以上続いた徳川幕府の鎖国政策は終焉を迎え、1854年に食糧・薪水などの補給や遭難民の保護・引き渡しを保障する「日米和親条約」を締結し、伊豆・下田と蝦夷地の箱館(江戸時代までの函館の表記)が開港場となり、アメリカに続いてイギリス、ロシアとも和親条約を締結します。
徳川幕府が開港前に、箱館での外国との交渉や蝦夷地の防衛などの当たるため設置したのが「箱館奉行所」です。 -
星型が特徴的な五稜郭の土塁は、当時、箱館に入港していたフランス軍艦の軍人からの情報・指導をもとに、ヨーロッパで発達した「城郭都市」をモデルとして設計されました。
安政4年(1857)に着工し、元治元年(1864)完成後に箱館山の山麓にあった旧役所を移転させ、「箱館御役所」(通称:箱館奉行所)として蝦夷地の政治を担う場所となります。 -
初代五稜郭タワーは、五稜郭築城100年にあたる1964年に開業しましたが、函館空港に近いことから高さ制限のため、避雷針の高さは60m、展望台の位置は45m・・・来場者からは「三稜しか見えないのに500円も取るのか」と星型の全景が見えない不満も出ていました。
1990年に函館空港の滑走路延長に伴って高さ制限が107mに緩和されたことで新タワー建設が検討され、2006年に現在の五稜郭タワーが開業しました。 -
慶応3年(1867)に徳川慶喜が大政奉還で政権を朝廷に戻し、箱館御役所も明治元年(1868)に明治政府へ引継がれますが、戊辰戦争が勃発して敗色濃厚の旧幕府軍は榎本武揚・土方歳三らと蝦夷地に向かい、五稜郭を占拠します。
新政府軍の総攻撃により半年間にわたる箱館戦争は、旧幕府軍が約800名、明治新政府軍が約300名の犠牲者を出して終結しました。 -
明治4年には奉行所をはじめ、殆どの建物が解体されますが、函館市民の請願を受けて、五稜郭は大正3年から公園として一般開放されて5,000株の桜の苗木も植樹され、北海道でも有数の桜の名所となりました。
箱館奉行所は、平成22年に当初の3分の1の規模で、当時と同じ場所に同じ材木を使用して復元されました。 -
函館山麓の立待岬から切り出した安山岩などを使用した石垣・・・上部は武者返しになっています。
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五稜郭タワーの展望台から、この景色を観たかったですね~。
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赤松と桜に囲まれた箱館奉行所。
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奉行所の手前にある「武田斐三郎先生顕彰碑」・・・武田斐三郎(あやさぶろう・1827~1880)は五稜郭を設計・監督・築造した蘭学者。
顏の部分が輝いているのは「頭の良さにあやかりたい」と、多くの人に撫でられてきたからだとか。 -
右が入り口、左が出口。(入館料:500円)
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箱館奉行所の復元模型と間取り図。
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玄関を入って最初の部屋が「使者の間」・・・主人に随行した者が待機する部屋で、大きな床の間は弓矢や鉄砲が掛けられていた「弓鉄床」。
壁には榎本武揚の書「入室但清風」(模写)・・・土方歳三の甥が歳三の戦死の状況を聞くために榎本を訪ねた際に故人を偲んで書いた書で、「部屋に入ると清らかな風が吹くような、爽やかな人物であった」という意味です。 -
4部屋合わせて72畳の「大広間」・・・奥の「一之間」には奉行・組頭・調役、「二之間」に元締・定役・用人、「三之間」に同心など、「四之間」に足軽が着座し、正月・節句などの行事に交礼が行われた奉行所の中で最も格式の高い場所です。
「一之間」には書院造りの床と違い棚があり、これを背に奉行が着座しました。 -
大広間の先にある「表座敷」・・・箱館奉行の執務室。
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「中庭」は観賞用でなく採光や雨水処理を目的に造られたものです。
中庭越しに見える「太鼓櫓」の高さは16m。 -
展示コーナーに展示された鉄砲や釘隠し。
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園内に置かれた箱館戦争当時の大砲をみると、戦いの凄まじさを感じます。
手前は旧幕府軍に撃沈された新政府軍の軍艦・朝陽の艦載砲だったドイツ製のクルップ砲、奥は旧幕府軍が湾内攻撃用に設置したイギリス製のブラッケリー砲。
函館の近代史を感じた五稜郭公園でした。 -
函館市電で函館駅に戻り、函館名物「函館朝市」でランチタイム。
昭和20年に近隣町村の農家が野菜や果物を持ち込み、函館駅前で立ち売りを始めたのが函館朝市のルーツで、現在は北海道を代表する朝市として約250もの店が軒を連ね、カニやサケなどの海鮮丼が美味しい食堂や海産物・野菜・珍味など、函館のあらゆる味覚が集まっています。 -
函館駅に近い側から「どんぶり横丁市場」「駅二市場」「函館朝市ひろば」と続きますが・・・
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目指すは「二番館」。
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6種類の丼が税込み550円で、みそ汁・お新香も付いたビックリ値段!
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2階にあるお店に行くと、それほど混んでいません。
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この五目丼が550円・・・嬉しくなりました。
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昼食後は、函館駅から「ぐるっと循環バス」に乗って函館山ロープウェイ山麓駅まで行き、そこから函館観光の中心部を歩きます。
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途中の車窓から見えたのは、2007年にオープンした「函館市地域交流まちづくりセンター」・・・大正12年(1923)に丸井今井百貨店の店舗として建てらえた3階建の建物で、屋上はドーム型の展望室になっています。
因みに、丸井今井は明治期に北海道唯一の呉服店として開業し、最盛期には道内に7店舗を展開する百貨店グループでしたが、現在は三越伊勢丹ホールディングスの子会社として札幌本店と五稜郭公園前に移転した函館店の2店のみです。 -
箱館山の麓にあるのが「五島軒本店・レストラン雪河亭」・・・明治12年の創業で、洋食とカレーが評判の老舗レストラン。
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箱館山山麓駅で循環バスを下車。
標高334mの函館山の山頂が見えますが、以前に上ったこともあるし、今回は余り時間もないのでパス。 -
山麓駅の近くにある「東本願寺・函館別院」の前を歩いて教会巡りへ出発。
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白い壁に映える彩色ガラスの十字架や、4方向に延びる十字架を表す屋根など、モダンなデザインが特徴の「函館聖ヨハネ教会」・・・日本聖公会のプロテスタント教会で、現在の建物は1979年に完成しました。
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明治6年にイギリス人宣教師・デニング司祭が函館に上陸し、民家を借りて布教活動を始め、明治11年に元町に教会を建てたのが始まりです。
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高台に位置する瀟洒な「ハリストス正教会」・・・安政7年(1860)に初代ロシア領事館の付属聖堂として建立され、翌年に聖ニコライ司祭により布教活動が開始された日本で最初のロシア正教会聖堂。
正式名称は「函館ハリストス正教会復活聖堂」・・・つまり、ハリストス(キリストのギリシャ語読み)の復活を記念する聖堂です。 -
初代聖堂は明治40年の函館大火で焼失し、大正5年に再建された現在の教会は、白壁と緑色銅板屋根が特徴的で、国の重要文化財に指定されています。
その時の大鐘は、関東大震災で被災した東京・神田のニコライ堂の修復の際に移され、代わりに大小6個の鐘が贈られましたが、この鐘がリズムと共にメロディを奏でたことから「ガンガン寺」として市民に親しまれました。
その鐘も戦時中に供出され、現在の鐘は昭和58年に献納されたものです。 -
ロシア公使館の東京開設に合わせて明治5年にニコライも上京し、布教活動の場を東京に移して神田にニコライ堂を建てます。
1912年に没して谷中墓地に葬られますが、2002年に聖ニコライの不朽体(ふきゅうたい:正教会の用語で聖人の遺体のこと)の一部がここに納められました。 -
聖堂内に入ると、高い天井と共にイコノスタス(聖障)が目を引きます。
この見事なイコノスタスは、大正5年にロシアのサンクトペテルブルクで造られ、船で函館港に輸送されたものです。
聖堂内はお花の香りに包まれていました。 -
次は「カトリック元町教会」・・・安政6年(1859)にフランス人宣教師が称名寺境内に小聖堂を設けたのが始まりで、徳川幕府が発布していたキリシタン禁教令が廃止されるのに先駆け、キリスト教宣教再開の象徴として、横浜の山手教会・長崎の大浦天主堂と共に建てられた最も古い歴史を持つローマ・カトリック教会です。
大火による焼失・再建を繰り返し、現建築は大正13年に完成したもの。 -
赤い屋根と八角形の高く聳える33mの鐘楼が特徴的な、ゴシック様式の美しい教会です。
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どこからでもよく見える風見鶏。
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聖堂の天井は青く塗られて星が散りばめられ、メルヘンチックな美しさ。
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中央の祭壇は、1914年から1922年までローマ法王を務めたローマ法王・ベネディクト15世から火事見舞いに贈られたもので、日本では唯一の貴重な祭壇です。(写真はHPより)
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聖堂裏には、高さ1.5mの聖母マリア像をまつる「ルルドの洞窟」があり、信者の祈りの場になっています。
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カトリック元町教会から八幡坂の方に向かうと、石垣に『北海道函館西高等学校』の文字・・・そうです、ここが演歌の大御所・北島サブちゃんが片道3時間かけて通った1905年開校の伝統校です。(中退したそうですが)
♪ はるばる来たぜ 函館へ~ ♪ -
坂の街・函館を代表する坂のひとつ「八幡坂」・・・石畳の下り坂が一直線に函館港へ伸びていく、素晴らし景色ですね。
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八幡坂と旧函館区公会堂の間にある「シン・クリフサイド」に立ち寄り。
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ビルの2階からは函館港方面が一望できます・・・函館港に停泊中のベリッシマが見えた!
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元町公園にある「旧函館区公会堂」・・・この建物は明治40年の大火で焼失した町会所に代わる施設として、明治43年に豪商・相馬哲平や住民からの寄付などを元に建てられた住民の集会所です。(建築費用は約5万8千円で、5万円は相馬哲平の寄付による)
建物は正面にバルコニーがある木造2階建の擬洋風建築物で、演奏会や展示会の会場などとして函館市民に利用されてきました。 -
1階に入ると「球戯室」・・・当時はビリヤードが2台設置されていました。(現在は展示部屋)
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その隣は「大食堂」・・・公会堂来館者に食事を提供した場所で、厨房設備がないので、外注の食事が持ち込まれていたそうです。
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暖炉もあります。
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階段を上がって2階へ。
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「御後架・御湯殿」・・・明治44年に皇太子(後の大正天皇)が宿泊することとなり、急遽増設された設備です。
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「御召替室」・・・調度品は当時の物。
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「御寝室」・・・・ベットは真鍮のパイプ製で、当時としては高級品。
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「御座所」・・・壁や天井には植物文様の壁紙を使用し、家具は高貴な紫色・・・目を奪われます。
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暖炉も立派です。
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ステンドグラスをやっている家内は、暖炉のデザインに見入っていました。
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「御食堂」・・・皇太子殿下(後の大正天皇)だけでなく、摂政宮殿下(後の昭和天皇)や上皇・上皇后両陛下もご昼餐された部屋です。
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シャンデリアが目を引く高さ約6m・130坪の「大広間」・・・函館区民の集会所として音楽会や講演会等の行事に使用されました。
昭和2年に開催された芥川龍之介と里見弴の講演会には、1,000名の聴衆が集まったそうです。 -
2階のバルコニーからは、眼下に函館港の絶景が広がります。
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五稜郭タワーに・・・
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ベリッシマも。
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広い元町公園内にある「旧北海道庁函館支庁庁舎」・・・当初の建物は明治40年の大火で消失し、現在の建物は明治42年築の洋風木造2階建。
柱頭飾りが施されたエンタシス風の柱が支える三角形の切妻破風の形状が印象的な外観です。 -
建物の右側にあるのは、昭和57年に設置された「四天王像」・・・明治期の函館の発展に尽力した4人の財界人で、向かって左より今井市右衛門(出身地:石川県)・平田文右衛門(函館)・渡邊熊四郎(大分県)・平塚時蔵(青森県)。
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ユニオンジャックが目印になるコロニアルスタイルの建物は「函館市旧イギリス領事館(開港記念館)」・・・安政6年(1859)の開港とともに、アメリカ、ロシアに次いで函館では3番目に開設された領事館で、 現在の建物は幾度かの大火を経て大正2年に再築されたものです。
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1階は「開港ミュージアム」・・・ここは函館開港の歴史室で、外国船の影が忍び寄る開港前夜から、ペリーの黒船来航をきっかけに日本で初の国際貿易港として開港するまでの歴史や文化を展示パネルで紹介しています。
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2階に上がります。
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家族居室と暖炉。
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その隣は「領事執務室」・・・机や書棚や掛け時計、暖炉などが再現され、双眼鏡で外を覗く3代目領事のリチャード・ユースデンの像も置かれています。
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” ね~ 何が見えるの? ” ・・・思わず声をかけたくなります。
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イギリス領事館から金森赤レンガ倉庫に向かって市電の通りを歩いて行くと「函館市文学館」があります。
この建物は第一銀行函館支店として大正10年に竣工した建物で、ここには石川啄木など主に函館にゆかりのある作家に関連する資料約250点が収蔵・展示されています。 -
マンホールの蓋は、五稜郭のデザイン。
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函館西波止場の近くに立つ「赤い靴の少女像」・・・五稜郭タワーにあった土方歳三の像を制作した小寺眞知子さんの作品で、市民団体によって函館開港150年の2009年に設置されました。
「赤い靴」のモデル・きみちゃんは明治末期に実在しており、母親はきみちゃんを連れて静岡から函館に来て入植地の農場に向かいましたが、病弱だったきみちゃんは宣教師に預けられ、函館は母子の別れの地になった事から像が建てられたようで、この像は降り立った桟橋近くに立っています。
病弱なきみちゃんは、東京の孤児院で9歳で亡くなりました。 -
「金森赤レンガ倉庫」は、長崎から函館に移住し、輸入雑貨や船具などの販売を手がけた渡邉熊四郎(四天王の一人)が明治20年に既存の建物を買い取って営業倉庫業に乗り出したのが始まりだそうで、現在はショッピングモールやビアホール・レストランが入居する、函館の観光名所となっています。
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ここが循環バスの乗り場。
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その向かいにある「ラッキーピエロ ベイエリア本店」。
ラッキーピエロの創始者・王一郎は、神戸で在日中国人の両親に生まれた実業家で、1970年代に訪れた函館が気に入って移住し、1987年に本店を開店・・・少年時代に見たサーカスのようなワクワクする店作りを目指し、ピエロの物悲しいイメージを打ち消すために「ラッキー」を付けて店名としました。 -
金森赤レンガ倉庫に隣接して建つ、レトロな「はこだて明治館」・・・明治44年に、道内初の郵便局として設置された旧函館郵便局が入っていた建物です。
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館内には、北海道の民芸品や硝子製品、オルゴールなどが並んでいます。
お土産を買い、ぐるっと循環バスでベリッシマに戻ります。 -
部屋に入ると、ジャパネットクルーズ通信などと共に「オリジナルペーパー加湿器」が配布されていました。
組み立ててグラスに水を入れると、こんな楽しい加湿器が出来上がり!
水を補充すると、何日も使えます。 -
今夜は「イタリアンナイト」・・・イタリア国旗の色(赤・白・緑)を身に付けて、ディナーを楽しみましょう。
クルーズの間、私達のテーブルを担当してくれたクルーの方とパチリ。 -
イタリア国旗の服装など持っていませんので、家内は七宝で作ったイタリアンカラーのブローチと指輪で仲間入り。
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皆さん、思い思いの服装で楽しく食事を・・・突然、イタリアの歌に合わせてホールスタッフが踊りだすと、ツアー参加の皆さんも一緒になって赤・緑・白色のナプキンを頭上で回して盛り上がります・・・陽気なイタリア人気質の、賑やかで楽しいひと時!
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今夜のメインはイカスミのリゾット。
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ロンドンシアターでの今夜のショータイムは・・・
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イタリアのテノール歌手ヴィンチェンツォ・レンティーニによる「夢(My Possible Dream)」。
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「サンタ ルチア」などイタリアの名曲を生で聴く歌声は、想像以上の迫力!・・・その場の空気が一変するような、魂に響く歌声に圧倒されました。
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イタリアンナイトのコスチュームに身を包んだ方から ” 一緒に写真を撮りましょ! ” ・・・ベリッシマならではの楽しいひと時です。
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21時からデッキ6・カルーセルラウンジで開催の『もっと教えて!秋田寄港SHOW』に参加・・・翌日の寄港地・秋田の情報を仕入れます。
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その帰りに「インペリアルカジノ」を覗くと、多くの人が楽しんでいます。
但し、旅の後半は人影もまばらでした・・・なかなか思うようにならなかったのでしょう。 -
イタリアンナイトの今夜は、LEDスカイドームもイタリアンカラー。
明日は秋田観光です。
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