2024/03/08 - 2024/03/08
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赤い彗星さん
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東北旅行二日目。
昨日は盛岡市の中心部を散策しましたが、
二日目は郊外の報恩寺にバスで向かいます。
少し手前のバス停で降りて、先に岩手の地名発祥の地とも
云われている三ツ石神社に立ち寄りました。
その後、盛岡に残る数少ない江戸時代の商家や庭園を巡ります。
- 旅行の満足度
- 4.5
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報恩寺に向かう前に「岩手」の地名発祥の地と伝わる三ツ石神社に立ち寄りました。
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境内には、大きな岩がドドーンと聳えています。
盛岡城下で悪行を働いていた羅刹という鬼に苦しめられていた人々が、三ツ石神社に祈願したところ、羅刹が退治され、二度と悪さはしないという証にこの岩に手形を残したそうです。
この伝説が、「岩手」の地名発祥となったと云われています。三ツ石神社 寺・神社・教会
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正面から見ると二つの大石が並んでいるだけに見えますが、後ろに小さめの大石が一つ隠れているので三ツ石になります。
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羅刹と思われる鬼が、棍棒を持った鬼に踏みつけられている顔出しパネル。
悪行を働く鬼を退治しているので悪い鬼ではないのだろうけど。。
むしろこの鬼が暴れたら、もっと手が付けられなくなりそうな。
ここがお寺なら、邪鬼を踏みつける四天王とかが描かれていたような気がします。 -
大石のインパクトが強すぎて、余り目に入ってきませんが、三ツ石の裏に隠れるように拝殿が鎮座しています。
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拝殿後ろの本殿。
こちらは境内で一番高い場所に鎮座しています。 -
三ツ石神社から、歩いて10分弱の報恩寺にやってきました。
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参道正面の大きな山門が、境内への入口になっています。
かなり歴史のある山門に見えるのですが、昭和53年に新築されたものだそうです。羅漢堂にずらりと並んだ羅漢像が壮観な寺院 by 赤い彗星さん報恩寺 寺・神社・教会
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山門には、「瑞鳩峰山」の扁額が掲げられています。
それにしても立派な山門。江戸時代の造営と云われても、全く疑いを持たないような建築物です。コンクリート造りではなく木造なので、時を経るごとに良い意味で枯れていく気がします。 -
山門の奥に見える中門は、明治維新後に盛岡城が払い下げられた際に移築されたものと云われています。この山門が造られるまでは、現在の中門が山門の位置に建っており、旧山門として利用されていたそうです。
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山門を護る金剛力士像の阿像。
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山門を護る金剛力士像の吽像。
壁面の板などを見ると、確かに立てられてからそれほど年代が経っていないように思えます。 -
山門で怪しく目を光らせている象の木像。
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山門同様、昭和53年に新築された鐘楼。
梵鐘も昭和50年に鋳造されたものですが、それまでは元禄11年(1698)に鋳造された梵鐘が使用されていました。 -
山門正面の本堂。
旧本堂が昭和35年に火災で焼失してしまい、昭和39年に再建されました。
山門より古い建物ですが、山門より新しい建物に見えます。 -
分厚い漆喰で覆われ、入口も分厚い扉が備えられている羅漢堂。
大事な仏像群を火災から守るために蔵のような造りにしているんでしょうね。
享保20年(1735)に建造され、嘉永4年(1851)に改築された建物です。 -
境内の溶けかけの雪だるま。
昨日角館や盛岡市内を散策した際は、それ程寒さを感じなかったけど、この日は曇り空で拝観開始時間早々に訪れたこともあり、写真を撮ろうと手袋を取ると瞬時に手がかじかむような底冷えのする寒さ。
やはり雪国の冬は寒いという当たり前の結論に達しました。 -
本堂内部は、畳敷きの長い廊下が前面に設けられています。
風が吹かないのは助かりますが、堂内は冷え切っていてかなりの寒さ。
板敷でなくて良かった。
本堂の端に羅漢堂への入口となる通路があり、そこで拝観料を納めます。 -
本尊の釈迦牟尼仏と脇侍の文殊・普賢両菩薩は、聖徳太子作と伝わっているそうです。元奈良中善寺の本尊と伝わる仏像を京都で手に入れ、享保年間に報恩寺にお迎えしたものです。
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こちらは有料ゾーン。
羅漢堂に至る通路は、鋳金原型堂と名付けられていて鋳物が展示されています。一番手前には、江戸時代に鋳造された古梵鐘が置かれています。 -
天井まで頭が届きそうな大きな鋳物は、横川省三氏像。
南部盛岡藩出身の新聞記者で日清戦争へも記者として従軍しました。
日露戦争時には、諜報活動なども行っていましたが、ロシア軍に捕まり処刑された方のようです。 -
羅漢堂の入口が見えてきました。
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羅漢堂の中央には、弘法大師作と伝わる盧舎那仏が鎮座しており、脇侍には元大和橘寺の本尊であったと云われている朝鮮渡来の善財童子と八歳竜女の二像が安置されています。
本堂のご本尊同様、享保年間に京都で手に入れてお迎えした仏像です。 -
仏像群が安置されている中央天井には、龍図が描かれていました。
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羅漢堂の側面には、現存する499体の羅漢像がびっしりと並んでいます。
中国の天台山像を模して、京都の仏師が4年かけて造像したものを京都から搬送したものです。1体だけ失われてしまっているのが、何かミステリアス。
なーんちゃって(死語?)ポーズをしている羅漢さんもいますね。 -
東アジアの僧とは、明らかに服装の違う印度や西域などの人物を現したと伝わる像も含まれています。左はマルコポーロ、右はチンギス・ハーンの孫であるフビライと云われています。
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仲良さげにひそひそ話をしている羅漢さん。
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おったまげた。
静かに座禅を組んでいる羅漢が大多数の中、この羅漢さんには何が起こったのか気にかかる。。眼も白目だし。 -
中央の盧舎那大仏と脇侍の今にも立ち上がりそうな八歳竜女。
聡明な幼女であるサーガラ龍王の娘が、法華経の教えで即身成仏したという伝説が元になっているようです。 -
門に施されていた迫力ある龍の装飾。
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シンメトリーではなく、左右の門扉には別デザインの龍が装飾されていました。
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報恩寺から、歩いて盛岡市中央公民館までやってきました。
こちらは平成22年に閉室している盛岡市中央公民館郷土資料展示室。盛岡市中央公民館郷土資料展示室 美術館・博物館
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盛岡市中央公民館庭園は、冬季休園中でした。
盛岡市中央公民館庭園 公園・植物園
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盛岡市中央公民館にやってきたのは、重要文化財に指定されている江戸時代の商家を見学したかったため。入口には鍵が掛かっていますが、中央公民館の受付で見学したいことを伝えると、鍵を開けてくれて内部を見学させてくれます。
商家「糸治」(旧中村家住宅) 名所・史跡
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公民館の方に鍵を開けて頂いて、中に入れて貰いました。
玄関から入ると目の前に擦り切れた「いとや」の暖簾が掛けられています。
電気を付けて頂き、「ご自由にゆっくりとご見学下さい。但し、鍵を閉める必要があるので、見学が終わったら声を掛けて下さい。」と言って頂いたので、邸内を見学させて頂きます。 -
一般公開されている商家と違って、今回のようにリクエストして見学できる建物で雨戸なども開放されていないため、照明は付いているものの室内は薄暗い状態です。
こちらは「かんざ」と呼ばれる部屋で二階まで吹き抜けになっています。 -
階段を登って、2階を見学する事も出来ます。
糸屋もしくは糸治の屋号を持つ中村家は、盛岡城下でも指折りの呉服や古着を扱う商家でした。南部紫と呼称される岩手特産の紫根染を一手に扱うなど、かなり繁盛していた商家だったようです。
上の写真に写っている障子の襖には、紫根染の装飾が施されています。 -
2階には、二間続きの座敷として使用されていた六畳間があります。
床の間が付いているので客人を迎えたり、商家の主人が過ごしていた部屋かもしれません。 -
こちらは漢字で「糸屋」の暖簾。
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バスで向かおうとバス停で待つも、中々バスがやってこず。
ただの遅延なのか、間違った場所で待っているのか判断が付かなかったので、通りがかったタクシーに乗って南昌荘にやってきました。南昌荘 美術館・博物館
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屋敷前の庭園には、大きな石灯籠と鬼もしくは般若を象った大きな彫刻が置かれています。
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南昌荘は、現在いわて生活協同組合が維持管理しているそうです。
歴代の所有者であった実業家たちが南昌荘を手放した後、再開発で貴重な庭園が無くなる事を惜しんで、昭和62年に組合員の共有財産として購入したそうです。
その後、公開・活用を求める声が高まったことから、平成12年から一般公開されるようになりました。 -
南昌荘一番の見どころと思われる30畳の板張りとなっている南昌の間。
板張りの床はよく磨かれていて、光や風景が淡く反射しています。 -
南昌の間の縁側には、小さな机と椅子が並べられていて、寛ぎながら庭園を眺める事が出来るようになっています。
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庭に面した縁側に飾られていたステンドグラス。
左のステンドグラスには、宮沢賢治の童話である銀河鉄道の夜、セロ弾きのゴーシュ、注文の多い料理店などが、題材としてデザインされています。 -
京都の仙洞御所を模したと云われている池泉回遊式の庭園。
紅葉の季節は、特に綺麗なようです。 -
庭園から見た屋敷。見えている部屋が、中2階にある南昌の間です。
南昌荘は、盛岡出身の実業家である瀬川安五郎により、明治18年頃に邸宅として建てられました。両替商から始まり、生糸売買や鉱山開発などを手掛けた実業家で、「みちのくの鉱山王」とも呼ばれていたようです。 -
庭園の池も凍っていてシャーベット状。
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雪の積もった中、散策した先人がいるようですね。
滑って池に転落しないように、慎重に橋を渡っていきます。 -
南昌の間からの風景。
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人が少し小さすぎる気はしますが、縁側に座って庭を眺める二人の後姿と長く伸びる影。星形の葉が描かれているので紅葉の季節かな。
穏やかな気持ちになれる、和を感じる影絵です。 -
邸内の廊下など暗くなっている場所には、芸術作品の灯りが置かれていて、足元を照らしてくれていました。
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歩いている最中に通りがかった新渡戸稲造生誕地に建てられた座像。
南部藩士の家に生まれ、札幌農学校、東大、京大の教授、東京女子大の学長として、後進の育成に力を注いだ教育者で、行政官として台湾の開発に力を尽くし、国際連盟の事務局次長も務め、「連盟の良心」と讃えられるほどの人格者だったようです。ステータスの高い方は、能力は高いが、自己顕示欲も強いイメージがありますが、私心を持たない万能の聖人のような方だったんですね。
名前と五千円札の肖像になっていたのは知っているけれども、どのような偉人かは存じ上げていなかった。。新渡戸稲造生誕の地 名所・史跡
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駅周辺でじゃじゃ麺を食べられるお店を探していたら、駅地下でお店を見つけたので早速入店。
盛岡じゃじゃめん 小吃店 フェザン店 グルメ・レストラン
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じゃじゃ麺に追い味噌して、美味しく頂きました。
恐らく初めて食べたと思うけど、気に入ったのでまた次盛岡に来た時も食べたいなと思います。肉味噌うどんは、辛くない汁なし坦々うどんや和風ミートソーススパゲティといったイメージかと。 -
少しうどんと味噌を残して、食後に卵スープを頼む事も出来ます。
味付けは、自分でしなければならないのだけど、加減が分からず適当な味付けでスープを飲んでみたら、薄くて美味しくなかった。。味付け失敗。 -
盛岡駅の構内で販売されていた福田パンのコッペパンをゲット。
テレビでは何度も見かけたことがあったけど、予想よりも大きくてボリュームのある柔らかいコッペパンでした。 -
南部藩主が、京都から招いた釜師に茶の湯釜を作らせたのが始まりと云われる巨大な南部鉄器が、盛岡駅構内に展示されていました。
盛岡駅 駅
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