2025/04/08 - 2025/04/08
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たびたびさん
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この旅行記スケジュールを元に
前編、中編の逗子・葉山と佐久は珍しく連続して未踏の地でしたが、最後は久しぶりの埼玉県の行田。行田は埼玉県でもメジャーなイメージはほとんどないのですが、「埼玉発祥の地、さきたま古墳群に石田三成鬼門の忍城と日本遺産の足袋の街、行田」と謳うとやっぱり意外になかなかの場所なんですけどね。
とはいえ、JR高崎線沿いだと大宮、浦和、熊谷とかの方が断然メジャーだし、本庄、深谷、岡部に鴻巣、北本、桶川といった塊りもあります。ついでに言うと、浅草から日光を結ぶ東武日光線沿いだと草加、越谷、春日部、幸手、栗橋。どっちを見ても、行田はその他大勢の一つという位置づけにしかならないという感覚が普通でしょう。ちなみに、JRは旧中山道を走っているし、東武日光線は旧日光街道。ともに五街道でしたから、それぞれ沿線に歴史を持つ町が控えているのは当然なんですけどね。ついでに、もう少し加えると、埼玉県はいろんな形で地域を区分していますが、私的にはJRの旧中山道沿い、東武線の旧日光街道沿い。それに加えて秩父方面の所沢、川越といった西武線沿線地域で区分すると地域性や地域のつながりが理解がしやすいのではないかと思っています。いかがでしょうか。
ところで、実はこの辺りが西日本などとはちょっと違うところ。律令制で定められた国でいうと埼玉県は東京都や一部神奈川県も含めての武蔵国。大きすぎて、地域区分のモノサシにはなりません。東北地方だともっとすごくて、東北全部が陸奥国ですからね。なので、逆に東北6県はそれぞれの特徴を論じてもあんまり意味はなくて、東北全体で歴史を考えないとうまく整理はつきません。これに対して、西日本などでは、律令制の国が地域性を理解するうえで程よいモノサシとなるケースがとても多いです。
かなり横道に逸れてしまいましたが、行田のことに戻って。冒頭に触れておきたいのはやっぱりさきたま古墳群のことですね。さきたま古墳公園には、さきたま資料館というのがあって、そこの目玉はなんと言っても国宝の「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」。稲荷山古墳から発見された、刀身に金象嵌で115文字の銘文が刻まれた古墳時代の鉄剣ですが、辛亥年(471年)の年号が記されていて、銘文はこの時代の21代雄略天皇との関係を示すもの。この頃、既に、ヤマト朝廷の支配力が広い範囲に及んでいたことが明らかとなっただけでなく、逆に、鉄剣は中国南朝の正史、宋書に登場する倭の五王の一人とされる雄略天皇が実在したことを証拠立てるものともなっていますから、めちゃめちゃ価値があるものだと思います。
この辺りのことは、別途整理していますので、参考まで。(https://4travel.jp/travelogue/11789832)少しぼかしていますが、要は、弥生時代の邪馬台国とヤマト朝廷は直接的な関係はたぶんないということ。古墳時代は、新たに大陸からやって来た渡来人によって開かれた。そして、その渡来人の中にヤマト朝廷のルーツとなる一族が混じっていたというのが自然な推測。なので、邪馬台国の論争はあんまり意味はない。そんな論争はいい加減にしておいた方がいいというのが私の見方です。
それとちょっと蛇足かもしれませんが、実は東日本最大の古墳は群馬にあって、天神山古墳。その他、群馬県には保渡田八幡塚古墳や観音山古墳とか大型の古墳がいくつもあって、東日本では最大の古墳王国なんですね。上毛野国(かみつけぬのくに)とヤマト朝廷が良好な関係を維持していた所以とされるのですが、群馬の方は埼玉の陰に隠れてあまり知られていないかも。重要な発掘品が少ないのか、群馬県のアピールが弱いのかよく分かりませんが、そのこともせっかくなのでここで指摘しておきたいと思います。
さて、改めてさきたま古墳公園について。鉄剣が発見された稲荷山古墳は、推定全長120mの前方後円墳。これに加えて、日本最大級の円墳、丸墓山古墳に全長132.2m、 武蔵国最大の前方後円墳、二子山古墳と展示館が設置されている将軍山古墳。錚々たる古墳群であり、埼玉県の誇りですが、そんな公園が春爛漫。一面の桜の花に彩られていました。私もそれなりに想像していなかったわけではないですが、古墳群の桜がここまでとは思いませんでしたね。その素晴らしさもちゃんと伝えられたらうれしいです。
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高崎からJR行田駅に到着。
行田の観光をする時は、JR行田駅か秩父鉄道行田市駅かになりますが、どちらにしてもそこからさきたま古墳とかは距離があります。今回は、JR行田駅からこの行田市市内循環バスで忍城近くまで行って、そこからレンタサイクルを使うことにしました。行田駅 駅
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忍城バスターミナルの観光案内所です。
行田の観光エリアには複数の観光案内所があって、それぞれがレンタサイクルの貸出と返却ポイントになっていて、とっても便利。行田の観光なら、それを使わない手はないですね。ここで自転車を借りて、いざ出発です。忍城バスターミナル観光案内所 名所・史跡
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これは水城公園。かつての忍城の外堀跡を整備した公園です。
水城公園 公園・植物園
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イチオシ
一時は、忍沼と呼ばれた場所ですが、今では美しくて広大な池の周辺は市民の憩いの場所といった穏やかな光景。魚釣りを楽しむおじいちゃんたちもたくさんいて、ちょっと別世界のような和やかさです。
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市街には寺社もたくさんあります。やっぱり城下町ですからね~
遍照院は、駒形薬師として知られる真言宗智山派の寺。創建は、寛仁年間(1020)。遍照院 (駒形薬師) 寺・神社・教会
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藤原秀衡の守り本尊、薬師如来を祀ったのが始まり。
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イチオシ
徳川家康から御朱印地を拝領したという歴史もあり、山門から本堂にかけての構えは、ゆったりとして大寺の余裕を感じさせるもの。なかなかのお寺です。
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高源寺は、豊臣秀吉の小田原攻めで戦場になった忍城の戦いで亡くなった将兵を弔うために建立された寺。
高源寺 寺・神社・教会
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建立したのは、戦いの際の忍城主、成田氏の家老のひとり、正木利英。
山門前には、詳しい説明板があって、忍城の歴史も含めて往時が偲べます。 -
イチオシ
佐間天神社は、忍城主、成田氏が忍城を築城した際、城の南出口にあたる佐間村に創建したという佐間村の鎮守。安養院が別当寺。
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明治時代になってからは、社務所に佐間学校が設置されたりも。入口の惣門がちょっと頭でっかち風ですが、とても立派です。
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十万石 水城公園店は、水城公園の道路を挟んだ向かい側。ただ、道から少し奥まった場所にあって、少し分かり辛いかもしれません。
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十万石のお饅頭をいただきました。久しぶりに食べましたが、ちょっと粘っこい皮にしっかりした甘さの餡子ですから、これは上用饅頭っぽい饅頭。上用饅頭は饅頭の王様。人気のはずだと思います。
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では、行田市郷土博物館を訪ねます。
ここが入口です。行田市郷土博物館 美術館・博物館
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イチオシ
さっそく現れたのは、忍城御三階櫓。現在の忍城御三階櫓は、郷土博物館の開館と合わせ、場所を移して再建されたもの。郷土博物館の一部となっていて、中は展示室です。
ただ、やっぱり外観の方が圧倒的に大事かな。かつての忍城を想像するには十分。堂々とした姿です。 -
敷地を奥に
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進みまして
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鐘楼みたいな建物もありました。
ちなみに、忍城は、川越城、前橋城、金山城などと並ぶ関東七名城の一つとも。小田原征伐の際には、忍城代、成田泰季らが籠って石田三成らの水攻めに耐えた名城。開城したのは、小田原城が開城した後のことです。
小田原征伐では、支城が次々と落とされて。東征軍は、山中城、韮山城、下田城、玉縄城。北方軍は、松井田城、岩槻城、鉢形城、館林城、忍城、八王子城。この中で、忍城だけが落ちなかったというのはやはり注目に値することだったように思います。 -
これが忍城本丸跡地に建つ行田市郷土博物館です。
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さっそく中に入って、拝見しますよ~
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展示は、忍城・忍藩の関係から始まって、
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江戸期のものだと思いますが、二の丸御殿の模型は堂々としたもの。
忍藩はさすがの10万石。 -
松平氏、阿部氏などが譜代の大名が藩主を勤めました。
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足袋も忍城主、松平氏の奨励によるもの。300年の歴史を持っています。
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イチオシ
最初は革製のものが多かったようですが、高価なことから綿製が主流になる。
ミシンを使いだしたのは明治に入ってからですね。 -
最盛期には200軒以上の足袋屋があったということです。
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最後は埼玉古墳群に関連するもの。
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埴輪の種類も豊富だし、
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武人や馬の造形も見事です。
なお、全体として、埼玉古墳群、足袋は当然だと思いますが、老中も務めた忍藩阿部家の時代の展示も意外に充実しているという印象です。 -
博物館を出て、隣りの東照宮へ。
忍藩は譜代の藩主が続いていたので、徳川家康を祀る忍東照宮があるのは自然なことですけどね。 -
阿部家の後、桑名藩から松平家が移封した際に遷座したとか。ただ、意外に入り口が分かりにくいし、境内全体も荒れている感じが否めないような。あまりひと気はありません。
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忍城跡から東へ向かいます。
大長寺は、元亀・天正年間(1570-1592年)創建の浄土宗のお寺。 -
その後、忍藩藩主阿部家の菩提寺にも。
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入り口を入ってすぐ右手に大長寺大仏。初代は、戦時中の金属類回収令によって供出されてしまい、現在の大仏は二代目。しあわせじぞう、ごくらくじぞうを従えた三体です。
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さらに東へ進んで。
地蔵塚古墳は、古墳時代の後期、7世紀中葉に造られたとされる一辺28m、高さ4.5mの方墳。若小玉古墳群のひとつで、頂上に地蔵堂があるので地蔵塚古墳。竹藪の中に建つ妙に大きな建物が地蔵堂。ちょっと不自然な光景です。 -
地蔵塚古墳の少し南。
八幡山古墳は、古墳時代の後期、7世紀前期~中期に造られたとされる径約80m、高さ9.5mの円墳。 -
イチオシ
ところで、ここは横穴式石室が露出していてすごい迫力。関東の石舞台と呼ばれるのは、納得ですね。
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石室の中もよく見えて、精巧な造りのように感じました。
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しばらく南に進んで。
続いての成就院は、天正年間(1573-1592年)に創建された真言宗智山派のお寺。 -
行田救済菩薩十五霊場第十三番札所。
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イチオシ
ゆったりした境内に建つの享保14年(1729年)築の三重塔がひとつの見どころかな。ちょっとインパクトには欠けるような楚々とした姿ですが、塔内には忍城主、阿部忠秋から拝領した葉衣観世音菩薩を祀っているのが自慢です。
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さて、ここからさきたま古墳公園のエリアに入りますよ~
金沢製菓店は、 -
前玉神社の門前にある人気の和菓子屋さん。
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塩あんびんをいただきました。塩あんびんは埼玉ではお馴染みなんですが、県外の人手この塩味の餡子を口にしたら驚く人は多いかも。しかし、食べているうちにすぐに慣れてきて、しっかりしたお餅のおいしさが塩餡と意外によく合うのが分ってきます。そして、ここの塩あんびんはかなり出来がいい。これぞ正統派の塩あんびんというお味です。
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前玉神社は、埼玉古墳群内に鎮座する式内社。
前玉神社 寺・神社・教会
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前玉彦命(さきたまひこのみこと)ほかを祀り、この前玉が埼玉の地名の語源とも。
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古墳を訪ねたついでだと思いますが、ここを訪れる人はとても多い感じ。
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ただ、本殿は、鳥居から石段をそれなりに上った先。ちょっとしんどいです。
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イチオシ
ここからが古墳公園の中。
二子山古墳は、6世紀前半に造られた全長132.2mの 武蔵国最大の前方後円墳。優美な姿で登りたくなるところですが、ここは周囲が塀で囲われていて、遠目で確認するしかありません。さきたま古墳公園 公園・植物園
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愛宕山古墳は、埼玉古墳群で最も小さい前方後円墳。6世紀後半に造られ、全長は54.7m。大きく育った桜の木で全体が覆われていて、見事です。
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この脇を通って、
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天祥寺の方へもちょっと寄ってみます。
こちらは、臨済宗妙心寺派のお寺。 -
天祥寺の名前は、徳川家の重臣、奥平信昌の四男であり、母は徳川家康の長女、亀姫という松平忠明の法名、天祥院から。妙心寺の塔頭、天祥院の本寺にもあたるよう。門前に詳しい説明板。山門から中に入ると墓所とか含めて妙に広い境内です。
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中心部に向かうとさっそく見えてきたのは、日本最大級の円墳、丸墓山古墳。6世紀初めに造られ、直径は105mです。
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池の向こうに見えていますが、満開の桜に覆われて見事、見事。
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一幅の絵になるような眺めですね~
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そのまま遊歩道を進みますと。
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丸墓山古墳に至る桜の並木道は
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またいっそうの見事さ。
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イチオシ
満開の桜でできた桜のトンネルの向こうに形のいい丸墓山古墳が姿を見せていて、
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これ以上ないドラマチックなシチュエーションですね。
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桜の並木道を抜けて
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さあ、ここから丸墓山古墳に登ります。
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イチオシ
一直線に階段が上まで続いています。
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それなりにありますが、まあ、これくらいはどうということはないでしょう。
頂上はすぐそこに見えていますからね。 -
初めに見えていた通り、
中腹にもそこそこ桜は咲いています。 -
ほどなく頂上に到着。
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登ってきた階段とその先は桜の並木道ですね。
ここからだと先ほどの桜の迫力はあまり感じられませんけどね。 -
周囲を見渡すと
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稲荷山古墳と将軍山古墳を見下ろすような形。
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稲荷山古墳も
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将軍山古墳も大きいはずなんですが、そもそもこの丸墓山古墳のある場所がちょっと高いということなんでしょうかね。
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丸墓山古墳を下りて
稲荷山古墳の近くへ。稲荷山古墳は、推定全長120mの前方後円墳。5世紀後半に造られたもので、冒頭に触れた通り、金錯銘鉄剣はここから発見されました。
ちなみに、あの仁徳天皇陵が造られたのは5世紀の中頃。この頃は、まだ古墳時代の前期。6世紀に入って、古代国家の目鼻立ちがはっきりしてくる安閑・宣化・欽明(539年 - 571年)の時代が古墳時代の後期。古墳時代は7世紀の中頃、大化の改新くらいまで続きます。 -
将軍山古墳は、その古墳時代の後期、6世紀後半。全長90mの前方後円墳です。
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将軍山古墳には展示館があります。
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将軍山古墳の内部を利用した施設に展示されているのは、出土品の複製。
馬に乗る人物の模型や -
横穴式石室の内部と埋葬時の様子とかですが、
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臨場感があって、とても迫力がありますねえ。
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しかし、この様子だと古墳時代はあんまり平和な時代でもないのかな。戦時体制がずっと続いているといったイメージかもしれません。
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最後に、賑わっている観光物産館 さきたまテラスも確認して、さきたま古墳公園は終了。
行田市駅の方に戻ります。 -
その途中。
ふと目に入ったのが秩父家 本店。この辺りは観光客には比較的縁遠い場所かもしれませんけどね。しかし、店構えとかいかにも老舗のいい感じじゃないですか。 -
かきもち、あげもちが主力のようで、かきもちをいただきました。
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封を開けた時から海藻の香りがして、フライパンで油を敷いて温めるとふっくらあげもちのようになりました。これぞ本物の味。めちゃめちゃおいしいかきもちです。
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昼飯は行田市役所すぐの人気うどん店、大地へ。雑な建物ですが、スタッフの対応は行き届いているし、何より活気が違います。
大地 グルメ・レストラン
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うどんの方は、さぬきうどんっぽい舌触りの良さとコシがありますが、関東のうどん店だけにちょっと堅め。私的にはそこはマイナスですね。ただ、食べ終わった後に残った醤油とかに野菜スープのような出汁を入れていただくというのは、蕎麦湯に似ていて面白い。いい工夫だなと思いました。
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ここから行田八幡宮の方へ。
戸塚煎餅店は、八幡宮近くの商店街の一角。 -
行田は古墳の街。「はにわのかけら」というお餅を揚げた煎餅があって、それを買ってみました。軽いお菓子で、一度食べだすと止まらないですね。一気に食べてしまいましたが、薄い塩味のシンプルなおいしさがまたいいのだと思います。
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行田八幡神社は、通称、封じの宮。子供の夜泣きやかんの虫を封じる虫封じに、病やぼけ封じとかの祈願で知られます。この日も参拝者はけっこういて、次々とお参りする人がやってきました。社殿もしっかりしていてきれいです。
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シャロンは、行田八幡宮のはす向かいにある洋菓子屋さん。
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ソフトクリームも気になりましたが、サバランをいただきました。あまりアルコールがきつくない洋酒でひたひたのケーキ生地は期待通りのおいしさ。こういう感じできちんとしたものを提供するって、やっぱり老舗のお店なんだなあと思います。
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さて、以上で行田は終了。
自転車は、観光物産館ぶらっと♪ぎょうだで返却です。ここが行田市駅には一番近い観光案内所なんですよね。
なお、案内所の中はお土産物のショップ。行田の足袋とかもしっかり置いてありました。 -
行田市駅から東京への帰りは東武日光線で浅草経由にします。
羽生駅で途中下車して。
建福寺の境内にある田舎教師の墓を訪ねます。 -
明治末期の文学者,田山花袋の代表作「田舎教師」のモデルとなった小林清三の墓で、建福寺は花袋が寄寓していたことがある寺なんだとか。お寺で、墓の場所を尋ねると立派なパンフレットが作ってあって、それにはちょっと驚きました。
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ついでに、羽生 もっちり庵も。
羽生駅西口を出てすぐのもっちり焼きとかき氷のお店。 -
基本タイプのおぐらチーズは、餡子にチーズを忍ばせてあって、チーズが縁の下の力持ち的な感じ。微妙に濃厚な味わいになって、もっちりした大判焼きが奥行きのある味わいになっています。
さて、これですべては終了。羽田空港から広島へ帰ります。お疲れさまでした。
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