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《2024.July》あみんちゅぶらり九州を歩く旅そのⅥ福岡~九州風鈴まつり最終日後編~<br /><br />道の駅いとだで思い出に浸ってから車を走らせること30分、辿り着いたのは田川市民球場前広場であった。目的地は風鈴まつり開催中の〝平等寺〟の筈だが何故に〝田川市民球場〟なのかと言えば理由がある。確かGoogleさんでは〝平等寺駐車場〟と記されている場所が存在する。しかしこの場所は平等寺の案内にも〝利用できない〟旨が記されており、その代わりとして〝田川市民球場前広場(駐車場)〟を利用して下さいと書かれていたためにやって来た次第である。ただこの一帯は〝田川中央公園〟というだだっ広い公園になっており、どこに車を停めればいいのか迷ってしまったのだ。そのため公園内を車でウロウロと走ってしまったがために到着までに時間がかかってしまったのであった。最終的には〝球場〟を目的地設定して来て下さいという位なので、その辺りが最寄りだと考えて空いているスペースに車を停めた次第である。<br /><br />駐車場から平等寺への道は最初Googleさんに頼ろうとしたが、こういう時スマホナビは不親切で、東西南北どう進めば良いのかを抽象的に示されるので役に立たなかった。というより〝スポーツ以外の目的〟で来ている方の後ろに付けば問題ない訳で、ある意味ストーカー状態ではあるものの、人が進む方向に進んで行き、無事に平等寺入口に辿り着くことが出来た。因みにその入口には確かに平等寺の駐車場があり、数台は駐車出来るスペースはある。しかし場所自体も狭い上に球場に沿って走って来る道も狭く、行き止まりになっている。キャパもない上に満車がわかったとしてもUターンをするスペースがないのであった。こんな場所でも車で突っ込んでくる輩はいるようで、本来優先される歩行者を除けて走って来る様には呆れかえる以外なにものでもなかった。まぁそういった心無い輩もいるよと気を取り直し、石でできた仏様や灯籠のある参道を歩いて行き、無事平等寺の風鈴まつり会場に到着することが出来た。<br /><br />この平等寺、歴史ある寺院であると同時に〝インスタ映え〟する場所としても知られている。田川市は福岡県中央部の筑豊地域に属し、飯塚・直方市と並んで筑豊三都に挙げられている。筑豊と言えばその昔〝炭鉱街〟として名を馳せ、その中でも田川市は〝炭坑節発祥の地〟としても知られている。また筑豊最大の炭都であった歴史を活かしたまちづくりが行われている。田川市は北を除いて、東・西・南の三方を山々に囲まれている。東には田川のシンボルでもある香春岳、西には船尾山、南には全国的に霊峰として知られる英彦山を主峰とする山々が並ぶ。平野部には英彦山を源流とする彦山川と中元寺川が流れ、下流の平野部と結ばれている。三方を山に囲まれた内陸部に位置するため、冬季は放射冷却のために冷え込みやすく雪が降ると積雪・凍結することもある。また夏季は30℃を超える真夏日になる日が続き、35℃以上になる日もあるという九州地方では珍しく極端な年較差がある街としても知られている。明治期までは〝猪膝街道〟が通ずる猪位金村の猪膝宿が小規模な宿場町であった他はいずれも純農村地帯であった。しかし明治18(1885)年に田川エリアは海軍予備炭田に指定され、新たな坑口の開設が制限されることとなるものの、明治22(1889)年に制限が解除されると田川採炭会社が大規模な坑口を市内の後藤寺に2カ所と伊田に1カ所開いたことにより田川市の二大核心となる素地をつくった。その頃より小規模ではあるものの後の三井田川炭鉱の開発が始められ、明治37(1904)年には三井鉱山に経営権が移ると、仕事を求めて全国から移住者が訪れることとなる。第一次世界大戦を機に〝戦争景気〟が進むと田川は筑豊最大の〝炭都〟として栄え、第二次世界大戦中は戦争需要で石炭採掘の重要性が説かれることとなり、昭和18(1943)年には後藤寺町と伊田町が合併して田川市が誕生し、これによって日本最大級の炭都としての位置付けを確立させた。<br /><br />敗戦後もエネルギー産出のために石炭は掘り続けられた。昭和24(1949)年には昭和天皇な戦後巡幸もあり、1950年代には人口が10万人を突破するまでに成長するが、昭和30(1955)年には三井田川鉱業所の第三坑内でガス爆発が発生、5人が死亡し16人が重軽傷を負った。<br /><br />そんな田川市であったが1960年代のエネルギー革命によってエネルギー源が石炭から石油に取って代わると、街の発展にも陰りが見え始める。昭和39(1964)年には三井田川鉱業所は閉山し、その後は新会社の新田川炭鉱が事業を引き継ぐ形で操業を始めるも昭和44(1969)年に閉山。この影響で市内に残っていた小規模炭鉱も閉山を強いられることとなり昭和46(1971)年には田川市内の炭鉱は全て閉山することとなる。炭鉱街として栄えた田川に取って〝職場が無くなる〟ことは致命的な出来事であり、次々と炭鉱夫達が転居し人口はみるみるうちに減少し、炭鉱の閉山後全盛期の半分近くまで人口は減少した。炭鉱街の宿命である〝廃れ〟は人口減少だけに留まらず、石炭の〝積み出し〟のために引かれた鉄道は貨物量がゼロとなり、炭鉱で働くための人員の輸送も無くなったことで〝超赤字路線〟に転落する。折しも国鉄の慢性赤字路線問題が論議されている時期だったこともあり〝赤字83線〟には名を挙げられなかった界隈の鉄道路線も〝特定地方交通線〟に名を連ね、添田線・上山田線・伊田線・糸田線・田川線が廃止されて行った。伊田線・糸田線・田川線は第三セクター平成筑豊鉄道の路線として生き長らえたが、他の路線はバス転換された後にそのバス運行会社も撤退し、現在ではコミュニティバスで細々とその名残を今に伝えているレベルである。<br /><br />尤も田川市も手を拱いて見守っている訳ではなく、産業構造の転換や住宅団地の開発などの取り組みが進められ、北九州工業地帯に近いという地の利を活かせて工業団地を造成し、白鳥工業団地や望岳台団地などが整備され、製造業や流通業の進出を進めた。また交通面では国道201号線田川バイパスや烏尾トンネル、国道322号線のバイパス化の整備を進め、福岡・北九州の各都市圏へのアクセスを飛躍的に向上させた。また新たに医療福祉面での人材育成を目指し、伊田地区に福岡県立大学の誘致などを進め炭鉱町からの脱却を図る一方、炭鉱街であったことを活かせて、田川市石炭・歴史博物館が所有している山本作兵衛の炭鉱記録画がユネスコ記録遺産に登録された等炭鉱街としての歴史が取り上げられるようになったことを利用し、〝観光地〟としての再出発をする等の取り組みを行っている。<br /><br />そういった一面から派生したのだろうか?平成26(2014)年から始まった平等寺の風鈴まつり。謂れ書きが違うのだが開始当初10か100個だった風鈴は年々増え続け、現在ではでは13000個となり、幅2.5m・長さ50mの風鈴棚を埋め尽くしている。祈願風鈴は持ち帰ることが出来ず空いている場所に吊すために年々増え続けるのは当たり前だが、それでもこの数の増加は尋常ではない。やはりSNS映えすることが拡散されて、風鈴まつりが知られることとなり、結果として参拝客が爆発的に増えたためであろう。<br /><br />その証拠とも言えるのが平等寺の開山ではなかろうかと思う。お寺の起源は大正8(1918)年のことで、開かれてから100年ちょっとしか経ってはいない。地元で呼ばれている通称〝三井寺〟というものは、当時盛んであった〝炭鉱産業〟との繋がりがある。三井田川炭鉱で働く坑夫の信仰を集めたために〝三井寺〟と誰かしらが言ったことが始まりである。実は私自身も〝平等寺〟という正式名称に対し〝三井寺〟という別称には違和感があった。ちなみに我が街大津にも西国三十三所第十四番札所で天台寺門宗総本山三井寺(みいでら)という古刹があるが、縁も所縁もない福岡の地で真言宗御室派の平等寺が通称三井寺なのか?と思っていたのだ。だがこれが先入観による〝勘違い〟だということが判明する。〝みいでら〟ではなく〝みついでら〟なのである。知った瞬間〝なるへそ~〟と思った。田川市に於いて〝三井(みつい)〟という言葉は切り離すことが出来ないのである。歴史はともかく明日の命があるかないのかすらわからない坑夫達の〝信仰の中心〟だったことが今に伝わっていることに、お寺の存在が如何に大切であったことを知ったことに満足した私であった。<br /><br />入山するまでに色々と思うところが多々あった平等寺だが、謎が解けたことで楽な気持ちになり境内に進む。風鈴まつり開催中の平等寺に来るまで訪れる際に、ナビの設定を〝田川市民球場〟にして〝三井寺・平等寺〟と入力した際にナビが案内する場所は駐車禁止と書かれている。これについて様々な書き込みがあるようだが、結論を言うと〝停めないで欲しい〟との平等寺側の切実な事情があるようだ。事実として車数台を停めるスペースはあるのだが、お寺の業務と障害がある方向けの車を停める場所となっている。この場所に至る道は田川市民球場のグラウンドの回りに沿う道で、原則車両通行止めの道である。とは言え知っているから侵入してくる輩もいたが、道幅も狭く平等寺に向かう参拝客が歩く道であり非常に危険である。また道自体が駐車スペース迄しかないためにスイッチターンも出来ない。その様な理由があるから駐車禁止としている訳なのでこれは厳守して頂きたいと思う。<br /><br />まあそんな曰く付きの駐車場脇を通り参道を歩く。福岡県下で風鈴まつりを開催している〝寺院〟には共通点があるようで、地蔵様が沢山いらっしゃる。風鈴まつり会場までは石造りの地蔵立像をはじめ阿弥陀様が参拝客を迎えている。この辺りの地蔵様は〝人生〟をテーマとしているのが並んでいる。七福神もなにかほっこりされておられたりとハードルを下げているようにも見える。〝今日の幸せに 手をあわせ〟の文字には正しくそんな気持ちにさせられるから不思議である。福岡風鈴まつりの告知もちゃんとされており、平等寺以外のお寺さんもしっかり書かれていた。一応自分なりには〝風鈴まつり開催寺院〟は調べた尽くした筈だったのだが、篠栗町のふくろう寺千鶴寺は見落としていた。また機会を作って参拝することにしよう。<br /><br />この辺りから風鈴まつりの会場となる。写真の建物が何なのかはわからないが、軒先には風鈴が吊るされていた。web情報には〝ひとつの大きな風鈴棚〟に一万もの風鈴が吊るされているように書かれているが、まさかそれは無理だろう…と思っていたらその通りだった。多くの地蔵様の上には〝木組み〟された風鈴棚があり、そこにも多くの風鈴が吊るされている。また平等寺名物〝ユニークな地蔵様〟も見ていて楽しい。あの〝千の風になって〟の秋川雅史氏の命名である〝手抜き地蔵〟。本人命名とは思えないところがまた楽しい。ガッツポーズ地蔵は名前に変遷があった。元来バンザイ地蔵だったらしいが、誰が見ても〝ガッツポーズ地蔵〟にしか見えないと言う意見からご住職が公認し、正式にガッツポーズ地蔵となったそうだ。しかし数々の開催された風鈴まつりを見てきたつもりであったが、平等寺の風鈴まつりの〝数〟は半端ではない。風鈴棚があるエリアでは、空が見えない位に密集して風鈴が吊り下げられている所もある位であった。残念ながら雲行きが怪しくなりつつあり、見上げて撮った写真にはその素晴らしさが再現出来てはいないのだが、多分夏空に映える姿は〝さすが!〟と思えるに違いない。訪れた際は風鈴メインの時期ではあるが、平等寺では〝風車まつり〟も催されており、今の時期も脇役ながら存在感を出していた。ハートに座る地蔵様は平等寺誇るSNS映えするものであろう。このお姿は来るまでに何度も見た記憶が残っている。なんせユニークな地蔵様と予想を超える数の風鈴に圧倒され、機械的にその景色を切り取りながら歩いて行く。そのうちに雨が降り出してきた。午後になって雲行きが怪しくなってきていたので仕方がない部分はあるのだが、霧雨程度ならばブッチ切るものの、やや強めの雨故に一旦雨宿りをすることを余儀なくされる。傘は持ってはいるものの、傘を指しながらでは到底写真等撮ることが出来ない数の風鈴や地蔵様の数ゆえに仕方がない。勿論強者の参拝客もおり、そういう方々は傘を片手にまつりを楽しんでおられたようだ。しかし私にも時間の制限はあり、小降りになったタイミングでまつり見物を再開させる。和傘・前向き地蔵、おでむかえ地蔵の周りには招き猫の風鈴と細かい演出がにくいところ(笑)。すべての縁結びは御縁が無いので軽めにし、ビー玉や色んなもので満たされた手水鉢を眺めてからまた一度雨天退散。再び歩き出しゴリパラ見聞録の出演者3人による命名〝ほんわか地蔵〟を眺め、ももち浜ストア命名の〝ヒマつ武士地蔵〟等福岡ローカルならではの命名地蔵を眺めながらほほえみ地蔵様とにらめっこをして、恋愛地蔵・ぶりっこ地蔵・おちゃめ地蔵と苦笑しながら参り、心眼不動明王様の前ではちょっと気を引き締め、願い玉は今ひとつに絞れないために次回に回し、音楽ふくろうに〝気付けた~〟と感動し、何故かまた恋愛地蔵様の前を訪れて、多過ぎる~と悲鳴を上げながら風鈴を眺めて行く。にっこり地蔵でホッコリするも、雨のためなのか~風鈴出ていないの…という現実を知る。七転び八起きのだるまさんを眺めている頃には天気が回復し、晴れ◯◯◯も完全に返納しないといけないことを悟った。<br /><br />この後は今来た風鈴トンネルを戻ることになる。〝よく聞く地蔵(?)〟も福岡ローカルと笑い、馬頭観音像に行きに気付かなかったことを詫びて参拝。天気が良くなると風鈴も良く〝映える〟ことに気付いて感心しながら歩き、願い事の短冊の隙間に書かれている〝言葉〟の重みを考えながらワンコの石像とまんまるたぬきと対面する。これは正に信楽焼だ~と感動しながら、風鈴トンネルの前を向いたり後ろを振り返ったりしながら歩いて行く。トンネル入口の池には人面魚、なんか懐かしい響きを感じる。そして一角に集まる風車を眺めながら〝水子地蔵様〟にもお参りし、やはりローカルのKBC〝ロンプク淳〟の田村淳命名の〝チョリッース地蔵〟を横目に見ながら歩くと薬師如来様が座って居られ、その場所から眺めた笹の上に浮いているかの様に吊るされている風鈴飾りに感動し、カメラに収めたところで風鈴まつりエリアの一周を完了する。ちょうどその頃にあの有名な日出住職が出て来られて参拝客に話し掛けられていた。炭鉱街のお寺だった頃から現在に至るまでの〝生の声〟を聞いてみたかった気持ちもあったが、今回は許される時間をほぼ費やしてでの平等寺参拝だったために、また次回参拝した時のお楽しみに取っておくことにした。そんな感じで雨天一時休止の時間も含め約1時間で平等寺参拝を終え、田川市民球場前駐車場に停めてある旅の友CAROLクンのもとに戻って来た。<br /><br />だいたい田川市民球場前駐車場から平等寺迄は徒歩10分程度であるために、境内を巡ることも含めて1時間半位は見ておけば大丈夫かと思う。界隈の風鈴まつり会場で一箇所新たに知った篠栗町の千鶴寺だが、行ってみようかとナビの設定してみるも、行くだけで1時間かかることがわかり、今回は無理をしないことにする。これで今回の旅路のメインテーマ〝大分福岡風鈴まつり〟巡りは終了し、小倉へと向かうルートを取ることにした。<br /><br />境内禁煙のため、駐車場で一服してから車を走らせる。そして事前チェックしていた格安ガソリンスタンドのSоgоEnergy百円坂SSに立ち寄る。しかしここで誤算が生じる。キャッシュレス決済が出来ないことを想定していなかったのだ。基本現金出費はもうないと思っていたために小銭しか残っていなかった。仕方なしに給油を諦めて車を走らせ、事前調査中に見たことのあるスタンド名ということでカーエネクス夏吉SSに立ち寄りクレジットカードで給油。別に特別安いわけでもないことを給油後に知ったものの、田舎にはお金を落とすのが観光客の有難みだと割り切って改めて帰路へとつく。<br /><br />しばらく走って道の駅を見つけ立ち寄った。道の駅香春、多分立ち寄った一番の理由は廃止された国鉄添田線の駅であった香春駅の響きがあったためだと思う。しかし実際の香春駅は少し手前にあり、特に周りにはなにもない様子であった。ならば特に用事もないのでひと息入れた後に走り出す。<br /><br />この辺りはナビの設定によって走れという道が異なるエリアであったが、一般道経由で最短距離を示したヤフーナビに従い、国道322号線を北東に進んで行く。道中気まぐれで旧道に入ったところで、今なお石灰岩の採掘が続く香春岳の姿を確認できる場所を見つけて車を停める。山肌が見えるように人工的に削られている景色は、我が淡海の伊吹山と同じ。炭鉱は閉山しても変わらないものは変わらない現実を目の当たりにして少し心が痛んだ。しばらく走ると田川郡香春町から北九州市小倉南区に入り、日田彦山線の石原町駅に立ち寄った。2面3線の駅は石灰岩積み込みをしていた頃の名残である。現在無人駅で券売機もない上にトイレも閉鎖されている。そんなホームに佇んでいると小倉方面への列車が入線してきた。キハ147系、種車は国鉄時代のキハ40をJR九州で改造したものである。動力系が置換されているので昔とは違う筈だが、妙に懐かしいエンジン音に少し感動を覚える。地方交通線に分類されながら頑張って来た日田彦山線だが、添田から久大本線夜明駅までの区間が平成29(2017)年の九州北部豪雨で甚大な被害を受けたがその復旧を巡ってJR九州と沿線自治体の間で協議が難航し、最終的に旧路線を利用したBRTの導入で正式合意した。添田~夜明間は未だ休止中とはなってはいるものの、BRTの導入で復旧扱いになっているために、列車が走ることはもうない。故に鉄道区間としては実質城野~添田迄となっている。付近は炭鉱閉山により多くの路線が廃止になったエリア故に仕方がないことではある。しかし残念な結果であることは事実である。ローカル線故に自然災害の影響を受けやすい場所に鉄路が敷かれていることもあるが、やはり収益を考えての運行という営利企業であるJRの考えも理解はできる。廃止か存続か…?という問題の答えは神のみぞ知るとしか言えないのかも知れない。そんな思いに駆られながら小倉行きの普通列車を見送った私であった。<br /><br />車へと戻りそのまま旧道を走り、途中から国道322号線に合流する。そのまま北上し、九州自動車道小倉南ICを通り過ぎると行きにも通った道になる。市街地でありながらバイパス化されたように真っ直ぐに走るルートは北九州モノレール建設時の混雑緩和の意味もあるという。そんな比較的走りやすい道を走り続け、最後の給油をするために脇道へと入る。ENEOS Dr.Drive三萩野SSはレンタカー指定ガソリンスタンド。このあたりは大抵都市部のレンタカーが〝指定ガソリンスタンド〟を決めており、回り道になることを承知で給油を考えなければならない。いつもならば界隈の〝格安ガソリンスタンド〟はピックアップしているので、今回も利用を考えたのだが、距離的には近くてもリスト入りしていないスタンドを利用して、僅かばかりの金額以外に私自身が得るものはなく、結局面倒臭いと思いながらも言われた通りのスタンドを利用して給油する。しょうもないことで返車時に揉めるのも馬鹿らしいと思ったからである。しかし大凡満タンにしてから30km程しか走ってはいないので、確か1000円でお釣りがあった。最終給油を済ませた後は無事に返車するだけなのだが、時間的な余裕を見ながらドラッグコスモス足立店に立ち寄ってひと息入れる。その後のラストランは距離こそ短いものの通勤時間と被ったこともあり、僅か3.4kmに20分を費やしたが、無事に時間通りタステック・レンタリース小倉駅新幹線口店に到着。3日間に渡る北中部九州ドライブが終わることになる。<br /><br />いつもならば旅の友CAROLクンに〝ご苦労さま〟のひと言でお別れするのだが、今回に限っては〝怪我〟をさせてしまっている。九州自動車道に於ける〝飛び石〟事故の件である。私自身の運転が下手かどうかの問題ではなく、こういった100%被害者の場合でもレンタカー利用の場合は私自身が〝事故を起こした〟という扱いにしかならないのである。よく〝私は事故を起こさないので〟と言って免責補償すら入らずに借車する者もいるようだが、こういう考えのドライバーが返車時に揉めていることを何回も見ている私からすると〝無知〟というのは怖いものだと改めて思う。つまりレンタカー会社が貸した車が、その状態で返却されたかどうかという〝契約上のこと〟で判断されるという事実を知らないということである。飛び石事故というものはよく発生することだが、ケガをするようなレベルの大きさの石でもない限り、ドラレコ解析をしても犯人が特定出来ないのである。それは警察でも言われたことであるが、確かに夜だったこともありドラレコ画像ではナンバー迄判別することは出来なかった。レンタカーの場合、通常車両保険には加入している筈だが免責は当然付いている。自家用車も同様だが免責分負担は同じでかつ1等級ダウンのお釣りが付く。似ているようで違うのは保険契約を〝誰が〟しているのか?というところだろう。あくまでレンタカーの保険契約はレンタカー会社である。つまりそのレンタカー会社の所有する車を借りる〝契約〟がレンタカーの〝利用行為〟ということになる。そのために自家用車の場合ならば契約者である本人と保険会社との直接契約に当たるために、保険会社とのやり取りも本人が行うのだが、レンタカーの場合は保険契約をしているのはレンタカー会社であり、借車人は関係がない。ゆえに事故ると保険会社と警察に加えてレンタカー会社への連絡が不可欠になる。加えて元通りの状態で車が帰って来なかったので、レンタカー会社から〝違約金〟的な意味で請求されるのが〝ノンオペレーションチャージ(NOC)〟と呼ばれるものになる。つまり修理期間中に貸出が出来ないために発生する“尊出補填金”の意味合いで、大凡自走して返車された場合は20000円、自走出来ない場合は50000円という金額が一般的である。これは保険ではなく貸車契約に於けるひとつの〝契約事項〟に該当するため、旅行保険等の賠償責任にも〝当たらない〟扱いとなる。つまり支払いは〝自腹〟を切るしかない。万が一その金額が返車時に払えないとなるとかなり面倒臭い。そのため交通機関に乗り遅れが生じたとしても、乗り遅れの理由は払うものを払わなかったという〝自責〟に起因するために掛かった費用の補填をされることはない。結局のところそう〝なりたくはない〟けれど〝なってしまうと取り返しのつかない〟の結末が待っているだけなのである。また自動車保険の〝車両保険〟には免責項目がある。特に有名なのはタイヤのパンク等〝消耗品扱い〟としているものについてである。勿論車両保険は使えないのでマイカーで起こってしまえば保険の適用はできないが、レンタカーの場合はその辺りまで〝免責補償〟の対象としている会社もある。この辺りも含めレンタカー契約を結ぶ際に渡される〝免責補償制度〟や〝NOC保証内容〟がどこまでのものに対してカバーをしているかを記載した契約書を見せて説明している。そこにサインをして借車している以上聞いていないでは済まないのである。<br /><br />以上の理由から私はレンタカーを借りる際に〝フルオプ(フルオプション)〟と呼ばれる全保証に加入する。しかし細かい内容は各社まちまちなので、いつも利用している会社ではないところで借りる時は注意が必要である。NOC補償の金額が妙に安い所は要注意。入っていても意味がない場合もある。あと近年問題になっている〝モグリ業者(090レンタカー)〟を借りる際にマイカーの保険が利用できる場合がありますと平気で言う輩がいる。因みに堅気のレンタカー会社であれば車両は〝法人登記〟されているものである。マイカーに於ける〝他社運転特約〟に書かれている対象外となる重要な場合に〝法人登記〟の車には、個人契約の他車運転特約は使うことは出来ないと記載されている。車両名義が個人になっているなど怪しさMaxの車にはその場で断る勇気を持とう。痛い目をみるのは自分だから!その話を出したので序に補足しておくと〝高齢ドライバー〟の無保険も問題になっている。旅行保険もそうなのだが、自動車保険も年齢によっては加入できないことも増えている。事故率が高い背景もあるが、レンタカーでも〝〇〇才以上にはお貸しできません〟と明記されている。この場合普通に考えるとレンタカーに乗っていること自体がおかしいのだが、そういう方向けの業者も存在する。マイカーであっても新聞沙汰になって逮捕若しくは実名が載せられるケースが無保険だとも言われている。自分が100%被害者でありながら、事故処理をしなければいけない目に遭った。そんなことから巷で言われている〝事故〟に付いて記してみた。痛い目には遭いたくはないないだろうから!!<br /><br />脱線してしまったが、今回ももらい事故であるものの契約上私の責任になるために返車時に先に断る。スタッフが〝保険会社からも連絡来てました~〟とあっさり言われ、満タン確認をしただけで返車完了。ちょっと面食らった。夏休み時期なのでCAROLクンはすぐ病院に向かったようだ。何もなければ良いですよと係員氏に言われ、タステック・レンタリース小倉駅新幹線店を後にする。<br /><br />満足にお礼を言えなかったCAROLクンには申し訳なかったが、これで九州での行動は終了し、後は帰路につくだけとなる。<br /><br />  《続く》

《2024.July》あみんちゅぶらり九州を歩く旅そのⅥ福岡~九州風鈴まつり最終日後編~

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道の駅いとだで思い出に浸ってから車を走らせること30分、辿り着いたのは田川市民球場前広場であった。目的地は風鈴まつり開催中の〝平等寺〟の筈だが何故に〝田川市民球場〟なのかと言えば理由がある。確かGoogleさんでは〝平等寺駐車場〟と記されている場所が存在する。しかしこの場所は平等寺の案内にも〝利用できない〟旨が記されており、その代わりとして〝田川市民球場前広場(駐車場)〟を利用して下さいと書かれていたためにやって来た次第である。ただこの一帯は〝田川中央公園〟というだだっ広い公園になっており、どこに車を停めればいいのか迷ってしまったのだ。そのため公園内を車でウロウロと走ってしまったがために到着までに時間がかかってしまったのであった。最終的には〝球場〟を目的地設定して来て下さいという位なので、その辺りが最寄りだと考えて空いているスペースに車を停めた次第である。

駐車場から平等寺への道は最初Googleさんに頼ろうとしたが、こういう時スマホナビは不親切で、東西南北どう進めば良いのかを抽象的に示されるので役に立たなかった。というより〝スポーツ以外の目的〟で来ている方の後ろに付けば問題ない訳で、ある意味ストーカー状態ではあるものの、人が進む方向に進んで行き、無事に平等寺入口に辿り着くことが出来た。因みにその入口には確かに平等寺の駐車場があり、数台は駐車出来るスペースはある。しかし場所自体も狭い上に球場に沿って走って来る道も狭く、行き止まりになっている。キャパもない上に満車がわかったとしてもUターンをするスペースがないのであった。こんな場所でも車で突っ込んでくる輩はいるようで、本来優先される歩行者を除けて走って来る様には呆れかえる以外なにものでもなかった。まぁそういった心無い輩もいるよと気を取り直し、石でできた仏様や灯籠のある参道を歩いて行き、無事平等寺の風鈴まつり会場に到着することが出来た。

この平等寺、歴史ある寺院であると同時に〝インスタ映え〟する場所としても知られている。田川市は福岡県中央部の筑豊地域に属し、飯塚・直方市と並んで筑豊三都に挙げられている。筑豊と言えばその昔〝炭鉱街〟として名を馳せ、その中でも田川市は〝炭坑節発祥の地〟としても知られている。また筑豊最大の炭都であった歴史を活かしたまちづくりが行われている。田川市は北を除いて、東・西・南の三方を山々に囲まれている。東には田川のシンボルでもある香春岳、西には船尾山、南には全国的に霊峰として知られる英彦山を主峰とする山々が並ぶ。平野部には英彦山を源流とする彦山川と中元寺川が流れ、下流の平野部と結ばれている。三方を山に囲まれた内陸部に位置するため、冬季は放射冷却のために冷え込みやすく雪が降ると積雪・凍結することもある。また夏季は30℃を超える真夏日になる日が続き、35℃以上になる日もあるという九州地方では珍しく極端な年較差がある街としても知られている。明治期までは〝猪膝街道〟が通ずる猪位金村の猪膝宿が小規模な宿場町であった他はいずれも純農村地帯であった。しかし明治18(1885)年に田川エリアは海軍予備炭田に指定され、新たな坑口の開設が制限されることとなるものの、明治22(1889)年に制限が解除されると田川採炭会社が大規模な坑口を市内の後藤寺に2カ所と伊田に1カ所開いたことにより田川市の二大核心となる素地をつくった。その頃より小規模ではあるものの後の三井田川炭鉱の開発が始められ、明治37(1904)年には三井鉱山に経営権が移ると、仕事を求めて全国から移住者が訪れることとなる。第一次世界大戦を機に〝戦争景気〟が進むと田川は筑豊最大の〝炭都〟として栄え、第二次世界大戦中は戦争需要で石炭採掘の重要性が説かれることとなり、昭和18(1943)年には後藤寺町と伊田町が合併して田川市が誕生し、これによって日本最大級の炭都としての位置付けを確立させた。

敗戦後もエネルギー産出のために石炭は掘り続けられた。昭和24(1949)年には昭和天皇な戦後巡幸もあり、1950年代には人口が10万人を突破するまでに成長するが、昭和30(1955)年には三井田川鉱業所の第三坑内でガス爆発が発生、5人が死亡し16人が重軽傷を負った。

そんな田川市であったが1960年代のエネルギー革命によってエネルギー源が石炭から石油に取って代わると、街の発展にも陰りが見え始める。昭和39(1964)年には三井田川鉱業所は閉山し、その後は新会社の新田川炭鉱が事業を引き継ぐ形で操業を始めるも昭和44(1969)年に閉山。この影響で市内に残っていた小規模炭鉱も閉山を強いられることとなり昭和46(1971)年には田川市内の炭鉱は全て閉山することとなる。炭鉱街として栄えた田川に取って〝職場が無くなる〟ことは致命的な出来事であり、次々と炭鉱夫達が転居し人口はみるみるうちに減少し、炭鉱の閉山後全盛期の半分近くまで人口は減少した。炭鉱街の宿命である〝廃れ〟は人口減少だけに留まらず、石炭の〝積み出し〟のために引かれた鉄道は貨物量がゼロとなり、炭鉱で働くための人員の輸送も無くなったことで〝超赤字路線〟に転落する。折しも国鉄の慢性赤字路線問題が論議されている時期だったこともあり〝赤字83線〟には名を挙げられなかった界隈の鉄道路線も〝特定地方交通線〟に名を連ね、添田線・上山田線・伊田線・糸田線・田川線が廃止されて行った。伊田線・糸田線・田川線は第三セクター平成筑豊鉄道の路線として生き長らえたが、他の路線はバス転換された後にそのバス運行会社も撤退し、現在ではコミュニティバスで細々とその名残を今に伝えているレベルである。

尤も田川市も手を拱いて見守っている訳ではなく、産業構造の転換や住宅団地の開発などの取り組みが進められ、北九州工業地帯に近いという地の利を活かせて工業団地を造成し、白鳥工業団地や望岳台団地などが整備され、製造業や流通業の進出を進めた。また交通面では国道201号線田川バイパスや烏尾トンネル、国道322号線のバイパス化の整備を進め、福岡・北九州の各都市圏へのアクセスを飛躍的に向上させた。また新たに医療福祉面での人材育成を目指し、伊田地区に福岡県立大学の誘致などを進め炭鉱町からの脱却を図る一方、炭鉱街であったことを活かせて、田川市石炭・歴史博物館が所有している山本作兵衛の炭鉱記録画がユネスコ記録遺産に登録された等炭鉱街としての歴史が取り上げられるようになったことを利用し、〝観光地〟としての再出発をする等の取り組みを行っている。

そういった一面から派生したのだろうか?平成26(2014)年から始まった平等寺の風鈴まつり。謂れ書きが違うのだが開始当初10か100個だった風鈴は年々増え続け、現在ではでは13000個となり、幅2.5m・長さ50mの風鈴棚を埋め尽くしている。祈願風鈴は持ち帰ることが出来ず空いている場所に吊すために年々増え続けるのは当たり前だが、それでもこの数の増加は尋常ではない。やはりSNS映えすることが拡散されて、風鈴まつりが知られることとなり、結果として参拝客が爆発的に増えたためであろう。

その証拠とも言えるのが平等寺の開山ではなかろうかと思う。お寺の起源は大正8(1918)年のことで、開かれてから100年ちょっとしか経ってはいない。地元で呼ばれている通称〝三井寺〟というものは、当時盛んであった〝炭鉱産業〟との繋がりがある。三井田川炭鉱で働く坑夫の信仰を集めたために〝三井寺〟と誰かしらが言ったことが始まりである。実は私自身も〝平等寺〟という正式名称に対し〝三井寺〟という別称には違和感があった。ちなみに我が街大津にも西国三十三所第十四番札所で天台寺門宗総本山三井寺(みいでら)という古刹があるが、縁も所縁もない福岡の地で真言宗御室派の平等寺が通称三井寺なのか?と思っていたのだ。だがこれが先入観による〝勘違い〟だということが判明する。〝みいでら〟ではなく〝みついでら〟なのである。知った瞬間〝なるへそ~〟と思った。田川市に於いて〝三井(みつい)〟という言葉は切り離すことが出来ないのである。歴史はともかく明日の命があるかないのかすらわからない坑夫達の〝信仰の中心〟だったことが今に伝わっていることに、お寺の存在が如何に大切であったことを知ったことに満足した私であった。

入山するまでに色々と思うところが多々あった平等寺だが、謎が解けたことで楽な気持ちになり境内に進む。風鈴まつり開催中の平等寺に来るまで訪れる際に、ナビの設定を〝田川市民球場〟にして〝三井寺・平等寺〟と入力した際にナビが案内する場所は駐車禁止と書かれている。これについて様々な書き込みがあるようだが、結論を言うと〝停めないで欲しい〟との平等寺側の切実な事情があるようだ。事実として車数台を停めるスペースはあるのだが、お寺の業務と障害がある方向けの車を停める場所となっている。この場所に至る道は田川市民球場のグラウンドの回りに沿う道で、原則車両通行止めの道である。とは言え知っているから侵入してくる輩もいたが、道幅も狭く平等寺に向かう参拝客が歩く道であり非常に危険である。また道自体が駐車スペース迄しかないためにスイッチターンも出来ない。その様な理由があるから駐車禁止としている訳なのでこれは厳守して頂きたいと思う。

まあそんな曰く付きの駐車場脇を通り参道を歩く。福岡県下で風鈴まつりを開催している〝寺院〟には共通点があるようで、地蔵様が沢山いらっしゃる。風鈴まつり会場までは石造りの地蔵立像をはじめ阿弥陀様が参拝客を迎えている。この辺りの地蔵様は〝人生〟をテーマとしているのが並んでいる。七福神もなにかほっこりされておられたりとハードルを下げているようにも見える。〝今日の幸せに 手をあわせ〟の文字には正しくそんな気持ちにさせられるから不思議である。福岡風鈴まつりの告知もちゃんとされており、平等寺以外のお寺さんもしっかり書かれていた。一応自分なりには〝風鈴まつり開催寺院〟は調べた尽くした筈だったのだが、篠栗町のふくろう寺千鶴寺は見落としていた。また機会を作って参拝することにしよう。

この辺りから風鈴まつりの会場となる。写真の建物が何なのかはわからないが、軒先には風鈴が吊るされていた。web情報には〝ひとつの大きな風鈴棚〟に一万もの風鈴が吊るされているように書かれているが、まさかそれは無理だろう…と思っていたらその通りだった。多くの地蔵様の上には〝木組み〟された風鈴棚があり、そこにも多くの風鈴が吊るされている。また平等寺名物〝ユニークな地蔵様〟も見ていて楽しい。あの〝千の風になって〟の秋川雅史氏の命名である〝手抜き地蔵〟。本人命名とは思えないところがまた楽しい。ガッツポーズ地蔵は名前に変遷があった。元来バンザイ地蔵だったらしいが、誰が見ても〝ガッツポーズ地蔵〟にしか見えないと言う意見からご住職が公認し、正式にガッツポーズ地蔵となったそうだ。しかし数々の開催された風鈴まつりを見てきたつもりであったが、平等寺の風鈴まつりの〝数〟は半端ではない。風鈴棚があるエリアでは、空が見えない位に密集して風鈴が吊り下げられている所もある位であった。残念ながら雲行きが怪しくなりつつあり、見上げて撮った写真にはその素晴らしさが再現出来てはいないのだが、多分夏空に映える姿は〝さすが!〟と思えるに違いない。訪れた際は風鈴メインの時期ではあるが、平等寺では〝風車まつり〟も催されており、今の時期も脇役ながら存在感を出していた。ハートに座る地蔵様は平等寺誇るSNS映えするものであろう。このお姿は来るまでに何度も見た記憶が残っている。なんせユニークな地蔵様と予想を超える数の風鈴に圧倒され、機械的にその景色を切り取りながら歩いて行く。そのうちに雨が降り出してきた。午後になって雲行きが怪しくなってきていたので仕方がない部分はあるのだが、霧雨程度ならばブッチ切るものの、やや強めの雨故に一旦雨宿りをすることを余儀なくされる。傘は持ってはいるものの、傘を指しながらでは到底写真等撮ることが出来ない数の風鈴や地蔵様の数ゆえに仕方がない。勿論強者の参拝客もおり、そういう方々は傘を片手にまつりを楽しんでおられたようだ。しかし私にも時間の制限はあり、小降りになったタイミングでまつり見物を再開させる。和傘・前向き地蔵、おでむかえ地蔵の周りには招き猫の風鈴と細かい演出がにくいところ(笑)。すべての縁結びは御縁が無いので軽めにし、ビー玉や色んなもので満たされた手水鉢を眺めてからまた一度雨天退散。再び歩き出しゴリパラ見聞録の出演者3人による命名〝ほんわか地蔵〟を眺め、ももち浜ストア命名の〝ヒマつ武士地蔵〟等福岡ローカルならではの命名地蔵を眺めながらほほえみ地蔵様とにらめっこをして、恋愛地蔵・ぶりっこ地蔵・おちゃめ地蔵と苦笑しながら参り、心眼不動明王様の前ではちょっと気を引き締め、願い玉は今ひとつに絞れないために次回に回し、音楽ふくろうに〝気付けた~〟と感動し、何故かまた恋愛地蔵様の前を訪れて、多過ぎる~と悲鳴を上げながら風鈴を眺めて行く。にっこり地蔵でホッコリするも、雨のためなのか~風鈴出ていないの…という現実を知る。七転び八起きのだるまさんを眺めている頃には天気が回復し、晴れ◯◯◯も完全に返納しないといけないことを悟った。

この後は今来た風鈴トンネルを戻ることになる。〝よく聞く地蔵(?)〟も福岡ローカルと笑い、馬頭観音像に行きに気付かなかったことを詫びて参拝。天気が良くなると風鈴も良く〝映える〟ことに気付いて感心しながら歩き、願い事の短冊の隙間に書かれている〝言葉〟の重みを考えながらワンコの石像とまんまるたぬきと対面する。これは正に信楽焼だ~と感動しながら、風鈴トンネルの前を向いたり後ろを振り返ったりしながら歩いて行く。トンネル入口の池には人面魚、なんか懐かしい響きを感じる。そして一角に集まる風車を眺めながら〝水子地蔵様〟にもお参りし、やはりローカルのKBC〝ロンプク淳〟の田村淳命名の〝チョリッース地蔵〟を横目に見ながら歩くと薬師如来様が座って居られ、その場所から眺めた笹の上に浮いているかの様に吊るされている風鈴飾りに感動し、カメラに収めたところで風鈴まつりエリアの一周を完了する。ちょうどその頃にあの有名な日出住職が出て来られて参拝客に話し掛けられていた。炭鉱街のお寺だった頃から現在に至るまでの〝生の声〟を聞いてみたかった気持ちもあったが、今回は許される時間をほぼ費やしてでの平等寺参拝だったために、また次回参拝した時のお楽しみに取っておくことにした。そんな感じで雨天一時休止の時間も含め約1時間で平等寺参拝を終え、田川市民球場前駐車場に停めてある旅の友CAROLクンのもとに戻って来た。

だいたい田川市民球場前駐車場から平等寺迄は徒歩10分程度であるために、境内を巡ることも含めて1時間半位は見ておけば大丈夫かと思う。界隈の風鈴まつり会場で一箇所新たに知った篠栗町の千鶴寺だが、行ってみようかとナビの設定してみるも、行くだけで1時間かかることがわかり、今回は無理をしないことにする。これで今回の旅路のメインテーマ〝大分福岡風鈴まつり〟巡りは終了し、小倉へと向かうルートを取ることにした。

境内禁煙のため、駐車場で一服してから車を走らせる。そして事前チェックしていた格安ガソリンスタンドのSоgоEnergy百円坂SSに立ち寄る。しかしここで誤算が生じる。キャッシュレス決済が出来ないことを想定していなかったのだ。基本現金出費はもうないと思っていたために小銭しか残っていなかった。仕方なしに給油を諦めて車を走らせ、事前調査中に見たことのあるスタンド名ということでカーエネクス夏吉SSに立ち寄りクレジットカードで給油。別に特別安いわけでもないことを給油後に知ったものの、田舎にはお金を落とすのが観光客の有難みだと割り切って改めて帰路へとつく。

しばらく走って道の駅を見つけ立ち寄った。道の駅香春、多分立ち寄った一番の理由は廃止された国鉄添田線の駅であった香春駅の響きがあったためだと思う。しかし実際の香春駅は少し手前にあり、特に周りにはなにもない様子であった。ならば特に用事もないのでひと息入れた後に走り出す。

この辺りはナビの設定によって走れという道が異なるエリアであったが、一般道経由で最短距離を示したヤフーナビに従い、国道322号線を北東に進んで行く。道中気まぐれで旧道に入ったところで、今なお石灰岩の採掘が続く香春岳の姿を確認できる場所を見つけて車を停める。山肌が見えるように人工的に削られている景色は、我が淡海の伊吹山と同じ。炭鉱は閉山しても変わらないものは変わらない現実を目の当たりにして少し心が痛んだ。しばらく走ると田川郡香春町から北九州市小倉南区に入り、日田彦山線の石原町駅に立ち寄った。2面3線の駅は石灰岩積み込みをしていた頃の名残である。現在無人駅で券売機もない上にトイレも閉鎖されている。そんなホームに佇んでいると小倉方面への列車が入線してきた。キハ147系、種車は国鉄時代のキハ40をJR九州で改造したものである。動力系が置換されているので昔とは違う筈だが、妙に懐かしいエンジン音に少し感動を覚える。地方交通線に分類されながら頑張って来た日田彦山線だが、添田から久大本線夜明駅までの区間が平成29(2017)年の九州北部豪雨で甚大な被害を受けたがその復旧を巡ってJR九州と沿線自治体の間で協議が難航し、最終的に旧路線を利用したBRTの導入で正式合意した。添田~夜明間は未だ休止中とはなってはいるものの、BRTの導入で復旧扱いになっているために、列車が走ることはもうない。故に鉄道区間としては実質城野~添田迄となっている。付近は炭鉱閉山により多くの路線が廃止になったエリア故に仕方がないことではある。しかし残念な結果であることは事実である。ローカル線故に自然災害の影響を受けやすい場所に鉄路が敷かれていることもあるが、やはり収益を考えての運行という営利企業であるJRの考えも理解はできる。廃止か存続か…?という問題の答えは神のみぞ知るとしか言えないのかも知れない。そんな思いに駆られながら小倉行きの普通列車を見送った私であった。

車へと戻りそのまま旧道を走り、途中から国道322号線に合流する。そのまま北上し、九州自動車道小倉南ICを通り過ぎると行きにも通った道になる。市街地でありながらバイパス化されたように真っ直ぐに走るルートは北九州モノレール建設時の混雑緩和の意味もあるという。そんな比較的走りやすい道を走り続け、最後の給油をするために脇道へと入る。ENEOS Dr.Drive三萩野SSはレンタカー指定ガソリンスタンド。このあたりは大抵都市部のレンタカーが〝指定ガソリンスタンド〟を決めており、回り道になることを承知で給油を考えなければならない。いつもならば界隈の〝格安ガソリンスタンド〟はピックアップしているので、今回も利用を考えたのだが、距離的には近くてもリスト入りしていないスタンドを利用して、僅かばかりの金額以外に私自身が得るものはなく、結局面倒臭いと思いながらも言われた通りのスタンドを利用して給油する。しょうもないことで返車時に揉めるのも馬鹿らしいと思ったからである。しかし大凡満タンにしてから30km程しか走ってはいないので、確か1000円でお釣りがあった。最終給油を済ませた後は無事に返車するだけなのだが、時間的な余裕を見ながらドラッグコスモス足立店に立ち寄ってひと息入れる。その後のラストランは距離こそ短いものの通勤時間と被ったこともあり、僅か3.4kmに20分を費やしたが、無事に時間通りタステック・レンタリース小倉駅新幹線口店に到着。3日間に渡る北中部九州ドライブが終わることになる。

いつもならば旅の友CAROLクンに〝ご苦労さま〟のひと言でお別れするのだが、今回に限っては〝怪我〟をさせてしまっている。九州自動車道に於ける〝飛び石〟事故の件である。私自身の運転が下手かどうかの問題ではなく、こういった100%被害者の場合でもレンタカー利用の場合は私自身が〝事故を起こした〟という扱いにしかならないのである。よく〝私は事故を起こさないので〟と言って免責補償すら入らずに借車する者もいるようだが、こういう考えのドライバーが返車時に揉めていることを何回も見ている私からすると〝無知〟というのは怖いものだと改めて思う。つまりレンタカー会社が貸した車が、その状態で返却されたかどうかという〝契約上のこと〟で判断されるという事実を知らないということである。飛び石事故というものはよく発生することだが、ケガをするようなレベルの大きさの石でもない限り、ドラレコ解析をしても犯人が特定出来ないのである。それは警察でも言われたことであるが、確かに夜だったこともありドラレコ画像ではナンバー迄判別することは出来なかった。レンタカーの場合、通常車両保険には加入している筈だが免責は当然付いている。自家用車も同様だが免責分負担は同じでかつ1等級ダウンのお釣りが付く。似ているようで違うのは保険契約を〝誰が〟しているのか?というところだろう。あくまでレンタカーの保険契約はレンタカー会社である。つまりそのレンタカー会社の所有する車を借りる〝契約〟がレンタカーの〝利用行為〟ということになる。そのために自家用車の場合ならば契約者である本人と保険会社との直接契約に当たるために、保険会社とのやり取りも本人が行うのだが、レンタカーの場合は保険契約をしているのはレンタカー会社であり、借車人は関係がない。ゆえに事故ると保険会社と警察に加えてレンタカー会社への連絡が不可欠になる。加えて元通りの状態で車が帰って来なかったので、レンタカー会社から〝違約金〟的な意味で請求されるのが〝ノンオペレーションチャージ(NOC)〟と呼ばれるものになる。つまり修理期間中に貸出が出来ないために発生する“尊出補填金”の意味合いで、大凡自走して返車された場合は20000円、自走出来ない場合は50000円という金額が一般的である。これは保険ではなく貸車契約に於けるひとつの〝契約事項〟に該当するため、旅行保険等の賠償責任にも〝当たらない〟扱いとなる。つまり支払いは〝自腹〟を切るしかない。万が一その金額が返車時に払えないとなるとかなり面倒臭い。そのため交通機関に乗り遅れが生じたとしても、乗り遅れの理由は払うものを払わなかったという〝自責〟に起因するために掛かった費用の補填をされることはない。結局のところそう〝なりたくはない〟けれど〝なってしまうと取り返しのつかない〟の結末が待っているだけなのである。また自動車保険の〝車両保険〟には免責項目がある。特に有名なのはタイヤのパンク等〝消耗品扱い〟としているものについてである。勿論車両保険は使えないのでマイカーで起こってしまえば保険の適用はできないが、レンタカーの場合はその辺りまで〝免責補償〟の対象としている会社もある。この辺りも含めレンタカー契約を結ぶ際に渡される〝免責補償制度〟や〝NOC保証内容〟がどこまでのものに対してカバーをしているかを記載した契約書を見せて説明している。そこにサインをして借車している以上聞いていないでは済まないのである。

以上の理由から私はレンタカーを借りる際に〝フルオプ(フルオプション)〟と呼ばれる全保証に加入する。しかし細かい内容は各社まちまちなので、いつも利用している会社ではないところで借りる時は注意が必要である。NOC補償の金額が妙に安い所は要注意。入っていても意味がない場合もある。あと近年問題になっている〝モグリ業者(090レンタカー)〟を借りる際にマイカーの保険が利用できる場合がありますと平気で言う輩がいる。因みに堅気のレンタカー会社であれば車両は〝法人登記〟されているものである。マイカーに於ける〝他社運転特約〟に書かれている対象外となる重要な場合に〝法人登記〟の車には、個人契約の他車運転特約は使うことは出来ないと記載されている。車両名義が個人になっているなど怪しさMaxの車にはその場で断る勇気を持とう。痛い目をみるのは自分だから!その話を出したので序に補足しておくと〝高齢ドライバー〟の無保険も問題になっている。旅行保険もそうなのだが、自動車保険も年齢によっては加入できないことも増えている。事故率が高い背景もあるが、レンタカーでも〝〇〇才以上にはお貸しできません〟と明記されている。この場合普通に考えるとレンタカーに乗っていること自体がおかしいのだが、そういう方向けの業者も存在する。マイカーであっても新聞沙汰になって逮捕若しくは実名が載せられるケースが無保険だとも言われている。自分が100%被害者でありながら、事故処理をしなければいけない目に遭った。そんなことから巷で言われている〝事故〟に付いて記してみた。痛い目には遭いたくはないないだろうから!!

脱線してしまったが、今回ももらい事故であるものの契約上私の責任になるために返車時に先に断る。スタッフが〝保険会社からも連絡来てました~〟とあっさり言われ、満タン確認をしただけで返車完了。ちょっと面食らった。夏休み時期なのでCAROLクンはすぐ病院に向かったようだ。何もなければ良いですよと係員氏に言われ、タステック・レンタリース小倉駅新幹線店を後にする。

満足にお礼を言えなかったCAROLクンには申し訳なかったが、これで九州での行動は終了し、後は帰路につくだけとなる。

  《続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
レンタカー 新幹線 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 道の駅いとだでひと休みしてから…。<br /><br />道の駅いとだ 12:52(25.1km・47.3km・473.2km・47.1km/h)<br />       13:18

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           13:18

    道の駅 いとだ 道の駅

  • 平等寺にやって来た。風鈴まつりの時期は野球場の駐車場を利用する。<br /><br />田川市民球場駐車場 13:46(6.9km・54.2km・480.1km・14.8km/h)<br />          15:22

    平等寺にやって来た。風鈴まつりの時期は野球場の駐車場を利用する。

    田川市民球場駐車場 13:46(6.9km・54.2km・480.1km・14.8km/h)
              15:22

  • 平等寺にて、地蔵立像。

    平等寺にて、地蔵立像。

  • 平等寺にて、地蔵立像。拝観時間は9:00~17:00厳守を見守られておられるようだ。

    平等寺にて、地蔵立像。拝観時間は9:00~17:00厳守を見守られておられるようだ。

  • 平等寺、阿弥陀如来坐像。

    平等寺、阿弥陀如来坐像。

  • 平等寺、かわいい地蔵様。〝ひとりじゃないよ〟の一言は、この時代心に染みる…。

    平等寺、かわいい地蔵様。〝ひとりじゃないよ〟の一言は、この時代心に染みる…。

  • 平等寺、親子地蔵様。

    平等寺、親子地蔵様。

  • 平等寺、七福神様。

    平等寺、七福神様。

  • 平等寺、石灯籠の下にもお地蔵様。人生の土俵…。

    平等寺、石灯籠の下にもお地蔵様。人生の土俵…。

  • 平等寺にて。〝今日の幸せに 手をあわせ…〟これも重い言葉だった…。

    平等寺にて。〝今日の幸せに 手をあわせ…〟これも重い言葉だった…。

  • 福岡風鈴まつり会場の紹介。エリアごとに回って来たつもりであったが、篠栗町の千鶴寺は見落とした…。

    福岡風鈴まつり会場の紹介。エリアごとに回って来たつもりであったが、篠栗町の千鶴寺は見落とした…。

  • 平等寺、ここから風鈴まつりが始まった。

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  • 平等寺、風鈴棚。

    平等寺、風鈴棚。

  • 平等寺、風鈴トンネルの入口。

    平等寺、風鈴トンネルの入口。

  • 平等寺、手ぬき地蔵様上の風鈴飾り。<br /><br />この〝手ぬき地蔵〟の命名者は、あの〝千の風になって〟の秋川雅史氏というからびっくりする。素晴らしい人は言うことが違うな~と感心する。と私が言うと〝いつもやから意味ないね〟と返されてしまう…。

    平等寺、手ぬき地蔵様上の風鈴飾り。

    この〝手ぬき地蔵〟の命名者は、あの〝千の風になって〟の秋川雅史氏というからびっくりする。素晴らしい人は言うことが違うな~と感心する。と私が言うと〝いつもやから意味ないね〟と返されてしまう…。

  • 平等寺、ガッツポーズ地蔵。元は〝バンザイ地蔵〟だったそうだが、誰となく〝ガッツポーズ地蔵〟にしか見えないという意見が御住職の耳に入り改名、公称となった。

    平等寺、ガッツポーズ地蔵。元は〝バンザイ地蔵〟だったそうだが、誰となく〝ガッツポーズ地蔵〟にしか見えないという意見が御住職の耳に入り改名、公称となった。

  • 平等寺、風鈴棚。

    平等寺、風鈴棚。

  • 平等寺、風鈴棚の風鈴。

    平等寺、風鈴棚の風鈴。

  • 平等寺、風鈴棚。天気が悪いため、風鈴や短冊の色合いは映えてはいない…。

    平等寺、風鈴棚。天気が悪いため、風鈴や短冊の色合いは映えてはいない…。

  • 平等寺、ハートに座る地蔵様はインスタでも有名だ。

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    平等寺、ハートに座る地蔵様はインスタでも有名だ。

  • 平等寺、風車まつりの主賓も、風鈴まつりを盛り立てている。

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    平等寺、風車まつりの主賓も、風鈴まつりを盛り立てている。

  • 平等寺、風鈴棚。天気が悪いため、紅葉の緑色も映えてはいない…。

    平等寺、風鈴棚。天気が悪いため、紅葉の緑色も映えてはいない…。

  • 平等寺、風鈴棚。

    平等寺、風鈴棚。

  • 平等寺、定番のハートのモニュメント。

    平等寺、定番のハートのモニュメント。

  • 平等寺、風鈴棚の風鈴。

    平等寺、風鈴棚の風鈴。

  • 平等寺、風鈴まつりの主役である〝風鈴棚〟を通過した。

    平等寺、風鈴まつりの主役である〝風鈴棚〟を通過した。

  • 平等寺、七転び八起きのだるま様・にっこり地蔵様・境内のお地蔵様。

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    平等寺、七転び八起きのだるま様・にっこり地蔵様・境内のお地蔵様。

  • 平等寺、風鈴と和傘のコラボレーション。

    平等寺、風鈴と和傘のコラボレーション。

  • 平等寺、手水鉢に繋がる風鈴棚。

    平等寺、手水鉢に繋がる風鈴棚。

  • 平等寺、手水鉢と風鈴棚。

    平等寺、手水鉢と風鈴棚。

  • 平等寺、手水鉢前のお出迎え地蔵様と風鈴棚。

    平等寺、手水鉢前のお出迎え地蔵様と風鈴棚。

  • 平等寺、手水鉢と風鈴棚。

    平等寺、手水鉢と風鈴棚。

  • 平等寺、手水鉢と風鈴棚。

    平等寺、手水鉢と風鈴棚。

  • 平等寺境内、ゴリパラ見聞録の出演者3人による命名〝ほんわか地蔵〟。

    平等寺境内、ゴリパラ見聞録の出演者3人による命名〝ほんわか地蔵〟。

  • 平等寺境内、ももち浜ストア命名の〝ヒマつ武士地蔵〟。

    平等寺境内、ももち浜ストア命名の〝ヒマつ武士地蔵〟。

  • 平等寺、風鈴棚と地蔵様。

    平等寺、風鈴棚と地蔵様。

  • 平等寺、風鈴棚。

    平等寺、風鈴棚。

  • 平等寺、風鈴棚と和傘のコラボレーション。

    平等寺、風鈴棚と和傘のコラボレーション。

  • 平等寺、社務所前の風鈴棚。

    平等寺、社務所前の風鈴棚。

  • 平等寺、ほほえみ地蔵様。

    平等寺、ほほえみ地蔵様。

  • 平等寺、恋愛地蔵様と御縁の五円。

    平等寺、恋愛地蔵様と御縁の五円。

  • 平等寺、ぶりっこ地蔵様と恋愛(こいあい)地蔵様。

    平等寺、ぶりっこ地蔵様と恋愛(こいあい)地蔵様。

  • 平等寺、おちゃめ地蔵様ゴロにゃん地蔵様。

    平等寺、おちゃめ地蔵様ゴロにゃん地蔵様。

  • 平等寺、心願不動尊。

    平等寺、心願不動尊。

  • 平等寺、心願厄除玉と風鈴。天気が回復してきた(嬉)。

    平等寺、心願厄除玉と風鈴。天気が回復してきた(嬉)。

  • 平等寺、阿弥陀様脇の風鈴。

    平等寺、阿弥陀様脇の風鈴。

  • 平等寺、風鈴と阿弥陀様と願い石。<br /><br />ひとつに願いを定められなかったので今回は止めておいた。

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    平等寺、風鈴と阿弥陀様と願い石。

    ひとつに願いを定められなかったので今回は止めておいた。

  • 平等寺、境内の風鈴棚。

    平等寺、境内の風鈴棚。

  • 平等寺、七転び八起きのだるま様。

    平等寺、七転び八起きのだるま様。

  • 平等寺、にっこり地蔵様。

    平等寺、にっこり地蔵様。

  • 平等寺、境内のお地蔵様。ここに来てやっとシャボン玉タイムがない理由が〝雨〟ということを知った…。

    平等寺、境内のお地蔵様。ここに来てやっとシャボン玉タイムがない理由が〝雨〟ということを知った…。

  • それでは戻って行くとしよう。

    それでは戻って行くとしよう。

  • 平等寺、風鈴棚の風鈴。

    平等寺、風鈴棚の風鈴。

  • 平等寺、境内、ももち浜ストア命名の〝よく聞く地蔵(?)〟。

    平等寺、境内、ももち浜ストア命名の〝よく聞く地蔵(?)〟。

  • 平等寺、馬頭観世音菩薩様。

    平等寺、馬頭観世音菩薩様。

  • 平等寺、風鈴棚の風鈴とお地蔵様。

    平等寺、風鈴棚の風鈴とお地蔵様。

  • 平等寺、風鈴棚の風鈴。あと半分くらいか。

    平等寺、風鈴棚の風鈴。あと半分くらいか。

  • 平等寺、風鈴棚の風鈴。天気が良くなったので青空に映えている!

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    平等寺、風鈴棚の風鈴。天気が良くなったので青空に映えている!

  • 平等寺、風鈴棚の風鈴を引き立てる風車。

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    平等寺、風鈴棚の風鈴を引き立てる風車。

  • 平等寺、ワンコとまんまるたぬきと風鈴短冊。<br /><br />この〝おたぬき様〟は我が淡海の信楽ご出身じゃった。

    平等寺、ワンコとまんまるたぬきと風鈴短冊。

    この〝おたぬき様〟は我が淡海の信楽ご出身じゃった。

  • 平等寺、風鈴棚の風鈴(奥方向)。

    平等寺、風鈴棚の風鈴(奥方向)。

  • 平等寺、風鈴棚の風鈴(奥方向)。

    平等寺、風鈴棚の風鈴(奥方向)。

  • 平等寺、風鈴棚も間もなく終わる…。

    平等寺、風鈴棚も間もなく終わる…。

  • 平等寺、風鈴トンネルの入口まで戻って来た。

    平等寺、風鈴トンネルの入口まで戻って来た。

  • 平等寺にて、人面魚。

    平等寺にて、人面魚。

  • 平等寺にて、風車は水子地蔵様の象徴だろうか…。

    平等寺にて、風車は水子地蔵様の象徴だろうか…。

  • 平等寺、ロンブー淳命名の〝チョリーッス地蔵〟様。こちらでは許されるレベルなのであろう…。

    平等寺、ロンブー淳命名の〝チョリーッス地蔵〟様。こちらでは許されるレベルなのであろう…。

  • 平等寺、薬師如来様とてぬき地蔵様。

    平等寺、薬師如来様とてぬき地蔵様。

  • 平等寺境内にて、笹にまみれる風鈴棚の風鈴。

    イチオシ

    地図を見る

    平等寺境内にて、笹にまみれる風鈴棚の風鈴。

  • 平等寺境内にて、笹にまみれる風鈴棚の風鈴。本当にありとあらゆるところに風鈴が飾られていた。

    平等寺境内にて、笹にまみれる風鈴棚の風鈴。本当にありとあらゆるところに風鈴が飾られていた。

  • 御住職と話もしたかったが、時間のこともあるので帰るとする。

    御住職と話もしたかったが、時間のこともあるので帰るとする。

  • 参考までに載せておく。令和6(2024)年は甚大な災害が多かった年でもあった。平等寺のある福岡県田川市も例に漏れず、8月末の台風により大きな被害を受けた。転記許可を得たこれらの写真は今記した風鈴棚の破損状況である。これによりまつりは中止となった。私自身この時期に九州旅行を計画していたが、動きの遅い台風に目途が立たずに中止した。この破損だと…と本年(令和7年度)の開催を危惧していたが、4月26日から8月31日までの期間で開催が発表された。例年通りに楽しめることに御住職を始め関係者様のご尽力に敬意を払いたいと思う。

    参考までに載せておく。令和6(2024)年は甚大な災害が多かった年でもあった。平等寺のある福岡県田川市も例に漏れず、8月末の台風により大きな被害を受けた。転記許可を得たこれらの写真は今記した風鈴棚の破損状況である。これによりまつりは中止となった。私自身この時期に九州旅行を計画していたが、動きの遅い台風に目途が立たずに中止した。この破損だと…と本年(令和7年度)の開催を危惧していたが、4月26日から8月31日までの期間で開催が発表された。例年通りに楽しめることに御住職を始め関係者様のご尽力に敬意を払いたいと思う。

  • 田川市民球場前駐車場へと戻って来た。<br /><br />三井寺 13:46(6.9km・54.2km・480.1km・14.8km/h)<br />    15:22

    田川市民球場前駐車場へと戻って来た。

    三井寺 13:46(6.9km・54.2km・480.1km・14.8km/h)
        15:22

  • ちょっと移動して田川市民球場前へ。<br /><br />田川市民球場駐車場 15:23(0.5km・54.7km・480.6km・30.0km/h)<br />          15:30<br />

    ちょっと移動して田川市民球場前へ。

    田川市民球場駐車場 15:23(0.5km・54.7km・480.6km・30.0km/h)
              15:30

  • 格安スタンド〝SоgоEnergy百円坂SS〟に立ち寄るが、まさかの現金のみ…。手持ち小銭しかなかったのでそのまま出て行くしかなかった(泣)。<br /><br />SоgоEnergy百円坂SS 15:36(1.3km・56.0km・481.9km・13.0km/h)<br />                15:39<br />

    格安スタンド〝SоgоEnergy百円坂SS〟に立ち寄るが、まさかの現金のみ…。手持ち小銭しかなかったのでそのまま出て行くしかなかった(泣)。

    SоgоEnergy百円坂SS 15:36(1.3km・56.0km・481.9km・13.0km/h)
                    15:39

  • スタンド検索で記憶にあった〝カーエネクス夏吉SS〟に立ち寄って給油するが…太宰府で入れた時と同じ170円/Lだったのでそんなに安い感はなかった。<br /><br />カーエネクス夏吉SS 15:53(4.9km・60.9km・486.8km・21.0km/h)<br />           16:02<br />

    スタンド検索で記憶にあった〝カーエネクス夏吉SS〟に立ち寄って給油するが…太宰府で入れた時と同じ170円/Lだったのでそんなに安い感はなかった。

    カーエネクス夏吉SS 15:53(4.9km・60.9km・486.8km・21.0km/h)
               16:02

  • 道の駅香春でひと休み。<br /><br />道の駅香春 16:15(7.6km・68.5km・494.4km・35.1km/h)<br />      16:40

    道の駅香春でひと休み。

    道の駅香春 16:15(7.6km・68.5km・494.4km・35.1km/h)
          16:40

    道の駅 香春 道の駅

  • 通り道のビューポイントから見た香春岳。石灰石の採掘が続けられている。<br /><br />香春岳 16:57(12.4km・80.9km・506.8km・43.8km/h)<br />    17:00<br />

    イチオシ

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    通り道のビューポイントから見た香春岳。石灰石の採掘が続けられている。

    香春岳 16:57(12.4km・80.9km・506.8km・43.8km/h)
        17:00

    香春岳 自然・景勝地

  • 日田彦山線石原町駅に立ち寄った。<br /><br />石原町駅 17:04(2.2km・83.1km・509.0km・33.0km/h)<br />     17:09<br />

    日田彦山線石原町駅に立ち寄った。

    石原町駅 17:04(2.2km・83.1km・509.0km・33.0km/h)
         17:09

  • 小倉行き普通列車は、キハ147系の運行だった。

    小倉行き普通列車は、キハ147系の運行だった。

    石原町駅

  • 日田彦山線キハ147系を見送って車へと戻る。

    日田彦山線キハ147系を見送って車へと戻る。

    JR日田彦山線 乗り物

  • 石原町駅は北九州市小倉南区に位置する。なので郵便収集も北九州中央郵便局が担当するが、さすがに〝大字〟エリアになると1日1便しかないようだ…。

    石原町駅は北九州市小倉南区に位置する。なので郵便収集も北九州中央郵便局が担当するが、さすがに〝大字〟エリアになると1日1便しかないようだ…。

  • レンタカー指定給油所である〝ENEOSDr.Drive三萩野SS〟で最後の給油。185円/Lと聞いて〝高かッ〟と思ったが、1.86Lで344円だったらまぁ良いか~となるだろう。<br /><br />ENEOS Dr.Drive三萩野SS 17:38(10.9km・94.0km・519.9km・22.6km/h)<br />              17:42

    レンタカー指定給油所である〝ENEOSDr.Drive三萩野SS〟で最後の給油。185円/Lと聞いて〝高かッ〟と思ったが、1.86Lで344円だったらまぁ良いか~となるだろう。

    ENEOS Dr.Drive三萩野SS 17:38(10.9km・94.0km・519.9km・22.6km/h)
                  17:42

  • ドラッグストアコスモス足立店に立ち寄って、ひと息つく。<br /><br />ドラッグコスモス足立店 17:46(1.3km・95.3km・521.2km・19.5km/h)<br />            17:51<br />

    ドラッグストアコスモス足立店に立ち寄って、ひと息つく。

    ドラッグコスモス足立店 17:46(1.3km・95.3km・521.2km・19.5km/h)
                17:51

  • タステック・レンタリース小倉駅新幹線口店に返車し、今回の〝車旅〟は終了する。<br /><br />タステック・レンタリース小倉駅新幹線口店 18:11(3.4km・98.7km・524.6km・10.2km/h)<br />                     18:25<br />

    タステック・レンタリース小倉駅新幹線口店に返車し、今回の〝車旅〟は終了する。

    タステック・レンタリース小倉駅新幹線口店 18:11(3.4km・98.7km・524.6km・10.2km/h)
                         18:25

  • 小倉駅前阪九フェリー連絡バス乗り場へとやって来た。<br /><br />阪九フェリー連絡バス乗り場 18:30<br />              18:40

    小倉駅前阪九フェリー連絡バス乗り場へとやって来た。

    阪九フェリー連絡バス乗り場 18:30
                  18:40

    阪九フェリー 乗り物

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