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《2024.July》あみんちゅぶらり九州を歩く旅そのⅤ福岡~九州風鈴まつり最終日前編~<br /><br />8時に目覚ましを掛けていたが、その前に目が覚めた。多分旅行に来ているからといういつもの理由ではなく、ホテル手配を間違えてしまったことで、若干予定が変更せざるを得なかったという思いによるものであったろう。兎にも角にも先ずは腹ごしらえからと思い直し、一階のレストランへと朝食バイキングを頂きに下りて行く。先述した通り〝2回目〟の宿泊だったので、前回の宿泊時のデータを引っ張り出し、前回同様〝ガッつりバイキング〟の朝食を頂き満足する。実績のあるホテルには間違いはない。今回も満腹になってスタートする準備が整った。<br /><br />当初の予定ではHOTELAZ福岡篠栗店に宿泊予定だったために、風鈴まつりの旅最終日は篠栗町の山王寺からスタートする筈であった。私の勘違いから飯塚に泊まることになったために、最初に山王寺迄戻ってから予定通り北上しようとも考えたが、その場合滞在時間を短くせざるを得ないというデメリットが生じるために、最寄りから回って行く方が懸命でかつ時間的ロスも少ないことが判明し、最初に同じ飯塚市にある〝瑠璃山正法寺〟から回ることに決める。<br /><br />ホテル駐車場を出て僅か7分で到着した瑠璃山正法寺。通称こがえる寺は昨日訪れた如意輪寺同様〝かえる〟のモニュメントの並ぶ寺院であった。風鈴まつりの情報に詳しい方ならば知っている話ではあるのだが、このこがえる寺正法寺のご住職は、かえる寺如意輪寺のご住職の息子さんである。それ故にかえる寺同様〝縁起物〟として〝カエルさん〟がいらっしゃるという訳である。<br /><br />入口脇の駐車場に車を停めて参道階段を歩いて行く。聞いた話ではあるが、この正法寺、創建はともかく長い間廃れていた寺院を再興した経緯がある。それ故に建物全体が新しくきれいである。それ故に知名度の低さもあるために〝穴場的〟な風鈴まつりを行っている寺院であると辛口評価を受けているところもある。確かに寺院と言えど〝経営〟は切り離せない問題ではあるが、別にそのようなことを確認したい訳ではないために、風鈴を求めてカエルさんが並ぶ参道階段を歩いて行く。途中階段踊り場にトイレが設けられている。この辺りは決して広くはない境内を最大限に利用している感が伺える。歩いて来た参道にも風鈴棚が設けられており、風鈴まつりを堪能できるのだが、堂宇内の建物にも多くの風鈴が吊るされている。雨の日の風鈴まつり参拝が芳しくないと言う記載は、写真を撮ってもオリジナル画像ではどうしても色合いに〝くすみ〟が出てしまい、見た目があまり良くは見えないことと、雨風等の影響で〝楽しみ切れない〟と言う意見に表れていると考える。確かにこの九州風鈴まつりを巡る旅に於いても然りで、今迄参拝してきた神社仏閣に於ける〝風鈴まつり〟は屋外展開されているものばかりであった。しかしこの正法寺は風鈴飾りの1/3は屋内に飾られており、天候関係無しに楽しむことができるものとなっている。勿論日本全国を探せば屋内主体の風鈴飾りを行っている場所もあるので一概には言えないが、福岡界隈では正法寺だけだった筈である。またこがえる寺の名の通り〝カエルさんの展示室〟はしっかり設けられており、その部屋の直ぐ側には風鈴飾りが吊り下げられているというまこと淑やかな組み合わせが堪能できる場所となっている。加えて狭い敷地故に〝風鈴まつり〟を堪能するにあたり、順路が決まっているために見落とすこともないメリットもある。どうしても〝風鈴に触らないで下さい〟と注意書きをしていても、屋外にあれば大人に背負われた子供が触ろうとすることは防げないが、屋内にあれば不思議と守られるから不思議でもある。せっかくなのではるの病気治癒祈願の短冊を吊るしてきた。信じる者は救われるという気持ちを込めて…。<br /><br />1時間程風鈴飾りの見物と寺社参拝に費やして下山する。お土産物の販売等もされているようだったが、今回は極力その類のものを買わないようにしていたのでスルーして来たのだが、参拝ではなく普通に〝所要〟があって来られた地元の方から〝こがえる寺煎餅〟を食べない?と勧められた。どうやら参拝客に対するお土産という位置付け以外にも、手土産的な要素もあり配られているようであった。聞くところによると家にまだ残っているからどうぞとのことであった。滋賀県からの観光客からすれば良いお土産なので有り難く頂戴した。下山中に新たな観光客が到着したようで階段を上って来た。土曜日とは言え決して天気が良いとは言えない天候下では、夏休み前ではそれ程観光客も来ないのであろう…。良い時期に来ることが出来たとひとり満足し、車に乗り込んで本来の最初の目的地を目指すべく車を走らせた私であった。<br /><br />飯塚から一旦西南方向へと進み篠栗町へとやって来た。目指すは山王寺、通称たぬき寺である。福岡県にあって風鈴まつりを行っている寺院には〝動物〟を冠した愛称を持っているところが多い。小郡市の如意輪寺や飯塚市の正法寺の〝かえる〟や篠栗町山王寺の〝たぬき〟の他、今回は行けなかったが同じ篠栗町千鶴寺の〝ふくろう〟等がそれに当たる。こじつけのように思えるところもない訳ではないが、逆に動物名を冠することで〝参拝しやすいお寺さん〟と思わせる点もあるかと思う。ここ山王寺は駐車場を出て直ぐの場所からたぬきさんが迎えてくれる。正法寺のカエルさん同様〝ほっこり〟とした気持ちで参拝できることに何ら違いはなかったところからスタートする。<br /><br />真言宗御室派山王寺は篠栗四国八十八ヶ所霊場の第61番札所であり、山肌に添うような風格漂う伽藍が印象的な寺院である。昭和57(1982)年落慶の大師堂には大正13(1924)年に奉納された木造ではささぐり霊場最大級である約3mの弘法大師像が祀られている。深い自然に抱かれた厳かな雰囲気の山寺でありながらも、訪れると不思議と元気になる笑顔になれる…そんな魅力を持ったお寺は、何と言っても〝たぬきさん〟であろう。その昔は〝生たぬき〟がよく出没していたことが〝たぬき寺〟の愛称の由来らしく、かえる寺のように〝モニュメント〟が先発した訳ではないことが他の寺院とは違うところである。そして境内を歩いていると様々な表情のたぬきに出会うことができるのだが、そもそも〝たぬき〟には商売繁盛・開運招福などのご利益があると言われていることからお寺にたぬきの置物を持ち込んでくる方も多いらしく、現在では約200匹の〝おタヌキさま〟に出会えるそうだ。意外にもその歴史は新しく平成10(1998)年に〝初代たぬき〟を迎えて以来年々増え続けて現在に至っているそうだ。そのユニークな〝おたぬきさま〟には大師堂の前や階段の隅、仁王様の足元や庫裏の入口等々境内の様々な場所で出会うことができる。しかし絶対数のこともあるのか、それともご住職の方針なのかはわからないが、適材適所に置かれている感があり、多分周辺の廃寺となった寺院から移された多くの石仏が並んでいる所はやはり寺院であるように思う。御縁の〝五円〟は定番として置かれており、大師堂前の石段には〝わらべ地蔵様〟が並べられている。御縁の五円の反対側にはこれまた定番の〝抱きつき観音様〟がいらっしゃるが、一人旅の者がただ抱きついているだけでは絵にもならないので自重する。その隣には〝不動明王様〟がおられたので、少し変わった展開だなと思ったりもする。観音様と不動明王様の中間に、ここ山王寺風鈴まつりの〝アクセント〟とも言える〝シャボン玉マシーン〟が置かれていた。シャボン玉マシーンは〝空号〟と〝海号〟と分けられており、それぞれ分業制となっており15分おきに5分間シャボン玉を吹き出す仕組みになっているようであった。何気ないイベント資材ではあるが、しっかり真言宗の開祖空海弘法大師の名前が組み込まれていることに変に納得する。<br /><br />またその境内には四国八十八ヶ所霊場第六十一番札所光園寺から勧請した〝子安大師〟を安置した朱塗りの子安大師堂もある。一番奥にあるのが本堂であり、こちらには御本尊の大日如来様が祀られている。そして本堂には梵鐘が吊り下げられている。一般的な寺院にある鐘楼内に吊り下げられている梵鐘とはサイズが違うが、見るからに音色が美しそうなものであった。<br /><br />山王寺の説明で脱線したが、本来こちらに参拝した〝主目的〟は、風鈴まつり見学である。福岡エリアでは必ずと言って良い程名前が出て来る山王寺であるが、こちらの風鈴飾りの特徴というのが、階段の傾斜部分を除く〝ありとあらゆる場所〟に風鈴が飾られているということである。基本風鈴まつりを行っている寺院の場合、開始当初は僅かな数で始まり、奉納数が増えるに従い規模も大きくなって行くという歴史を持っている。聞いた訳ではないが多分山王寺もそうであろう。ただ増える風鈴飾りと丸型行燈を合わせた〝基本形〟の風鈴棚は、境内の平面部分に組まれており、階段部分には設置されてはいない。あとで写真を見直して気付いたことではあるが、石段付近に風鈴棚を設置すると足元への集中が削がれるリスクが有る。また足元ばかりに気を取られていると、身長によっては頭が風鈴に触れてしまうことも考えられる。勿論薄いガラスでできている風鈴は頭に当たると場合によっては割れてしまう危険性もある。手で触れている訳ではないので意図的ではないにしても、ガラス製の風鈴が割れると最悪凶器にもなり得るために〝怪我〟をしてしまうことにも繋がってしまう。様々な観点から見ると、階段付近には風鈴棚を設置しない方が無難だと言うことになるのだが、それをこちら山王寺では実践されている。風鈴棚は高さがあれば良いと言うものではない。寧ろ〝手に届きそうな高さ〟にあるからこそ存在感が増してくると私自身は思っている。故にリスクファクターになり得る物は考えて飾られるものであり、それを忠実に実行されている様に見えた。その他にも本堂内大日如来様の前にはライトアップされた〝和傘〟が飾られており、堂宇を囲む屋根には一般のガラス製風鈴ではなく陶器製の風鈴が飾られている等各所に〝工夫〟がされていることは、ただ眺めているだけでも、風鈴まつりに対する〝意気込み〟が感じられるものとなっている。それぞれの場所でインパクトの違う風鈴飾りも、背景により映え方も違う。大抵の風鈴まつりの写真は大別すると同じ様な物となってしまう〝残念さ〟があったのだが、山王寺の風鈴まつりはまた違う。そんな印象を受けた旅人ひとりであった。<br /><br />行きは階段を歩いてきたが、帰りは大師堂前から駐車場へと繋がる道を進んで行く。平坦なこの道は正に〝風鈴棚のオンパレード〟である。道が曲がっている部分は確かに途切れてはいたものの参道に沿ってほぼずっと風鈴棚が続いており、風鈴の軽やかな音色に押されるようにして、1時間20分程の時間を費やして山王寺風鈴まつりを巡り車へと戻って来た。<br /><br />時計を見ると正午を過ぎている。風鈴まつりを行っている神社仏閣を線で繋ぎ、平日にはその道中に旅行貯金ができる郵便局を組み込んだ今回の旅路もあとひとつを残すのみとなった。本来であれば最終日の行程は篠栗町のホテルから山王寺・正法寺、そして田川市の三井寺と巡って行く東進直線ルートであったが、ホテル手配を間違えたことによって、行程中心エリアに当たる飯塚からスタートしているので、この飯塚から篠栗迄の区間が重複しており、ちょっと効率は悪くなっている。しかし滞在を〝参拝の基準〟と記されていた時間よりも余分に取っていたために、あまり無理をすることなく最終目的地を目指すことができたことは結果的にはラッキーであった。<br /><br />山王寺を出発し訪問順序を変更した正法寺のある飯塚市を通過して国道201号線を走って行き、途中田川郡糸田町にある〝道の駅いとだ〟でひと息入れる。<br /><br />少し話は脱線するが最終日に旅をしているエリアは、一昔前には筑豊炭鉱を始めとする〝炭鉱街〟だった場所なのであるが、昭和51(1976)年に宮田町の貝島炭礦を以ってすべての炭鉱が閉山したという過去がある。年がバレるが石炭と言えば歴史上長きに渡り〝黒いダイヤ〟と呼ばれるエネルギー源を担っていたものである。今となっては動態保存が話題になるSLも昔は旅客・貨物列車を牽引する機関車として我が国の発展に尽くしてきた。SLの動力源はボイラーで発生させた水蒸気によりシリンダーを動かすというものであるが、ボイラーの火力となったものが石炭であった。しかしエネルギー革命が進展することにより、エネルギー源が石炭から石油へと代わり、石炭採掘は下火となって行き、遂に閉山するに至ったのである。そんな採掘された石炭を運搬するために当時の国鉄は炭鉱路線を次々に開通させていった。大正から昭和初期にかけてのことである。しかし炭鉱が閉山し貨物としての〝石炭〟の運搬もなくなり、炭鉱で働いていた〝人〟も居なくなったこのエリアを走る鉄道は、動かすだけで赤字を生むといった〝厄介者〟扱いされることとなってしまう。国鉄末期の〝赤字路線〟の廃止計画が進む中でも例に漏れず〝日本国有鉄道経営再建促進特別措置法〟に基づく〝特定地方交通線〟の第1・2・3次廃止路線が選定された際に、エリアは若干外れるものもあれど昭和60(1985)年4月1日に香月線・勝田線・添田線・室木線・矢部線に始まり、上山田線・宮田線・漆生線と廃止されて行った。残った路線もJR・三セク化によって現在のニーズに合わせた運行に変わっており、往時隆盛を極めていた炭鉱町のローカル線のイメージは残ってはいない。大昔子供心にこの情報を仕入れていた私は、廃線と聞いて乗りに行きたくて堪らなかったのだが、親に歯向かわない〝良い子(?)〟であったために、高い交通費のかかる九州まで行かせて欲しいとは言えなかった過去がある。その反動からか不良中年化して現在に至っているのだが、この界隈に来るとそのことを思い出し、タイムスリップしたいとマジで思ってしまうのである。何回も訪れているような言い方ではあるが、実際には10年ぶり2回目の訪問であることは付け加えておく。実際のところ現在この〝廃線跡巡り〟をすることは、手間と暇がかかるものとなっており、今回のように他に目的をもって訪れている旅にそう簡単に組み込めるようなものでもない。ライトな乗り鉄だった昔を思い出し、定年を迎えたら出来るかな~と思いつつ、道の駅〝いとだ〟という名称から〝国鉄糸田線〟を思い浮かべた私であった。ただ国鉄糸田線区間は現在〝平成筑豊鉄道糸田線〟として3セク運行は続けられており、実質廃止にはなってはいない区間ではある。その辺りは地元ではないために〝線名〟=〝土地名〟と感じてしまう点はご容赦頂きたい。僅か20分程度の短時間滞在ではあったが、古き良き時代を思い出すには十分な時間を過ごせたように思う。そんな道の駅いとだを出発し、走ること30分で田川市民球場前広場駐車場に到着する。<br /><br />  《続く》

《2024.July》あみんちゅぶらり九州を歩く旅そのⅤ福岡~九州風鈴まつり最終日前編~

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2024/07/20 - 2024/07/20

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《2024.July》あみんちゅぶらり九州を歩く旅そのⅤ福岡~九州風鈴まつり最終日前編~

8時に目覚ましを掛けていたが、その前に目が覚めた。多分旅行に来ているからといういつもの理由ではなく、ホテル手配を間違えてしまったことで、若干予定が変更せざるを得なかったという思いによるものであったろう。兎にも角にも先ずは腹ごしらえからと思い直し、一階のレストランへと朝食バイキングを頂きに下りて行く。先述した通り〝2回目〟の宿泊だったので、前回の宿泊時のデータを引っ張り出し、前回同様〝ガッつりバイキング〟の朝食を頂き満足する。実績のあるホテルには間違いはない。今回も満腹になってスタートする準備が整った。

当初の予定ではHOTELAZ福岡篠栗店に宿泊予定だったために、風鈴まつりの旅最終日は篠栗町の山王寺からスタートする筈であった。私の勘違いから飯塚に泊まることになったために、最初に山王寺迄戻ってから予定通り北上しようとも考えたが、その場合滞在時間を短くせざるを得ないというデメリットが生じるために、最寄りから回って行く方が懸命でかつ時間的ロスも少ないことが判明し、最初に同じ飯塚市にある〝瑠璃山正法寺〟から回ることに決める。

ホテル駐車場を出て僅か7分で到着した瑠璃山正法寺。通称こがえる寺は昨日訪れた如意輪寺同様〝かえる〟のモニュメントの並ぶ寺院であった。風鈴まつりの情報に詳しい方ならば知っている話ではあるのだが、このこがえる寺正法寺のご住職は、かえる寺如意輪寺のご住職の息子さんである。それ故にかえる寺同様〝縁起物〟として〝カエルさん〟がいらっしゃるという訳である。

入口脇の駐車場に車を停めて参道階段を歩いて行く。聞いた話ではあるが、この正法寺、創建はともかく長い間廃れていた寺院を再興した経緯がある。それ故に建物全体が新しくきれいである。それ故に知名度の低さもあるために〝穴場的〟な風鈴まつりを行っている寺院であると辛口評価を受けているところもある。確かに寺院と言えど〝経営〟は切り離せない問題ではあるが、別にそのようなことを確認したい訳ではないために、風鈴を求めてカエルさんが並ぶ参道階段を歩いて行く。途中階段踊り場にトイレが設けられている。この辺りは決して広くはない境内を最大限に利用している感が伺える。歩いて来た参道にも風鈴棚が設けられており、風鈴まつりを堪能できるのだが、堂宇内の建物にも多くの風鈴が吊るされている。雨の日の風鈴まつり参拝が芳しくないと言う記載は、写真を撮ってもオリジナル画像ではどうしても色合いに〝くすみ〟が出てしまい、見た目があまり良くは見えないことと、雨風等の影響で〝楽しみ切れない〟と言う意見に表れていると考える。確かにこの九州風鈴まつりを巡る旅に於いても然りで、今迄参拝してきた神社仏閣に於ける〝風鈴まつり〟は屋外展開されているものばかりであった。しかしこの正法寺は風鈴飾りの1/3は屋内に飾られており、天候関係無しに楽しむことができるものとなっている。勿論日本全国を探せば屋内主体の風鈴飾りを行っている場所もあるので一概には言えないが、福岡界隈では正法寺だけだった筈である。またこがえる寺の名の通り〝カエルさんの展示室〟はしっかり設けられており、その部屋の直ぐ側には風鈴飾りが吊り下げられているというまこと淑やかな組み合わせが堪能できる場所となっている。加えて狭い敷地故に〝風鈴まつり〟を堪能するにあたり、順路が決まっているために見落とすこともないメリットもある。どうしても〝風鈴に触らないで下さい〟と注意書きをしていても、屋外にあれば大人に背負われた子供が触ろうとすることは防げないが、屋内にあれば不思議と守られるから不思議でもある。せっかくなのではるの病気治癒祈願の短冊を吊るしてきた。信じる者は救われるという気持ちを込めて…。

1時間程風鈴飾りの見物と寺社参拝に費やして下山する。お土産物の販売等もされているようだったが、今回は極力その類のものを買わないようにしていたのでスルーして来たのだが、参拝ではなく普通に〝所要〟があって来られた地元の方から〝こがえる寺煎餅〟を食べない?と勧められた。どうやら参拝客に対するお土産という位置付け以外にも、手土産的な要素もあり配られているようであった。聞くところによると家にまだ残っているからどうぞとのことであった。滋賀県からの観光客からすれば良いお土産なので有り難く頂戴した。下山中に新たな観光客が到着したようで階段を上って来た。土曜日とは言え決して天気が良いとは言えない天候下では、夏休み前ではそれ程観光客も来ないのであろう…。良い時期に来ることが出来たとひとり満足し、車に乗り込んで本来の最初の目的地を目指すべく車を走らせた私であった。

飯塚から一旦西南方向へと進み篠栗町へとやって来た。目指すは山王寺、通称たぬき寺である。福岡県にあって風鈴まつりを行っている寺院には〝動物〟を冠した愛称を持っているところが多い。小郡市の如意輪寺や飯塚市の正法寺の〝かえる〟や篠栗町山王寺の〝たぬき〟の他、今回は行けなかったが同じ篠栗町千鶴寺の〝ふくろう〟等がそれに当たる。こじつけのように思えるところもない訳ではないが、逆に動物名を冠することで〝参拝しやすいお寺さん〟と思わせる点もあるかと思う。ここ山王寺は駐車場を出て直ぐの場所からたぬきさんが迎えてくれる。正法寺のカエルさん同様〝ほっこり〟とした気持ちで参拝できることに何ら違いはなかったところからスタートする。

真言宗御室派山王寺は篠栗四国八十八ヶ所霊場の第61番札所であり、山肌に添うような風格漂う伽藍が印象的な寺院である。昭和57(1982)年落慶の大師堂には大正13(1924)年に奉納された木造ではささぐり霊場最大級である約3mの弘法大師像が祀られている。深い自然に抱かれた厳かな雰囲気の山寺でありながらも、訪れると不思議と元気になる笑顔になれる…そんな魅力を持ったお寺は、何と言っても〝たぬきさん〟であろう。その昔は〝生たぬき〟がよく出没していたことが〝たぬき寺〟の愛称の由来らしく、かえる寺のように〝モニュメント〟が先発した訳ではないことが他の寺院とは違うところである。そして境内を歩いていると様々な表情のたぬきに出会うことができるのだが、そもそも〝たぬき〟には商売繁盛・開運招福などのご利益があると言われていることからお寺にたぬきの置物を持ち込んでくる方も多いらしく、現在では約200匹の〝おタヌキさま〟に出会えるそうだ。意外にもその歴史は新しく平成10(1998)年に〝初代たぬき〟を迎えて以来年々増え続けて現在に至っているそうだ。そのユニークな〝おたぬきさま〟には大師堂の前や階段の隅、仁王様の足元や庫裏の入口等々境内の様々な場所で出会うことができる。しかし絶対数のこともあるのか、それともご住職の方針なのかはわからないが、適材適所に置かれている感があり、多分周辺の廃寺となった寺院から移された多くの石仏が並んでいる所はやはり寺院であるように思う。御縁の〝五円〟は定番として置かれており、大師堂前の石段には〝わらべ地蔵様〟が並べられている。御縁の五円の反対側にはこれまた定番の〝抱きつき観音様〟がいらっしゃるが、一人旅の者がただ抱きついているだけでは絵にもならないので自重する。その隣には〝不動明王様〟がおられたので、少し変わった展開だなと思ったりもする。観音様と不動明王様の中間に、ここ山王寺風鈴まつりの〝アクセント〟とも言える〝シャボン玉マシーン〟が置かれていた。シャボン玉マシーンは〝空号〟と〝海号〟と分けられており、それぞれ分業制となっており15分おきに5分間シャボン玉を吹き出す仕組みになっているようであった。何気ないイベント資材ではあるが、しっかり真言宗の開祖空海弘法大師の名前が組み込まれていることに変に納得する。

またその境内には四国八十八ヶ所霊場第六十一番札所光園寺から勧請した〝子安大師〟を安置した朱塗りの子安大師堂もある。一番奥にあるのが本堂であり、こちらには御本尊の大日如来様が祀られている。そして本堂には梵鐘が吊り下げられている。一般的な寺院にある鐘楼内に吊り下げられている梵鐘とはサイズが違うが、見るからに音色が美しそうなものであった。

山王寺の説明で脱線したが、本来こちらに参拝した〝主目的〟は、風鈴まつり見学である。福岡エリアでは必ずと言って良い程名前が出て来る山王寺であるが、こちらの風鈴飾りの特徴というのが、階段の傾斜部分を除く〝ありとあらゆる場所〟に風鈴が飾られているということである。基本風鈴まつりを行っている寺院の場合、開始当初は僅かな数で始まり、奉納数が増えるに従い規模も大きくなって行くという歴史を持っている。聞いた訳ではないが多分山王寺もそうであろう。ただ増える風鈴飾りと丸型行燈を合わせた〝基本形〟の風鈴棚は、境内の平面部分に組まれており、階段部分には設置されてはいない。あとで写真を見直して気付いたことではあるが、石段付近に風鈴棚を設置すると足元への集中が削がれるリスクが有る。また足元ばかりに気を取られていると、身長によっては頭が風鈴に触れてしまうことも考えられる。勿論薄いガラスでできている風鈴は頭に当たると場合によっては割れてしまう危険性もある。手で触れている訳ではないので意図的ではないにしても、ガラス製の風鈴が割れると最悪凶器にもなり得るために〝怪我〟をしてしまうことにも繋がってしまう。様々な観点から見ると、階段付近には風鈴棚を設置しない方が無難だと言うことになるのだが、それをこちら山王寺では実践されている。風鈴棚は高さがあれば良いと言うものではない。寧ろ〝手に届きそうな高さ〟にあるからこそ存在感が増してくると私自身は思っている。故にリスクファクターになり得る物は考えて飾られるものであり、それを忠実に実行されている様に見えた。その他にも本堂内大日如来様の前にはライトアップされた〝和傘〟が飾られており、堂宇を囲む屋根には一般のガラス製風鈴ではなく陶器製の風鈴が飾られている等各所に〝工夫〟がされていることは、ただ眺めているだけでも、風鈴まつりに対する〝意気込み〟が感じられるものとなっている。それぞれの場所でインパクトの違う風鈴飾りも、背景により映え方も違う。大抵の風鈴まつりの写真は大別すると同じ様な物となってしまう〝残念さ〟があったのだが、山王寺の風鈴まつりはまた違う。そんな印象を受けた旅人ひとりであった。

行きは階段を歩いてきたが、帰りは大師堂前から駐車場へと繋がる道を進んで行く。平坦なこの道は正に〝風鈴棚のオンパレード〟である。道が曲がっている部分は確かに途切れてはいたものの参道に沿ってほぼずっと風鈴棚が続いており、風鈴の軽やかな音色に押されるようにして、1時間20分程の時間を費やして山王寺風鈴まつりを巡り車へと戻って来た。

時計を見ると正午を過ぎている。風鈴まつりを行っている神社仏閣を線で繋ぎ、平日にはその道中に旅行貯金ができる郵便局を組み込んだ今回の旅路もあとひとつを残すのみとなった。本来であれば最終日の行程は篠栗町のホテルから山王寺・正法寺、そして田川市の三井寺と巡って行く東進直線ルートであったが、ホテル手配を間違えたことによって、行程中心エリアに当たる飯塚からスタートしているので、この飯塚から篠栗迄の区間が重複しており、ちょっと効率は悪くなっている。しかし滞在を〝参拝の基準〟と記されていた時間よりも余分に取っていたために、あまり無理をすることなく最終目的地を目指すことができたことは結果的にはラッキーであった。

山王寺を出発し訪問順序を変更した正法寺のある飯塚市を通過して国道201号線を走って行き、途中田川郡糸田町にある〝道の駅いとだ〟でひと息入れる。

少し話は脱線するが最終日に旅をしているエリアは、一昔前には筑豊炭鉱を始めとする〝炭鉱街〟だった場所なのであるが、昭和51(1976)年に宮田町の貝島炭礦を以ってすべての炭鉱が閉山したという過去がある。年がバレるが石炭と言えば歴史上長きに渡り〝黒いダイヤ〟と呼ばれるエネルギー源を担っていたものである。今となっては動態保存が話題になるSLも昔は旅客・貨物列車を牽引する機関車として我が国の発展に尽くしてきた。SLの動力源はボイラーで発生させた水蒸気によりシリンダーを動かすというものであるが、ボイラーの火力となったものが石炭であった。しかしエネルギー革命が進展することにより、エネルギー源が石炭から石油へと代わり、石炭採掘は下火となって行き、遂に閉山するに至ったのである。そんな採掘された石炭を運搬するために当時の国鉄は炭鉱路線を次々に開通させていった。大正から昭和初期にかけてのことである。しかし炭鉱が閉山し貨物としての〝石炭〟の運搬もなくなり、炭鉱で働いていた〝人〟も居なくなったこのエリアを走る鉄道は、動かすだけで赤字を生むといった〝厄介者〟扱いされることとなってしまう。国鉄末期の〝赤字路線〟の廃止計画が進む中でも例に漏れず〝日本国有鉄道経営再建促進特別措置法〟に基づく〝特定地方交通線〟の第1・2・3次廃止路線が選定された際に、エリアは若干外れるものもあれど昭和60(1985)年4月1日に香月線・勝田線・添田線・室木線・矢部線に始まり、上山田線・宮田線・漆生線と廃止されて行った。残った路線もJR・三セク化によって現在のニーズに合わせた運行に変わっており、往時隆盛を極めていた炭鉱町のローカル線のイメージは残ってはいない。大昔子供心にこの情報を仕入れていた私は、廃線と聞いて乗りに行きたくて堪らなかったのだが、親に歯向かわない〝良い子(?)〟であったために、高い交通費のかかる九州まで行かせて欲しいとは言えなかった過去がある。その反動からか不良中年化して現在に至っているのだが、この界隈に来るとそのことを思い出し、タイムスリップしたいとマジで思ってしまうのである。何回も訪れているような言い方ではあるが、実際には10年ぶり2回目の訪問であることは付け加えておく。実際のところ現在この〝廃線跡巡り〟をすることは、手間と暇がかかるものとなっており、今回のように他に目的をもって訪れている旅にそう簡単に組み込めるようなものでもない。ライトな乗り鉄だった昔を思い出し、定年を迎えたら出来るかな~と思いつつ、道の駅〝いとだ〟という名称から〝国鉄糸田線〟を思い浮かべた私であった。ただ国鉄糸田線区間は現在〝平成筑豊鉄道糸田線〟として3セク運行は続けられており、実質廃止にはなってはいない区間ではある。その辺りは地元ではないために〝線名〟=〝土地名〟と感じてしまう点はご容赦頂きたい。僅か20分程度の短時間滞在ではあったが、古き良き時代を思い出すには十分な時間を過ごせたように思う。そんな道の駅いとだを出発し、走ること30分で田川市民球場前広場駐車場に到着する。

  《続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
4.5
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス レンタカー 新幹線 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
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