2024/03/22 - 2024/03/25
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かるあみるくさん
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台湾旅行初日、タオユエン空港からタイペイ市街へ移動してからの旅行記になります。タイペイ市街を歩いて、そして観光するパートになります。あらかじめ書きますとこのパートが唯一一般的な台湾観光でこれ以降はほとんど観光地を巡る事はなくなります。以前来たときに回れなかったところを見ようという事で、台湾移転後の中華民国総統、チャン・チェシーを祀る中正紀念堂を訪れた後、タイペイ駅近くの都市公園二二八和平公園を回りました。その後一度ホテルに戻り、ホテル近くにある夜市の雙城街夜市で夕食を食べました。
正直とにかく暑く、元々暑いところが大の苦手という事もあり途中からはあまり動く気力がなくなっていました。この時期の台湾はそこまで暑くならない、というか夜を中心に寒い事があるとは聞いていたのですが、季節外れの暑さで相当な暑さになっていました。まあ30℃越えです、日本で言えば真夏日ですね。
このパートは分割するかどうか迷ったくらい写真がおおくなりましたが、あまり旅行記の冊数が増えすぎともなあと思って無理やり1冊にまとめました。少し長めになっていますがご容赦ください。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
タオユエンMRTのタイペイ駅からタイペイMRTのタイペイ駅までやってきました。英語表記を頼りにしながら歩いてきましたが特段迷うことなくたどり着けました。ただかなり距離があって17分かかっていました。まあ時間はめちゃくちゃ余裕があるので全然問題なかったですけど。
そして当たり前ですけど主都の中央駅なのでめちゃくちゃ混んでいました。台北駅 <地下鉄> (台北車站) 駅
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タイペイ駅からタンシュエイ(淡水)線でミンチェンシーロ駅までやってきました。ここで乗り換えても良いんですが一駅ですし地図を見ると、隣の駅との間くらいにホテルがあるので歩いていく事にします。ただキャリーバッグが重かった・・・。結構大変だったのでホテルにチェックインして以降は全て隣のジョンシャン小学校駅からメトロに乗っています。
民権西路駅 駅
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駅を出てすぐのところ、というか角度は違いますが上の写真の右側にこの建物が写っていますが、タイペイの町並みはこんな感じです。中国とも違う感じですがやはり日本、韓国とも違います。ただ店は日本でもあるようなチェーン店ばかりなんですよね。
この写真とは全然違う話ですが私は中国語を話せないですし、漢字は読めますが当たり前ですが日本語と中国語では漢字の読み方も違います。で、来る前から予想していて来てみて予想以上に困った事が地名を読めない事。英語表記はありますが、日本語をローマ字表記するのと中国語をローマ字表記するのはルールが異なるため、なんとなく読めますが発音がちゃんとは出来ません。韓国(というかソウル、釜山、仁川など)は日本語表記がある上私はハングルを読めますが、台湾は主要部分以外日本語表記はなく中国語と英語表記の為とにかく地名が読めないというのは非常に困りました。元々あんまり調べてこなかったこともあり、台湾旅行中この問題は常について回る事になります。
そんなわけで台湾旅行に関しては(今後過去の中国やホンコンなどを書く場合もそうですが)、基本的に地名・人名はカタカナで表記します。 -
ミンチェンシーロ駅から歩いて7分くらいかかりホテルサンルートタイペイにやってきました。台湾旅行中に宿泊するホテルです。ただまだ12時頃でチェックイン時間はまだまだ先の為荷物を預けて出発することに。レセプションに英語で話しかけたのですが、途中で日本語話せますという事になりそれ以後は日本語での対応。めちゃくちゃ流ちょうでした。
正直それが狙いで日系に泊まったのもありますがとても助かりました。ホテルサンルート台北 ホテル
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ホテルで昼食食べられる場所、出来れば日本語が通じる場所という事で聞いたら近くにはないみたいです。ただ日中もやっている夜市がホテルの裏にあり、そこなら通じなくても日本語のメニューが書いてあるところもあるからと聞いてホテルの裏側へ向かいました。
うーん、どこなんだろ。なんかすごくローカルな場所に入ってきた気がする。 -
さらに進むとなんかすごいディープな場所に踏み込んだ感が・・・。台湾、タイペイの治安状況とかイマイチわかっていないというどうしようもなく計画のない旅行をしているのですが、まあ明るいし人もいるだろうという事でバックパックを前に抱え気合を入れて進みます。というか別に問題なさそうな雰囲気でしたけど。
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この商店でパン、というかパイを2つ程購入しました。正直言葉はまったくわかりませんが、漢字で書かれている文字を見ると台湾でも人気のものなのかなと・・・。今でもこれが何だったかはまったくわかりません。
甘いパンなのかと思ったらミートパイみたいなものでした。美味しかったですけどね。 -
上のアーケードの様な路地を抜けると少し広い道に出ました。グーグルマップを見ながら動いているので大まかに道がわかるのが幸いです。この道を東に進んで行くと目的地に近づけそうなので向かっていきます。
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東に向かって歩いていると夜市の様な場所に出ました。ホテルのレセプションで話を聞いた裏の夜市というのはここの事だった様です。ホテルで言われた通り夜市ですが日中からやっているみたいでした。既に結構人がいますね。確かにここは日本語表記もありました。
とりあえず先ほど少し口にしたのでもう少し歩いてみる事にします。雙城街夜市 散歩・街歩き
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そのまま進んで行くと「金沢」というお店がありました。中国語なのか日本語なのかわかりませんが、「金沢 日式拉麺 白飯無料 替玉無料」でまあだいたいの意味は解ります。
海外の日本風はあんまりあてにしていないですが、せっかくなら日本風より四川料理、江蘇料理などを食べてみたいものです。 -
タイペイ、というか台湾がかなりのバイク社会です。主都で人口が多いというのはあると思いますが、車よりバイクの方が多いんじゃないかと思うくらいでした。
なんとなく東南アジアっぽさもある街の雰囲気です。 -
グーグルマップだけを頼りに道を北に向かっていくとT字路にたどり着きました。ここからタイペイ市の中心部にあるソンシャン空港まではすぐで、この直前には着陸機も見えました。
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T字路の先にあったのはシンシェン公園。かつてタイペイ市で行われた花博の会場だった事もある公園で市街地にもあるにも関わらずかなりの広さを持った公園でした。
ソンシャン空港の滑走路端の延長線上だけが公園というわけではないのでひょっとしたら元々軍用地だったのかもしれないです。新生公園 広場・公園
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シンシェン公園でもソンシャン空港への着陸機は撮影できそうですが、タイペイらしい写真を撮りたかったので、滑走路南側にあるビンジャン市場へ向かいます。観光客向けというより地元向けの市場だそうですが、部外者でも買えるみたいです。まあ実際に行ってみたところ英語通じないので中国語話せないと大変だと思いますが・・・。
濱江市場 市場
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この市場の屋上駐車場から隣接するソンシャン空港で離発着する機体が撮影できる様で、エレベーターで上がる事が出来るようですが場所がわかりにくいという事は解説サイトに書かれていて、職員に聞くと教えてくれると書いてあったのですが、簡単な英語で伝えても英語は伝わらず・・・台湾でエレベーターなのかリフトなのかどちらを使うのかわからずという事もあり、あきらめてもう一か所の場所に向かいます。
濱江市場 市場
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市場で撮影できそうにないのでもう一か所撮影地に行ってみます。こちらは台湾では非常に有名なスポットで一眼での本格的な撮影というよりも飛行機を眺めたりスマホで撮影したりする人が多いスポットです。さすがに季節外れの暑さの日中という事でこの時間は人がいなさそうですが・・・。右側がソンシャン空港で着陸機が見えるスポットです。
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大阪伊丹空港に千里川の土手という場所がありますがそこと同じようなアングルです。左側は広場の様になっていて人がそこそこいました。ネットでみた写真だともっと人がいっぱいいてあまり身動き取れないのかなとも思いましたが、暑さの為かガラガラでしたね。・
飛機巷 交通機関
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上の写真で進入灯が見える様にこのスポットは航空機を真下から見上げる様になるので迫力はとてもあります。ユニエアのATR72-600が進入してきましたがこのサイズのプロペラ機でも轟音と猛烈な風圧を残して着陸していきました。
飛機巷 交通機関
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ソンシャン空港は基本的に国内線のみの発着ですが、東京羽田、ソウル金浦、上海ホンチャオなどの国際線が就航しています。台湾高鐵の開業でカオシュン路線が無くなって以降離島路線と国際線程度になっているみたいですね。あとは中華民国空軍の離発着もあるようです。
側面を撮影できるような場所へ少し移動しました。こちらは羽田からのエヴァー航空B787-10。初撮影の機体ですが、今日羽田に行っていれば撮影出来た機体でもあります。飛機巷 交通機関
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そんなに飛来機はないのかなと思っていましたが、チャイナエアライン傘下のマンダリン航空、エヴァー航空傘下のユニエアーや国際線が短い時間でも見る事が出来ました。ここからだと離陸機はなかなか撮影しにくいですが、見ている分にはとても楽しかったです。
飛機巷 交通機関
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飛機巷から歩いて35分くらいかけてホテルのすぐ近くまで戻ってきました。距離的には30分弱だと思いましたが、暑さと念のため大通りを歩いてきたら少し時間がかかりました。
写真はホテルからすぐの場所にあるジョンシャン小学校。校舎がいつ頃のものかはわかりませんが、日本統治下の1908年に発足した学校で戦後はチェンチュンチェン(蒋中正)小学校と呼ばれていた事もあるようです。 -
チェックインの10分前である13:50くらいでしたがもうチェックインできるという事で部屋に入る事が出来ました。レセプションは先ほどの方と違う方でしたが日本語が話せる人だったので、数人話せる人がいるようで助かりました。正直言葉が読めない、話せない、英語が通じないという場所なのでホテルだけでも通じるのは助かります。
30℃越えだったので既に汗だく。レセプションは冷房がガンガンに効いていて気持ち良かったです。ホテルサンルート台北 ホテル
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ホテルは日系という事もあり日本と何ら変わらないですね。冷房はダクト式でしたが、さすがにタイペイのホテルなのでめちゃくちゃ効きます。助かったー。
タオユエン空港にシャワーはあるのは確認していましたがデッキでいろいろと撮影していてそれどころじゃなかった(笑)のもありホテルでシャワーを浴びました。日本でよく見る三点ユニット式のシャワーですが、水圧もしっかりしていたので良かったです。ホテルサンルート台北 ホテル
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9階の部屋でそこそこ高さがありますが、すぐ隣にも高層ビルがありますし、周囲もビルが多い場所で観光名所が見えるわけではないのであまり眺望の良さというのはありませんでした。
ホテルサンルート台北 ホテル
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先ほど歩いている最中にファミリーマートで買った台湾風のウーロン茶です。ウーロン茶にはとても色が見えない。
左がキンカン、ハチミツ入りウーロン茶、右がグァバ、レモン入りCuiyuウーロン茶というものです。Cuiyuはなんだか不明。
暑さであまり見ないで大漁に買ったのもあるんですがホテルで見てみてびっくり。なんじゃこりゃと思いましたが、飲んでみると甘くておいしかったです。ただウーロン茶というイメージで飲むと驚きます。ホテルサンルート台北 ホテル
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まだ14時30分、野宿とは言えしっかり眠れましたし疲れもそんなにないのでホテルでシャワーを浴びて涼みましたしタイペイ市内の観光に向かいます。ホテルから歩いて数分の所にあるジョンシャングシャオ(中山国小)駅という駅から再出発です。
英語の駅名を見てみたところ、ジョンシャン小学校駅という意味の様です。中山国小駅 駅
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どこに行くか迷ったのですが以前行けなかったタイペイ101か中正紀念堂に行こうと考えて路線図を見たところ簡単に行けそうな中正紀念堂に向かう事にしました。途中で一度MRTを乗り換えて最寄り駅の中正紀念堂駅まで来ました。他のタイペイMRTの駅と違い天井も高く構造も立派でした。中正紀念堂に合わせて内装も少し豪華にしたみたいです。
中正紀念堂駅 駅
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中正紀念公園にやってきました。駅を降りてすぐの所にありました。さすがに初代総統を祈念する公園だけあります。チャン・チェシーが1975年に死去した後国有地だったこの地に記念講堂と公園を造る事が決まり、ヤン・チョーチェンの設計がコンペで選ばれこの公園が出来たそうです。
とにかく広い。そして現在でこそ台湾・中華民国は民主化されていますが当時は西側陣営だったものの独裁国家で戒厳令が出ている国だったので総統の権威というものがとても大きかった事がわかります。中正紀念公園 広場・公園
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中正紀念公園には歴史のありそうな建築物がありました。ただ中国の伝統建築風になっていますが、公園の建設に合わせて造られたそうなので1980年頃に造られたものだとは思います。こちらは國家音楽廰(発音不明)という事で音楽ホールで著名な音楽家のコンサートなども行われているそうです。
国家戯劇院/国家音楽廰 劇場・ホール・ショー
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國家音楽廰に近づいてみました。のではなく、上の写真の位置から振り返ってみたらこんな感じなのです。こちらは国家戯劇院でオペラハウスの様になっている様です。日本からの公演も過去には行われているそうです。国家戯劇院と国家音楽廰は完全に同じ造りの建築物で、中正紀念公園に南北に向かい合う形で建築されています。中には入りませんでしたが、外から見るだけでも圧巻の建築物でした。
国家戯劇院/国家音楽廰 劇場・ホール・ショー
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歩いて中正紀念堂の近くに寄ってきましたが大きいですね。こちらに歩いてくるときも、大きいのでそんなに遠くにあるようには見えないですが、かなり広い公園で歩くのも疲れるほどでした。
この中正記念堂は高さ70メートルで四方の壁は大理石で造られています。入口への階段は89段あり、これはチャン・チェシーが89歳で亡くなった事を示しているそうです。国立中正紀念堂 建造物
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89段の階段を登ってきました。ここから見上げるとものすごい大きさです。アーチ型の入口の高さでさえ相当なものがある事がわかります。
結構人が写りこんでいますが逆にこの記念堂の大きさがわかると思います。国立中正紀念堂 建造物
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日本だとチャン・チェシー(蒋介石)の名が有名ですが、台湾ではチャン・チュンチェン(蒋中正)が一般的だそうです。あっている間違っているではなくどちらも正しいようです。昔このチャン・チェシー像はいつか来る大陸反抗を願い南京方面(北京だったかも)を向いていると聞いていたんですが、何回試しても全然違う方向になっちゃうんですよね。この方面で大きな都市だとフージョウとかになるんですが、勘違いだったかな。
蒋介石の像 史跡・遺跡
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静止画だとすごさはわからないですが、この儀仗兵は1時間ごとに交代しているのですが、その1時間の間瞬き一つせず静止しています。本当に置物の様になっているんですよね。大変な役割ですが人気も高くエリートぞろいだそうです。
蒋介石の像 史跡・遺跡
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10分くらいだったかな、すごく見入ってしまいましたが儀仗兵交代式が終わりました。比較的いい位置で見る事が出来たので写真に人がそこまで映り込まなかったですが、実際はこんな感じです。
民主化したあとでチャン・チェシーへは複雑な気持ちがあるのかわかりませんが、観光客はほとんどが台湾以外の人みたいでした。日本語、韓国語が多く聞こえた他、東南アジアっぽい人も多かったです。蒋介石の像 史跡・遺跡
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儀仗兵は本当に人形の様に直立不動でした。いつだったかエストニア大統領府で見た交代式とは雲泥の差だ(ごめんなさい。
すごい迫力あって、ブーツで地面を蹴る音とか素晴らしく感じたのですが、2024年7月でこの儀仗兵交代式は終了になったみたいです。過去に民進党が政権を取ると終了し国民党で戻った事があるのでまた国民党政権になれば復活するかもしれないです。
ちなみに横にいる男は観光客ではなく、Wikiなどをみると世話係みたいですね。汗を拭いたりする様です。 -
チャン・チェシー像の上には中華民国の国章があしらわれていました。そして周りの造りもすごく豪華ですよね・・・。
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入口から振り返ってみましたものすごい景色ですね。こんな立派なものを良く造ったなと・・・。それだけチャン・チェシーの権力は絶大だったのだと思います。
ちなみにここは廟ではなく紀念堂なのでお墓ではありません。また独裁国家にありがちな遺体を安置するなどもしていません。もっともそんなことしていたら民主化されたあとに埋葬しているとは思いますが・・・。国立中正紀念堂 建造物
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中正紀念堂の一階(階段を登らないで入る部分)は博物館や展示場、売店などになっていてこちらもすごい混雑でした。博物館は有料ですが、一階部分には自由に入れるようになっていたので入って見ましたが、天井も高いしなかなか壮大な雰囲気でした。
国立中正紀念堂 建造物
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訪れた時は1階ではドラえもん展が開かれていました。2023年12月から24年4月まで開かれていたみたいですね。おそらく中国語での展示でしょうし、台湾に来てまでドラえもんをみたいとは思わないのでパスしましたがものすごい行列になっていました。台湾でもドラえもんって人気あるんですかね。
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斜め前から撮影するとこんな感じに見えました。ちなみにスマホでかなりの広角での撮影をしているので端に行くと歪んでいます。広角じゃないと綺麗にとれないくらいでかいんですよね。
台湾での戒厳令下で建築された建築物ですが改めて独裁国家の権力ってすごいなと思います。台湾の民主化はこの建物が建築されてから10年程たってからでした。 -
台湾はところどころに自動販売機があって飲み物を買う事が出来ました。台湾のお茶って甘いんですね・・・。ここで初めて知りましたが、日式茶(日本風茶という意味?)のものを買えば甘くないものが出てくるみたいです。
あまりの暑さに飲み物の消費が激しくここで購入しました。 -
記念堂の側方の緑地帯には「友好の桜」と書かれた石碑がありました。下に書かれていた案内の石碑をみると揮毫は海部元首相で2005年に建立されたものの様です。中央大学の日華友好友好会が建立していて、学徒動員で動員されその後日本でなくなったため復学できなかった元学生に中央大学が1999年にタイペイ市で卒業証書授与を行ったという事からさらなる友好の為に植樹され、石碑が建てられたそうです。
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MRTでやってくるとこちらからではなく、門の向こう側に見える国家戯劇院の横から入ってくることになりますが、構造的にはこちらが正門で本来はここから入る事を考えているのだと思います。奥には中正紀念堂が見えます。
それにしても遠近法で相当小さく見えるはずなんですがこの距離でここまで大きく紀念堂が見えるんだからすごい大きさだなと。
この門も写っている人と比べるとわかりますが相当な大きさです。当時の台湾が国民党による独裁国家だったというのもこれを見てもわかります。大中至正門 / 自由広場門 建造物
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現在東門はこの様に大規模な交差点のロータリー部分にありしかもフェンスで囲まれているので中に入る事は出来ません。タイペイ城の東側にある門で東門と名付けられていますが、現在でも台湾総統府の東側にある門になっています。上の写真の奥が台湾総統府になるそうです。
東門 (景福門) 建造物
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自由広場門を出て少し進んだところに大きな楼門が見えました。こちらは東門と呼ばれている楼門で、タイペイ城の東側の門として1884年に竣工しています。タイペイ城の完成直後に台湾が日本の統治下にはいり、城門は残ったものの城壁は取り壊されています。また東門も中華民国により取り壊され、現在復元されたこの門も往時とは姿が異なるそうです。
東門 (景福門) 建造物
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東門から少し総統府に近づいた場所に二二八和平公園があります。公園内は落ち着いた雰囲気ですが、前の公道は総統府に近い事もあり警察の警戒がすごかったです。
この二二八和平公園ですが、台湾で1947年に起きた中華民国による民衆暴動鎮圧事件をさします。日本の敗戦により中華民国は台湾の統治権を回復しますが、中華民国による統治は不正・腐敗も多くそれまでの日本統治とはうって変わるものでした。その結果民衆暴動となり、一時は台湾全土が民衆側に制圧される寸前でした。指導部は民衆側に従うように見せつつひそかに本土と連絡を取り最終的には武力鎮圧に至ります。多くのこの犠牲者を出した事件を二二八事件と呼び、国民党独裁政権時代はタブー扱いでしたが、民主化後には追悼なども行われています。
この公園は二二八事件の時には多くの民衆が詰めかけた場所だそうです。二二八和平公園 広場・公園
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とはいえこの公園自体は日本統治下からあり台北新公園と呼ばれていて、中華民国が台湾に移ってきて二二八事件が起きた後もそのまま継続して公園として使用されていました。1996年2月28日に当時のタイペイ市長チェン・シュイピェンが公園内に二二八和平紀念碑を建立し公園名を現在のものに改めた経緯があります。
その為公園自体は記念館や記念碑などはあるものの、それ以外は政治色はあまりなく日本統治時代に作られた欧風都市公園が元の公園です。その為日本と雰囲気は似ていました。二二八和平公園 広場・公園
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公園内には池もありタイペイの都会の中に自然が残っていました。元々日本統治下で造られた公園なので、この池も日本の公園と似ている雰囲気があります。ただ日本と違ってとにかく蒸し暑い、そして植生も異なりますね。
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この公園ですがさすがに日本統治下に作られた大型の都市公園だけあって結構広い公園で屋外ステージもありました。イベントあるときは賑わうんでしょうけど、特にそういうわけではなく人はまばらでした。あまりの暑さに辛かったので少しベンチで休みます。暑いだけじゃなくて本当に蒸し暑くて不快な暑さでした・・・。
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ちょうど温度計がありましたが27℃だそうです。しかも17時過ぎなので日中はもっと暑かったので本当につらかった。調べてみるとこの日のタイペイの最高気温は32℃でした。季節外れの暑さの様で実際私が帰国した翌日は最高気温20℃でしかも0時に観測という状態で私が行った日だけ暑かったようです。南国とはいえ大陸からの風で割と冬は寒いと聞いていたのですが完全に外れました。
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公園の北側にはガラスで覆われた展示場があり蒸気機関車が二台展示されていました。ガラスの反射があるのでなかなかうまく撮影は出来ないのですが、この高温多湿の場所なのでこういうケースがあるのは保存に良さそうです。
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こちらの機関車は台湾鉄道史上初めての蒸気機関車で1887年にドイツで造られた「テンヨン」号だそうです。日本統治時代の1920年代前活躍しその後は保存されています。煙突などはドイツで製造された時に比べ改造され形状が変更になっているそうです。
隣にはかつて日本で使用されその後台湾の9号機関車となった蒸気機関車が保存されていました。解説(英文)を読むとお召し機だった様です。 -
二二八和平公園の北の端、先ほどの蒸気機関車の展示からすぐのところには国立博物館がありました。比較的安価で入る事が出来る博物館なのですが、17時閉館で入る事は出来ませんでした。ギリシャ建築風の歴史ある建築物に見えたので調べたところ、日本統治下の1908年に台湾総督府博物館として建設されたものだそうです。
国立台湾博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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二二八和平公園はタイペイ駅に近く、北側の出口を出て歩くとすぐにタイペイ駅近くの繁華街に突入します。今見えている範囲には雑居ビル群も多く高層ビルはあまりみえないですが、この右手には高層ビルがありました。ただ日本の大都市やソウル程高層ビルが林立するという状態ではないみたいです。
タイペイの市街地を歩きだした時から思っていますが、日本のブランドのお店が多いです。 -
二二八和平公園から割とすぐのところにタイペイ駅はありました。この距離なら歩く気になれば中正紀念堂へも歩けなくはないです。めちゃくちゃ暑いですけど。
中心に見えるのがタイペイ駅で、少し離れたところから撮影しているのでそんなに大きく見えませんがめちゃくちゃ大きく見えます。現在の駅舎は1989年に竣工した4代目駅舎だそうです。
今朝タオユエンMRTから乗り換える際にタイペイ駅は通っていますが地下で乗り換えだったので駅舎を見るのは初めてでした。台北駅 駅
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タイペイ駅の中に入って見ましたがとても広いです。まあ主都の中央駅なので当然と言えば当然なのでしょうけど思ったより発達していて驚きました。
ちなみにタイペイ駅には臺鐡、高鐵、MRT、タオユエンMRTが乗り入れますが全て地下化されているようで、駅舎ではあるんですが地上には鉄道設備はあまりなくショッピングモールというと言いすぎかもしれませんが、そんな感じの建物になっていました。そして地下が迷路の様です。
写真はタイペイ駅に置かれていた可愛いマスコット。どうも臺鐡か高鐵のマスコットの様です。そして郵便ポストになっているような事が書かれていました。台北駅 駅
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タイペイ駅の中はかなりの数の売店や飲食店があり、テイクアウトのお店も多かったです。昼にパンを食べて以降何も食べていないので何か食べたくてウロウロしていたら紅豆餅のお店があったのでそこで買う事にしました。紅豆餅と書くと日本にはない何かと思いがちですが、まあ日本でいう所の今川焼そのものです(今川焼も地域によって名前が異なるみたいですね)。
台湾ではタロイモ餡が人気という事で買おうとしましたが、頼んだところ売り切れ。もう一つ食べたかったモチとピーナッツも売り切れでクリームとコーンチーズを注文しました。
メニューには日本語表記もありましたが、すべてのやり取りを英語でやったので日本語が通じるかは不明です。関北紅豆(台北車站店) アジア料理
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エキナカの売店で購入しているので席はなくてどこで食べようか迷っていたのですが、タイペイ駅の中心部に広い吹き抜けの場所があり、そこに多くの人が座り込んでいたので自分も座り込んで食べました。写真にも結構な数の人が座り込んでいるのが写っていますが、こういうのは中国本土と違いますよね。駅に座り込んで食べていたらすぐに排除されると思うし、そもそも座り込んでいる人いないので・・・。同じ中華系の国と言ってもずいぶんと文化が違うと思いました。どちらかというと東南アジアに近いですかね。
台北駅 駅
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タイペイ駅からMRTを乗り継いでジョンシャン小学校駅まで戻ってきました。地図を見たり実際歩くと最初にホテルに向かう時に降りたミンチェンシーロ駅よりもこちらの方が便利なのかなと。
時間は18時で少し曇ってきたのもありますが、日本や韓国と時差が1時間あることもあり、沖縄やソウルの様な夕方遅くまで明るいという事は無いようです。 -
一旦ホテルに戻り荷物などを置いた後近くにあるという夜市に向かいました。ホテルは日本語が通じるので助かりますが、それ以外はまったく言葉の通じない世界。文字は読めたとしても発音が出来ないので相手に伝える事が出来ないです。カタコトの日本語なら話せる人もいますが・・・。すさまじく観光地化されている夜市ではないですが、ある程度日本語も聞こえてきたので最低限英語通じるのかなと思ってやってきました。
ちゃんとした英語は通じないですが、商品を指差しでどうにか通じるような感じでした。 -
夜市を回っていたら屋台ではなくお店でこんなメニューを出している所があったので入って見ます。とりあえず英語表記があるのはとても助かります。
店員さんは英語は通じないですが、指差しでどうにかなりました。韓国だったら英語も日本語もなくてもとりあえず発音は出来るので、相手に伝える事は出来ますしそもそも簡単な韓国語は話せますが、台湾は本当に通じなくて困りました。中国語も勉強しておけばよかったなあとは思いますがいまさらですね・・・。 -
パイコー麺を注文したら別皿でパイコーがやってきました。
拉麺は中国と同じ感じの麵でした。個人的にはこういう味付けは好きなので美味しくすべてすぐに食べました。でもボリュームが少し少なかったかな。これで110ドルなのでまあ安い方だと思います。 -
てなわけで夜市に戻ってきました。言葉が通じないのは当然変わらないので悩みますが・・・。韓国風のスパイシーラーメンなどを置いている店もありそこは店員が韓国人なのか韓国語で韓国人?とやりとりしてましたが、せっかく台湾に来てそれも違うだろうなあと思いウロウロ。まあでも韓国語が通じる店を発見したのでどうしようもなくなればそこに行けばいいやという意味で気が楽になりました。まあそもそもヨーロッパと違い、というか日本や韓国の様に夜遅くでもコンビニが空いていますので。
雙城街夜市 散歩・街歩き
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で、台湾と言えば何が名物なのかもまったく知らず、台湾ラーメンは名古屋名物だよなあとか思っていたらルーローハンを発見。しかもカタカナ書いてある!という事でここで注文。この時点ではルーローハンがどこの食べ物か知りませんでしたが調べてみると台湾料理みたいですね。前に松屋で食べた事があるのでなんとなくイメージ出来てよかったです。
雙城街夜市 散歩・街歩き
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注文を伝えるとこんな感じでその場で調理してくれます。まあルーローハンはご飯の上に具をのせるだけでしたが・・・。せっかくですからこういうのを調理してもらったのも食べたいですね。
雙城街夜市 散歩・街歩き
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夜市の中にもフリースペースみたいな感じで食べる場所はあるんですが、大混雑で座れず立ち食いも考えたんですが寄りかかれそうな場所は人がいたりしたので夜市の横にある公園で食べます。
普通の繁華街の中にある公園なんですが、結構しっかりした遊具があって子連れも多かったです。 -
ルーローハンです。公園で暗かったのと袋の中で撮影した事もありあまり美味しそうには見えないですが美味しかったです。サイズも小さいですが、先ほどお店でパイコー拉麺を食べているのでちょうどよかったかも。これで50ドルでした。
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雙城街夜市の近くにあったドリンクショップ。特段どこの店に行こうなんて決めていたわけではないのですが、何か甘いものが飲みたくなったので近くにあったこのお店で買う事にしました。
メニューでストロベリーチーズが人気となっていたのでそれを注文しました。 -
手渡されたのはかなり大きなサイズだったので驚きました。たしか85ドルだったかな。台湾物価で高いのか安いのかわかりませんが人気のありそうなお店だったので個人的には全然OKです。
甘すぎる事がなかったのでかなり食べた後でも飲みやすかったです。一番人気みたいなので買いましたがこれをかって良かったです。 -
ホテルに戻る途中で近くのファミリーマートで買った飲みものたち。私自身味覚に鈍感、というか基本的にある程度は問題なく飲み食い出来るのですが、この左側のドリンクは一口飲んでこれはダメだと思い、何回か挑戦したけど飲めなかったです。なんだろう・・・青臭いのかなあ。無理でした。
台湾のお茶は甘いものが多く正直大変でしたが、飲めない程ではないですし日式と書いたお茶を選べば無糖茶があるんでどうにかなりましたがこれはきつかったです。
初日の旅行記はここまでです。空港野宿でしんどいかなとか思いましたが、一日無事に過ごすことが出来ました。明日は南部のカオシュンへ向かいます。ホテルサンルート台北 ホテル
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