2024/12/27 - 2024/12/30
216位(同エリア402件中)
poohさん
4日目最終日
朝食を食べ、トンネル博物館の見学、帰国
行程
1日目: 移動、サラエボ in、サラエボ泊
2日目: クラヴィツァの滝、他、モスタル泊
3日目: モスタルからサラエボへ サラエボ泊
4日目: 帰国
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
最終日、サラエボの朝
相変わらずもやっとした冬空ですが軽く観光しながら朝ごはんを食べにでかけます -
ラテン橋を通って、サラエボ博物館の前を通ると
第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件に関する説明が聞ける掲示があります。
サラエボ事件は1914年6月28日にオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナント大公とその妻ゾフィーが、ボスニアのサラエボでセルビア人青年ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺された事件サラエボ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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1日目の写真の使いまわしですが
友人がまだ見られていなかったのでまた来ました。
ここに暗殺者側のセルビア人青年ガヴリロ・プリンツィプの足跡のレプリカがあります。 -
Pijaca Markale Sarajevo というマーケットまで来てみました
https://maps.app.goo.gl/PWXw5mRo9ij5qWcdA -
基本的に野菜やフルーツが売っているのですが7割程度が開いていました
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一画でサラエボローズをやっと発見
街中にあるそうなのですが雪が積もっているせいか他の場所では見つけられていませんでした。
サラエボローズとは、サラエボ紛争中に特に市民が犠牲となった場所のクレーターに赤い塗料が流し込まれ、血の跡の象徴として今も残されています。
民間人の生活圏も攻撃対象となり、特に市場や市街地で多くの死傷者が出たそうなのですが今普通に歩いているこの場所でも攻撃が行われていたなんて本当に信じられませんでした。 -
お目当てはザクロジュースです
昨夜は道路の色々なところで売っていたのですが寒かったので買いませんでした。
1L で 10EUR のところを半分の 500ml で 10BAM (5EUR) で購入しました。 -
目の前で機械を組み立ててザクロをしぼる本物のフレッシュジュース
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ざくろも実が詰まっていたりそうでなかったり。
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ちゃんとボトルがいっぱいになるまで絞ってくれました。
飲むようの紙コップまでセットで付けてくれたのでありがたく少し離れたところでいただきました。
酸味と若干の苦みがありましたが身体にはよさそうでフレッシュな味でした。 -
さて、朝ごはんは2日目の朝ごはんに食べたところとは別のブレク有名店
bosna でいただきます。
お店が2つ並んでいて、片方は cevapi などごはんが食べられ
もう片方がブレク販売のお店ですが、2階部分でつながっています。 -
こちらのブレクは縦長バージョン
店員さんはおしゃべりに夢中ですが、どれが何味か聞くとちゃんと教えてくれました。
普通のブレク(肉)、白いのがガーリック、チーズ、ホウレン草だったかと。 -
ブレク(肉)、ほうれん草、ガーリックを頼みました。
ブレク(肉)とほうれん草には普通のヨーグルトソースをかけてもらい、
飲み物はトルコティー。こちらで再び出会えたので嬉しい。
ガーリックは初めがものすごくガーリックなのですが食べると意外にもぐもぐ食べられる味。白いソースがガーリック味で不思議な感じでした。 -
宿をチェックアウトして、予約していたタクシーで移動します
事前に定額でサラエボトンネル博物館と空港への移動をお願いしていました。
友人が空港から宿までくるときに使ったタクシーの運転手(男性)から
移動が必要だったら連絡してと言われて番号を渡されていたので
その番号に私が WhatsApp で連絡を取っていたのですが
私を男だと思っていて、
「君の友達がかわいい」、「誰か紹介できる友達はいないか」など
送ってきて不快だったのですがこちらに都合のいい条件でOKしてくれたので
そのままお願いしていました。
ところが、元の予定ではトンネル博物館に1時間という約束だったのに
ついたら20分後にまた集合と言われ、約束が違う!と怒って
荷物は全部持って未払いの状態でトンネル博物館へ。
キャリーケースではなくてバックパックだったのでなせる技…
いざとなっても困るのは運転手さんだけ。サラエボ トンネル博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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壁に残る無数の銃撃の跡
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こちらにもサラエボローズ
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入場料は現金のみ、15BAM/人
まずは部屋でビデオを観ます。
あまりよく理解できず
それから20分と言ってきた運転手のことが気がかりで集中もできず。
現在のサラエボ空港の横にあるトンネル博物館
元は民家があった場所でその裏にこっそりとトンネルの入り口が作られました。
ボスニア紛争中、サラエボはセルビア軍に包囲され外部からの支援物資などを運びいれる手段がなくなってしまいました。
空港の反対側にあるボスニア軍管理下の場所とサラエボを繋げるために地下に人力で掘られたのがこのトンネル。
人命を繋ぐためのパイプラインとして作られた大切な場所。
セルビア軍にもこのトンネルの場所はばれてしまい、銃撃がおきたため正面の壁には銃撃の跡、そしてサラエボローズが残っているそうです。 -
外には色々な説明の図が掲示されています。
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当時の写真
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興味深いのは2005年にボスニアがどの人種の管理下にあるかを示す図
赤はセルビア人、青はボスニア人、一部黄色で表されているのがブルチコという行政地区。2006年にブルチコは廃止されたそうです。 -
トンネルに入るには入り口の近くにおいてあるオレンジ色のヘルメットをかぶります。
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トンネル内部は一部が公開されています。
天井はとても低い。1.5m ほどだそうです。 -
地雷のマークもこれは演出だと思いますが、
今もボスニアには紛争時に埋められた地雷が残されていると言われています。 -
セルビア軍に包囲されていたサラエボの様子を示す地図
運転手さんから時間過ぎてるとメッセージが来ましたが、
「私たちは合意していません」と言って1時間は見学を続けました。
とっても20分で見られる場所ではないので。 -
トンネル博物館を出ると運転手さんは待っていてくれました。
怒っているかなと思ったのですが特に何事もなく空港まで送ってもらい
支払いをして降りてきました。
結局はいい人でよかったのですが最後の最後にちょっと嫌な思い出。
オンラインチェックインができなかったのでカウンターに並び、
そこから制限エリアへ入るためのチェックがものすごく混雑していてここで30分以上は待ったかなと。
中に入っても人で溢れている小さな空港サラエボ国際空港 (SJJ) 空港
-
上空から見たボスニア
雪と山岳地帯 -
見事な夕陽でこの旅行は〆となりました。
ボスニアとても楽しかったので、ぜひたくさんの方にお勧めしたいです。
ダークツーリズムは多いですが今は紛争から30年が経過して、治安もとてもよいと感じました。
オスマン帝国とオーストリア・ハンガリー帝国それぞれに影響を受けた建築が残っておりボスニアのこれまでの歴史が見て感じられ、とても興味深い旅になると思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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