
2025/01/01 - 2025/01/01
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かくちゃんさん
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八日目。
午前十時三十分、茅野駅前ロータリーからベルビアを通り大鳥居へ出て出発。雪が残る道を慎重に進みながらまずは上社前宮へ。十間郎と内御玉殿の間にある鳥居をくぐり、水眼広場を横目に石畳の坂道を上ると前宮本殿である。参拝後、更に坂道を上って鎌倉道遊歩道に入り、武居畑遺跡展望台で諏訪の全景を堪能。ただし、この後、道は雪で消えてしまっている箇所もありかなり迷う。こんな寒い時期に遊歩道を通る酔狂な人はいないようで足跡すらない。「空飛ぶ泥舟」だと思って見上げた建造物は「高過庵」だし、道だと思って歩いた所は単なる崖の縁。それでも何とか神宮寺の遺構までたどり着き、法華寺前の急な坂道を下り石橋を渡り二之鳥居をくぐって何とか上社本宮に到着。入口御門から布橋を通って参拝所へ向かうと、混雑はしているものの5分も待たずにお賽銭を入れ拝礼できる。雰囲気はまだお正月で北参道の沿道には多くの出店が並び、人でごった返している。
そんな北参道には向かわず鳥居をくぐって左折し、波除鳥居を横目に進み、五之鳥居をくぐって、かつての湖底を通って高島城に到着。冠木橋を渡り中央本線の踏切を越えて甲州街道に入ると道は崖沿いにアップダウンを繰り返し、橋本政屋あたりで諏訪湖を一望した後、富部一里塚から十町(1㎞)ほど行くと下社秋宮である。
神楽殿には鳥居の少し先から参拝者の行列。時間の関係で神楽殿の参拝は諦めるも、幣拝殿は混雑していなかったのでこちらを参拝。再び甲州街道に戻り甲州街道と中山道の合流点を過ぎ、中山道に入ってすぐのところにある下諏訪宿本陣岩波家を訪問。入場料は800円と少々お高めではあるが、管理人と思しき方が丁寧に案内してくれる。最後は庭園を見ながら抹茶をいただく。もう少しゆっくりして行きたかったし、「もうお帰りですか」と言われてしまうも先を急ぐため10分ほどでお暇する。中山道をしばらく進み、三叉路を左に進みしばらく下ると下社春宮である。こちらは拍子抜けするほど人が少なくゆっくり参拝できる。
参拝後、春宮大門をくぐり再び中山道へ。長地中町の交差点から伊那へ通じる道である岡谷街道に入り、三沢で古中山道と分かれ、天白橋で天竜川を渡ると道は小刻みにアップダウンを繰り返し、辰野ほたる童謡公園あたりからは生活道路を進み踏切を渡って右折すると辰野駅前である。今日はここで止まることとする。本日の走行距離、八里十一町也。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JR特急 JRローカル 徒歩
-
茅野駅
今日は扉が開けっ放しになっていましたが、雪や風が強い日は開け閉めしているんでしょうね。茅野駅 駅
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諏訪大社上社前宮(かみしゃまえみや)鳥居
新年初詣と思われる参拝客がそれなりにいました。 -
上社前宮の十間郎(じっけんろう)と鳥居
十間郎は中世までは諏訪政祭の政庁の場だったのだそうです。 -
上社前宮(かみしゃまえみや)本殿
諏訪信仰発祥の地と伝えられています。諏訪大社上社前宮神殿跡 寺・神社・教会
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高過庵
茅野出身の建築家藤森照信氏が設計した「木の上の茶屋」なのだとか。 -
武居畑遺跡から見た諏訪の全景
遠くに諏訪湖が見えます。武居畑遺跡は縄文時代から中世にかけての集落の遺跡なのだそうです。今でもちょっと開発すれば良い住宅街になりそうですが、ちょっと駅から遠いですかね。 -
諏訪大社上社本宮(かみしゃほんみや)二之鳥居
東参道から来訪するとここが入口となります。 -
上社本宮(かみしゃほんみや)入口御門から見る布橋
入口御門は、文政12年(1829年)に建造され、国の重要文化財にも指定されています。布橋は入口御門から境内中央に続く長い渡り廊下のような役割を果たしています。 -
上社本宮(かみしゃほんみや)塀重門
お正月仕様になっています。諏訪大社上社本宮 寺・神社・教会
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上社本宮波除鳥居(かみしゃほんみやなみよけとりい)
上社本宮の一之鳥居でかつてはここまで諏訪湖の湖畔が迫っていたのだそうです。諏訪湖、かつてはかなり広かったんですね。 -
高島城
かつて諏訪湖が広かった時代には湖と河川が周囲をめぐり壕の役割を果たし「諏訪の浮城」と呼ばれていたのだそうです。明治維新後、天守閣は撤去され、高島城は公園として開放されることになりますが、地元住民の強い要望もあり昭和45年(1970年)天守閣が復興されたのだそうです。高島城 名所・史跡
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五十二里塚
甲州街道江戸から五十二番目の一里塚であることからこの名称なのだとは思いますが、土地の名前等が付いた名称は案内板にはありませんでした。一里塚があったことだけが伝承されて来たんでしょうね。 -
橋本政屋(はしもとまさや)
徳川の御代に建てられた建物で川の橋のもとで政衛門(まさえもん)が始めたことから橋本政屋と名付けられたのだそうです。長らく茶屋、今でいう料亭だったようですが、今は定期的には営業していないようです。東海道神奈川宿の田中屋のように今でも営業が続けられそうなシチュエーションではありますけどね。橋本政屋(甲州道中茶屋跡) 名所・史跡
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橋本政屋近くから見た諏訪湖
なかなかの景色です。橋本政屋の2階席からのこの景色を見ながら食事できたらさぞかし料理も美味しいでしょうね。 -
富部一里塚
甲州街道五十三番目、最後の一里塚の跡。ここから下諏訪宿までは11町(約1,100m)となります。 -
諏訪大社下社秋宮(しもしゃあきみや)鳥居
JR下諏訪駅から近いからでしょうか、結構な人で賑わっていました。 -
下社秋宮(しもしゃあきみや)神楽殿
なかなかの迫力です。 -
下社秋宮幣拝殿(しもしゃあきみやへいはいでん)
神楽殿のちょうど真裏にあります。こちらは人がまばらでした。諏訪大社下社秋宮 寺・神社・教会
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下諏訪宿甲州道中中山道合流之地
甲州街道の終点であると同時に左折すれば塩尻峠に直進すれば和田峠へと向かいます。甲州街道 中山道合流の地碑 名所・史跡
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中山道下諏訪宿本陣
甲州街道と中山道の合流点から和田峠方面に徒歩1~2分のところにあります。 -
下諏訪宿本陣岩波家でいただいた抹茶と金平糖
見事な庭園を見ながら抹茶をいただけます。お茶菓子に金平糖が出てきましたが、これが合うのでびっくりしました。季節の良い時期にもう一度来てゆっくりしたいところです。下諏訪宿本陣 岩波家 名所・史跡
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諏訪大社下社春宮幣拝殿(しもしゃはるみやへいはいでん)
安永8年(1779年)完成と考えられており、造りは秋宮に似ています。春宮にも秋宮同様神楽殿がありますが、開いていなかったせいかお参りする人は少数でした。諏訪大社下社春宮 寺・神社・教会
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下社春宮下馬橋(しもしゃはるみやげばばし)
かつて春宮参拝の折には殿様といえどもここで駕籠や馬から下りなければならなかったのだそうです。天正6年(1578年)の造営帳にも記載が見られ、元文年間(18世紀半ば)に改修されているのだそうです。下馬橋 名所・史跡
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中山道伊那道追分の道標
直進すれば中山道、左折すれば岡谷街道となり、松島宿手前で伊那街道と合流します。 -
岡谷街道と古中山道の追分と勝手に妄想している場所
右手に続く古中山道はここから小野を経由して桜沢に向います。 -
天白橋から見た天竜川
ここで初めて天竜川を渡ります。諏訪湖から近いこの地点ですでにこの大きさになっています。 -
辰野駅
かつて中央本線の列車は全てこの駅を通っていましたが、昭和58年(1983年)塩嶺トンネルを抜ける短絡線ができ、現在、新宿方面からこの駅を経由して松本に行く列車は一本もありません。辰野駅 駅
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岡谷駅
乗換時間があったので途中下車。
長野自動車道の高架橋、高さは50mもあるそうです。迫力があり圧倒されます。 -
うなぎ丸共清水屋
岡谷駅改札口を右折してしばらく行くとあります。 -
うな重の並ときも吸いにきも焼き
きも焼きはうな重の配膳が遅れたお詫びとして店員の方がサービスでと申し訳なさそうに出して下さいました。電車の時間が気になり、何度も時計を見ていたので、怒っているように見えたのかもしれません。サービスしてもらったのに急いで食べたのでもったいないことをしました。味付け、焼き方が関西風で私の好みだったのでちょっと残念。
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