2024/04/30 - 2024/05/08
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2024年の4月30日から5月8日にかけて、新疆ウイグル自治区の伊犂とその周辺の草原地帯などを観光してきました。
今回は5月5日の、恵遠古城並びに伊犂将軍府・シボ(锡伯)古城・伊犂河大橋の観光について書きます。
旅程
4/30 瀋陽→ウルムチ(飛行機)、ウルムチ滞在
5/1 ウルムチ滞在、ウルムチ→伊寧(高鉄)
5/2 伊寧→コルガス(列車)、サリム湖観光、コルガス観光、コルガス→伊寧(列車)
5/3 ナラティ草原観光
5/4 チャシ草原観光
5/5 惠远古城・锡伯古城観光、伊寧市街観光
5/6 チャプチャル(察布査爾)報社見学、カザフ民族旅行区観光
5/7 伊寧→ウルムチ(高鉄)、ウルムチ滞在
5/8 ウルムチ→瀋陽(飛行機)
※当時は留学中の身でしたので、旅行の開始地点は遼寧省の瀋陽となっております。ご了承ください。
※当時の元/円レートは、1元=21円くらいです。
それではここからが本編です。
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こんにちは。5月5日のお昼前です。
今日は恵遠古城や锡伯(シボ)古城といった場所を観光していきます。 -
まずは恵遠古城の方へ向かいます。
ホテル前の通りでタクシーを400元でチャーターしました。 -
市街の方から40分ほど走ると恵遠古城が見えてきました。
恵遠古城は清代の乾隆帝時代に建設された鼓楼です。
付近には城下町らしい風景が広がっており、新疆の統括機関であった伊犂将軍府や小規模な博物館などの観光地があります。 -
先に伊犂将軍府の方を観光していきます。
伊犂将軍府は清の新しい版図となった新疆を統治するために1762年に設置された統括機関で、1884年に迪化(ウルムチ)が省都になるまではこの場所が新疆の政治的中心でした。
現在はシボ族や新疆統治に関するごく小規模な展示室が幾つか設置されています。 -
施設の料金表です。
付近にある施設の入場料もまとめて書かれてあります。
この時は買いませんでしたが、確か全部の施設がセットになったチケットも売られていました。 -
というわけで伊犂将軍府の中に入りました。
正直そこまで見所はありませんが、世界史にも出てくる場所ですから折角なら行っておきたかったんです。 -
入り口からまっすぐ進んでくると、玉座?的なものがありました。
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椅子の後ろには麒麟が描かれています。
清風蕭政と書かれており、多分清くて真っ当な政治みたいな意味合いだと思います。 -
それでは敷地内にある展示室を軽く見ていきます。
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新疆を支配していた外来勢力についてまとめられています。
一部抜粋してお伝えすると、「⑥ 隋代、拡大郡県制が新疆で実施され、突厥・吐谷渾・党項などが前後して従属しました。」とあります。 -
伊犂将軍府の設立について書かれています。
これも一部抜粋してお伝えすると、「清朝は天山の南北を統一して…清は明瑞をイリに派遣し、阿桂(後の二代目イリ将軍)の代わりをさせました。乾隆27年(1762)、明瑞は初代イリ将軍に任命されました。…」とあります。 -
清代の武人の官服に着けられていた階級などを示す記章です。
これには文一品 鶴という名前がついています。 -
乾隆帝が派遣した軍が新疆を平定した時の様子。
清朝が新疆を完全に平定したのは1759年のことです。 -
シボ族の旅路についての地図です。
シボ族の一部は辺境守備の名目で瀋陽から伊犂へと移住し、現在もその子孫が伊寧市街から少し離れたチャプチャル(察布査爾)という場所で生活しています。 -
伊犂将軍府を出て近くにある恵遠古城陳列館という場所にやってきました。
こちらにも小規模な展示室がいくつかあるようなので見ていきます。 -
敷地内はこんな感じ。
小さい展示室が3つの建物に分かれて置かれています。 -
1つ目の建物に入りました。
外見の割に中は結構新しい感じです。 -
恵遠古城付近を再現したジオラマです。
古城を中心に城下町らしい風景が広がっていることがわかります。 -
銃や弓矢など。
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清代のお金。
甘粛省から派遣された2人の職人が伊犂の宝伊局という場所で造幣していたとの説明がなされていました。 -
清代の陶器など。
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2つ目の展示室です。
こちらでは絵や役人が記した書?などがわずかに展示されていました。 -
伊犂に住んでいる民族について。
カザフ族、ウイグル族、漢族などをはじめとして様々な民族が暮らしています。 -
3つ目の展示室です。
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こちらの展示室にもジオラマがありました。
先程見たジオラマとは随分異なっていますが、結局理由は分からず… -
伊寧市街にある宁远城鼓楼の写真。
既に取り壊されてしまったようで、現在は碑石だけが残されているようです。 -
そんなこんなで展示室を出ました。
では最後に恵遠古城に登ってから次の観光地に向かうことにします。 -
これが恵遠古城です。
古城といっても最初に言った通りただの鼓楼なので、そこまで大きくはありません。 -
それでは登っていきます。
2階には太鼓が置かれており、他の観光客が叩いていました。 -
3階まで登ってきました。(4階は封鎖中だった)
清代から変わらない街の作りです。
それでは恵遠古城の観光を終え、次に锡伯古城へ向かいます。 -
橋を渡り伊犂河の南岸へ向かいます。
イリ河の南側は察布查尔锡伯自治县と言って、シボ族の人々が住んでいる地域です。 -
14時50分、锡伯古城に着きました。
锡伯古城はシボ族の民族博物館のような場所で、シボ族の歴史や文化についての博物館や、寺院、古城なんかがあったりします。
入場料は本来45元らしいですが、なぜかこの時は無料で入れました。 -
景区の地図です。
右下から入って時計回りで観光していきます。 -
まずは歴史館から見ていきます。
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シボ族は主に東北地方に分布して住んでいる少数民族です。
説明によると最も古いルーツは約三千年前の東胡にあるとされており、後に鮮卑族や女真族に組み込まれたとされています。(諸説あり)
現在は漢民族との同化が進んでしまい、その文化の多くが失われてしまいました。 -
シボ族の雲南への出兵について書かれています。
ビルマとの戦いにおいて増援部隊として派遣され、清軍は勝利を得ました。
女真の一派であるシボ族は満洲八旗(清朝の軍事組織)に組み込まれ、各地に駐屯し清朝の軍事行動の一角を担っていました。 -
四川での反乱鎮圧にも一役買ったらしく、清朝から表彰を受けています。
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シボ族の兵士はジュンガルや東トルキスタンにも派兵され、多くの戦功を立て兵站の面でも活躍したそうです。
1759年にはこの地域一帯の清朝支配が確立し、のちに新疆と呼ばれるようになりました。 -
シボ族のチャプチャル移住のルートを表した図です。
乾隆帝時代の1764年、約千人のシボ族が辺境守備の名目で新疆の伊犂への移住を命じられました。瀋陽から5000キロ離れた伊犂への移住は1年9ヶ月もの歳月を要し、現在のモンゴルを横断するルートで伊犂へと辿り着きました。
伊犂に移り住んだシボ族の末裔は現在伊寧市の南にあるチャプチャル(察布査爾)に住んでおり、満洲語が使われている数少ない地域の一つになっています。 -
次は民族厅という、シボ族の文化についての説明がある展示品に入ります。
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シボ族の社会制度について書かれています。
清朝が統治するようになってからは氏族制度と八旗制度が結合され、軍政一体、兵民一体の社会制度が築かれたと書かれています。 -
シボ族の生活についてです。
彼らが元々居住していた場所は東北地方の水が豊かな森林地帯であり、そこで伝統的な狩猟・漁撈を行いながら自給自足の生活を送っていました。
農耕を本格的に行い始めるのは16世紀末になってからのことだといいます。 -
シボ族の伝統衣装。
女真族の一枝ということもあり、満洲服に似ています。 -
展示もされていました。
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料理。
一つ一つの料理の名前は分かりませんが、何となく東北料理の面影を感じさせます。
それでは展示品を出ます。 -
展示品の近くに射場があったので来てみました。
シボ族が狩猟を行う際に使用していた弓を体験してみよう、みたいな場所だと思います。 -
弓を射るのは初めてだったのですが、20回射って3回だけ的に当てることができました。(汗)
こういう身体を使った体験ができるのは面白いですね。 -
景区のシンボルである威震楼という鼓楼に来てみました。
折角なので登ってみます。 -
辺りが一望できます。
さっきの恵遠古城より高いです。 -
靖远寺というお寺があったので少し寄ってみます。
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中には仏像やマニ車なんかがあったりします。
実はシボ族の故郷である瀋陽にも皇寺というお寺があり、そのお寺が新疆移住の旅のスタート地点でした。
ということで锡伯古城の観光はここまでにして、お次にチャプチャル市街にある察布查尔报社という新聞社に向かうことにします。 -
この察布查尔报社という新聞社は、世界で唯一の満洲語の新聞を発行している新聞社です。
折角なら直接新聞社に行って新聞を購入したいと思い、アポ無しでしたが向かうことにしました。 -
というわけで锡伯古城から15分かけて察布查尔报社に来てみたのですが、シャッターが閉まっており空いてる様子はありません。
やはり日曜日に来たのが失敗でした。 -
そこで近くの通行人に思い切って聞いてみると、どうやら明日なら空いているとのこと。
明日の昼は伊寧市街をぶらつこうと思っていましたが、予定を変更して明日の昼再び新聞社を訪れることにしました。 -
とりあえず行きたい場所には行けたので、一旦ホテルに戻ります。
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17時30分、ホテルに戻ってきました。
この後は少し休んでから夕食をとりに行き、食後にイリ河を見に行くことにします。 -
19時30分、市街の六星街という観光地にある爱包尔萨克(バウルサク大好き)というお店にやってきました。
伊犂に来てようやくまともな民族料理が食べられます。 -
店内はこんな感じ。
かなり混んでいます。 -
まず最初にシルチャイと呼ばれる羊のミルクティーがやってきました。
美味しかったのでおかわりもしました。 -
お次にカズィと呼ばれる馬のソーセージ。
かなり独特な風味ですが、スモーキーな感じがして玉ねぎと合わせて食べると美味しいです。
カザフではお祝いの際には欠かせない料理だそうです。 -
最後にバウルサクという四角い揚げパンがやってきました。
カザフ族の主食だそうで、かなりシンプルな料理ですが小麦の匂いが食欲をそそります。
外はサクサク、中はフワフワです。 -
サワーチーズ、普通のチーズ、ジャムが出てきました。
バウルサクは非常にシンプルな料理でそのままでも美味しいのですが、ジャムやチーズに付けて食べるとより美味しく食べられます。
伊犂に来てようやくカザフ料理を食べることができて大満足です。
しかもこれだけ頼んでたったの66元でした。
もし伊犂に行く機会があればオススメの店なので行ってみてください。 -
近くに電動バイクがあったので、今回はこれに乗ってイリ河へと向かいます。
支付宝決済で乗ることができて、マックス24km/hまでスピードが出ます。
広く普及したレンタサイクルやluupみたいなものです。 -
六星街から40分ほどでイリ河近くの伊犁河旅游风景区という場所に着きました。
指定された場所に電動バイクを停めて、徒歩でイリ河に向かいます。 -
21時ちょうど、イリ河にかかる大きな橋に着きました。
観光客が日の入りを見ようと集まっています。 -
天山山脈に水源を発するイリ河は、中国からカザフスタンへと流れバルハシ湖へと注いでいます。
シボ族の人々が伊犂にたどり着いた際、凍ったイリ河の氷を割り魚を取ることで飢えを満たしたそうです。 -
日が沈んでいきます。
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22時になると日が沈んでしまいました。
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向こうにあった観覧車がライトアップされています。
観覧車に乗ればイリ河を上から眺められそうだなと思ったので、行ってみることにします。 -
伊犁河游乐园という遊園地にある観覧車にやって来ました。
30元を支払い乗ってみます。 -
先程まで私がいた橋が見えます。
ライトアップされていて綺麗です。 -
遊園地側の写真。
たった10分ほどでしたが結構面白かったです。 -
タクシーを探しながらイリ河を再び渡ります。
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イリ河を渡り切ったところでタクシーを拾えたので、そのままホテルへと戻ります。
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23時30分、ホテルへと戻って来ました。
というところで今回はここまでです。
今回は主に郊外の観光を通じて主にシボ族の歴史について知ることができました。
次回は今回行けなかった察布查尔报社と、喀赞其民俗旅游区という主にウイグル族の人々が居住している地区を観光していきます。
次回はチャプチャル報社編です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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