2024/11/04 - 2024/11/14
407位(同エリア2844件中)
danteさん
- danteさんTOP
- 旅行記44冊
- クチコミ10件
- Q&A回答7件
- 77,096アクセス
- フォロワー14人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
恐らく最後の海外旅行になるだろうと思って選んだ地は、昨年楽しかった思い出のあるスペインにした。オーバーツーリズムに加え・円安。旅行代金は昨年より大幅に高騰。それでも、どうしてもこのツアー&この日で行きたかった。ところが…。
※尚、ツアー主催会社・ブランド名は控えさせて頂きます。
ツアー3日目。今日はソフィア芸術センター・プラド美術館、昼食後にセゴビアに行きます。
昨夜は熱が出てしまったけど、薬を飲んだらどうにか元気になりました。朝食は7:00からでしたが、なんやかんやで8:00に朝食に行くと、結構混んでいました。で、今更思った。欧米のホテルって、スーベニアショップが無い。日本の観光ホテルでは、必ずと言ってよいほど土産物コーナーがあるのに。
- 一人あたり費用
- 100万円以上
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
【ホテルの近くにあった誰かの像】いよいよツアー観光開始。今日はソフィア芸術センター・プラド美術館、昼食後にセゴビアに行きます。ホテルでの朝食は結構混んでいました。マドリードでのガイドさんは女性で、とても親切な方だった!!
-
ホテルを9:30出発。先ずは1番乗りでソフィア芸術センターに行きます。
-
天気は晴れ。数日前の予報では曇りになってたので、ラッキー!!
-
ソフィア芸術センターの見学って、どのツアーにも入っているけど、見ものってあまり無いんだよね(>_<) ただ昨年は撮影不可だったゲルニカが、撮影可能になっていました。
ソフィア王妃芸術センター 博物館・美術館・ギャラリー
-
ココで唯一気に入っているのは、ダリの「窓辺の少女」。この少女はダリの妹<アナ・マリア>なのだとか。
-
誰の絵か知らないけど、今回はネガティブ気味。ちょいと恐ろしい絵に惹かれてしまう。これが最後の旅行になると覚悟していたからだろうか。
-
【フランコ政権下の時代の絵】昨年来た時は全く興味が無かったけど、「スペイン」という国は、今でこそ明るいイメージだけど、1970年代までは色々と恐ろしい国だったんだな…と思った。
-
【1939年の絵】思いっきり「犯罪の記録」の文字が書かれている。ナチスドイツが無差別爆弾でゲルニカを破壊したのは残念だけど、スペイン内戦・フランコ政権下のスペインは、もっと酷いと思う。
-
1時間程の見学で、次はプラド美術館に行きますが、まずはトイレタイム。
-
トイレに行く間の中庭。秋ですね~!!
-
ジョアン・ミロの彫刻は昨年のままです。当たり前か(>_<)
-
皆さんより一足先に外に出ました。ソフィア芸術センターの前の広場にも「クマとイチゴノキ」があります。で、なんでいつも後ろを撮ってるんだろう? 普通正面から撮るよね(^^;)
-
【サン ヘロニモ エル レアル教会】元々は1502年にイザベル女王が修道士に与えた場所で修道院だったそうな。その後、フェリペ2世(1528年)からイサベル2世(1833年)まで、スペイン王位継承者がアストゥリアスの王子と王女としての誓いを立てる場所として、宮廷の象徴的な場所になったそうです。
ところで、下にある絵、2025年2月23日迄、カラヴァッジョの《エッケ・ホモ》が特別展になっている。これが目当てでもありました。サン ヘロニモ エル レアル教会 寺院・教会
-
ココでは日本人ガイドさんの他に、スペイン人のガイドさんもいらっしゃるそうです。そのガイドさん待ちで、ウロウロしてます。
-
お決まりのゴヤ像。木々が紅葉し始め綺麗です。
-
入口は3か所あるみたいだけど、団体なので昨年と同じ入口から入ります。ここでの見学は約1時間30分。美術館に来て持ち時間1時間30分は、とても少ないし・もったいないけど、ツアーなのでしょうがない。要はスペイン画家・「ゴヤ・ベラスケス・エル・グレコの有名な作品を見る」って感じになっちゃうんだよね。で、私はというと、昨年見てるので初めからフリー行動にさせて頂きました。
プラド美術館 博物館・美術館・ギャラリー
-
プラド美術館は写真撮影が禁止ですが、公式ウェブサイトから条件付きで引用が出来ます。https://www.museodelprado.es/en
そうだよね~。あんなに人が居て、撮影を許可したら、見学出来なくなっちゃうわ(>_<)
先ずはお決まりの【ベラスケス・「ラス・メニーラス」】
美術は(も!)疎いのでよくわからないけど、なんでこれがベラスケスの最高傑作なの? -
【ゴヤの「カルロス4世家族」】
絵の出来栄えや美術的には、わからないけど、私が興味を持ったのは息子のフェルナンド7世でした【左の青い服の人】それにしても、カルロス4世の妻マリア・ルイサ【中央の女性】は、ちょっと意地悪そうな容姿になっていますね(笑) この2枚は、ツアーでは必ず見るそうです。この絵画から次の2枚迄の背景を。
1799年10月11日ナポレオンはフランス共和国の統領政府を設立し、1804年には皇帝に就任する。当時スペインは地中海への通行を管理していたため、フランスにとってスペインは政治的また戦略的に重要な場所だったが、スペイン王カルロス4世は国政を放棄して狩猟遊びを楽しむ無能な君主と世界中からみなされていた為、国政の実権は王の妻マリア・ルイサと彼女の愛人でスペイン宰相のマヌエル・デ・ゴドイに握られていた。
ナポレオンはこの無能なスペイン王を利用して、フランスとスペインの両国でポルトガルを征服し、フランスとスペインが共に3分の1ずつを分譲し、残りの3分の1のポルトガル南半分をスペインのゴドイに「アルガルヴェ王」として与える提案を持ちかける。ゴドイはこの提案に乗り承諾するが、ゴドイはナポレオンの真意を理解していなかった。この規定では、王位継承者で後のフェルナンド7世から嫌われ・スペインでの立場が危うくなっていたゴドイの将来を保証することになるはずだった。しかし、1807年12月、ナポレオンはスペインに進駐し、パンプローナとバルセロナが1808年2月に占領されてしまう。
外国軍の進駐を受けたスペインでは貴族たちによる政変が発生。1808年3月、ゴドイ、カルロス4世、マリア・ルイーサら宮廷の人々はアランフエスに逃れ、フェルナンド支持者は、ゴドイがスペインをナポレオンに売り渡したとする話を広めた。
父カルロス4世が退位を余儀なくされると、息子のフェルナンドがスペイン王フェルナンド7世として即位する。フェルナンドはフランスからの・自身への助力を期待していたが、ナポレオンの考えはスペイン支配へと変わっており、結局フェルナンドも退位を強要され、スペイン王位をナポレオンの兄「ジョゼフ」に奪われてしまう。そうしてスペイン本土はナポレオン支配に反発する民衆によってスペイン独立戦争が勃発した。 -
行く前に、どうしても見たい絵画のリストを作ったところ、50枚になりました。結果は全部見れたのですが、その中でも特に好きな絵画・印象に残ったものを載せました。
【ゴヤ「マドリードの5月3日の射撃隊」】
昨年見た時はあまり関心が無かったけれど、今回は目的の1枚になりました。
1808年の半島戦争期間中に起きたナポレオン軍に対するスペイン民衆の抵抗を祝して描いたもので、スペイン臨時政府から依頼を受けて制作されたものだそうです。
前の絵の続き…。
1808年5月2日、マドリードの市民はフランスの占領に対して暴動を起こした。しかし、翌日3日にフランス軍によって鎮圧される。そのときのフランス軍による虐殺の様子を描いたのが、本作《1808年5月3日》である。その後、5年間スペインでは市民によるナポレオン軍への抵抗が始まる。スペイン民衆がとった作戦をゲリーリャと呼び、これがゲリラの語源となった。ゴヤはフランス軍の侵攻で難しい立ち位置にさらされることになった。彼はフランス革命軍を支援し、スペインの発展を願っていた。ゴヤの友人の画家たちの多くもナポレオンを支援していた。
(そうだったんだ!! ) -
続きまして、今回の目的2枚目。
【ペレス「マラガ海岸でのトリホスの処刑」】
フェルナンド7世が君臨した1808年3月19日から5月6日まで【ゴヤのマドリードの5月3日の射撃隊など】、1814年から1833年まで「絶対主義王政復古」と呼ばれている。
フランスの占領に対する独立戦争の後、1813年10月にマドリードでコルテスが開かれた。その後ナポレオンはヴァランセ条約で《平和条約として、1808年以降ヴァランセで囚われていたフェルナンド7世の復位と、兄ジョセフ・ボナパルトのスペイン王の退位を定めた》フェルナンド7世をスペイン国王として承認した。フェルナンド7世はスペイン国民の圧倒的支持を受けて、1814年3月22日にマドリードに戻った。その時、王党派の中心から絶対王政復活を求める声明「ペルサス宣言」を受け入れた。
絶対主義の六年間
1814年5月4日フェルナンド7世は、カディス憲法の無効を宣言した。ここに「絶対主義の六年間 1814年から1820年)が始まった。5月4日の宣言に対して反抗の意を表した者はごく少数であった。自由主義的軍人らは逮捕され、マドリードで騒擾が若干発生したが、軍隊により速やかに鎮圧された。市長職が廃止され、カスティーリャ枢機会議や総監領制が再建された。イエズス会も復権し異端審問が復活した。
その後数年間、フェルナンド7世の絶対王政に反対する自由主義者が相次ぎ、1814年にエスポス・イ・ミナ、1815年にディアス・ポルリエル、1817年にラシ将軍が反抗したが、いずれも成功には至らなかった。しかし1820年1月1日、ラファエル・デル・リエゴ大佐ほか自由主義的将校らがカディス憲法の復活を宣言した。この運動は2月末には形勢悪化して窮地に陥ったが、ガリシアでもカディス憲法を支持する反乱が複数発生した。反乱は全国に急速に広がり、3月7日にはバリェステロス将軍の反乱軍が王宮周辺を占拠した。フェルナンド7世は自由主義憲法を受け入れることを余儀なくされ、「自由主義の三年間」(1820年?1823年)が始まった。
自由主義の三年間
新政府がカディス憲法を復活して旧体制下に逮捕された自由主義者らを釈放すると、国王は新政府の課題を混乱させるために王党派と共謀した。王党派は改組して、新たなる絶対王政復活の拠点としてカタルーニャでウルヘル摂政府を組織するに至った。自由主義派は左右両翼との政治的対立に直面した。一方は王党派で、国王自身の指導の下に体制が整えられ、政府の施策で痛手を受けた教会の支援を得た。もう一方は自由主義派で、出版物の多くを駆使して王政の廃止を主張したことから、自由主義派はこの一派ともにらみ合う羽目となった。このような状況に加え、1822年のコルテスの選挙でリエゴが勝利したこと、各国の国内秩序を乱す民主主義運動がヨーロッパを動揺させていたことから、フェルナンド7世はウィーン会議の命題に基づき、ロシア、プロイセン、オーストリア、フランスなど各国の君主間で結ばれていた神聖同盟に参加して絶対王政の再建を図った。神聖同盟はすでにナポリとピエモンテへの干渉を決行していたように、スペインにも干渉することを決定した。1823年1月22日にはフェルナンド7世を絶対君主として復権させるために、フランスがスペインに出兵することを許可する密約が結ばれた。1823年4月7日、フランスは「聖ルイの十万の息子たち」と呼ばれる軍を送り込んでスペインを急襲した。自由主義派の組織した軍隊はカタルーニャで完敗したため、フランス軍は難なくマドリードに入城することができた。政府はアンダルシアに逃れてカディスに避難した。自由主義派はスペイン人の権利の尊重を国王が誓約することと引き換えに降伏することを持ちかけ、フェルナンド7世はこれを受け入れた。
忌むべき十年間
1823年10月1日、フランス軍の後押しに触れたフェルナンド7世は、誓約を反故にして改めてカディス憲法を破棄し、自由主義政府の行為と施策の無効を宣言した。ここに「忌むべき十年間」(1823年から1833年)が始まった。ラファエル・デル・リエゴ、フアン・マルティン・ディエス、マリアナ・ピネダ、その他もろもろの自由主義派の指導者が処刑され、それ以外の多くはフランスなどに亡命するなど(これらの亡命者の中でも最も有名なのが画家のゴヤである)、自由主義者弾圧は半島全体に及んだ。異端審問は一旦消滅したが、恩赦・司法省が教区信仰裁判所を設置したことにより形を変えて復活した。
(前置き長くて、ごめんちゃい(^^;))
【ペレス「マラガ海岸でのトリホスの処刑」】
職業軍人であったホセ・マリア・トリホス(1791-1831)は、立憲主義の3年間の間にバレンシアの司令官および陸軍元帥を務めた。彼はフェルナンド7世が押し付けようとした絶対主義に反抗し・反乱を試みたが、絶対主義当局が仕掛けた罠に陥り、マラガの知事ビセンテ・ゴンサレス・モレノが企てた犠牲者となった。知事は、《ジブラルタルからマラガへ部下を連れて航海すれば支援する》と約束していた。しかし彼らは裏切られ、絶対主義派の捕虜となり、裁判も一切行われず、12月11日にマラガの海岸で《大逆罪と国王陛下の主権の神聖な権利に対する陰謀の罪》で銃殺刑に処された。
(そうだったんだ!! 単に眺めても、その背景がわからないと勿体無い気がしたので、今回出発前に調べてみました。) -
【ペレス「処刑台上のコムネロス・パディラ、ブラボ、マルドナド」】
処刑の絵画・3連チャンですが、これは後程。 -
【ルーベンス「トマス・モア」】
ルーベンスは、ハンス・ホルバインが気に入っていたそうです。この絵は、ハンス・ホルバインの絵を真似たのだとか。ホルバインよりも優し気に描かれています。私は「トマス・モア」に興味がありました。
トマス・モア 《1478年2月7日 生 1535年7月6日没》は、イングランドの法律家、思想家、人文主義者であり、大法官までのぼりつめたがヘンリー8世により反逆罪で処刑された人物です。(また処刑(^^;)) 彼が執筆した『ユートピア』が有名ですが、シェークスピアの史劇「リチャード3世」は、トマス・モアの『リチャード三世史』を参考にしたと言われています。 -
【アントニス・モル「メアリー1世 」】
《イングランド女王&スペイン王フェリペ2世の2番目の妃》
ブラッディ・メアリ―のほうが判り易いなぁ~。首の宝石はフェリペ2世から贈られたものだとか。
この方も母親のキャサリン・オブ・アラゴンと同様、波乱万丈な人生でした。《キャサリン・オブ・アラゴンは、アラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イザベル1世の末子でヘンリー8世の最初の妻》。イングランドでは、プロテスタント教徒を迫害し、女性や子供を含む約300人を処刑した為、(血まみれのメアリー)と呼ばれたらしいけど、後に11歳年下のスペイン王・フェリペ2世の2番目の妻となりました。しかしフェリペとの結婚は「スペインによる属国化を招きかねなかった」として非難されたそうです。互いに思惑があり・互いが求めた政略結婚だったようですが、子供を授かることは無く、結婚4年後・49歳で死去されました。父親ヘンリー8世には邪魔者扱いされ、母親と引き裂かれた為に、親の愛情を受けられなかったメアリー。母親共々、可哀そうな人生でした。 -
【ムリーリョ 「幼子キリストと貝殻を持つ洗礼者聖ヨハネ」】
これは聖書には書かれておらず、ムリーリョ自身が思い描いたのだそうです。キリストと洗礼者聖ヨハネは従兄弟同士ですが、大人になってヨルダン川で洗礼を受けたときに初めて出会ったと言われています。(この間のエピソードは、聖書には書かれていないので。) 聖ヨハネは棒を持っていて、リボンには「イエスは神の子羊」と書かれてあるそうです。タッチや色使いがとても好みです。スペイン画家・ムリーニョは知りませんでしたし、他にも何点かありましたが、ムリーニョではこの作品が1番好きです。 -
【ラファエロ『仔羊のいる聖家族』】
左下の仔羊の上に幼子イエスが乗り、聖母マリアはキリストを仔羊から引き離そうとしています。仔羊はキリストの犠牲の象徴でもある事から、母マリアとしては羊から離したかったのでしょうか。この場面は聖書には書かれてないので、ラファエロの思い描いたものなのでしょう。 -
【アントニオ・コレッジョ 「我に触るな」】
これは新約聖書「ヨハネによる福音書」20章1行-18行にあるイエス・キリストの復活とマグダラのマリアのエピソードを主題としたものでしょう。 -
【ラファエロ『聖家族と幼児の洗礼者聖ヨハネ』】
この絵を見た時、ちょっとタッチが違うと思いました。聖母マリアはイエスを抱き、聖ヨハネは「神の仔羊」と記された紙片をイエスに向けて伸ばしています。イエスはそれを両手で掴んでいます。
これと似た絵画がスコットランド国立美術館にありました。それはイタリア人画家「ジュリオ・ロマーノ」です。(作品名は同じ) 彼はラファエロの弟子だったそうです。 -
【クロード・ロラン「大天使ラファエルとトビアス」】
この絵は、天使の指示に従って、トビアスが巨大な魚の心臓と内臓を取り出し、それらを使って父親の失明を治す瞬間が描かれているそうです。(ちょっと小さくて判り難い(>_<)) -
【アルメディナ「聖カタリーナ】
これはスペイン・ルネッサンス期の最も象徴的な女性像の1つであり、アルメディナの最もよく知られている作品だそうです。「アレクサンドリアの聖カタリーナは4世紀頃の人で、若く、賢く、高潔で、主を愛する王女でした。この若く美しい女性は皇帝マクシミリアンとの結婚を拒否したため、両乳房の切断、車輪による拷問の末、斬首されました」尚、エジプト・シナイ山麓にある世界最古のカタリーナ修道院は、殉教された後、天使たちによって遺体がシナイ山へ運ばれたと伝えられたからだそうです。また800年頃(死後約500年後)に「聖カタリーナ修道院で彼女の遺物が再発見された」ともいわれているそうです。 -
【ヴェロネーゼ 『瞑想する聖ヒエロニムス』】
この絵画は聖ヒエロニムスが瞑想にふける姿を捉えています。彼の視線は手に持った小さな十字架に向けられており、キリストの犠牲に対する彼の信仰と精神的なつながりを強調して描かれたようです。
ヒエロニムスは4世紀の人で、今のクロアチア辺りで生まれました。両親はキリスト教徒でしたが、彼自身はキリスト教に興味がなかったそうです。後にシリアで重病にかかり、神学の研究に生涯をささげることを決意し、各地を転々としながらギリシャ語はじめヘブライ語・アラム語・ラテン語などを学び、落ち着いた先のベツレヘム<現イスラエル>で、カトリック教会で使われるスタンダードな聖書を仕上げたそうです。 -
【ラファエロ「魚を抱く聖母マリア」】
玉座に座る聖母マリアは、膝の上にキリストの子を抱いています。右側では聖ヒエロニムスがライオンと共に、ウルガタ訳聖書(彼自身がラテン語に翻訳した聖書)を持っています。左側には天使ラファエロが、父親の失明を治す魚を持ったトビアスと立っています。トビアスとラファエロの話は、聖書外典・トビト記にあります。
ヒエロニムスとライオン
伝説では、ヒエロニムスがベツレヘムで講義をしていた時に、足を引きずるライオンがやって来た。他の者たちが逃げる中、ライオンの傷ついた足を診ると、トゲが刺さっていたので抜いた。それで足は治り、ライオンはヒエロニムスが亡くなるまで彼とともにいた。
ラファエロは1番好きな画家です。 -
特別展【カラヴァッジョ 「エッケ・ホモ」】
さて、目的としていたこの絵がなかなか見つからない!! 8A室って何処?! 何人もの美術館のスタッフに聞いても、あそこだよ!!と 何故か「タビデとゴリアテ」を示される。(違う! 見たいのは「「エッケ・ホモ」だよ!!)。とうとう我がツアーに同行しているスペイン人のガイドさんが、その場所に連れて行ってくれた。何のことは無い。部屋では無くて、ここ通路じゃん!!(>_<) この絵を見た方、そう思いませんでした? どうにか見れて御満悦(^^;) -
【ベラスケス「キリストの磔刑】
最後はベラスケスで〆。好きな画家・ラファエロを裏切り(^^;)、1番好きな絵画です。時間が無いのに、この絵の前では5分程いました。磔刑の絵画って沢山あるけど、これが1番だと思っています。
尚、スペイン3大画家のエル・グレコの絵画は後日。嫌でもた~っぷりあります。 -
【19世紀半ばに建てられた、テアトロ・レアル隣の高層住宅】
-
さてさて昼食の時間になり、添乗員含む10人と日本人ガイドさん11人で、昨年と同じレストランへ。昨年とは違い今回は予約が沢山入っているらしく、既にサラダが置かれていました。夫婦2組・4人の女性と私・添乗員とガイドさん、と3テーブルに別れて着席。4人の女性は小学校の時からの幼馴染で、4人での初海外旅行だったそうです。(各々では海外渡航、経験済み)
凄い!! 女性って、結婚しちゃうと家庭や育児・親の介護やらで、なかなか集まるのって難しいんですよね。近くに住んでいるわけでは無いし。ラ パエリャ レアル 地元の料理
-
【サラダ】ところで、我々3テーブル以外のテーブルにもサラダは用意されていた。ちょっと覗くと「具」が豪華!! そこへ、日本人ツアーの一行がやってきた。30人は居ただろうか。当然お互いにサラダを見つめる。(添乗員さん、あちらと全く違うんだけど…) あちらのお客さんも (ねぇ~見て! 私達、あちらよりも良いわね!(^^)!と声が聞こえる(-_-;) 夫婦組のテーブルは少し離れていたので、気になってたかなぁ?
-
【魚介のパエリャ】続きましてメインのパエリャ。我々、この1種類。あちらはこれよりも魚介の具が多く・おまけにイカ墨パエリェと2種類出てる( ;∀;) おりょ~(>_<) 何処のツアーだ?…と我々はキョロキョロ(?_?) 添乗員が席を外しているうちに《すみません。私達○○社の○○で来たのですが、失礼ですけどどちらのツアーですか?!》と伺ってしまった!! 《○○〇です!!》と誇らしげに答えてくれました。聞けば○○〇の関東発と関西発が合流したそうな。 私のテーブルの1人が(あぁ~、あのコースだったのね。向こうは8日間だから、ツアー代金は私達よりもかなり安かったわ!) 確かに8日間と11日間は違うわなぁ~。私も勿論、各社を見比べましたよ。
-
因みに今回のスペインツアー、数ある旅行社の中で1番高額だった!! 他の旅行社では14日間のツアーもあって、ホテルは同等・重なった行程の内容もほぼ同じなのに、数十万安かった。まぁ、そこは承知で申し込んだんだからいいんだけど、料金の割に (なんだ? この差は!!)……。我々のテーブル5人はグレー状態。
その後デザートが出たけど、やはり○○〇とは別物でした(+_+)
4人は首を傾げながら店を出る。私はショボンとして店を出る(ー_ー)!!
因みにココで出されたものは昨年と同じです。ココでは○○〇と比べると…って話です。 -
【オリエンテ広場 にある、フェリペ4世の騎馬像】そう、このツアーの目的は、ズバリ同行添乗員と旅をしたかっただけ。(昨年と同じ添乗員です) 外は青空。気持ちはグレー。
オリエンテ広場 広場・公園
-
【マドリード王宮の東側】さてと、セゴビアに行くためバスへ。右下の赤い所から地下にある駐車場に向かってます。
-
【車窓から】セゴビアまで約90キロ。1時間30分なのでトイレ休憩はありません。
-
【車窓から、グアダラマ山脈にある「戦没者の谷」の十字架が見えました】
「戦没者の谷」
スペイン内戦で戦死した兵士を讃えるため、独裁者フランコ将軍が、共和国派政治犯の強制労働で建設させた慰霊施設。フランコ自身も後に(1975年)埋葬されていたそうですが、 2018年6月に発足したペドロ・サンチェス首相=スペイン社会労働党政権は、「表面上はスペイン内戦で亡くなったすべての人々を追悼するものだが、多くの人々にとって、それはフランコと彼の40年間の独裁政権を称賛するものにすぎない。独裁者の遺体はもはや「彼の姿を称える公共の霊廟に残しておくことはできない」として、2019年10月24日にフランコの妻が埋葬されている、ミンゴルビオ・エル・パルド墓地に移転させました。
《谷の地下には4万人の遺体が埋葬されているそうです》 -
午後4時頃、セゴビアに到着。ここではローマ水道橋とアルカサルの観光です。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
スペイン
-
前の旅行記
2度目のスペイン・ツアーは最悪だった"(-""-)" 2 マドリード到着《2日目》
2024/11/04~
マドリード
-
次の旅行記
2度目のスペイン・ツアーは最悪だった"(-""-)" 4 3日目後半セゴビア編
2024/11/04~
セゴビア
-
2度目のスペインツアーは最悪だった"(-""-)" 1 出発編《1日目》
2024/11/04~
スペイン
-
2度目のスペイン・ツアーは最悪だった"(-""-)" 2 マドリード到着《2日目》
2024/11/04~
マドリード
-
2度目のスペイン・ツアーは最悪だった"(-""-)" 3 3日目前半マドリード
2024/11/04~
マドリード
-
2度目のスペイン・ツアーは最悪だった"(-""-)" 4 3日目後半セゴビア編
2024/11/04~
セゴビア
-
2度目のスペイン・ツアーは最悪だった"(-""-)" 5 4日目トレド
2024/11/04~
トレド
-
2度目のスペイン・ツアーは最悪だった"(-""-)" 6 5日目 最悪の日
2024/11/04~
コルドバ
-
2度目のスペイン・ツアーは最悪だった"(-""-)" 7 セビーリャ・スペイン広場
2024/11/04~
セビリア
-
2度目のスペイン・ツアーは最悪だった"(-""-)" 8 6日目 ジブラルタル&ロンダ
2024/11/04~
ロンダ
-
2度目のスペイン・ツアーは最悪だった"(-""-)" 9 7日目 ミハス・グラナダ
2024/11/04~
グラナダ
-
2度目のスペイン・ツアーは最悪だった"(-""-)" 10 パラドール・デ・グラナダ
2024/11/04~
グラナダ
-
2度目のスペイン・ツアーは最悪だった"(-""-)" 11 グラナダ~バルセロナ
2024/11/04~
バルセロナ
-
2度目のスペイン・ツアーは最悪だった"(-""-)" 12 バルセロナ
2024/11/04~
バルセロナ
-
2度目のスペイン・ツアーは最悪だった"(-""-)" 13 結末編
2024/11/04~
バルセロナ
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (2)
-
- sanhaoさん 2026/04/02 10:41:48
- ゲルニカ
- 6月にゲルニカを観るためにマドリードに行く予定で、皆さんの旅行記を参考にしてスケジュールを立てています。出来れば、ゲルニカの街も訪れたいのですがちょっと無理かも知れません。
- danteさん からの返信 2026/04/04 07:27:07
- RE: ゲルニカ
- > 6月にゲルニカを観るためにマドリードに行く予定で、皆さんの旅行記を参考にしてスケジュールを立てています。出来れば、ゲルニカの街も訪れたいのですがちょっと無理かも知れません。
コメント頂き、ありがとうございます。
ゲルニカの絵画は子供の時に見て、正直判りませんでしたが、
今になって、時代背景が判り、ようやく理解できるようになりました。
私にとってスペインは、未だ未知の国ですが、絵画やパラドール等、何かを深堀すると、とても魅力的な国だと思います。また、北と南とでは文化が違って、楽しいかも知れませんね。
6月のスペイン、充実した旅となるよう、願っています。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
この旅行で行ったグルメ・レストラン
マドリード(スペイン) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ スペイン
2
43