2024/11/18 - 2024/11/29
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hijunoさん
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この旅行記のスケジュール
2024/11/19
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ポビェジョヴィツェ駅
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ロンスペルグ城
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ホルショフスキー・ティーン駅
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ホルショフスキー・ティーン城
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この旅行記スケジュールを元に
コロナ禍前にすべての予約をしていたヨーロッパ旅行、コロナ禍で直前でキャンセルしました。
私の目的は、主に、チェコにあるクーデンホーフ光子の住んでいたお城を訪ねることと、夫の目的は行きたかったイタリアのアマルフィという二つの目的がありました。ミラノの「最後の晩餐」の鑑賞は二人の希望でした。
今回やっと実現できました。
鉄道好きの夫が時間をかけて細かいスケジュールと予約をして、二人とも体力限界を感じるハードな旅になりましたが、多くの人々にも助けていただき、思い出も沢山できて、心に残る旅になりました。
スケジュールは以下の通りです。
11/18 伊丹空港→成田空港
11/19 成田空港→フランクフルト空港→ニュルンベルグ
11/20 ニュルンベルグ→チェコ プルゼン →ポベジョヴィツェ→ホルシ ョフスキー・ティーン
11/21 チェコ プルゼン→プラハ
11/22 プラハ→ベネツィア
11/23 ベネツィア→フィレンツェ
11/24 フィレンツェ
11/25 フィレンツェ→ソレント→ポジターノ→アマルフィ
11/26 ソレント→ミラノ
11/27 ミラノ→スイス→フランクフルト
11/28 フランクフルト発 帰国へ
11/29 成田空港→伊丹空港
20日には、ニュンベルグからチェコのプルゼンへ移動しますが、途中電車は二度乗り換えがあり、電車の遅れでヒヤヒヤしましたが、親切な車掌さんが乗り換えを丁寧に教えてくれて、トランク運びも手伝ってくれました。
乗り換えのために、電車は待ってくれるような仕組みになっているようでした。乗り換えのヒヤヒヤはその後も電車の遅れで度々発生します。
プルゼンのホテルにチェックインを終えて午前中には光子の住んでいたお城のあるポベジョヴィツェへ移動します。
ここも、非常にローカルな電車が走っていて、乗り換えたり、移動していると女性の車掌さんと顔なじみになり、乗り間違えそうになると、必死に教えてくれました。女性の車掌さんと最後は記念撮影までしました。
旅は人の情けに助けられます。忘れられない思い出になりました。
長い長い旅行記になりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
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ちょっと見えにくいのですが、今回の鉄道の旅の主なルートです。
夫が事前にユーロパスを買い、路線もほとんど予約していきました。
ドイツからチェコ、イタリアを周り、スイスの国境を通ってドイツに戻ります。
1日乗り換え数回、10時間ということも何度かあって、体力の限界も感じました。 -
こちらはチェコのローカル路線です。
青い可愛い電車で、車掌さんも運転手さんもフレンドリーで楽しい鉄道でした^^
クーデンホーフ光子のお城のあるポベジョヴィツェの駅、光子が良くおとずれていたという近くのホルショフスキー・ティーン駅のルートです。 -
まず、クーデンホーフ光子に関しての本をまた読み返しました。
約、5年前に光子が住んでいたお城を訪ねるために、旅行を計画、航空券、鉄道チケットなどすべてを予約していたのに、コロナ禍で寸前に実現できませんでした。
クーデンホーフ光子は1874年、東京生まれの日本の女性で、オーストリア=ハンガリー帝国の貴族のハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵と結婚し、ボヘミア地方、今のチェコのポベジョヴィツェという場所にあったロンスペルグ城に住んでいました。
7人の子供がいましたが、長男次男は東京で生まれており、次男のリヒャルトはパン・ヨーロッパ運動でEUの基礎を築いた人物としても有名です。
光子は1896年にオーストリア=ハンガリー帝国にわたり、ドイツ語やフランス語、そのほかの教養を学び、7人の子供を育てます。
ホームシックにかかったり、結核などの病にもかかったりしますが、
10年後に夫が急死してからも、親戚などと訴訟問題もあったようですが、財産を整理して、子供の教育のためにウィーンに移ります。
子供にも厳格に教育していたため、子供たちは成長して、次々と光子から離れ、第一次世界大戦を経て、1925年には脳溢血で倒れ右半身不随となります。
その後は次女のオルガが側でお世話をしており、光子の当時の楽しみは日本大使館に出かけ、日本語で話をすることだったそうです。
1941年に亡くなります。
異国に渡ってから、一度も帰国をすることはありませんでした。
伝記や手記を読んでいると、パパと呼んでいる夫のハインリヒへの信頼と愛情が深く、それだけを頼りに、夫の祖国へ渡ったのだとおもいます。
強い意志と日本の生活とは全くかけ離れた生活に順応していく強さ、
当時はポベジョヴィツェで、日本は未知の国だったはず。
ところが、彼女の手記を読んでいると、人の悪口というものがほとんど出て来ないのが驚きでした。
夫だけを頼りに異国に渡り、精いっぱい生涯を全うした光子という女性が
私にはまぶしく、日本人として誇りに思います。
しかし、第二次世界大戦でお城は没収され、お城にいた人々、次女のオルガもそうですが、追い立てられ、追い出され、その様子を読み直して、胸が痛みました。
最初はアメリカ軍、のちにチェコ軍がお城に入ります。戦争でお城にあった多くのものも失われ、ひどく荒れた状態になっていたみたいです。
光子が亡くなった後の出来事ですが、子供たちは、このありさまを光子が見なくて済んだことは幸いだったとも語っていたようです。
本を読み返して、忘れていた厳しい歴史の時代も思い出しました。
前置きが長くなりました。 -
ニュルンベルグ中央駅です。
チェコに向けての出発は朝の5時過ぎ。ニュルンベルク中央駅 駅
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駅の中のパン屋さんは開いています。
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プレッツェルも食べたいな、、
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この二つを買いました。夫と半分ずつ。なにせ、ひとつが大きい。
電車の中で朝ご飯です。 -
右の時刻表。
こあれから二回乗り換えがあります。
しかも、ひとつ目は乗り換え時間5分。
間に合うかな、、、夫がかなり心配しています。 -
こちらの電車です。
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ホームには、自販機のお菓子。飲み物はなかった。。。
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座席につきます。
ここではユーロパスのチェックとパスポートコントロールがありました。 -
ニュルンベルグを出て、直ぐ、風景はのどかな風景に。
途中、アナウンスで、線路に樹が倒れたので、止まります、、と。
乗り換えに不安な夫、大丈夫かなぁ~と連呼。←鉄道スケジュールお任せの私は、ひたすら、なんとかなる、、、と連呼して、睨まれる。笑 -
雪もみえてきました。
寒そう。お天気荒れ気味。 -
Neukirchenで最初の乗り換えがありました。
ここは5分しか乗り換え時間がなくて、夫が超心配。
電車は少し遅れていたので、なおさら。
車掌さんに尋ねると、一番前の車両から降りて、ホームを乗り換えなさい、、と丁寧に教えてくれました。
そして、降りるときは車掌さんがわざわざ来てくれて、ちゃんと私達が降りているかを確認しに来てくれて、私のトランクを下ろしてくれました。
ちゃんと覚えてくれて、優しさに感謝です。
そして、ホームには乗り換えの電車が待っていて、無事に乗り込むことができました。
その後、Schwandorfで乗り換え、無事にプルゼンに到着しました。
ここも、田舎町のような駅でしたが、駅員さんに聞くと、悠然と、電車は間に合うから、、と答えてくれました。
前の電車が遅れても、ちゃんと間に合うようになっているのか、、
なんだか、お客さんペースの電車でした。ありがたい、、。
ハラハラドキドキの乗り換えでした。 -
無事にプルゼンに到着。朝の9時頃です。
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プルゼンの駅も美しいです。
白い壁に彫刻。 -
イチオシ
歴史のある建物のようですが、窓のデザインも可愛い。天井も高いし。
駅構内も美しい装飾でした。 by hijunoさんプルゼニュ本駅 駅
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画も素敵だし、明るい。リニューアルしているのかな。。
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古い自動車も展示されてました。
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ちらりと駅の屋根を観つつ、ホテルに向かいます。
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途中も歴史のあるような建物があちこちに。
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ホテルに到着。
長い名前 vienna House Easy by Wyndham Pilsen です。 -
レセプション。若いスタッフが丁寧に対応してくれました。
チェコの通貨はこちらで替えました。 -
レストランもあるのかな。。
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お部屋はスーペリアツインでした。
現代的な雰囲気。 -
写真も素敵でした。
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シャワーのみ。バスタブはありません。清潔です。
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お部屋から、旧市街地も見えました。
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ホテル内。
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元気があったら、かえってきて、旧市街地も回ろう~と言ってましたが、
あまりの疲れに断念してしまいました。
遠くから見る風景も良いなぁ~ -
駅の中にある売店で、飲み物を買います。
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コロッケらしきものが挟んであるパンにくぎ付け。笑
でも、これ、コロッケでなく、チキンでした。
上にある果物のジュースが美味しかった。 -
昨日もちらり見ましたが、とても歴史のある駅のようです。
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座席はコンパートメントになってました。
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こちらで乗り換えです。
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なんだか、のどかな路線。
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イチオシ
青い可愛い電車です。
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座席。
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ポベジョヴィツェに到着しました。
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駅のまわり、なんにもないです。。
古いお家がありましたが。 -
スマホを頼りに、ロンスペルグ城を目指して歩きます。
だいたい、20分くらい歩いたとおもいます。 -
静かな静かな中を歩いていきます。
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看板がありました。
チェコ語のようですが、近隣の観光の名所が写真で説明されていました。 -
周囲には住宅。
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道路は整備されています。
バスも通ってました。頻繁ではありませんが。 -
空気が澄んでいます。
寒いです。。時々、小雪がふぶきます。
出てくるとき、夫は薄着をしようとして、私と口論になりました。
結局、この日は、雪も降って風も強く、厚手のコートが必須でした。 -
姫リンゴがたわわに実ってました。
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門柱のようなものがあって、
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お城が見えてきました。
いまは、お城の中の見学もできるようになっているそうですが、私達が訪れた11月の後半あたりは冬のお休みの時期。
何度か日本にあるチェコの観光局や、チェコのロンスペルグ城などにも、問い合わせますが、やはり、冬の期間の見学はお休みのようでした。
しかし、夫の仕事の関係で、どうしても、この時期しか旅行ができませんでしたので、仕方なく、とても残念でしたが、前からお城の中の様子は写真などで何度も観ていたので、外から見学するだけでも、嬉しかったです^^ -
イチオシ
クーデンホーフ光子の住んでいたロンスペルグ城です。
光子は1896年から10年間ほど、こちらのお城に住んでいました。 -
イチオシ
お城は1990年代くらいまで、国境警備軍基地として利用されており、お城の保存状態も良くない状態が続いていました。
その後、光子の手記などを出版された、ドイツ在住のシュミット・村木眞寿美さんの熱意で修復が進められきました。 -
窓には光子らしい姿が描かれています。
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こちらにも。
光子でしょうか。扇子をもっています。 -
写真で説明板があります。
内部の様子など。
すっかり崩れ落ちてしまった様子。
そして、繁栄していたころのお城の中の豪華な様子など。 -
イチオシ
玄関。
この階段のところに、繁栄していたころ、お城で働いていた人々がずらりと並んで映っている写真もみたことがあります。 -
扉の上には立派なレリーフ。
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所々は修復をされているようですが。。
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ここを光子が出入りしていたのだなぁ~と感慨深く。
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扉などは修復されていたようです。
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階段上から。
前のほうには、日本庭園も造られていました。 -
なんだか素敵です。
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お城周りを一周しますが、所々、こんな風に、中がちらりとみえる空間。
修復が途中で止まっていると聞きましたが、、中に雨とか入り込まないのだろうか、、などと気になります。 -
下のほうの窓枠もないし。。
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ちょっと寂しい。
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上の部分だけの修復があったのでしょうか。
内部の部屋も修復していると聞きましたが。。 -
早く全部が修復されると良いと願います。
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高いです。
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レンガがむき出しに。
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ところどころに紋章のような彫刻。
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こちらは光子の夫だったハインリヒでしょうか。
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かつては、立派なお城だったのでしょう。
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1階。
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こんなにあいているところもあり、
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中が見えます。
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ぐるりとまわりを。
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ここからみても、上の部分の修復があったようですが、部屋の修復で、壁を磨いていたら、フレスコ画がでてきたそうです。
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鹿の模様の、可愛いベンチ。
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ハンスが造ったという紋章でしょうか。。
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アーチがあって、この上にも紋章。
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こちら側からみると、屋根は修復されているようでした。
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美しい建物だったことが偲ばれます。
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裏側にも入口。
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イチオシ
広いお城です。
かつては、別荘もあったそうですが、いまはありません。
所有していた修道院も近くにあるそうですが。。今も残っているのかな。。
とても親切な修道女が二人おられたようで、光子を助けてくれたようです。 -
こんな装飾もあちこちに。
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アーチの上の紋章もきれいです。
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建物の名前?
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こちらは中がむき出しに。
お城の居住の場所とつながっていますが、こちらはどんな部屋だったのでしょう~。 -
ハンスが造った塔?
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1620とみえます。
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古い彫刻のもの。
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陽があたると、クリーム色の壁が。
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面白い窓みたいなところ。
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何が飾られていたのでしょう~。
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お城の裏側。
中庭で子供たちとくつろぐ光子とハインリヒの写真もありましたが、
見てみたかったなぁ~。 -
修復の様子などのパネル。
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裏側から観たお城。
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十字の像がそっと立ってました。
光子は洗礼を受けてクリスチャンになりますが、そのことを夫のハインリヒにとても感謝していました。
信仰が彼女の拠り所となったにちがいありません。 -
お城の下のほうに、インフォメーションセンターがありました。
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ちょっとしたくつろげる場所や、
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観光パンフレットや資料など。
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お土産ももありました。
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ここで、ロンスペルグ城のマグネットを一つ購入しました。
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若い女性が対応してくれました。
日本語のパンフレットはなくて、英語のパンフレット、チェコ語のパンフレットをもらいました。 -
そのほか、観光パンフレットもいただきました。
チェコ語で読めませんが、、
日本語のものもあるとよいなぁ~ -
こちらのパンフレットには、
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最後の当主だった、光子の長男のハンスの写真や、
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ハンスが造ったといわれる、ハンスを形どった暖炉の写真もありました。
大きな暖炉です。 -
かつての豪華な部屋の様子や修復の様子などの写真がもりだくさんでした。
中を見学できませんでしたが、写真やお城周りのパネルで様子がよくわかりました。 -
これは?
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インフォメーションセンターのそばにありました。
何かの遺構かな。。 -
お城の入り口から。
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こちらにも説明パネルがありました。
ハンスの写真です。 -
門から外をみますと、整然とした建物群がありました。
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門。
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入口。
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入口です。
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素敵な門でした。
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もう一度、お城の敷地内へ。
新しい建物があって、 -
地図と
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地域の観光ガイド。
そういえば、光子の夫 ハインリヒのお墓もこの近くにあるようです。
光子は生前夫のお墓のそばに自分も埋葬してほしいと希望していたそうですが、光子はウィーンのクーデンホーフ家のお墓に埋葬されています。
数年前、ウィーンを訪れた際に、そちらの墓地にも訪れました。 -
右に見えるのもお城の建物の一部??
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光子の住んでいたころは、もっと周りにも建物も少なく、遠くまで見渡せていたことでしょう~。
彼女が窓から観る好きな風景があったと聞きました。 -
昔からあったのでしょう~古いものでした。
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壁から外を眺めます。
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こちらにも古い石の置物。
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こちらのパネルに、ハンスが自分の姿を形どったといわれる暖炉の写真がありました。
ユニークな感覚の人です。
お城の荒れ果てた様子などの写真も。 -
こちら側は綺麗に修復されたのでしょうか。。
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納屋?
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クーデンホーフ家の家紋?
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すぐ近くには新しい建物がありました。
その前の像。池があったのかな。。 -
こちらは立ち入り禁止のテープ。
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かなりの傷みです。
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ハンスの造った塔が高く。
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2階から下の部分がまだ修復できていないようでした。
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かつてのお城の様子や修復後の様子など。
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お城の修復の困難さが伝わってきます。
経済的な問題など、様々な問題があります。 -
朽ち果てそうになっているお城の写真もありました。
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イチオシ
お城の修復が進み保存されていくことを強く願いました。
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何度もお城を名残惜しく眺めます。
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この絵のあたりが光子の部屋だったところでしょうか。。
窓から眺める風景が好きだったそうです。 -
お城の前に日本庭園があります。
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日本庭園。枯山水。
ドイツ在住で、クーデンホーフ光子の本を執筆されたシュミット・村木真寿美さんらが作庭されました。
家族を表しているそうです。 -
説明板があります。
日本語で、村木真寿美さんの言葉もありました。
石庭は、家族を表しているそうです。
光子や子供たちの写真、そして、庭を造られた人々、その様子の写真もありました。 -
石庭。
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彼女は夫が亡くなったあと、子供たちの教育に厳しく、それに反発した子供たちはどんどん彼女から離れていきます。
子供の教育には特に責任感が強かったと思いますが、それは夫が亡くなったあとに特に強くなったと思われます。
子供たちが自分から離れていったとき、光子は「これで、私の子育ては成功した。子供たちは私から離れて、自分の道を歩むのだから。。。」という言葉を残していましたが、この言葉が心に残りました。
私も子育ての中で、子供が私に反発したり、離れていったとき、
この光子の言葉を思い出したりしました。離れていくことは、子育てが成功したことなのだ、、、と。
もちろん、寂しさ、孤独を感じますが、、、。
この光子の気持ちに共感したことを思い出しました。 -
ここに来ることが私の夢でしたので、とても満足です。
中は見学できませんでしたが、写真を観ていて、脳裏に焼き付けていましたから、妄想しながらお城の周りをめぐりました。
こんな遠い土地で、周りに日本人もおらず、日本から来た乳母も途中で帰国し、夫からも日本語の使用を禁止され、やはり、途中でホームシックにもかかってしまいますが、それでも、強く生き抜いたクーデンホーフ光子は
私の尊敬する女性の一人です。 -
何度も、最後までお城を眺めてながら、
-
イチオシ
日本庭園からの風景。
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姫リンゴがたわわになっている中を歩いて、
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なんども、お城を振り返りながら、
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元来た道をかえっていきました。
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実はこれ、タケノコの土佐煮なんですが、
光子が晩年、食べたかったのがタケノコだそうで、これをお城にもっていき
光子さんと一緒に食べた気持ちになりました。
天国の光子さん、食べてくれたかな。。
当時住んでいたウィーンでは、日本を恋しく思っていたようです。
タケノコはヨーロッパにはなかったのですね~。 -
民家はありますが、本当に静かな農村というような土地でした。
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木の実。
大きいです。虫かとおもいました。笑
リースの材料にしたいです。 -
駅の待合所に戻ってきました。
ここで時間をつぶします。。 -
可愛いローカル電車が入ってきます。
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中はひろびろ。
トイレがあるんですが、鍵がかかっています。
スタッフのいそうな場所をノックしますが、誰も出てきませんでした。 -
自販機でカフェオレ。
結構高くて、500円くらいだったような。。
美味しかったから、良いけれど。。
電車を待つこと1時間以上。その間、いろんな人が入ってきました。
まず、中学生のような男の子、いきなり「煙草もってませんかぁ~?」とスマホの翻訳機から聞かれました。あどけない子です。
今の時代、スマホがあるから、言葉は翻訳できますし、便利だー!!
私はてっきり、カツアゲをされると内心ビビってました。笑
夫が「煙草すわないよ」というと諦めてました。意外とすんなり。
そのうち、電車に乗っていくとき、手を振って、挨拶していきました。可愛いね。
続いて、若い女の子たち、細かいお金ないから、かえて~みたいに、お隣に座っていたおじさんに頼んでました。おじさん、「これ、本物のお金かい?」みたいに
疑ってました。女の子たちは自販機でコーヒー買って、うきうき、きゃっ、きゃっと笑ってました。箸が転がっても笑える年ごろです。笑
みんなの言葉はわからないけれど、なんか、楽しかったな。。 -
可愛い電車に乗って、近くのホルショフスキー・ティーン城へ行きます。
こちらのお城は光子たちのお友達のお城で、よく訪問していたそうです。
ロンスペルグ城にあった光子の持ち物やロンスペルグ城のものなどをお城の中で保存しているそうです。
こちらも11月からは冬の期間、見学もできませんが、外側からだけでも、、と
行ってみることに。 -
ホルショフスキー・ティーン駅です。
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駅の建物。
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駅からお城まで歩いて15分ほど。
外は雪が舞う寒さ。
風も冷たい。
教会がありました。 -
歴史のある建物がたくさんありました。
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川があり、橋を渡ります。
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雪が激しくなります。
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こちらも古そうな建物。
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お城の建物が見えてきました。
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大きなお城です。
ホルショフスキー・ティーン城。
ツェルニン家が改修したモダンなお城。 -
表玄関を探しますが、その途中の石畳と家々がなんとも風情があります。
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大きな塔のある教会。
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美しい教会でした。
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お城のすぐそばです。
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イチオシ
立派なお城でした。
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冬の期間中はお休み。
中の見学はできません。
光子関連の展示もあるようですが、こちらも写真などを何度もみているので
またまた、ここで、お城のなかを妄想します。 -
イチオシ
壁、スグラフィック装飾と呼ばれるものだそうです。16世紀のなかばにボヘミアに拡がった装飾の技術で、遠くからみると、でこぼこがあるような
だまし絵のような、不思議な壁。 -
お城門前の建物も歴史がありそう。
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光子たちが度々訪れたお城でした。
ロンスペルグ城からはおよそ10㎞ほどの距離だそうです。 -
道を下って、裏側にも回ってみました。
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お城の裏側。
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敷地も広く、池も見えました。
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とても規模の大きなお城のようでした。
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お城そばにスーパーがあり、寄ってみます。
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韓国麺などアジアの食材。
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日本のものもある!!
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結構、いろんな日本食品あります。
日本人も住んでいらっしゃるのかな。。 -
ハリボも。
安そうだから、買っていこうか、、、←重たいので、夫に阻止されます。
婿がハリボ好き。 -
お城を見上げて。
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衣類のお店。
そうそう、もうダウンの季節ですよね。 -
古いお家はカフェになってました。
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ケバブの店が多かった~。
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立派な教会。
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小さなスーパー。
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トリミングのお店かな。。
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駅に戻り、待合室で電車を待ちます。
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もう夕方になってしまいました。
スーパーで買ったチーズと思われたもの、食べようとしましたら、、、、パンに塗るタイプでした。
お腹すいたな。。 -
とっておきの日本から持ってきた羊羹を食べました。笑
この待合室で待つこと1時間以上。
疲れ切った夫、乗る電車の時間を間違え、待合室を飛び出し、乗ろうとしましたら、
電車の運転手さんと車掌さんに、「また戻るの?」といわれました。
私達がポビェツョヴィツェに行ったときの車掌さん達でした。覚えてくれていて、
「プルゼン行きは17時35分よ」と笑いながら教えてくれました。
私は17時35分の電車と覚えてましたが、夫は何を勘違いしたのか、、
危ないです。。。笑
それにしても、なんとも親切な人たち。わざわざ、間違って乗ろうとした私達を全力阻止してくれました。ありがたいです。
綺麗な女の車掌さん、「光子のところにいったのよね!」と覚えてくれていて、
一緒に記念撮影もしました^^
明るくて、優しいひとたちに助けてもらいました。感謝です。
プルゼンに着いたのは19時前。
すっかり疲れてしまって、元気だったら旧市街地にもいってみよう~と言っていましたが、それは不可能とわかり、ホテル直帰でした。
長いながい、クーデンホーフ光子を訪ねる旅、終わりました。
最後までお付き合いいただいて、ありがとうございます^^
次回はプラハに向かいます。
まだまだ鉄道の旅、続きます。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- sukecoさん 2024/12/04 16:36:41
- クーデンホーフ光子!
- hijunoさん、こんにちは!
クーデンホーフ光子という名前、初めて知りました。
hijunoさんの旅行記で、とても詳しく知ることが出来ました!!
ありがとうございます。
とても素晴らしい方だったようですね。
子供達には厳しく、その子供たちは反発してしまう。
でも、「これで、私の子育ては成功した。子供たちは私から離れて、自分の道を歩むのだから。。。」という言葉が心に響きました。
芯の強い女性であり、とても尊敬できる女性でもありますね。
ロンスペルグ城も早く修復されるといいですね。
そして、ちらちらと降る雪と街の景色が情緒ある景色だなぁ~っと感じました。
鉄道旅で出会った色々な方々との交流も素敵ですね。
続きも楽しみにしています♪
sukeco
- hijunoさん からの返信 2024/12/04 21:29:29
- ローカル鉄道の旅♪
- sukecoさん
こんばんは!
いつもお便りありがとうございます。
長いながい旅行記を読んでいただいてありがとうございます^^とても嬉しいです。
しかし、旅行記、長すぎました。^^;
長年の夢が叶い、写真あちこち撮りまくり、興奮しました。
クーデンホーフ光子、私も偶然知ったのですが、明治の時代に日本人もいない異国の地で、夫だけを頼りに、全く違う文化のなかで、生きてきた強い日本人女性を誇りに思いました。
子供たちは優秀な人も多くて、EUの産みの親の次男リヒャルトもいますが、子供たちのほとんどは母親の厳しさから離れていき、きっと光子さんは、寂しい想いもあったと思いますが、それも子供の自立と受け止めて子育てが成功したという言葉は、私の子育ての悩みの時期とも重なり、とても励まされる言葉となりました。
おっしゃるとおり、お城の修復が早く進むことを願います。
資金のこともあり、国や自治体の事情など、複雑な問題があるのだとおもいました。
見学の人ももっと増えると良いなぁ~と思いました。
そうなんです、寒い日で、朝から、服装では主人ともめました。笑
結局、私の言ったとおりの厚着をして正解でした。勝ち誇りました。笑
雪も舞い、風も吹いて、寒い一日でした。
ローカル鉄道は本当に楽しい旅になりました。
温かい人が多くて、日本から光子のお城に来たことを喜んでくれました。
ほんわりと温かい気持ちになる一日でした。
次はプラハに向かいます。
続けて遊びに来ていただけると嬉しいです。
hijuno
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