2024/11/10 - 2024/11/10
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pedaruさん
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ロープウエイがあるからと、安易に登ってみたら歩くところが多かった。
豊臣秀次が切腹することになった理由は諸説あるが、秀吉の実子・秀頼に跡目を継がせるためだったというのが通説だ。
豊臣秀次は秀吉の同父姉である日秀尼の長男、つまり秀吉からすると甥である。
1568年生まれの秀次は、浅井長政の家臣だった宮部継潤の養子となり宮部吉継を名乗り、その後は三好康長の養子となり三好信吉となる。
その後、秀吉の関白就任に前後して羽柴秀次を名乗り、秀吉が豊臣性になると豊臣秀次となった。
1591年頃に秀吉が関白職を辞すると、秀次が関白となった。
しかし1595年、秀次に謀反の疑いが持ち上がり最終的には切腹となり、多くの妻子や関係者たちも打ち首・切腹・改易・流罪・追放されることになった。
小さな子供たちや姫君、側室、侍女、乳母たちだけでも39名が斬首され、姫たちの中には公卿・今出川晴季の娘・一の台や、「東国一の美少女」と呼ばれた最上義光の娘・駒姫(15才)もいた。
子供の遺体の上には母たちの遺体が積まれ、観衆たちは「余りに酷い」と奉行に罵詈雑言を浴びせたという。
インターネット 「草の実堂」より抜粋しました。
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自転車 新幹線 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
碁盤の目のように区画された町づくりは、豊臣秀次の功績です。
町を作るには住民が最も重要ですので、隣町の安土から町内毎移転させました。
織田信長亡き後の安土は商業活動も停滞していましたから、渡りに船の命令でした。 -
市民にとっては向こうに見える山の上に建つ八幡山城は誇りだったに違いありません。
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静かな街並みを見ながら、八幡山城跡を目指します。
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突然建物の向こう側に、西洋風の塔が見えました。なに、なに?
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表に回ると和洋折衷の建築物でした。
白雲館は明治10年(1877年)に八幡東学校として、当時のお金6千円で設立されました。建設に際しては、八幡商人の熱意と区民の協力により、西洋建築の様式と、日本の伝統技術をとり入れ建築されたものです。
現在は観光案内所が設けられ観光情報の提供や、お土産や特産品も展示販売されています。 -
白雲閣を出ると大きな鳥居をくぐり、八幡堀に懸かる橋を渡ると,日牟禮(ひむれ)八幡宮ですが、その前に八幡堀を少し歩いてみます。
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八幡堀は、安土・桃山時代に豊臣秀次の八幡山城居城のもと、城下町が栄える基礎となった町の一大動脈です。 近江商人の発祥と発展、また町の繁栄に大きな役割を果たし賑わいを見せたといいます。
堀に沿って狭い道が続きます。 -
昭和初期までは、常に町の人々の経済・流通路でしたが、戦後は陸上交通の発展によって不要となった八幡堀は廃れ、ドブ川となり、埋め立ての予定もありました。しかしながら、地元の青年たちの保存再生運動により当時の美しさを取り戻しました。
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屋形船が観光客を乗せて水面を滑っていきます。のどかな風景です。
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道は一段と低いところを通り、より水辺に近くなります。
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擬宝珠をつけた石製の橋が川を跨いでいます。
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堀に沿って、白壁の土蔵や旧家が立ち並びる風景は、時代劇等のロケ地としても知られています。
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小さな祠がありました。この町ではたくさん見ました。
こういう町では犯罪も少ないでしょうね。 -
堀に沿って柳が枝を垂らしていました。その下で若い男女が立って真剣な表情で
話をしていました。気になります。 -
堀際の道をそれてまた街歩きです。
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趣のある家には「喜兵衛」という看板がかかってました。どうやら食事処のようです。
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「お父さん、まだこの先八幡堀があるよ」息子は言いましたが、
「もういいや」と苦笑い。
いくら好きでも、飽きてしまった、これ以上は見る気がしない。 -
焼き板の壁、炭がすっかり取れてしまったのは見た目がよくないねぇ。
調べましたら、最初からブラシをかけて炭を落としてしまう方法もあるらしいです。
僅か残った炭が防虫や塗装の代わりになるそうです。 -
このような家が普通に残っていて、住民は誇りをもって住んでいます。
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西川家などの豪商の家が並びます。
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大通りに沿っても端正な住宅が並びます。
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鳥居をくぐり、八幡堀を渡ってロープウェイに向かいます。
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日牟禮八幡神社の参道
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ここにも地蔵尊の祠がありました。
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日牟禮神社の山門です。
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境内も広く立派な社です。
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混んでないロープウエイに乗って山頂に
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着きました。
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城跡を見るなら歩かなければなりません。
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山の斜面をそのまま石垣を積んでいます。
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石垣を見ると、城があったのだなぁ、と
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山の斜面に石垣を積んでいるのには何か意味があるのかな?
防御とは関係ない気がするけど… -
ここにも石垣。
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町が見渡せるところまできました。
観光客はほとんどいません。 -
秀次の居城と言えども、残っているのはわずか石垣のみ、
天守閣はおろか、櫓も塀もありません。 -
見晴らしのよいところはこの先にありそうだ。
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城の西側に来ると、眺望が開けました。
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ズームして琵琶湖を撮りました。
長命寺港あたりでしょうか? -
最大限ズームしてみました。
長命寺温泉辺りでしょうか? -
ちょっとだけ歩こうと言うつもりが、結構歩くことになりました。
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帰りも行きと変わらない景色です。当たり前です。
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日牟禮神社の鳥居ごしに白雲館が見えます。
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あとはどうしようか?街を歩くだけでしょう(^^♪
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(^^♪
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(^^♪
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ここにも
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(^^♪
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足元に犬矢来がありました。おしっこをする犬から守るためにあるそうですが、
今では装飾の役目をしているのが実情の気がします。 -
(^^♪
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(^^♪ (^^♪
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(^^♪
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(^^♪
最後まで(^^♪でお茶を濁してしまいました。たいへん失礼をしました。
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この旅行記へのコメント (19)
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- 旅猫さん 2025/03/18 07:20:48
- 豊臣秀次
- pedaruさん、おはようございます。
近江八幡と言えば、秀次ですね。
優れた領主だったようで、地元の人には愛されていたと。
関白になったものの、秀頼の誕生で思わぬ事態に。
本人は、たぶん、関白に未練は無く、甥っ子に譲るつもりだったことでしょう。
不運だったのは、秀吉が老害で、疑心暗鬼にとらわれたこと。
悲劇の武将ですね。
八幡堀は、時代劇では常連のロケ地ですね。
大好きな鬼平犯科帳でも、定番のロケ地でした。
柳の下で密談など、盗賊の手下か(笑)
もしくは、痴情のもつれか、心中か。
八幡山城跡は、秀次切腹後、聚楽第と同様に、秀吉により徹底的に破却されたようです。
旅猫
- pedaruさん からの返信 2025/03/19 07:30:47
- Re: 豊臣秀次
- 旅猫さん おはようございます。
秀次は「ひでじ」とも読めますね、あまり剛の者と言う感じではないですね。区画整理して商人を呼び寄せ、市民の暮らしを豊かにした。
恐らく自分だけ贅沢をするという独裁者ではなさそうです。
こういう人が首相や大統領になったり、知事になってもらいたいですね。
秀吉は若いころは人格者だったと言います。戦国時代の人格者が
ヒューマニストという訳には行かないでしょうが、(国を奪い、人を平気で殺すことを職業としていたのですから)、他の武将も似たり寄ったりだったと思います。
勝者の歴史だと言いますから、徳川家康が神格されていますが、どこまで人格者だったかは疑問です。
廃墟の城跡を見ると、いろいろ考えさせられますね。
pedaru
-
- yamayuri2001さん 2025/03/08 14:47:37
- 日牟禮八幡神社
- pedaruさん、こんにちは。
日牟禮八幡神社、懐かしく拝見しました。
私が訪問したときは、七五三のご祈祷の人たちで賑わっていました。
私は時間がなくて、ロープウェーには乗らなかったのですけれど、
秀次の城跡は、今、石垣だけになっているのですね。
当時のことを偲ぶには、想像力を働かせるしかないですね。
しかし、人生も終わりに近づくと、
このような場所が、とても愛しく思えます。
若い頃には、なんだ・・・石垣だけかと思って
すぐに降りてしまったかもしれませんが、
人生を重ね合わせてしまうんでしょうね。
人生が終わる前に、まだ行ってみたいところがある・・・
どれだけ行けるか分からないけれど。
あと何年 元気で歩けるんだろう?と、
いつも思っている昨今です。
前回のコメント、お返事が滞っても、それは私のせいです。
なぜかと言うと、
皆様は旅行記がアップされたらすぐにコメントを入れられるのに、
私はマイペースで、
旅行記がアップされてから、かなり経って、
誰も訪問しなくなってからコメントを入れたりするからです。
どうぞお気になさらないでください。
気が付いて読んでいただけただけでも、光栄です。
yamayuri2001
- pedaruさん からの返信 2025/03/08 15:59:26
- Re: 日牟禮八幡神社
- yamayuri2001さん こんにちは
私がコメントを書くのは、読んですぐでないと、感想が浮かんでもすぐ忘れてしまうので、感じてすぐならそのままでいいのですが、後日となるともういちど最後まで丁寧に読まなければ書けませんね。
タイムラインに新しい旅行記が出ると、この方にも、あ、こちらの方にもとコメントしたい方はたくさん出てきますが、後でと思っているうちに溜まってしまって、そのうち忘れてしまいます。
yamayuriさんのように筆まめならいいのですが、私の場合時間がかかりますから、普通一日に一通くらいが関の山です。
私がフォローしている方の掲示板にyamayuriさんの書き込みをよく見かけますので感心しております。私よりかなりお若いのに、人生を良く見つめられていて、豊かな生き方をしているなと推察しております。
4トラベルをやっていて単なる娯楽だけでなく、皆さんから教えられることが多くて、私の生活にとって不可欠な存在です。
今後ともよろしくお願いいたします。
pedaru
-
- しにあの旅人さん 2025/02/24 10:14:19
- 盛者必衰
- このあたりは、天武チルドレンの村国男依の取材で駈け回ったところです。
関ヶ原の出口ですから、東国への押さえで大事なところで、秀次がここの封じられたのも、そのときは信頼されていたのですね。
関ヶ原の隘路からでてくると、このあたりはさあーと開けて気持ちいいところです。平べったくて、米どころという感じ。古代から栄枯盛衰のあったところです。
そこに秀次さんも登場してくるとは知りませんでした。
近江八幡駅の次の次が野洲駅です。この近く旧中仙道の野洲川渡河点あたりで、村国男依率いる天武軍と近江朝廷軍の決戦があったはずです。ここで近江軍が壊滅したので、壬申の乱は事実上決着がついたというのが私の説です。
それから大友皇子の悲劇までまっしぐら。
それから900年後が秀次の悲劇ですか。
盛者必衰、南無阿弥陀仏。
- pedaruさん からの返信 2025/02/25 05:49:21
- Re: 盛者必衰
- しにあの旅人さん おはようございます。
村国男依、恥ずかしながら初めて聞く名前です。調べたら壬申の乱で
最大の功績を挙げた人物ということでした。
この地で大友皇子、そして豊臣秀次の悲劇が起きたとは因縁を感じます。しかし、この国を襲った最大の悲劇は、太平洋戦争のほかに考えられません。欧米列強から辛うじて植民地になるのを逃れたら、日本は欧米の真似をして墓穴を掘ったと言われていますね。
盛者必衰、いづれ米国もこの熟語を当てる日がくることでしょう(^^♪。
pedaru
-
- 前日光さん 2025/02/17 23:59:04
- 悲劇の人
- 師匠、こんばんは!(^^)!
また寒くなるようですね。
今年の2月は寒いですねぇ"(-""-)"
豊臣秀次、戦国時代のドラマを見ていると、必ず登場する人物で、この役を演じる俳優は、たいていちょっと寂しそうな陰のある人が多いですね。
また秀次について調べると、聡明で思いやりのある穏やかな人物などと書かれています。
信長も秀吉も家康も、苦労をしたとはいえ、自我の強い人たちです。
それなので、脇役的なこの人物には知性と優しさを与えようと後の世の人間はつい思ってしまうのでしょう。
私ももちろん例外ではありません。
だって少しは、全体を見通しながらも、繊細な性格のゆえに強さを前面に出すことができず、結果滅んでゆくという運命を甘受する立場の人が、ドラマ的には欲しいと思うのですよ。
秀次の城には、石垣だけがところどころに残るだけなのですねぇ。
そのわびしい感じがたまりません。
メインにはあまり心を動かされず、マイナーが大好きな私としては、まさに好物の人材です(^_-)-☆
ロープウェイで行ってすぐに辿り着くのではなく、けっこう歩くのですねぇ。
腰痛持ちには、もはや行けない場所にあるようです。
師匠の旅行記で、せめてその風情を味わいたいと思います。
(^^♪が多用されていますが、その心持は理解できます。
しにあさんは♪や♪♪、♪♪♪などで、その気分を表現されますが、
私もこれから、大いに参考にさせていただきたいと思いました(^_^;)
お堀の辺りは私でも歩けるでしょうか?
水面と道の高低差が、あまりなさそうで、本当にイイ感じですね!
柳の木の下で話すカップルが、確かに気になります( *´艸`)
前日光
- pedaruさん からの返信 2025/02/19 05:49:22
- Re: 悲劇の人
- 前日光さん おはようございます。
コメントありがとうございました。前日光さんらしく秀次の人物像を分析し、悲劇の人として評価していますね。
そもそも戦国時代に限らず、戦前までは人権という概念がない時代でしたから、強い者が正義だと誰もが思っていましたから、強者の都合で人は虐げられました。
前日光さんは日本史なども専門ですから、コメントも一味違います。
4トラベルでは皆さん2万歩くらい歩く人はたくさんいますが、私も腰が痛くて歩くのは苦手です。せっかく来たのだからというさもしい根性で
無理して歩きました。
私の腰痛対策は使い捨てカイロを腰に張ることです。知り合いに勧めているのですが、なまじの整形外科よりよく効きます(笑)。
騙されたと思って、一度お試しください。かのアインシュタインも常用していたそうです(捏造です)。
京都、奈良はもちろんですが、近江周辺も日本史の舞台としては重要ですね。石田三成、豊臣秀吉、秀次、信長、などの城が狭い範囲にあります。
カイロを貼って出かけましょう(^^♪。
pedaru
- しにあの旅人さん からの返信 2025/02/24 10:25:27
- Re: 悲劇の人
- 横から失礼します。
♪はkummingさんの発明です。同様な写真が連続して説明の必要もないとき、心象風景として♪をつけるそうです。
私は弾んだ気持ちで「らん」と読みをつけました。By妻は澄んだ鈴の音で「りん」と読むそうです。
♪♪だと「らんらん」または「りんりん」
- pedaruさん からの返信 2025/02/25 06:01:18
- RE: Re: 悲劇の人
- > 横から失礼します。
> ♪はkummingさんの発明です。同様な写真が連続して説明の必要もないとき、心象風景として♪をつけるそうです。
> 私は弾んだ気持ちで「らん」と読みをつけました。By妻は澄んだ鈴の音で「りん」と読むそうです。
> ♪♪だと「らんらん」または「りんりん」
そうですか、皆さん工夫をされていますね。
ご自分の前髪を逆立ててプロフィール写真にする人ですから
それくらいの発明はされることでしょう(^^♪。
-
- フィーコさん 2025/02/16 22:41:53
- (^^♪
- pedaru師匠 こんばんは♪
ツッコミ遅くなり、出遅れました。
(^^♪、八幡堀や町歩きされて
ロープウェイで城址の石垣だけが残っている。
たくさん歩かれておつかれさまでした。
秀次さん、高野山で切腹だったのですね。秀吉は秀次さんを高野山で食事係も許可されて生かしておくつもりだったらしい。でも身の潔白を証明するため切腹。ご家族はえらい迷惑。
ググってしまいました。
若い時、切腹し損ねた方を見たことあって 切腹だけでは死ねないの。
苦しまぎれに臓器出し、それでも死なない、ねない→救急車で病院(笑)
介添、今そんなのしたら殺人ですよね。
『白雲館』
1877築日本の大工さんが製作
擬洋風建造物
「玄関の上部には唐破風や太鼓楼が見られ、日本の文化も感じられ当時の棟梁である高木作右衛門の創意工夫を感じることができます。」
これを見に行ってみたいと思いました。無料だし(笑)
洋風、学校ってことで「ヴォーリスさん?」と思いましたが彼が近江にきたのは30年後ですね。
親孝行な息子さんとの近江、楽しませていただきました。
フィーコ
- pedaruさん からの返信 2025/02/17 07:36:56
- Re: (^^♪
- フィーコさん おはようございます。
豊臣秀次の切腹には諸説あるのですね。ネットでは通説を書きました。
といっても通説しか知りません(笑)。
現代でも戦争などでは命が粗末にされてますが、昔は本人自身、命の尊さがないがしろにしていて、名誉のために 犠牲になることをよしとする
傾向にあったようですね。
フィーコさんは切腹し損ねた人を見たことがあったそうですが、すごい経験ですね。映画などを見れば死に方が分かると思いますが、腹を切ってから頸動脈を自ら切ると死ねます。その方は余りの痛さに忘れてしまったのだと思います。私も忘れてしまうと思います。ですから、日ごろから
頸動脈を着る練習をしています(笑)。なんてでたらめなことを申しました。私が切れるのは爪と鼻毛くらいなものです。
白雲館、近年まで太鼓楼は壊れて撤去されていたものを、復元したようです。無料なうちにお出かけください、といっても中は何もありませんからいつまでも無料でしょう(^^♪。
pedaru
-
- sanaboさん 2025/02/16 01:17:01
- 八幡堀の風景、素敵ですね~
- pedaruさん、こんばんは
八幡堀の風景は風情があっていいですね~
かつては城下町の繁栄に大きな役割を果たしたお堀も
一時は埋め立ての危機に瀕したそうですね。
地元青年たちの働きにより八幡の象徴ともいえるお堀が残されたのは
何よりのことで、今では屋形船が行き交う観光名所となっているのですね。
豊臣秀次が安土から町内毎移転させて造ったという
区画され整然とした街並みの先には八幡山城(跡)を望めるのですね。
そのような光景からは秀次の功績と人望の厚さが窺われ
それだけに辿った末路を思うと、切ない思いに囚われます。
『泣くな秀次、泣くなsanabo』というpedaru師匠の声が
聞こえるようです…。←耳鳴りか?
お堀沿いの飛び石の並ぶ小道や石橋を望む風景をpedaru師匠の
スケッチ画で拝見出来たら素敵だろうなぁと思いました。
ロープウェイで登られた山頂の城跡の石垣を拝見し
「つわものどもが夢の跡」との句が頭をよぎりました。
今回の旅行記、pedaru師匠の笑顔(^^♪の大サービスでしたね。
コメントに窮された(?)師匠の心情をお察しし、思わずこちらまで
笑顔になってしまいました(´艸`*)
sanabo
- pedaruさん からの返信 2025/02/16 06:40:10
- Re: 八幡堀の風景、素敵ですね~
- sanaboさん おはようございます。
(^^♪ コメントに窮しての荒業、どなたが突っ込んでくれるか楽しみにしておりました。フィーコさんあたりかな?やはり本命はsanaboさんでした。長編旅行記投稿の疲れが残る中、ありがとうございました。
>ロープウェイで登られた山頂の城跡の石垣を拝見し
「つわものどもが夢の跡」との句が頭をよぎりました。
彦根城などの脚光を浴びている城などと違って、崩れかけた石垣、舗装されない道などを見ると、「まさにつわものどもが夢の跡」と呼びたくなりますね。感動のあまりの落涙、「泣くなsanabo」泣いてはいけません、人が泣いていいのは、親が死んだ時と、財布を落とした時だけです。
pedaru
-
- jijidarumaさん 2025/02/16 00:36:32
- 近江商人、八幡商人
- pedaruさん、
今晩は。連作の近江八幡巡りは見ごたえありました。
大阪勤務の時に一度だけ、この町を訪ね、時代劇でよく見た八幡堀、近江牛のすき焼きを食べ、八幡宮、八幡山城にも登りました。一通りの観光をしたのですが、恥ずかしながら、豊臣秀次がこの地に関係していたとは全く記憶にないのです。
興味を持っていたのは近江商人、御存じのように総合商社各社は殆どがこの地の出身者が企業設立に関与しています。我が社もそうでした。
実に日本的ですが、滋賀県立八幡商業高等学校や彦根高等商業学校、後の滋賀大学経済学部の出身者は学校枠で各1名入社していた記憶がありますね。
この町は自分の足で歩くには手ごろだった記憶がありますが、もう再訪する事も無いでしょう。
それではまた。
jijidaruma
- pedaruさん からの返信 2025/02/16 06:18:01
- Re: 近江商人、八幡商人
- jijidarumaさん おはようございます。
コメントありがとうございます。商業に携わる人は、必ず近江商人の話を教えられますね。天秤棒に籠を下げて、売り歩く、これが原点だといいますが、近ごろは金魚やでさえも見かけなくなりました。
ふうりん、らお屋、しんこ細工、みんな懐かしく、同年代のjijidarumaさんとなら話題が共通だと思いますがいかがでしょうか?
jijidarumaさんも近江商人の血をひく会社に所属し、ドイツで活躍なさったのですね。
フランスといえばしにあの旅人さん、ドイツと言えばjijidarumaさん、
鉄道といえば横浜臨海公園さん、など4トラベルでは有名人が目白押しです。文字数の多いのも、几帳面なのも特徴です(笑)。
またjijidarumaさんならではのお話を聞かせて頂きます。
pedaru
- jijidarumaさん からの返信 2025/02/16 14:21:18
- Re: 近江商人、八幡商人
- pedaruさん、
今日は。
何故か、2通返信を頂いたので、これはもう一度返信せよ!との御意向と思い、几帳面に返信させて頂きました(笑)。
天秤棒からの連想でふうりん、らお屋、しんこ細工の行商ですね。
確かに同世代ですから、らお屋の言葉以外は分かりましたよ。
(読者の方の為に:羅宇屋=らお屋は私の記憶の中では言葉もこの職人も見ていないですね。父はたばこを吸いましたが、さすがにキセルを使用していませんでした。キセルでキザミタバコを吸うとき、キセルの煙管内にヤニが溜まり、これを掃除する職業の人を呼ぶ名称であると、検索して見ると<なるほど>と思いましたが)
少し話題がずれますが、「豆腐売りのラッパ吹き」が思い出されます。
この音が聞こえると、母が割烹着を着なおして、豆腐売りを呼び止めて、買っていた光景を思い出されます。
私自身はそれほど豆腐が好きだったわけではないのに、ドイツで食べられない環境になると、家内に無理を言って、自作してもらったような・・・。
もう古い古い話ですね。
それではまた。
jijidaruma
-
- norisaさん 2025/02/15 17:23:40
- 豊臣秀次
- pedaruさん
こんばんは。
いつも冒頭の文章、興味津々で拝見しています。
今回は若かりし頃の思い出ではないのですね(苦笑)
さて、この豊臣秀次さん、まさに悲劇の方ですね。
いろいろな歴史書で彼の評判は上々です。
それを謀反の疑いとは!
秀吉が亡くなり豊臣家が滅びたのもこの濡れ衣に起因すると言ったら言い過ぎでしょうか!?
私的にはそう思っています。
ロープウエイで山頂に行けるのですね!
ここの石垣の風情ステキですね。
お城好きとしてはじっと眺めていたいです。
そして、街並みはやはり魅力的ですが、こういう街並みを保存する方々のご苦労も大変だなと頭が下がります。
(ちょっと前にミニリフォームした身としては(爆))
norisa
- pedaruさん からの返信 2025/02/16 05:52:43
- Re: 豊臣秀次
- norisaさん おはようございます。
自分ではなかなかまめにコメントするのをさぼっているくせに、旅行記を投稿した途端、まだタイムラインに載る前からそわそわして、誰かからコメントはないかな?などと毎回パソコンを覗いているあほらしさを自覚しています。小学生ではあるまいし。
毎度書いていますが、今回もnorisaさんからまず一番のコメントをいただきました、ありがとうございます。
いつもの雑談は秀次の話を優先させたので省略しました。4トラでは紳士の方が女性も含めてほとんどですので、安心してプライベートなことを話してしまっていますが、こんなに開けっ広げでいいのかと迷うこともあります。
立派な経歴はありませんが、言えるのは皆さんより年上だという自覚があるので、体験談が古老に聞くような気持ちになってくだされば満足です。
歴史に疎いpedaruですが、現地に行ってみると、おのずと土地に関する歴史の勉強になります。琵琶湖周辺は都に近いせいもあって、秀吉の長浜、彦根、近江八幡、安土、石田三成の居城など、一度には見切れません。
でも最近腰が悪くて歩くのがつらいので、電動自転車にばかり頼っております。ロープウエイがあるかといって侮れませんね(笑)。
リフォームされたそうですが、私の体をリフォームしたい心境です。
pedaru
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