2024/11/17 - 2024/11/17
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さいたまさん
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江戸の水道の歴史に関連する施設等を見て廻りました。水道は、生活の知恵の証でしょう。
神田上水を始めとする江戸の上水道は水の落差を利用して給水する「自然流下方式」と呼ばれる方式だそうです。
神田上水は井之頭池を水源としています。
その後、各支流と合流し関口大洗堰を経て江戸市中に給水してとのことです。井之頭池から関口までは野方堀と呼ばれた開渠の堀で水を運んでいました。関口から水戸屋敷までも開渠の堀で、こちらの方は白堀または素堀と呼ばれ両岸には石垣が築かれていたそうです。
水戸屋敷を出て御茶ノ水懸樋(万年樋)で神田川を渡り、武家地や町人地を給水していたのです。給水を行うために樋と枡を使って、水道網を形成していたことがわかります。
水質面では上水道が汚染されないよう注意書きを建てていました。高札の内容は「上水で水浴をしてはならない、魚鳥を取ってはならない、ごみを棄ててはならない、物を洗ってはならない」の四項目が中心となっていたようです。
水道歴史館では、水の大切さが痛感されます。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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水道歴史館は、東京ドームや水道橋駅の東側にあります。
水道歴史館や水道公苑は、登るのが嫌になるような高台の上にあります。水道橋駅 駅
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水道歴史館は、東京ドームや水道橋駅の東側にあります。
登るのが嫌になるような高台の上にあるのは、高低差を利用して、江戸の街に
水を供給するためです。
水道歴史館の隣の水道公苑のある高台には、神田上水の掛樋施設の跡があります。神田上水掛樋跡 名所・史跡
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水道橋は、神田川に架かっている水道のための橋です。
東京ドームの東南側にあります。水道橋 名所・史跡
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江戸時代の浮世絵です。
神田川に架けられた水道橋が描かれています。
東京ドームの東南側にあります。東京ドーム 名所・史跡
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今回の水道に関する施設巡りは、東京ドームから出発します。
東京ドームは、JR水道橋駅と地下鉄後楽園駅後楽園駅 駅
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東京ドームの南側に東京ドームホテルがあります。
高層の大きなホテルで、とても立派なホテルです。東京ドームホテル 宿・ホテル
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途中にある金刀比羅宮東京分社にお参りします。
緑に囲まれた静かな環境です。金刀比羅宮 東京分社 寺・神社・教会
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水道歴史館に行くには、室生能楽堂の角を東側に曲がります。
室生能楽堂は、歴史を感じさせる雰囲気を醸し出します。宝生能楽堂 名所・史跡
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室生能楽堂の東側には、忠弥坂があります。
水道歴史館に登るためには、忠弥坂、建部坂、富士見坂等の坂道を登らねばなりません。建部坂 (初音坂) 名所・史跡
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今回、水道歴史館に行くためには、忠弥坂を登りました。
傾斜が厳しく、かつ、長い坂でした。忠弥坂 名所・史跡
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忠弥坂を登ると、東京都の水道歴史館の案内が出ています。
道路の先には、水道公苑が見えています。
水道公苑の正式名称は、本郷給水所公苑とされています。本郷給水所公苑 公園・植物園
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本郷給水所公苑の案内です。
高台の上にある公苑で、とても広い公園です。
本郷1丁目にあります。 -
水道歴史館及び本郷給水公苑は、本郷1丁目にあります。
本郷1丁目は、本郷元町の東側を1丁目と区分された経緯があり、元町と称されています。 -
本郷給水公苑の台上には、江戸時代、江戸の街に水道を巡らせせた神田上水石樋の一部が、移設され、残っています。
写真は、残されている水道施設の一部です。
水道が、石垣で囲まれています。 -
神田上水石樋に関する解説です。
徳川家康が江戸に入府した際、家臣の大久保藤五郎忠行が開削した神田上水の一部です。
神田上水は、小石川上水をもとに、神田上水として、江戸の街に水を供給することとなりました。 -
本郷給水所公苑には、神田上水(白堀部分)の解説板も置かれています。
神田上水の白堀とは、上水道として引かれた水道路の堀の護岸部分を称しています。
護岸部分は、間知石と呼ばれる石製の四角錘で構成されています。 -
神田上水が、間知石により、白堀として構築されている様子を解説しています。
江戸時代から構築され、明治時代までにかけて、上水道施設として利用されていました。 -
江戸時代の土木工事に関する知恵が、優れたものであったことがわかります。
石を利用して、堅固な造りにしていることがわかります。 -
神田上水(白堀部分)に関する解説板です。
江戸時代の土木工事のレベルの高さを感じます。 -
神田上水(白堀部分)に関する解説文です。
解説文を読むと、江戸時代の水道事業において、大規模な工事の計画と実施の難しさが並大抵のものではないと理解できます。 -
先にも触れましたが、水道歴史館の隣は、公園になっています。
神田川の周辺からは、かなりの高低差があります。
かなりの高低差を考えると、何となく、高台にあることに、不思議な感じがします。 -
水道歴史館の模型です。神田川の上部を、水道が超えています。
橋のようになっています。
水道橋の地名の由来です。 -
水道歴史館の内部の展示です。
江戸の街から、はるか西から、生活に不可欠な水を引いてきたことには、敬意を表すべきかと思われます。
大事業です。 -
江戸の街には、複数の上水が引かれています。
いずれにしても、塩水の影響を受けていた江戸の人々にとって、いかにありがたかったか、その恩恵は計り知れないものがあると思われます。
井の頭池、溜池等、懐かしい地名です。紀伊家の屋敷跡の解説板を読みました。紀伊徳川家和歌山藩屋敷跡 名所・史跡
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水道歴史館における、江戸時代の水道施設の実物です。
江戸時代の知恵の結集です。
入手可能な木材等を巧みに駆使しています。 -
江戸時代の街の長屋における生活の様子を再現しています。
井戸が、生活の中心だったことでしょう。
水の有難みが解るような気がします。 -
明治維新を迎えた時期の水道関連の施設です。
金属製の水道施設器材が目につきます。
近代的な器材の役割が、増えてきたのでしょう。 -
水道歴史館の内部の様子です。
実物による具体的な説明、写真及び絵を利用した記述が、説得力を増しています。 -
水道歴史館の前に設置されているタイル絵です。
昔は、水を売る商売もあったのでしょう。
生活に密着した絵による紹介です。 -
水道歴史館の前に置かれているタイル絵です。
江戸の町民の生活の様子が判ります。
いずれも、水の大切さが理解できます。 -
水道歴史館の前のタイル絵です。
新宿にあった淀橋浄水場の様子を紹介しています。
明治時代に入ってからの絵ですね。
新宿には、旧淀橋浄水場跡の施設が残っています。旧淀橋浄水場蝶型弁 名所・史跡
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水道歴史館の展示物です。
馬に対する水飲み場なのでしょう。
新宿駅北口にも同様な施設(馬水槽)があります。馬水槽 名所・史跡
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水道のためのダムが建設されました。
これから考えると、水の大切さがわかります。 -
水道の発達の背景には、疫病の蔓延防止の必要性もあったようです。
コレラの患者の発生も大きな問題であったことがわかります。
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