2024/10/14 - 2024/10/14
17位(同エリア158件中)
万歩計さん
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私が物心ついた頃、祖母が時々楠木正成、正行父子の逸話を話してくれた。祖母は当時新聞に連載されていた吉川英治の「私本太平記」を切り抜いていた。戦前の教育を受けた人にとって、劣勢の南朝に殉じた楠木父子は大忠臣である。私も30代に私本太平記を読み、これまで余り馴染みがなかった鎌倉時代から室町時代への移行期の壮大な歴史絵巻に夢中になった。
その後「太平記」に関連したテーマを取り上げた作品を読み進める中で、北方謙三の歴史小説「武王の門」に行き着いた。足利尊氏に都を追われた後醍醐天皇は、体勢を立て直すために4人の皇子を全国の拠点に派遣し、懐良親王は征西将軍宮として九州に渡った。肥後の武将菊池武光という強力な味方を得た懐良親王は、苦労の末大宰府に征西府を開き、九州をほぼ平定した。しかし12年後に大宰府は北朝方の今川了俊により陥落。懐良親王は筑後から菊池へと退いた。この間に菊池武光は没し、懐良親王は征西将軍職を良成親王(後征西将軍)に譲り、最後は奥八女で薨去した。
この旅行記は「武王の門」に登場する九州南北朝の史跡を訪ねて奥八女から筑後川を回った記録である。小説の舞台になった八女は母の里だが、山深い奥八女まで踏み込んだのは初めて。父は亡くなる1年前に突然「征西将軍、後征西将軍の御陵を見たい」と言い出し、弟が車で連れて行ったそうだ。
見どころと云っても古い墓標や石碑が残るだけで、南北朝の歴史に興味がなければ退屈かもしれない。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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9:00 西鉄特急「水都」で西鉄福岡駅を出発。
西鉄福岡(天神)駅 駅
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小郡駅を過ぎると耳納の山々とが見えます。山の向こう側がこれから訪れる奥八女です。
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渡っているのは筑後川鉄橋。この一帯は九州南朝軍と北朝軍が激突した古戦場で、最後に訪れます。
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9:31 西鉄久留米駅に到着。
西鉄久留米駅 駅
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ここからはレンタカーで「武王の門」に書かれた九州南北朝の史跡を訪ねて、奥八女から筑後川まで一周します。
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国道3号線を走って八女市へ向かう途中に岩戸山古墳。九州地方北部で最大規模の古墳で、6世紀初頭に北部九州を支配した筑紫君磐井の墓とされています。
岩戸山古墳 名所・史跡
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八女福島の町に入りました。この街並みは重伝建に指定されており、3年前に訪れました。
https://4travel.jp/travelogue/11718942八女福島の町並み 名所・史跡
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10:25 茶のくに観光案内所
八女観光物産館 ときめき お土産屋・直売所・特産品
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ここで今回の主目的地である奥八女の九州南朝史跡の資料をゲット。
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奥八女に行く前に八女中央大茶園の展望台に立寄ります。現在走っている道は旧国鉄矢部線跡で、通称「バルビゾンの道」。
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「バルビゾンの道」の呼称は、画家坂本繁二郎氏に因んでいます。
坂本繁二郎は久留米市に生まれ、34才でフランスに渡り絵画の修行をしました。帰国後はフランスのバルビゾンに風景が似ている八女にアトリエを構えました。ここで描いた作品群は多くの賞を受賞し、日本洋画界の巨匠と呼ばれるまでになりました。
万歩計は2023年に本場フランスのバルビゾンを訪れています。
https://4travel.jp/travelogue/11885137 -
集落を過ぎると丘陵になり、お茶畑が広がっています。
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10:50 八女中央大茶園 展望所に到着。広場になって神社とカフェが一軒。
Green Monster グルメ・レストラン
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ここから南筑後の展望が開け、遠く島原半島まで望むことが出来ます。
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眼下の波打つ丘陵に広大な茶畑が。ここは福岡県が誇る八女茶の一大生産地です。
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広さは約70ヘクタール、東京ドーム約15個分。「県営パイロット事業」として約100ヘクタールの山林を開き、1969年から1973年にかけて完成しました。
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今は深緑の茶畑ですが、4月~5月のお茶摘みの時期は新緑が茶畑いっぱいに広がってるそうです。
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ここから一路奥八女へ。大渕にある五條家にナビをセット。
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八女の街中に下りてきたら八女中央大茶園製茶(八女中央茶協同組合)
八女中央大茶園 自然・景勝地
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お土産にお買い上げ
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11:29 国道442号線を東に走り、黒木の町を通過。この街並みも重伝建に指定されており、3年前に訪れました。
https://4travel.jp/travelogue/11719128黒木の古い町並み(重要伝統的建造物群保存地区) 名所・史跡
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この時は天然記念物の「黒木大藤」を見ました(2021年7月撮影)。
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これから訪れる後征西将軍・良成親王のお手植えと云われています(2021年7月撮影)。
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大きく枝を伸ばした藤の古木は樹齢六百余年(2021年7月撮影)。
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国道442号線は矢部川に沿って大分県の中津江村に続いています。黒木の先は小さな集落が点在するだけで、大きな町はありません。
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11:44 大渕集落に到着。奥に見えるのが五條家住宅。
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物心ついた頃から、国鉄羽犬塚駅前から大分との県境の柴庵まで堀川バスが走っていました。
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この路線バスは今も廃線にもならず、70年以上走っていることに少し感動。
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五條家の入口。
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五條家の家祖は公家の五條頼元。懐良親王の九州下向に従った12人の随従者の筆頭で、常に親王の傍で征西の軍務を補佐しました。
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頼元の死後もその子孫は父祖の遺志を継ぎ、征西将軍宮、後征西将軍宮を守護し、矢部を本拠地に忠誠を全うしました。現在の当主は25代目にあたり、宮内庁陵墓守部として現在も大杣公園の良成親王陵墓をお守りしています。
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五條家では700年に渡り南北朝所縁の宝物を守り伝えています。毎年秋分の日に宝物の虫干しを兼ねて「御旗まつり」が開かれ文化財が一般公開されます(冊子より)。
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今日は公開日ではありませんが、「奈良から九州南朝の史跡を見に来た」と言ったらひょっとして見せてくれるかも(海外でもこの手でしばしば成功しています(;^_^A)。と、淡い期待で呼び鈴を押したが応答はありませんでした。
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12:16 五條家から10kmの日向神ダム(日向神湖)でフォトストップ
日向神ダム湖 自然・景勝地
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矢部川上流に造られたダムで完成は昭和37年。一帯は風光明媚な日向神峡。
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日向神ダムのシンボルはハート岩と蹴洞岩。ハート岩はすぐにわかるが、
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神馬が蹴って大穴が開いたと伝わる蹴洞岩は、はてどれだろう?
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どうもハート岩の右横の黄色の円辺りのようですが、木々の間でよくわからない。
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次の目的地、良成親王陵墓のある大杣公園にナビをセット
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日向神ダムから更に国道442号線を東に。ここは「杣の里」と呼ばれる矢部川の源流近くで、九州南朝の最後の根拠地でした。
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途中で国道442号線から細い山道に分かれます。途中「お側」という小さな集落を通りました。良成親王に仕えた人々が住んでいたことに由来します。
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12:53 良成親王陵墓のある大杣公園に到着。
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奥八女の最奥です。
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良成親王は南朝後村上天皇の皇子で懐良親王の甥にあたります。
征西府を開いた懐良親王は兵7万人率いて都へ攻め上るため、留守居役に良成親王を迎えます。しかし東上計画は失敗し征西府も陥落しました。失意の懐良親王は征西将軍職を良成親王に譲りました。 -
華やかな戦歴があった懐良親王に対し、良成親王は各地で転戦するも奥八女の山中に潜行することが多く、艱難辛苦のなかで35~36歳でこの地で薨去しました。
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親王の命日にあたる10月8日には、御陵の下のこの場所で「浦安の舞」が奉納されます。母も子供の時ここで「浦安の舞」を舞ったと言ってました。
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陵墓前から見た釈迦岳と御前岳。御前岳の名は南朝行在所に由来すると思われます。大分県との県境をなす福岡県1、2の高峰です。
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ナビを征西将軍宮懐良親王ゆかりの大円寺にセット。39kmで所要時間は1時間20分。
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国道442号線を黒木まで戻り、
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そこから県道を星野に向けて走ります。
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小野神社でフォトストップ。元寇の役で奮戦した小野氏ゆかりの神社です。
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神社前のバス停は「内宮」。征西府が陥落し高良山から撤退した懐良親王は、ここに御在所を構えました。
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ここを走る堀川バス星野線も先の矢部線同様、70年前から命脈を保っています。
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境内には天然記念物の大銀杏があり、懐良親王のお手植えと伝えられています。
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14:35 大円寺に到着。
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大円寺はこの地に勢力を張った星野氏の菩提寺。星野氏は耳納連山に鷹取城という山城を築き、星野谷全域に勢力を誇りました。
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境内には星野村史料館が併設され、懐良親王や九州南朝の資料が展示されていました。
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順番が前後しましたが、これから九州南朝の主人公・懐良親王の話しです。
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足利尊氏に都を追われた後醍醐天皇は、体勢を立て直すために4人の皇子を全国の拠点に派遣しました。幼い懐良親王(牧宮)は軍勢を伴うでもなく、公家の五條頼元ら僅か12人の随従者と共に征西将軍宮として九州に下向。苦難の末には薩摩の谷山城に入りました。
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懐良親王一行が谷山城に拠ったことで、九州の南北朝動乱が始まりました。五條頼元は幼い親王に代わり、南朝に好意的だった肥後に拠点を構えようと奔走しました。しかし最初に頼った阿蘇氏の取り込みには失敗、しかし菊池氏という強力な一族を味方にしました。ここから懐良親王と菊池武光のコンビによる征西府樹立の長い戦いが始まりました。
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南朝、北朝最大の合戦は1359年の筑後川(大保原)の合戦。菊池武光率いる南朝軍4万と少弐頼尚率いる北朝軍6万が筑後川の北の大保原(現小郡市)で激突しました。戦いは壮絶を極め、両軍で2.5万人近くの死傷者を出しながらも南朝軍が勝利しました。
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奮戦する懐良親王?
この時31才。この戦いで親王自身も深手を負いました。 -
馬上の菊池武光
菊池武光が血が付いた太刀を川で洗った太刀洗(福岡県三井郡大刀洗町)や、懐良親王が布陣した宮ノ陣(福岡県久留米市宮ノ陣)などが、現在も地名として残っています。この後に訪れます。 -
菊池千本槍
菊池軍の多くの士卒がこの槍で奮戦しました。 -
星野氏の甲冑
星野氏は菊池氏と共に懐良親王を奉じて北朝軍と戦い、深手を負った親王は星野へ逃れて静養しました。 -
征西府の紋章
この後懐良親王は大宰府に征西府を樹立。以後12年が九州南朝の全盛期でした。 -
伝懐良親王御真筆「小野内宮」
しかし九州探題に着任した今川了俊の巧みな征西府切り崩しにより大宰府は陥落。菊池武光は懐良親王を奉じて高良山から菊池に退却する途中で陣没しました。懐良親王は星野の小野神社近くに御在所を置き、その後征西将軍職を良成親王に譲り1383年に薨去されました。 -
親王陵墓にあった観音堂の御本尊
懐良親王は大円寺の裏手にある大明神山頂近くに葬られました。ほどなく南北朝は合体。後征西将軍良成親王もまもなく矢部で薨去されました。 -
大円寺境内には懐良親王妃(おつれどん)の墓碑が復元されていました。
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大円寺を出てこれから懐良親王の墓陵を見に行きます。集落の入口にあたる星野川の橋の袂に建つ「懐良親王終焉の地」石碑
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御陵は県道から山道に入った3.5km先。
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狭い山道を走りましたが途中から通行止め。残りは歩きました。
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15:10 征西将軍宮懐良親王陵墓。南無阿弥陀仏。
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大円寺に戻り「御手負いの水」がある鷹取越古道へ。
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途中の「鹿里の棚田」展望所でフォトストップ。
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長年かかって造られた棚田。奥八女には他にも多くの棚田がありました。
鹿里の棚田 自然・景勝地
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この棚田は稲が植えられています。稲作には灌漑が必要であるため、開くのは大変だったはず。しかし政府の減反政策から、現在は荒れた棚田も少なくありません。
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15:45 御手負いの水史跡に到着。
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筑後川の合戦で深手を負った懐良親王が、耳納の山を越えて星野谷に向かう途中、この湧水で傷を洗ったと伝えられています。
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今では小さな水たまり
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手前の草道は鷹取越古道。南朝軍はこの道を越えて筑後川に進軍していきました。
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これで奥八女の史跡巡りは終了。ここから耳納の山と筑後川を越えて小郡の大保原古戦場に向かいます。
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耳納の山を越えて筑後川に出ました。この川を挟んで南朝、北朝両軍の戦が何度も行われています。
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耳納の山々。懐良親王は大宰府の征西府が陥落した後、耳納の高良山に退却、さらに奥八女に落ちていきました。
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17:02 TVにしばしば登場する朝倉三連水車に立寄り
朝倉の三連水車 名所・史跡
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設置されたのは江戸時代中期の1789年。現在は電動化され水車自体は5年毎に作り替えられています。
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この時は止まっていましたが今も現役で動いています。
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17:31 太刀洗公園に到着。この近くで筑後川の合戦が行われました。
大刀洗公園 公園・植物園
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公園に建つ菊池武光の像。
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馬を下りてまさに太刀を洗おうとする姿。
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大保原の合戦で勝利した菊池武光は、敗走する敵を追ってこの場所まで進出しました。武光は小川を渡ってさらに進軍しようとしましたが味方の損害も甚大、ここで兵を引いたそうです。
血まみれの太刀を小川で洗った史実に因んで、この一帯は太刀洗町になっています。 -
太刀を洗う菊池武光の襖絵(冊子より)。
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太刀を洗ったとされる小川が公園内を流れていました。
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少し離れた自衛隊駐屯地横にある大保原合戦卒塔婆。合戦で命を落とした将兵の慰霊碑です。
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最後に西鉄宮の陣駅に立寄り
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懐良親王が陣を敷いた場所が現在も地名で残っています。
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19:07 久留米に戻ってきました。走行距離186.7km、燃費15.9km/リットル。
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この旅行記へのコメント (2)
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- Decoさん 2025/08/06 20:52:12
- 奥八女と南朝
- 万歩計さん、こんばんは。
奥八女は何度か訪れていますので、興味深く拝見しました。
南朝方の拠点であったことは知ってはいましたが、地名などにもその痕跡が残っており、地元の人々には親王の存在は大きかったのでしょうね。天皇の皇子ですからね。
しかしそうであっても、軍勢も伴わずに活動するのはいかに困難であったことか。菊地氏や星野氏の力は大きかったと思いますが、山深い奥八女が拠点であったことからも、その苦心が想像できるように思います。
矢部から星野は黒木経由で行かれたのですね。私は以前星野村の奥の方から矢部へ直接行きましたが、狭くてくねくねした山道でした。黒木経由が正解ですね。(^-^;
バルヒゾンの道も、何度か通りましたが、お馬鹿、その由来も知らず、お洒落な名前だな~と思っていました。宮の陣も何か陣があったのかな~と漠然と思っていたので、とても勉強になりました。
Deco
- 万歩計さん からの返信 2025/08/07 11:00:43
- Re: 奥八女と南朝
- Decoさん、こんにちわ。
以前Decoさんの星野の旅行記にコメントした時、九州の南朝について触れたことがありました。本旅行記に何かコメントを頂けるのでは、と期待していたら早速ありがとうございます。
前から気になっていた奥八女から筑後川流域に残る南朝の史跡に、やっと行くことが出来ました。事前に小説以外にもネットで色々調査し、今回の奥八女と小郡以外にも、菊池、高良山、吉井に史跡があることを掴んだのですが、時間の関係で今回は2か所に限定しました。
福島の「茶のくに観光案内所」で「奈良から南朝の史跡巡りに来た」と伝えたら、一般的なパンフレット以外に非売品と思われる小冊子までくれました。奈良は南朝の本拠地、そこからわざわざ奥八女まで来たとは、相当の歴史マニアと思われたようです(笑)。
私が子供の頃、村には一人くらい郷土史を調査している人がいて、その多くは昔学校の先生をしていたお爺さんでした。最近はこんな人も見かけなくなり、郷土の歴史も知られずに埋まっていってる気がします。何かのきっかけで郷土史を調べてみると、故郷がより愛おしくなります。
万歩計
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