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2022年10月13日(木)午後の3時過ぎ、正道官衙遺跡から300mほど北にある芝ヶ原古墳へ。古墳時代初頭の3世紀中頃(または3世紀前半)の築造と推定される前方後方墳だが、前方部は削平されており、後方部しか残っていない。1989年に国の史跡に指定されている。<br /><br />久津川車塚古墳を始めとする久津川古墳群の支群の芝ヶ原古墳群を構成する古墳の1つで、正式には芝ヶ原12号墳。芝ヶ原古墳群はこの12号墳の南西から北東に掛けて発見された13基の古墳の総称で、久津川古墳群を久津川車塚古墳や丸塚古墳、芭蕉塚古墳、久世小学校(指月塚)古墳ら、12号墳の北側を流れる大谷川周辺の平地部、丘陵部に位置する150基前後の古墳と構成している。<br /><br />この古墳は3世紀の弥生時代から古墳時代への過渡期の古墳として日本最古級の可能性を持っている。南山城地方では木津川市山城町の椿井大塚山古墳に先行し、当時としては一帯で最有力の首長墓の一つに位置付けられている。<br /><br />後方墳の中央部分に長さ3m、幅0.7mの木棺が直接埋められており、木棺は腐って無くなっていたが、遺体と一緒に埋葬された銅釧(銅製の腕輪)や直径12㎝の四獣形鏡や硬玉製勾玉、碧玉製管玉、ガラス製小玉、ヤリガンナや庄内式土器が出土した。特に銅釧は他に同じものがみられない非常に珍しいもの。これらの出土品は国の重文に指定され、城陽市歴史民俗資料館(五里ごり館)で展示されている。<br /><br />南北21m、東西19mの方形の後墳丘の南側に、長さ約3.5mの小さな方形の出っ張り(突出部)が付く前方後方墳だが、前述のように後方墳しか残ってない。1986年に宅地開発に先立つ発掘調査が実施され、現在は史跡公園として整備されている。<br /><br />東側出入口から入ると後墳丘の後側に出る。後墳丘の手前は丘陵から切り離すための溝。北側の1段低くなった体験学習広場には久津川古墳群の全体模型が置かれている。<br /><br />体験学習広場から東側の先には久津川古墳群の中で一番大きい久津川車塚古墳の森が望める。大谷川扇状地のほぼ中央に位置する墳丘長約180mの前方後円墳で、外濠を含めた全長は272m。築造時期は、古墳時代中期前半の5世紀前半頃と推定され、その規模・内容から、南山城地方を治めた大首長の墓と推測されている。<br /><br />史跡公園の東の端にはどこの古墳のものかは分からないが、古墳に収められていた家形石棺の底石がある。兵庫県の加古川流域で産出する竜山石で作られており、6世紀末から7世紀後半の間に制作されたと考えられている。<br /><br />鎌倉時代に転用されて地蔵菩薩坐像が浮彫りされており、歯痛地蔵とも呼ばれている。その後、大正時代には現在の近鉄寺田の北西の西ノ口の小川の石橋として使用され、大正末期に取り外されてからも、数回移転されて、寺田地区で祀られていたのを2021年にこの地に移した。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.26846823941627609&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />北側出入口から出て、久世神社に向かうが、続く

京都 城陽 寺田 芝ヶ原古墳(Tomb of Shibagahara,Terada,Joyo,Kyoto,Japan)

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2022/10/13 - 2022/10/13

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旅行記グループ 城陽20221013

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年10月13日(木)午後の3時過ぎ、正道官衙遺跡から300mほど北にある芝ヶ原古墳へ。古墳時代初頭の3世紀中頃(または3世紀前半)の築造と推定される前方後方墳だが、前方部は削平されており、後方部しか残っていない。1989年に国の史跡に指定されている。

久津川車塚古墳を始めとする久津川古墳群の支群の芝ヶ原古墳群を構成する古墳の1つで、正式には芝ヶ原12号墳。芝ヶ原古墳群はこの12号墳の南西から北東に掛けて発見された13基の古墳の総称で、久津川古墳群を久津川車塚古墳や丸塚古墳、芭蕉塚古墳、久世小学校(指月塚)古墳ら、12号墳の北側を流れる大谷川周辺の平地部、丘陵部に位置する150基前後の古墳と構成している。

この古墳は3世紀の弥生時代から古墳時代への過渡期の古墳として日本最古級の可能性を持っている。南山城地方では木津川市山城町の椿井大塚山古墳に先行し、当時としては一帯で最有力の首長墓の一つに位置付けられている。

後方墳の中央部分に長さ3m、幅0.7mの木棺が直接埋められており、木棺は腐って無くなっていたが、遺体と一緒に埋葬された銅釧(銅製の腕輪)や直径12㎝の四獣形鏡や硬玉製勾玉、碧玉製管玉、ガラス製小玉、ヤリガンナや庄内式土器が出土した。特に銅釧は他に同じものがみられない非常に珍しいもの。これらの出土品は国の重文に指定され、城陽市歴史民俗資料館(五里ごり館)で展示されている。

南北21m、東西19mの方形の後墳丘の南側に、長さ約3.5mの小さな方形の出っ張り(突出部)が付く前方後方墳だが、前述のように後方墳しか残ってない。1986年に宅地開発に先立つ発掘調査が実施され、現在は史跡公園として整備されている。

東側出入口から入ると後墳丘の後側に出る。後墳丘の手前は丘陵から切り離すための溝。北側の1段低くなった体験学習広場には久津川古墳群の全体模型が置かれている。

体験学習広場から東側の先には久津川古墳群の中で一番大きい久津川車塚古墳の森が望める。大谷川扇状地のほぼ中央に位置する墳丘長約180mの前方後円墳で、外濠を含めた全長は272m。築造時期は、古墳時代中期前半の5世紀前半頃と推定され、その規模・内容から、南山城地方を治めた大首長の墓と推測されている。

史跡公園の東の端にはどこの古墳のものかは分からないが、古墳に収められていた家形石棺の底石がある。兵庫県の加古川流域で産出する竜山石で作られており、6世紀末から7世紀後半の間に制作されたと考えられている。

鎌倉時代に転用されて地蔵菩薩坐像が浮彫りされており、歯痛地蔵とも呼ばれている。その後、大正時代には現在の近鉄寺田の北西の西ノ口の小川の石橋として使用され、大正末期に取り外されてからも、数回移転されて、寺田地区で祀られていたのを2021年にこの地に移した。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.26846823941627609&type=1&l=223fe1adec


北側出入口から出て、久世神社に向かうが、続く

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