2024/05/14 - 2024/05/24
119位(同エリア674件中)
薔薇の咲く庭さん
- 薔薇の咲く庭さんTOP
- 旅行記259冊
- クチコミ1135件
- Q&A回答1件
- 541,522アクセス
- フォロワー57人
この旅行記スケジュールを元に
前日に長崎を出港して次の日、目が覚めた時には宮崎県の油津に着岸していました。宮崎県の油津(アブラツ)という地名は聞いたことがなかったので、観光地としてはあまり知られていない所です。そこで何が観光できるかを事前に調べましたが飫肥(おび)城跡、鵜戸神宮等でであまり興味が持てませんでした。サンメッセ日南に行くとモアイ像(イースター島の本物の復元)が見られますが、残念ながらその日は水曜日で定休日で開園していませんでした。
とにかくシャトルバスで油津の中心地まで行くことにしました。
5月14日 乗船 東京国際クルーズターミナル
5月15日 終日航海 ガラナイト
5月16日 鹿児島 西郷隆盛像 城山展望台
5月17日 済州島 西帰浦市(ソッポギ)天地滝 オルレ市場
5月18日 終日航海 仮面舞踏会
5月19日 基隆港 九份 十分ランタン飛ばし
5月20日 終日航海 仮面舞踏会
5月21日 長崎 浦上天主堂 卓袱料理 シーボルト記念館
5月22日 油津港 飫肥城跡
5月23日 終日航海
5月24日 東京港
この旅行記は第9,10,11日目の油津、終日航海日、東京港の様子を記録して書きました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
朝からとてもなごやかな雰囲気でゆったりと過ごしている人がいるのを見ながら朝食に行きました。
-
ブリタニアレストランのデッキ2です。やっぱり朝食は、和食が私に向いてるように思います。日本人に合わせて定食を作ってくれています。
-
エッグベネディクトも別に注文しました。やはりこれはおいしいですからね。
-
油津。ここはどんなところなのでしょう? 外へ出ると保育園の子供たちがクイーンエリザベス号を見学に来ていました。外国船が来るのは珍しいことだと思います。保母さんが子供たち見せておこうと思ったのでしょう。
-
驚いたことに、たこ焼き屋さんやその他の屋台店の車が来ていました。食べる人がいるんですね。なんかとても懐かしい感じがします。 ちょっとしたお祭りムードです。
油津港 名所・史跡
-
振り返って船を見ると、やはり大きな船なので、1つの町が突然現れた感じがします。2000人くらいの人が乗船しているので、考えてみると小さな街ですね。
-
油津に関しては、あまり下調べがなくて、とにかくシャトルバスで油津の中心部まで出ることにしました。朝食を食べてゆったりとした時間を過ごし、10時過ぎて出発です。
-
シャトルバスがどこへ行くのかがよくわかりませんでした。連れて行ってくれたところは日南市観光案内所の駐車場でした。さて、ここからどうしましょうか?とにかく中に入ってみることにしました。
-
すると、驚いたことにクイーンエリザベス号に対応して臨時バスがたくさん増便されていました。これを使うと飫肥城跡へ行くことができます。
-
チケットを買いました。ローマ字で書いてあり外国人対応したチケットです。飫肥城まで500円で往復することができました。寄港地ツアーだと確か1万円を超えていたように記憶しています。
-
普通の路線バスなので、地域の住民の方と一緒です。ツアーバスとは違って旅をしてる感じがします。20分ぐらい乗りました。
-
バス停で降りて、飫肥城の方角に向かって歩いていくと外国人がいました。日本では英語はほとんど通じないので、旅行するのはたぶん大変だと思います。
-
飫肥は小村寿太郎の出生地でした。初めてここへ来て知りました。小村寿太郎と言えば、ポーツマス条約の調印で有名な人です。
-
立派な石碑がありました。小村寿太郎侯誕生の地と書いてあります。小村寿太郎は地域の英雄なのですね。
小村寿太郎生誕地碑 名所・史跡
-
この石碑のあった所のすぐ隣の家の門を撮影してありました。ここが生家ではなかったのですが。ここは飫肥では、名家らしく地図に載っていました。山本さんと言うお宅です。
-
もう少し先へ歩いていくと飫肥城観光駐車場へ出ました。ここの名物料理はおび天と言う名前の料理のようです。数百年の伝統の味だそうです。お店がありました。
-
帰りのバスの時刻が気になります。この駐車場から出発するバスは3本のみです。このほかに先ほど下車した飫肥城下バス停があり、そこからはバスの便がたくさんありそうです。
帰りのバスを確認して観光を開始しました。 -
大手門通りを飫肥城へ向かって歩いていくと、小村寿太郎の記念館がありました。ここが寿太郎の生家のようです。
小村寿太郎生家 名所・史跡
-
せっかく来たので、記念撮影をしました。
-
小村寿太郎の等身大の写真がありました。小柄な人ですね。身長は156センチだそうです。男性にしては小さい方ですね。
小村寿太郎記念館 美術館・博物館
-
小村家の家柄は下級武士でしたが、藩の専売品(飫肥杉等)を扱う役職を兼務していたので、寿太郎の父親はいつも他の藩に出かけることがあったようです。そして寿太郎に旅の話を聞かせていました。
-
寿太郎に大きな影響力を与えたのは、藩校の先生、小倉処平です。6歳の頃に寿太郎は朝6時に藩校に登校し、論語を音読したそうです。小倉は寿太郎の将来性を見込んでいます。
-
寿太郎は13歳の時に長崎へ遊学をしています。それは「英語を身に付けて、新しい日本の国づくりに貢献する」と言う目標のためでした。
太郎は独学で英語を学び、外国人に話しかけて、どんどん語学力を身に付けていったそうです。私も英語を学んでいますが、機会があれば外国の人と話をして、自分のスキルアップを図っています。寿太郎にはとてもとても及びませんが。 -
寿太郎は東京大学に入学した後、日本の大学では飽きたらず、アメリカへ留学します。それは寿太郎の英語力が抜群だったからです。ハーバード大学の法科の本科に入学が許されました。大学では図書館に入り浸り、日本では目にできない多くの蔵書を読む毎日だったそうです。卒業後もアメリカの法律事務所で、実務経験を積み、帰国の途中、イギリスに立ち寄って見聞を広めています。
-
1893年(明治26年)、中国への赴任が決まった小村は「日本にはまだ外交は無いのだ。真の外交はこれから起こってくるのだ」
小村は、日英同盟を締結して、ロシアと対抗し、日露戦争を有利な条件で収束させ、ロシアの脅威から国益を守りました。小村外交と言われたそうです。
英国から見ると当時は日本はアジアの小国で同盟は不釣り合いだったそうです。ロシアを抑止するためには日英同盟が英国にとって必要でした。 -
小村寿太郎がどんな人だったのかについて書かれていました。
アメリカへ留学中は郷里の留学生のために学生寮を作るなど、後輩たちの面倒見がとても良かったそうです。 -
小村寿太郎の性格は、意志が強く、目標のためにひた走る人だったそうです。
高収入が得られる仕事に転身するより、日本の国作りに貢献するための外交道を歩み続け、大きな仕事を成し遂げました。 -
展示会場には小村寿太郎の生涯を描いたドラマが上映されていました。子供の頃の寿太郎と祖母がいる場面です。
-
寿太郎の祖母の影響が強く、祖母から「いいかい、1番大事な事は誠の心です。それを忘れたらいけませんよ。」と英雄たちの誠の心の大切さを教えられていました。
やると決めたら、とことんやり抜く仕事熱心な人だったそうです。外交官としての仕事に没頭し、国のために尽くした人でした。。 -
小倉との出会いがなければ、外交官小村寿太郎は誕生しなかったと書かれていました。人との出会いが、その人の人生を大きく変える事は、この時代も同じなんですね。
-
小村寿太郎は毒舌だそうですが、ジョークも得意で、相当な地位についてからも自分も大声で笑って皆を和ませていたそうです。
ジョークまじりに悪口を言った後、大笑いして悪口を言われたものも不快にさせなかったということでした。人格ができているんですね。 -
寿太郎は、神奈川県葉山の別荘で息を引き取っています。結核を患っていていました。ポーツマス条約締結から3ヶ月後です。56歳の生涯でした。外交に全てを捧げた、小さな巨人の一生が幕を閉じました。
-
小村寿太郎一家の家族写真です。なぜか寿太郎の妻についての記載が全くありませんでした。
-
ポーツマス市は日南市の姉妹都市になっているそうです。ポーツマス条約の締結を記念して姉妹都市になったんでしょうね。
-
ポーツマス市の概要です。
北海道とほぼ同じ気候のようです。 -
これが小村寿太郎の記念館の全景です。
-
次は飫肥城へ行きました。立派な大手門です。ボランティアの方がいらして、写真撮影に応じてくれました。当時の武士の着物だと思います。
飫肥城跡 名所・史跡
-
記念写真を一緒に撮りました。
-
残念ながらお城はありません。城跡のみです。
-
石垣がとてもきれいに積まれています。
-
登城するには、この緩やかな階段を上っていったんですね。とても緩やかな階段でした。
-
階段を登りきると、少し広いスペースがありました。
-
とても広いお城だと思います。前を歩く人たちがとても遠くに見えます。
-
再び階段に出ました。
-
本丸があった所には学校が建てられていました。広い敷地の学校ですね。校庭がとても広い。日南市立飫肥小学校。飫肥城の跡地に建てられた学校ですね。校庭が広くていい!
-
やがて鬱蒼とした林のあるところに出てきました。旧本丸があったところです。
-
ここもとても広くて歩いている人が小さく見えます。
-
今まで通ってきたところとは別にお城の登り口を見つけました。こちらはすぐに外に出られそうです。
-
飫肥城は三方を川に囲まれて、天然の要塞があります。しかし、最後の4面目には自然の要塞がないので、非常のときにはここから脱出することにしたのでしょうか?
-
古い絵地図が松尾の丸と言われる建物の中にありました。三方生川に囲まれて、天然の要塞の中に飫肥城があることがわかります。
どう考えても川を越えて城の背後に回ることは不可能です。 -
松尾の丸の建物に出ました。
ここには江戸時代、初期に建てられた御殿があったそうです。1979年に再建されています。 -
最初の部屋に兜が飾られていました。後には飫肥藩の藩旗が飾られていました。
松尾の丸 名所・史跡
-
お殿様気分で座っています。飫肥藩の参勤交代について書かれた記事がありました。油津から瀬戸内海を経て、海路を大阪に向かったそうです。宝永年間に船が難破してからは、陸路を通り、幕府領の細島港から乗船するようになったそうです。瀬戸内海を2週間余り航海して、大阪に至り京都の藩邸につきます。京都からは東海道で江戸まで行ったそうです。経費は少なく見積っても千数百両が必要で大きな負担だったそうです。
-
記念撮影をしています。
-
炉を切ってお茶室がありました。全部で21畳のお部屋があるそうです。
-
松尾の丸武家屋敷は、薄暗い行灯風の照明があるだけで、蛍光灯やLEDの照明等は当時はもちろんありません。この時代は暗かったので、人の顔もはっきり見えなかったそうです。
平安時代から、江戸時代の上流階級の女性は、暗がりでも顔が浮き出るように白化粧をしたそうです。化粧にヒビが入って剥がれ易かったので極力笑わなかったと言う話もあるそうです。現在放映中の大河ドラマからも平安時代の女性の化粧の様子を想像することが出来ます。扇で口元を隠して笑っていますから。 -
長局と書かれています。
-
長櫃。
長櫃とは、衣類やちょうどなどを入れる細長い櫃だそうです。
押し入れが作られるようになるのは、江戸時代中頃からで、それまでは、長櫃の中に布団やちょうどなどを入れていたそうです。動かすときには棒を通して2人で担いでいます。 -
飫肥藩主伊東市の家紋です。時代によって家紋を変えていたようですね。
-
松寿院という名前の女性が飫肥藩を支えていたようです。この女性の功績によって、飫肥藩が存続したと書かれた説明がありました。系図がありました。江戸時代でも女性は見えないところで活躍していたんですね。
-
城内がとても広いです。ここに何があったのでしょう?資料によると、藩主の御殿はここにあったそうです。飫肥城旧本丸と表示されています。天守閣があったと言う表示はありませんでした。
-
再び大手門に出てきました。1873年(明治6年)に取り壊されましたが、1978年に再建されています。国内に現存する大手門を参考にして在来工法で再建されたそうです。
樹齢100年の飫肥杉を使っているそうです。
51000石の飫肥城です。 -
ここは飫肥藩13代藩主と息子の飫肥藩知事が飫肥城を出て移り住んだ邸です。場内の奥御殿を移築したそうです。廃藩置県によって、殿様の人生が全く変わってしまったことを感じます。
-
庭です。
-
飫肥城下町を通ってバスは日南市観光案内所へ向かっています。このバスの中でこれから鵜戸神宮へ行きたいと言う外国人に話しかけられました。このバスは鵜戸神宮へ行くのかと言うのです。行かないので、日南市観光案内所で別のバスに乗り換えるように話しました。
-
日南市観光案内所に戻ってくると、前に大きなスーパーがあるのが見えました。中に入ってみると軽食コーナーがありました。考える事は皆同じなのでしょう。 クルーズで来た人たちが麺類の昼食を食べようと店の中に入っていました。
-
久しぶりに食べる麺類。とてもおいしかったです。
-
再びシャトルバスに乗ってクイーンエリザベス号に向かいました。
-
金物で有名な杉村本店の前を通ります。
杉村金物本店 名所・史跡
-
10分くらい乗ると船が見えるところに出てきました。
-
今朝と同じように、たくさんの屋台の車が船の前に出ていました。ベンチに座って軽食を食べている人もいます。
-
さて、入り口は?今日は1階が閉まっています。
-
乗船出来て、ほっと1休憩でリドレストランに行ってソフトクリームを食べました。イチゴ味のソフトクリームで甘みがとてもおいしかったです。やれやれの1日でした。
-
やがて油津の出航時刻となりました。こんな小さな街にクイーンエリザベス号が来るのはとても珍しいことだと思います。なんでも、地域の議員さんが運動して誘致をしたと言う話を耳にしました。
-
出港の時に見送ってくれてとても嬉しいですね。
-
どのようなイベントをするのかなと思って見ていましたが、大きなイベントはなく、歌を歌って見送ってくれました。
-
だんだん小さくなっていきます。
-
宮崎県に油津という場所があることを知りませんでしたが、この船旅で飫肥(おび)という名前も知りました。
-
水先案内人の船が先導して走って行きます。
-
やがて水先案内人の船は引き返していきました。
-
この日の夜は、リドレストランに行くことにしました。新鮮なお刺身とお寿司が食べられるからです。久しぶりに食べるお刺身はとてもおいしかったです。
-
この夜もロイヤルコートシアターへ行きました。残り2日となったのでこの夜も満席でした。
-
両サイドにあるボックス席は有料です。
-
この夜はバンドのミュージックでした。残念ながら、聞いていて、あまり楽しくなかったので途中で退席しました。
-
一緒に食事をしていたMさんの話では、ルームサービスで朝食をとると、レストランで食べるよりも内容が良いと言う事だったので、オーダーすることにしました。前の日にドアノブに注文を書いた紙を下げておきました。希望した時刻通り朝食が部屋に届きました。
-
注文通りのメニューが届いています。マッシュルームのソティなかなかおいしかったです。
-
このように狭いベランダのテーブルででどうやって朝食を取るか疑問に思っていましたが、重箱のようにお皿が積み重ねられて届いたので、一つ一つ蓋を開けて食べていきました。そうするとあまり苦心しないで食べることができました。
-
デザートのフルーツの盛り合わせです。
-
部屋にあったテレビをつけてみると、クイーンエリザベス号の船首のカメラの映像が映りました。まだまだ目的地の東京港は遠そうです。
-
テレビには、複数のチャンネルがあって、知りたい情報を手に入れることができます。45番に船内時刻があることをこの時に知りました。もっと早く見ていれば台湾で何時なのかわからずイライラしないで済みました。
-
今日もクイーズルームのイベントは盛況です。熱心に参加する人がほとんどでした。
-
明日は下船するので、もう一度グランドロビーにあるクイーンエリザベス号の寄木造りの絵のところに行って写真を撮ってきました。
-
今日はピンク系の紫陽花が飾られています。毎日生け直しをしてるんですね。
-
お昼ご飯はさっぱりとお寿司にしました。お寿司といっても握り寿司はありません。すべて巻き寿司です。
-
お土産にはクイーンエリザベス号の紅茶を買いました。
-
夕食の時刻になりました。記憶が正しくありませんが、多分サラダだと思います。お米のサラダかもしれません。
-
デザートです。おいしくいただきました。いつもデザートはおいしいなと思います。
-
この夜のディナーが最終です。ご近所のテーブル4人の方と11日間、ご一緒に夕食をいただけてとても楽しい時間でした。感謝の気持ちでいっぱいです。「また、どこかでお会いできるといいですね」と言ってお別れしました。
-
夕食後にロイヤルコートシアターへショーを見に行きました。途中で柱時計の所を通ります。柱時計は正確な時刻を示してはいませんでしたが、記念に写真を撮りました。ここはやはり1つの素敵な背景になる場所です。
-
この夜の出し物は最終日だったので盛りだくさんでした。マーク&ピンキーのマジックショーは、客席の人を舞台に上げてショーに参加させていました。縄で縛られた女性が布をかけられてしばらくした後、客席の男性のジャケットを着ている姿で現れました。どうやってそんなことができるのかとても不思議です。隣に座っていた日本人のご夫婦が、英語をもっと勉強して、もう一度エリザベス号に乗りたいとおっしゃっていました。全てが英語なので内容を理解するためには、どうしても英語ができないと何が行われているのかが理解できないのです。
とてもよくその気持ちは分かりました。何年か前の私がそうでしたから。 -
RCAカンパニーによる素敵なダンスと歌が披露されました。本当に非現実的な時間です。
-
とても華やかなステージです。前から4番目の席だったので、とてもクリアーに見ることができました。
-
ほんとに大人の世界ですね。
-
次の朝、目がが覚めると、どこかで見たというか、出発した時の東京国際フェリーターミナルです。同じ場所に戻ってきました。
-
下船するまでの時間が十分があったので、ゆっくりと朝食をいただきました。
-
リドレストランの風景です。ゆったりと時間が流れています。
-
窓から見える景色は東京港です。コンテナが見えて、やはり大きな港だなぁと思います。
-
最後になりましたが、リドレストランの朝食、バイキングの食材を写真に撮りました。
-
こんがり焼けています。
-
サラダはたっぷりありました。
-
フルーツもたっぷりあります。
-
下船してスーツケースを宅急便に預けて身軽にクイーンエリザベス号を後にしました。とても楽しい11日間でした。5年前に乗船する予定だった船を待った甲斐があったように思います。また来年4月にこの船に乗ることができるので楽しみです。
どんな旅にするのかをしっかりと計画を立て楽しい旅行をしたいと思います。
~完~
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- yamayuri2001さん 2024/10/13 14:10:39
- 油津
- 薔薇の咲く庭さん、こんにちは。
油津には、クイーンエリザベスが着岸出来るような、
大きな港があったのですね。
初めて知りました。
また、小村寿太郎の生家があるのも、
初めて知りました。
まだまだ日本全国、知らない土地が多いのだなと思いました。
それにしても、
船内はとても楽しいイベントが、盛りだくさんなんですね。
来年の4月にも、クイーンエリザベスに乗船なさるとの事、
楽しみですね。
シリーズで紹介してくださった、クイーンエリザベス乗船記で、
大型客船の魅力を、色々と知りました。
ありがとうございます。
yamayuri2001
- 薔薇の咲く庭さん からの返信 2024/10/13 18:23:24
- Re: 油津
- yamayuri2001さま
お便りありがとうございます。
私も「油津」という地名を初めて知った次第です。なんでも議員さんが誘致をしてクイーンエリザベス号を呼び寄せたとのことで、小さな町に大きな船が来て一大イベントが行われたという感じでした。
クルーズでは最初に行われる船内説明会に参加されるとたくさんのイベントの様子が分かって、一層参加し易いと存じます。
レストランでご一緒させていただいたMさまは説明会に参加されていて、景品などが当たるスタンプをたくさんのイベントに参加して集められていました。最後に記念品をゲットされていました。
私たちは説明会に参加しなかったのでほんの一部しか楽しんでいないと存じます。
Hawaiiへ行きました時に乗船したプラウドオブアメリカ号の時は説明会に参加してフラダンスの教室があることを知り、5回以上参加しましたのでHawaii州知事の名前の入ったフラダンス教室の終了証をいただき、発表会もいたしました。とてもよい記念になりました。
次回のクイーンエリザベス号乗船時には説明会に参加しようと存じます。
クイーンエリザベス号は日本から出発するのは来年が最後とのことで「再び乗船する」ことにしてしまいした。社交ダンスのタンゴとチャチャをNHKカルチャスクールで特訓しています。クイーズルームで是非踊りたいと考えております。
話は変わりますが、昨日は孫娘の運動会でした。お嫁さんに進められて敬老席に座って(そのような日が来るとは考えていなかったのです)孫娘が演技する姿を見てなんとも言えない感動を受けました。7月にフィヨルドへ行き絶景を見て感動していますが、孫娘の姿から受ける感動は別格ですね。
息子と嫁と孫娘に感謝です。
yamayuri2001さんが2年後にデニーズクルーズラインにお孫さんと一緒に乗船されるご予定と伺い、予約が取れるように祈っております。
寒暖の差が激しい今日この頃、くれぐれもお体ご自愛くださいね。
薔薇の咲く庭
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
薔薇の咲く庭さんの関連旅行記
日南(宮崎) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
112