
2024/08/20 - 2024/08/26
29位(同エリア164件中)
mom Kさん
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「"オロロンライン"、素敵ですよ。」その一言だけだった。とほ宿「ゆき・ふる・さと」の女将さんが、私をバス停まで送ってくれる車中で呟いた。私は、地図上の長い弓状の海岸線を思い浮かべ、その名がいいなあと思った。
JRのない海のそばの小さな町・・・・。沿岸バスがつながっていることも分かった。留萌の新見商店さんとの約束も果たせる。増毛のあの宿にも泊まりたい。
最後は、利尻富士が眺められる。北上しかない。
よーし、行こう。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ JR特急 Peach
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
夕暮れの南小樽駅に降りた。山側と海側。列車が入ってきた方向を陸橋から確かめる。
-
銭湯併設と知り、決めた宿。
”大正湯”
ここに来る途中にも温泉と書かれた銭湯を見かけていた。
女将さんは、「朝里川温泉と同じお湯なんですよ。」と教えてくれた。 -
南小樽を選んだわけは、もう一度亀十パンに行きたかったから。
早朝坂を下っていく。かつての小樽を彷彿させる建物は、この建物だけだった。亀十さんは、お盆休みが続いていた。
落胆大きい。次の機会はあるかしら。
朝、6時。早朝は、とりわけさわやかな北海道。 -
南小樽から小樽へ真っすぐの道を歩く。古い喫茶店はないかなあ。昨夕もずいぶん歩き周ったが、一軒も見かけなかった。大きな港町なのに不思議。そういえば、新潟市内も年季の入った喫茶店を見つけることができなかった。喫茶店文化のあまりない街か。それとも一見の旅人には到底見つけられないところに潜んでいるのかもしれないなあ。
そうだ。鱗友市場で朝食!家族で出かけた思い出の場所。朝の早い素朴な市場。
途中こんな素敵なお店が突然。創業1899年 市内唯一の造り酒屋。田中酒造、代表銘柄”寶川”の看板を見上げる。
だから、歩くっていいのよねえ。 -
朝7時、旧日本郵船小樽支店通過。
鱗友市場に近づく頃から、この時間帯にもかかわらず、カートを引く若者たちが増えてくる。
着いてびっくり。ウエイティングリストはいっぱい。ベンチで待つ年配の手ぶら男性に尋ねてみたら、「ちょうど一時間(待ってる)。」周りのお店が迷惑なほど、この食堂目当ての観光客が増えていく。退散。
近くのバス停には通勤客が並んでいて、すぐに乗車できた。お宿のある公園前まで、バスは小樽駅前を通り、10分ほどであっけなく戻れた。 -
小樽駅からのバスは、札幌大学前に着くことが分かった。
叔父の母校。お正月に帰省する彼に「遠いね。北海道って、寒い?」と尋ねる小学生の私。♂「家の中は、暖かいんだよ。」と言って、我が家では、しきりと「寒い、寒い。」とこぼしていた。
小田実の「何でも見てやろう」をくれた叔父。私にとって最初の大人の本。 -
網走の北方民族博物館にももう一度行きたいなあ。
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このキャンパスは、広すぎて、まだほんの一部しか知らない。
今日は、学齢前のこども連れが多いような気がする。目的ありげに歩いていくのについて行ったら、ちょうど大学所蔵の標本や貴重な器具などの博物展が開催されていた。 -
研究室の一画は立ち入り禁止で、自由に観覧。1Fには日本離れしたカフェコーナー。ショットバーの雰囲気もするそのエリアは、街びとでいっぱい。
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鉱物標本をのぞき込む子供に説明するお父さん。小さな女の子より大きなはく製の前で一緒にたたずむおしゃれな若いお母さん。大学で遊ぶのかあ。うらやましい。
現役の建物は素敵だった。 -
市民や小さな子供が、自由に大学を訪れることができるっていいなあ。
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芝生向こうの木陰ベンチで、男の人がうつむき加減で思索している。
オーストリアかドイツを旅した時の森のような公園の小径風景を思い出した。
大人が想いに耽る姿の似合うキャンパス。じと -
駅に近い出口に向かっていると、学生でも職員でもないような人も階段を上がっていく。入ってみたら、ここ。名前からして伝統的。本校のメイン食堂かもしれない。大発見気分。
でも、バスを降りた時、正門そばのif併設cafeでエッグベネディクトを食べてしまっていた。次は、ここに真っ先に来よう。
いつまでも学生気分に浸りたい私。
あの古書店に寄って、萱野茂さんの本を見つけた。 -
それほど空腹ではないけれど、味わっておきたいお寿司。
これも美味しかったけれど、一番うっとりしたお味は、炙り鯖。サバの炙りというのも初めて。
それを写していないなんて・・・不覚。 -
増毛直行は、夕方の一本のみ。「ぼちぼちいこか増毛館」さんが、予約時に教えてくれていた。
札幌駅前 バス停32 特急ましけ号141便 16:00発18:20着 予約は不要 2620円
オロロンラインバス旅のスタート。 -
増毛館の扉を開けるなり、女将さんが、「今日の日の入りは、6時3○分!まだ間に合います!」と教えてくれる。駆けていった。
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女将さん、旅人の気持ちをご存じですね。私がザックも降ろす前に声をかけてくれた。
戻ったら、バイク男性から「いい歩き方してますねえ。」と声をかけられた。
港からの私をどこからか見ておられたらしい。 -
夕食は、年配のご夫婦とバイク旅の男性。全員、若い日にたくさん旅をしてきたような顔ぶれ。
これまで最高の帆立のお味を知った。もう北海道以外では食べない。厚岸の牡蠣といい、二品目封印。
トマトも味わったことのない美味しさ。気になって仕方がない。尋ねると、「下川産かなあ。」と亭主。翌日、廊下にその名が書かれたトマトケースが積まれていた。これを食べるために「下川」に行ってもいいなあ。桃の旬は、我がふるさとより1か月半遅いと知った。 -
2階にはこんな畳サロン。早朝一人お茶をしながら、本を読める幸せ。
廊下奥の本棚は、どうやら女将さんの蔵書のような気がする。気になる本が多い。 -
昨夜の食卓で小鹿田焼を見て驚いたし、水屋には益子焼らしいカップも並んでいる。
4日間のマイカップを選んだ。 -
昨夜の夕食と言い、美しく美味しい食事。
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朝食後、旧増毛小学校へ。山の方へ大通りを真っすぐ上がっていく。子どもたちが雪道を通ったことを想像したら、がっしりした足腰が目に浮かんだ。
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平成24年! 最近まで現役とは。
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大きく美しい。
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給食室は別棟で繋がり、ガラス窓越しに見えた大釜は、まだ現役さながらに磨かれていることに感動。
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教室棟と屋内通路で繋がる左の大講堂
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バスで留萌に出かける。十字街で降りて、新見商店さんへ。店主は、お元気だった。約束を果たせた気持ち。小さな瀬戸物と昭和期の色グラスを記念に。次は、沿岸バスフリー切符を入手だが、バス会社は閉まっている。覚えていたインフォメーションをかねた物産店に行ってみると、そこで買えるという。ほっとした。萌えっこフリー切符二日間券、3900円。
お昼は、”カリーザイオン”へ。初めて店内で食事。夏野菜カリーと迷ったけれど、角煮カリーの記憶があり、ニラとポークを選んだ。野菜にすればよかったかも。ニラの葉物感が気になった。ほうれん草や茄子の方が合うと思うけれど、それは私の好み。スープのお味は、絶品。カリー ザイオン グルメ・レストラン
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今夜も”北海道”が並んでいる。ここは、甘えび水揚げ日本一の地。
水だこのしゃぶしゃぶ。旅ing人の宿「ぼちぼちいこか増毛舘」 宿・ホテル
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イカとキノコの炒め物。器は、湯町窯に似ている。ぴったり。なかなか会えない陶器にここでと思いながら、味わう。
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旧商家丸一本間家。帳場に座り、心ゆくまで往時を想像する。2年前のコロナ禍での訪れに、たくさんのお話をしてくださった受付の女性。創業者の長男も早世し、あとの家業を守り切り、盲目の甥を慈しみ、日本で最初の点字図書館創設にも支援を尽くす。本土からお輿入れした一夫さんの義母さん。元士族の矜持を持った彼女のことは、案内にもパンフレットにも触れられていない。町に伝えられたことを聞くことができ、私はとてもうれしかった。再会できたらと、ひそかに願っていた。
今日は、若い女性が受付。誰も入館者がいないので、帰り際、「あなたもあの増毛小学校に通われましたか。」と尋ねてみた。見学した感想を伝えると、にこやかに、「はい、寒かったんです。・・・廊下に運ばれてきた牛乳瓶が凍ってしまって、教室のストーブの上に載せているあのお湯に浸けて溶かしたんですよう。」寒かったことを繰り返す可愛い方でした。ありがとうございます。旧商家丸一本間家 名所・史跡
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4日目の朝、自転車青年と再会の約束をして見送り、8時に増毛館を出る。
留萌駅前乗り換え、北上する沿岸バスの時刻まであと約50分。閉じられた留萌駅を見に行くと、喫茶店 '' キタノ ゛の前に出た。開いている。
2年前列車を待つ間、駅構内のポスターで見て、行ってみたら休日だった。
階段を上がって、「バスの時間まで40分しかないのですが、食べることができますか。」と尋ねた。フロアの男性が、厨房に聞きに行ってくれて、女将さんが登場。♀「熱くて、食べきれないかもしれないけれど・・・。」「お願いします!」バスタをゆでる時間もあり、厳しいなあと思っていたら、待つほどもなく運ばれてきた。♀「鉄板熱いので、気を付けてね。」と言ってくれたけれど、注文から食べ終えるまで、25分だった。女将さん、ありがとうございます。あの時の心残りが、また一つクリア。駅はなくなったけれど、この店は健在で嬉しいことを伝える。
♀「朝、モーニングをしているところは、留萌ではここだけなのよ。」使命感もおあり。♀「駅は、○○になるらしいけれど、・・・向こうにパイの美味しいお店ががありますよう。・・・」お話は尽きない。窓から郊外というような内陸の方にショッピングセンターのような建物が見えた。留萌もこれからどうなっていくのだろう。
バス停に向かう途中で、自由市場にも入ってみた。
入り口に感じの良い珈琲&Barコーナーができている。準備中の男性と目が合った。「珈琲をテイクアウトお願いできますか。」
この春に開店したばかりという。留萌駅がなくなっても生まれるところがあり、その上この建物に!嬉しかった。お向かい無人フロアにはトマトや野菜がたくさん積まれていた。珈琲が出来上がる間、三種の山積みトマトの前に立って、迷っていたら、
♂「そこは僕の弟子。そのトマト、味見てください。」と、声をかけられた。弟子とは、トマト同様ご自慢なんですね。「(お味見しなくて)大丈夫です。」中ぐらいの大きさの一袋を選んだ。
トマト一袋と珈琲代金を一緒に払った。480円。 -
沿岸バスは、留萌の町を出て海岸線を走り出した。途中下車。
鰊番屋”重要文化財旧花田家番屋”
日本海と対峙するように位置し、威風堂々とした建物だった。
これは別段革製でもなく、布を重ねて作られている。海水が滲み、凍る事があったはず。指自体がグローブになる過酷な労働は想像を超える。 -
囲炉裏の灰の中から出稼ぎヤン衆が持ち込んだとされる仏像が 、改修工事の際出てきたという。彼は無事に故郷へ帰ることができただろうか。仏像は驚くほど損なわれていず、囲炉裏の中でほほ笑んでいるかのようだった。彼らの労働によって、遙か遠く離れた地の私の祖父母達もきっと暮らしの恩恵を受けたはず。
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鰊は茹で、絞り、乾かされて金肥になっている。紀州の港町には、肥料という古い看板が残っている大店をよく見かける。伊予の町でも見た。これによって、米の収穫量が格段に増えたという。
木製の背負い籠(箱状)を背負って、船から運び上げるのは、子どもや女性たちも。彼らへの賃金は鰊で支払われたと書かれていた。 -
羽幌バスターミナルは、沿岸バス会社のあるところ。今夜泊まる「佐渡屋」さんにザックを預け、地図を手に歩き出したが、留萌以上に歩く人を見ない。喫茶店も、地図に書かれた場所に来ても、ない。はためいている看板にパンの字が見えた。昔からの町のパン屋さん、年配の男性が全面ガラス越しの厨房に見え、女性がパンを並べていた。ピロシキを一つ買った。出来立てをほおばると、やっと街に入れた気分がした。
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川を越え、町のはずれの”はぼろ温泉 道の駅ほっとはぼろ”まで歩いてみた。
上階からの眺めがいいと地図に書かれていたが、本日不可の張り紙。
フリーチケットがある。遠別に行ってみることにした。 -
遠別バス停で降りて、港の方へ歩き始めるが、遠い。無人の道、海にかかわる建物も目につかない。バスの走り去った方向に変更。
町なかを通り抜けたようなところに、バスターミナルの建物。窓口はなく、公衆電話がある。
女性が入り口の椅子に座っていたので、「この町の中心は、どのあたりでしょうか。」
今思うと、北海道を知らない人間の尋ね方をした。
♀「中心ねえ。バスが通っている○○通りかなあ。」考え込まれる。「町のかかりのバス停で降りて歩いてきたのですが、開いているお店を見かけなくて・・。」
♀「最中の○○屋さんは、遠別の名物なんですよ。○○屋さんのケーキは、留萌から買いに来るくらいなんですよ。種類が多いから、北川さんの方がいいかもしれないね。」お菓子屋さんを尋ねたわけでもないのですが・・・
「ありがとうございます。行ってみます。」 -
右の建物は、大きな旅館だった様子。ずうっとこういう景色の中を「街の真ん中の通り」に戻り、降りたバス停の手前にくだんのお菓子屋さんがあった。見逃していたみたい。外観は、とてもひっそり。教えてもらった名物最中屋さんも通り過ぎたが、営業中とは見えなかった。ガラス越しに見える陳列棚には、何も並んでいなかった。
-
こちらは、和菓子のショーケース。一方には、ケーキがたくさん並んでいた。
小さな町のお店と思えない華やかさで、留萌からも買いに来るというのもうなずけた。
弟子屈も、ほかの店舗はひっそりしていたのに、お菓子屋さんだけは大きくて、和菓子の種類もケーキの種類も溢れるほど並んでいたことを思い出した。道民は、お菓子が欠かせないし、大事にするということかしら。
店内の写真を断ると、いいですよと言いながら、♀「補充していないし、はずかしいわ。」とほんとに恥ずかし気な声音。老舗ケーキ屋さんにふさわしい小ざっぱりした居ずまいの女将さん。 -
モンブランは、バスを待つ間に食べたいと言ったら、大きめのフォークを添えて
くれた。〝北川誠菓堂”
こんなお値段でいいの?と思える美味しく大ぶりモンブラン。遠別が身体に入った。
丸ごと栗入りとバター&餡入りケーキも選んで、630円。申し訳ないほど。
品物や作り手に対してより、建物と土地やCMに支払うような都会値段のケーキに群がる馬鹿馬鹿しさを突き付けられる。 -
羽幌”佐渡屋旅館”に戻り、汗を流してさっぱり。古い旅館を想像していたら、建物も新しく、町一番の老舗旅館の風格。年配ご主人もその風情。
夕日に間に合う。海が近い。
港近くに、オロロンラインで初めて見かけた教会。 -
会えましたねえ。置いていかれたおうち。整い方が不憫に思う。
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漁船が、多く係留され、魚市場や、魚を処理する場所も広い。
夕日の辺りは、ちょうど厚い雲に覆われていた。
昼間の暑さが遠のき、北国の涼風を全身に受ける。誰もいない。 -
旅館のご飯だあ。焼き物はもちろんホッケ。お刺身は、マグロともう一つは何だろう。少しこりこりの初めての美味。お味噌汁が身体に沁みる。お米もおいしい。雨竜の貢さんを思った。
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羽幌6時36分発で豊富を目指す。二日券のパスは今日まで。明日宗谷本線列車の時間までほっつき歩く時間はない。町を見ておきたい。
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町を出てすぐ、利尻富士が見えた。中腹から下は雲に覆われていたが、頂上がくっきり。美しい山、私の日本一。
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バスは内陸部に入り、牧草地帯が広がる。
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宗谷本線を初めて横切り、バスは、幌延駅で乗客一人を乗せる。この町は、広い道路でなく、隣家との間隔開けず、駅周辺に家並が寄り添っている。
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ここが豊富ですか。取り付くしまのない町で、一体どこが中心なんだろう。案内所で荷物を預けて歩き始めた。
誰も誰も歩いていない。
これまで見てきた町は、ぽつりぽつりとであっても時折一人は、見かけた。全くの無人!なんて初めて。
かつての本屋さんを通りかかった。閉店してもう長い時間すぎた形跡だが、店内には置き去りにしたものが少なくない。地元のスーパーと生協店は営業時間帯の様子だが、人が出入りしている様子が見えない。 -
あの稚内の夏祭りの出会いから、豊富にはイメージを持っていた。泊まるつもりだったので、この駅前旅館に1か月前、電話を入れたが、「工事のお客さんで満室なんです。」と断られていた。
建物の反対側には、作業服が並んで干されていた。
豊富駅に隣接観光案内所の女性たちが唯一、この街で会え、話せた人。お二人は、都会的な雰囲気。話し方も服装も。
人がいなくてもここだけは活気にあふれていた。時々車の観光客が立ち寄っていく。
無人駅構内の扉の向こうには、食堂兼喫茶店があった。
「天塩に向かい、今日はそちらに泊まります。」と言うと、ifの女性は、MAPを取り出して説明してくれる。今日は日曜日。天塩の道の駅で、何か催しがあるらしい。♀「この地図は、人気なんですよ。コピーしましょう。」「いいえ、大丈夫です。」現地で入手するつもりなので、もう一度断った。
バスが来た。乗りかけた時、彼女は追いかけてきて、天塩マップのコピーを手渡してくれた。 -
運転手さんに、「道の駅に最も近い停留所でおろしてください。」と、頼んだ。
沿岸バスで学んだ知恵。どの町も思いの外、街なかのバス停が多い。乗車する人は、ほぼいない。通過が多い。
道の駅、午後1時で、もうすでに催しは終盤。しじみたきごみご飯を買っておいた。手持ちの行動食は、留萌からのトマトに遠別の和菓子2個だけ。
お宿には、予約時「日曜日なので、食事は準備できません。」と告げられていた。
天塩もバスが通る真っすぐな大通りには、人は歩いていなかった。
夕日を見に、海岸への途中、会いたい家屋にようやく一軒。
窓ガラスが輝いていたので、少し慰められた。 -
思ってもいなかった風景。
海ではない!
対岸はなんだろう。砂洲にしては、長い。 -
町の人は、夕日を見に来ることもないのだろうか。
この町にも泊まりたかった昔ながらの旅館があった。「工事のお客さんでいっぱいなんです。」と告げられた。 -
この街から海岸線を離れる。
-
北海で見る最後の夕日。利尻富士は、優美な山すそだけ見せてくれた。
(右、たなびく雲の下) -
昨夜のテレビには、驚いた。スイッチするなり、「天塩川」のドキュメンタリーが始まった。タイミングがよすぎで、怖い。
砂洲のことも、源流も、昔のことも、この川特有の凍る季節の現象も、川沿いの習慣も全て放映された。
この日に、この町に、この民宿に泊まらなければ会えなかった不思議を思った。
翌朝元気に起床。天塩川に行った。 -
ずっと向こうの河口付近には、中型、大型船舶が係留されているのは、昨夕見ていた。
町から最も近い川岸は、プロムナードが整備され、そこに続いて、船を避難させるような区画が3ブロック、川につながっていた。その一つで作業している人がいる。挨拶して、写真を撮らせてもらった。
♂「先週で今年の蜆採りが終わったから、今日片付けて修理する。」と教えてくれた。まだ若い漁師さんだった。9月から来年5月まで、どんなお仕事されるのだろう。 -
もう一度、置き去りにされたあの家を見ていこう。
この字が鮮やかだったころの天塩の賑わいを想像する。 -
大通りまでの脇道ばかりを歩き回っていたら、出会った。港のそばが駅だったのですね。
-
増毛館で出会った自転車日本一周青年が教えてくれた「天塩 とらや」さん。知らずに歩くと、見逃すエリアに見逃す外観。地図と首っ引きでたどり着いた。
プリンの種類の多さにも驚いた。売り切れると言われていたので、予約に訪れた。こちらのケースにも商品がいっぱい。フィナンシェは、見落とさない。 -
「天塩川歴史資料館」は、この季節、月曜日も開館と昨日受付で確かめておいた。
幸運にも民宿「さとう」のお向かい。
昨日は年配男性で、今日は私と同年代ぐらいの女性。扉を開けるなり、受付事務所から出てこられ、♀「重い荷物担いでるなあと見ていました。ここに置いときなさい。」といきなり。♀「(ザックを担いだ歩き旅は)楽しいんやろねえ。どこから?・・・。」放してくれない。「見せていただきます。」と私は断って、ようやく一人の館内を楽しんだ。
山形だったか、そちらの習慣を持ち込んで広がったという。子供の成長のお祝いで、集落の女性たちが赤子を抱いて、このようなお膳のごちそうが並んだ昔の写真があった。子どもが生まれ、子どもが育つ。この地の未来を担うことと親たちの土地を開いていくことへの願いが溢れていたころ。 -
よく残されたものだと思う。大事に大事に受け継いできたことが偲ばれる。使われなくなっても、到底処分などできなかったのだろう。
-
町の人の命を助けたことも多かっただろう。
サイドカーは、自家製。ビロード地に革と木で丁寧に作られていた。破損していない。 -
ああ、再会。「愛媛卯之町の酒屋さんは、現役でしたよ。」
”くにまつれじすたー”だったかは、わかりませんが。
お金は、今よりうんと大事に扱われた時代。 -
当時の町の地図に「天塩館 天塩座 松の湯・・・」
現在の隣と離れた建て方でなく、”軒並み”の言葉のままの当時の町の在り様。
「民宿さとう」さんも「とらや」さんも探したけれど、そのあたりの地図には載っていない。今の町の姿と言い、住民はすっかり入れ替わったかのよう。
バスの時間が迫る。”とらや”さんに、プリンを引き取りにいかなければ。彼女にそう告げると、♀「ここに荷物置いときなさい。」と言ってくれた。
戻ってきて、バス停に早めに行こうと出たら、彼女も飛び出し、♀「こっちからの方が近い。」と誘ってくれる。ほんの数歩の違いだけで微笑んでしまう。♀「また来てくださいよう。」と彼女は歩きながらも、別れ際にも繰り返した。
バスは、定刻1分前にやってきた。乗客は私だけ。
「豊富温泉までお願いします。」と告げた。
沿岸バスでは、乗客私一人の場合、よく運転手さんに「どこまで?」と尋ねられていたから。 -
彼女に会えてよかった。昔のお話も尽きなかった。
町の歴史館には、若い人より街のことをよくご存じの人がいいなあと思った。お話好きで、方言たっぷりで、自身の若いころや今の暮らしまで語ってくれた。天塩の町がうんと身近になった。 -
ホテル「ウィン」
荷物を預かってもらおうと行ってみたら、ちょうど女性がおられ、早く入室できた。湯治が主な温泉と知る。バスルームに、キッチンには豊富な調理器具完備。
ずっと暑さの中で過ごしてきたので、山の涼気が窓から流れてきて、快い。
今日こそエアコン不要。
今回も暑い北の大地だったから、嬉しい。 -
町営温泉施設”ふれあいセンター”
えっ、明日が火曜日の定休。ほっ、運がよかった。
湯治と一般温泉用は分かれていると、受付で説明を受ける。まずは、湯治用の方へ。油が表面に浮いていて、土色でかすかに匂いがする。低温なので心もとない。一般湯の方に移動。銭湯温度で心地いい。
上がって、着替えかけたら、後ろから「背中にまだついていますよ。」一瞬意味が分からなかった。タオルを見ると、黄色がまだらに広がっている。ああ、ここの温泉は、上がり際、全部洗い流すということ。温泉成分は、ずっと洗い流さないでいた習慣が覆った。「ありがとうございます。」 -
さあ、プリンタイム。自転車青年が、「黒プリン」を教えてくれた。
温泉上りは、ミルクから。夕食の後は、黒で、明日の朝食は、チーズにしよう。 -
サラサラ肌で、かつての温泉街をお散歩。
左側歩道沿いに並ぶお店は、全て閉店。右側の公共建物の中にショップ、開店時間は短い。
個人店は、見られない。
それでもときおり、遠来からのカートを引く姿を見かける。高速バスが着く。 -
翌日は雨だった。大型台風は、南の海をゆっくり北上らしい。
駅インフォメーションに行ってみると、二日前の女性お二人から変わっていた。
忘れ物の手提げを受け取り、お礼のことづけを頼んだ。
JR運行中止を知ってすぐ、とにかく構内から再びifへ。列車情報入手。あの本屋さんのことを尋ねたことをきっかけに豊富の町のことを話してくださった。
稚内で昨年買った忘れられないホッケの美味しさと店頭の様子を話すと、「それは○○店。一番有名でおいしいお店です。」ときっぱり。♀「豊富に稚内からも買いに来るパン屋さんがあるんですよ。今日は開いていますよ。」見当がついている。私は、飛んで行った。シチューパンを見つけた。そのお向かいは、地元スーパー。稚内を思い出し、ホッケの開きと鰊の切込みを買った。 -
無人の改札口。かつて駅員さんが切符をパチンした仕切り。向かいの手すりは、とても暖かい色の大理石だった。手のひらで駅を感じた。
私は、ここに来た。
さようなら、オロロンライン終着点「豊富」駅。
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この旅行記へのコメント (3)
-
- mom Kさん 2024/09/11 21:52:22
- 秋の北海道
- を知らないのです、マプトさん。参ります。
自転車青年に「earthingの似合う足ですね。」と褒められたので、
北の大地を踏みしめ、感じたいと思います。
-
- エフサさん 2024/09/10 09:16:52
- いつもながら いい旅をされてますね
- 「特急ましけ号」 知りませんでした。
札幌から高速道路を通らずに、石狩→厚田→浜益→雄冬→増毛と北上していくルート。 小樽から始まり札幌を通って豊富までオロロンラインをたどって行くバス旅。
大作ですね。素晴らしいです。感動しました。
実はウチの初代北海道は 日清戦争開戦の翌年、明治28年に鳥取市から天塩国留萌郡鬼鹿村に移り住みました。 Kazukoさんが訪れた鰊番屋のある村です。 高祖父が63歳、曽祖父が 35歳の歳でした。
その地を訪れて頂いて、とても嬉しかったです。
以前、夏に旭川から鬼鹿まで海水浴客のために臨時列車が走っていたこともあったんですよ。
老舗の旅館も素晴らしい。
羽幌の旅館の刺身はソイかもしれませんね。
- mom Kさん からの返信 2024/09/11 06:49:54
- そ、そっ!
- ソイです、師匠。ああ、すっきりしました。チェックアウト時に亭主に尋ねたんです。なのに抜けた私の頭。見れば思い出すと北海道の旬の魚で調べても全国区名しか出てきません。ありがとうございます。とてもうれしいです。
ドラマティックなルーツですね、Dr。そして、今のエフサ氏が誕生。伺うだけで、ワクワク感に浸ります。
歴史館の女性の話では、「汽車がなくなって、旭川に行くのが不便。札幌は、朝○○時のバスで行けば、その日に帰って来れるんですよ。」とこぼされていました。車のナンバーは、旭川なのにと心の中で思って聞いていました。
昨日、映画 ”郷愁鉄路 台湾” を観てきました。鉄道の存在意義の大きさ、とても伝わります。国鉄をなくして、何が地方再生だ。我が政府のその矛盾と展望のなさにまたもや怒りと落ち込みで帰途につきました。
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