2023/04/24 - 2023/04/24
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かるあみるくさん
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沖縄3日目、旅行最終日の旅行記です。
ずっと晴れてはいたものの少しどんよりする日もあった沖縄旅行ですが、この日が一番晴れました。朝の天気予報で同じ九州地方の福岡は15℃とかなのに、那覇は夏日。そして日差しもとても強く南国だなと感じます。
この日は昨日夕方で逆光だった瀬長島に行き那覇空港の第二滑走路に離発着する飛行機を撮影した後、小禄地区にある海軍司令部壕跡へと向かいました。ここは沖縄戦前に戦中に司令部にするために造られた司令部壕で手掘りのトンネルといくつかの部屋が造られた要塞、というよりは塹壕みたいなものでしょうか?小禄飛行場(現在の那覇空港)が陥落した後、沖縄戦再末期に海軍がここを利用し戦闘していました。多くの人が亡くなられています。沖縄戦末期の摩文仁撤退は特に日本側で言われることが多いものの、海軍はこちらに残り(撤退しなかったのかできなかったのかは不明)、司令官の大田中将は海軍省にあて「沖縄県民かく戦えり」の有名な電文を送っています。その戦跡に昨日の摩文仁に続いて訪れました。
旅行記の写真の枚数などのバランスがいまいちだったので、その後訪れた首里城のビジターセンターまでの写真をこの旅行記で掲載します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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沖縄3日目の朝です!たぶん3日間で一番晴れていますね。
すごい良い天気の朝ですが日差しが強そう、そして日焼けしそう・・・。前2日間同様この日も屋外で過ごすことが多い予定です。ホテルルートイン那覇泊港 宿・ホテル
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最初にやってきたのは前日午後に訪れた瀬長島のサンセット広場。前日は午後というか夕方に来たのでもろに逆光だったんですが、午前中という事で西側が綺麗に順光です。そして月曜日朝なので昨日とうって変わってガラガラでした。
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哨戒任務にあたっているP-3Cと思ったのですが何回もタッチアンドゴーを繰り返していたので訓練だったのだと思います。私がいた時間帯ではこの1機のみ見る事が出来ました。
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那覇と離島を結ぶ琉球エアコミューター。JAL系列はQ400を次々にATR系で置き換えたので琉球エアコミューター以外でQ400は見なくなりましたね。沖縄でしか見る事が出来ないのも貴重ですし、後部が貨物室になっているコンビ機もここでしか見られない機体です。
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那覇空港は長らく滑走路1本の空港でしたが2020年3月に西側に滑走路を増設して2本体制になりました。風向きに関わらずB滑走路は着陸、A滑走路を離陸として運用しています。ただ自衛隊機はB滑走路からも離陸していました。
なので着陸機ばかりになりますが、逆にいうと北風運用時には瀬長島にくれば着陸機は撮影できます。 -
羽田を中心に本州と九州を結ぶソラシドエアのナッシー特別塗装。南国らしい塗装を那覇空港で撮影できてよかったです。なんとなくですがソラシドエア、ナッシーというとフェニックスの連想から前身のスカイネットアジア航空時代の塗装も思い出します。
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訓練のためかF-15DJが頻繁に離発着していました。日曜日の前日も見たのでスクランブルもあるのかもしれないですが・・・。日本のF-15をこのアングルで撮影できたのは初めてな気がします。小牧でデッキから撮影したことはありますが、飛んでる姿はなかなか見ていないのでこうやって見れてよかったです。
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天気は快晴ですが特に休み期間でもない月曜日だった事もあってガラガラで気持ち良かったです。逆にいる人は韓国人が多い感じで韓国語が聞こえてきました。子連れで飛行機を見ている人もいてカタコトでも少し話が出来ました。
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瀬長島を離れて次にやってきたのは旧海軍司令部壕。豊見城市と那覇市の境目にある丘の地下に戦中作られた地下壕跡です。沖縄か台湾への米軍上陸は不可避となった沖縄戦の前年1944年に造られた地下壕で戦後遺骨収集などはあったもののしばらくはそのままだったそうですが、返還直前の1970年に復元された場所です。
こちらは海軍壕の上にたつ慰霊碑です。海軍壕公園 公園・植物園
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現在見学できる海軍壕と併設されている資料館へはビジターセンターから入り降りていく形になっています。丘の頂上近くにビジターセンターがあり、その地下に海軍壕が眠っています。ビジターセンターは最近造られたのでしょうね、この写真だけ見ると戦争遺跡とは思えない明るい雰囲気の建物です。
海軍壕公園 公園・植物園
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中に入ってもビジターセンターは開放的で明るく、この下に海軍壕が眠っている事を感じさせない造りでした。ただ入口にパネル展示された写真は沖縄戦の写真。日本国内の展示なので残酷なものはありませんが、戦跡ということを強く感じさせます。
旧海軍司令部壕 名所・史跡
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展示されているモノクロ写真ではありますが、鮮明な写真が多く沖縄で起きた事の現実がとてもよくわかります。沖縄戦直後の沖縄での生活がわかるものも多かったです。
旧海軍司令部壕 名所・史跡
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激しい砲撃の結果月面のクレーターの様になってしまった大地の写真です。おそらく雨が降った後なのでしょうが、水が貯まっているので砲撃跡がどれだけの数あるのかとてもよくわかる写真です。
旧海軍司令部壕 名所・史跡
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ビジターセンターの入口フロアから1階分降りると資料館があります。こちらは資料館の入り口横で海軍壕の遺留品を展示していました。海軍壕は公開部分と非公開部分があり、非公開部分での遺品収集を行っているようです。軍用品から日常生活で使うものまでさまざまなものがありました。
旧海軍司令部壕 名所・史跡
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この作品はコロナ禍の2020年修学旅行が中止になり沖縄に来られなかった岡山県の中学生のものの様です。平和を祈る絵が3点だったかな、展示されていました。
自分が知っている子供達もコロナ禍で修学旅行などの学校行事が出来なかった子も多かったです。やっと状況は回復しましたが、学校行事はその1年しかできないのですから本当にかわいそうな事になってしまたっと思います。旧海軍司令部壕 名所・史跡
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沖縄にたどり着くことなく坊ノ岬沖海戦で撃沈された戦艦大和。在りし日の姿の絵と追悼文が資料館入り口の横に置かれていました。
資料館と海軍壕は有料になっていて、ただ入場するだけだと600円、ガイドブック付きで750円、スマホガイド付きで1000円でした。私はガイドブック付きのチケットを購入しました。旧海軍司令部壕 名所・史跡
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こちらが壕内の案内になります。階段で降りていく必要はありましたが、ものすごい歩き回るというわけではないので足が悪い私でも問題なく見学することは出来ました。
この案内にもありますが、要所要所に当時を再現する絵があるので戦中のイメージもしやすいです。旧海軍司令部壕 名所・史跡
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旧海軍司令部壕内の展示は常設展示の沖縄戦に関する説明がある資料館と、海軍壕内の見学に分かれています。ビジターセンターから入りまずは資料館で沖縄戦に関する展示を見てから海軍壕に降りる形になっています。
入ってすぐに沖縄戦で海軍の指揮を執った大田実中将について説明がありました。旧海軍司令部壕 名所・史跡
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沖縄戦末期に大田中将が海軍省に送った訣別電報の最後に記された「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」は非常に有名になっていてこれを送信したのが大田中将ということは知らなくても文を知っている人は多いと思います。
これは電報の形で送信されていてその電報の音を再現して聞くことが出来る様になっていました。旧海軍司令部壕 名所・史跡
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現代文訳された大田中将の沖縄県民斯ク戦ヘリという電報の全文です。電報の最後に記された部分が沖縄県民斯ク戦ヘリで、それまでの間に沖縄戦が始まってからの状況、特に県民がどのように戦ったかというのを詳細に記しています。
旧海軍司令部壕 名所・史跡
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沖縄戦時の日米の新聞、一日日付がずれていますが時差があるので実質的には同じ日です。毎日新聞も大本営発表ではありますが、さすがに大本営も苦戦が隠し通せなくなった様な内容です。一方ニューヨークタイムスも楽観的な見通しを書いていますが、この後のいわゆる国吉台地の戦いでは米軍に大勢の犠牲者が出るほか、沖縄戦司令官のバックナー中将も戦死することになります。
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沖縄戦の最中の写真。どちらも米軍のものです。右側は沖縄本島への上陸作戦が行われた4月1日の読谷の海岸、左は曳光弾なのか猛烈な砲撃の射線が映り込む飛行場の様子です。元々32軍には水際作戦を行うつもりはなく引き付けて攻撃する方針だったことから沖縄本島への上陸は容易にできたそうです。
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海軍壕の造られた当時の様子や、沖縄戦の様子、海軍壕の構造などが解説されています。この絵は地下の海軍壕でも展示されていて、ここで見るより海軍壕のその場で見た時の方が臨場感というか、戦中に実際にここで起きた事なんだという事は感じました。ただこの資料館であらかじめ見てから行く方がより悲惨さを理解出来る気がします。
旧海軍司令部壕 名所・史跡
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資料館では太平洋戦争の開戦以後の流れなども記されていました。沖縄県に関して言えば10・10空襲以後被害が大きくなっていきますが、以後米軍上陸、そして沖縄戦に関して事細かに記されていて大変勉強になります。
旧海軍司令部壕 名所・史跡
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資料館の展示を終えて海軍壕跡へと降りていきます。途中追悼の間みたいなところがあり(ここ)そこから先は階段で降りていく事になります。
旧海軍司令部壕 名所・史跡
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そこそこ深いところまで降りていく事になりますが、階段の勾配も急ではないですし明るさもある程度あるので特に大変という事はないです。ただこんな深いところに掘ったんだなとわかります(頂上から掘ったわけではないですが・・・。)
旧海軍司令部壕 名所・史跡
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地下壕にたどり着くと戦中の壕の姿に近い姿で保存されています。一本道ではないですが、降りてすぐの所にマップがありますし公開部分もそんなに広いわけではないので迷う事はないと思います。
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こちらが地下壕の中の地図です。オレンジの部分が現在公開されている部分、それ以外は立ち入り禁止区域になっています。降りてくる階段と出口までの通路はそこそこ長さはありますが、中はそんなに広いわけではありません。
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まず最初に入ったのは幕僚室。奥に絵が展示されていますが、こちらで幕僚が作戦指揮などを行っていたのだと思います。ただ1945年6月に入ってからは通信網も寸断され作戦指揮などは困難になっていたのだと思いますが・・・。
コンクリート漆喰で固めた当時のままの姿だそうです。 -
非常に狭いトンネルを進んで行きます。現在は足元は整備され手すりもあり、勾配はあるものの歩きやすくはなっています。ただほぼ手掘りの壁面を見ていると当時は床も凸凹だったんだろうなという想像はできますね。
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こちらは幕僚室だった場所だそうです。奥の壁に大きく破片が飛び散った跡がありますが、これは沖縄戦の際に幕僚が手りゅう弾で自爆し自決した際に出来た手りゅう弾の破片の跡だそうです・・・。
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先ほどより少し広い通路になっていました。上部はコンクリート巻き立てされて補強されていますが株は手掘りのトンネルがそのまま残っています。後で作業に使用されたツルハシを見る事になりますが、手作業で掘るという事自体相当な任務だったのだと思います。
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この通路には沖縄戦末期には兵卒があふれこの絵の様な状況で地獄絵図だったそうです。ものすごい過酷な環境ですが、摩文仁の壕に比べればこれでもまだマシなんでしょうね。
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この小さな部屋は医療室だったそうです。どこの部屋も狭いけどここはひときわ狭く感じました。
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沖縄戦末期はこの様な状態だったそうです。たぶんですがこの絵よりもっと過酷な状態だったのだと思います。
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この海軍壕は手掘りで掘られたそうで、その際に利用されたツルハシが展示されていました。人海戦術で掘ったのでしょうが、そんなに日数もない中相当な労力だったはずです。
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右側の部分は下士官室です。壁がなかったのは元々なのだと思います。下士官室と言えど沖縄戦末期は兵で満員になり室内でも立ちながら過ごしたそうです。
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この狭いスペースに多くの兵が立ったまま収容されていたそうです。絵がありましたが本当に満員列車の様な詰め込みようで・・・。壕でも休憩できる状態ではなくそのまま戦闘に出撃していったようです。
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海軍壕を進んで行くと閉鎖されていますが出口らしきものが見えました・・・。
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この出口の正体はこれでした。なんとも・・・。
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最後に見たこちらは司令官室。沖縄戦の最後、大田中将らがこちらで作戦指揮を執りました。とは言え指揮をとれるような通信状況ではなく、戦死者・負傷者も多く地獄の様な状態だったのだと思います。大田中将は有名な「沖縄県民かくたたかえり」の電報を海軍省へ打電した数日後ここで自決をされました。
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海軍壕自体は短期間で造られた施設であることやそもそも司令部であって地下に掘りめぐらされた攻撃拠点というわけでもないので見学にかかる時間は15分とかです。展示物が多いというわけでもないですし、見るだけならそんなに時間はかからないのでしょうが、いろいろと考えながら見ていると結構な時間を壕の中で過ごしていました。
旧海軍司令部壕 名所・史跡
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見学者用の出口に出る事が出来ました。地下壕とは言えそこまで深くない事、公開部分は約300メートルとそこまで広くないので身体的な負担は少ないものの、ここで起きた事を考えながら歩くと精神的に重くのしかかるものがあります。
旧海軍司令部壕 名所・史跡
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海軍壕に入るときに下った階段も結構な段数でしたし、壕の中も傾斜があったので頂上にあるビジターセンターより結構下の場所に出てきました。これから駐車場まで丘を登っていく必要があります。
海軍壕公園 公園・植物園
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海軍壕から頂上まで戻るために歩いていると慰霊施設みたいなものがありました。花などは手向けられていませんでしたが・・・。
場所と言いここで起きた出来事といい慰霊の場所だと思いますが・・・。
※と思っていたのですが旅行記アップ直前に写真をよく見てみると「伊保門中之墓」と書かれている様です。門中墓はむんちゅうばかと読む様で琉球式のお墓の様ですね。
あえて当初記入していたコメントを残しておきます。海軍壕公園 公園・植物園
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4月とは言え沖縄なので結構暑い。汗だくになりながら歩いていました。小高い丘に海軍壕が掘りめぐらされたという事がよくわかります。付近は宅地化が進んでいますし道路も通ったりはしていますが、この丘は沖縄戦時の姿を強く遺しているのでしょうね。
海軍壕公園 公園・植物園
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駐車場の高さまで戻ってきました。一つ上の写真で同じ高さに見える橋が左下に見える橋です。坂をゆっくりと上がってくればすぐ登ってこれる高さですが高台だけあって遠くまで良く見えます。この写真ではわからないですが、那覇空港も近く離着陸機が見えていました。
今でこそ都市化で見渡す限りの住宅街になっていますが、沖縄戦の時は同じ小禄地区ということもあり飛行場もしっかり見えていたのだと思います。海軍壕公園 公園・植物園
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沖縄市外地の方面を見ています。沖縄は人口は30番目程度の件ですが、人口密度は9位なんですよね。そして沖縄の人口の圧倒的多数は南部に集中しているので那覇市の人口密度はなんと全国で8番目。名古屋よりも人口密度が高いそうです。
マンションも多く平地はほとんど宅地化されているんですよね。こうやって眺めていると名古屋より人口密度が高いというのもなんとなくわかります。海軍壕公園 公園・植物園
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海軍壕を出て次にやってきた、そして沖縄旅行最後の目的地は首里城です。首里城は琉球王国時代の王宮ですが沖縄戦で焼け、その後復元されましたが2019年にも再度焼失してしまいました。そんなわけもあり来るかどうか悩んでいたのですが、復元工事が見える事やビジターセンターなども充実しているということで来てみました。
首里城近くの道は少し入り組んでいましたが迷う事もなく来れましたし駐車場も空いていました。 -
ビジターセンターは新しいようでプロジェクションマッピングなども利用して琉球らしさ?をだしていました。この写真だとわかりにくいですが結構派手でインパクトはありました。
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この一角では琉球の伝統文化や暮らしなどについての解説や、2019年の焼失後の首里城再建方法などについてパネルで解説していました。このビジターセンターは無料ですが(というよりも首里城の再建現場近くまでいかないとお金はかかりません)展示内容は結構あってしっかりみると時間も少しかかりました。
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首里地区の模型も展示されています。王宮があった場所という事もあり少し高台になっている様です。この地区に城が築かれたのは1200年代後半の様ですが、沖縄は三山時代という戦国時代であった事から山に城が造られたのですかね。中国やそれをまねた日本は平地に都を造っていたのでそれは少し謎でした。ちなみにこの地区は1921年から1954年までは首里市という那覇市とは別の独立した自治体でした。
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ビジターセンターの二階ではレストランとフードコートがあり食事が食べられるようになっていました。朝食べてから何も食べていないなーとか、夕食との間隔とかいろいろと考えましたがここで食べていく事にします。レストランは本格的だったのでフードコートにしましたが割とメニューは多いですね。
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食事は結構悩みましたが沖縄そばにしました。注文してすぐに出てきたんですが、なんか見た目は屋台の食事みたいでした(´・ω・`)。
でも味は美味しかったです。暑さで疲れていたのもありますけどね。 -
フードコートの一角には琉球王国時代の籠?でいいのかな展示されていました。案内が目の前に置いてあるんですが反射してしまって読み取れず・・・。
この時スマホの容量がいっぱいになりつつありあまり撮影をしていなかったんですよね。 -
ビジターセンターにはフードコート、レストランのほかお土産屋もありました。ほかにも首里城内にもお土産屋はありましたが、駐車場が地下や付近にあるのでここでお土産を買う人も多いんでしょうね。フードコートは休憩所にもなっていて、暑い季節にはここで休憩する人も多いのだと思います。
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首里城復興ピアノという事でストリートピアノの様に利用できるピアノが置かれていました。ピアノの向こうには首里城の写真があって雰囲気はありますね。私はピアノはやってはいたものの今ではたぶん全然弾けないのでこういうのにはチャレンジできないです。まあ弾けたとしても性格的にできないですが(笑。
ちょっと区切りが悪くなりましたが、3日目の前編はここで終了です。後編では首里城見学、そして東京へのフライトになります。
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