1971/08/19 - 1971/10/07
11509位(同エリア17021件中)
ゆーちさん
この旅行記のスケジュール
1971/08/19
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イスタンブール駅から鉄道でミュンヘンまで移動
1971/09/08
1971/09/20
1971/09/24
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電車での移動
ベラルーシ ミンスクを経由する 郊外の秋の風景
1971/10/03
1971/10/04
1971/10/07
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第4弾 ヨーロッパ4か月間一人旅の締めくくり
イスタンブールからミュンヘン(独)まで鉄道で移動。その後パリ発の帰国列車に乗るためフランスに約一か月滞在。ホームステイをしながらフランス縦断も試みる。パリでの気ままな散策も良かったが、フランスの田舎も広大で起伏に富んで美しかった。馬の大きさに驚く。思いがけず「星の王子様」の作者に謂れのある地域も訪れ旅愁が一層深まった。
9月24日金 パリ北駅からモスクワまで鉄路、モスクワに一泊し翌日シベリア鉄道で終点のナホトカ(ウラジオストック)まで行き、船で横浜港に10月7日到着した。パリから全行程13日間のロングトリップだった。
現在、交通事情も通信状況も一段と進化している。これからの旅はもっとスムーズに出来るだろう。こうしてまとめてみると、時代の変化もさることながら、地球温暖化の波が自然の風景を変えてしまっている事に改めて気づく。
後日談だが、シベリア鉄道の一つの車輌に外国人が集められていたらしい。出会った異国の旅人と寝食を共に過ごしたことが人生に深く刻まれ、それきりではなかった。2013年夏、同行した仲間達数人がデンマークでReUnion(同窓会)をしていた。その際、あの日本人はどうしているかと話題になり、そのうちの一人が私を探し当て、47年後の2018年11月に我が家を訪ねてくれたのである。 驚くことに彼はあのゴア副大統領の著書「不都合な真実」のデータ提供を行ったNOAA(米海洋大気庁)の科学者としてノーベル平和賞を受賞していた。シベリア鉄道最高!人生ってつくづく面白い!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 船
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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イスタンブールから鉄道でブルガリア、ユーゴスラビア経由でミュンヘンに移動する。
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ブルガリア、ユーゴスラビアを通過する際、車内は子供から老人まで様々な民族衣装の人たちで満員だった。さらに色々な言語が飛び交い私はその中で孤独というよりは、人のウォッチングを楽しんでいた。通路に座るところも見つからない状態だった。
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8月21日土 異邦人として喧騒にもまれながらも次第に慣れて来たから不思議であった。やっと座れた頃(15:30)にはミュンヘンに到着した。この写真はミュンヘンの中央駅の近くの公園である。
ミュンヘン中央駅 (ハウプトバーンホフ) 駅
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ミュンヘンの中央マリエン広場の大時計
マリエン広場 広場・公園
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午前11時になったら「からくり人形」が回る。何とも言えない美しい鐘の音と共に回りだす。大勢の観光客が見守る。
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ミュンヘン郊外のユースホステルの前で。知り合った日本人夫婦を撮影。
観光案内所(ミュンヘン) 散歩・街歩き
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日本人夫婦がドイツのアウトバーンを走ってくれた。ドイツに入ると急に建物や人々のユッタリ感と裕福な国というイメージが強くなった。
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8月22日(日) 仲良くなった奥様と。ユースホステルからビール工場が近かったので大きなホールで皆でワイワイ言いながら味わった黒ビールとソーセージはさすが本場の味だった。
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8月24日(火) ミュンヘンからパリに戻り、友人の紹介で、ある家庭に約一カ月ホームステイをさせてもらう。セーヌ川に近いヴィーユ通りのアパートメントの五階に滞在する。ホームステイ先の8歳の少女カトリーヌ
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大学生の長女 名前はジジ 滞在の途中、彼女とは空いていたメメ(ママの母親)のアパルトマンにも一緒に泊まった。
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パリでお世話になったアパートメントでカトリーヌが撮影。
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ある日、ママとカトリーヌとベルサイユ宮殿に行った。再婚のママは前妻の子達3人(それぞれ成人と大学生)と自分の子3人(大学生、高校生、8歳)を精力的にかわいがり、私にもとてもやさしかった。
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ベルサイユ宮殿の中はきらびやかに輝いていた。ルイ14世又はナポレオン?のベッドのサイズが意外に小さく感じた。
ヴェルサイユ庭園 テーマパーク・動物園・水族館・植物園
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パリの一角で一番上のお兄さんクリスチャンとお会いする。結婚したばかりで新居のアパルトマンに後日招待される。
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ピガールから登ったモンマルトルの丘は芸術家たちの溜まり場となっていた。集中して作品を描いている画家たちに声をかけることはできなかったが、見るのは自由だった。この近くに先妻の長女の友人が住んでいて訪れた事があった。
そこで教わったフランス語「あなたに会えて嬉しいです」という挨拶を帰国してからフランス人に言ってみたが全く通じなかったという現実がある。サン ジャン ド モンマルトル教会 寺院・教会
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何回か行ったトロカデロ広場のシャイヨー宮殿 この広場はパリの喧騒を忘れてリラックスできる空間だった。これは西側の海洋博物館。日中は一人でパリ市内を散策して歩くことが多かった。
トロカデロ庭園 テーマパーク・動物園・水族館・植物園
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トロカデロ広場の右 東側 人類博物館 シャイヨー宮にはこの他国立劇場もあり、文化遺産が一か所に集まっている名所だそう。
この二つの間からはエッフェル塔の全体像を完璧にとらえることができる。 -
トロカデロ庭園の中心にある大きな円形の噴水
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トロカデロからエッフェル塔を写す。
エッフェル塔 建造物
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ノートルダム大聖堂 セーヌ川の遊覧船から見た。一か月近くもパリに滞在したのにここへはとうとう行かずじまいだったのが残念である。セーヌ川の遊覧船ではお酒も入ってオディールの息子さんと踊った記憶がある。
ノートルダム大聖堂 寺院・教会
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ホームステイ先のママ(オディール)はお昼が済んだらすぐに夕食の下ごしらえをして、夕方の時間だけ市場で卵売りをするのが日課だった。私もお手伝いを買って出た。
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ひょんなことからメメの住む南フランスまで、息子さんとヒッチハイクで行くことになった。ここは、中部フランス アンドル県ノアン地方の最古の教会という。車に乗せてくれたDr.ラブリルという男性が、迷信の多いこの地域を案内してくれた。彼は「星の王子様」の著者サンテグジュペリの住んでいた家に住んでいてそのお城のような家も案内してくれた。「愛の妖精(プチ ファデット)」はジョルジュ・サンドがこの地方を舞台に書き綴ったという。彼女の家のすぐ近くの教会。
クレルモン旧市街 旧市街・古い町並み
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オルレアン、クレルモンフェラン、ツールーズ、カルカッソンヌなどを巡り南フランスのサンタフリックに到着。メメが住む町。彼女の家から見渡した町の風景。
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サンタフリックでメメと。訪問した日、メメお手製のフランス料理で最愛の孫と私をもてなしてくれた。エスカルゴは初めての味。苺ミルクで炊いた甘いご飯も印象に残っている。
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9月8日水
カルカッソンの’シテ‘入り口。外周約3キロの城壁で囲まれた街がある。内部は非常に複雑に込み入っていた。残暑厳しい毎日に閉口する。同行してくれた息子さんも初めて訪れると言っていた。彼が通訳やボディーガードをしてくれるので頼もしかった。カルカソンヌ城の城壁 建造物
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聖ナザレ大聖堂(絵葉書) Carcassonneの中にある大聖堂 中から見るステンドグラスが有名
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’VALRAS-PLAGE’(絵葉書) 南仏の港に着いた。エーゲ海はエメラルドブルー。一旦マルセイユに行きそこから一路鉄道でパリへと戻った。この旅は人生の栞のように私の記憶に残っている。
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9月17日金 ジジと街歩き
先妻の長女ジジは私と同世代のせいか気が合ったし時々散歩などで共に過ごした。二人で散歩した時のサン・マルタン・デ・シャン教会(史跡)パリの大修道院(1140年建築) ロマネスク様式の鐘楼。 -
コンコルド広場 セーヌ川右岸(北側)にあり、パリ最大の広場。オベリスクはエジプトから贈られた。ルーブル美術館と凱旋門の間に位置する。18世紀後半にルイ15世の命で建設された。ルーブル美術館にガラスのピラミッドはまだ無かった。
コンコルド広場 広場・公園
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9月18日土 ホームステイ先の次男ディディエ(大学生)がニューヨークへ旅立つ朝。彼を見送ってから8歳のCatrineに誘われてプールへ行った。後で笑われたが、背が立たないほどの水深で、溺れそうになって小学生の彼女と監視員に助けられたというエピソードがある。
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9月20日月
ママ(オディール)に連れて行ってもらったオルレアンのシャトウ・ドゥ・シャンボール宮殿 ロワール溪谷に点在する城の中で最大の広さを持つ。シャンボール城 城・宮殿
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お城の背後は広大な狩の広場。城主フランソワ一世の狩猟小屋を始まりとした城だったのが広場の由来。
滞在が終わりに近づいた頃、長男クリスチャンが新居に私を招いてくれた。天窓のある素敵な部屋だった。新妻マリークリステンの料理が素晴らしく美味しく、トマトのファルシーなどホテルのような何種類もの家庭料理を冷蔵庫にいっぱい作って待っていてくれた。クリスチャンはギターとソロでもてなしてくれた。
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ホームステイ先の家族と久々の食事に出る。パパのお兄さんも加わって4人でパリ郊外のレストランに行く
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パパは馬肉が大好きでよくワインのお伴にしていた。
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パパは日中から夜遅くまで働いていたが、大変かわいがってくれた。この後帰国の途につく。
9月24日 家族と涙の別れ。ママに北駅まで送ってもらい、パリ発の帰国列車に乗った。二人で何も言えずハグ、別れがつらかった。パリ北駅 駅
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15時36分 パリ北駅発シベリア鉄道の乗車券一式。ベルリン~ワルシャワ経由 国境検査 ミンスクを経由してモスクワへ
写真はUSSR鉄道輸送の冊子(左)とパリから横浜迄のチケット(CGTT)。三度の食事もベッドも込みで往路の航空運賃も含め20万円程だった。パリ北駅 駅
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帰国に向けてソビエト連邦を横断する鉄道の旅が始まった。ベラルーシの田園風景。約半世紀後に侵略戦争がすぐ近くで勃発するなんて誰が想像できただろう?
カルパチア山地のブナ原生林(ウクライナ) 森林・ジャングル
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車窓からのソビエト連邦の民家
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9月26日日 16時ころモスクワ着 クレムリンは夕陽に照らし出されていた。
当時ソ連を鉄道で旅する人はモスクワで一泊しなければならず、私達も指定されたホテルで一泊した。シャワーを出すとカランが外れてヘッドが飛んでったことを思い出す。水の温度も温かくなったり冷たくなったり、、、。赤の広場 広場・公園
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9月27日月 モスクワ 10時05分出発
シベリア鉄道の乗務員はたいていこのような制服の女性でがっしりとした体格で頼もしかった。写真はUSSR鉄道輸送の冊子より。 -
ソビエト時代の鉄道の絵葉書(表)
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絵葉書の裏面にはTake advantage of SZD international trains and carriages, the most convenient way of travel. と 英、仏、独、ロシア語で書かれていた。
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シベリア鉄道にはSLも幅を利かせて走っていた。この辺りでカメラのカラーフィルムを使い果たし、白黒しかなくなる。
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同じ車両にて旅を楽しんだのは、財界で成功したオランダ系米人アントワン、オーストラリアでアジアの女性民俗学を研究するアリソン、ユーゴスラビアの若夫婦ヤヌス&ドゥシツ、ノルウェーの一人旅の若者ウルフ、デンマークの「楽焼」研究者で後にガラスアート美術館を建てたフィン、スイスの赤十字社に勤めるピーターとアネッテ(シベリア鉄道をきっかけに結婚)などなど。
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停車する駅では近所のおばさんたちがお手製のロシア料理を売っていた。ピロシキは絶品だった。マリインスク駅、機関車の交換作業で長時間停車する。
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乗客も時々降りて外の新鮮な空気を吸って体をほぐす。
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シベリアの地平線
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列車内で明るくよく話す人物 ラス。 彼が将来ノーベル賞受賞者になるとは!
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木造のシンプルな家
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シベリアからモンゴルの国境を望む地平線 イルクーツクあたり
イルクーツク旅客駅 駅
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ゲームに興じるエイドリアン(英)とフィン(デンマーク)反対側から見ているアントワン(米)。
頭の上の両サイドには二段ベッドの一部(手摺)が見えている。コンパートメントは六人座れるが、夜は寝台車となるため上下に二人、反対側にも二人の寝台が四つセットされる。 -
寝台列車の旅もまた楽し。ハバロフスクも近い。
シベリア鉄道の食事は3食付いていた。朝食はパン、スープ、卵料理。昼食と夕食はチキンかポークを選ぶ設定だった。どれも時間が決まっていた。食堂車で皆で食べるので楽しい時間だった。
写真は「USSR鉄道輸送」の冊子より。 -
「フィフス・ディメンション・ティクタク・トウ」と呼ばれていたゲームに嵩じるロシア人達。彼らも同じ車両に乗っていた。
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10月3日日 ハバロフスク着22時過ぎ なのにあたりはまだ明るい。
ハバロフスクの駅から住宅街を見る ここでは結構長く停車したので、オーストラリアの女性アリソンはデパートに行って毛皮の帽子を買っていた。このまま車中泊。ハバロフスク駅 駅
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近くを流れるアムール川 とても広大で川とは思えなかった。海と言われても信じるほどの広がりだった。
アムールは「黒い川」のことでモンゴルの北部を源流とし、ロシアと中国の国境付近を西の方から流れてきてハバロフスクで北へ流れを変え間宮海峡に注ぐ。オホーツクの流氷はアムール川の河口でできた氷が南下し、北海道の東に流れ着く。
川の全長4350kmで世界8位(これは後で調べた事)。アムール川 滝・河川・湖
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ハバロフスクの市庁舎の前には黒くて見えづらいがレーニンの銅像が立っていた。
10月4日月 朝4時30分 列車は出発した。ハバロフスク 散歩・街歩き
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ナホトカ航路の船。鉄道の旅が終り、いよいよ船旅へ。日本は近い。
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10月5日火 ナホトカ港を12:00 出航した。港を振り返る。
初日から夕食にキャビアが出てきた。我々は「キャビア~!!」と叫んで喜んだ。
後日談だが、このサービスは、お金持ちのアントワンが密かに乗務員に交渉し有料で頼んでいたのだと47年後にラスが教えてくれた。ウラジオストック駅 駅
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ナホトカ航路 甲板でユーゴの青年ヤヌスとデンマークの陶芸家フィンが話し込む。
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ナホトカ港を出発して間もなく、甲板からフィンと港を写す。
彼はデンマークから日本の「楽焼」を研究するためにやってきた。とても親切な男性で、いろいろ話題が尽きなかった。自国では自分の家も自力で建てたそうだ。
旅を終えた後にデンマークのガラスアート作家として人間国宝になり、美術館も立てた人物。Re Unionから2年後に亡くなったと聞いた。とてもショックだった。 -
甲板で寛ぐ乗船客。船旅は誰もが時間を持て余す。巨大なチェスも用意されていた。それぞれに日本への思いを抱きつつシベリア鉄道に続く船旅の終盤に入った。
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北海道と青森県の間、津軽海峡を通過する。日本列島が見えた時のどきどき感は忘れられない。
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津軽海峡のこの波さえ「ふるさと」のように感じた。パリから出発してモスクワに一泊し、世界最長(93000km)と言われるシベリア鉄道でバイカル湖、イルクーツク、アムール川、ハバロフスク、ナホトカ港まで11日間。さらに船で2日間かかる。
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円窓から見た日本列島の山々が目に映る。その稜線はなだらかでやさしく、ヨーロッパアルプスの切り立った稜線とは随分違うことに改めて気づく。この部屋ではアリソンと同室だった。
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10月7日木 やがて船は無事横浜港に到着し長い旅が終った。
旧横浜港駅 プラットホーム 名所・史跡
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日本の港に無事入国許可
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横浜港にて入国
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愛読書「ヨーロッパ ユースホステルの旅」実業之日本社出版 は旅のお供として大活躍してくれた。
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トラベラーズチェックは15ドル残っていたのでお札に戻してもらった。1ドル360円の時代。総額90万円弱の節約旅行だったが、病気もせず思う存分楽しんで来れたのは幸運だった。
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日本に着いてからシベリア鉄道で知り合った何人かが自身の帰国の前に実家を訪ねてくれた。母の作った盆栽に関心を示している。写真は北欧ノルウェー出身のウルフとデンマークのフィン。
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日本の「楽焼」に興味のあったフィンが墨で描いた「梅」。実家を訪問した際、丁度母が水墨画を習い始めており、道具を渡すとスラスラと書いた。
ノルウェーのウルフは日本からオーストラリアに渡り、アジア諸国を廻って帰国したまでは手紙や絵葉書でやり取りしていたがその後の消息はわからない。 -
`2013 Re Union in Demark' ラスが送ってくれた手紙に同封されていた同窓会の写真。
Back ; ピーター、アントワン、アネッテ、ラス、ラス婦人
Front ; アリソン、 フィン
ピーターとアネッテはシベリア鉄道での出会いをきっかけに結婚し、現在スイスのお城を買って住んでいる。 -
2018.11
47年ぶりのラスとの再会だった。当時の話やその後の人生などお互いに話が尽きなかったのは言うまでもない。彼との再会によって一人旅が甦り人生を一層豊かにしてくれた。
*遥か昔の旅記録に最後までお付き合い頂き恐縮至極です。お疲れさまでした。
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旅行記グループ
ユースホステル一人旅
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