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奈良時代に開湯とされる古湯玉造温泉で迎えた島根最終日、今日も暑くなりそうな予感。<br />今日は意宇六社を回り切り、関西の渋滞に巻き込まれる前に帰途に着きたい。

二泊三日で島根県出雲大社と意宇六社巡り 三日目

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2024/05/25 - 2024/05/25

203位(同エリア313件中)

kimi shinさん

奈良時代に開湯とされる古湯玉造温泉で迎えた島根最終日、今日も暑くなりそうな予感。
今日は意宇六社を回り切り、関西の渋滞に巻き込まれる前に帰途に着きたい。

旅行の満足度
4.0
観光
3.5
ホテル
2.5
交通
2.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車 徒歩
  • 食事前に宿の前から玉湯川下流を眺める。<br />随分と高い橋脚は山陰自動車道の玉造温泉橋になります。<br />島根最終日は意宇六社を回り切り、関西の渋滞に巻き込まれる前に帰途に着きたい。

    食事前に宿の前から玉湯川下流を眺める。
    随分と高い橋脚は山陰自動車道の玉造温泉橋になります。
    島根最終日は意宇六社を回り切り、関西の渋滞に巻き込まれる前に帰途に着きたい。

  • その前に朝御飯を食べておかないとね。

    その前に朝御飯を食べておかないとね。

  • 宿から玉湯川上流の眺め、この道を先に進み、信号の角に玉作湯神社があるという。<br />社頭には駐車場もあるという事なので、車で神社に向かう。最終日一社目はここからスタートしよう。

    宿から玉湯川上流の眺め、この道を先に進み、信号の角に玉作湯神社があるという。
    社頭には駐車場もあるという事なので、車で神社に向かう。最終日一社目はここからスタートしよう。

  • 9:00<br />玉井別館から車でものの2~3分で玉作湯神社駐車場着。<br />大型車なら10台ほど駐車できる無料駐車場で、この時間だと余裕で駐車できました。<br />鳥居をくぐった左側に社務所があり、大きな願いがある方は、こちらで「叶い石」とお守り袋、願い札のセットを購入し参拝に向かいます。<br />もっとも、黙っていても「叶い石如何ですかぁ」と積極的に声がかかるはずです。

    9:00
    玉井別館から車でものの2~3分で玉作湯神社駐車場着。
    大型車なら10台ほど駐車できる無料駐車場で、この時間だと余裕で駐車できました。
    鳥居をくぐった左側に社務所があり、大きな願いがある方は、こちらで「叶い石」とお守り袋、願い札のセットを購入し参拝に向かいます。
    もっとも、黙っていても「叶い石如何ですかぁ」と積極的に声がかかるはずです。

  • 当社は奈良時代の「出雲風土記」天平5年(733)に記される古社で、玉作の神 櫛明玉命と国造りと温泉療法の神 大名持命と温泉守護の少彦名命の三柱を祀り、配神に五十猛神が祀られる<br />国指定史跡出雲玉作跡(宮ノ上地区)の一画にあり、花仙山一帯では最古の玉作り遺跡。<br />弥生時代から玉作が行われ、江戸時代には「湯姫大明神」、「湯舩大明神」等と呼ばれ、藩主の崇敬も厚かった。<br />明治以降、天皇即位の式典には、ここで作られた瑪瑙・碧玉製品が献上されていた。<br /><br />祭神の櫛明玉命は、三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉をこの地で造られたと伝わり、神社には多数の勾玉や管玉が社宝として保管されている。

    当社は奈良時代の「出雲風土記」天平5年(733)に記される古社で、玉作の神 櫛明玉命と国造りと温泉療法の神 大名持命と温泉守護の少彦名命の三柱を祀り、配神に五十猛神が祀られる
    国指定史跡出雲玉作跡(宮ノ上地区)の一画にあり、花仙山一帯では最古の玉作り遺跡。
    弥生時代から玉作が行われ、江戸時代には「湯姫大明神」、「湯舩大明神」等と呼ばれ、藩主の崇敬も厚かった。
    明治以降、天皇即位の式典には、ここで作られた瑪瑙・碧玉製品が献上されていた。

    祭神の櫛明玉命は、三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉をこの地で造られたと伝わり、神社には多数の勾玉や管玉が社宝として保管されている。

  • ニノ鳥居から境内方向を見上げる。<br />古い形の狛犬や燈籠を過ぎ、石段中ほどの右側に出雲玉作跡出土品収蔵庫がありますが、公開されていません。

    ニノ鳥居から境内方向を見上げる。
    古い形の狛犬や燈籠を過ぎ、石段中ほどの右側に出雲玉作跡出土品収蔵庫がありますが、公開されていません。

  • 境内の全景。<br />正面が社殿で右方向に境内社や湯山遥拝殿があります。

    境内の全景。
    正面が社殿で右方向に境内社や湯山遥拝殿があります。

  • 拝殿額は「縣社玉作湯神社」

    拝殿額は「縣社玉作湯神社」

  • 本殿はこの辺りでは定番の大社造りで、現在の本殿は安政4年(1857)の再建という。

    本殿はこの辺りでは定番の大社造りで、現在の本殿は安政4年(1857)の再建という。

  • 境内右の境内社と右手の湯山遥拝殿。

    境内右の境内社と右手の湯山遥拝殿。

  • 湯山遥拝殿の解説から抜粋。<br />御祭神は湯山主命(大己貴神)<br />湯山主命は温泉守護、温泉療法・諸病平などの守護神。<br />往時より近里・遠群はじめ地域住民から篤く信仰され古歌にも詠われた。<br />神社宮山に続く玉作要害山は、往古「湯山」と称され、その谷を湯谷と呼ばれていたことが古書に記されている。<br />その湯山の主が湯山主命であり、今も広く景仰されている。<br />この遥拝所は古事記編纂1300年、出雲国風土記編纂1280年を記念し遥拝所を整備したもの。

    湯山遥拝殿の解説から抜粋。
    御祭神は湯山主命(大己貴神)
    湯山主命は温泉守護、温泉療法・諸病平などの守護神。
    往時より近里・遠群はじめ地域住民から篤く信仰され古歌にも詠われた。
    神社宮山に続く玉作要害山は、往古「湯山」と称され、その谷を湯谷と呼ばれていたことが古書に記されている。
    その湯山の主が湯山主命であり、今も広く景仰されている。
    この遥拝所は古事記編纂1300年、出雲国風土記編纂1280年を記念し遥拝所を整備したもの。

  • 遥拝所左手の湯山神蹟。

    遥拝所左手の湯山神蹟。

  • 本殿右手の山肌にある願い石。<br />真玉の泉で清めた「叶い石」を左の「湯山主之大神」の前にある丸い球にそっと当て、願い事を三度唱え、願い石を家に持ち帰れば願いが叶うという。<br />当然ながら願いが叶えばお礼参りが必要になります。<br /><br />玉作湯神社<br />祭神 / 櫛明玉命、大名持命、少彦名命、五十猛神<br />所在地 / 島根県松江市玉湯町玉造508<br /><br />次は意宇六社の一つ眞名井神社に向かうため、県道263号線と国道9号線で東に向かって車を走らせます。

    本殿右手の山肌にある願い石。
    真玉の泉で清めた「叶い石」を左の「湯山主之大神」の前にある丸い球にそっと当て、願い事を三度唱え、願い石を家に持ち帰れば願いが叶うという。
    当然ながら願いが叶えばお礼参りが必要になります。

    玉作湯神社
    祭神 / 櫛明玉命、大名持命、少彦名命、五十猛神
    所在地 / 島根県松江市玉湯町玉造508

    次は意宇六社の一つ眞名井神社に向かうため、県道263号線と国道9号線で東に向かって車を走らせます。

  • 9:45 眞名井神社到着。<br />松江市山代町までは約15㌔、20分程で写真のような、水田が一面に広がる開放的な光景に変わります。<br />道路も400㍍の直線道路でしかも一方通行、車道というより農道なんだろうか。<br />中央には松が植えられ、なんだが参道の様にも見えます。<br />まさしくここが眞名井神社の参道で、以前は水田の中に立派な松並木が神社に続く光景が広がっていた、それも松枯れで荒廃し、道路を含め復元されたものと言う。<br />この道の先は意宇川の堤防道路に続き、往古はこの川で禊をして神社に参詣していたのかもしれません。<br /><br />神社には駐車場はありません、車は道路左側の空き地に止めさせてもらいました。

    9:45 眞名井神社到着。
    松江市山代町までは約15㌔、20分程で写真のような、水田が一面に広がる開放的な光景に変わります。
    道路も400㍍の直線道路でしかも一方通行、車道というより農道なんだろうか。
    中央には松が植えられ、なんだが参道の様にも見えます。
    まさしくここが眞名井神社の参道で、以前は水田の中に立派な松並木が神社に続く光景が広がっていた、それも松枯れで荒廃し、道路を含め復元されたものと言う。
    この道の先は意宇川の堤防道路に続き、往古はこの川で禊をして神社に参詣していたのかもしれません。

    神社には駐車場はありません、車は道路左側の空き地に止めさせてもらいました。

  • 眞名井神社社頭は茶臼山の南麗にあり、社頭の前を県道247号線が横切っています。<br />松江平野を見渡せる背後の茶臼山(標高171㍍)には、地の利を生かして山城も作られたようです。

    眞名井神社社頭は茶臼山の南麗にあり、社頭の前を県道247号線が横切っています。
    松江平野を見渡せる背後の茶臼山(標高171㍍)には、地の利を生かして山城も作られたようです。

  • 社頭を守護する狛犬(年代は不明)。

    社頭を守護する狛犬(年代は不明)。

  • 鳥居左手の手水「真名井の手水」<br />今の眞名井神社、出雲風土記では、神祇官社に眞名井社、不在神祇官社に末那為社が載っており、神祇官社が本社にあてられ、不在神祇官社は境内社があてられ、眞名井社は、元は近くの眞名井の滝にあったとされます。<br />その眞名井の滝は社頭前の県道を右手に進み、茶臼山へ少し分け入った辺りにあるらしいが入口が良く分からなかった。<br />この手水はその眞名井の滝から引かれているものだろうか。

    鳥居左手の手水「真名井の手水」
    今の眞名井神社、出雲風土記では、神祇官社に眞名井社、不在神祇官社に末那為社が載っており、神祇官社が本社にあてられ、不在神祇官社は境内社があてられ、眞名井社は、元は近くの眞名井の滝にあったとされます。
    その眞名井の滝は社頭前の県道を右手に進み、茶臼山へ少し分け入った辺りにあるらしいが入口が良く分からなかった。
    この手水はその眞名井の滝から引かれているものだろうか。

  • 眞名井神社鳥居から石段と拝殿の眺め。<br />上り口に青竹の杖が置かれていますが、そこまで急なものではないので大丈夫かな。<br />ただ不規則な石積みの石段は、角が取れて滑りやすいので足元だけはよく見ていく必要がある。

    眞名井神社鳥居から石段と拝殿の眺め。
    上り口に青竹の杖が置かれていますが、そこまで急なものではないので大丈夫かな。
    ただ不規則な石積みの石段は、角が取れて滑りやすいので足元だけはよく見ていく必要がある。

  • 石段を上ると一対の狛犬と目の前に拝殿が建てられています。

    石段を上ると一対の狛犬と目の前に拝殿が建てられています。

  • 拝殿から本殿域の眺め。<br />四方吹き抜けで梁間・桁行三間のシンプルなもので、礎石の上に柱を建てただけで床はなく、昭和9年(1934)に建てられたもの。

    拝殿から本殿域の眺め。
    四方吹き抜けで梁間・桁行三間のシンプルなもので、礎石の上に柱を建てただけで床はなく、昭和9年(1934)に建てられたもの。

  • 本殿域の中門の神紋は二重亀甲に有の文字が入る。<br />

    本殿域の中門の神紋は二重亀甲に有の文字が入る。

  • 本殿域右側から見る大社造りの本殿。<br />現在の本殿は寛文2年(1662)に建てられもので、本殿内面に極彩色の壁画が描かれているという。<br />江戸時代には「伊弉諾社」と呼ばれ、明治初年に現在の眞名井神社に改称した。

    本殿域右側から見る大社造りの本殿。
    現在の本殿は寛文2年(1662)に建てられもので、本殿内面に極彩色の壁画が描かれているという。
    江戸時代には「伊弉諾社」と呼ばれ、明治初年に現在の眞名井神社に改称した。

  • 社務所右の真名井神社解説。<br />「県指定建造物 真名井神社本殿<br />昭和49年12月27日指定<br />社殿は本殿、中門、拝殿、神楽殿、境内社から成る。<br />本殿は大社造り檜皮葺きで周囲に透塀をめぐらす。<br />祭神は伊弉諾尊、天津彦根命(山代直の祖)<br />当社は出雲国風土記にいう「真名井社」、延喜式に記す「真名井神社」で古い歴史をもつ意宇六社の一社である。<br />背後の山は神名樋山で出雲国内四神名樋山の一つで東南麓に真名井の滝を存す。 <br />中世・近世は「伊弉諾社」として知られていたが明治以後は旧号に復し村社に列さられていた。<br />現本殿は、寛文2年(1662)の軸立で、内殿は正面に向っている。<br />殿内には彩色絵がある。<br />拝殿は昭和9年に新築された土間床の造り。<br />境内社には末那為神社(向って右)、児守神社(向って左)、宍道若宮社、山代神社、荒神社が合祀してある。 なお、神紋は二重の亀甲に「有」の字。祭日は10月17日である。」<br /><br />神名樋、出雲国風土記の神名樋の山は4ヶ所が記されています。<br />・意宇郡の神名樋野  松江市の茶臼山 眞名井社。<br />・秋鹿郡の神名火山  松江市の朝日山 佐太大神社。<br />・楯縫郡の神名樋山  出雲市の大船山 多久ノ社。<br />・出雲郡の神名火山  出雲市の仏経山 曽支能夜社。<br />これらの神名樋の山を?地図に落として見る?と、宍道湖と出雲平野を見守るように神の宿る山が聳えているのが分かります。<br /><br />意宇六社 眞名井神社<br />祭神 / 伊弉諾尊、天津彦根命、<br />所在地 / 島根県松江市山代町84<br /><br />帰りの時間も気になりだしますが、次は参道を南下して、意宇川右岸を上流に向かった先に鎮座する六所神社に向かいます、移動時間は2・3分程度です。

    社務所右の真名井神社解説。
    「県指定建造物 真名井神社本殿
    昭和49年12月27日指定
    社殿は本殿、中門、拝殿、神楽殿、境内社から成る。
    本殿は大社造り檜皮葺きで周囲に透塀をめぐらす。
    祭神は伊弉諾尊、天津彦根命(山代直の祖)
    当社は出雲国風土記にいう「真名井社」、延喜式に記す「真名井神社」で古い歴史をもつ意宇六社の一社である。
    背後の山は神名樋山で出雲国内四神名樋山の一つで東南麓に真名井の滝を存す。 
    中世・近世は「伊弉諾社」として知られていたが明治以後は旧号に復し村社に列さられていた。
    現本殿は、寛文2年(1662)の軸立で、内殿は正面に向っている。
    殿内には彩色絵がある。
    拝殿は昭和9年に新築された土間床の造り。
    境内社には末那為神社(向って右)、児守神社(向って左)、宍道若宮社、山代神社、荒神社が合祀してある。 なお、神紋は二重の亀甲に「有」の字。祭日は10月17日である。」

    神名樋、出雲国風土記の神名樋の山は4ヶ所が記されています。
    ・意宇郡の神名樋野  松江市の茶臼山 眞名井社。
    ・秋鹿郡の神名火山  松江市の朝日山 佐太大神社。
    ・楯縫郡の神名樋山  出雲市の大船山 多久ノ社。
    ・出雲郡の神名火山  出雲市の仏経山 曽支能夜社。
    これらの神名樋の山を?地図に落として見る?と、宍道湖と出雲平野を見守るように神の宿る山が聳えているのが分かります。

    意宇六社 眞名井神社
    祭神 / 伊弉諾尊、天津彦根命、
    所在地 / 島根県松江市山代町84

    帰りの時間も気になりだしますが、次は参道を南下して、意宇川右岸を上流に向かった先に鎮座する六所神社に向かいます、移動時間は2・3分程度です。

  • 10:10 六所神社参道入口到着。<br />参道の南を流れる意宇川の眺め、先に見える橋を渡った左に大草古墳群もあります。

    10:10 六所神社参道入口到着。
    参道の南を流れる意宇川の眺め、先に見える橋を渡った左に大草古墳群もあります。

  • 意宇川の堤防から参道、六所神社の社叢の眺め。<br />川へ降りる石段が整備されており、ここも禊場のような雰囲気が漂う。<br />堤防道路沿いに狛犬が安置されており、堤防道路から下に降り神社に向かいます。<br />車は堤防下の写真右側の広場に停めさせてもらいました。

    意宇川の堤防から参道、六所神社の社叢の眺め。
    川へ降りる石段が整備されており、ここも禊場のような雰囲気が漂う。
    堤防道路沿いに狛犬が安置されており、堤防道路から下に降り神社に向かいます。
    車は堤防下の写真右側の広場に停めさせてもらいました。

  • 意宇六社 六所神社社頭全景。<br />鳥居はなく、左手に「出雲国総社 六所神社社標」と今にも飛びかからんばかりの狛犬が守護する。<br />この地方の神社で見かける形のもので、こうした姿のものを出雲型と呼ぶようです。<br />いずれも柔らかい素材の来待(きまち)石が使われ、宍道湖周辺が産地とされます。<br />宍道湖の南の宍道町東来待には、採掘場を公開した「モニュメントミュージアム来待ストーン」があり、来待石が古代から現在までどのように利用され、出雲から各地に広がったのか知ることができます。

    意宇六社 六所神社社頭全景。
    鳥居はなく、左手に「出雲国総社 六所神社社標」と今にも飛びかからんばかりの狛犬が守護する。
    この地方の神社で見かける形のもので、こうした姿のものを出雲型と呼ぶようです。
    いずれも柔らかい素材の来待(きまち)石が使われ、宍道湖周辺が産地とされます。
    宍道湖の南の宍道町東来待には、採掘場を公開した「モニュメントミュージアム来待ストーン」があり、来待石が古代から現在までどのように利用され、出雲から各地に広がったのか知ることができます。

  • 六所神社随神門から拝殿の眺め。

    六所神社随神門から拝殿の眺め。

  • 拝殿に架けられている注連縄も見事な大きさのもの。<br />こちらの神紋も二重亀甲に有の文字が入る。

    拝殿に架けられている注連縄も見事な大きさのもの。
    こちらの神紋も二重亀甲に有の文字が入る。

  • 本殿は大社造り、地元ではなかなかお目にかからない造りですが、出雲に来れば普通に見られます。<br />祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、天照皇大神、月夜見命、素盞鳴命、大己貴命を祀る。<br />島根県神社庁の解説は以下。<br />「『延喜式』、『出雲国風土記』に記載されている古社。<br />奈良時代以降は「出雲国総社」として社格を有し、国内の神社に奉る幣帛を班つ班弊式や諸祈願は、出雲国内の神主を当社に集め、国司が斎行した。<br />王朝時代以来続く古伝「御田饌神事」は、観応元年(1350)までは勅使の御参向があり、その行列と儀式を描いた壁画は県の文化財に指定されている。<br />出雲国造家と関わりの深い「意宇六社」の一つで、御本殿は大社造、神紋は二重亀甲に「有」である。<br />この神紋は、出雲大社の古来の神紋であり、神魂神社と眞名井神社も同紋である。」<br />なにかと亀甲紋を目にするので気になっていたが、そういうことですか。<br />神社の創建は不詳ですが、出雲国風土記(733)、延喜式神名帳(927)に記される古社。<br /><br />出雲国総社六所神社、ここに参拝すれば出雲国内の神社に参拝するに等しいことになる。<br />その理由の一旦を知る場所が社地後方に広がっています。

    本殿は大社造り、地元ではなかなかお目にかからない造りですが、出雲に来れば普通に見られます。
    祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、天照皇大神、月夜見命、素盞鳴命、大己貴命を祀る。
    島根県神社庁の解説は以下。
    「『延喜式』、『出雲国風土記』に記載されている古社。
    奈良時代以降は「出雲国総社」として社格を有し、国内の神社に奉る幣帛を班つ班弊式や諸祈願は、出雲国内の神主を当社に集め、国司が斎行した。
    王朝時代以来続く古伝「御田饌神事」は、観応元年(1350)までは勅使の御参向があり、その行列と儀式を描いた壁画は県の文化財に指定されている。
    出雲国造家と関わりの深い「意宇六社」の一つで、御本殿は大社造、神紋は二重亀甲に「有」である。
    この神紋は、出雲大社の古来の神紋であり、神魂神社と眞名井神社も同紋である。」
    なにかと亀甲紋を目にするので気になっていたが、そういうことですか。
    神社の創建は不詳ですが、出雲国風土記(733)、延喜式神名帳(927)に記される古社。

    出雲国総社六所神社、ここに参拝すれば出雲国内の神社に参拝するに等しいことになる。
    その理由の一旦を知る場所が社地後方に広がっています。

  • 六所神社の後方一帯は奈良、平安時代に出雲国庁のあった場所で、現在は発掘調査に基づき、広大な一帯に掘立て柱が建てられ当時の姿を想像することができます。

    六所神社の後方一帯は奈良、平安時代に出雲国庁のあった場所で、現在は発掘調査に基づき、広大な一帯に掘立て柱が建てられ当時の姿を想像することができます。

  • 古代出雲の中心となったこの場所にあって、六所神社は最も近くに鎮座する事から総社とするのが都合が良かったのだろう。<br />車を停めた広場の前に解説板があり、その傍に資料が入ったステンレスの箱があるので、訪れた際には銀ピカの箱を開けて見てください。

    古代出雲の中心となったこの場所にあって、六所神社は最も近くに鎮座する事から総社とするのが都合が良かったのだろう。
    車を停めた広場の前に解説板があり、その傍に資料が入ったステンレスの箱があるので、訪れた際には銀ピカの箱を開けて見てください。

  • 社頭から少し東に歩いてみました。<br />途中で見かけたマンホール、松江城付近の武家屋敷の長屋門と石畳をモチーフにしている。

    社頭から少し東に歩いてみました。
    途中で見かけたマンホール、松江城付近の武家屋敷の長屋門と石畳をモチーフにしている。

  • 右手が社地西端で、北側には平坦な土地が広がり、左手に先程訪れた眞名井神社が鎮座する茶臼山を見渡すことができます。<br />国府の規模はここから眞名井神社参道付近におよんでいたという。<br /><br />意宇六社 六所神社<br />祭神 / 伊邪那岐命、伊邪那美命、天照皇大神、月夜見命、素盞鳴命、大己貴命<br />所在地 / 島根県松江市大草町496<br /><br />ゆっくり歩きたい場所ですが、この先もあるので最後の目的地「意宇六社 揖夜神社」に向かいます。<br />鎮座地の東出雲町揖屋まで東に約7㌔、長閑な郊外から市街地に入るので交通量も増え時間も読めません。

    右手が社地西端で、北側には平坦な土地が広がり、左手に先程訪れた眞名井神社が鎮座する茶臼山を見渡すことができます。
    国府の規模はここから眞名井神社参道付近におよんでいたという。

    意宇六社 六所神社
    祭神 / 伊邪那岐命、伊邪那美命、天照皇大神、月夜見命、素盞鳴命、大己貴命
    所在地 / 島根県松江市大草町496

    ゆっくり歩きたい場所ですが、この先もあるので最後の目的地「意宇六社 揖夜神社」に向かいます。
    鎮座地の東出雲町揖屋まで東に約7㌔、長閑な郊外から市街地に入るので交通量も増え時間も読めません。

  • 11:30 揖夜神社社頭に到着。<br />東出雲IC付近から出雲郷東の信号にかけて、ICから降りた車と一般道を走る車が合流して渋滞し、信号の右折も滞り、捨て左折したらえらく遠回りになり時間を無駄にした。<br />この日が土曜日なのを忘れていました。<br />県道191号線の南に接する社頭は、石の明神鳥居、左に手水舎があり、社殿は左のしており、<br />さあ最後の参拝。

    11:30 揖夜神社社頭に到着。
    東出雲IC付近から出雲郷東の信号にかけて、ICから降りた車と一般道を走る車が合流して渋滞し、信号の右折も滞り、捨て左折したらえらく遠回りになり時間を無駄にした。
    この日が土曜日なのを忘れていました。
    県道191号線の南に接する社頭は、石の明神鳥居、左に手水舎があり、社殿は左のしており、
    さあ最後の参拝。

  • 県道沿いに司馬遼太郎が揖夜神社を訪れ、街道をゆくの中で記載した内容が掲げられています。

    県道沿いに司馬遼太郎が揖夜神社を訪れ、街道をゆくの中で記載した内容が掲げられています。

  • 境内入口の由緒。<br />「特別神社 揖夜神社<br />祭神 伊弉冉命、大巳貴命、少彦名命、事代主命<br />本殿 大社造(御神座は出雲大社と反対向に御鎮座)<br />境内社 韓国伊太氏神社、三穂津姫神社<br />御鎮座についての詳細は不明ですが、古事記神代巻には「伊賦夜坂」について記述があり、 日本書紀齋明天皇五年の条に「言屋社」、出雲国風土記 に「伊布夜社」、延喜式神名帳に「損夜神社」の記述があり、平安朝以前から知られる古社。<br />古より朝廷の崇敬が篤く、「三代実録」には清和天皇の貞観13年に「 正五位下」の御神階が授けられた記録がある。<br />武将の崇敬も篤く、大内氏、尼子氏、毛利氏、堀尾氏、京極氏、松平氏がそれぞれ寄進や社殿の修造を行っています。<br />また、社殿の営繕は松江藩作事方で行われ、御遷宮には藩主の代参がありました。<br />當社は出雲国造との関係が深い「意宇六社」の一であり、御遷宮には今でも出雲国造の御奉仕があります。」

    境内入口の由緒。
    「特別神社 揖夜神社
    祭神 伊弉冉命、大巳貴命、少彦名命、事代主命
    本殿 大社造(御神座は出雲大社と反対向に御鎮座)
    境内社 韓国伊太氏神社、三穂津姫神社
    御鎮座についての詳細は不明ですが、古事記神代巻には「伊賦夜坂」について記述があり、 日本書紀齋明天皇五年の条に「言屋社」、出雲国風土記 に「伊布夜社」、延喜式神名帳に「損夜神社」の記述があり、平安朝以前から知られる古社。
    古より朝廷の崇敬が篤く、「三代実録」には清和天皇の貞観13年に「 正五位下」の御神階が授けられた記録がある。
    武将の崇敬も篤く、大内氏、尼子氏、毛利氏、堀尾氏、京極氏、松平氏がそれぞれ寄進や社殿の修造を行っています。
    また、社殿の営繕は松江藩作事方で行われ、御遷宮には藩主の代参がありました。
    當社は出雲国造との関係が深い「意宇六社」の一であり、御遷宮には今でも出雲国造の御奉仕があります。」

  • 随神門は工事中。

    随神門は工事中。

  • 社殿は標高100㍍程の山の西嶺に鎮座し、祭神は伊弉冉命、大巳貴命、少彦名命、事代主命をお祀りします。<br />訪れた時は平成7年の遷宮に向け、至る所で工事が行われており、境内を見て回る事が出来なかった。

    社殿は標高100㍍程の山の西嶺に鎮座し、祭神は伊弉冉命、大巳貴命、少彦名命、事代主命をお祀りします。
    訪れた時は平成7年の遷宮に向け、至る所で工事が行われており、境内を見て回る事が出来なかった。

  • 現在、祭神はこの仮殿に祀られているので、参拝はこちらとなります。

    現在、祭神はこの仮殿に祀られているので、参拝はこちらとなります。

  • 揖夜神社由緒はHPによれば以下となっています。<br />「鎮座についての詳細は不明ですが、『古事記』神代巻かみよまきには「伊賊夜坂」についての記述があり、『日本書紀』齊明天皇五年(659年)の条に「言屋社」、『出雲国風土記』に「伊布夜社」、『延喜式神明帳』に「揖夜神社」の記述があり、少なくとも平安朝以前には広く知られていた古社であることは疑うべくもありません。<br />神社に所蔵している棟札・古文書によれば、戦国時代頃から「揖屋大明神」「揖夜大社」「揖屋大社」と称されていた様です。<br /><br />出雲国造との関係<br />当社は出雲国造との関係が深い「意字六社」(熊野大社・神魂神社・八重垣神社・六所神社・真名井神社・揖夜神社)の一として、江戸時代から「六社参り」の参拝者が絶えず、御遷宮には今でも国造の御奉仕があります。<br />江戸時代の書物『出雲神社巡拝記』には、揖屋大明神の項に「意字六社とて有其ーツ也、六社とは当社及、熊野大社、大庭かもしの社、山代いざなぎの社、佐草ノ八重垣、大草の六所神社是也、巡拝の人 格別の社なれば一々心をとめて拝礼すべし」と書かれています。<br /><br />古事記の伊賊夜坂は、死者の国との境となる「黄泉比良坂」を「いふ」と呼ぶようで、社殿後方の東出雲町揖屋には、黄泉の国とこの世の境の黄泉比良坂があり、伊邪那岐命が変わり果てた姿の伊邪那美命に追われ「黄泉比良坂」まで逃げ、巨岩で黄泉の国の入口を塞いだ岩や亡くなった方に思いを届けるポストがあるという。

    揖夜神社由緒はHPによれば以下となっています。
    「鎮座についての詳細は不明ですが、『古事記』神代巻かみよまきには「伊賊夜坂」についての記述があり、『日本書紀』齊明天皇五年(659年)の条に「言屋社」、『出雲国風土記』に「伊布夜社」、『延喜式神明帳』に「揖夜神社」の記述があり、少なくとも平安朝以前には広く知られていた古社であることは疑うべくもありません。
    神社に所蔵している棟札・古文書によれば、戦国時代頃から「揖屋大明神」「揖夜大社」「揖屋大社」と称されていた様です。

    出雲国造との関係
    当社は出雲国造との関係が深い「意字六社」(熊野大社・神魂神社・八重垣神社・六所神社・真名井神社・揖夜神社)の一として、江戸時代から「六社参り」の参拝者が絶えず、御遷宮には今でも国造の御奉仕があります。
    江戸時代の書物『出雲神社巡拝記』には、揖屋大明神の項に「意字六社とて有其ーツ也、六社とは当社及、熊野大社、大庭かもしの社、山代いざなぎの社、佐草ノ八重垣、大草の六所神社是也、巡拝の人 格別の社なれば一々心をとめて拝礼すべし」と書かれています。

    古事記の伊賊夜坂は、死者の国との境となる「黄泉比良坂」を「いふ」と呼ぶようで、社殿後方の東出雲町揖屋には、黄泉の国とこの世の境の黄泉比良坂があり、伊邪那岐命が変わり果てた姿の伊邪那美命に追われ「黄泉比良坂」まで逃げ、巨岩で黄泉の国の入口を塞いだ岩や亡くなった方に思いを届けるポストがあるという。

  • 仮殿から社務所と境内社の眺め、この他に仮殿の右に稲荷社、火守神社などが鎮座する。<br /><br />意宇六社 揖夜神社<br />祭神 / 伊弉冉命、大巳貴命、少彦名命、事代主命<br />所在地 / 島根県松江市東出雲町揖屋2229<br /><br />これでもって二泊三日の出雲巡りも揖夜神社で終わりを迎えます。<br />もう一社くらい回れるだろうが、まだここから450㌔運転しないといけない。<br />最寄りのアパルテ東出雲店で地酒と地元の食材を買い求め、ここでガソリンを満タンにして東出雲ICから名古屋を目指す。

    仮殿から社務所と境内社の眺め、この他に仮殿の右に稲荷社、火守神社などが鎮座する。

    意宇六社 揖夜神社
    祭神 / 伊弉冉命、大巳貴命、少彦名命、事代主命
    所在地 / 島根県松江市東出雲町揖屋2229

    これでもって二泊三日の出雲巡りも揖夜神社で終わりを迎えます。
    もう一社くらい回れるだろうが、まだここから450㌔運転しないといけない。
    最寄りのアパルテ東出雲店で地酒と地元の食材を買い求め、ここでガソリンを満タンにして東出雲ICから名古屋を目指す。

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