サンジミニャーノ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
3月23日<br />9:54発のフィレンツェ行きでサン・ジミニャーノを目指しました。10:31にエンポリ駅で乗り換えて、11:14にポッジボンシ駅に到着。ここまで9.3ユーロでした。ポッジボンシの駅前にバスのチケット売り場があったので、ポッジボンシ~サン・ジミニャーノの往復とポッジボンシ~シエナまでチケットを購入しました。ポッジボンシ~サン・ジミニャーノ間が片道2.9ユーロ、ポッジボンシ~シエナ間が5.6ユーロでしたが、サン・ジミニャーノ~ポッジボンシ~シエナは通しで買ったほうが安いかと思いました。ちょっと遅れてやってきた12:05発の130番バスでサン・ジミニャーノへ。しばらく走ると右手の丘の上に摩天楼のような「サン ジミニャーノ歴史地区」の塔が見えてきて、パスは20分ほどで「マッテオ門」に到着しました。<br /><br />「マッテオ門」は「サン ジミニャーノ歴史地区」の北の入り口で、「マッテオ門」をくぐると、そこには中世の街並みが広がっていました。南の入り口「サン・ジョバンニ門」側よりも人通りも少なく、落ち着いた雰囲気でした。<br /><br />サン ジミニャーノでは「Locazione Turistica Totti」に宿泊しました。1泊57.77ユーロでした。チェックイン時間よりだいぶ早かったのですが、Brunellaさんが建物の前で優しく出迎えてくださいました。部屋は清潔で、電子レンジや、冷蔵庫もあり、食器やお茶も充実していてとても快適でした。Wi-Fiもよく繋がりました。プライベートバスルームも清潔で、不満は1つもありませんでした。<br /><br />「マッテオ門」から「サン マッテオ通り」の緩やかな上り坂を登っていくと、通りの両脇には中世の姿をそのまま残す小さな町サン・ジミニャーノの街並みが広がっていました。そして11世紀から14世紀にかけて建てられた塔が見えてきました。塔ははじめ敵を見張るために建てられたということです。<br /><br />「サン マッテオ通り」の「RiccaPizza - San Matteo」でピザをいただきました。「MARGHERITA」が3ユーロで、1/6カットでした。ピザはやや薄めの具材も少な目で、コスパ的にはやや観光価格かなとも思いましたが、手頃な価格で食事ができて良かったです。<br /><br />「サン マッテオ通り」を歩いていくと「ドゥオーモ広場」に出て、広場は多くの塔に囲まれていました。塔の数は現在14ですが、13世紀には何と72もあり、塔が町を埋め尽くしていたそうです。サン・ジミニャーノは中世、染め物に使われた貴重なサフランの生産地として栄えていて、貴族たちは塔のある家を建て、その高さを競ったのだそうで、塔は富と権力の象徴だったのだそうです。<br /><br />「チステルナ広場」のすぐ奥に「ベッチのアーチ」と「ベッチの塔」の塔がありました。塔の下には家が増築され、4世帯が共同で塔を所有しているそうです。「ベッチのアーチ」をくぐると、「サン・ジョバンニ門」へと続く「サン ジョバンニ通り」が続いていました。<br /><br />「サン ジョバンニ通り」を下り、「サン・ジョバンニ門」から一旦、旧市街の外に出た後、coopで夕食を仕入れて、再び「サン ジョバンニ通り」を戻りました。「サン ジョバンニ通り」は「サン マッテオ通り」よりも人通りが多いですが、街のシンボル「グロッサの塔」が綺麗に見えました。14世紀の初めに 町当局が高さ54m の「グロッサの塔」を建て、これ以上高い塔の建設を禁じることで、塔の高さ争いに終止符が打たれたということです。<br /><br />街の階段を上り、高台に行くと、目の前に「サルブッチの塔」が見られました。「グロッサの塔」を超える高さの塔が禁じられる中、貴族たちが「双子の塔」を建てることで、同じ塔 2つを合わせれば、どこよりも高い塔になると考えて作られたそうです。<br /><br />宿に戻り、この日はcoopで買ったパスタにたっぷりチーズをかけ、ワインとパンとサラダで夕食をとって就寝しました。<br /><br />3月24日<br />ハム、パン、ヨーグルト、紅茶で朝食を食べた後、早朝のサン ジミニャーノ観光に出かけました。朝の「サン マッテオ通り」は人通りがほとんどなく、通りを進んでいくと「カンチェッレリーアのアーチ」がありました。アーチ越しに見る旧市街と塔の風景はとても綺麗でした。<br /><br />「ドゥオーモ広場」、「チステルナ広場」も人が少なくて、落ち着いて観光できました。「Bagolaro di San Gimignano - Albero monumentale」というview pointからサン ジミニャーノの塔が林立する姿が綺麗に見えました。12世紀初め、町は2つに割れていて、この頃の見張り用の塔の数はおよそ10だったそうです。やがて争いは深刻化し、一方が高い塔を建てれば、相手もそれに対抗してより高い塔を建て始めました。塔は力を誇示する手段となり、誰もが高い塔を建てようとした結果、13世紀に塔の数は72にも及んだそうです。しかし、14世紀半ばにペストが遅い、町の繁栄にも終止符が打たれました。空洞の塔は次々と崩れ、今は14を数えるだけになったということです。<br /><br />最後に「サンタゴスティーノ教会」へ行きました。無料で入ることができました。朝だったので他に観光客はいませんでしたが、温かく迎え入れてくださいました。主祭壇のアントニオ・デル・ポッライオロの「聖母戴冠」という絵も見事でしたが、フィレンツェ出身のルネサンスの画家「ベノッツォ・ゴッツォリ」の「聖アウグスティヌスの生涯」という作品を見ることができました。<br /><br />「サン・ジョバンニ門」から町を出て、右手の「パスターミナル」に行きました。「ポッジボンシ」行きの133バスはモンテマッジョ広場の西側の停留所にやってくるようでした。チケットは昨日買ってありましたが、無ければ100メートル先のインフォメーションで買うように張り紙がされていました。9:55発のバスで「ポッジボンシ」へ向かいました。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

イタリア世界遺産紀行2024年3月④(サンジミニャーノ編)

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2024/03/23 - 2024/03/24

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まめ夫婦

まめ夫婦さん

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3月23日
9:54発のフィレンツェ行きでサン・ジミニャーノを目指しました。10:31にエンポリ駅で乗り換えて、11:14にポッジボンシ駅に到着。ここまで9.3ユーロでした。ポッジボンシの駅前にバスのチケット売り場があったので、ポッジボンシ~サン・ジミニャーノの往復とポッジボンシ~シエナまでチケットを購入しました。ポッジボンシ~サン・ジミニャーノ間が片道2.9ユーロ、ポッジボンシ~シエナ間が5.6ユーロでしたが、サン・ジミニャーノ~ポッジボンシ~シエナは通しで買ったほうが安いかと思いました。ちょっと遅れてやってきた12:05発の130番バスでサン・ジミニャーノへ。しばらく走ると右手の丘の上に摩天楼のような「サン ジミニャーノ歴史地区」の塔が見えてきて、パスは20分ほどで「マッテオ門」に到着しました。

「マッテオ門」は「サン ジミニャーノ歴史地区」の北の入り口で、「マッテオ門」をくぐると、そこには中世の街並みが広がっていました。南の入り口「サン・ジョバンニ門」側よりも人通りも少なく、落ち着いた雰囲気でした。

サン ジミニャーノでは「Locazione Turistica Totti」に宿泊しました。1泊57.77ユーロでした。チェックイン時間よりだいぶ早かったのですが、Brunellaさんが建物の前で優しく出迎えてくださいました。部屋は清潔で、電子レンジや、冷蔵庫もあり、食器やお茶も充実していてとても快適でした。Wi-Fiもよく繋がりました。プライベートバスルームも清潔で、不満は1つもありませんでした。

「マッテオ門」から「サン マッテオ通り」の緩やかな上り坂を登っていくと、通りの両脇には中世の姿をそのまま残す小さな町サン・ジミニャーノの街並みが広がっていました。そして11世紀から14世紀にかけて建てられた塔が見えてきました。塔ははじめ敵を見張るために建てられたということです。

「サン マッテオ通り」の「RiccaPizza - San Matteo」でピザをいただきました。「MARGHERITA」が3ユーロで、1/6カットでした。ピザはやや薄めの具材も少な目で、コスパ的にはやや観光価格かなとも思いましたが、手頃な価格で食事ができて良かったです。

「サン マッテオ通り」を歩いていくと「ドゥオーモ広場」に出て、広場は多くの塔に囲まれていました。塔の数は現在14ですが、13世紀には何と72もあり、塔が町を埋め尽くしていたそうです。サン・ジミニャーノは中世、染め物に使われた貴重なサフランの生産地として栄えていて、貴族たちは塔のある家を建て、その高さを競ったのだそうで、塔は富と権力の象徴だったのだそうです。

「チステルナ広場」のすぐ奥に「ベッチのアーチ」と「ベッチの塔」の塔がありました。塔の下には家が増築され、4世帯が共同で塔を所有しているそうです。「ベッチのアーチ」をくぐると、「サン・ジョバンニ門」へと続く「サン ジョバンニ通り」が続いていました。

「サン ジョバンニ通り」を下り、「サン・ジョバンニ門」から一旦、旧市街の外に出た後、coopで夕食を仕入れて、再び「サン ジョバンニ通り」を戻りました。「サン ジョバンニ通り」は「サン マッテオ通り」よりも人通りが多いですが、街のシンボル「グロッサの塔」が綺麗に見えました。14世紀の初めに 町当局が高さ54m の「グロッサの塔」を建て、これ以上高い塔の建設を禁じることで、塔の高さ争いに終止符が打たれたということです。

街の階段を上り、高台に行くと、目の前に「サルブッチの塔」が見られました。「グロッサの塔」を超える高さの塔が禁じられる中、貴族たちが「双子の塔」を建てることで、同じ塔 2つを合わせれば、どこよりも高い塔になると考えて作られたそうです。

宿に戻り、この日はcoopで買ったパスタにたっぷりチーズをかけ、ワインとパンとサラダで夕食をとって就寝しました。

3月24日
ハム、パン、ヨーグルト、紅茶で朝食を食べた後、早朝のサン ジミニャーノ観光に出かけました。朝の「サン マッテオ通り」は人通りがほとんどなく、通りを進んでいくと「カンチェッレリーアのアーチ」がありました。アーチ越しに見る旧市街と塔の風景はとても綺麗でした。

「ドゥオーモ広場」、「チステルナ広場」も人が少なくて、落ち着いて観光できました。「Bagolaro di San Gimignano - Albero monumentale」というview pointからサン ジミニャーノの塔が林立する姿が綺麗に見えました。12世紀初め、町は2つに割れていて、この頃の見張り用の塔の数はおよそ10だったそうです。やがて争いは深刻化し、一方が高い塔を建てれば、相手もそれに対抗してより高い塔を建て始めました。塔は力を誇示する手段となり、誰もが高い塔を建てようとした結果、13世紀に塔の数は72にも及んだそうです。しかし、14世紀半ばにペストが遅い、町の繁栄にも終止符が打たれました。空洞の塔は次々と崩れ、今は14を数えるだけになったということです。

最後に「サンタゴスティーノ教会」へ行きました。無料で入ることができました。朝だったので他に観光客はいませんでしたが、温かく迎え入れてくださいました。主祭壇のアントニオ・デル・ポッライオロの「聖母戴冠」という絵も見事でしたが、フィレンツェ出身のルネサンスの画家「ベノッツォ・ゴッツォリ」の「聖アウグスティヌスの生涯」という作品を見ることができました。

「サン・ジョバンニ門」から町を出て、右手の「パスターミナル」に行きました。「ポッジボンシ」行きの133バスはモンテマッジョ広場の西側の停留所にやってくるようでした。チケットは昨日買ってありましたが、無ければ100メートル先のインフォメーションで買うように張り紙がされていました。9:55発のバスで「ポッジボンシ」へ向かいました。






旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
交通
4.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
15万円 - 20万円
交通手段
鉄道 高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
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