2024/05/20 - 2024/05/20
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たびたびさん
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この旅行記スケジュールを元に
旅の三日目は、いよいよ三国祭です。三国祭は、”高岡市の御車山祭、七尾市の青柏祭と並ぶ北陸三大祭の一つ”ということで興味を持ったのですが、正直名前も聞いたことがなかった祭り。御車山祭と青柏祭なら全国区で知られる祭り。それと並ぶって、そんな祭りが福井にあったかなあみたいな半信半疑の思いもぬぐえないのは仕方がないところですけどね。
ただ、三国は、かつて北前船の寄港地として大いに賑わった三国湊。北陸には北前船で賑わった町が数多くありますが、かつての隆盛の歴史がしっかりあって、今でもその名残りが色濃い町という意味では、福井県なら三国、富山県なら伏木から東岩瀬。つまり、石川県なら橋立か、本来であればむしろ金沢の銭屋五兵衛なんでしょうが、しかし、橋立も銭屋五兵衛もその名残りが色濃い町という形での遺産はないので、北陸では三国と伏木から東岩瀬が双璧というのがこれまでの私の結論ですね。伏木は加賀藩最大の稲作地帯である小矢部川の流域を控え、これも加賀藩最大の米蔵がありましたし(https://4travel.jp/travelogue/11240422)、三国は北前船以前の時代から福井県の7割の流域面積を持つという九頭竜川の水運が盛んだったので、やっぱり別格。あの酒田が最上川の水運と結びついていたのともよく似ています。また、三国には井原西鶴が”北国にまれな色里”とたたえた花街があったというのも面白いかな。そういう意味では、それなりに期待もできなくはないですが、やっぱり祭りのイメージはイマイチですね。
なお、三国祭は地元の三国神社の例祭。三国神社は、継体天皇の没後、朝廷によって継体天皇を祀る神社として創建されたのが始まりとする伝承もあるようですが、結局はこれも三国湊の隆盛に支えられたという神社でしょうか。楼門形式の随身門が立派。石段がけっこう奥深くに続いて本殿に至りますが、境内の緑も程よくて森の中のような感じ。三国の街のシンボルとしても、さすがの構えかなと感じました。
ちょっと前置きが長くなりましたが、そんなこんなの先入観もありながら拝見した初めての三国祭りは、口をあんぐり。私の期待を大きく上回る途方もない祭りでした。豊かな町衆がけん引してきたその祭りの花形は、市街を巡行する六基の山車。本年の奉納山車は、壱番山車那須与一、弍番山車石川五右衛門、参番山車柴田勝家、四番山車狐忠信、五番山車武田信玄、六番山車雑賀孫市。山車に積まれた巨大な人形はそれぞれに強烈なインパクトがあって、これにすべてを賭ける一点豪華主義みたいな趣向かな。祭り全体の規模としては御車山祭や青柏祭ほどではありませんが、少なくともこの人形から受けるインパクトは尋常ではない。遠くから眺めても良し、下から見上げても良し。止まっている姿を見ても良し、ゴトゴトと動いている姿を見ても良し。一瞬のドラマチックな動きを捉えたような迫真さも秀逸で、誰しもがギョエッとすること間違いなしかと思います。
それにしても、せっかくこんなにすごいものを作っても披露するのは一年限り。「壊してしまうのはもったいなくないですか?」と質問したら、「いやいや、そんなことはない。次はもっといいものを作ってやろうと思っていますから」との回答。この言やよし。この心意気さえあれば祭りが廃れることはないと受け取りました。また、朝の内は小雨もありましたが、その後は快晴。人形の鮮やかな色合いだけでなく、街並の美しさもそれなりにお伝え出来たのではないかと思います。
祭の後は、あわら温泉で途中下車。あわら温泉は、えちぜん鉄道三国芦原線のあわら湯のまち駅を出たらすぐに温泉街という便利さ。開湯は明治16年。干ばつに際して井戸を掘ったら温泉が出てきたというのが始まり。そういう意味だとまだそれほどの歴史はありませんが、贅沢な足湯施設や日帰り温泉の施設、セントピアあわらもあって、効率よく温泉が楽しめます。ただ、今回の収穫は藤野先生かな。魯迅の師であり、小説「藤野先生」の主人公。ここがゆかりの地だったとは。。意外な出会いにちょっと気持ちが爽やかになりました。
さて、この日は彦根で宿を取って、明日は最終日。もうひと踏ん張りして、気になっていた滋賀のあちこちです。
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京都から敦賀まではサンダーバード。
敦賀駅から福井駅まではここで乗り換えです。 -
北陸新幹線が金沢駅から敦賀駅に延伸されたことに伴い、JR西日本から経営分離された並行在来線のうち敦賀駅から大聖寺駅間を運営することになったのがハピラインふくい。福井駅に向かうには敦賀から新幹線があるのですが、あんまり時間に違いがないのでこのハピラインふくいを利用しました。敦賀駅での乗り換えの際には何のチェックもなく、別の鉄道線という感覚はあんまりないですね。利用者もけっこう多いし、普通に使えます。
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福井駅に到着して、駅の周辺を少し。
ハピリンモールは、福井駅の西側。何と言っても大屋根の下の巨大空間が素晴らしい。金沢駅のもてなしドームくらいのインパクトがあって、福井もなかなかがんばってます。日本海側の雪の多い地域ですから、そういう意味でもこうした場所はとても有用なのではないかなと思います。福井もなかなかがんばってます by たびたびさんハピリンモール ショッピングモール
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福井駅前に配置された恐竜たちの像はどれも迫力があって、さすが恐竜の福井といった感じ。ただ、名前は恐竜広場ですが、恐竜の像はそれぞれ。広場としての一体感は特にないような気はします。
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駅前にポツンポツンと立つ像をそれぞれに楽しむことになります。
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では、ここからお楽しみの越前そば。
あみだそば 福の井は、ハピリンの一階。何でもないような駅近の蕎麦屋さんですが、ここのおろしそばは絶品ですね。これは唯一無二かも by たびたびさんあみだそば 福の井 グルメ・レストラン
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姉妹店のあみだそば はなれは、夜はやっていないのでこちらにしたのですが、レベルはほとんど同じかな。少し扁平な形の不揃いな手打ちのそばは、爽やかなキレがあって、これは唯一無二かも。何でもないような外観なのですが、甘く見ていると全然違いますので、じっくり味わってみてください。
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もうひとつは、福そば。福井の名物をドッキングしたおろしそばとソースカツどんのセットが人気のお店です。
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おろしそばの食べ比べということでおろしそばの方だけいただきます。しゃきっとした味わいは悪くないんですが、穏やかな反面キレがイマイチな感じもしてまあまあのレベルなのかな。ただ、もしかすると、ソースカツどんとの組み合わせを意識するとこういうそばになるのかもしれません。やっぱりセットを食べないと評価は早計のような気もします。
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今夜の宿は、Lounge たき。頼めば福井駅に迎えもあるようでしたが、まあまあ歩ける範囲なので、歩いて訪ねました。ゲストハウスなんですが、こちらは相部屋にはしない主義だそうで、一階の日本間で落ち着いて泊まらせてもらいました。
小さな食堂部分や風呂も共用で、ちょっと粗末なのは否めませんが、ご主人の対応が暖かくて、それを差し引けばネットの評判がいいのは頷けます。安さもあって、全国を旅する変わった人が利用する宿。リヤカーを引きながら旅をするおじいさんの話とか、ちょっとびっくりするような話も聞かせてもらいました。 -
翌朝は、小雨でしたが、例によって少し福井市内の早朝散策。
由利公正広場は、由利公正居宅跡に近い足羽川の幸橋南詰に整備された広場。由利公正の銅像も建っています。ちなみに、由利公正は福井藩士で、福井藩の財政立て直しや五箇条の御誓文の原案「議事之体大意」を作成した人物として有名。坂本龍馬と昵懇の中だったというのも知られています。松平春嶽に抜擢され、春嶽の懐刀としてのイメージは橋本左内の方が強いですが、それがゆえに安政の大獄で死罪に。25歳で生涯を終えたことから、明治政府でも貢献をした由利公正が案外目立つということになっています。地元での評価がどういう具合なのかはちょっと興味があるところですね。 -
すぐ近くにある龍馬歌碑は、坂本龍馬が由利公正宅での会談中に詠んだ歌を彫ったもの。
「君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行く末」
龍馬と由利公正がいかに深い仲だったかが分かる歌だと思います。青い石に金の字で書かれていて、この石は高知の石なのだそうです。 -
由利公正宅跡の碑も、その隣り。
この辺りは、当時、毛矢侍と呼ばれる下級武士が暮らしていた地域。そこにあった由利公正宅で、横井小楠に連れられた坂本龍馬と三人で会談したのですね。
その後、由利公正は、新政府では徴士参与として、金融財政政策を担当。岩倉使節団にも随行して、維新政府で手腕を発揮するのですが、龍馬との親交が大きな力となっていたことも想像できるように思います。 -
少し歩いて、今度は西山光照寺。朝倉氏滅亡後に一乗谷から現在地に移ってきた寺です。
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これは福井大仏。一乗谷の時代の大仏は石仏だったようで、1691年(元禄4年)に光照寺とともに移ってきたようですが、戦災と震災の被害で破損。昭和33年に金銅製の大仏として作り直されたということです。眉から切れ長の目の辺りがけっこう特徴的かなと思います。
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では、そろそろ三国に向かいましょう。
福井口駅から三国港駅までを結ぶ鉄道は、えちぜん鉄道 三国芦原線。朝方は、意外にも、通学の生徒たちで満員寿司詰め状態。三国は観光地ですが、日常生活の利用者がとても多い路線だということが分かりました。 -
三国港駅に到着。三国は、前回来たのが2012年11月。その時初めて北前船で栄えた街ということを知りいい印象が残っていましたが、次に来る機会が三国祭になるとは思いませんでしたね。
三国港突堤は、三国港駅から三国市街の中心部と反対側にしばらく歩いた先。三国温泉ゆあぽ~との隣りみたいなところ。明治初期にオランダ人技師エッセルが設計した日本初の西洋式捨石防波堤で、熊本の三角港、宮城の野蒜築港と並んで明治三大築港といわれるよう。ただ、工事中か何かでこの日は近づけず。遠くから眺めるだけではそのすごさはあんまりよく分かりませんでした。明治三大築港のひとつ by たびたびさん三国港突堤 名所・史跡
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ここから三国の市街へは、海沿いの道を辿って向かいます。
途中の船が停泊している辺りは、海のように見えますが実は九頭竜川の河口付近。九頭竜川は、福井県の7割がその流域であり、福井県のシンボル的な川。冒頭にも触れましたが、北前船の前の時代から水運にも利用されたりして、いろんな恵みをもたらしている川です。 -
市街に入ってきましたよ~
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かつて北前船の寄港地だった三国湊のにぎわいの面影を残す”きたまえ通り”に到着して、これは竹よし。三味線喫茶とありましたが、女将さんに声をかけたら気持ちよく中を見せてくれました。
金沢あたりのお茶屋さんにでも行った気分 by たびたびさん竹よし(三味線体験) 名所・史跡
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喫茶スペースのテーブル席の奥には
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赤い壁の小上がり。三味線の演奏はここでするのでしょうか。
このセンスも花街の歴史があるという三国ならではかな。金沢あたりのお茶屋さんにでも行った気分になりました。 -
そして、きたまえ通りを代表する建物がこの旧岸名家です。
材木商を営んだ岸名惣助が代々住んでいた町家ですが、この地域に特徴的な「かぐら建て」。この「かぐら建て」というのは、妻入りの建物の玄関に、平入りの建物の手前半分(これを下屋(かぐら)というようです)がついている建物。日本全国でもこの地方にしかないようです。
正面からだと間口が悠々としていて、妻入りにはできない余裕の構えです。 -
一方で、中に入っても
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建物は奥に向かって十分に深い。
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土間が続いて
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土間に面して
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各部屋が
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並びます。
爽やかな風が通って行くような構造ですね。 -
三国湊町家館も旧岸名家の隣りにある旧商家の建物。
前面を覆う格子とベンガラの赤色が旧町家の上品な雰囲気を醸し出していて、これもとってもいい感じ。 -
内部は広い土間の休憩スペースとそれに続く小上がりの日本間。おもてなしの施設としては、本当に気持ちの良い空間が確保されていて、地元の人も何かあったらここに集う。そんな場所だと思います。
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通りに出て、三国神社の方に向かおうと思ったら
あれれ? -
これが三国祭りの山車ですね。巨大な一体の人形を積んだ山車は、シンプルと言えばシンプルなのですが、鉄砲を構える武者の姿はただものではない。このシリアスなリアルさは、博多山笠の飾り山や青森のねぶたとかにもまったく感じたことがないものですね。美しさとか華やかさとかあるいは厳かな雰囲気とか。普通の祭りの山が目指すものなんか糞くらえみたいな感じかな。今ままで体験してきた既成概念がすべて吹き飛んでしまって、まさにたまげた代物です。
六番山車 雑賀 孫市
戦国時代「雑賀衆を味方にすれば必ず勝ち、敵にすれば必ず負ける」と言われ、戦国時代最強の鉄砲傭兵集団、雑賀衆。
紀伊国(現在の和歌山市)の地侍集団「雑賀衆」の棟梁で伝説の鉄砲つかいと呼ばれ、雑賀の地を守るために戦い続けたのが「雑賀孫市」です。織田信長と浄土真宗本願寺勢力(一向一揆)との10年に及ぶ「石山合戦」では、石山本願寺の求めに応じ、鉄砲を使った先進的な戦術で、大いに織田信長を苦しめ、その後、羽柴秀吉も雑賀衆には手を焼いたと伝えられています。
今回の山車人形は、石山合戦で織田信長に狙いを定め、今にも銃口から鉛玉が飛び出しそうな迫力ある姿を製作し、奉納させていただきます。
(三国祭公式サイト(https://mikunimatsuri.com/%e5%b1%b1%e8%bb%8a%e7%b4%b9%e4%bb%8b/)より) -
さらに進むと山車の格納庫があって、
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令和2年度 奉納山車
参番山車 明智光秀
冒頭に、山車は一年限りで壊されると書きましたが、いくつかは残されているものもあるようです。 -
小雨の中、お囃子の子供たちを運ぶ車です。
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お囃子は山車の下部です。六番山車でも始まりました。
トントコ、トントコ。 -
五番山車 武田 信玄
明治4年(1871年)丸岡藩滝谷出村(現在の四の部)は、福井藩三国湊と合併し、阪井港と称するようになり、これを機会に三国祭の山車巡行に加わりました。
現在の山車屋台は大正10年(1921年)に井田一洞斎によって制作されたものと記されており、四の部10町内(区)で共有し、5年に一度の当番で本年は竪・上横区が奉納します。
「人は城 人は石垣 人は堀」
人形師は岩堀雄樹の手掛ける戦国武将 武田信玄の名言に倣い、両区民一丸となり誇りをもって巡行いたします。囃子方の子どもたちは、本番に向けて3月より練習を重ねて参りました。賑やかしきこと花の如し!
(三国祭公式サイト(https://mikunimatsuri.com/%e5%b1%b1%e8%bb%8a%e7%b4%b9%e4%bb%8b/)より) -
こちらも、下部では子供のお囃子です。
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弍番山車 石川 五右衛門
3年周期で廻ってくる山車当番の年。
45年前に当時の大門協会が自主制作を始めてから16期目の山車人形となります。毎回、大門協会(青年会)、婦人会が中心となる有志の集まりで制作奉納してきました。
今年の山車人形は「石川五右衛門」です。五右衛門は日本の江戸時代に実在した有名な忍者の一人です。五右衛門の伝説や物語を表現していくことが悩みどころでしたが、五右衛門の機知や勇敢さを表現できるよう制作しました。
また大門区は、拡声器を使用しない、昔ながらの山車巡行を行っています。練習を重ねた囃子方の子どもたちと、祭り大好き大門区が一丸となり、三国祭を盛り上げていきます。
(三国祭公式サイト(https://mikunimatsuri.com/%e5%b1%b1%e8%bb%8a%e7%b4%b9%e4%bb%8b/)より) -
山車の車輪は二つ。操作性はいいかもしれません。
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参番山車 柴田 勝家
柴田勝家は、織田信長の筆頭家老で、『鬼柴田』や『かかれ柴田』と評されるほど、戦場では多くの武功をあげ、越前の国北ノ庄を治めた戦国時代の武将です。
また、武勇に優れているだけでなく、城下町の建設や絹織物などの産業振興といった、今日までに続く福井繁栄の礎を築き、治政においても秀でた手腕を発揮していました。
辰年にふさわしい龍の描かれた鎧をまとい、槍を携え、刀を構える勇猛果敢な姿の柴田勝家を奉納いたします。
なお、当区の山車屋台は天保4年に制作され191年を経過しており、三国山車の最も古い形といわれています。
前面の龍の彫り物は、志摩乗時作、左右と後方は二男美時作で、安政4~5年作で166年の経過、また、鯉の刺繍が施された水引は、弘化3年作で178年を経過しており、いずれも坂井市有形文化財に指定されております。あわせてお楽しみください。
(三国祭公式サイト(https://mikunimatsuri.com/%e5%b1%b1%e8%bb%8a%e7%b4%b9%e4%bb%8b/)より) -
では、私は先を急いで。。
三国神社の前にやってきました。
山車は三国神社の門前に集まってきて、その勢ぞろいした姿がひとつの見どころ。ここで待っていれば、見逃すことはないですね。 -
既に門前に到着。定位置に納まっている山車もありまして。
四番山車 狐 忠信
三国祭保存振興会は、伝統ある三国祭を町民の手で守りながら、三国町だけではなく坂井市の三国祭として継承していく活動を行っています。また、山車人形制作の後継者を育成する活動も行っています。
今年奉納する山車人形は、歌舞伎「義経千本桜」に登場する人物。子狐の化身で鼓(初音の鼓)の皮になった親を慕い、佐藤忠信の姿になって現れ、その鼓を持つ静御前が鼓を打ち鳴らすと狐忠信となって現れる場面を表しました。
今年も三国祭保存振興会青年部が中心となり、19日、宵山車を巡行いたします。
(三国祭公式サイト(https://mikunimatsuri.com/%e5%b1%b1%e8%bb%8a%e7%b4%b9%e4%bb%8b/)より) -
これは門前すぐの格納庫。
令和5年度 奉納山車
壱番山車 新選組 吉村貫一郎 -
神社の前はますます賑やかになってきましたね。
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壱番山車 那須 与一
那須与一は平安時代末期の武将、御家人。
1185年、屋島の合戦で平家の軍船に掲げられた扇の的を射落とした功により、後に丹波・信濃等5か国に荘園を賜り、那須家の惣領として重きを成したが、そののち出家して「即成院(そうじょういん)」に入り、穏やかに余生を送っていましたが、1189年もしくは1190年、同寺院が創建当初にあった伏見の地にて亡くなりました。
平家物語の章段「扇の的」に登場する武将で弓矢の名手として知られ、源平合戦の時代、香川県高松市の屋島で平家方が差しだした扇の的を見事射ぬいたという弓の名人であった。
(三国祭公式サイト(https://mikunimatsuri.com/%e5%b1%b1%e8%bb%8a%e7%b4%b9%e4%bb%8b/)より) -
定位置に納まりました。
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一方、石川 五右衛門は
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門前をスルー。
どこかまだ巡行のルートがあるようです。 -
続いては、武田 信玄。
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ここで、柴田 勝家の山車と交錯。
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柴田 勝家の山車は、門前の定位置に向かいます。
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武田 信玄は、そのままスルー。
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雑賀 孫市は、殿みたいですね。
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門前では、那須 与一、柴田 勝家、狐 忠信が定位置です。
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石川 五右衛門が戻ってきて、
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ここで
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大きく方向転換。
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定位置に向かいます。
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それを待っていた雑賀 孫市は、スルー。
ただ、こうなってくると残りの巡行ルートも追っかけてみたくなりますね。
では、先回りして。。 -
先にスルーしていた武田 信玄です。
どこかでUターンして、また神社に戻る途中ですね。 -
ここなら近くでよく見えます。
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左手に持った采配と右手に持った大太刀は日に照らされてギラリと光っています。
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そして、殿の雑賀 孫市です。
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人物の大きさに比べて、火縄銃の大きさが少し大きいような気もしなくはないですが、
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むしろそのバランスも
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よりリアルな姿に近づいているように感じます。
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鉄砲を構える位置を確認しつつ、標的をしっかりと捉える視線。まさにここしかないという緊張の一瞬を見事に表現していると思います。
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雑賀 孫市も神社に戻ってきて、
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これで、六台が勢ぞろいしたようです。
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小雨がやんで、
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日が差してきたので
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それぞれの山車の鮮やかさが
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より出てきた感じ。
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天気だと映え方が全然違いますからね。
ただ、ちょっと逆光なので -
下手の方から神社を望むアングルで。
気が付くと見物人でごった返していますよ~ -
勢ぞろいを見て落ち着いたところで、神社の方へ。
楼門形式の随身門が立派 by たびたびさん三国神社 寺・神社・教会
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鳥居から随身門に向かいます。
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イチオシ
振り返ると鳥居の向こうには六台の山車。
これが見どころではあるのですが、並べたからといってもちょっと。。絵的には雑な感じかな。山車は一つ一つの方が迫力がありますね。 -
随身門を過ぎてから
本殿まではまだ少し距離がありますね。 -
小山の上の方に本殿がありました。
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よく見ると神輿は船の形。湊町ならではですね。
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イチオシ
もう一度、山車のところに帰ると
お囃子の競演が始まりました。
さてさて、子供たちの本番はここから。 -
それぞれに練習してきたばちさばきをお披露目です。
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なお、前方に並んだ二人はお囃子を途切れさせることなく交代します。そのスムーズな交代も見どころかもしれません。
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お祭りの皆さんもお囃子が終わると休憩タイム。
私も、いったん退散して昼飯にしましょうか。 -
お昼は、越前そばですね。
蕎麦屋に向かう途中の大和甘林堂。創業が享保四年(1719年)という老舗の和菓子屋さんで、名物は鶯餅。鶯餅は、黄な粉をまぶした牛皮で餡子をくるんだお菓子で、名前の方は三国神社の森に鳴く鶯をイメージしたものだとか。お店の雰囲気もあるし、伝統の重みも感じます。 -
昼飯は、盛安です。三国市街中心部にある老舗の蕎麦屋さん。レトロな店構えもいい味出してますね。
さすが三国の名店といった風格を感じました by たびたびさん盛安 グルメ・レストラン
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イチオシ
いただいたのは、おろしそば。見た感じは小さな器にいっぱいいっぱいにそばが入れてあって、地味な印象だったのですが、うーん。これは味わい深い逸品。そばの香りもいいし、キレやおろしそばの爽やかさも絶妙な加減。本当に堂々としたもので、一朝一夕にはこのバランスにたどり着くことはできないでしょう。さすが三国の名店といった風格を感じました。
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そばの後は、もう少しスイーツ。
酒粕ノ國は、中心部からは少し離れた海岸通り沿い。お酒の匂いが一番する酒饅頭というのがウリのようですが、酒饅頭は酒の匂いがするのがいいわけじゃないですよね。酒の麹でふっくら膨らませるその滑らかさや柔らかさが大きな特長。 -
そういう意味だと、逆にその酒饅頭の良さがほとんどない酒饅頭。目指すところが違っているような気がします。
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もう一軒のカルナは、旧森田銀行のはす向かいにあるジェラート屋さん。観光地にジェラート屋さんって、よくあるパターンなんですが、
ちょっとこれは特別のような気がします by たびたびさんカルナ グルメ・レストラン
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一番人気という塩をいただきました。うっすら青緑がかっていて幻想的なビジュアルで、味もかなり複雑系。濃厚とか爽やかとかでは表現し辛いなんともいえないおいしさですね。塩をウリにしたジェラートはそれなりにあるんですが、それでもちょっとこれは特別のような気がします。
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イチオシ
向かいに格納庫があって、これもチェックします。
令和4年度 奉納山車
六番山車 「暫」鎌倉権五郎景正 -
山車の方はもう十分見たような気がしていましたが、ここはきたまえ通り。この街並と山車の組合せはやっぱり見ておくべきかな。ここを通る山車もまたひとつの見どころのようですからね。
では、ここで山車を待つことにしましょう。
那須 与一がやってきました。 -
イチオシ
正面から日が差して
うんうん、やっぱりいいですね。
平家の船から女房が手招きする扇の的。これを射抜くなどあまりの大役に固辞しようとする那須与一に対し、大将の義経はあの的を射よと厳しく命じます。 -
このうえは仕方なし。重籐の弓に鏑矢をつがえんとする与一の形相は決死の覚悟。矢は扇の的に見事命中するのですが、それに至る緊迫した情景がこの形相にすべて現れているといっても過言ではないでしょう。
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一行はここで小休止。
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その間に、三国湊町家館では三味線の演奏を楽しみます。
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今度は、石川 五右衛門。
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強烈なデフォルメという意味では、これも最強の山車かな。
やたらとでかい煙管をくわえ、 -
ぎょろめで見得を切ったような表情もたまりませんね。
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お囃子の屋台も続いて、
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この山車はきたまえ通りを一気に抜けて行くようです。
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イチオシ
どのアングルが一番迫力があるのか難しいところですが、これは下から仰ぎ見た姿。
まあまあかな。 -
きたまえ通りを出て
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左折。
ほかのアングルを考えているうちに -
行ってしまいました。
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きたまえ通りに戻ると
神社で見た船形の神輿です。 -
もうひとつは普通の形ですが、どういう違いなんでしょうね。
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と
今度は柴田 勝家。 -
秀吉に敗れはしましたが、織田家の重臣として、北陸では大将の働き。
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イチオシ
上杉軍をあと一歩のところまで追い詰めたり、猛将としての評価は不動。少し政治的な才能がなかったというだけのことです。
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続いては、狐 忠信。
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歌舞伎の派手ないでたち。
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右手の鼓と前に突き出した左手の組合せがデフォルメになっていますが、
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イチオシ
やっぱりそれ以上にインパクトがあるのは、おどろおどろしいその形相。
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義経千本桜にあっては、義経の愛妾、静御前を守る活躍。理不尽な頼朝の仕打ちに待ったをかける正義の味方というところでしょう。
六台の山車の中では、全体としての仕上がりが一番よくて、玄人好みの山車ではないかと思います。 -
武田 信玄は、午前中も接近遭遇でしたが、
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イチオシ
デフォルメとかあんまり効かせてないし、
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ちょっと物足りない感じは否めません。
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そして、最後は雑賀 孫市。
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これは、私的には今回の六台の中では一番好きな山車かも。
そういう意味ではずっとこれぞというアングルを狙っていたのですが、 -
イチオシ
最後になんとかベストショットが撮れたような。
この銃口の不気味さとかもけっこうな迫力だと思いますけど、いかがでしょうか。
さてさて、今度こそこれで十分。三国駅の方に帰りましょう。 -
とその途中、これは三国の酒饅頭、にしさか。赤い暖簾が揺れていて、お店に入ると、麹菌のほんのり酸っぱいような香り。酒饅頭は、「長」と入ったデザインです。
なお、はす向かいにも立派な酒饅頭のお店があって、そちらは小山屋。
この酒饅頭の存在も三国の三国たるところ。酒饅頭は日持ちがしないので、いかにお店ががんばってもその良さを分かっているお得意さんがいないと成り立たない。私の整理として、饅頭の双璧は薯蕷(上用)饅頭と酒饅頭。特に、麹菌の酒饅頭は貴重ですから、それをちゃんと理解している三国の人はさすがお目が高いということなんですね。 -
三国駅に戻ると駅前ではお囃子のパーフォーマンス。
バックの観覧席は、えっせる坂といって三国駅前広場から陸橋の方に上がっていく階段のこと。三国湊のかつての風景が浮世絵風に描かれていたりしますが、階段自体はまだ新しくできたもので歴史的なものではないですけど、こうして観光資源のひとつとして貢献しています。 -
三国駅からあわら湯の町駅へ。
藤野厳九郎記念館は、あわら湯の町駅を出てすぐ。気軽に途中下車して by たびたびさんあわら温泉 名所・史跡
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藤野厳九郎というのは、仙台医学専門学校の解剖学教授だった時代に魯迅と師弟関係があった人物。魯迅の小説「藤野先生」の主人公ですね。
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暖かな人柄が余程印象に残ったのだと思いますが、展示してある書簡、医療器具など多くの遺品からは優れた技量を持っていただけでなく、人格者であったこととか確かに伝わってきます。
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辛亥革命の孫文もそうですが、中国の人と日本人はそれなりに通じるものが多いような気がします。今は政治体制が違うので相容れないものがありますが、もしそうでなければと思うと非常に残念な気持ちになりますね。
なお、建物は、藤野家遺族から三国町にあった旧宅を寄贈されたものだそうです。 -
記念館を出たところに、建物の続きにちょっとした出入り口があって。
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入ると、それはあわらロマン館。ひと部屋を記念撮影専用の場所としてある施設です。緋毛氈の上に和傘が並べられて、ちょっといい感じ。温泉街のおもてなしの心なのかなと思います。
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あわら温泉「芦湯」は、あわら温泉湯のまち広場の一角にある足湯施設。この施設は総ひのき造りの建物に浴槽には福井県産の笏谷石を使ったりとびっくりするほど贅沢な造り。足湯の常識では考えられないものになっています。
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ここで、晩飯は、あわら湯のまち駅前の洋食屋さん、源の屋へ。適当に入ってみたのですが、店内の雰囲気もちょっと一格上の雰囲気があっていいですね。
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いただいたのは、セットメニュー。
とんかつや鳥のステーキ、肉ボールなどをしっかり組み合わせたもの。それぞれけっこうおいしくて、この店なかなかやるなという感じ。ただ、ボリュームがかなりあって、女性には少しきついかもしれません。
ここから、今夜の宿、彦根に向かいます。
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