2024/05/04 - 2024/05/05
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たびたびさん
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今回の旅の最後はいよいよ城端曳山祭です。
ところで、富山県が意外な祭り大国というのはご存知でしょうか。有名なところで言うと、やはり「おわら風の盆」。規模が大きくて観光客の数も多いし、哀愁を帯びた二胡の調べと男女の艶やかな踊りの所作は盆踊りの域を越えているものだと思います。これに続くのが、国指定重要無形民俗文化財となっている4つの祭り、「高岡御車山祭」、「たてもん祭り」、「放生津八幡宮 曳山・築山行事」と今回の「城端曳山祭」。うち、「高岡御車山祭」、「たてもん祭り」、「城端曳山祭」は、山・鉾・屋台行事のユネスコの無形文化遺産にも登録されています。これらは屋台や曳山のお祭りですが、「福野夜高祭」のような行燈祭りも派手派手だし、けっこうすごいのが獅子舞。富山県の全域にあるのですが、呉東と呼ばれる県東部は二人が演じる「二人立ち獅子」、呉西はさらに多くの人数で演じる「百足獅子」が中心。獅子あやしの跳びはねるような元気な動きと華麗な衣装にも目を引くものがあると思います。
「おわら風の盆」から「高岡御車山祭」と「福野夜高祭」を拝見したところで富山の祭り見物はしばらく中断していましたが、再開するなら、やっぱり「城端曳山祭」からですよね。以前、城端曳山会館で祭りの存在を知り、ずっと気になってもいましたので。
まずは、城端のこと。街の中心は、真宗大谷派の寺、善徳寺。永禄2年(1559年)に福光から移ってくると市が開かれるようにもなり、門前町や市場町として栄え、絹織物も特産品。城端祭は神明社の祭りですが、神明社ができたのは天正2年(1574年)。貞享2年(1685年)、社殿が再建され、そこから春・秋祭りが始まります。神輿が完成し獅子舞や傘鋒の行列が始まったのが享保2年(1717年)。ほどなく、曳山が完成。神輿の巡行に曳山が現れて曳山祭りの基礎ができたので、300年以上の歴史があることになります。なお、庵屋台も文政5年(1822年)には既にあったよう。これも早いうちからのものですね。
さて、城端曳山祭は、毎年5月4~5日。どうせなら6か町の各山宿で飾り山をじっくり拝見できる4日の宵祭から行きたいですよね。祭りの主役は、巨大な御神像の恵比寿、大黒天、布袋、堯王、寿老、関羽・周倉。それぞれに山宿で一夜を過ごされるのですが、艶々とした御神像は日が暮れてくるとやおら活き活きとした表情に変わってきて、不思議な雰囲気が漂います。金沢や京都でお茶屋遊びをしていた旦那衆が着想を得てこういう形になったのだそうですが、確かに特異で類例がない形。素晴らしい着想だと思います。少し説明を加えると、つまり、お祭りにおいて神様は姿が見えないのが一般的。神社の本殿とかお神輿とか。たいていは神様の入れ物によって、神様の存在を感じてもらうというのが基本的なスタイルです。まあ、七福神みたいに積極的に神様の姿をアピールするというのはないことはないですが、なんか中国式みたいで亜流かな。日本では厳かな気配で神様の存在を感じるというのが普通の感覚であって、そういう意味では、城端曳山祭の御神像は類例がないものと感じます。ただ、そんなに気にしなくても、もしかしたら、御神像は神様というより飾りに近いものなのかもしれませんけどね。
スケジュールは、以下の通り。今回は、宵祭の飾り山(御神像)披露と本祭りを拝見。本祭りの方は昼の顔と夜の顔があるのですが、最後、力が尽きて夜の方は見ずに退散しました。心残りがなくはないですが、一番のお目当ては宵祭の飾り山でしたからね。所期の目的は十分果たせたのではないかと思います。
5月4日(宵祭)
18:00~ じょうはな座での庵唄奉納
6ヶ町の各山宿での飾り山(御神像)披露
5月5日(本祭)
10:00~ 神輿の渡御行列
曳山・庵屋台の巡行
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金沢を早めに切り上げて、城端に到着。城端駅から馬の背のような場所に広がる城端の市街に向かいます。城端は一度歩いていますから、不安はありません。
市街の入り口で、さっそく山宿を発見。
出丸町の山宿です。町内の人がそこそこ集まっていて、すぐにそれと気付きました。 -
御神像は、布袋さん。後ろの方で、でんと構えていまして、
それをバックに若い人が記念写真を撮っていました。お祭りで遠くから帰ってきている人もいるんでしょうか。久しぶりの再会とかを楽しんでいるような感じです。 -
山宿のある6か町は、西上町、東下町、出丸町、西下町、東上町、大工町。
それぞれでこうした”飾り山”が行われて、その主役は御神像。御神像はここで一夜を過ごされて、明日の本番を迎えるというわけです。大きさもあるし、艶々とした質感。ニカッと笑っていますが、ちょっと怪しげな雰囲気もあるし、華やいだ中にも神像としての威厳を含んでいるように感じます。逆光でうまく撮れていませんが、本番で曳山に乗ってしまうと全体は見れないし、これこそ今回見たかったものなんですよね~ -
傍らには、曳山と庵屋台。
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明日の本番に向けて準備万端。
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曳山の彫刻も見事。
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唐子のモチーフもおめでたい雰囲気があって、いいですね~
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続いての山宿は、東下町。
曳山と庵屋台が出ていて、 -
こちらも今のうちにチェックしましょう。
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メインの彫刻は、鳳凰。
尾羽の複雑な動きがいいですね。富山の彫刻の産地は井波が有名。京都や奈良、日光だと寺社の需要があって、その技術が継承されているのですが、富山にあっても、井波の彫刻とか高岡の青銅器とか。意外に侮れないものがあるのはもっと知られていいかもしれません。 -
細かい彫刻の方は、これも中国風。楽団風の一団です。
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東下町の御神像は、大黒天。
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一番奥に飾られていますが、その手前の演出がまた大きな見どころ。大黒天の脇を固めるのはからくり人形で、左右の屏風絵に季節の花の生け花。生け花は白い小てまりと大きな葉は朴かな。畳の敷き方も奥に向かって一直線ですが、これは奥行き感を強調するためなんだとか。試行錯誤をしながら、こうした形が出来てきたものと思います。長い伝統の賜物ですね。
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まあ、主役はあくまで御神像。大黒天なんですけどね。
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東上町の御神像は、寿老人。
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演出の形はこれも同じ。
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こちらは、朴の花が一段と立派。
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からくり人形も笑みを浮かべています。
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善徳寺のすぐ前は西上町。
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御神像は、恵比寿です。
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こちらもお見事。
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イチオシ
大きな鯛を脇に抱えて、恵比寿さんは満面の笑顔です。
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城端の有名スポット、土蔵群「蔵回廊」です。曳山がここを通り抜けていくというのも一興。祭りのひとつの見どころになっています。
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その先にあるのが大工町町の山宿。
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御神像は、関羽・周倉。
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蜀・魏・呉の三国志の世界は、諸葛孔明を軍師として、義兄弟ともなった猛将、関羽、張飛を得て、大国、魏・呉に対抗する蜀の劉備。関羽は蜀の劉備に忠誠を貫いた武将です。周倉はあまり有名ではないと思いますが、関羽の家臣とされる架空の人物です。
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大工町町の山宿のそばには桂湯も。
これは、昭和5年頃に建てられた銭湯の建物で、二階建ての正面銅板張りとか歴史を感じるもの。国登録文化財となっています。 -
内部は、手作り雑貨や小物を販売するお店。おばあちゃんがやっているんだと思いますが、商品はちょっと古風なところがまたいいです。
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五つの山宿を見て、また善徳寺のところに帰ってきました。
露店が出始めていますね。 -
ここで、晩飯にします。
南幸は、すぐ近く。メインストリートにも面しているし便利な場所。それに、入ってみると店内は外観の印象と違ってずっと広くて堂々としたもの。豪壮な古民家風でこれ以上の構えはないかもしれません。 -
いただいたのは、うなぎ重。こんがりした焼き具合も絶妙だし、少し甘めのたれも私好みですね。みそ汁は白濁していましたが、それは大豆をすりつぶしたのが入っているから。うなぎの上質な味わいに少し田舎風が加わって、この組み合わせもいいんじゃないでしょうか。いろんな要素が加わって、けっこう満ち足りた気持ちになりました。
元気になったところで、もうひと踏ん張りですね。昼間の金沢の疲れもありましたが、ここでがんばらないと今回の旅の意味はありません。 -
最後に残っていた西下町。
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御神像は、堯王です。
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堯王は、神話伝説時代の君主。三皇五帝の五帝のひとり。五帝は、黄帝、顓頊、帝嚳、帝堯、帝舜です。
日本で言うと、日本書紀に書かれている最初の部分ですから、イザナギ・イザナミに相当する人物だと思いますが、「その仁は天のごとく、その知は神のごとく」と称されていますが、聖人と言っても実在した人物のような具体的な描写。イザナギ・イザナミのような明らかなファンタジーとは違います。朝鮮の建国神話もそれに似たところがあって、最初から人々をうまく統治するといった概念が入っているように思います。それも含めて、儒教が根を張りやすい土壌かな。空海は、三教指帰において、仏教、儒教、道教で一番すぐれているのは仏教であると記していますが、それは今の日本人でもほとんどの人が違和感なく納得すること。しかし、それは実は日本人だけなんですよね。韓国なら仏教は現実の生活には役に立たないとして評価が低くなるんですが、たぶん、日本人はそういう考え方があることにもあんまり気が付いていないのではないかと思います。もちろん、韓国の人は人は死んだら仏になるとか全然思っていないし、中国・韓国と日本って意外に距離がある。それをどう考えるかはまた難しいところなんですけどね。 -
日が暮れて、だんだん雰囲気が出てきましたから、もう一度、山宿を回ってみたいと思います。
最初の布袋さんも、どうでしょう。 -
灯りに浮かび上がって、いい感じ。
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イチオシ
何だか活き活きとしてきたように感じます。
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からくり人形とバックの屏風絵も渋いです。
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大黒天は、
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イチオシ
あんまり変わらないかな~
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通りは既にこんなに暗くなっていますよ。
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寿老人は、
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イチオシ
白いひげと眉が特徴的。
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朴の花と屏風絵の方も素晴らしいです。
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恵比寿さんの方は、屏風絵ではなくて、東海道五十三次の浮世絵が面白い。東海道を旅する恵比寿さんという感じかな~
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大漁大漁の笑顔です。
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関羽・周倉。
手前の朴の花がますます映えてきて、 -
イチオシ
帽子の下からぎろりとした目でこちらを窺う周倉は、笑みを浮かべる関羽との対比が面白いです。
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最後に、もう一度、堯王。
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イチオシ
ここはすっきりした演出。広間で悠々と陣取る堯王です。
宵祭は、これで終了。明日に備えて、ここから砺波の宿に入ります。 -
宿は、Tabist ホテル となみ。砺波駅から近いしすぐに見えて来るのですが、「ビジネスホテルとなみ」という看板なので、これが宿のホテルなのか心配しながら訪ねました。
まあ、そこまでおんぼろホテルではないですが、まあまさに寝るだけのホテルかな。そう思えば不満はないと思います。 -
翌朝、再び城端へ。
出丸町の曳山。 -
布袋さんは既に山の上。
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今日はお天気だし、笑顔が余計映えています。
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朝の光で、彫刻の方も輝くよう。
背後の唐子も -
イチオシ
側面の唐子も、いっそう鮮やかです。
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鳥の彫刻はつけ外しが可能。
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飾り山では、これもは演出の小道具として使われていましたね。
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曳山・庵屋台の巡行のスタートは、善徳寺。
時間までにはここから善徳寺まで移動します。 -
東下町も準備が出来ているよう。
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背後は二羽の鳳凰。
雲間にはばたく姿は、尾羽の優美さが素晴らしい。 -
下部の中国風の彫刻は
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自由に遊びまわる唐子たちです。
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上では、大黒天がでんと構えます。
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そこから善徳寺の方に先回りしましたが、
おー。
獅子舞ですね~ -
獅子あやしは、二人の子ども。
大役ですよね~ -
南町の獅子舞は、呉西スタイルの9人が胴幕内に入り舞う百足獅子。
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イチオシ
笛や太鼓などの囃子方もそれなりの人数です。
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胴幕(かや)は、百足獅子なので大きめ。獅子頭は、黒に金です。
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町内の一軒にやってきて、
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ここから始まり始まり。
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獅子あやしと獅子の掛け合いがいい調子。
興奮してどうにもならない獅子を軽々と手玉に取る獅子あやしの腕が見せどころです。 -
メインストリートには、東上町。
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こちらの曳山もピカピカです。
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変わった彫刻ですが、龍と鳳凰のあいの子というか
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龍が鳳凰になってパワーアップした姿のよう。さらにこれが麒麟になるという話もあるようですが、上には上があるということでしょうかね。
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大工町は、山宿を出発。蔵回廊を進みます。
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山の上では、関羽・周倉がぴったり収まっています。
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西下町の
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堯王は、隣りにあるのが諫鼓鶏(かんこどり)。
諫鼓は人々が堯王に不満があるときに鳴らす太鼓だったのですが、だれも鳴らすものがいないのでとうとう鶏が棲み始めたというお話。堯王の徳を讃える故事ですね。 -
東下町に従って、また善徳寺へ。
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ここで方向転換。
四つの車輪が付いた曳山を -
せーの!で動かします。
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赤い車輪が見事。
高岡の御車山祭りの曳山は、祭りの発祥からしてその車輪の見事さがウリなんですが、ここもそう負けてはいないかも。御車山祭りの影響を受けたのかもしれません。 -
東上町もやってきました。
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善徳寺の山門前で
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イチオシ
これも方向転換。
大仕事ですね~ -
善徳寺の山門から蔵回廊の方に向けて、すべての曳山・庵屋台が揃ったようです。
なかなか壮観ですね。 -
西上町から東下町の辺り。バックに善徳寺が見えています。
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そして、先頭は西上町の庵屋台です。
報道陣がいっぱい集まっていて、なんならとその中に紛れ込ませてもらいました。
ここなら文句なく一等席ですよね。 -
さあ、巡行が始まりましたよ~
巡行はまっすぐこちらにやって来て、目の前で左手に曲がるとそのまま市街のコースに入っていくんです。
庵屋台から -
西上町の曳山。
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しずしずとやってきましたが、
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ここで左に曲がります。
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はい、無事にクリアできました。
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東下町です。
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庵屋台が過ぎて、
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曳山。
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前側は三人。
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山の上からは心配そうに下を見ている人も。
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そして、赤い車輪。
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うーん、やっぱり見事です。
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出丸町の曳山。
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ゆっくりと進んできて、
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これも無事に曲がり切りました。
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西下町。
庵屋台から -
曳山です。
写真の左隅に拍子木を叩いている人分かりますか。
この人が全体の指示役。カンカンと拍子木を叩いて、引き手や押し手に指示を送ります。 -
ぐっと迫ってきて
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はい、方向転換。
たぶん、四つの車輪に同等に重量がかかっていると曲がりにくいので、前か後かどちらかに重心を移して回すのが要領なのかな。息を合わせて操ります。 -
東上町
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庵屋台から
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曳山。
指示役が拍子木を大きく振って -
曳山を呼び寄せます。
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はいはい、
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やってきましたよ~
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目の前で
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方向転換。
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やれやれです。
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最後は、大工町。
指示役がこっちこっちと呼び寄せます。この指示役はまだ若そうですけどね。 -
庵屋台から
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曳山。
こっちの指示役は年配です。 -
イチオシ
指示役が見守る中、
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ゆっくりと
-
方向転換。
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ギシ、
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ギシギシ。
無事にクリアです。
本当に目の前で見物したので、知らず知らずこちらにも力が入っていたのかな。私もけっこうぐったり。これ以上、追掛ける気持ちにはならないですね。 -
では、ここで昼飯にします。
特製弁当付き観覧席を予約していたので、城端曳山会館のところでお弁当を受け取って。昼食会場となっている善徳寺の庫裏の方に向かいます。 -
ここですね。
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座敷に上がると、こんな大広間。
いやいや、これは助かりますね~ -
お弁当は
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地元の食材をふんだんに使ったもの。
こういうのは、やっぱり気持ちが籠っていますよね。昼食会場も含めて、予約したのは正解でした。
しばらく休んでから、また祭りの方へ。 -
城端曳山会館に戻ってきたら
ちょうど神輿の渡御行列が始まるところでした。 -
先頭の剣鉾から、
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8本の傘鉾、四神旗、4基の神輿と続きます。
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特に賑やかなのは、8本の傘鉾。
新町、東上町、大工町、西上町、東下町、出丸町、西下町、野下町。 -
神輿は、神明神社のもの。
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この祭の本当の神様は、この神輿の方かもしれませんね。
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少し待機してから
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やおら
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動き始めました。
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大きな行列ではありませんが、
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祭としては、これも中核のプログラムですからね。
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ただ、何の前触れもなく始まって、
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多くの観光客は始まったことにも気が付いていない感じ。
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観客がほとんどいない中での渡御行列です。
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と
こちらでは大勢の見物人。
細い路地から大通りに出てきた曳山です。
あー、これも見どころのひとつ。つまり、屋根の形。左右が折れて畳まれたような形になっていますが、狭い路地を通るためにこんな仕掛けが付いていたのですね。街のサイズに合わせるためのひと工夫。 -
こうして屋根を折りたたむスタイルや中央に寄せて縮ませるスタイルなんかもあるようで、こうした操作をスムーズに行うこともそれぞれの曳山の腕の見せ所というわけです。
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一方、城端曳山会館の方では、一角が庵唄の所望所になっていまして。
ここでは庵屋台が主役。
これは、西上町。上部は京都祇園の一力茶屋を模した意匠。下部の水引幕も鮮やかです。中には町の若衆が入っていて、笛・太鼓・三味線を弾き、庵唄を披露します。
京都からお師匠さんを呼んで特訓するビデオを拝見したことがありますが、そういう意味では本物の芸。中途半端なものではありません。 -
曳山が後ろで控えている中、所望所の観客に向けて庵唄の披露が行われます。
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東下町の庵屋台。
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上部は、平屋建て二棟構えの数寄屋造り。下部は水引幕ではなく、格子造り構造の胴回りとなっているのが特徴です。
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大黒天は後ろで控えます。
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出丸町。
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庵屋台は、上部と下部の間にある重と呼ばれる部分が彫刻ではなく立体ジオラマの欄間となっているのが特徴です。
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布袋さんの曳山も入ってきました。
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ここで、神輿の渡御行列が帰ってきました。
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こうして庵唄を優先すると神輿の渡御行列は見れないし、
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この辺りは意外に難しい選択ですね。
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今度は大工町。
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庵屋台が入って、唄を披露。
上部は、在原業平の別荘を模したものです。 -
曳山は、関羽・周倉です。
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ところで、所望所はこんな具合。地元のお歴々が最前列に陣取って、その後ろに有料の観覧席が並びます。私は、その観覧席を予約していましたが、そこに座っているだけだったら、神輿の渡御行列も細い路地から大通りに出てきた曳山も見れませんでした。実は事前にそのことに気が付いて、お弁当をもらう際に観覧席の方はキャンセルしました。お祭りの企画を考える人はいろいろ考えるんでしょうが、観光客のニーズは様々ですからね。そこはお互い柔軟に対応するしかないかなと思います。
ここから夜の部もあるのですが、ぎりぎりだと見れなくはないのですが、そこまで粘る体力はもうないかな。ということで、これで退散したいと思います。 -
ただ、最終便までにはまだ少し時間があるので、砺波で途中下車。少し気になったところを訪ねます。
まずは砺波市出町子供歌舞伎曳山会館。どこかの劇場みたいに立派で近代的な建物で、意外や意外。想像以上に本格的な施設でした。 -
館内には
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子供歌舞伎が演じられる
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煌びやかな三基の曳山を展示。
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歌舞伎を演じる舞台がそこそこ大きくて、なかなか立派。
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彫刻なんかもかなりの技巧派ですね。
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その他、衣裳・小道具類の数々に、
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演じる子供たちの活き活きとした写真もあって、
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この子供歌舞伎がいかに歴史があって本格的なものであるのかがよく分かる。
冒頭、富山の祭りをそれなりに紹介しましたが、富山には知らない祭がまだまだあるんだなあと思い知らされた気持ちです。 -
もう一つは、かいにょ苑。
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砺波平野の農村地帯に点在する大型農家の形式をよく残しているとして、砺波市指定文化財となっている旧金岡家住宅を一般公開している施設です。
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明治4年に建てられた建物ですが、堂々とした広さだけでなく、静かな品のある空気感も漂っていて、なかなかのものですね。
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この日は地元の何人かの人が集まって将棋を指していましたが、地域の交流施設としても活用されているようです。
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最後はここで晩飯を食べて帰ります。
志げ乃は、砺波駅から歩いて10分足らず。市街の中心部にある飾らない大衆食堂で、麺類や丼物とかも含めてメニューの種類は多いですね。 -
元はお肉屋さんという情報があったので、かつ丼を注文。まあ、可もなく不可もなくといった感じですが、テキパキ対応してくれるおばちゃんや店内のゆったり感とかも考えれば印象はけっこういい。いろんなシチュエーションで使えるお店だと思います。
では、これで四日間の旅は終了。滋賀→京都→石川→富山の移動距離はさほどでもないと思いますが、帰りの敦賀から京都までのサンダーバードが大幅に遅延して、この日のうちに帰れるかと肝を冷やしました。関西から北陸のラインはやっぱりサンダーバードが命綱。安定運行をお願いします。
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