2024/04/10 - 2024/04/14
287位(同エリア1442件中)
マリアンヌさん
- マリアンヌさんTOP
- 旅行記372冊
- クチコミ25件
- Q&A回答1件
- 348,496アクセス
- フォロワー141人
若い頃に一度行ったことがあった明治村、けれど写真もほとんど無く記憶が薄れてしまいました。
年を重ね、洋館や古い建築に興味を持つようになり、特にフランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテルをゆっくりと見たくて明治村を訪れました。
思っていたより多くの建造物が移築されており、季節柄、桜も咲き乱れて楽しい散策となりました。
-
宿泊プランには朝食はついていなかったが、1500円でバイキング形式の朝食をいただいた。
-
ホテル周辺は緑も多くて気持ち良かった。
東山線伏見から名古屋へ、続いて名鉄で犬山駅へ。 -
そして犬山駅からバスで明治村へ。9:30から開園 入園料は2500円。
正門入口のこの門は、第八高等学校正門。
すなわち名古屋大学教養部の正門で明治42年(1909)に建造されたネオ・ルネッサンス様式とのこと。
https://www.meijimura.com/guide/price/ -
鉄道局新橋工場。建設年:明治22年(1889)
東京・汐留の新橋停車場構内に東京鉄道局が建てた工場施設の一つ。
昭憲皇太后御料車(5号御料車)が展示されていた。 -
覗いてみると、さすが豪華な内装。入ることはできません。
-
三重県庁舎。建設年:明治12年(1879)
玄関を軸に左右対称となっており、正面側に2層のベランダがめぐらされている、明治9年(1876)に建てられた内務省庁舎にならったもので、明治初期の木造官庁舎の典型だそう。
明治42年(1909)に竣工した「東宮御所(現 迎賓館 赤坂離宮)」創建当初の宮廷家具が展示されていた。 -
知事室や会議室。
-
白い洋館に桜がよく似合う。
-
東山梨郡役所。建設年:明治18年(1885)
明治初期は廃藩置県など地方行政の変革により、近代的な役所や教育機関の建造が急務となった。そのため、各地方の大工たちが「見よう見まね」で洋風建築を建てたそう。 -
この界隈は明治村2丁目ゾーン。
左上:第四高等中学校(現 金沢大学)の物理化学実験教場。
右上:京都中井酒造。
左下:千早赤阪小学校講堂(大阪河内)
右下:札幌電話交換局。 -
清水医院。建設年:明治30年(1897)頃
長野県木曽郡大桑村須原の中山道沿いに建てられた医院とのことで、村ではさぞハイカラだったことでしょう。 -
東松家住宅という名古屋市の中心部、堀川の近くにあった町家。
近くにはハイカラ衣装館があり、明治時代風の女学生姿で記念撮影をしたり、散策することが出来る。
京都七条巡査派出所には、警官姿の方も。 -
第四高等学校(現 金沢大学)武術道場。建設年:大正6年(1917)
-
歩兵第六聯隊兵舎。(名古屋)建設年:明治6年(1873)
-
日本赤十字社中央病院病棟(渋谷区広尾)建設年:明治23年(1890)
設計は、赤坂離宮などと同じ宮内省技師・片山東熊だそう。
病院はドイツのハイデルベルク大学病院を模したレンガ造2階建てだったそうで、病棟は木造だったのですね。
現在、建物の廊下に掲げられている彫刻の額は、病院本館の破風に掲げられたものとのこと。道理で存在感があると思った!
意匠は、日本赤十字病院の立ち上げに一役買った、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)のかんざしの意匠をもとにしたといわれているそう。
光あふれる廊下や繊細な軒飾りが美しい。 -
鉄道寮新橋工場(機械館)建設年:明治5年(1872)
内部には、リング精紡機、渦巻ポンプなど日本の近代化の過程で使われた多数の貴重な機械類が展示されている。 -
宇治山田郵便局舎。建設年:明治42年(1909)
伊勢神宮外宮前に建てられた郵便局舎。円錐ドーム形の屋根が特徴的。
外部の装飾は北欧で見られるハーフティンバー様式とのこと。 -
中に入ると窓口業務を行っていたカウンターが円形になっていて、とてもモダン。
アイボリーカラーで素敵だなぁ。 -
工部省品川硝子製造所。(東京都品川)建設年:明治10年(1877)頃
明治政府は、民営のガラス工場、品川興行社を買い上げて国営工場とし、施設を拡張・整備し、イギリス人の技術者たちを雇い入れて、需要の急増した板ガラスやガラス瓶などの国産化を急いだそう。 -
イギリス積みのレンガ壁だそうで、横浜のレンガ倉庫を思い出したけど、それよりずっと古い時代に造られたんですね。
デンキブラン汐留バーになっていて、珈琲いただきました。デンキブランって浅草の神谷バーのですよね、お酒弱くて残念。 -
教会が見えてきた。
-
小泉八雲避暑の家。(静岡県焼津市)
アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれたラフカディオ・ハーンこと小泉八雲(1850-1904)の避暑の家とのこと。
アイルランドで生まれ、アメリカで新聞記者などを経て、明治23年(1890)に来日し、英語教師として松江中学を始め各地へ赴任、明治29年(1896)に日本に帰化し、同年東京帝国大学に招かれ教鞭をとるようになると、毎年夏を焼津で過ごすようになったそう。
一瞬シーボルトを思い出したけど、彼は日本で生涯を終えて雑司が谷に葬られているんですね。「耳なし芳一」や「雪女」くらいしか読んでないけど(汗)
駄菓子屋さんになってました。 -
呉服座(大阪府池田市)建設年:明治25年(1892)
江戸時代から続く伝統建築の名残をとどめた芝居小屋。
以前訪れた秋田の小坂鉱山事務所の康楽館は、明治43年建築なので、より古い時代に造られたのね。
https://4travel.jp/travelogue/11768978 -
半田東湯(愛知県半田市)。建設年:明治末年(1910)頃
中には入らなかったけど、江戸東京たてもの園や都内のカフェとか案外、銭湯は残っていますね。 -
本郷喜之床。建設年:明治末年(1910)頃
すごい人が並んでいるなと思ったら、この建物の2階二間を明治42年(1909)から歌人石川啄木が間借りして家族と生活していたそうで、この日は啄木忌(命日)のために人が押し寄せていたようだ。
そういえば、盛岡で啄木新婚の家を訪れたことがあった。
1階は並ばず見れたので、店の正面をガラス張りにしたバーバーともいわれた床屋を見学した。 -
園内を走るレトロ風バス。
-
季節はちょうど八重桜、青空に桜が映えてきれいだった。何故か赤い紅葉も。
-
楽しみにしていた教会が見えてきた。
-
聖ザビエル天主堂(京都市)建設年:明治23年(1890)
16世紀に来日したフランシスコ・ザビエルを記念し、京都・河原町三条に建てられたカトリック教会堂。明治12年(1879)、パリ外国宣教会のヴィリオン神父が入洛したことが始まりとされているそう。 -
室内は身廊と側廊からなる三廊式。大アーケード、トリフォリウム、クリアストーリー(高窓階)の3層によるケヤキでできた典型的なゴシック様式。
-
明治村移築に伴い、保管と保存のために取り外した、当初の薔薇窓。美しい。
色ガラスに白ペンキで草花模様を描いているそう。 -
日本キリスト教伝来は、イエズス会のザビエル、スペイン、ポルトガル、イタリアなど出身の修道士が布教。その後、天正遣欧少年使節派遣はじめ布教が広がったものの秀吉、家康の時代に鎖国となり禁教となった。
キリシタン史に惹かれて五島、長崎を訪れた時にも思ったのだが、明治開国後は、ローマ教皇庁は、フランスに本部を置くパリ外国宣教会 に日本への宣教師派遣を依頼した。1865年大浦天主堂献堂式、プティジャン神父の「信徒発見」。
https://4travel.jp/travelogue/11754644
時代の趨勢でフランスなんだなと感じたのだが、京都にもパリ外国宣教会によって献堂されたのですね。 -
ステンドグラスから光がはいって美しい。
-
内陣には、聖ステファノ(最初の殉職者)、聖ペテロ(十二使徒)、聖ヨセフ(聖母マリアの配偶者)、聖フランシスコ・ザビエル、大天使ミカエル、洗礼者聖ヨハネ、アッシジの聖フランチェスコが並んでいる。
-
可愛くてデザインのステンドグラス。
-
天井は交差リブ・ヴォールト天井。天井中央リブの交差している部分に「ボス(BOSS)」と呼ばれる要石(キーストーン)が付いている。
アカンサスの葉で囲まれた聖フランシスコ・ザビエルの頭文字FとXを組み合わせたモノグラム。 -
柱頭彫刻は、こんな感じ。
壁には、聖書の額絵が飾られていた。 -
入口の上部の薔薇窓。
-
丸窓の可愛いデザイン。
-
シンプルながら美しい。
-
微妙に配色が違うシンプルなステンドグラス。
-
側廊。想像以上に良い保存状態で雰囲気を満喫した。
-
遠景から。村内は、ずいぶん広い。
-
八重桜越しの小那沙美島燈台。
明治21年(1888)に海軍兵学校が広島の江田島に移され、広島湾岸が軍事上の要所とされたため設置されたそう。 -
わぁ帝国ホテルが見えてきました。これを見たかった!
帝国ホテル中央玄関。建設年:大正12年(1923)
20世紀建築界の巨匠として名高いフランク・ロイド・ライト(1867-1959)によって設計された、旧帝国ホテルの中央玄関部。
平等院鳳凰堂を思わせる左右対称のデザインは、1893年に開催されたシカゴ博覧会で見た平等院鳳凰堂を模した日本パヴィリオン由来なのではとのこと。
日比谷通りから池を見ながらポルトコシエ(車寄せ)へと向かう感じも再現されている。 -
そもそも帝国ホテルの創業は1890年。近代国家を目指す日本の「迎賓館」の役割を担う場として、政財界人らの働きかけによって生まれたホテル。渋沢栄一 が、初代取締役会長だったのですね。
そして2代目本館「ライト館」は、ライト45歳の時に設計に着手し、56歳の時完成、最も脂の乗り切った時代の作品であり、ライト建築の金字塔とのこと。 -
日比谷公園を正面に、総面積34,000㎡余の大建築だったそうだが、エントランス、ロビー、ラウンジ部分が、再現されている。
-
アメリカ人であるライトが、なぜ日本を代表するホテルの設計をすることになったのかというと、帝国ホテル七代目支配人として着任したニューヨークの東洋美術商に勤務していた林愛作と浮世絵を通じ旧知の間柄だったからだそう。
-
既存の西洋建築ではないという熱意が裏目に出て、1921年竣工予定のはずが工期は大幅に遅れ、建設費も当初の倍近くに膨れ上がり1922年4月には、初代本館が失火で全焼した。林愛作はライトを擁護するもその責任を取って支配人を辞任。
ライトもその3か月後にアメリカへ帰国、二度と日本の地を踏むことは無かったそう。
その後ライト館の設計は弟子の遠藤新が引き継ぎ、1923年に無事完成した。 -
そして完成披露パーティーの日にホテルは関東大震災に見舞われるが、日比谷の軟弱地盤地に対し基礎の杭を短くし振動を吸収するライト独自の工法が功を奏し、ほぼ無傷で済んだそう。
-
大谷石が独特な加工をされている。
私の出身地方では、大谷石って火事に強いので裕福な家の蔵に使われていた身近な素材。 -
エントランスドアを通り、 ホワイエを数歩進むと眼前に3層吹き抜けロビーの視界が開ける。
-
半円形のエントランスが面白い。アールデコの灯りも美しい。
-
扉にも細やかな意匠がなされている。
-
赤い絨毯敷きの階段を上ると、3階まで吹き抜けたロビーが広がっている。
-
大谷石が印象的なレセプション。
-
吹き抜けの高さは7.5m程、4隅を支える光の柱が印象的。
-
私は訪れたことはないのだけれど、アジアの遺跡のような何ともいえない雰囲気がある。
-
メインロビーにある、テラコッタと大谷石を組み合わせた照明も兼ねた「光の龍柱」。
3階まで吹き抜けになっていて、大谷石の隙間からこぼれるあたたかい光が、訪れる人を出迎える。 -
イチオシ
アールデコな灯り、テーブルがまわりの雰囲気に溶け込んでいる。
-
噴水でも出ていたのかな?
-
ホールの2階に上がってみます。
-
アールデコなステンドグラス。
-
不思議な形の開口部、大谷石の装飾が面白い。
スダレレンガ壁に透かしテラコッタの装飾。 -
加工のしやすさから大谷石はライトに重宝されたが、劣化が早かったため、復元では大谷石の一部をコンクリートや擬石で代用し、テラコッタを樹脂製で代用するなど工夫されたそう。
-
この光に透けるテラコッタが凝っている。
-
ホール2階を何度もぐるぐる回遊してしまった。
-
ということでライトデザイン(復元)の椅子にかけ、コーヒーブレイク。
-
どんな角度から見ても計算されているように美しくて新鮮。
-
天井も高く光がそそぐラウンジ。椅子もライトのデザイン。
-
細やかな装飾が、あちこち楽しい。
-
お持ち帰りしたいデザインの灯り。
ライトのデザインしたカップが飾られていた。
ライトの椅子には、座っても良いですと書かれていた。 -
確かに大谷石って加工しやすいのね。
-
左は通路の天井のテラコッタ。
右は板張りの壁の装飾。
こうして実際に念願だった帝国ホテルを見れて感動だった。 -
高田小熊写真館。建設年:明治41年(1908)頃
明治時代、文明開化の象徴のようなだったハイカラな写真館。
長椅子が素敵。 -
金沢監獄中央看守所・監房。建設年:明治40年(1907)
八角形の看守所を中心に5つの監房棟が放射状に並ぶ洋式の配置とのこと。
奈良の監獄はホテルになるのですよね、でも高そう。
官房に人形などあって怖かった。 -
東京駅警備巡査派出所。建設年:大正3年(1914)頃
辰野金吾の設計の東京駅丸の内側広場の中央にあった派出所。庁の設計によって同時期に建てたと伝えられているそう。
宮津裁判所法廷。(京都府)建設年:明治19年(1886)
明治初期において、上級審は洋風煉瓦造であることが多いのに対して、宮津裁判所は和洋折衷の木造建築。 -
金沢監獄正門。建設年:明治40年(1907)
赤レンガに白花崗岩の帯状装飾を入れたネオ・ルネッサンス様式。
奈良、長崎、金沢、千葉、鹿児島の五大監獄を設計したのは、ジャズプレイヤー山下洋輔の祖父、山下啓次郎なんですよね。 -
名鉄岩倉変電所。建設年:明治45年(1912)
内部は、明治村で結婚式をなさる方もあるようで、ブライダル申込所になっていた。 -
内閣文庫。建設年:明治44年(1911)
赤坂離宮内に「太政官文庫」という名で開設された明治政府の図書館。
設計者は後に国会議事堂の建設を指揮することになる大熊喜邦でルネッサンス様式を基調とした石と煉瓦で造られた建築とのこと。 -
内部はシンプルでありながら気品がある。
-
川崎銀行本店。建設年:昭和2年(1927)
日本橋のシンボルとして愛された銀行建築とのこと。 -
割れてしまったかのような部分的保存。
設計は、ドイツの大学で建築を学び、帰国後に多くの銀行建築に携わった矢部又吉(1869-1927)だそう。 -
大明寺聖パウロ教会堂。建設年:明治12年(1879)
長崎湾の入口に位置する伊王島建設されたカトリック教会堂の一つで、フランス人宣教師ブレル神父の指導のもと、大浦天主堂建設に携わった地元大工の大渡伊勢吉によって建設されたそう。内部は三廊式のゴシック様式になっている。 -
列柱は、太い円柱の周りに細い柱を束ねた束ね柱になっている。
五島列島旅行を思い出します。
https://4travel.jp/travelogue/11753810 -
時代が新しいのか?可愛らしい祭壇。
-
ルルドの洞窟にあるマリア像も祀られていた。
教会堂の庭にあるものは見かけるが、内陣にあるのは初めてみた。 -
春なのに赤いモミジ。立派な石垣と思ったら酒蔵。
-
菊の世酒蔵。(愛知県刈谷市)建設年:明治初年(1868)頃
多くの蔵人や杜氏が働いていたのでしょうね。 -
桜越しの隅田川新大橋。
-
ランチは、明治の洋食屋の雰囲気にした浪漫亭で、デミグラスオムライスとクリームソーダをいただいた。
-
アメリカのブルックス社から購入した尾西鉄道蒸気機関車1号。
神奈川県川崎間の六郷川にかかっていた鉄橋。 -
歩兵第六聯隊兵舎。建設年:明治6年(1873)
ブラジル移民住宅。建設年:大正8年(1919)
これもサンパウロからよく運んだね。 -
ハワイ移民集会所。
ハワイ島に建てられた日本人向けの教会で、教会の役目を終えた後は、集会所になったそう。ハワイからよく運びましたね。 -
シアトル日系福音教会(旧シアトル住宅)。建設年:明治40年(1907)頃
ワシントン州シアトル市に建てられた住宅。日系移民が苦労の末、手に入れたが、第二次世界大戦時、日本人の強制収容により家を追われることに。 -
戦後は別の日系一世が買い求め、教会として使われたそう。こちらもよく日本に移送したね。
-
品川燈台。建設年:明治3年(1870)
品川沖の第ニ台場の西端に建てられたそう。 -
神戸山手西洋人住居。建設年:明治20年(1887)頃
創建当初は外国人の住居だったが、明治29年(1896)から日本人増田周助氏の所有となったが、その後再び外国人所有となったそう。 -
ペールグリーンの美しいベランダ。
-
本来、ガイドとともに内覧出来るが、終了直後でササッとならいいですよと許可をいただき、見ることができた。
-
長崎居留地二十五番館。本館:明治22年(1889)
洋館好きな私、長崎旅行でもずいぶん見ることができたが、ここにも移築されていたんですね。
https://4travel.jp/travelogue/11754656 -
京都市電にも乗りました。運行しています。
京都市電は明治28年、第4回内国勧業博覧会の会場輸送の足として利用されたそう。 -
芝川又右衛門邸。(兵庫県西宮市)建設年:明治44年(1911)
大阪の商人であった芝川又右衛門の別荘。設計者は、のちに京都帝国大学建築学科の創設者となる武田五一とのこと。
ガイドとともに内覧することが、出来た。
ヴィクトリアンタイルを用いた暖炉や斬新なデザインの小さな灯り、ハートマークのデザインがキュート。 -
和洋折衷であちこちに細やかな意匠が施されていた。
意外なことに、座敷の襖戸を開けると暖炉が設けられていた。 -
エントランスを見上げると様々な数寄屋造りの天井。
ステンドグラスや灯りも美しい。 -
北里研究所本館・医学館。建設年:大正4年(1915)
ドイツでロベルト・コッホに師事し、細菌学を研究した北里柴三郎博士が伝染病の研究所として創立した研究所。
中央正面の段型切妻の意匠がいかにもドイツという感じのドイツ・バロック風の建築。 -
西園寺公望別邸「坐漁荘」。(静岡市)建設年:大正9年(1920)
当日は、茶会会場になっていて、残念ながら入ることが出来なかった。 -
幸田露伴住宅「蝸牛庵」。建設年:明治初年(1868)頃
尾崎紅葉と文壇の人気を二分した明治を代表する作家、幸田露伴が借家住まいをしていた住宅。引越をよくする人だったので、住まいを替えるヤドカリをもじって蝸牛庵と呼んだそう。 -
閉館は17 時。16時過ぎてきたので、急いで1丁目へ。
右上:三重県尋常師範学校。
右下:大井牛肉店(神戸市)さすが神戸の洋館と並んでも遜色がない。
左上:学習院長官舎。
左下:聖ヨハネ教会堂。日本聖公会京都五条教会堂として建設された教会堂
残念ながらお茶会会場で入れなかった。 -
西郷從道邸。(目黒区)建設年:明治13年(1880)
西郷隆盛の弟、西郷従道が建てた住宅のうち、接客用に設けられた洋館。 -
いくつかの部屋に食器も飾られて、雰囲気を醸し出していた。
-
森鷗外・夏目漱石住宅。(文京区千駄木)建設年:明治20年(1887)頃
明治の文豪である森鷗外と夏目漱石が、奇しくも相次いで借家した和風住宅。
鷗外は、ここに移り住む同年の1月、処女作小説『舞姫』を発表。この家では『文づかひ』等の小説を執筆。
その後、夏目漱石が住み、漱石はここで『吾輩は猫である』を発表したそう。
手前の猫が喋りだして説明してくれた。
思ったより沢山の建物が移築されていて、1日中満喫できました。 -
バスで犬山に戻り、名鉄で名古屋に帰った。
昨日同様、JRセントラルタワーズ・JRゲートタワーの12階レストランフロアで夕食。
豆腐懐石、とても美味しかった。 -
広小路通りの教会風のステンドグラスがキレイだなと横目にしながらホテルに戻った。最上階の窓からの夜景もなかなかだった。
最終日は、名古屋近郊に出かけます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- salsaladyさん 2024/04/28 09:22:04
- 良い選択をされましたね~
- ☆明治村。。。20代の劇団時代に各地の公演の後、訪れた記憶がある位で。。。
☆ラフカディオハーンが焼津に「避暑地の家」をお持ちになった~島根在かと思ってました。
☆ライト作の椅子に座られて、ライト作のカップで紅茶を~優雅ですよね。東京の帝国ホテルで卒業謝恩会に参加した時は既にこのエントランスは無かったのか?定かではありませんので、見た様な気がするだけ?何時頃移築されたのかしら。。。又行かねば~
- マリアンヌさん からの返信 2024/04/29 11:36:06
- RE: 良い選択をされましたね?
- いつもコメントいただき、ありがとうございます。
☆明治村。。。20代の劇団時代に各地の公演の後、訪れた記憶がある位で。。。
→まぁ劇団にいらしたんですね。
☆ラフカディオハーンが焼津に「避暑地の家」をお持ちになった~島根在かと思ってました。
→私も小泉八雲といえば島根というイメージでした。
☆ライト作の椅子に座られて、ライト作のカップで紅茶を?優雅ですよね。東京の帝国ホテルで卒業謝恩会に参加した時は既にこのエントランスは無かったのか?定かではありませんので、見た様な気がするだけ?何時頃移築されたのかしら。。。又行かねば?
→移築年は、昭和51年(1976)だそうです。
私も若い頃に訪れたんですが、記憶がおぼろげです(汗)
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 奈良・三重・愛知旅
2
114