2024/04/10 - 2024/04/14
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マリアンヌさん
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以前から気になっていたINAXライブミュージアム。
SNSにも美しいタイルの画像がアップされ、見てみたいと思っていました。
そして「帝国ホテル煉瓦製作所― フランク・ロイド・ライトのデザインに挑んだ常滑の職人 ―」の展示があると知り、この機会に出かけることにしました。
前日に明治村で保存された帝国ホテルを見てきただけに、建築材料だったテラコッタや煉瓦について肌感覚で感じることが出来て、興味深かったです。
それから世界のタイルの展示は、思っていたより沢山収集されていて、なかなか楽しめました。
名古屋に戻り、陶器好きなのでNoritakeの森に行ってみました。
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名古屋といえば喫茶店のモーニングが有名。名古屋2日目の朝は早起きしてチェックアウトし、歩いて四間道(しけみち)へ向かった。
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この界隈は、江戸時代の初め慶長15年(1610年)名古屋城築城とともに始まった清須越にともなってつくられた商人町とのこと。
四間道(しけみち)は、元禄13年(1700年)の大火の後、防火の目的と商業活動のため、道路幅を四間(約7メートル)に広げたので、その名前がついたといわれているそう。 -
土蔵群と軒を連ねる町家が通りに面して建ち並んでいる現在の四間道の景観は、元文年間(1740年頃)につくられたそう。
名古屋駅に近いのによく保存されたね。 -
民家の屋根の上に小さな社を祀る、尾張地方独特の風習「屋根神」が見られた。
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検索して雰囲気が良かったので伺ったのだけど、開店8時には既に行列が出来ていた。
<喫茶 ニューポピー>
https://www.facebook.com/kissa.newpoppy/ -
ほどなく蔵の2階席に案内された。数人席の小さな3階もあった。
落ち着いた雰囲気だった。 -
トーストにあんこ!は衝撃的だけど、名古屋は定番みたいなのでチャレンジしてみた。私はプレーンのトーストのほうが好きかな(汗)
でもコーヒー代のみなのでお得でした。 -
フランス風のお店などもあるようだったが、散策を少し急いで地下鉄のセンターから名古屋へ。
名鉄名古屋発9:31 常滑着10:01 -
バスのつなぎを考慮して常滑に着いたのだが、INAXライブミュージアム方面行きのバスは本日休止とのこと。
親切な知多バスの運転手さんが、無料バスを教えて下さり、途中までバス乗車して、そこからは徒歩で向かった。 -
歩いて行くとお囃子が聞こえてきた。春祭りだったんだ!
山車が引き回されていた。 -
INAXライブミュージアムのランドマークの煙突が見えてきた。
受付は、この建物にあり、入場料700円。
https://livingculture.lixil.com/ilm/ -
大正時代に建造された土管工場の大きな窯と建屋。
大正から昭和40年代にかけて常滑の土管産業は、隆盛したそう。 -
土管製造のイメージ画像が映されていた。
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帝国ホテル煉瓦製作所
― フランク・ロイド・ライトのデザインに挑んだ常滑の職人 ―
これを楽しみにして来ました。
昨日見てきた帝国ホテル旧本館(ライト館)、使われたやきものの数は400万個以上。設計にあたり、ライトは帝国ホテル側にさまざまな要求をしたといわれているそう。焼き上がりは赤でなく黄色であること、煉瓦表面に入れる縦の溝が綺麗に揃っていること、複雑な形状のテラコッタをつくること・・・
膨大な数と高度な造形の要求に挑み応えたのが、愛知県常滑の職人たちなんですね。 -
1917-21(大正6-10)年、帝国ホテル旧本館の煉瓦とテラコッタを製作するためだけに、直営工場「帝国ホテル煉瓦製作所」が常滑に設けられたそう。
当初、精緻な幾何学模様のテラコッタや光を通す透かし彫のテラコッタ、均等に筋を入れたスダレ煉瓦などライトの要求する建材としての煉瓦を用意できるかどうか見通しすらたたなかったそう。
上:<無釉湿式黄色テラコッタと化粧煉瓦>明治時代末
建築家 武田五一は、国産の化粧煉瓦制作のため、工場を数回訪れ直接指導した。
下:<化粧煉瓦>
品川白煉瓦1914(大正3)年 東京駅丸の内駅舎で使用 -
上:赤く焼きあがる土とそれを焼成したもの
下:黄色く焼きあがる土とそれを焼成したもの -
ライトが要求したスダレ煉瓦の数は、250万丁。東京ドームのグラウンドに敷き詰めると32面相当だそう。
左上:<スダレ煉瓦の役物(やくもの)>帝国ホテルライト館で使用。
端や角をきれいに仕上げるために用いる特殊形状の煉瓦。
右上:<スダレ煉瓦>帝国ホテルライト館で使用。
左下:<クリンカータイル>帝国ホテルライト館で使用。
常滑でつくられた床用のタイル。 -
テラコッタ
換気口や照明器具の一部とした使われた。
常滑の職人たちの闘いは、ついに終わり、スダレ煉瓦250 万丁、穴抜け煉瓦150 万丁、複雑なデザインのテラコッタの数々、総数400万丁を超える焼き物建材をつくりあげた。
帝国ホテル煉瓦製作所は、全ての業務を完遂して1921(大正10)年に閉鎖し、伊奈初之烝・長太郎親子が、その設備と職人を引き継いだそう。 -
世界のタイル博物館へ。
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青いタイルの門から入ります。時代別の装飾タイル空間が再現されている。
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クレイペグによる壁空間(BC3500年頃、メソポタミア地域ウルク)
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魂のための扉(BC2650年頃、エジプト)
世界最古のピラミッド、ジェセル王の「階段ピラミッド」の地下空間にある扉。
折しも昨年12月エジプト旅行時、階段ピラミッドも見に行った。 -
ブルーの色は生命の色であり、王の再生や復活を願ってブルーのタイルが張られたのではないかと言われているそう。
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イスラームのタイル張りドーム天井。
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12種類の形と7色のモザイクタイルを組み合わせて、幾何学の天才たちが生み出したタイルパターンをここに再現しているそう。
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ブルー&ホワイトのタイル(17~18世紀、オランダ)
世界的な貿易で富を得たオランダの市民層は、住まいにつつましやかにタイルを取り込んだ。 -
異国情緒豊かな中国の染付磁器を参考に白地にコバルトブルーで花や風景などの身近なものを描いたタイル(ブルー&ホワイト)。
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ヴィクトリアン・タイル(1830~1903年、イギリス)
産業革命によって中産階級が富を得て、タイルを豊かに使い始めた。 -
タイルは当時の美術の流れであるアール・ヌーボー様式を取り入れた彩り豊かな花モチーフのような図柄。可愛いね。
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現代日本の試み
桜や向日葵でしょうか。 -
日本の四季、紅葉と雪ですね。
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シチリアのカルタジローネのマヨルカ焼き階段を思わせる。
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案内表示より
「彩釉煉瓦(さいゆうれんが)
煉瓦づくりの建物に色の装飾性を与えたり、色によって建物の用途を区分したりするのに用いられた。煉瓦の特定の面にだけ色釉がかけられ、レリーフが施される場合もある。」
一番下の写真:「エジプト・ファイアンス
粘土を主原料に銅を発色剤とした、青釉のかかる独特な焼き物。砂の主成分である珪砂にナトロンと呼ばれる炭酸ナトリウムを加えて焼き固めたものであり、現在のガラスの成分とほぼ同じであることからガラスの起源ともいわれている。」 -
案内表示より
「青釉薬タイル
トルコ石ブルーとも称される青釉は、砂漠地帯で貴重な水を想起させ、権威の象徴としても用いられた。12世紀以降、主にモスクなどの宗教建築や宮殿の壁面を覆いつくした。」 -
青釉の十字架が際立って印象的。
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ラスター彩人物文星形タイルとラスター彩鳥獣十字形タイル。
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案内常時やり
「釉下彩タイル(ゆうかさい)
モスクなどの宗教建築」だけでなく、生活空間にもタイルが使われるようになると、白地に青、水色、黄、紫、緑、黒などの多色彩で庭園や人物が描かれた絵画のようなタイルがつくられた。」 -
案内表示より
「クエルダ・セカタイル
15世紀ごろになると、緻密で複雑な文様を早く簡単に描くために、顔料入りの油の線で色を分けるクエルダ・セカの技法が考案された。従来の色に茶、紫、緑を加えた多色を用いるのが特徴で、七彩(?フト・ランギ)タイルとも呼ばれる。」 -
案内表示より
「多彩人物レリーフタイル 19 世紀イラン
ペルシャ神話王書に登場する王
上段左から マヌーチェフル、タフムーラス
下段左から イーラジ、スィヤーマク」 -
案内表示より
「パキスタン 15~19世紀
中央アジアで興ったティムール朝の影響により、ムルターンで白地藍彩のタイルがつくられている。ここに展示するタイルは19世紀前後のもので、赤味のある素地に白い化粧掛けを施した上に、水色や薄紫、青で絵付けしてある。幾何学模様にもティムール朝時代の影響による変化がみられる。」 -
案内表示より
「シリア 14 ~ 20世紀
オスマン朝盛期のシリアでは、ダマスカスなどの窯業地で白地藍彩や藍、青、緑、薄紫やオリーブ色が使われた白地多彩タイルがつくられた。石材が豊富な地域でタイルの使用量は限られた。」 -
案内表示より
「多彩物語図組絵タイル<ホスローとシーリーン> 18~19世紀イラン
1177~81年にペルシア詩人ニザーミーによって詠まれた恋愛叙事詩の一場面。ササーン朝のホスロー2世(590~628在位)は、アルメニアの美しい王女シリーンの噂を聞いて会いに向かい、沐浴をする美しい女性に出会う。あまりの美しさに魅せられ心奪われる。この女性こそが、美男の誉高いホスローの噂を聞き隣国へ向かうシーリーン自身であったが、その時はお互いのことは全く知らなかった。」 -
案内表示より
「多彩野宴図組絵タイル 18世紀イラン
コーランの一節に楽園に住む者は信仰篤きもの、永遠の清らを保つ少年らが清浄な飲物を捧げる。縁したたる園には鳥が歌い、果実がたわわに実るとあり、この場面を描いたものであろう。サファヴィー朝の宮殿を飾ったもので、当時はふくよかな頬が好まれた。」 -
案内表示より
「トルコ 15~17世紀
トルコでは、15世紀から16世紀にかけてアナトリア半島西部のイズニックで、白地藍彩や白地多彩のタイルがつくられた。トマト赤などと称される鮮明な赤色が特徴的なタイルは、16世紀後半に登場するが17世紀には衰退する。白地藍彩タイルは中国の染付磁器に影響を受けたもの。」 -
案内表示より
「モロッコ 14世紀
日沈む地、西を意味するマグリブ地方は、ローマやイスラム統治時代を経た異文化が合流する地域であるが、建築においては色鮮やかなカットワーク・モザイクタイルによる装飾が特徴的である。モロッコでは、昔ながらの手作業によるカットワーク・モザイクタイルの制作が現在も行われている。」 -
案内表示より
「スパニッシュ・マヨリカ 18世紀
15世紀末、イスラム教が撤退した後もスペインで発展した錫釉(すずゆう)色絵陶器は、地中海のマヨルカ島を経由し、イタリアに伝わった。さらに、ヨーロッパ各地に広まってマヨリカ陶器と呼ばれた。
17~18世紀になるとマヨリカ陶器はこの技法の発祥地であるスペインに回帰し、草花、果実、人物などが明るい色彩で描かれた錫釉色絵タイルがつくられた。」 -
案内表示より
「イスパノ・モレスク様式 14~16世紀
北アフリカのマグリブを経て8世紀から10世紀にかけてイベリア半島のスペインに上陸したイスラム教徒は、15世紀末キリスト教徒による国土回復運動(レコンキスタ)によって撤退するまで、イベリア半島の歴史と文化を形づくった。イスラム教支配下のスペインでイスラムの影響を受けながら独自に生み出された焼き物の様式はイスパノ・モレスク様式と呼ばれ、タイル製造技術も大きく発展した。」
若い頃、訪れたグラナダなどでたくさん見たなぁ。 -
案内表示より
「ラスター・コバルト彩タイル
コバルトブルーは錫釉(すずゆう)の白さを引き立てるだけでなく、ラスターとの相性もよい。マラガをはじめとするアンダルシア地方でつくられた。」 -
案内表示より
「グラナダの緑釉タイル
アルハンブラ宮殿で知られるスペイン南部、アンダルシア地方の都市グラナダでは18世紀ごろから、錫釉で化粧掛けをした上に銅(緑)で淡く絵付けし、コバルト(青)で輪郭を強調した緑釉のタイルがつくられた。」
現代版の緑釉の施された花瓶を土産に買ったなぁ。 -
案内表示より
左上:創世記 第24章にあるアブラハムの息子イサクの結婚にまつわる話。息子イサクの嫁を探すようアブラハムに遣わされたしもべが、井戸のそばで水瓶から水を飲ませてくれた美しい娘リベカと出会う。
右上:創世記 21章、アブラハムとその妻サラから家を追い出されたハガルの物語。荒野をさまよい水も尽きてハガルが泣いていると、神の使いが現れる。気がつくと井戸があり、ハガルは子供に水を飲ませることができた。
左下:創世記 19章、都市ソドムが神によって滅ぼされることを知らされたロトは妻と娘を連れて町を逃れるが、途中、二人の神の使いの言葉に背いて後ろを振り返った妻は塩の柱となってしまう。
右下:ヨハネによる福音書第3章、イエスと敵対するファリサイ派指導者ニコデモが、イエスに問答する。イエスは霊的に生まれ変わる必要性を説く。ニコデモはイエスが十字架にかけられた後、遺体を引き取り埋葬した。 -
案内表示より
左上:マタイによる福音書 第26章。捕らえられたイエスの仲間だと指摘された弟子のペテロが、そんな人は知らないとしらを切る。三度目に知らないと口にした直後に鶏が鳴き、三度裏切るだろうとイエスから言われたことを思い出し、激しく泣いた。
右上:ルカによる福音書 第24章。十字架の刑に処せられたイエスは岩の墓に葬られたが、3日後にイエスに従ってきた女たちが墓を訪れると遺体がなかった。途方に暮れる女たちの前に神の使いがイエスの復活を告げる。
左下:出エジプト記 第31章。イスラエルの民を連れてエジプトを脱出したモーゼがシナイ山で律法と戒めの契約を記した2枚の石版を神から授けられた。6日仕事をしたのち7日目を聖なる安息日とすることを契約に記している。
右下:エステル記 第5章。ペルシャの高官ハマンはユダヤ人モルデカイに対する個人的恨みから、国内に住むユダヤ人の全滅を図る。モルデカイの養女エステルは、ペルシャ王アハシュエロスの妃に選ばれ、王にユダヤ人を救うように願い、ハマンが死刑になる。 -
案内表示より
「オランダのタイル
17~18世紀のオランダでは、大航海時代を迎えて富を蓄えた新しい市民が台頭してきた。タイルによる装飾は、もはや神のためのものではなく人間のためにあるものだと、慎ましやか生活の中に取り込むようになった。フェルメールの絵画にも床の幅木にタイルが使われている様子が描かれている。中でも人気なのが、中国の染付磁器の影響を受けて、デルフト焼と呼ばれる陶器質の白地藍彩タイルであった。」 -
案内表示より
「イギリスのタイル
産業革命の時代に富を得た人々は、新しい文化を生活の中に貪欲に取り込んでいった。中でも芸術性や清潔感に富むタイルは、高まる衛生志向とともに住宅には欠かせないものとして中級階級を中心に普及していった。機械による大量生産が可能になり、1900年前後の建築ブームの中、ミントンやウェッジウッドなど多くのタイルメーカーによって、多様な様式のタイルが生産された。一方で画一的な工業製品への反動から、従来の手仕事を再評価するアーツ・アンド・クラフツ運動が興った。
前日、明治村の芝川又右衛門邸の暖炉を見たばかりだね。 -
案内表示より
「ヴィクトリアンタイル 19~20世紀
18世紀末から始まる産業革命によって富を得た人々の間で、19世紀末に建築ブームが巻き起こった。職住分職が進み、空気のきれいな郊外に意匠を凝らした住宅を建てる人々にとって、タイルは建材としてふさわしく欠かせないものとして普及した。この時代の装飾性豊かなタイルを時の女王に因みヴィクトリアンタイルと呼ぶ。タイル製造においても技術革新による工業化が進み、さまざまな加飾技法が考案された。」 -
ヴィクトリアンタイルの意匠は、アンティーク好きな私としては、とても好きな感じ。
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案内表示より
「チューブライニング風レリーフ
幾何学文様や花柄などの図柄の輪郭を、金型を用いたプレス成形により凸の線で表現し、輪郭線に囲まれた凹んだ部分に多彩な色釉を塗って焼成したタイル。」 -
アールヌーボーっぽい線や植物柄だね。
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ギリシャ神話のニンフのような図柄や緑の図像化された花など素敵なタイルの数々。
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凹凸のあるデザインタイルも良い感じ。
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案内表示より
「右のタイル:鳥かごを持った女性
鳥かごには子供が入っており、ギリシア・ローマ神話での愛の象徴として描かれる、翼を持つ子供アムールを想起させる。片想いの象徴であるヒマワリを背に、愛を片手に物憂げに佇む女性が描かれており、愛に悩む姿を象徴的に表現したものか。」 -
案内表示より
「アーツ・アンド・クラフツ
産業革命により世界一の工業生産力を手に入れたイギリスにおいて、機械的文明を批判し中世の手工業を理想とした美術工芸運動(アーツ・アンド・クラフツ運動)が興った。手仕事による喜びや創造性のある労働を回復せんとするものづくりの精神を共有し、ウィリアム・モリスやウィリアム・ド・モーガンが手づくりによるタイル生産を実践した。」 -
案内表示より
「ウィリアム・モリスのタイル
アーツ・アンド・クラフツ運動の主導者でもあるモリスは、壁紙や家具、ステンドグラスとともにタイルの制作も行い、オランダから購入した錫釉掛けの素地に、植物モチーフを中心とする文様を手作業で上絵付けしたタイルを販売した。」 -
案内表示より
「ウィリアム・ド・モーガンのタイル
モリスと交流のあったド・モーガンは、タイルは壁面を被覆する建築的スケールを持つ建材であるろいう思想のもと、自社で制作した素地に、連続性を意識した量産感応な手描転写方式で絵付を施した。」 -
館内のピッツェリア ラ・フォルナーチェでランチ。
la fornace 窯からできたものの意味だそう。かまどは、fornoだから納得。
定番のマルゲリータ(普通のチーズからモツァレラにアップ)美味しかった。 -
トイレのタイルと地図にあったので行ってみた。
公園のトイレ的な野外トイレと周辺がタイルで装飾されていた。 -
陶楽工房では、タイルでリースを作ったりプチトイレの絵付けなど体験コーナーがあった。
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テラコッタパーク。公園のような芝生のまわりに多くの建築に装飾されたテラコッタが展示されていた。
左上:自治省庁舎
右上:大同生命ビル
左下:新橋演舞場
右下:大日本製薬 -
左上:武庫川女子大学
右上:朝日生命館
左下:大谷仏教会館 -
千代田区内幸町にあった大阪ビル一号館の壁面にいたようです。
伊東忠太設計による一橋大学の兼松講堂を思い出すような装飾。
https://4travel.jp/travelogue/11613717
INAXライブミュージアム、なかなか楽しめました。 -
帰りも春祭りを見ながら無料バスの停留所まで歩き、名鉄で名古屋に戻った。
帰りの新幹線までの時間調整がてらNoritakeの森に行った。
https://www.noritake.co.jp/mori/ -
赤レンガ建築と木々の緑が良い感じ。名古屋駅から徒歩圏にあるのが意外。
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英国中心にアンティークカップ収集もしているのだけど、オールドノリタケのコーヒーセットも購入したことがある。
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春にはやっぱりチューリップが似合う。
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園内には長椅子も設置されていて、さながらデートコース?
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ノリタケミュージアムの企画展へ。シニア割引ありました(笑)
ノリタケ誕生のきっかけは、1876(明治9)年の商社「森村組」の創業から。
森村組は主にアメリカに向けて、流行の美術様式や色彩、オリジナルの陶磁器を輸出・販売。やがて販路拡大のためディナーセットの国産化を目指し、1904(明治37)年、この場所に日本陶器合名会社(ノリタケ)を創立したとのこと。 -
館内は撮影禁止。パンフから。
やはり魅力的なのはアールヌーボー様式に日本人の感性を活かした精緻な画付けと繊細な技法を施された輸出用の西洋式陶磁器。(1904~1920) -
絵付け体験なども出来るよう。
私は、のんびり散策。 -
園内には、ショップもあり、撮影OK.
イチゴ模様の可愛いティーセット。 -
高級ラインのカップトリオ。各33,000円。
金ピカだけど美しいカップですね。 -
ちょっと疲れたので、園内カフェで一休み。
棚には洋書が置かれていて、シャガールの画集やフレンチティーの本など見ながらくつろいだ。バスクチーズケーキ、美味しかった。 -
イチオシ
横浜を思い出すような赤レンガ、レトロ感が落ち着きますね。
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ノリタケの森のシンボルである6本煙突のモニュメントの間を、色とりどりの鯉のぼりが泳いでいた。
ガーデンには噴水もあって涼やか。 -
帰りの時刻まで少し時間があったのでカフェへ。
入店制限、1人or2人まで。店内では静かにお願いしますと。
<バンチオブピオニース> -
フラワーショップの奥に静かな空間が。
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さっきケーキを頂いたばかりなので、紅茶をいただいた。
そして18時頃発の新幹線で帰京しました。
プチ旅をご覧になっていただき、ありがとうございました。
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