2023/12/01 - 2023/12/01
3位(同エリア21件中)
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パッピーさん
この旅行記のスケジュール
2023/12/01
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表紙 岩に彫られたバスクの紋章。バスク議事堂の庭。
初日マドリッド泊。翌日リベンジのアビラ観光後、ヴァリャリアッドに移動し1泊。ビルバオ2泊、サラゴーサ1泊、マドリッド1泊、計6泊と移動ばかりのスケジュール。何度も計画を建て直しそれでも心配を拭えずの旅立ち。行く前によせば良かったと及び腰。いつもより手厚い保険をかけて出発。コロナ自粛の4年間に衰えた体力と知力を全開にして、一人旅大いに楽しみました(^^♪)
こちらは⑪ゲルニカ観光。説明板が多くその場では理解できなかったので取り合えず写真を撮りました。宿題が沢山で、まるで修学旅行にでもいったようです。お時間が許せばアクセス下さい。
スペイン語、バスク語からの和訳はマイクロソフトトランスレーターを参照し、一部意訳しました。誤訳もあるかもしれませんが悪しからず。
④⑤⑥⑦⑧⑨⑩アップ済。
下記が旅程。①②③は後日アップ予定。
★The First Day 11月27日 (月) 21:55 QR807 成田T2発
★The Second Day 11月28日 (火) 5:00ドーハ着 ①
8:44 QR149ドーハ発→14:04 マドリードBarahas4S着②
→ 16:45頃Madrid-Principe Pio着
ホテル アクタ マドフォール (Hotel Acta Madfor)周辺散策 泊 ③
★The Third Day 11月29日 (水)
6:43 Madrid-Principe Pio発→ 8:21 Ávila着 クアトロポステス④ アビラ城壁一周⑤
カテドラル 観光 ⑥
カテドラル→アビラ駅⑦
15:35 Ávila 発 → 16:57 Valladolid Campo Grande着
マヨール広場 セルコテル フェリペIV泊 ⑧
★ The Fourth Day 11月30日 (木)
8:19 Valladolid Campo Grande発→11:47 Bilbao-Abando着 アバ ウスカルドゥナ ホテルよりグッゲンハイム美術館へ⑨
グッゲンハイム美術館→モユア広場→カスコ・ビエッホ→アバンド→アバ ウスカルドゥナ ホテル 泊⑩
★The Fifth Day 12月1日 (金)
⇒●〇7:05 Intermodalバスタ発→8:25 ゲルニカ着 観光
10:05 バスク議事堂 ゲルニカ平和博物館⑪●〇 12:41 ゲルニカ発→13:04ベルメオ着
13:15 ベルメオ発→San Juan de Gaztelgatxe着 観光
San Juan de Gaztelgatxe発徒歩にて バキオ着⑫
15:40 バキオ発→ 16:38 Moyua着 Mayua発→Portugalete着 ビスカヤ橋
Portugalete発→サンマメ着
アバ ウスカルドゥナ ホテル 泊⑬
★The Sixth Day 12月2日 (土)
早朝グッゲンハイム美術館、サルべ橋、ネルビオン川、ペドロアルペ橋散策
トラムで Casco Viejo→バスで市内ドライブ
15:20 Bilbao-Abando発→19:49 Zaragoza Delicias着
ユーロスター サラゴサ泊
★ The Seventh Day 12月3日 (日)
ピラール聖母教会、ラ・セオ、アルハフェリア宮殿 (切符売り切れの為入場できず)
15:44 Zaragoza Delicias発→ Madrid P. Atocha着
プラド美術館 17:00以降無料
ホテル メディオディア泊
★The Eighth Day 12月4日 (月)
周辺散策、ちょこっとレイナ・ソフィア
15:25 QR150 マドリードBarahas 4S発→23:55ドーハ着
★The Ninth Day 12月5日(火)
2:40 QR806ドーハ発→17:48 成田着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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(写真) 6:24 アバホテル前のFelipe Serrate Kalea(フェリペ・セラテ・カレア)通り。
☆The Fifth Day☆ 12月1日 (金)
雨は止みませんが予定通りゲルニカへ。アバ ウスカルドゥナ ホテル
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ホテル隣の介護住宅は撮ったのですが、ホテルの外観撮っていません(-_-;)
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(写真) 6:25 右側はサン・マメス・スタジアム。閑散としています。
サン マメス スタジアム スタジアム・スポーツ観戦
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(写真) 6:30 サン・マメス・トラム停。
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(写真) 6:31 Pl. Profesionales Sanitarios (プロフェシオナレス・サニタリオス広場)のクリスマスツリー。
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(写真) 6:32 Intermodal(バスセンター)。
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(写真) 6:33 ゲルニカに行くA3513のバスの乗り場をスタッフに聞くと乗り場まで連れていってくれました。
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(写真) 6:45 時間がたっぷりあるのでトイレへ。バスターミナルのトイレ。思いの外綺麗でした。
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(写真) 6:49 バスが来るまでここで並んで待ちました。
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(写真) 6:52 私の乗るA3513は4-5-6乗り場と書かれています。
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バスターミナルにはカフェテリア、自販もあります。
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(写真) 6:59 3923のバス来ました。これではありません。
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(写真) 7:02 7:05発のバスがまだ来ないので不思議に思い、隣の乗り場に止まっているバスのドライバーに確認するとそれがGernika経由のバスでした。5分前に分かって良かった。スタッフが教えてくれた乗り場で待っていたのですが、危ないところでした。
バスは座れない程ではないですが、混んでいました。
7:22 Hospitalで沢山降りて行った。車内は暗くてメモが取れなかった。
Bizkaiaバスの路線、時刻表、料金などは下記ホームページでチェックできます。英語表記がないので分かりずらいです。
https://www.bizkaia.eus/es/web/bizkaibus/lineas
◎サン・マメス・バスタ→ゲルトキア 2.55ユーロ (バリクカード1.8ユーロ) -
(写真) 7:55 Geltokia着。 出発ギリギリに乗ったので後ろの方の席になり電光掲示が見ずらかった。どこかのネット情報からゲルニカは何か所かあると思っていたので、ゲルニカのミュージアムのある場所か確認して無事に降りることができた。8時前ではまだ暗く初めての所では厳しいです。
ゲルニカ駅 駅
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(写真) 7:59 子供服ショップ。ゲルニカって田舎と思っていましたが、お洒落じゃん。ですが、ナカナカのお値段。
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(写真) 8:00 Adolfo Urioste Kalea(アドルフォ ウリオステ通り)。
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ギターを弾くのは Jose Maria Iparragirre(イパラギーレ)。 アドルフォ ウリオステ通り。
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(写真) 8:01 Fuente de Mercurio(マーキュリーの噴水)。Pablo Picasso Kalea(パブロピカソ通り)。
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Artekalea Kalea(アルテカレア通り)。市庁舎の時計台が聳える。
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(写真) 8:03真っ暗ですが通学時間。
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(写真) 8:04アーケードがあるので雨でも濡れずにすみます。
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(写真) 8:05 Plaza Foru (フォル広場)。
1937.4.26 のゲルニカ爆撃の写真が展示されている。
英語表記がないのが残念。
Gernika ha sido durante siglos un simbolo para los vascos. A partir de 1833, tres violentas guerras y la pérdida de las libertades históricas de nuestro pueblo la convirtieron en un simbolo universal del sufrimiento de la población en tiempo de guerra. Iparragirre lo universalizó en 1853 y Picasso lo inmortalizó en 1937.
El bombardeo de Gernika, metódicamente planificado y sistemáticamente ejecutado como parte de un experimento de guerra, destruyó totalmente el 85.22% de las viviendas de la villa y causó más de 2,000 muertos. Esto -y no otra cosaes lo que declararon el Gobierno de Euskadi y el alcalde de Gernika, José Labauria.
El 27 de abril, antes del amanecer, Franco ordenó mentir. Durante cuatro décadas de dictadura se negó que Gernika hubiese sido bombardeada y se dijo que la villa habia sido incendiada por los "rojos".
Nunca se hizo justicia, pero ninguna mentira oculta la verdad para siempre porque la historia de nuestro pueblo está grabada en su memoria colectiva. Recuperando nuestra memoria historica desvelamos la verdad, transmitimos a nuestros descendientes el momento histórico que vivieron nuestros mayores, ye hacemos justicia.
Todos tenemos a Gernika en el corazón.
ゲルニカは、何世紀にもわたってバスクのシンボルでした。1833年に始まった、3度の暴力的な戦争と、わが国民の歴史的自由の喪失により、ゲルニカは戦時中の市民の苦しみの普遍的な象徴となった。イパラギーレが1853年にそれを普遍化し、ピカソが1937年にそれを不朽化しました。
ゲルニカ爆撃は、戦争実験の一環として計画され、組織的に実行され、町の家屋の85.22%を完全に破壊し、2,000人以上の死者を出した。これは他でもないバスク州政府とゲルニカ市長のホセ・ラバウリアによって宣言されたものです。
4月27日、夜明け前、フランコは嘘をつくよう命じた。40年にわたる独裁政権の間、ゲルニカが爆撃されたことは否定され、町は「赤」によって放火されたと言われていた。
正義は決して果たされませんでしたが、我々の歴史は彼らの共有する記憶に刻まれているので、嘘が真実を永遠に隠すことはない。歴史的記憶を取り戻すことで、私たちは真実を明らかにし、先人たちが生きた歴史的瞬間を子孫に伝え、正義を貫くのです。
私たちは皆、心の中にゲルニカを持っています。
Plaza Foruフォル広場フォル広場 広場・公園
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右 Calle Adolfo Urioste. (アドルフォ ウリオステ通り)
左 La devastacion fue absoluta. (完全に破壊された。)フォル広場 広場・公園
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Los pilares de entrada al Pasealekua consevan algunos de los pocos vestigios del bombardeo. (パシーレクアの入り口にある柱には、砲撃の痕跡がいくつか残っています。)
フォル広場 広場・公園
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Solo los muros exteriores de algunas casas quedaron en pie.(数軒の家の外壁だけが残っていた。)
フォル広場 広場・公園
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Rescate de ganado atrapado entre los escombros. (瓦礫の中に閉じ込められた牛の救出。)
フォル広場 広場・公園
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Calle de Gernika despues del bombardeo. (爆撃後のゲルニカ通り。)
フォル広場 広場・公園
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Crater de la bomba destructora que cayo sobre ei refugio de Andra Maria donde perdieron la vida unas 500 personas. (約500人が命を落としたアンドラ・マリアの避難所に落ちた破壊的な爆弾のクレーター。)
フォル広場 広場・公園
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Fue imposible rescatar a las victimas atrapadas en muchas de las calles ardiendo. (燃え盛る街路に閉じ込められた被災者を救出することは不可能だった。)
フォル広場 広場・公園
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Los focos de fuego no pudieron ser extinguidos hasta tres dias despues. (火は3日後まで鎮火できなかった。)
フォル広場 広場・公園
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Ruinas del frontón. (廃墟となったペディメント。)
フォル広場 広場・公園
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Cartel anunciando los partidos de pelota a mano del dia anterior. (前日のハンドボールの試合の様子を告知するポスター。)
フォル広場 広場・公園
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La villa desde la torre del campanario de la iglesia de Andra Maria. (アンドラマリア教会の鐘楼からのヴィラ。)
フォル広場 広場・公園
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Iglesia de Andra Maria al fondo a traves de las ruinas. (廃墟の背景に聳えるアンドラマリア教会。)
フォル広場 広場・公園
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Destrucción en el Ferial. (市[いち]の破壊。)
フォル広場 広場・公園
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Fuego causado por las bombas incendiarias en el interior de la iglesia de San Juan. (聖ヨハネ教会内の焼夷弾による火災。)
フォル広場 広場・公園
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La Iglesia de San Juan nunca seria reconstruida. (聖ヨハネ教会が再建されることは決してないだろう。)
フォル広場 広場・公園
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GERNIKA LUMO
GERNIKA
1937-04-26
Gernika sinbolo bat izan da euskaldunentzat mendeetan zehar; 1833tik aurrera bizitako hiru gerra bortitz eta gure herriaren askatasun historikoen galera birarteko, herritarren gerra garaiko sufrimenduaren ikur unibertsal bihurtu zen. Iparragirrek 1853an unibertsalizatu zuen, eta Picassok 1937 an betikotu.
...
Denok daukagu Gernika bihotzean. バスク語で説明。
ゲルニカは、何世紀にもわたってバスクのシンボルでした。1833年以降、3度の暴力的な戦争と、わが国民の歴史的自由の喪失は、戦時中の市民の苦しみの普遍的な象徴となった。イパラギレは1853年にそれを普遍化し、ピカソは1937年にそれを永続させました。
...
私たちは皆、心の中にゲルニカを持っています。フォル広場 広場・公園
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(写真) 8:13 Plaza Foru(フォル広場)の像、Monumento al conde Don Tello(ドン・テロ伯爵の記念碑)
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(写真) 8:14 市庁舎とドン・テロ伯爵の記念碑。
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(写真) 8:15 Kultur Etxea (カルチャーセンター)
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カルチャーセンター前からゲルニカの壁写真。
フォル広場 広場・公園
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(写真) 8:16 カルチャーセンター左の階段を上ると
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イチオシ
(写真) 8:17 左手に Iglesia Santa María de la Asuncion (聖母被昇天教会)が見えました。
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Iglesia Santa María de la Asuncion (聖母被昇天教会)。 階段結構急でした。
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(写真) 8:19 聖母被昇天教会正面。
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(写真) 8:20 Elai-Alai Plazaと壁面のプレートに書かれています。
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Elai-Alai PlazaよりPaz museo(平和博物館)の左手クリスマスツリーの後ろに見える白い建物はツーリストインフォ。
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(写真) 8:21 Iglesia Santa María de la Asuncion (聖母被昇天教会)の花壇にはアフリカホウセンカ。
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花壇の縁石は苔むしています。12月ですが日本の初秋の花々が咲いています。
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雨に打たれても逞しく咲くベゴニア。
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(写真) 8:24 聖母被昇天教会。
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(写真) 8:25 Allende Salazar Kalea 通り。塀の向こうは Parque de los pueblos de Europa(ヨーロッパ人民公園)。
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(写真) 8:26 聖母被昇天教会。
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聖母被昇天教会。右手はアドルフォ ウリオステ通り。
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(写真) 8:27 聖母被昇天教会。
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(写真) 8:28 ヨーロッパ人民公園はまだ閉まっています。
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(写真) 8:29 聖母被昇天教会を右回りに回りElai-Alai Plazaに戻って来ました。
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Allende Salazar Kalea 通りを進みます。登校時間です。
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リュックで通学です
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ITURBURU通り。
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雨に打たれたシクラメン。
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ゲルニカのレプリカの壁画は実物大 (349.3 cm × 776.6 cm) だそうですが、屋外にあるのでソフィア美術館の物より小さく感じた。
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#10 "GUERNICA" GERNIKARA 説明板
Se ha ducho que si Picasso no hubiese pintado el Guernica nadie sabría hoy lo que ocurrió en abril de 1937.
ピカソがゲルニカを描いていなかったら、1937年4月に何が起こったのか、今日誰も知らなかっただろうと言われています。
Pero la realidad es otra. Antes de que Picasso expusiera su liezo por primera vez en Paris, la noticia del bombardeo se había reproducido a todo lo largo de Europa y América. La imagen de la muerte que Picasso representó en su cuadro incluyó a los animales muertos en el mercado: "Luego caminamos por el Ferial. Espero que nadie tengo jamás que ver nada tan horrible como lo que vimos allí. Los animales muertos y los pedazos de animales, estaban esparcidos por el suelo, mezclados con los cuerpos humanos".
(Testimonio de Mercedes lrala)
しかし、現実は違います。ピカソがパリで初めて作品を発表する前から、原爆投下のニュースはヨーロッパやアメリカ中に広まっていました。ピカソが描いた死のイメージには、市場に出回っている動物の死骸が含まれていました。「それから、私たちは市を通り抜けました。私たちがそこで見たような恐ろしいものを誰も見ないことを願っています。動物の死骸や動物の破片が地面に散らばり、人間の死体と混ざり合っていました。」
(メルセデス・ララの証言) -
(写真) 8:35 SAN JUAN (サンフアン)通りを子供達が降りて行きます。
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子の屍を抱く女性の上に ミノタウロスがいます。 *Wikipediaゲルニカ (絵画)
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折れた剣を握る倒れた兵士の上に花が咲いています。
上部には眼のような太陽が描かれています。Wikipediaによれば、「太陽は神の眼」という考え方があり、神は全てを明白にする証人でその目とされるそうです。その内部には電球が描かれていて、「現代のテクノロジーと爆撃の惨劇の関連を示唆している可能性がある」そうです。 -
「右から中央に駆け寄る女は、屍を抱く女を慰めようとする家族や近隣住民であるとされているが詳細は不明」
右端の建物から落ちる女は「ピカソ自身、またイエス・キリストの象徴」だそうです。 -
近寄ってノンビリ鑑賞できるので壁画のゲルニカのお薦め度高いです。前の建物とバックの黄葉とのコントラストが綺麗です。雨天で情緒もありました。
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(写真) 8:39 ゲルニカ爆撃ルートを時間があるので逆に回ってみます。
と分かったように言ってますが、この時は記念碑やオブジェを探すつもりでいました。 -
丘の上に靄がかかっています。
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美しい建物は、グーグルマップによればEstudio Gorka Uria Unceta(ゴルカ・ウリア・ウンセタ・スタジオ)です。写真館でしょうか?
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(写真) 8:41壁画前のPedro de Elejalde 通りに並ぶお洒落なビル。
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(写真) 8:42 Pedro de Elejalde 通りを戻り、SAN JUAN 通り下り少し進むと写真のAzokakalea 通りにぶつかります。写真の橋の辺りがフォル広場と思われます。
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(写真) 8:43素敵なアーケード。 SAN JUAN 通りと壁にパネルが貼られています。#9に向かいます。
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(写真) 8:44アーケードの柱の掲示板には死亡通知とミサの時間が掲示されていた。
Fallecio en Gernika-Lumo, el
LA AUXILIADORA
URIONABARRENETXEA ANDREA
"PATXIKE" -
(写真) 8:46 更に進んで行くと右手の歩道が広くなっていてGeorge Steerの胸像がありました。SAN JUAN 通りとBarrenkalea 通りの交わった所です。
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こちらには英語の説明もありました。
-GEORGE L. STEER-
(22-XI-1909/25-XII-1944)
The British war correspondent who told the world about the bombing of Gernika.
His historic dispatch, printed in The Times of London and The New York Times
on Wednesday 28 April 1937, also inspired P.Picasso to paint
his great Guernica.
Geroge L. Steer's book The Tree of Gernika remains the best contemporary account
of the civil war in the Basque Country. Euskadi
ゲルニカ爆撃について世界に語った英国戦時特派員。1937年4月28日(水)ロンドンのタイムズとニューヨークタイムズに掲載された歴史的速報がパブロピカソをも触発し、偉大なゲルニカを描かせた。
ジョージ L ステアの「ゲルニカの木」は今なおバスク国内戦当時の最高の報告です。拙訳 -
9.George steer-en Bustoa 説明板
La mentira fue una orden
La madrugada del 27 de abril el general Franco ordenó que se negara que Gernika hublese sido bombardeada y que se denunciase "el feroz sistema de los rojos de quemar y destruir todos los centros urbanos antes de retirase". Los medios informativos del regimen reprodujeron la noticia y esta fue la versión oficial de la dictarura hasta 1975.
嘘は命令だった
4月27日未明、フランコ将軍はゲルニカの爆撃を否定し、「撤退する前にすべての都市中心部を焼き払い、破壊するという赤軍の猛烈なシステム」を非難するよう命じた。政権側のメディアはそのニュースを転載し、それが1975年までの独裁政権の公式見解だった。
Testimonio
"Franco dijo al mundo que sus aviones no volaron ese dia debido al mal tiempo. Yo digo al mundo ahora que sí volaron. Yo los vi. Mis dos colegas los vieron. Seis mil habitantes de Gernika las vieron. [...] Estuve emiro...hecho su trabajo. Vagué a través de sus ruinas hasta donde pu... la ciudad estaba en llamas. Vi cuerpos en los campos marcado... contaban la mism .... Los que podían hablar".
証言
「フランコは、その日は悪天候のため、彼の飛行機は飛ばなかったと世界に語った。私は今、飛行機は飛んだことを世界に伝えます。私は飛行機を見ました。私の2人の同僚も見ました。ゲルニカの6000人の住民が飛行機を見た。[...] 私はその廃墟を可能な限り彷徨った。街は炎に包まれていた。 野原の死体が~~を見た。皆同じことを言っていました。 話すことの出来た人は皆。」
*マイクロソフトトランスレーターを参照後、書き直しました。汚れで読めない所がありましたので類推箇所も多々です。 -
イチオシ
(写真) 8:50 George L. Steerの胸像。 横顔の方がイケメン度高し。
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(写真) 8:52 San Juan Ibarra 広場。
8番を目指します。 -
(写真) 8:54 San Juan Ibarra 広場。お洒落で落ち着いた色合いの建物が並ぶ。
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黄葉とレンガ色の建物。San Juan Ibarra 広場。
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(写真) 8:55 滑り台にしては変わった作り。
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広場を囲むように植えられているのは何の木?
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(写真) 8:56 PLAZAKOA San Juan Ibarra広場の向かいにある大きなレストラン。
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(写真) 9:00通りの向こうに、説明板とユニークなアートが見えます。
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何の実でしょうか?
画像検索するとマグノリアの実と判明。花しか知りませんでした(^^)/ -
8の説明板。バスク語とスペイン語なのでどうせ分からないとは言うものの( ;∀;)
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Gernikaの爆撃地の地図。
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8. "Agony of Fire"
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8. "Agony of Fire"説明板
A sculpture in witness of the barbaric bombing
suffered by Gernika on April 26, 1937.
A composite of forms that make up an image of
death raining down from the sky.
「火の苦闘」
1937年4月26日ゲルニカの経験した
野蛮な爆撃を目撃した彫刻。
空から降って来た死のイメージを
形成する複合体。 拙訳
バスク語、スペイン語、英語、仏語の順に
書かれている。 -
雨は残念ですが、小山の靄が素敵でした。
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(写真) 9:06 次は7番、線路沿いの壁に沿って進みます。ソロソロ着く筈ですが。
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(写真) 9:08 ここにもプラタナス。
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バスク鉄道Bermeo(ベルメオ)行が来ます。
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(写真) 9:10 犬を散歩させていた男性にカメラの写真を見せて#7Refugio de la Calle Andra Mariaの場所を教えて貰う。逆方向に歩いて来たようだ。ところが彼が教えてくれたのはIglesia Santa María de la Asuncion(聖母被昇天教会)でした。
それではない筈と教会の方には進まず レストランのスタッフに聞く。 -
(写真) 9:25野菜を売る女性の像。Domingo Alegria Plaza(/ドミンゴ・アレグリア広場)
#7の説明板がないので、この女性像ではなさそうです。 -
(写真) 9:26#7Refugio de la Calle Andra Maria 説明板。
と広場の反対側に説明板が見えました。
El refugio de Andra Maria tenía 40m de largo y 3,65m de ancho y entradas por Artekale y Barrenkale.
アンドラ・マリアの避難所は長さ40m、幅3.65mで、アルテカレとバレンカレに入口がありました。
Estaba sin terminar y una bomba de 250 kilos impactó sobre el mismo, derribando los edificios contiguos sobres los allí refugiados. Después cayó una lluvia de bombas incendiarias y explosivas de 50 kilos. José Labauria, Joxe Iturria y Augusto Barandiaran, que estuvieron sobre dicho refugio procurando rescatar a los supervivientes, afirmaron que murieron todos, unas 500 personas.
避難所は未完成で、250キログラムの爆弾が命中し、隣の建物を避難民の上になぎ倒した。その時、50キロの焼夷弾と炸裂弾の雨が降った。避難所で生存者を救出しようとしていたホセ・ラバウリアさん、ジョクセ・イトゥリアさん、アウグスト・バランディアランさんは、約500人全員が亡くなったと言っている。
Testimonio
"Podía escuchar los aviones cada vez más cerca. Me agaché junto a la chica y le dije que no llorara, que todo iba a estar bien. El ruido de los aviones se hacía cada vez más y más fuerte y luego la niña me dijo que había dejado a sus dos hermanos, uno de ellos aspenas un bebé, en la casa que estaba justo encima de nosotros y, que ella había tenido miedo de ir a por ellos. Por eso lloraba".
(Sebastián Uria)
証言
「飛行機がどんどん近づいてくる音が聞こえました。 私は少女の隣に腰をかがめ、泣かないで、大丈夫だよと言いました。飛行機の音はどんどん大きくなり、女の子は、2人の兄弟(うち1人はまだ赤ん坊)を私たちのすぐ上の家に置き去りにしていて、彼らを追いかけるのが怖かったと話してくれました。だから私は泣いたんです。」
(セバスティアン・ウリア) -
彫刻家エドゥアルド ゴルドによる 1991 年のアステレヘナ・ ジャイの彫刻。
Aquí mismo se puede ver la Escultura Astelehena Jai de 1991 y del escultor Eduardo Gordo. ドミンゴ・アレグリア広場と劇場建物リゼオ・アンツォキアの近く。
*osviajeros.com/Blogs.php?e=81207&q=España-GUERNICA-2021 -
(写真) 9:29 市場に入ります。
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Merkatu Plaza マーケット広場。
Domingo Alegría Plaza 日曜アレグリア広場。
プラサ・ドミンゴ・アレグリア市場。 ドミンゴ(日曜日)という名ですが月曜日に開かれる市場です。 -
市場の肉屋さん。イベリコ豚売ってました。
遠慮しながら撮ったからか、魚屋の写真はピンぼけ。 -
市場のトイレには便座なし。
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市場の壁にあった絵。MARIZILOKO LAMIA??
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GALTZAGORRIAK バスク語でズボンの意味のようです。小人がズボンを作っている絵でしょうか?
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GAUA GAURKORENTZAT バスク語で今日の夜。
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(写真) 9:42 モーニングコートを着ているので「花嫁の父」でしょうか?
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残念。雨で何と書いてあるのか全く分かりません。
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グーグルマップで調べるとEstatua del Lehendakari Jose Antonio Agirre。
バスク政府の初代レンダカリ(政府首班)、ホセ・アントニオ・アジーレ (1904-1960) の像でした。 -
何か読んでいます。大切なものと知らず、メモをズームで撮らなかったのですが、Tripadvisor掲載の写真を見ると、
Wikipediaに書かれている
"Jaungoikuaren aurrean apalik,
Euzko lur ganian zutunik,
Asabearen gomutaz,
Gernikako zuaizpian,
nere aginduba ondo betetz zin dagit."
(神の御前で恐れ多くも、
バスクの大地の上に立ち、
先祖の記憶とともに、
ゲルニカの木の下で、
私は忠実に職務を遂行することをここに誓う)
が刻まれています。
ゲルニカのオークの木のもとでレンダカリの就任の宣誓をしている像でした(^^)/
*Wikipediaホセ・アントニオ・アギーレとバスク語のメモの写真の文が少し異なっていたので、写真の文を写しました。 -
像はGeltoki Plaza(駅前広場)にあります。
御覧になったら是非メモの文字を見るのもお忘れなく。 -
(写真) 9:46 ゲルニカ駅。
ゲルニカ駅 駅
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(写真) 9:48 #6Tren Geltokia 説明板。
Gernika, Un bombardeo de terror
El objectivo estrategico del bombardeo fue sembrar el terror y quebrar la moral de la población civil y de las milicias por lo que un dia despues del bombardeo el mando rebelde exigió la inmediata rendición del gobierno vasco bajo la amenaza de extender bombardeos como el de Gernika a otras localidades. En palabras de Franco: "Mañana seremos portadores de la destrucción que apareja la guerra".
ゲルニカ、恐怖の爆撃
爆撃の戦略的な目的は、テロをまき散らし、民間人と民兵の士気をくじくことだったので、爆撃の翌日、反乱軍司令部は、ゲルニカのような爆撃を他の町に拡大すると脅して、バスク政府の即時降伏を要求した。 フランコの言葉を借りれば、「明日、我々は戦争がもたらす破壊の担い手となるだろう」。
Testimonio
"Los aviones daban vueltas y vueltas por encima de nosotros. Parecía que nos buscaban. Y era verdad: buscaban a cuatro mujeres [...]. De pronto oímos un crujido espantoso: sobre el caserío cayó una bomba. La trepidación me lanzó al suelo en medio de piedras y ladrillos. Mi hija mayor, que tenía veintisiete años murió instantaneamente, aplastada. La otra, la más joven, que se iba a casar, tuvo tiempo de cogerme la mano, apretaria un poco y exclamar: " ¡ Ay!". Dio un suspiro, y con los ojos clavados en mí, murió".
(María Olabarria)
証言
「飛行機は私たちの上空をぐるぐる回っていました。どうやら私たちを探しているようでした。そしてそれは本当だった:彼らは4人の女性を探していた[...]。突然、恐ろしい割れる音が聞こえました:爆弾が農家に落ちました。揺れで私は石とレンガの真ん中の地面に投げ出されました。27歳だった長女は、押しつぶされて即死しました。もう一人は、結婚を控えた末っ子で、私の手を取り、少し握りしめて、「あっ!」と叫びました。彼は溜息をつき、私を見つめたまま息を引き取りました。
(マリア・オラバリア) -
10/18ネット予約するとメルアドにQRコード付きの許可書が送られた来た。15分遅刻すると入れないそうです。入館時間は45分以内です。予約は下記で出来ます。
*https://jjggbizkaia.eus/en/gernika/request-appointment
予約時間は10:15から10分前までにはバスク議事堂に着いている筈だったのですが、毎度の事とはいえ、また迷う。方向だけ教えて貰えればよかったのですが、親切な青年が議事堂入口まで連れて行ってくれた。時間が一杯一杯だったのでお礼を言っただけで別れる。彼は日本語学習中の青年だったのです。せめてメルアドを教えておけばかった。日本で再会できるかもしれなかったのに。 -
(写真) 10:05 Assembly Room(会議室)のシャンデリア。
予約者も飛び入り参加者もなく私一人で参観。バスク議事堂 建造物
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バスク議事堂、会議室。議長席。
バスク議事堂 建造物
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バスク議事堂、会議室。
バスク議事堂 建造物
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バスク議事堂、会議室。
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バスク議事堂、会議室。
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Kissing the hand of FerdinandV Francisco de Mendieta作 1609年。
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バスク議事堂、会議室。
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バスク議事堂、会議室。
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バスク議事堂、会議室。
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バスク議事堂、会議室。
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バスク議事堂、会議室。ステンドグラス。
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バスク議事堂、会議室。
バスク議事堂 建造物
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バスク議事堂、会議室。ステンドグラス。
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バスク議事堂。壁面に貼られたプレート。
ビスカヤ県の紋章のレリーフの下にバスク語の浮き彫り。
BIZKAIA BARRIRO BERE
BATZAR NAGUSI-JABE EGIN ZAN
1979. EKO APIRILLAREN 28 AN
ビスカヤ・バリロ・ベレ
彼は総会を担当しました。
1979年4月28日 -
バスク議事堂内プレート。
El Arbol Viejo - Se secó en 1892 con aproximadamente 200 años
古い木ー1892年に樹齢200年ほどで枯れた。 -
El Arbol de Gernika es el símbolo central del escudo de Bizkaia. ゲルニカの木は、ビスカヤの紋章の中心的なシンボルです。
-
El Arbol actual se plantó en el año 2005 con 19 años de edad y es descendiente directo de aquellos árboles bajo los que se celebran las juntas y el juramento de los Fueros de los Señores de Bizkaia. Los diferentes ejemplares del roble se van sucediendo como el alma de Euskal Herria que se va transmitiendo a traves de las generaciones. Siempre habrá un roble bajo cuya sombra se reunan las Juntas.
現在の木は2005年に樹齢19年に植えられたもので、フエロス・デ・ロス・セニョーレス・デ・ビスカヤの会議と宣誓が行われる木の直系の子孫です。オークのさまざまな標本は、何世代にもわたって受け継がれてきたバスク地方の魂のように、お互いに続いています。常に樫の木があり、その陰にはフンタが集まる。 -
バスク議事堂、ステンドグラスルームの天井にはゲルニカの木が描かれている。
-
ステンドグラスルームの天井。
屋根の役割をはたしている手作りのステンドグラスは、ビルバオのVidrieras de Arte S.A.が作ったものです。 -
天井のゲルニカの木の縁周りにはビスカヤの様々な町の代表的な建造物が描かれている。ゲルニカの木がビスカイア全域で特別なシンボルであることを表しています。
-
Cuerno para llamamiento a Juntas
Cuerno elaborado artesanalmente en el año 2007 por Juan Antonio Alaña Ulibarri y donado a las Juntas Generales de Biskaia.
会議への呼び出しのホーン
ホーンは2007年にフアン・アントニオ・アラーニャ・ウリバリによって手作りされ、ビスカヤの総会に寄贈されました。 -
イパラギーレのギターと楽譜。
バスク議事堂 建造物
-
イパラギーレの肖像画。実はこの時はアドルフォ・ウリオステ通りの像がイパラギーレとは知らず。肖像画とギターの写真、由緒がありそうなので写しました。
-
Iparragirre パネルの右下の黒い部分には
Gernikako Arbola
da bedeinkatua
euskaldunen artean
guztiz maitatua.
Eman da zabal zazu
munduan frutua
adoratzen zaitugu
arbola santua
(...) と書かれている。
ゲルニカの木
それは祝福されている
バスク人の間で
あまねく愛されている
与え、広めよ
汝の実を世界に
われらは汝をたたえる
聖なる木よ
*和訳Wikipedia
イパラギーレ1852年作詞作曲の「ゲルニカの木」はバスク地方の非公式な国歌。12番まであるが国歌としては上記の1番のみ歌われる。 -
清楚なステンドグラス。
-
Chuzos o varas de autoridad. (Chuzosまたは権威の杖)。
-
ステンドグラスルームの天井。
バスク議事堂 建造物
-
バスク議事堂図書室。
-
バスク議事堂図書室。
バスク議事堂 建造物
-
CARTA DE DON JOSE MA DE YPARRAGUIRRE GLORIOSO AUTOR DEL "GUERNIKAKO ARBOLA"
A BON ANTONIO DE TRUEBA "ANTON EL DE LOS CANTARES "
20 DE FEBRERO DE 1871
「ゲルニカの木」の輝かしい即興詩人ドン・ホセ・マリア・イパラギーレが
詩人、作家のアントニオ・デ・トゥルーバ通称「アントン・エル・デ・ロス・カンタレス」に宛てた手紙。 1871年2月20日 -
BIZKAIKO FORU ALDUNDIA (バ) ビスカヤ州議会
DIPUTACION FORAL DE BIZKAIA(西) ビスカヤ州議会
RAMON DE ZUBIAURRE (1882 - 1969) ラモン・デ・スビアウレ
ESCENA DE PUERTO PESQUERO (西) 漁港の風景 -
ステンドグラスルーム。
-
バスク議事堂の模型。
-
Convento e Iglesia de Santa Clara Clarisas (サンタ・クララ修道院) バスク議事堂の庭から。
サンタ クララ修道院 寺院・教会
-
「2005年2月25日、第3代が植えられていた場所に植え替えられた。単に「ゲルニカの木」と言えば第4代を指す。」Wikipedia
-
ゲルニカの木の後ろにあるトリビューン。
-
議事堂の庭の岩のプレートには下記のように刻まれているのか?
JAUNGOIKUAIREN AUBRIAN APALIK
EUZKO-LUR-GANIAN ZUTUNIK ETA
BIZKAIKO AREITZ-AZPIJAN
ASABAEN GOMUTAZ,
NIRE AGINBIDIA ZINTZORUEN BETETIA
ZIN DAGIT.
と彫られているように見えるのですが、トランスレーターで翻訳すると通じません。Wikipedia ホセ・アントニオ・アギーレ に記されているバスク語と若干違いますが、そちらの和訳の意味ではないかと思います。
「神の御前で恐れ多くも、
バスクの大地の上に立ち、
先祖の記憶とともに、
ゲルニカの木の下で、
国民の代表を前に、
私は忠実に職務を遂行することをここに誓う」 -
バスク議事堂の庭。
-
バスク議事堂の庭の岩。
-
よく見ると、岩にはバスクの紋章彫られていた。
*https://basquestudies.spanport.ucsb.edu/courses -
バスク議事堂の庭。
-
バスク議事堂西側のゲルニカの古い木。
-
古い木は1892年に樹齢200年ほどで枯れた。
-
10:48 バスク議事堂発。
バスク議事堂 建造物
-
Alegria Palace 説明板。
1733年に建てられたバロック式宮殿を1991年に博物館にし、宮殿の庭をEuropean People's Park(ヨーロッパ人民公園)としたそうです。 -
昔のAlegria Palaceの写真。 現在はEuskal Herria Museoa(歴史博物館)として使われています。良く分からずに説明板の写真を撮ったので現在の歴史博物館の写真なし(-_-;)
-
スラッとしたイチョウの木。Parque de los pueblos de Europa(ヨーロッパ人民公園)
-
クリスマスツリーの様な木の横にイチョウの木。
-
イチョウの木の右の前の木はマグノリアの木。実がついています。
-
苔むした壁。ヨーロッパ人民公園。
-
ヨーロッパ人民公園。
-
イチョウの木と落ち葉。
-
苔むした感じ、
-
日本と似てます。
-
(写真) 11:00 聖母被昇天教会。Parque de los pueblos de Europa(ヨーロッパ人民公園)より。
雨が止まないので ヘンリームアーの彫刻は見ずに、the Gernika Peace Museum(ゲルニカ平和博物館)へ。 -
11:09 入館料4ユーロをVISAカードで払う。
この博物館は来館者に次の3つの事を考えるように作られているそうです。
1.平和とは何か?
2.平和の欠如した時、スペイン内戦中と爆撃の際、ゲルニカに何が起こったか?
3.現在、世界そしてバスク国で、平和、人権に何が起こっているか?
*A guided tour at the Gernika Peace Museum
https://www.youtube.com/watch?v=N4kU5nwTw3g
博物館がどんなところか上のユーチューブで解説されています。
又下記のPeace Museumで内覧もできます。
https://3d.raumgang.de/en/tour/k9ce4npfqt
ので以後のパッピーの説明はお暇ならお付き合い下さい。
◎入館料 4ユーロ(シニア割) 割引なし 6ユーロゲルニカ平和博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
ゲルニカ平和博物館 入口の冊子 Section 0:Peace
最後の部分だけ和訳します。
Peace is positive energy deeply rooted in life, in ourselves and in our desires and capabilities. It is peace which uses non-violence in its battles, in its blind faith that we can still change the world.
(平和は生命、私達個々、私たちの欲望、能力に深く根付く前向きなエネルギーです。平和こそが、戦いの中で、尚も世界を変えることができると盲目に信じる事の中で、非暴力を行使するのです。)ゲルニカ平和博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
Agreed peace の説明。 パクス・ロマーナ。
-
IL EST INTERDIT DE CRACHER PAR TERRE ET DE PARLER PATOIS
地面に唾を吐いたり、パトワ(=方言、少数言語)を話したりすることは禁じられています このような表示が小学校の壁にかけられていた。
少数言語を話すのと唾を吐くのが同列の事とされていたのです( ;∀;) -
ゲルニカ平和博物館 入口の冊子 NOTHING NEW (今に始まったことではない)
While censorship of books for children and youths was commonplace under Francoism, the exclusion of the education sector is no great surprise. At that time, there was already a centuries-old tradition of controlling and reducing Basque-language literacy among the children of the Basque Country..... the repression against the Basque language in the education sector that the artworks address persists today.
(子供や青少年向けの書籍の検閲はフランコ主義の元では当たり前の事で、教育部門における除外は左程驚いたことではない。当時バスク地方の子供達の間ではバスク語の読み書きを管理し減らす伝統が、すでに何世紀にも渡り存在していた・・・芸術作品が呼びかける教育分野におけるバスク語を使うことへの弾圧は今日もなお続いている。) -
ゲルニカ平和博物館 入口の冊子
The experience of the bombing
爆撃の体験
・・・
誰にとっても酷い体験だった。恐怖、不安に満ち、危険で、どうしたらいいか分からず、なすすべがなかった。この地域の人々の多くは行方不明の家族を思い悩みながら、爆撃の中、長い時間を過ごした。戦火を免れ自身の体験を語る人々は、避難所での息苦しさ、子供たちの泣き叫ぶ声、祈りの声を思い起こす。全てが終わった時の、彼らの気持ちは、それまで起こりうるとは思いもしなかった状況に酷く当惑し、ろうばいし、本当とは信じられず、驚愕したような感じとでも言えよう。(後半拙訳) -
'SCHOOL RING' 銅の指輪
フランス、スペイン等多くのヨーロッパの国々では学校で母国語の使用を禁止し、別の言葉を話させた。母国語を一言でも話すとバツとしてスクール・リングや何か小さなものを付けることを強制されたそうです。スクール・リングは見せしめの役割を果たした。 -
Josu Martinez監督のANTIビデオ上映。
-
El concepto de paz es inseparable del concepto de justicia a todos los niveles:
internacional, social e interpersonal. Jaime Dias
(平和の概念は、国際的、社会的、対人的等、あらゆるレベルでの正義の概念と不可分です。 ハイメ・ディアス) -
21世紀の平和の部屋。
La paz positiva es la cooperación, la colaboración, la mutua asistencia, el mutuo entendimiento y la confianza; es una asociación activa, caracterizada, sobre todo, por el mutuo beneficio de una relatión positiva. J.P. Lederach
(積極的平和とは、協力、協同、相互扶助、相互理解、信頼です。それは積極的なパートナーシップであり、何よりも、前向きな関係の相互利益によって特徴付けられます。 J.P.レデラッハ)
アラ不味い(-_-;)積極的なパートナーシップ築いていないな(^^)/ -
La violencia es el último recurso de los incompetentes. Issac Asimov
(暴力は無能な者の最後の手段だ。 アイザック・アシモフ) -
The Peace Abbey
COURAGE OF CONSCIENCE AWARD
presented to
THE SURVIVORS OF THE MOMBING OF GERNIKA
For their promotion of reconcliation, their commitment
to peace for the children of Gernika and the world
and for sharing their remarkable jouney
with frace and dignity
Presented on the 70th Anniversary of the Bombing
Gernika, Spain
April 26, 2007
The Peace Abbey(ピース・アベイ)から
ゲルニカ爆撃70周年記念、2007年4月26日に
ゲルニカ爆撃の生存者に捧げられた
COURAGE OF CONSCIENCE AWARD(良心の勇気賞) -
El mantenimiento de la paz empiera con la autosatisfacción de individuo
Dalai Lama
平和維持活動は個人の自己満足から始まる
ダライ・ラマ -
"...No es preciso que el pintor cree estos símbolos. De otro modo, sería mejor escribir de una vez lo que se quiere decir en lugar de pintarlo. El público, los espectadores, tienen que ver en el caballo, en el toro, símbolos que interpreten como ellos quieran. Hay animales, son animales destrozados. Para mí, es todo, que el público vea lo que quiera ver. "
Pablo Picasso (1947)
「..画家がこれらのシンボルを創造する必要はありません。そうでなければ、言いたいことを描くのではなく、一気に書き留めた方が良いでしょう。大衆、観客は、馬や雄牛の中に、彼らが望むように解釈するシンボルを見なければならない。動物がいます、破壊された動物が。 私にとっては、観客が見たいものを見ることがすべてなのです。」
パブロ・ピカソ (1947) -
一言は無理にしてもPuppyとでも書いてくれば良かった。
-
Todos los seres humanos nacen libres e iguales en dignidad y derechos.
Declaración Universal de Derechos Humanos(1948) artículo 1
(すべての人間は、生まれながらにして自由であり、尊厳と権利において平等である。
世界人権宣言(1948年)第1条) -
A principios de 1937, el Gobierno de la República Española encargaba a Pablo Picasso la realización de un gran cuadro mural para el pabelló español de la Exposión Internacional de París que tendría lugaren el verano de aquel mismo año. El pintor empezó a trazar los primeros dibujos referentes al mural el 1 de mayo, justo un día después que la noticia del bombardeo de Gernika fuera publicada por la prensa francesa.
(1937年初頭、スペイン共和国政府はパブロ・ピカソに、同年夏に開催されるパリ万国博覧会のスペイン館の壁画制作を依頼しました。画家が壁画の最初の絵を描き始めたのは、ゲルニカ爆撃のニュースがフランスの新聞に掲載された翌日の5月1日でした。) -
爆撃による瓦礫。ガラスの下だとアートの様に感じてしまいました。
-
日本語表記どころか英語表記もない箇所が多い。説明文の写真を撮るのにも段々飽きてきた。雨があがったようなので予定通りSan Juan de Gaztelgatxeへ向かう。
ゲルニカ平和博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
フォル広場のMonumento al conde Don Tello(ドン・テロ伯爵の記念碑)
雨が止みました。フォル広場 広場・公園
-
12:21 ゲルニカ平和博物館を後にする。
ゲルニカ平和博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
(写真) 12:24 イパラギーレの像。日を浴びて元気そう。
-
12:41発の電車に乗るので 時間がないので通り過ぎましたが、アルハンブラビールが気になって、何とかなるのではと戻る。
-
(写真) 12:28 ピンチョスを指さして注文。始めは目の前にあった小さいパンに生ハムのはさまれたものにしようと思った。右側により小さな、一口で食べれそうなものを発見。時間がないのでそちらを注文。ゲルニカで食べたと満足。ピンぼけのお皿の写真からお店はBake-Ederと判明。パブロピカソ通りにありました。レシート見つかりませんが、3ユーロ程だったような。
◎ピンチョス+ビール 3ユーロ程 -
#4 Un experimento militar
Gernika fue bombardeada para poner a prueba el nuevo método de bombardeo "Koppelwurf" de alta densidad mediante el aumento del número de bombas explosivas e incendiarias lanzadas dentro de un área determinada. Posteriormente, la villa fue cerrada para estudiar los efectos del ataque por orden del general Emilio Mola. Una vez examinadas las ruinas, Wolfram von Richthofen afirmó que el raid había sido "un completo éxito técnico". Tal como afirmó Castor Uriarte, "La verdad es que no sé de nada de carácter militar significativo que fuerta destruido en el bombardeo".
El 85% de los edificios de la villa fueron totalmente destruidos. Fue un bombardeo quirúrgico que afectó exclusivamente al área urbana de la villa, que era lo que se pretendía destruir (área interior de la línea roja). Apenas diez metros desde la vía del ferrocarril hacia el centro urbano todo fue destruido, mientras que diez metros hacia el exterior de dicha vía, el sector industrial no sufrió impacto alguno. Los árboles de la parte oeste del Pasealekua conservaron intactas sus hojas mientras aquellos situados al este fueron totalmente calcinados.
軍事実験
ゲルニカは、特定のエリア内に投下される爆発物と焼夷弾の数を増やすことにより、新しい高密度の「コッペルウルフ」爆撃方法をテストするために爆撃されました。 その後、町はエミリオ・モラ将軍の命令で攻撃の影響を研究するために閉鎖された。ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェンは廃墟を調査した後、襲撃は「完全な技術的成功」であったと主張した。カストル・ウリアルテが述べているように、「本当のところ、私は爆撃で破壊された重要な軍事的性質のものを何も知らない。」
村の建物の85%が全壊しました。それは、破壊されることを意図していた村の市街地(赤い線の内側の地域)にのみ影響を与えた外科的爆撃でした。 線路から市街地までわずか10メートルのところですべてが破壊されましたが、鉄道の10メートル外側の産業区域は影響を受けませんでした。パシーレクアの西側の木々は葉を無傷で残し、東側の木々は完全に焼けてしまいました。
Edificios de Gernika antes del 26 de abril de 1937. -
(写真) 12:33 Ciutat de Berga 通りよりパブロピカソ通り。
店を出て数歩歩き左折するとCiutat de Berga 通りに、朝辿っていたゲルニカ爆撃ルート#4発見。せわしないが写真(前の写真)を写す。 -
Ciutat de Berga 通り。
-
Ciutat de Berga 通り。
-
(写真) 12:36 Eusko Tren ゲルニカ駅。バリクカードを持っているので切符を買う必要がなく時間短縮になります。
◎ゲルニカ→バキオ 1.8ユーロ (バリクカードでおそらく0.6ユーロ)ゲルニカ駅 駅
-
(写真) 12:36 12:41発の電車が入線。ベルメオに向かいます。
まとまりのないブログに最後までお付き合い下さり有難うございました。
⑫サン・フアン・デ・ガステルガツェ編 https://4travel.jp/travelogue/11897865 に続きます。
2024.4.10 パッピーゲルニカ駅 駅
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