2024/03/31 - 2024/03/31
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かくちゃんさん
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この旅行記のスケジュール
2024/03/31
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バスでの移動
水戸駅北口→石塚車庫
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バスでの移動
石塚車庫→岩下入口
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スタート 岩下入口
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徒歩での移動
ランニング 5.1㎞
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徒歩での移動
ランニング 21.5㎞
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徒歩での移動
ランニング 0.6㎞
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徒歩での移動
ランニング 1.8㎞
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ゴール 江戸街道(水戸街道)起点
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この旅行記スケジュールを元に
第9区は、塩子をスタートし、水戸までのコースとなります。
水戸駅北口からバス停に向うと長蛇の列。学生さんが茨城大学に行くようです。イベントか何かあるのでしょうか。乗客の大半は茨大前の停留所で下車。乗客は私を含めて3人になった後、石塚車庫に着いた時は私一人になっていました。
前回、五十を過ぎたおっさんが一人で入るにはためらいがあったバス停近くの「はぴはぴクレープ」というお店に意を決して入りクレープを食べようと思っていましたが、バスが10分遅れで到着したため、乗り継ぎ時間は10分に短縮。お店を覗いてみるとお客さんが5人ほど待っていたため断念。
「はぴはぴクレープ」から少し離れたところにあるもう一つのバス停で岩下入口行きのバスを待っていると赤沢観音前行きというバスが到着。はて?岩下入口はこのバスで行けるのかと思い、運転手さんに尋ねて見るともう1台バスが来るのだとか。1~2分ほどするともう1台バスが来てこれが岩下入口行きでした。乗客は前回同様終点岩下入口まで私一人。先ほどの赤沢観音前行きのバスも乗客はゼロ。人手不足の中、存続が危うい感じがします。私のような旅行者を期待しても仕方がないですしね。
と、今回も前置きが長くなってしまいましたが、岩下入口バス停近くのベンチで着替えて出発。塩子宿を通過後、物産センター山桜でいったん休憩。体操し給水した後、物産センターでラベルに印籠が印刷された芋焼酎とサバ専用日本酒「SABA de SHU」を購入して再び出発。国登録有形文化財「島家住宅」に立ち寄った後、旧道と思しき畦道を通り「カモさんありがとう」という謎の石碑を横目で見ながら、再度水戸茂木線に入りアップダウンの激しい道を行き、小松交差点先で旧道に入った後、再びアップダウンの続く道をひたすら走り、水戸飯富特別支援学校の先を道なりに直進し、茨城交通本社前を左折して茨大入口の交差点を右折、そのまま直進し、水戸東武館、水戸市水道低区配水塔を経て水戸学の道に入り、弘道館前を左折、大手橋を越え、大手門をくぐり、水戸第一高等学校の敷地内にある旧水戸城薬医門を見た後、柵町坂下門を通過し、常磐線を越えて水門橋を渡って、本日のゴール江戸街道(水戸街道)の起点に到着。
備前堀通りを経て、水戸駅南口の城南2丁目の緑地まで走り、そこで着替え、駅に急ぐと駅前でイベントをやっていたためそこで生ビールを駆けつけ一杯。駅の売店でつまみとエビスビールを買ってときわ78号に乗車し帰途に着いたのでした。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JR特急 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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水戸駅北口にある水戸黄門 助さん格さん像。
水戸黄門こと徳川光圀は徳川家康の孫に当たり、御三家水戸藩の第二代藩主で、大日本史の編纂に尽力したことで有名な方ですが、助さんのモデルになった佐々介三郎、格さんのモデルとなった安積覚兵衛の両者は二人とも学者で光圀とは一緒に旅していたわけではなく、大日本史編纂で関わりがあったとのこと。なお、黄門というのは朝廷から任命された中納言のことなのだそうです。
水戸黄門の諸国漫遊の話は明治時代以降にできた創作ですが、この3人、テレビドラマの影響もあって武闘派のイメージしかなく銅像もそのイメージ通りなんですが、彼らはあくまで学者です。もっとも、学者が武闘派であってはいけない理由はありませんし、今の若い人たちは水戸黄門そのものを知らないのかもしれませんが。 -
石塚車庫バス停。
正面に見えるお店が「はぴはぴクレープ」。
お店の中を覗いてみると、女子中学生と思しきグループ3人と若いご夫婦と思しき方々が待っておられたため、10分で提供されるとは思えず断念。前回もそうでしたが、常にお客さんがいて地元の人気店のようです。五十過ぎのおっさんには敷居が高かった。でも食べたかったなぁ。はぴはぴクレープ グルメ・レストラン
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岩下入口方面行きのバス停。
水戸方面からのバス停から少し離れています。 -
本日のスタート地点、岩下入口バス停。
ツーリングと思しきオートバイが頻繁に通っていましたが、走っている人はいませんでした。 -
塩子(しおご)宿。
宇都宮と水戸を結ぶ街道のかつての宿場町で、鎌倉時代は「塩籠」と称していたようです。茂木同様、宿場町だったのだろうなという雰囲気は残っていますが、江戸時代から続くような古い建物は見当たりませんでした。 -
物産センター山桜。
駐車場はいっぱいで、店内も結構混んでいました。近くに観光地もないのになぜこれだけ人が集まっているのか不思議です。物産センター山桜 お土産屋・直売所・特産品
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芋焼酎とサバ専用の日本酒。
芋焼酎は癖のないすっきりとした味わいで、日本酒は確かに魚料理に合う味でした。 -
島家住宅。
元禄年間(1688年~1704年)に建てられた住宅で、昭和50年頃まで住居として用いられていたそうです。国登録有形文化財に指定されています。 -
畦道にあった謎の石碑。
最初、カモではなく「力士」に見えたので、お相撲さんの碑なのかと思ったら違いました。側面にはトンボも彫られており、本当に何の碑だか分かりません。この辺りは有機農法でもやっているのですかね。 -
小松交差点前にあったセイコーマート。
セイコーマートを見ると茨城県にいるんだなぁと思うのは私だけでしょうか。 -
水戸東武館。
弘道館閉館後の明治7年(1874年)に創設された道場。戦災で焼失したものの戦後再建され、平成27年(2015年)に今の位置に移転して来たのだそうです。水戸東武館 美術館・博物館
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水戸市水道低区配水塔。
昭和7年(1932年)に建造された水道施設ですが現在は使われていません。洒落た建物ですよねぇ。水戸市水道低区配水塔 寺・神社・教会
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大手橋と大手門。
大手門は水戸城の正門でしたが、明治期に荒廃のため取り壊されてしまいました。これが、令和2年に復元しています。お城の正門がピカピカというのも新鮮です。水戸城大手門 名所・史跡
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水戸学の道。
大手門の復元に併せて整備され、きれいになっています。 -
旧水戸城薬医門。
安土桃山時代末期に建てられたもので、何回か移築を繰り返し、昭和56年(1981年)になって元の位置の近くである水戸第一高等学校敷地内に移築復元され現在に至っています。 -
水戸城柵町坂下門。
今は歩道にモニュメントのように建っていますが、かつてはここを通らなければ城に入れなかったようです。 -
水門橋。
桜川に架かる橋で、かつてはここを水浜電車が走っており、橋の真ん中には線路の跡が残っています。 -
かつての水戸宿。
鉄道開通前まではここが水戸の中心街でしたが、今はひっそりとしています。現在は「ハミングロード513」という名前になっています。 -
江戸街道(水戸街道)起点。
街道の起点というよりは城下町への出入り口という方が正しいかもしれません。 -
夕暮れ時の備前堀通り。
江戸の世からこのような通りがあったかどうかは分かりません。
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