2024/03/15 - 2024/03/17
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nichiさん
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この旅行記のスケジュール
2024/03/15
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車での移動
約30分
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車での移動
約5分
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徒歩での移動
3分
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徒歩での移動
5分
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この旅行記スケジュールを元に
一度訪れたかった蓬莱橋と島田宿です。
蓬莱橋は、私の大好きな映画「超高速!参勤交代」のロケ場所で有名になった橋です。
長くて果てしなくて風が強くて。。。
でも歩行者専用の木造の橋、素敵です。
で、島田宿。
幕府の方針で橋が架けられなかった大井川。
川越しは、歩いて渡るか、れん台に乗るかであり、急流のために雨が降るとたびたび「川留め」となりました。
「川留め文化」と言うのですね。
旅人は大迷惑な話ですが、島田宿は大井川を渡れなくなった旅人で大変賑わったようです。
そのことがわかる島田博物館と昔の面影が残る島田宿に行ってみました。
子供の頃に読んだ、東海道中膝栗毛の中で、弥次さんと喜多さんが、川越し賃を値切ったりしてやっとの思いで大井川を越した話を思い出しました。
もっと注目されてもいい所だと思いました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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登呂遺跡から車で30分。
蓬莱橋までやってきました。 -
世界一長い木造の歩道橋である蓬莱橋です。
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大井川に架かる蓬莱橋は、牧之原台地の開墾のため、明治12(1879)年に架けられた農業用の橋です。
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現在も蓬莱橋は茶園を管理する農道として利用されています。
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橋の横で、チケットを購入して橋を渡ります。
一人100円×2 -
全長897.4m、通行幅2.4mの橋を渡ってみましょう。
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シニア夫婦は渡り始めました。
対岸ははるか彼方に見えます。
ドラマや映画のロケ、スチール撮影にもよく使われている場所だそうです。 -
大井川を歩いて渡ります。
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ちょっと欄干が低いことで相方が怖がる。
この辺り、風も強い。 -
遠くにうっすら富士山が見えます。
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ど真ん中まで歩いてきました。
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河原が広い!
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さすが大井川。
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欄干が低く、おまけに風が強いのでど真ん中を歩く相方も、橋のど真ん中までやってきました。
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長い橋だな~
果てしないぞ~ -
ガンガン流れる大井川。
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でも綺麗だな~
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シニア夫婦は、やっと渡り切りました。
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橋を渡り切ると、小さなテントの売店があって、その横には階段。
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階段を上り切ると、このようなフォトスポットがありました。
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こういうこと?
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もう3歩進んでこの方がいいや。
渡ってきた蓬莱橋の全景です。 -
もう少し下がってこんな感じで全景を眺めてみました。
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さらに奥に、「愛の鐘」やら「貝の化石」やらがあったようですが、パス。
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強風の中、再び歩いて戻ってきました。
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河原まで下りて、渡ってきた橋を見上げてみました。
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あっ!
橋を渡っている誰かが帽子を飛ばされています。
蓬莱橋をあとにしました。 -
蓬莱橋から車で5分。
島田市博物館にやってきました。 -
ここは、「島田宿大井川川越遺跡」です。
幕府が幕府を守るために橋を架けることを禁じた大井川です。
箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川 -
お邪魔します。
300円×2枚 -
楽しみだ~
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島田宿は、東海道53次の宿場の一つ。
江戸から数えて23番目の宿場です。 -
まず最初に現れるのは、島田大祭という地元のお祭りの大奴。
大奴は、左右の木太刀に美しい丸帯を下げ、蛇の目傘をさしています。
奇抜ですね~ -
島田宿の成り立ちや仕組みについて。。
元々は、大井川上流で切り出した材木の集積所として栄えた場所のようです。
1604年に大井川の氾濫で流された島田宿は、1615年に輪中式で街を囲う工事を行い、1635年には34町53間の宿場街が出来上がりました。
と言われてもスケールがわからない。
その場でググってみたら、1里が36町。
1里が約4㎞ですから、この島田宿は4㎞弱の長さがあった宿場町だったようです。 -
宿場町の大きさとしては、東海道の中でなんと第7位。
城下町であった、小田原や岡崎、浜松より大きな宿場町だったようです。
ちにみに1位が中山道と交差する大津宿、2位が家康の駿府城があった府中宿、3位は熱田神宮がある宮宿なんですね~
東海道以外の街道と交差しているとか、海運の拠点だったり、城下町を兼ねていたりすると、宿場の規模が大きくなり、上位に来るようです。 -
島田宿の旅籠は、1808年(享和3年)に時点で、
大9軒
中11軒
小35軒
でしたが、天保年間(1831年から1845年)の頃には、
大6軒
中7軒
小35軒
になっています。
あと、面白いのが、助郷と言う当時の職業の話。
前の宿場町から送られてくる公物や一般荷物を次の宿場に送ることが宿場町の業務として課せられていました。
宿場周辺の村落の住民などがこの業務を担っていたようです。
今でもハイキングの間に車で荷物を運んでくれるサービスがありますよね~ -
旅籠では相部屋もあたりまえ????
まじかっ??? -
島田宿の様子。
相部屋での食事の様子でしょうか?? -
旅装束の紹介です。
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これがリアルの通行手形です。
昔はお寺や神社がその門徒の保証をしたのですね~ -
この時の度の注意事項、持ち歩いたものの紹介がありました。
-
これ面白~~い!!
橋が幕府の命で掛けられなかった大井川。
この橋を渡るには、人を雇って渡るわけですが、水の深さと川幅、そして渡り方によって金額が違ったのですね~~
帯下、帯上、乳、脇 と川の水深を人で測って料金設定していました。
また、渡り方は、肩車、一人れん台、ニ人乗りれん台、篭乗りれん台と料金設定が当たようです。
これ、面白いな~~ -
この絵、すんごいな~~~~
14代将軍徳川家茂の大井川越えです。
人足を総動員した川越しです。
人足36人で家茂の籠を担いでいます。
何重にも渡ってど真ん中の家茂を川の流れから守っていますね。 -
当時の川越しの様子を表した絵です。
れん台の下は地獄だったようです。 -
これは、平れん台です。
これに乗って大井川を渡ったのですね。 -
日本髪が並んでいます。
島田髷?
島田髷ってこの地の地名の島だから来てるの~?
この時に初めて知りました。
文金高島田の島田です。
知らなかったな~
賑やかで栄えた宿だから様々な文化が生まれていったのですね~ -
島田市博物館を出て、この図をじっくり見ました。
そっか~~
大井川と島田宿、そして島田市博物館はこんな位置関係なんだ~ -
島田博物館の横には古き良き島田宿が復元されています。
真ん中の道が旧東海道です。 -
その宿場町の入口にはこんな堰の跡が残っていました。
大井川が増水した際、宿場町を守ったのですね。
板をはめた溝跡が判りますよね~ -
でもこんな低い堰で、街を守れたのだろうか?
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ここは?
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川越しの価格を決めたり、人足の管理をしていた川会所です。
復元された建物です。
この川会所ができるまでは、旅人と川越人足との話し合いで比較的自由に賃銭を決めていました。そのため、わざと深い所を通って高い賃銭を取る川越しが横行してしまいました。 -
それをきちんと統制化するために作られたのですね。
つまり役所のような所だったのですね。 -
当時の川越しの値段表がありました。
脇 九十四文 今のお金で2820円
乳 七十八文 今のお金で2340円
帯上 六十八文 今のお金で2040円
帯下 五十二文 今のお金で1560円
股下 四十八文 今のお金で1440円
川の水かさで、ずいぶん値段が違うことがわかります。
旅人に川札を売っていた場所です。 -
さあ古き良き島田宿のあとを歩いてみましょう。
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雰囲気あるな~
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この建物は、札場。
札場って???
札場は人足が川札を換金する場所だったようです。 -
私の影が映ってますが、宿場町の中には水路が走っていたこともわかります。
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ココは立会宿です。別名「仲間の宿」といって、人を泊めるための宿ではなく、川越小頭や川越しのOBが集まって会議を開いていた場所です。
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ここで会議が開かれていたのですね~
実際は溜まり場だったのかな~? -
ここは川越し人足が詰めて待機していた十番宿です。
番宿とは、一番から十番までの十組に分かれた人足の待機場所として使われていた建物です。 -
宿と言っても宿泊はできません。
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元禄時代には150人ほどの人足でしたが、幕末には650人もの人足がいたようです。
川越し人足になるにも技術がいるために大変で、12・13歳で見習い、それから何年もの鍛錬を繰り返してからデビューしたようです。
ドイツ人医師のシーボルトが、急流を楽々と越していく人足のことを、「半人半魚の男たち」と評したそうです。 -
復元されたこの宿場街、素敵ですね~
いい雰囲気です。 -
ここは、荷縄屋といって、荷崩れした荷物をなおしたり、れん台に荷物を縄でくくることを生業としていた職業です。
この街には、この街ならではの職業があったのですね~ -
島田市博物館の分館にやってきました。
先ほどの島田市博物館の入場券で入ることができます。 -
お邪魔します。
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この建物は、江戸時代の建物ではありません。
1890年(明治23年)に建てられた古民家「旧桜井邸」を復元公開しています。
1996年(平成8年)に島田市の管理となり一般公開されるようになりました。 -
素敵ですね~
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まずは奥にある民族資料室から。。。
明治、大正、昭和の昔懐かしい生活用品や木工機具、農機具などが数多く展示されています。 -
昔の材木を加工する道具ですね。
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米づくりで使われた道具ですね。
田植えのための定規、初めて見た。 -
懐かしい生活の道具。
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こちらも。。
草鞋は博物館で見たことあるけど、草鞋を造る機会は初めて見た。
足踏みオルガン、弾いてみました。 -
所狭しと懐かしものがたくさん並んでます。
父型の祖父が履いていたような下駄が並んでた。
古すぎて私も初めて拝見するものもあります。 -
これ面白い!
大井川が東西文化の境界線か?
肉じゃがは豚肉か?牛肉か?
出身地にシールを張ります。
豚肉の人は赤、牛肉の人は青。
私は赤のシールを東京に貼ります。
そういえば関西に行った際、肉じゃがのお肉が牛肉で驚いたことあるな~ -
ポリタンクは赤か青か?
関西は青なの?
そもそも青いポリタンク、見たことない・・・
川が文化を分けているのね~~ -
民俗資料館から桜井邸の母屋に戻りましょう。
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庭の真ん中には、樹齢約300年のマキの木。
立派です! -
桜井邸の外観。
1899年(明治32年)に建てられた建物です。 -
庭の横に古い井戸がありました。
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井戸を覗いてみました。
深いぞ~~ -
井戸の横から建物内に入ると、そこは土間で台所。
かまどと羽釜がありますね~ -
ちゃんとした形でかまどが残ってますね。
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お座敷にお邪魔します。
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旧家の風情がありますね~
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お金持ちだったんだろうな~
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廊下も風情があります。
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ガラスは昔のままです。
手焼きガラスです。機械で造ったガラスではありません。 -
裏側の庭のつくりも立派ですね~
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昨年の一時期、ここはインバウンド向けのカフェだったこともあるようです。
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広い!
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急階段を上がって2階へ。
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2階は少し雰囲気が違いますね。
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客室として使われた接待の間です。
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お~~
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つるの絡まる竹格子がカッコいいですね~
ちょうど斜めに陽が入ってます。 -
よくここまで残っていたな~
島田市博物館の分館(旧桜井邸)にお邪魔しました。 -
江戸時代に思いを馳せた島田宿をあとにします。
さあホテルへ。。。
つづく
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