2024/03/15 - 2024/03/17
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nichiさん
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コロナ禍、私たちシニア夫婦は自転車を買い替えました。
地元みなとみらいから、関内、伊勢崎町、赤レンガ、山下公園、本牧、三渓園 など近所を動くには自転車が便利なんです。
でも、地元だけじゃなくて、静岡御前崎自転車道を走りたくなって、久々にセカンドカーであるジムニーに自転車載せて行ってみました。
その前に、前回の静岡市の旅行でで唯一市内で行けなかった登呂遺跡を経由して行くことにしました。
私はたぶん初めて。。。
相方は、小学校の臨海学校の途中で寄ったようです。
何やら登呂遺跡をクラスの班ごとに調べて発表した記憶があるそうですが、内容はさっぱり覚えていないとか。。。
そりゃそうだろうな~
東名を西に向かって日本平久能山スマートインターで降りて海鮮丼のランチを戴いてから登呂遺跡へ。
私は歴史好きですが、古代史にはあまり興味がありません。
歴史上の「人」に興味があるからかな?
でも登呂遺跡、ちょっと面白かったかな??
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
東名高速の日本平久能山スマートインターで降りて、3分。
焼津港直送のネタを使った、安くて旨い海鮮丼のお店「のっけ家 高松店」さんへ。
お昼時に到着したのもあり、駐車場に車を停めるにもしばらく時間がかかりました。
30分ほど待って、席に案内されました。 -
ランチメニュー
シンプルです! -
私どもシニア夫婦は、Bの「とろろ4種丼」の酢飯を選択。
キハダマグロ、トンボマグロ、ネギトロ、とろろ
が入っていて、酢飯で770円です。
美味しかった~
食べ終わったら、待っていらっしゃる方が大勢いらっしゃるので、すぐに外に出ましょう。 -
のっけ家屋さんから車で5分。
登呂遺跡の駐車場に到着しました。
住宅地のど真ん中にあるんですね~
駐車料金は400円。 -
登呂遺跡の案内図。
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まずは登呂博物館へ。
そもそも登呂遺跡は、第二次世界大戦中の昭和18年(1943年)に、軍需工場建設の際に発見されたのだそうです。
住居跡・倉庫跡・水田の跡などが、一つの集落として見つかったわけですからビックリですよね~
弥生時代=稲作となったのもこの発見からなんだそうです。 -
登呂遺跡から発掘された出土品等が展示されています。
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実際に弥生時代の人々が使っていた道具です。
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実際に弥生人が生活で使っていたものですよね~
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この椅子、ニトリの椅子じゃありません。
弥生人の椅子です。
なんと組み立て式なんです。 -
竪穴式住居の実物大の模型です。
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弥生時代にはなんと機織りをやっていたんですね~
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中に入ってみましょう。
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屋根の上にはニワトリ。
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中は思ったより広い。
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ココで火を焚いていたんですね。
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上では様々者を乾かしていたのか?
燻していたのか?? -
精巧に作られています。
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弥生時代の登呂を再現。
みんなで田植えしている奥に富士山が見える。。。。 -
こちらは祭殿の実物大の模型。
かなり大きな建物です。
占いで使われる骨が発掘されたことから、祭祀が行われていた建物と考えられています。 -
こちらは高床式倉庫です。
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こんな階段があります。
取り外しができるようになっています。 -
ネズミ返しですね。
ネズミがここから上には上がって来れない。
弥生人の知恵ですね。 -
建物は、掘立柱構造と言うらしいのですが、石や鉄の道具で木材に穴、溝、切込みを入れて、木と木を組み合わせる工法だったのですね。
弥生人、頭がいい。。。 -
秋に収穫した稲は高床倉庫で保管し、保存。
調理前に臼で脱穀していたのですね。 -
そして、弥生人は狩りで鹿を捕り、食べた後は骨や角を道具として加工しました。
例えば、釣り針、矢じり、アクセサリーetc...
毛皮は衣類や敷物として利用していたようです。 -
屋外の発掘現場に行ってみましょう。
地元の中学生の社会科見学と一緒ですね。 -
お~見えてきた!
右は高床倉庫。
左は竪穴式住居。 -
このように竪穴式住居は屋外に復元されています。
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隣近所が近いぞ~
昔はプライベートはなかったのか? -
これは高床式倉庫です。
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シニア夫婦は、中学生の社会科見学に交じって、火おこしを見学します。
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お~~~
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お~~~
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中学生、頑張れ!
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おっ?
火の粉。。。。 -
麻の綿の上に乗せると、ボッと火がつきました。
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初めて見たな~
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回りも散策してみましょう。
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復元された竪穴式住居。
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中に入ってみましょう。
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ココで家族が生活していたのか~
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家族みんなでこの囲炉裏を囲んでいたのですね。
当然個室はありません。 -
柱は室内に4本。
床下には、灰と白い粘土が交互に重ねられており、住居内に水が上がってこないようにする工夫だったようです。
寛げたのかな~? -
弥生人がここで生活していたんだ~
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丸く盛り土をして、周りには排水溝を配し、水が入ってこないようにして、そこに住居を建てています。
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ココには19棟の竪穴式住居があったことがわかっています、。
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この景色を見て、どんな生活だったのか、想像しちゃいます。
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ここは、静岡平野の中の、安倍川と藁科川がつくった扇状地です。
その中の小高い丘の部分で人々は生活していたようです。
2000年前のことです。。。 -
水田も復元されています。
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これは祭殿を復元したものです。
ココで祭祀が行われていたと考えられています。 -
弥生人たちが生活している光景を想像しちゃいます。
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丸い盛り土の上に建てられた竪穴式住居。
外周には杭と横木による土留めが施されています。 -
ココが入口。
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ココにも入ってみましょう。
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この時代、一つの家族は何人ぐらいだったのだろう?
4人ぐらいで寝泊まりしていたのかな? -
囲炉裏の上でものを乾かしたり燻したりしていたのでしょう。
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囲炉裏の火だけでは暗かったのでしょうね。
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入母屋造りみたい。
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建物の方向に統一性があるのかな?
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復元された田んぼの中を戻りましょう。
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田んぼ越しに富士山が見えました。
ココから富士山が見えたのは弥生時代も同じはずです。
つづく
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旅行記グループ
サイクリングがしたくて静岡の御前崎自転車道へ。
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