2024/02/10 - 2024/02/10
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j-ryuさん
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★福島県民でありながらまだ行ったことが無かった
大内宿の『雪まつり』&会津若松の『絵ろうそく祭り』を訪れました。
どちらも会津を代表する冬のお祭りですが
雪道の運転が嫌いな私は、雪景色なら地元でも見られるのに
わざわざ真冬の会津まで行くほどのことも無いと思っていました。
しかし一度くらいは福島県民として見てみたい気持ちもあり
調べたらリーズナブルな地元発の日帰りツアーがあったので
リペ島旅行の直前でしたが参加してみました。
会津地方はコロナ渦明けと言うこともあり、大内宿などは日本人より
アジア系のインバウンド客の方が多いくらいで
特に雪の降らない台湾やタイなどからの観光客は
初めて見る雪景色に大はしゃぎ(^^ゞ。
円安などで海外旅行を躊躇している日本人をしり目に
大挙押し寄せるインバウンド客を見て
日本の縮み傾向がやたら気になりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
PR
-
★下郷町・大内宿&会津若松・鶴ヶ城 ルートマップ(※Google mapに加筆)
https://www.google.co.jp/maps/@37.4993757,140.0071812,88171m/data=!3m1!1e3?hl=ja&entry=ttu
今回のツアーは福島交通観光須賀川営業所から東北道、磐越道を経て
会津若松ICから“こぶしライン”を通り下郷町大内宿へ、
大内宿からは国道118号を通り会津若松市に向かいました。 -
★磐越道を走る猪苗代辺りの車窓から望んだ会津磐梯山(1816m)
磐越道の猪苗代町辺りから望んだ磐梯山(1816m)です。
一番高い大磐梯(1816m)は独立峰なので
現場に立つと標高以上に高く見えます。
車窓からの撮影なのでゴーストが映り込んでいます(--〆)。 -
★猪苗代町天神浜から望んだ会津磐梯山(1816m) ※2022/01/25 -撮影)
ゴーストの無いスッキリした磐梯山もご覧ください。
会津地方は日本海気候で冬は雪雲が多くなり
雲一つないスカッ晴れはとても貴重です。 -
★磐越道・磐梯山サービスエリア
磐梯山サービスエリアで自由昼食です。
建物は喜多方市の蔵をイメージした造りですね。
昼食はもちろん喜多方ラーメンです(^^ゞ。 -
★磐越道を走る河東辺りの車窓から望んだ会津磐梯山(1816m)
磐越道を会津盆地側へと下ってくると
磐梯山は大磐梯の単独峰に見えてきます。
この山の形から会津富士とも呼ばれていますが、
富士山型に見えるのは会津盆地側からだけなので
会津盆地にある市町村以外はあまり会津富士と言われてもピンときません。 -
★下郷町・大内宿 ルートマップ (※Google mapに加筆)
https://www.google.co.jp/maps/@37.3365341,139.8752806,5523m/data=!3m1!1e3?hl=ja&entry=ttu
会津若松方面から下郷町の大内宿へ向かう場合、一般的には
国道121号を南会津町方面に南下し、下郷町湯野上温泉手前から
県道329(湯野上・会津高田線)に右折しますが、
この日は大内宿雪まつりで県道329が大渋滞すると予想し
会津美里町から県道131(下郷・本郷線=こぶしライン)を
南下することになりました。
ただこぶしラインは雪の多い峠越えの道なので大丈夫なのかな?
と心配しましたが、さすが地元も観光バスなので事前情報で
雪が少ないことを得ていたのでしょう。 -
★下郷町・大内宿 マップ (※Google mapに加筆)
https://www.google.co.jp/maps/@37.3365341,139.8752806,5523m/data=!3m1!1e3?hl=ja&entry=ttu
こぶしラインはクネクネした峠道なので県道329よりかなり
遠回りになるのですが、結果的には渋滞もなくスムーズに大内宿の
公共駐車場に入ることができました。
我々が大内宿観光を終えて県道329の湯野上温泉方面に向かったら
案の定5kmほどの大渋滞が発生していました。
大内宿の駐車場は臨時を含めかなり広いのですが、
それでも空きができない限り駐車は出来ないわけですから
大内宿に入るまでどのくらいの時間を要したかと
大変気の毒になりました。
GWなど観光のピークシーズンの大内宿訪問は少し遠回りでも
こぶしラインを利用した方が賢明かも。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
大内宿へはなんと2009年5月以来、15年ぶりの訪問です。
今回はツアーで訪問しましたが我が家から大内宿へは
国道118号を利用して1時間ちょっとと、案外近いんです。
3年前までは鳳坂峠越えが大変でしたが今はトンネルができたので
だいぶ楽になりました。
それでも山道には変わりないので冬の雪道は不安だらけです。
今回はたまたま雪は少なかったですが、ツアーは事前予約なので
積雪は当日にならないと分かりません。
添乗員の方に今日は雪がだいぶ少なく残念です。と
伝えらえていましたが、想像よりは積もっていて良かったです。 -
★南会津・萱葺きの里探訪 (※2009/05/26 撮影)
15年前は初夏の訪問でしたが、新緑と雪の違いはありますが
基本的には大きな変化は見られません。
大内宿のある下郷町へは毎年のように訪れていますが
私はどちらかと言うと自然写真派なので、
名所旧跡の類は1度訪れれば十分なタイプなので
いつも近くを素通りしていましたが、大内宿の雪景色はまだ
一度も見たことが無かったし、
今回は会津若松の絵ろうそく祭りも合わせて見られると言うことで
重い腰をあげた次第です。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
茅葺屋根は基本的に雨樋は無いので氷柱がたくさん垂れ下がるので
落下に注意が必要です。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
夜には雪灯籠に灯りがともりますが
今日の夜は会津若松市の絵ろうそく祭りに行くので
今日は残念ながら幻想的な雪灯籠は見られません。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
下郷町名物のしんごろう餅と虹鱒の串焼きの良い匂いが漂ってきます。
虹鱒は町内の養鱒公園で養殖されています、
福島県では県内では「じゅうねん」と呼ばれるエゴマが多く栽培され、
様々な郷土料理にも使われています。
このじゅうねんをすりつぶし、味噌や酒、砂糖、みりんなどを加えて「
じゅうねんみそ」を作り、つぶしたご飯にぬって焼き上げたのが
「しんごろう餅」であす。
しんごろうという一風変わった名前は、とある若者の名前から来ているという。
昔正月に餅を食べられなかったしんごろうが、
餅の代わりにご飯をつぶして丸め、
「じゅうねんみそ」をつけて焼いたところおいしく出来上がり、
彼の母も喜んだことからこの名がついたとされている。
福島県内では特に下郷町や南会津町で食べられている、
シンプルでありながら優しい味わいの郷土料理。
中部地方で食べられる五平餅と良く似ています。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
大内宿は街道の両脇に用水路がありを
山から引いた清らかな水が常に流れています。
夏場にはスイカなどの夏野菜やラムネなどを冷やしています。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
宿場の中程にある旧本陣前では
太鼓やネギ蕎麦食い競争など様々なイベントが開催されていました。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
大内宿の各家屋は住居でもあり、
多くの家ではお土産屋や蕎麦屋などを営んでいます。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
たくさんあるお土産の中でも
唐辛子やカボチャなどえを布で造り吊り下げた飾りが
フォトジェニックで観光客に人気です。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
唐辛子やカボチャは15年前も売られていましたが
大根は無かったかも。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
15年前ももっと素朴な作りだったと思いますが
今はだいぶアーティスティックに洗練されてきた感じがします。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
大内宿を南から山のある北側に進むと突き当りにあるのが
浅沼食堂でその背後の山にあるのが子安観音と見晴らし台です。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
子安観音と見晴らし台へは積雪期以外はこの石段を登りますが
積雪期は危険なので通行止めになり、
ここから左手にある正法寺を経由する歩道&階段を進みます。 -
★南会津・萱葺きの里探訪 (※2009/05/26 撮影)
正法寺を経由する歩道&階段を登ると子安観音前に到りますが、
折角撮影した子安観音真の写真を間違って完全削除してしまったので
2009年に撮影した写真をご覧ください。
この子安観音も茅葺屋根で趣があります。
今回の屋根は葺き替えたばかりで新しかったです。
この子安観音の隣りに見晴らし台(ビューポイント)があります。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
見晴らし台にやってきましたが観光客が多く
最前列は順番待ち状態でした(^-^;。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
大内宿と言えばこの見晴らし台から見下ろした
茅葺屋根の街並みを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか?
体に障害のある方やおみ足の不自由なご老人以外の
殆どの方はこの見晴らし台に登られるのではないでしょうか。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
大内宿は会津若松と今市(栃木県)を繋ぐ会津西街道(下野街道)の宿場町でした。江戸時代に会津西街道は会津藩や新発田藩(新潟県新発田市)、
村上藩(新潟県村上市)、米沢藩(山形県米沢市)の参勤交代に利用され、
本陣をはじめ旅籠や問屋などが設けられ大いに賑わっていたそうです。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
時代は明治と代わり、新しい時代を迎えても大内宿は江戸時代のままでしたが、
明治17年、日光街道( 現在の国道118)が大川沿いに開通すると、
人、物の流れが新しい道路に移り、
大内宿は時代に取り残されていきました。
日光街道は関東と会津の最短距離で道幅も立派だったので
大内宿のある下野街道は廃れる一方で、
しだいに大内宿は山間の僻村として忘れらていきました。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
しかし、時代から取り残されたことが幸いし、多くの萱葺き家屋が残り、
昭和56年(1981)に宿場町としては妻籠宿、奈良井宿に次いで
全国3番目に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
現在の大内宿は保存運動に力を入れ、
トタン葺きを再び萱葺き屋根に戻す民家が増え、電柱を無くし、
舗装道路も撤去し、掘割(水路)を復活するなど
古来の大内宿の姿に戻りつつあります。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
大内宿には高倉宮(の落人伝説があり、
集落名もこの高倉宮に由来すると言われています。
平安時代治承四年(1180年)頃は平清盛が全盛を極め
後白河天皇の第三皇子、以仁王(もちひとおう=高倉宮)は反平家の
源氏らと挙兵しましたが
早くに平家に発覚し宇治川の合戦で敗れ、高倉宮はわずかな従者と共に
東国へ落ち延びたと言われています。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
高倉宮一行は奈良、甲斐、信濃、上州、尾瀬、桧枝岐、大内と落ち延び
只見から越後に入り小川荘で死去されたとされます。 -
★南会津・萱葺きの里探訪 (※2009/05/26 撮影)
15年前の訪問時は平日と言うこともあり
観光客は疎らでした。 -
★南会津・萱葺きの里探訪 (※2009/05/26 撮影)
ぱっと見の街並みは今とあまり変わりませんが、
茅葺屋根は順繰り葺き替えられています。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
以仁王(もちひとおう=高倉宮)の父は後白河法皇で
先のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では
福島県郡山市出身の西田敏行が演じていて
以仁王との不思議な縁を感じました。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
なお、後白河法皇の後に天皇になったのは高倉天皇は
大内宿由来の高倉宮ではなく以仁王の弟だそうです。
以仁王が京の高倉に御所を構えていたので高倉宮と呼ばれたそうです。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
茅葺屋根がウリの大内宿ですが
雪が積もるとその茅葺屋根らしさが隠れてしまい
少し残念でもあるし、雪国らしいとも言えるし
やはり雪の無い時と、雪がある時の2度訪れるのが正解かも。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
約400年の歳月を経ても残る伝統的な茅葺き屋根。
これは村の人々が自ら保存活動を行うことによって維持されています。
専門技術を持つ茅手(かやで)と呼ばれる職人を中心に、
村の人々が協力し合い屋根の葺き替えに取り組みます。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
茅葺き屋根の材料はススキです。
夏は涼しく冬は暖かい茅葺き屋根ですが、火災には弱く
一度燃えるとすぐに広まってしまいます。
そこで大内宿では、毎年9月1日に一斉放水訓練を行っています。
1年に1度、各民家から高く水が飛び交う様子を多くの方が見物に訪れます。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
昭和56年には国選定重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、
この大切な村・宿場の景観を未来の子供たちに引き継いで行くために、
住民憲章を作り「売らない・貸さない・壊さない」の3原則を守り
景観保存と伝統的な屋根葺きの技術習得、継承に
全員で取り組んでいるそうです。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
大内宿は会津地方と栃木県の日光を結ぶ会津西街道の宿場町として栄え
会津藩の厳格な管理に置かれた、同じ構造の重厚な建物が
道の両脇に整然と並ぶ独特の景観が生まれたそうです。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
分家叶屋は蔵も茅葺屋根です。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
土蔵は元々火災から財産を守るために造られたものですが
屋根が火災に弱い茅葺と言うのはどうなのでしょう? -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
この軒下に吊るされた茅の束はいったい何だと思いますか?
かなりの難問です。
答えはマメコバチの為に束にした茅巣です。
会津地方の果樹園ではマメコバチが受粉を助けてもうらことがあります。
このハチはか茅葺屋根の茅の中に巣を作るため、
農家は茅葺家屋が並ぶ大内宿の家の軒にカヤの束をつるし、
屋根に住むハチに巣作りの場を与えています。
その巣になった茅束を春、果樹園に運ぶとそこからハチが巣立ち、
満開のリンゴ畑に飛び立ち受粉を助けます。
農家の素晴らしい知恵ですね。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
今では大内宿の名物料理の一つになったネギ1本蕎麦ですが、
15年前はまだ名物と言うほどでは無かったと思います。
元々大内宿の蕎麦は信州由来の高遠蕎麦で
辛味大根おろしを添えた蕎麦でした。
おそらく15,6年前に三澤屋がお目出たい蕎麦口上を元に
蕎麦に箸の替わりに丸々ネギ1本を添えたのが始まりだったと思います。
それが珍しさや奇抜さで話題になり、次第に他の店でも出すようになり
今ではネギソバと言えば大内宿と言われるほど有名になりました。
なぜ信州の高遠蕎麦が元祖かと言うと松平会津藩の藩祖であり
3代将軍家光の実弟である信州高遠の城主保科正之が
寛永20年(1643年)に会津藩主になった際、
辛味大根を使った高遠蕎麦も伝わったと言われます。
元祖は信州高遠ですが本家の高遠には高遠蕎麦と言う名前の蕎麦は無く
1998年(平成10年)以降に高遠蕎麦として里帰りしたそうです。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
この雪灯籠に灯りがついたら
さぞ幻想的でしょうね。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
小さな行列が出来ているのは山形屋の手焼き煎餅です。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
店先で煎餅を焼いているので香ばしい匂いに釣られて
つい食べたたくなる一品です。
赤ちゃんの顔ほどもある大きな焼き立て煎餅が1枚250円で
外人客にも人気です。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
本陣前広場ではネギ蕎麦の早食い競争が行われていました。
この手のイベントってどこも横並び。
もう一工夫が欲しいなと思います。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
本陣周辺には団子さしが飾られていました。
会津では「団子さし」と呼ばれる小正月のお飾りで
地方によっては花餅、餅花、成り餅・・・と、
様々呼び名があるようです。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
私の住む中通りでも『団子さし』があり
我が家でも小学生低学年の頃までは飾りつけをしていました。
素材は一般的にはくず米の粉を練って団子にしたり
古いもち米を杵で衝いでから団子にする場合もあります。
団子はミズキの木に刺す場合が多いようです。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
当町ではもう殆ど見られなくなった歳時ですが
味気ないプラスチックの団子さしを飾る商店もあります。
この団子さしのいわれについては、「豊作祈願」「一家繁栄」
「豊かな生活」の願いがこめられているそうです。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
茅葺屋根の上にもう一つ小さな屋根が載っていますが
これは『煙出し』です。
囲炉裏や竈からの煙を排出する役目があります。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
西洋のように煙突が発達しなかったのは
煙突は窯などから直接煙を排出し、室内に煙が立ち込めないようにしますが
茅葺屋根は茅葺を煙で燻すことにより、防虫や防水、腐敗防止の効果を
得るため、煙を直接排出しないで一旦屋根裏に充満させる役目があります。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
与勇輝風の人形が売られていました。
与勇輝氏と言うと黒柳徹子の部屋のセットで一躍有名になりましたが
あの作風は決して与勇輝氏だけではなく似たような人形作家がおり
徹子の部屋で与勇輝氏が有名になったため、
似たような作風の人形作家が物真似していると批判されたそうです。
確かに木綿や縮緬を使って顔を作ると似たような風貌になります。
でも詳細に見ればそれぞれの作家の個性があるそうで
与勇輝氏も他の人形作家に対し物まねだと訴えることは無いのですから
素人がぱっと見で批判するのは早合点だと思います。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
今ではあまり見る機会が少なくなった火の見櫓(やぐら)がありました。
若い人達はこれが何か分からないようで、スマホなどの通信施設を
古い町並みに合わせて造ったと思う人も多いそうです。
私の地元ではまだ現役で頑張っています。
でも本来の目的である半鐘を鳴らすのではなく
濡れた消火用ホースを干す物干し台に使っています(^-^;。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
通りの中程に木製の鳥居があります。
これは高倉神社の一の鳥居で、
1kmほど先の山に高倉神社があります。
高倉神社は上記でも触れたように以仁王(もちひとおう)が
落人となり大内宿に身を潜めたことに由来し祀られた神社で
初夏には半夏生祭りが催されます。
高倉宮以仁王がこの地に一時留まり、都を偲んで詠んだと言われる歌
「春は桜 秋は紅葉の にしき山 あづまの都 大内の里」にある
「大内」から、大内宿の名前が付いたと言われています。
大内は嵐山にあった村の名前と言う説や
古代宮城における天皇の私的区域の内裏(だいり)の
別名である大内(おおうち)から名付けらたという説があります。
元々の村名は山本村と呼ばれていたそうです。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
懐かしいホーロー製の『たばこ』看板。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
人の顔をした雪灯籠もありました。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
子供や外人に人気のドラエモンの雪だるま。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
大内宿の南の入口近くの酒屋三澤屋の裏手にある茅葺の蔵屋敷。
『カールさんとティーナさんの古民家村』で有名な
ドイツ人建築家のカールさんが手がけたかのようなお洒落な茅葺蔵屋敷です。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
大内宿に合うかどうかは兎も角、
お洒落であることに異論は無いと思います。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
強いて言えば【和魂洋才】的な建築なのかも。
ちなみに【和魂洋才】は本来の【和魂漢才】をもじった四字熟語なんだとか。
でも今や『庇を貸して母屋を取られた』言葉って感じ(^-^;。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
大内宿一番南にある茅葺家屋のカフェ&スイーツの『分家玉や』
こちらもカールさんが手がけたようなお洒落なリフォームをしてあります。 -
◆大内宿の雪まつり2024 @ 会津下郷町
縁側にはアンティークな荷車の車輪や三輪車が飾られていました。
大内宿も近年は若者うけするようなお洒落なリフォームが増えてきました。
これで大内宿の見学は終わり、会津若松の割烹『田季野』と
絵ろうそく祭り会場の鶴ヶ城に向かいます。 -
★南会津・萱葺きの里探訪 (※2009/05/26 撮影)
会津若松に向かう前に南会津地方の茅葺屋根家屋を少し紹介します。
こちらは会津鉄道の湯野上温泉駅です。
湯野上温泉駅(ゆのかみおんせんえき)は、
日本で唯一萱葺き屋根の駅として有名です。
この駅舎は大内宿の最寄の駅ということで1987年(昭和62年)に
萱葺きの屋根の駅舎に建て替えられました。
駅名の通り近くには大川の渓流沿いに30軒ほどの湯野上温泉があります。 -
★南会津・萱葺きの里探訪 (※2009/05/26 撮影)
南会津町田島からR289を桧枝岐村方面に向かう途中の
金井沢集落に全国的にも貴重な萱葺き造りの南泉寺鐘楼門があります。
鐘楼門は寛政6年(1794)に建立されたそうで、
春は枝垂桜の名所としても人気があります。 -
★南会津・萱葺きの里探訪 (※2009/05/26 撮影)
南泉寺の近くには使われなくなった水車小屋がありました。
水を流せばそのまま使えそうで放っておくのは
もったいない気もします。 -
★南会津・萱葺きの里探訪 (※2009/05/26 撮影)
南会津町(旧田島町)を南下し、会津高原駅あたりからR382に入り、
旧舘岩村(現南会津町)には茅葺屋根集落の前沢曲家集落があります。
前沢集落は、平成23年6月に「南会津町前沢」として
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
こちらの茅葺屋根集落は大内宿のようにお土産屋や食堂ではなく
実際住民が暮らす純粋な民家(農家)がほとんどです。 -
★南会津・萱葺きの里探訪 (※2009/05/26 撮影)
明治40年、集落のほとんどの建物を焼失した大火の後に
周辺地域の大工の手により一斉に再建されたため、
統一的な意匠による景観が形成されました。
家屋(主屋)は、茅葺屋根でその構造から直家とL字型の中門造(曲家)に
分類され、中門造が多くを占めています。
中門造は、かつて家族同様に大切にされてきた農耕馬と人が
一緒に生活する構造となっており、妻面には、明かり取りの窓、
梁と貫の木組み、前包の彫刻、狐格子など意匠性の高い造りとなっています。
集落内には、中門造り(曲家)13棟を含む伝統的家屋が20棟あります。
伝統的家屋には、現在も人々の暮らしが息づいており、
日本の原風景を今に残しています。 -
★会津若松・鶴ヶ城 マップ (※Google mapに加筆)
https://www.google.co.jp/maps/@37.3338806,139.8605825,690m/data=!3m1!1e3?hl=ja&entry=ttu
★南会津・萱葺きの里探訪を少しご覧いただいている内に
バスは会津若松市に入ってきました。
今日の夕食は会津の名物料理である割烹『田季野』で
わっぱ飯御膳をいただぃます。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~割烹『田季野』で夕食
『田季野』を訪れるのは何十年ぶりだろう?
東京の友達と訪れて以来です。
その時もやはりわっぱ飯を食べました。
昨年秋に只見線の旅で立ち寄ったのは料理旅館『田事』
この田事もわっぱ飯が名物ですが、田事ではわっぱ飯とは言わず
会津方言の『めっぱ飯』と呼んでいます。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~割烹『田季野』で夕食
割烹『田季野』と料理旅館『田事』はライバル関係。
秋の只見線の旅も福島交通観光だったので
ライバル関係の両店を上手く使い分けて
サービス向上や値引き交渉をしているのかも。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~割烹『田季野』で夕食
こちらは割烹『田季野』の『鮭のわっぱ飯御膳』。
以前はセットには付いていなかったネギ1本蕎麦がありました。
以前訪れた時は無かったので、言葉は悪いですが
大内宿のネギ1本蕎麦人気に便乗しているのいかも。
まさか少量とは言え割烹『田季野』でネギ1本蕎麦が出るとは
思いませんでしたが、結果的には大内宿で食べなくて良かったです。 -
★会津若松市 料理旅館『田事』のめっぱ飯御膳(※2023/11/08撮影)
こちらが昨年秋にライバルの料理旅館『田事』で食べた
『しらすのめっぱ飯御膳』です。
こちらの添え物はみな会津の郷土料理ですが
蕎麦は付いていませんでした。
詳しい値段は分かりませんが、おそらく両店とも同じような値段だと思います。
味に大差はなく個人の好き好きかなと思います。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
会津若松の絵ろうそく祭りは主に鶴ヶ城と御薬園で
催されます。
令和6年は2月9日(金)10日(土)の2日間
開催時間 17時~点灯式 17時30分~20時30でした。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
私たちのツアーは時間的都合で訪れたのは鶴ヶ城会場だけでした。
例年なら雪景色の中で催行される場合が多いのですが
今年のこの時期は雪が少なく、日陰に少しあるくらいでした。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
お祭りの趣旨は会津名産の会津絵ろうそくのアピールや販促、
さらに会津の名所の新たなコラボレーションによる
観光客誘致だと思いますが、写真的には会津絵ろうそくより
鶴ヶ城のライトアップの方が目立ち
ちょい会津絵ろうそくのイナパクトが弱い印象がしました。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
そりゃ、江戸時代からの伝統的照明と
近代的照明の対比となれば明るさでは勝負にならないので
会津絵ろうそくがやや地味に見えてきます。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
そんな事情を考慮したのか、
鶴ヶ城のライトアップは30分間隔で点けたり消したりしています。
でも、どうしても鶴ヶ城のライトアップの明るい残像が印象に残るので
会津絵ろうそくだけの灯りになると、寂しさは否めないかも。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
例年ならこの芝生部分に雪が積もっているので
絵ろうそくが雪明りに反映してもっと幻想的なようですが
地面が暗いので絵ろうそくの明かりも暗い感じがします。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
小型の灯篭はおそらく普通のロウソクで
手前の白っぽい灯篭に会津絵ろうそくが灯されています。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
小型の灯篭と鶴ヶ城のライトアップのコラボです。
もし地面が雪だったらもっと幻想的だろうと思うと
残念です。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
地元で大雪が降るとやたら迷惑がりますが
こと他所になると雪が降らなくて残念などと
のたまうのですから、人間(私)ってほんと身勝手です(--〆)。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
30分経ち鶴ヶ城のライトアップが消されました。
やはり地面が暗いので小型灯篭だけでは暗い印象がします。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
これでも三脚を立て夜景モードにし3連写の中から
いい写真を1枚選んでいるのですが、
思ったほど幻想的な写真にはなりません(一一")。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
この細長い和紙を丸めた筒状の灯篭の中に
会津絵ろうそくが灯されていますが、
折角の美しい絵ろうそくが中を覗き込まないと
見えないのが残念です。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
外で絵ろうそくを安定して灯すには風よけをしないと
消えてしまう恐れがあるので風よけを付けるのはやむを得ないですね。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
筒の上から中を覗いてようやく美しい絵ろうそくが見えてきます。
会津絵ろうそくは、江戸時代までは、会津塗や会津木綿とともに
会津を代表する産業の一つでした。
会津絵蝋燭の歴史は古く、今から600年前の室町時代に遡ります。
蘆名氏や蒲生氏、保科家、会津松平家など歴代の領主の保護の元、
会津絵蝋燭は最高級品として高い評価を受けていました。
現在は明かりとしての本来の役目から、
会津の観光資源として新たな評価を得ています。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
会津絵ろうそくの特徴は、白地の蝋燭に梅や桜などの花の絵が描かれて、
表面に蝋の薄い膜をつくり光沢があるのが特徴です。
冬になると雪深い会津では草花が無くお供えに添える花がありません。
蝋燭に描かれた花は冬場でも枯れない花として
仏壇を飾ることができるため重宝されました。
会津絵蝋燭は漆や櫨の木から採取された蝋を天日にさらして
白化したものや会津蝋など元々蝋そのものが
白い蝋を原料につくられています。
これにより、表面を白く染めた蝋燭に比べ、
会津絵ろうそくは発色がよく火を燈すと絵が浮かび上がるように見えます。
また、絵ろうそくの絵は伝統的な技法として
呉汁と呼ばれる天然由来のタンパク質を蝋燭の表面に塗り、
油成分の上にも絵が描けるよう加工してから筆で描きます。
絵の具は昔は岩石を砕いた顔料を用いていました。
会津絵ろうそくの芯は、和紙に井草の芯を巻いてつくられます。
中が空洞になるため、洋蝋燭に比べて炎が大きく
室内を明るく燈すことができるのが特徴です。
一本一本手作業で作られていて、一つとして同じものはありませんが、
白地に台形の形をした蝋燭に草花が描かれ艶のある表面に仕上がった
絵蝋燭はとても美しく、見る人の心を癒してくれます。
解説は小沢蝋燭店のHPより
https://www.aizuerousoku.com/ -
★会津若松市七日町通り:ほしばん絵ろうそく店(※2023/11/08撮影)
会津若松市では小澤蝋燭店、会津絵ろうそく本舗 、山田商店、山形屋本店、
の4工房で手造りの会津絵ろうそくのが作られています。
絵ろうそくの需要が減っている現代において
4工房もあるのは日本一です。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
風情があると言えば風情がありますが
やはり雪の上で灯すことを前提にしているので
全体的にやや暗い印象がいます。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
本当の会津絵ろうそくを灯した灯篭はあまり多くない印象です。
会津絵ろうそくは結構高価なので入場料無料のイベントで
市の予算を湯水のごとく使う訳にはいかないのでしょう。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
こちらは会津の縁起物である『起き上がり小法師』を模した灯篭です。
起き上がり小法師(おきあがりこぼし、おきあがりこぼうし)は、
福島県会津地方に古くから伝わる大きさ2,3cmの
とても小さな縁起物・郷土玩具の一種。
起姫(おきひめ)ともいう。
会津の人にとっては「赤べこ」の次に馴染みのある郷土玩具です。
会津地方ではこの小法師を「十日市」という毎年1月10日に行なわれる
初市の縁日で家族の人数+1個を購入し一年間神棚などに飾るのが伝統です。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
30分間再び消されたライトアップが片面から
みたび灯り始めました。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
鶴ヶ城の本来の名は若松城(わかまつじょう)です。
別名が鶴ヶ城(つるがじょう)で、地元ではこの名で呼ばれることが多い。
また、若松城と同名の城が他にあるため、会津若松城とも呼ばれる。
さらに文献では黒川城(くろかわじょう)や、会津城(あいづじょう)と
呼ばれたこともあります。
現在の天守等は復元ですが、若松城跡として国の史跡に指定されています。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
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★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
若松城は平山城で、本丸を中心に西出丸、北出丸、二の丸、三の丸が
周囲に配置されていました。
城下町の南端に位置し、会津藩の政庁として会津の政治の中心でした。
藩主の会津松平家は徳川将軍家と密接な関係にあり
幕末には戊辰戦争の激戦地になりました。
現在、城跡は「鶴ヶ城公園」となっており、
そのほとんどが国の史跡に指定されています。
天守閣は鉄筋コンクリートで層塔型5重5階、
1965年(昭和40年)外観復元され
内部は若松城天守閣郷土博物館となっています。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
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★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
若松城の歴史は1384年、蘆名氏7代当主の蘆名直盛が小田垣の館または
東黒川館という館を造ったのが若松城のはじまりとされます。
15世紀半ばまでには黒川城とその城下が成立していました。
以後、代々蘆名氏の居城でした。
1589年(天正17年)、蘆名氏と連年戦いを繰り返していた
伊達政宗は豊臣秀吉の制止を無視して蘆名義広を攻め、
蘆名氏を滅ぼし黒川城を手にし、米沢城から本拠を移しました。
しかし、政宗は1590年(天正18年)に秀吉に臣従し、
会津を召し上げられ、米沢城に本拠を戻しました。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
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★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
米沢に戻った伊達政宗の代わって黒川城に入ったのは蒲生氏郷で、
1592年(文禄元年)より大名に相応しい近世城郭に改造し
今につながる城下町を整備しました。
氏郷は、町の名を黒川から「若松」へと改めました。
「若松」の名は、出身地の近江の日野城(中野城)に近い
馬見岡綿向神社(蒲生氏の氏神)の参道周辺にあった
「若松の杜」に由来します。
1593年(文禄2年)望楼型7重の天守が竣工し、
名は「鶴ヶ城」に改められられました。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
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★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
1598年(慶長3年)、氏郷の子・秀行は家中騒動のために92万石から
18万石に下げられ下野国宇都宮に移封された。
越後国春日山より上杉景勝が120万石で入封。
1600年(慶長5年)、徳川家康は関ヶ原の戦いで西軍に加担した景勝を
30万石に下げ、出羽国米沢に移封した。
翌1601年(慶長6年)には蒲生秀行が再び入城したが、
1627年(寛永4年)、嫡男の忠郷に嗣子がなく没したため、
秀行の次男・忠知が後嗣となり伊予国松山に移封された。
代わって伊予松山より加藤嘉明が入封。
子の明成は西出丸、北出丸などの造築を行い、1611年(慶長16年)に
起きた会津地震により倒壊した天守を今日見られる層塔型天守に
組みなおさせています。
1643年(寛永20年)、加藤明成は改易され、
出羽国山形より3代将軍徳川家光の庶弟である保科正之が23万石で入封。
以後、明治維新まで会津松平家(保科氏から改名)の居城になりました。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
1868年(慶応4年)、戊辰戦争の戦闘の一つである会津戦争で、
会津勢の立て篭もる鶴ヶ城は新政府軍に包囲され砲撃を受けた。
1か月間籠城の後、板垣退助による降伏勧告を受諾して
9月22日(太陽暦11月6日)開城しました。
戦後、天守を含む多くの建造物の傷みは激しかったが修復は行われずしばらく放置された後、解体されました。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
1873年(明治6年)明治政府による廃城令により若松城は
存城処分と決定。同年12月には政府に城郭建造物の取壊しが建言された。
1874年(明治7年)に石垣や立樹等を除き旧来の建物で必要無いものは
取壊しの通達がされ、
同年末までに天守をはじめとする建造物はすべて解体されました。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
1873年(明治6年)に解体されるまで鶴ヶ城の屋根瓦は赤瓦でしたが
再建されたときは黒瓦で復元されていました。
しかし2010年(平成22年)から、黒瓦だった天守の屋根瓦を赤瓦葺に
復元する工事が行われ2011年(平成23年)3月に竣工し、
全国で唯一の赤瓦屋根の天守閣になりました。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
どうして鶴ヶ城は全国的に多い黒瓦ではなく赤瓦だったのでしょう?
江戸初期までは、一般的な黒瓦を使用していましたが、
黒瓦は寒さに弱く痛みが早いため
江戸中期頃に耐寒性のある赤瓦が葺かれるようになりました。
現在の復興天守の瓦は、江戸中期頃以降の姿を再現したものだそうです。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
鶴ヶ城は均整のとれた五層の天守閣じたいがとても美しいお城ですが
天守閣から南に長く伸びる『南走り長屋』が特徴的で
唯一無二の景観を作りだしています。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
現在の天守は1965年(昭和40年)に鉄筋コンクリート造により
外観復興再建されたもので、内部は「若松城天守閣郷土博物館として
公開されています。 -
★会津若松の絵ろうそく祭り~鶴ヶ城
最後に絵ろうそく灯篭と天守閣のコラボを目に焼き付け
鶴ヶ城を後にしました。
これで◆大内宿の雪まつり&会津若松の絵ろうそく祭りを愛でる小旅行は
お仕舞です。
いつも最後までご覧下さりありがとうございます。
そして、いいねもありがとうございます。
リペ島旅行から帰国して1週間が過ぎました。
帰国した数日こそ暖かったのですが
ここ4,5日は寒さがぶり返し、
一昨日は13cm、今日(3/8)も既に7cmほど積もり始めています。
今年は雪が少なくて楽だね、なんて身勝手なことを言っていましたが、
春以降のことを考えればダムの貯水率がわずかながら回復するので
本当は有難いことです。
やはり積もるべき時期に積もるのがあるべき姿で、
目先の楽ばかりに一喜しているようではまだまだ未熟者です(--〆)。
でも、春は早く来て欲しいな~(^-^;。
ではまた。 j-ryu
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この旅行記へのコメント (2)
-
- yamayuri2001さん 2024/03/20 15:10:52
- 団子さし・・・
- j-ryuさん、こんにちは。
雪の大内宿、なんて風情があるんでしょう!
素敵ですね。
大内宿には、夏に一度だけ行ったことがありますけれど、
夏と冬では全然違うんですね。
今年は暖冬だったので、雪が少なくて、
屋根が少しだけ見えていますが、
普段の冬はきっと、雪に全く埋もれてしまうんでしょうね。
歩くには、これぐらいの雪の量が
歩きやすくて良いのではないかと思いました。
蜂のために、かやの束を吊るすなんて
すごいなと思います。
また、そこに人工的であっても巣を作ってくれるんだったら、
ウィンウィンの関係ですね。
団子さしが、花のように美しくて、心を奪われました。
絵そうそく、とても素敵ですね。
ろうそくでライトアップすると幻想的で、
お城が一層引き立ちますね。
絵ろうそくと言えば、私もずっと昔に、
お土産に買い求めたことがありましたが、
どこだったかなと思い出してみたら、
確か、山形県の鶴岡市でした。
会津も、絵ろうそく作りが伝統文化なのですね。
yamayuri2001
- j-ryuさん からの返信 2024/03/21 01:11:51
- Re: 団子さし・・・
- yamayuri2001さん 、こんばんは。
いつもご来訪&いいね&コメント、ありがとうございます。
>大内宿には、夏に一度だけ行ったことがありますけれど、
夏と冬では全然違うんですね。
≫半地元の私でさえ雪の大内宿は今回が初めてなので
遠方の方は尚更でしょうね。
>今年は暖冬だったので、雪が少なくて、
屋根が少しだけ見えていますが、
普段の冬はきっと、雪に全く埋もれてしまうんでしょうね。
≫そうですで写真的にはもう少し積もっていた方が良かったですが、
想像よりは積もっていたので良しとします。
屋根の雪は多すぎると雪下ろししてしまうので、
多ければいいってもんじゃ無いようです。
>団子さしが、花のように美しくて、心を奪われました。
≫団子さしは全国的にあるようですが、どちらかと言うと
農村部の行事なので都会で見る機会は少ないでしょね。
>絵そうそく、とても素敵ですね。
ろうそくでライトアップすると幻想的で、
お城が一層引き立ちますね。
≫これこそ、雪不足が如実に出てしまいました。
生で見るのは今回初めてですがTVなど雪の中の絵ろうそく祭りは
もっと幻想的なだけに雪が無くてとても残念でした。
>お土産に買い求めたことがありましたが、
どこだったかなと思い出してみたら、
確か、山形県の鶴岡市でした。
会津も、絵ろうそく作りが伝統文化なのですね。
≫絵ろうそくの産地は全国でわずか4ヶ所だけで
会津若松だけが4店舗だけで他は1店舗しなない
全国的にも希少な伝統産業だそうです。
お土産用だけでは営業が厳しいので、年1の絵ろうそく祭りで
大量購入&販促をしているのでしょうね。
ではまた。 j-ryu
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