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名古屋市中村区則武2鎮座「水野神社」<br />名古屋駅西口から西に徒歩10分程の則武公園の一角に鎮座する。<br />

水野神社

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2024/01/09 - 2024/01/09

5156位(同エリア5501件中)

おやじさん

名古屋市中村区則武2鎮座「水野神社」
名古屋駅西口から西に徒歩10分程の則武公園の一角に鎮座する。

旅行の満足度
2.5
観光
2.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
徒歩

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  • 名古屋市中村区則武2鎮座「水野神社」<br />名古屋駅西口から西に徒歩10分程の則武公園の一角に鎮座する。<br />上は水野神社の鎮座地、当時鷹場村則武と呼ばれ、集落の東側に位置します。<br />名古屋駅周辺のビル群も間近迫り、駅から10分もあれば水野神社を訪れることができる。

    名古屋市中村区則武2鎮座「水野神社」
    名古屋駅西口から西に徒歩10分程の則武公園の一角に鎮座する。
    上は水野神社の鎮座地、当時鷹場村則武と呼ばれ、集落の東側に位置します。
    名古屋駅周辺のビル群も間近迫り、駅から10分もあれば水野神社を訪れることができる。

  • 則武公園の東側から見た公園と水野神社社殿全景。<br />ここまで巡ってきた神社周辺の景観とは随分変わり、周辺にビルが増え、大きな影を落とすようになる。<br />境内は公園敷地西側に南北に長い社地を持ち、社頭は南側になります。<br />南側に水野神社と大松稲荷神社の鳥居、鳥居右に「村社 水野神社」社号標があり、鳥居をくぐった右側に手水舎と身替り地蔵尊の祠がある。<br /><br />まず最初に水野神社がどんな神社なのか。<br />中村区笈瀬川筋散策コースで以下のように書かれていた。<br />「700年以前よりこの地にあるといわれる水野社は、かつて八雲琴(やくもごと)が伝承されていました。<br />文政3年(1820)、伊予国中山吉士通郷が神託により創始し、世に広めたといわれる八雲琴。<br />竹を二つ割にした胴に二弦を張って弾奏し、神聖な神曲を演じて神に奉ずるものです。<br />これを演ずるにも、琴の扱いにもつつましやかなみそぎが行われていました。」。。。少し欲しいものとは違う情報か。<br />八雲琴、個人的に馴染みもなく見た事もない。<br />少し調べると、出雲大社を参拝した中山通卿(琴主)と葛原勾当らが、文政3年(1820)に考案したのが二弦琴の八雲琴で、中山琴主(ことぬし)は江戸時代末期から明治時代にかけて二弦琴奏者として活躍した。<br /><br />創建や祭神についての言及はされていなかった、尾張志(1844)に目を通すと水野神社について記述(マップ左側に貼り付け)があるも、あっさりとしたもの、唯一「中野高畑村にあり高畑分の氏神」くらいだろうか。

    則武公園の東側から見た公園と水野神社社殿全景。
    ここまで巡ってきた神社周辺の景観とは随分変わり、周辺にビルが増え、大きな影を落とすようになる。
    境内は公園敷地西側に南北に長い社地を持ち、社頭は南側になります。
    南側に水野神社と大松稲荷神社の鳥居、鳥居右に「村社 水野神社」社号標があり、鳥居をくぐった右側に手水舎と身替り地蔵尊の祠がある。

    まず最初に水野神社がどんな神社なのか。
    中村区笈瀬川筋散策コースで以下のように書かれていた。
    「700年以前よりこの地にあるといわれる水野社は、かつて八雲琴(やくもごと)が伝承されていました。
    文政3年(1820)、伊予国中山吉士通郷が神託により創始し、世に広めたといわれる八雲琴。
    竹を二つ割にした胴に二弦を張って弾奏し、神聖な神曲を演じて神に奉ずるものです。
    これを演ずるにも、琴の扱いにもつつましやかなみそぎが行われていました。」。。。少し欲しいものとは違う情報か。
    八雲琴、個人的に馴染みもなく見た事もない。
    少し調べると、出雲大社を参拝した中山通卿(琴主)と葛原勾当らが、文政3年(1820)に考案したのが二弦琴の八雲琴で、中山琴主(ことぬし)は江戸時代末期から明治時代にかけて二弦琴奏者として活躍した。

    創建や祭神についての言及はされていなかった、尾張志(1844)に目を通すと水野神社について記述(マップ左側に貼り付け)があるも、あっさりとしたもの、唯一「中野高畑村にあり高畑分の氏神」くらいだろうか。

  • 公園から眺める社殿、右の神明鳥居は境内社の熱田神社、津島神社、秋葉神社の鳥居。<br />則武公園と社地は、壁や玉垣で区切られているわけでもなく、子供達が自由に出入りする姿があった。<br />水野社は高畑集落の氏神だったようだ。

    公園から眺める社殿、右の神明鳥居は境内社の熱田神社、津島神社、秋葉神社の鳥居。
    則武公園と社地は、壁や玉垣で区切られているわけでもなく、子供達が自由に出入りする姿があった。
    水野社は高畑集落の氏神だったようだ。

  • 社地中央には神明鳥居を構える護国神社が鎮座します。

    社地中央には神明鳥居を構える護国神社が鎮座します。

  • 社地左の社頭の眺め。<br />右の祠は身替り地蔵尊が安置されており、左が手水舎。<br />左の鳥居は水野神社の神明鳥居で、奥に見える明神鳥居が大松稲荷大明神。

    社地左の社頭の眺め。
    右の祠は身替り地蔵尊が安置されており、左が手水舎。
    左の鳥居は水野神社の神明鳥居で、奥に見える明神鳥居が大松稲荷大明神。

  • 社頭から境内の眺め、参道は御神木を避けるように途中から右に折れ、その先に社殿がある。

    社頭から境内の眺め、参道は御神木を避けるように途中から右に折れ、その先に社殿がある。

  • 大松稲荷大明神参道、多くの奉納幟と鳥居が連なり霊験あらたかなようです。

    大松稲荷大明神参道、多くの奉納幟と鳥居が連なり霊験あらたかなようです。

  • 石鳥居の額は「大松稲荷」

    石鳥居の額は「大松稲荷」

  • 左の参道脇に石碑がある。<br />碑文には「樹齢600年老木 大松の跡」とあり、かつてここには年輪を重ねた大松が聳えていたようだ、何を契機に大松が姿を消したのかは定かではないが、今はその跡地にこの石標が立てられています。

    左の参道脇に石碑がある。
    碑文には「樹齢600年老木 大松の跡」とあり、かつてここには年輪を重ねた大松が聳えていたようだ、何を契機に大松が姿を消したのかは定かではないが、今はその跡地にこの石標が立てられています。

  • 大松稲荷大明神拝所全景。

    大松稲荷大明神拝所全景。

  • 拝所内の「大松稲荷大明神」額とその先の本殿。<br />一間社流造で3本の鰹木と外削ぎの置千木が乗る、創建時期等詳細は分からない。

    拝所内の「大松稲荷大明神」額とその先の本殿。
    一間社流造で3本の鰹木と外削ぎの置千木が乗る、創建時期等詳細は分からない。

  • 拝所右に水野神社の参道から脇参道が続く。

    拝所右に水野神社の参道から脇参道が続く。

  • 身替り地蔵尊の祠と手水舎。<br />年代は不明ですが、今も大切に崇敬されているようです。

    身替り地蔵尊の祠と手水舎。
    年代は不明ですが、今も大切に崇敬されているようです。

  • 護国神社、本殿域には椿(山茶花か)が咲き誇っていた。

    護国神社、本殿域には椿(山茶花か)が咲き誇っていた。

  • 参道をから眺める拝殿。<br />手前で二対の狛犬が拝殿を守護しています。

    参道をから眺める拝殿。
    手前で二対の狛犬が拝殿を守護しています。

  • 手前の狛犬(年代未確認)、左に社務所があるが神職は常駐ではなさそうです。

    手前の狛犬(年代未確認)、左に社務所があるが神職は常駐ではなさそうです。

  • 祭神は瀬織津比売、速開都比売、気吹戸主、速佐須良比売の祓戸大神をお祀りする。<br />社名の水野神社も珍しく、祓戸大神単独で神社としてあるのは珍しいかもしれない。

    祭神は瀬織津比売、速開都比売、気吹戸主、速佐須良比売の祓戸大神をお祀りする。
    社名の水野神社も珍しく、祓戸大神単独で神社としてあるのは珍しいかもしれない。

  • 拝殿前の狛犬(年代未確認)。<br />格子戸が閉じられ中の様子は窺がえなかったが、Gマップの画像に嘗て格子戸に手書きの由緒があったようです。<br />内容は<br />「水野社由来<br />建立 百余年前<br />祭神 祓戸大神<br />罪穢れ災難などを清めるとともに、商売繁盛の神様である。<br />由緒<br />当社は元中野無高畑村と称し、高畑方の氏神として崇敬された。<br />西ノ中野方の氏神八幡社とともに、古くより縣社若宮八幡社の末社であり、明治5年(1872)村社に列し、同40年供進社に指定となる」このような内容の画像を複数見かけた。<br /><br />冒頭の尾張志が1844年、中村区の概説には「700年以前よりこの地に・・・」とある。<br />それに対してこの由緒には建立百余年前とあり、これはなんだろう。<br />名古屋空襲後の再建にしても違うような…、少なくとも尾張志の1844年以前には既に鎮座していたと見るべきなんだろう、もう少し地史を見ていく必要がありそうです。

    拝殿前の狛犬(年代未確認)。
    格子戸が閉じられ中の様子は窺がえなかったが、Gマップの画像に嘗て格子戸に手書きの由緒があったようです。
    内容は
    「水野社由来
    建立 百余年前
    祭神 祓戸大神
    罪穢れ災難などを清めるとともに、商売繁盛の神様である。
    由緒
    当社は元中野無高畑村と称し、高畑方の氏神として崇敬された。
    西ノ中野方の氏神八幡社とともに、古くより縣社若宮八幡社の末社であり、明治5年(1872)村社に列し、同40年供進社に指定となる」このような内容の画像を複数見かけた。

    冒頭の尾張志が1844年、中村区の概説には「700年以前よりこの地に・・・」とある。
    それに対してこの由緒には建立百余年前とあり、これはなんだろう。
    名古屋空襲後の再建にしても違うような…、少なくとも尾張志の1844年以前には既に鎮座していたと見るべきなんだろう、もう少し地史を見ていく必要がありそうです。

  • 向拝妻壁の彫飾り。。。鳩除けで姿が掴めない。

    向拝妻壁の彫飾り。。。鳩除けで姿が掴めない。

  • 何と読むか「払神」だろうか、左に元号が書かれているが「昭和」までしか読めなかった。

    何と読むか「払神」だろうか、左に元号が書かれているが「昭和」までしか読めなかった。

  • 拝殿右の境内社。

    拝殿右の境内社。

  • 境内に入った右に熱田神社、津島神社、秋葉神社の社標。<br />よもや近隣の屋根神さまか?

    境内に入った右に熱田神社、津島神社、秋葉神社の社標。
    よもや近隣の屋根神さまか?

  • 扉は一枚ですが三柱が祀られている。<br /><br />水野神社<br />創建 / 不明<br />祭神 / 祓戸大神<br />境内社 / 大松稲荷大明神、護国神社、熱田神社、津島神社、秋葉神社<br />所在地 / 名古屋市中村区則武2-17-11 <br />中島八幡社から水野神社 / 南東へ徒歩10分弱<br />参拝日 / 2024/01/09

    扉は一枚ですが三柱が祀られている。

    水野神社
    創建 / 不明
    祭神 / 祓戸大神
    境内社 / 大松稲荷大明神、護国神社、熱田神社、津島神社、秋葉神社
    所在地 / 名古屋市中村区則武2-17-11
    中島八幡社から水野神社 / 南東へ徒歩10分弱
    参拝日 / 2024/01/09

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