2024/02/11 - 2024/02/18
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まほうのべるさん
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この旅行記のスケジュール
2024/02/15
-
バスでの移動
アスワンから02:30出発し、アブシンベルへ
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アスワンハイダム
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未完のオベリスク
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旅程
2/11(日) 成田20:30→
2/12(月) カイロ04:00 06:00→ルクソール07:00
ルクソール東岸観光 カルナック神殿→ルクソール神殿→
ルクソール博物館(船中泊)
2/13(火) ルクソール西岸観光 メムノンの巨像→ハトシェプスト
女王葬祭殿→王家の谷→ネフェルタリ王妃の墓(OP)
エドフへ向けて出港 深夜エスナの水門通過(船中泊)
2/14(水) ホルス神殿→コム・オンボ神殿→アスワン(船中泊)
2/15(木) アスワン02:30→アブシンベル
アブシンベル大神殿・小神殿→アスワンハイダム→未完の
オベリスク
アスワン14:40→カイロ16:10(カイロ泊)
2/16(金) メンフィス・サッカラ・ダハシュール観光
メンフィス博物館→ジョセル王の階段ピラミッド→赤の
ピラミッド→屈折ピラミッド→ギザの三大ピラミッドと
スフィンクス→ギザのピラミッド(音と光のショー)
(カイロ泊)
2/17(土) 大エジプト博物館限定エリア→ムハンマド・アリ・モスク
→エジプト考古学博物館→カイロ23:10→
2/18(日) 成田
宿泊
2/12(月)~2/14(水) ナイルパラダイス(クルーズ船)
2/15(木)~2/16(金) モーベンピック メディアシティ(カイロ)
*Wikipedia参照
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- エジプト航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
PR
-
朝食お弁当
朝、ロビーに行くと袋に入った朝食がたくさん並べられていました。このクルーズ船での2:30出発は、べるたちのツアーのみ。残りの袋は4:30出発の人達の分。中身はパン2個、ヨーグルト2個、オレンジ、バナナ、ポテトチップス、オレンジジュースなど -
イチオシ
アブシンベル
2:30バスに乗りアブシンベルに向かうと思ったら、バスは3時からのミーティングのため集合場所に向かいます。『3時のミーティングって何?』
集合場所は『切りかけのオベリスク』の近く。次々と大型バスやマイクロバスが集まって並んでいきます。 -
アブシンベル
アスワンからアブシンベル神殿に早朝向かうバスは、時間が決められ警察の護衛が前後に付くそうです。3時と5時の2回の出発で、5時以降の出発は自由に出発なんですって。今日は50台以上が並び、闇夜の中、バスのライトだけが光り、列をなしていく風景を想像してみて、圧巻ですよ。 -
アブシンベル大神殿
ちょっと気になって聞いてみたんだけど、並んだ順番通りに走らなくても良いんだって。最後に並んだバスが前のバスを一気に抜いて一番乗りもOKなんだって。
バスは途中でトイレ休憩はなく、全車ノンストップで走ります。エビちゃんは『ミーティング』って言ってたけど、一般的には『コンボイ(車列』って言っているようです。 -
イチオシ
アブシンベル大神殿
バスにはトイレが付いているので、トイレ休憩なくても大丈夫だよね。1997年ルクソールのテロ後に、観光客に対しての警備が厳重になって、このようなシステムになったそうです。 -
アブシンベル大神殿
神殿に着いたらみんなトイレに行きたいよって、さすがエビちゃん。
入口のトイレは混雑するからって、混んでなさそうな奥のトイレへ案内してくれました。 -
イチオシ
アブシンベル大神殿
正面に20mを超える4体のラムセス2世像が鎮座し、左側から30代、40台、50代、60代。足元には王妃や王子の像やレリーフがあります。 -
アブシンベル大神殿
Hさんまだ体調は戻ってはいないようですが、ツアーに戻ってきています。無理しないでね。
この像は崩壊していますが、破壊されたからではなく、神殿完成の数年前に起こった地震により崩れ、頭部の一部が2体目の手前にある岩塊です。 -
アブシンベル大神殿
HさんはJ社のアブシンベルに1泊する、少しゆったりしたツアーに申し込んでいましたが、エジプト航空の金曜日出発便がキャンセルとなり、このツアーに参加したんだって。 -
アブシンベル大神殿
アブシンベルまで片道3時間30分、日帰りで往復するから大変だよ。
日帰りでなく宿泊したなら、夜のライトアップも見学出来たのにね。 -
アブシンベル大神殿
アブシンベル神殿は。紀元前1300年ごろに古代エジプト王・ラメセス2世が、岩山を掘り抜いて作られた壮麗な神殿です。ラムセス2世は国を束ねるために自らを『太陽神ラー』と名乗り、数々の神殿を築き、その中でも最高傑作と言われるのがアブシンベル神殿です。 -
アブシンベル大神殿
アブシンベル神殿はナイル川のほとりに建っていました。1960年、アブシンベル神殿はアスワン・ハイ・ダムの建設計画により、水没の危機にありました。 -
アブシンベル大神殿
エジプトとスーダン両政府はこの事態を救済するためにユネスコに救済を依頼し、ユネスコは世界的に救出策を募集しました。 -
アブシンベル大神殿
ユネスコの呼びかけで世界中から救出案が集まり、最終的に5つの案で比較検討されました。 -
アブシンベル大神殿
最終的に神殿を800あまりのパーツに切り分け、それを65m以上の水没しない場所で組み直すというスウェーデンの移築案が採用されました。 -
アブシンベル大神殿
採用されなかった案には、周囲に堤防を築くフランス案がありましたが堤防の強度に疑問がもたれ、また、そのまま水中に沈ませ、ガラス張りの箱から見学するというイギリスの案は、砂岩のため水中での異性保全に疑問があるとされました。 -
アブシンベル大神殿
初めは全体の基部・側部を切り取って一体をジャッキアップして持ち上げるイタリア案が採用となりましたが、費用が掛かり過ぎるため、ユネスコは資金を集めることが出来ず、最終的にスウエーデンの分割移動案が最終的に決定されました。 -
アブシンベル大神殿
工費はイタリア案の約半額の140億円と見積もられました。
ユネスコの救済により元の位置より63m高く、120m西寄りの現在の高台へと移設されました。 -
アブシンベル大神殿
国際的救済プロジェクトをきっかけに、未来に残すべき自然と文化を『世界遺産』として登録しようと言う気運が高まり、1972年の世界遺産条約の採択へとつながっていきました。 -
アブシンベル大神殿
アブシンベルのあるナイル川上流域はヌビア地方にあり、アブシンベル以外にも水没を逃れる遺跡がいくつもあり、1979年『アブシンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群』という世界遺産に登録されています。 -
アブシンベル大神殿
アブシンベル神殿は大神殿と小神殿からなり、大神殿は高さ33m、幅38m、奥行63mにもなります。 -
アブシンベル大神殿
アスワンから近くにある紀元前4世紀に建てられたイシス神殿のあるフィラエ島は、別の島に会った遺跡を現在の島に移築されました。 -
アブシンベル大神殿
アマダ神殿は小さく、内部の繊細な壁画を崩すことなく移築するために、神殿をジャッキで持ち上げ、レールに乗せてゆっくり運びました。 -
アブシンベル大神殿
アブシンベル大神殿には出来れば、2月22日か10月22日に来るのが望ましいそうです。 -
アブシンベル大神殿
何故なら、この2日間は太陽が光を放つ聖なる光の神秘に立ち会える特別な日だからです。朝日がまっすぐに神殿へ差し込み、最も奥まった至聖所の神々を照らし出します。この特別な2日を『ラムセスデイ』と呼ばれています。 -
アブシンベル大神殿
この地にラムセス2世がアブシンベル神殿を建てたのは、当時、エジプトの脅威だったヌビアへ力を見せつけるための抑止力の意味もあったそうです。 -
アブシンベル大神殿
この2日間に決まったのは、ラムセス2世の誕生日と即位の日、または、収穫の日と種まきの日とも言われています。 -
アブシンベル大神殿
アブシンベル神殿建設後、長い年月、砂に埋もれていましたが、1813年スイスの東洋学者ヨハン・ルートイッヒ・ブルクハルトによって小壁の一部が発見されました。 -
アブシンベル大神殿
アブシンベル大神殿は太陽神ラー・ホルアクティに捧げた神殿で、正面入り口の上部には日輪を頭にした太陽神ラー・ホルアクティと、その左右に正義の女神像を捧げるラムセス2世が彫られています。 -
アブシンベル大神殿
1817年にブルクハルトの知人のイタリア人探検家ジョウァンニ・バッテイスタ・ベルツオーニによって出入口が発掘されました。 -
アブシンベル大神殿
1964年4月、世界から技術者が集まり工事が開始され、この時、すでに神殿前の広場端まで水面が上昇しており、鋼矢板を周りに打ち込んで止水壁を作りましたが、水位がこれを超えるまで15か月と推定されました。 -
アブシンベル大神殿
工事はチェーンソーで岩山をブロックに切り取るものでしたが、考古学者たちは壁画に切れ目は入ること、特にラムセス像の表面に切断線が残ることに懸念を示していました。 -
アブシンベル大神殿
チェーンソーによる切断幅は4cmでした、このため、像の部分はスウエーデンが特に開発した特殊鋼によるノコギリを用いて、イタリアから招聘した石工が人力で切断する方法を採用しました。 -
アブシンベル大神殿
工事開始から約2年、1966年5月に切り出し終了し、全ブロック1071個の移動を終了しました。 -
アブシンベル大神殿
移動の終了を待たず60m上方での組み立ては1966年1月から開始されました。 -
アブシンベル大神殿
神殿に入り中に進むと大列柱柱室があり、両手を組みオシリス神のポーズを取るラムセス2世の像が左右に4体ずつ並びます。 -
アブシンベル大神殿
組立てにおける最重要課題は、アブシンベル神殿の回廊最奥の4体の像のうちの3体に年2回、1回に30分間太陽光が照らす『太陽の奇跡』を再現することでした。 -
アブシンベル大神殿
このため回廊軸の方向はオリジナルと変わらないよう測量されました。
回廊部のブロックは解体時に使用した補強柱を用いて積み上げられました。 -
アブシンベル大神殿
大列柱室の裏、壁に刻まれた馬車に乗るラムセス2世。
ガディシュの戦いのレリーフ -
アブシンベル大神殿
象の切断面の隙間には、切断時に出た砂を埋め込んで成形しました。 -
アブシンベル大神殿
1968年8月に移転工事が終了しました。
太陽光は、差し込む日が1日ずれたそうです。 -
アブシンベル大神殿
ユネスコがアブシンベル神殿の救済活動を行った結果、神殿は移設され守られました。 -
アブシンベル大神殿
アブシンベル神殿の移設がきっかけで、1972年に世界遺産条約が発足し、1979年にはアブシンベル神殿が世界遺産登録第一号となりました。 -
アブシンベル大神殿
海外へ旅行すると、必ず耳にするのが『世界遺産』に登録されているという言葉。 -
アブシンベル大神殿
アブシンベル神殿が登録されてから、次々、世界遺産に登録されていきます。 -
アブシンベル大神殿
アブシンベル神殿が最初に世界遺産登録されたのだなと感慨深く思います。 -
アブシンベル大神殿
移設され復元された姿を見て、今回エジプトに来れて良かったと思います。 -
アブシンベル大神殿
神殿最奥部にある至聖所の4体の神々のうち、左端の闇の神プタハのみ光が当たらない設計になっています。右側から太陽神ラー、神格化されたラムセス2世、王の守護神アメン・ラー、闇の神プタハ。 -
アブシンベル大神殿
左端のプタハ神は地下に住んでいる神であるため、光が当たらないようになっています。 -
アブシンベル大神殿
海外旅行に興味がなくても、エジプトに一生に一度は行ってみたいと思う人は多いと思います。 -
アブシンベル大神殿
それだけスケールの大きい、未知の世界への扉になっているからだと思います。 -
アブシンベル大神殿
個人的にはピラミッドやスフィンクス像よりも、アブシンベル神殿により興味がありました。 -
アブシンベル大神殿
なので、今回の旅の一番の楽しみは、アブシンベル神殿の見学でした。 -
アブシンベル大神殿
それはユネスコの救済活動で移設されたことも大きいです。 -
アブシンベル大神殿
アブシンベル神殿の救済には、日本政府からは1万ドルの支援金で、現地に調査団を送ってはいないようで、ちょっと残念です。 -
アブシンベル大神殿
日本政府は積極的に支援金や現地伊調査団を派遣しているイメージがあったからです。 -
アブシンベル大神殿
日本からは民間の支援金が中心になり、朝日新聞社が『エジプト美術五千年展』『ツタンカーメン展』の収益金112万ドルを寄付しています。 -
アブシンベル大神殿
日本からの支援金は115万ドルになり、ユネスコ主要加盟国の中でも上位に入ったそうです。 -
アブシンベル大神殿
その後、遺跡救済には日本から東海大学で教えられていた鈴木八司さんが現地に行かれているそうです。鈴木さんはエジプト学のパイオニアの1人で、カイロへ10年間留学なさっています。 -
アブシンベル大神殿
日本にユネスコから遺跡救済キャンペーンに参加するようとの話がありましたが、日本政府内では海外の文化遺産保護に協力している余裕はないという反対があったそうです。 -
アブシンベル大神殿
まずは現状の把握をしようと、カイロに留学中の鈴木さんに、現地の様子を調査してくるようにに日本政府から依頼があります。 -
アブシンベル大神殿
鈴木さんは2度調査を行っています。調査は遺跡支援共済キャンペーンへの各国の参加状況や支援方法の実態を探るために行われました。 -
アブシンベル大神殿
日本における古代オリエント研究所の重要な契機になるので、ぜひキャンペーンに参加すべきであると日本政府に進言しています。 -
アブシンベル大神殿
しかし、日本政府から正式な調査団が派遣されることはありませんでした。 -
アブシンベル大神殿
鈴木さんは日本の新聞や雑誌に広く寄稿し、ヌビアに残る古代遺跡の重要性やこの地に住む人々の故郷が今まさにダム湖に沈もうとしている危機的状況を去満に訴えています。 -
アブシンベル大神殿
ラムセス2世はエジプト史上最も偉大なファラオと称されています。 -
アブシンベル大神殿
エジプトを守り強国にしようと戦争に出かけ、征服王と呼ばれていました。 -
アブシンベル大神殿
勇敢に戦うラムセス2世を描いたレリーフ -
アブシンベル大神殿
この神殿にはラムセス2世が繰り広げた戦争の中、『カデッシュの戦い』の詳細な戦闘過程が碑文に残されており、その意味で世界最古の『記録された戦争』としても有名な戦いです。 -
アブシンベル大神殿
エジプト軍は約2万の軍を率いてヒッタイへ向かい、ラムセス2世は捕虜の偽情報をつかまされてカデシュの北に進出しました。 -
アブシンベル大神殿
東側から現れたヒッタイ軍は、エジプトの後続の軍を急襲、エジプト軍は混乱に陥りました。 -
アブシンベル大神殿
海岸部からの援軍が駆け付け、危機を切り抜けたラムセス2世率いるエジプト軍はこの戦争に勝利します。 -
アブシンベル大神殿
一時ヒッタイト軍が優勢でしたが、ラムセス2世の勇戦によってエジプト軍が態勢を立て直し、最終的には決定的な勝敗は決せず終わりました。 -
アブシンベル大神殿
エジプトとヒッタイ両国の間で、平和同盟条約が締結されました。 -
アブシンベル大神殿
互いの領地を侵略しない相互不可侵や国が危機に陥った際は援軍を出し助ける、などの内容が含まれたこの条約は現在知られている中で、世界で最古の国際条約と言われています。 -
アブシンベル大神殿(左)とアブシンベル小神殿(右)
アブシンベル神殿では、毎晩、音と光のショーが行われており、幻想的な雰囲気を味わえるそうです。 -
イチオシ
アブシンベル小神殿
音と光のショーを味わうには、アブシンベルに宿泊しなければ見学は難しいです。 -
イチオシ
アブシンベル小神殿
小神殿は結婚25周年を記念して、王妃ネフェルタリに捧げられた神殿です。 -
アブシンベル小神殿
ネフェルタリとラムセス2世の立像が並んでいます。 -
アブシンベル小神殿
王妃の像は大神殿にあるように、王妃の像は王の足元に小さく作られるのが慣例で、このような同じ大きさで王と王妃の像が並ぶのは他にはありません。 -
アブシンベル小神殿
ラムセス2世は8人の王妃をもちましたが、第一王妃のネフェルタリへの想いは誰よりも強かったようです。 -
アブシンベル小神殿
2体の王妃ネフェルタリの像と、4体のラムセス2世の像が、あり、ネフェルタリの像の両サイドをラムセス2世の像が挟むように並んでいます。 -
アブシンベル小神殿
ラムセス2世の像とネフェルタリの像の足元には、彼らの子供たちがなあらんでいます。 -
アブシンベル小神殿
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アブシンベル小神殿
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アブシンベル小神殿
神殿内部に入ると、列柱室があり左右に3本ずつハトホル柱(牛の耳をもつハトホル女神の顔を柱頭とする柱)が並んでいます。 -
アブシンベル小神殿
アブシンベル小神殿は、王妃ネフェルタリのために建造されましたが、同時にハトホル女神に捧げられた神殿でもあります。 -
アブシンベル小神殿
神殿内のレリーフから一説には、ハトホル女神はネフェルタリ王妃を表していると言う説もあります。 -
アブシンベル小神殿
ハトホル女神は愛や美、子孫繁栄、母性など女性にまつわることの守護神とされました。 -
アブシンベル小神殿
ラムセス2世は92人の王子と、102人の王女をもうけたと言われています。 -
アブシンベル小神殿
ネフェルタリという名前は『美人の中の美人』『最高の美女』という意味だそうです。 -
アブシンベル小神殿
100名以上の子供の名前と顔が一致していたのかな? -
アブシンベル小神殿
名前つけるの大変だったんじゃないのかな?
良い名前浮かばないこともなかったのかな? -
アブシンベル小神殿
家族を養うの大変だけど、お金持ちだから大丈夫だね。 -
アブシンベル小神殿
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アブシンベル小神殿
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アブシンベル小神殿
中央がネフェルタリ王妃、その両側にハトホル神
ネフェルタリ王妃の頭には、牡牛の角(ハトホル神)、太陽円盤(ラー神)、羽(アメン神)がついた冠が描かれており、3柱の神様に守られていることが表されています。そして手に命の鍵を持っています。 -
アブシンベル小神殿
見学を終え集合場所に向かいます。
バスに乗る前にトイレへ寄っていかなければ、3時間30分の道のりがまっているのふぁから。 -
アブシンベルからアスワンまで帰りはばらばらに移動します。
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砂漠の中を走っていきます。
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アスワンハイダム
アスワンハイダムは、アスワン地区のナイル川に作られたダムです。
アスワンダムは2つありますが、現在では『アスワンダム』と言うとアスワンハイダムを指すことが多いそうです。 -
アスワンハイダム
1902年ナイル川の氾濫防止と灌漑用水確保のために、アスワン・ロウ・ダムが建設されました。しかし、力不足だったために、当時のエジプト大統領が、ソビエト社会主義共和国連邦の支援を受け、国家的事業としてアスワンハイダムの建設が計画されました。 -
アスワンハイダム
1970年、堤の高さ111m、堤の全長3600mのアスワンハイダムが建設されました。アスワンハイダムによって出現した人口の湖は、ナセル大統領の功績を讃えナセル湖と命名されました。 -
アスワンハイダム
アスワンハイダムの完成によって、毎年のように起こっていたナイル川の氾濫を防止し、12基の水力発電装置によって合計2.1GWの電力が供給可能になりました。農業用水を安定させ、周辺の砂漠の緑化も行われました。ナセル子での漁業は活発で、ダム付近は観光地となっています。 -
アスワンハイダム
その一方、ナイル川が上流から運搬してくる土砂がダムによって遮られたために、ダムの下流では河岸の浸食、さらにナイル川河口部の三角州への土砂の供給も減少し、付近の海岸の浸食も起き、生息する生物にも影響が出ており、決して良いことだkrではないようです。 -
未完のオベリスク(切りかけのオベリスク)
アスワンにある古代エジプト時代の北採石場に残された加工途中の巨大なオベリスクです。 -
未完のオベリスク(切りかけのオベリスク)
カルナックス神殿のオベリスクを補うため、第18王朝5代目のファラオハトシェプスト女王の命により作業が始められました。 -
未完のオベリスク(切りかけのオベリスク)
通常のオベリスクよりも10m近く大きなもので、完成すれば長さはおよそ42m、重さ1200tであったと推測されます。 -
未完のオベリスク(切りかけのオベリスク)
オベリスクの石工は、基盤から直接抜き出すように刻み始めましたが、花崗岩の中にひびが現れたため途中で放棄されました。 -
未完のオベリスク(切りかけのオベリスク)
オベリスクの底面は基盤に付いたままになっていて、まだ石に鮮明に残る工具の跡と労働者がどこで作業をしていたかを示す黄土色の線によって古代エジプトの珍しい石工技術を観察することができます。 -
未完のオベリスク(切りかけのオベリスク)
未完のオベリスクは砕石場の北部に横たわっていて、完成していたら高さ42m、重さ1100tで、古代エジプト最大のオベリスクになったそうです。 -
未完のオベリスク(切りかけのオベリスク)
未完のオベリスクの他に、切り出し途中のオベリスクがアスワンの採石場2005年に発見されました。また発見されたいくつかの彫刻と遺構から有名なオベリスクのほとんどがこの地で切り出された可能性が示され、エジプト政府が正式に行こうとして午後四、野外博物館となっています。 -
未完のオベリスク(切りかけのオベリスク)
見学後、持ち帰って良い砂の場所に寄りました。ピラミッド付近の砂は持ち帰りNGですが、この場所の砂はさらさらしているしOKです。ジップロップに砂を入れている人がいて(ホテルで乾かしていたペットボトルを捨てられたので)、自分も持っていましたがスーツケースの中なので、持ち帰れませんでした。 -
ランチバック
パン2個・鳥肉が乗ったご飯・オレンジ・バナナ・ポテトチップス・ミネラルウォーター
朝食もまだ食べていないのに、ランチバックが配られました。
空港に向かうバスの中で『食べないものはゴミに捨てずに、空港のトイレチップの係の方にあげてください。喜んでくれるはずですよ。』と言われますが、『朝食と合わせて大量になっているけど』と言うと、『ポーターさんにあげてください』と言われたので、ポーターさんにもらっていただきました。 -
自分がいらないものを人にあげるのって、日本人の感覚では恥ずかしい気がするけど、袋の中を見て喜んでくれているようでした。ポーターさんは3人いたので、1人に偏らないように、添乗員さんが配慮していました。ツアー参加者だっけでなく、現地の方にも目配りできる添乗員さnん、スゴイね!
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この旅行記へのコメント (4)
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- aoitomoさん 2024/05/14 23:42:27
- 私も大好きなアブシンベル神殿!
- まほうのべるさん こんばんは~
2:30出発は3時の車列で移動するからだったのですね~
2:30出発は確かに大変ですが、
朝から早めにアブシンベル神殿を見学できるので
日中よりまだ空いていそうですがいかがでしたか?
私もエジプトでは『ネフェルタリの墓』の次に期待していたのが
『アブシンベル神殿』でした。
子供の頃から『アブシンベル神殿』は知っていましたが、
まさか訪れることになるとは思ってもみなかったので感動でした。
こんな巨大なものを高台に移築するのも凄い建築技術ですね~
そして『王妃ネフェルタリ』の偉大さもわかる『アブシンベル小神殿』。
私はエジプトの偉大な女性、
ハトシェプストとネフェルタリにはハマりましたよ。( ´艸`)
『ラムセスデイ』にアブシンベルに訪れたいのもやまやまですが、
激混みなイメージとツアー代金も高そうで
手が出そうにありません。(;´∀`)
まほうのべるさんもしっかり調べ上げて、
コメントを完成させているので、
改めて勉強になりました。
続きも楽しみです。
aoitomo
- まほうのべるさん からの返信 2024/05/16 21:00:52
- RE: 私も大好きなアブシンベル神殿!
- > まほうのべるさん こんばんは?
こんばんは、aoitomoさん。
いつも書込み有難うございます。
> 2:30出発は3時の車列で移動するからだったのですね?
> 2:30出発は確かに大変ですが、
> 朝から早めにアブシンベル神殿を見学できるので
> 日中よりまだ空いていそうですがいかがでしたか?
50台以上のツアーの人達が一斉にアブシンベル神殿に入場するので、神殿の中は見学者でいっぱいでした。次の5時出発が到着する時には、入れ替えで見学が終わっています。5時出発以降は自由に出発できるので、5時出発の人達が見学中に次々と見学者が来るでしょうから、3時出発は日中より混まないのかな?
> 私もエジプトでは『ネフェルタリの墓』の次に期待していたのが
> 『アブシンベル神殿』でした。
> 子供の頃から『アブシンベル神殿』は知っていましたが、
> まさか訪れることになるとは思ってもみなかったので感動でした。
> こんな巨大なものを高台に移築するのも凄い建築技術ですね?
同じく『ネフェルタリ王妃の墓』と『アブシンベル神殿』を見学するのを楽しみにしていました。アブシンベル神殿が高台に移されたのを、凄い技術だと思っていました。エジプトとスーダン両政府がユネスコに救済を依頼し、世界中から救出案が集まり、スウエーデンの案が採用されていたんですよ。
> そして『王妃ネフェルタリ』の偉大さもわかる『アブシンベル小神殿』。
> 私はエジプトの偉大な女性、
> ハトシェプストとネフェルタリにはハマりましたよ。( ´艸`)
エビちゃんがハトシェプストのことを略して『ハトちゃん』っていつも説明していたので、今でもハトシュエプストが一番印象に残っています。
> 『ラムセスデイ』にアブシンベルに訪れたいのもやまやまですが、
> 激混みなイメージとツアー代金も高そうで
> 手が出そうにありません。(;´∀`)
旅行日が年に2日の奇跡の日に近かったんです。見学者が多く集まり過ぎて大渋滞になるでしょうね。
> まほうのべるさんもしっかり調べ上げて、
> コメントを完成させているので、
> 改めて勉強になりました。
旅行記をアップしはじめてから、予習よりも復習をたくさんするようになりました。アブシンベル神殿の高台への移動は知っていましたが、それはエジプトとスーダン両政府のユネスコへの救済依頼があったこと、スウエーデンの案が採用されたこと、この事がきっかけで『世界遺産』登録がなされたということなど、次々に知ることが出来ました。旅行後に復習をたくさんするようになったことは、『フォートラ』のおかげです。
> 続きも楽しみです。
あと2話で完結します。
おそらく自分たちのツアーだけかもしれない?ということも書きたいと思っています。
まほうのべる
-
- 尚美さん 2024/05/14 21:14:14
- アブシンベル神殿、見に行きたいです
- べるちゃん、こんばんは。
お互いに、楽しかったルーマニア旅から無事に帰ってこれてよかったですよね。
アブシンベル神殿は知らなかったです。写真を見せてもらって、べるちゃんがピラミッドやスフィンクスよりも見たかったというの、よくわかります。素晴らしいと思いました。見てみたいです。べるちゃんが丁寧に写真を撮ってくれているから、よく知らない私でも臨場感も感じました。
続きも待っています。
尚美
- まほうのべるさん からの返信 2024/05/16 14:34:26
- RE: アブシンベル神殿、見に行きたいです
- > べるちゃん、こんばんは。
こんにちは、尚美さん.
いつも書込み有難うございます。
> お互いに、楽しかったルーマニア旅から無事に帰ってこれてよかったですよね。
旅行前は無謀な旅なのかと旅行を計画したことを後悔したこともありました。多少のトラブラはありましたがいつもの範囲内で、大きなトラブルもなく無事帰ってこれて良かったです。尚美さんも無事に帰られてなによりです。
> アブシンベル神殿は知らなかったです。写真を見せてもらって、べるちゃんがピラミッドやスフィンクスよりも見たかったというの、よくわかります。素晴らしいと思いました。見てみたいです。べるちゃんが丁寧に写真を撮ってくれているから、よく知らない私でも臨場感も感じました。
アブシンベル神殿は、アスワン・ハイ・ダムの建設計画で水没の危機に陥りました。ユニセフはエジプトとスーダン両政府からの依頼で、救出プロジェクトを立ち上げ、スウエーデンの分割移動案を採用し、現在の高台に移設しました。
この国際的救済プロジェクトにより、未来に残すべき自然と文化を『世界遺産』として登録しようという気運が高まり、アブシンベル神殿が世界遺産第一号となったんですよ。
> 続きも待っています。
エジプトの旅行記はあと2話あるので、もう少しお付き合いください。
まほうのべる
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