2024/02/11 - 2024/02/18
26位(同エリア946件中)
まほうのべるさん
- まほうのべるさんTOP
- 旅行記335冊
- クチコミ99件
- Q&A回答1件
- 617,328アクセス
- フォロワー469人
この旅行記のスケジュール
2024/02/11
-
ネフェルタリの墓
この旅行記スケジュールを元に
旅程
2/11(日) 成田20:30→
2/12(月) カイロ04:00→ 06:00ルクソール07:00
ルクソール東岸観光 カルナック神殿→ルクソール神殿→
ルクソール博物館(船中泊)
2/13(火) ルクソール西岸観光 メムノンの巨像→ハトシェプスト
女王葬祭殿→王家の谷→ネフェルタリ王妃の墓(OP)
エドフへ向けて出港 深夜エスナの水門通過(船中泊)
2/14(水) ホルス神殿→コム・オンボ神殿→アスワン(船中泊)
2/15(木) アスワン02:30→アブシンベル
アブシンベル大神殿・小神殿→アスワンハイダム→未完の
オベリスク
アスワン14:40→カイロ16:10(カイロ泊)
2/16(金) メンフィス・サッカラ・ダハシュール観光
メンフィス博物館→ジョセル王の階段ピラミッド→赤の
ピラミッド→屈折ピラミッド→ギザの三大ピラミッドと
スフィンクス→ギザのピラミッド(音と光のショー)
(カイロ泊)
2/17(土) 大エジプト博物館限定エリア→ムハンマド・アリ・モスク
→エジプト考古学博物館→カイロ23:10→
2/18(日) 成田
宿泊
2/12(月)~2/14(水) ナイルパラダイス(クルーズ船)
2/15(金)~2/16(金) モーベンピック メディアシティ(カイロ)
*Wikipedia参照
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- エジプト航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
PR
-
王家の谷
王家の谷に来ると、観光バスがずらっと並んでいて、観光客の多さに驚きます。急に都会に来たみたい。カートに乗って移動します。 -
王家の谷
ツタンカーメン(墓番号62)
太陽が沈むナイル川西岸には『死後の世界』があるとされ、60以上の墓が集中する王家の谷が築かれています。公開されている墓は、そのうち十数か所だけです。 -
王家の谷
ツタンカーメン(墓番号62)
発掘のスポンサーとなったカーナオン卿が、墓の公開直後に急死するなど、発掘関係者が次々不遇の死を遂げたという噂が広まり、『フォラオの呪い』伝説にもなりました。 -
王家の谷
ツタンカーメン(墓番号62)
今回、ツアーで見学した場所では、すべてカメラ撮影料として別料金は必要ありませんでした。カメラ撮影料が必要な場所もあると思い、その分も考えエジプトポンンドに両替していたんだけど。 -
王家の谷
ツタンカーメン(墓番号62)
王家の谷で最初に見学したのが、ツタンカーメンの墓です。
ツタンカーメンの墓は、考古学者ハワード・カーターによって、1922年11月に王家の谷で発見されました。王家の谷にある墓は、すべて古代に盗堀されたか、その後、考古学者によって発掘されたと断言されていたそうです。 -
王家の谷
ツタンカーメン(墓番号62)
ハワード・カーターは周りの意見に耳をかさず、ツタンカーメンの捜索を続けました。捜索打ち切り寸前で、墓に降りる最上段を見つけたそうです。 -
王家の谷
ツタンカーメン(墓番号62)
英国の後援者カーナ・カーボン卿に、資金を受け発掘を続けましたがなかなか成果がなく、信頼も資金も失う寸前で奇跡の発掘を遂げました。周りの人達に、発掘し尽くしているのに、無駄なことをしていると、言われ続けたのでしょうね。 -
王家の谷
ツタンカーメン(墓番号62)
ツタンカーメンのミイラ
発掘された副葬品や黄金のマスクは、現在、エジプト考古学博物館に展示されています。 -
イチオシ
王家の谷
ツタンカーメン(墓番号62)
ツタンカーメンのミイラ
ツタンカーメンは第18王朝の王に9歳という若さで即位し、19歳で亡くなった悲劇の王で、お墓が発見されるまでは、人々にほとんど知られていなかったそうです。 -
王家の谷
ツタンカーメン(墓番号62)
発掘された時に、5000点以上の副葬品がほぼ無傷の状態で見つかったことから、一躍有名になりました。 -
イチオシ
王家の谷
ツタンカーメン(墓番号62)
王の墓には金や宝石をふんだんに用いた副葬品が埋められているため、盗掘のターゲットにされる場合が多く、墓泥棒により荒らされ、墓が発見された時には何も残っていない場合がほとんどだそうです。 -
王家の谷
ツタンカーメン(墓番号62)
何故に腕が写ってしまったの。この写真1枚しか撮っていないから、手が写っていて見苦しくてゴメンナサイ!
ツタンカーメンの墓がほとんんど被害にあわなかったのは、ツタンカーメンの墓がラムセス6世の墓建設の作業小屋の下にあり、見つけにくかったことと、歴史から抹消されたため、記録が残っていなかったためだと言われています。 -
王家の谷
ツタンカーメン(墓番号62)
今回のツアーでは最終日にエジプト考古学博物館で、ツタンカーメンの黄金のマスクと記念撮影出来るんだって。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
自分が写った写真は1枚も撮らないけど、貴重な瞬間だから撮ってもらおう。べるだけ撮ってって言ったら、カメラマン驚くかな?エジプト人だから、笑顔で撮ってくれるかな? -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
けっこう行列が出来ている墓もあって、自由時間にすべて見学できるかちょっと不安です。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
この谷に墓が密集しているのは、ナイル川西岸が『死者の世界』で、盗掘を防ぐためなんです。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
入口を入ると牛のレリーフ。
ピラミッドはあまりにも目立つために、盗賊に常に狙われていたので、見つかりづらい谷を選んだそうです。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
最初の頃は盗賊に見つからないように、隠れた作りだったそうですが、徐々に王の墓が王家の谷に作られたことが周りに知られるようになりました。そこで、墓守を雇って堂々と墓を作ったそうです。 -
イチオシ
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
太陽神に冥界入りの挨拶をするラムセス3世の壁画
ほとんどの王の墓は盗賊に見つかり、墓に埋葬された装飾品など盗まれたそうです。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
古代エジプトでは、フンコロガシが丸めたフンを太陽に見立て、フンコロガシ崇めていたそうです。
王家の谷のチケットはエリアチケットと別料金のチケットがあります。エリアチケットは別料金が設定されていないお墓から3つのお墓が見学できます。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
私たちは別料金のツタンカーメンの墓と、エリアチケットで3つの墓を見学します。エリアチケットでは、エビちゃんが選んでくれたラムセス3世、ラムセス4世、ラムセス9世の墓です。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
別料金でのお墓では、セティ1世のお墓がダントツで高くなっています。
王家の谷の中で最大規模のお墓で、エジプト人の考えた星座が、動物や人間の姿で描かれている、天井にある天体図が有名なんですって。このお墓1日どのくらいの人が見学しているのかな? -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
ラムセス3世は、第20王朝の2代目ファラオなんです。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
長期政権で、エジプト王国最後の繁栄を築いた王です。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
また、西方のリビアの侵略を退け、海の民を退けていました。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
古代エジプトで大きな権威を持った、最後のファラオと称されています。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
ラムセス3世の治世末期に、王家の谷で墓を建築していた職人の居住地区であったデール・エル・メディーナにおいて、職人によるストライキが起こっていました。これは有史における最古のストライキでした。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
ストライキの理由は、度重なる食糧の配給地帯が原因でした。ストライキの2日後に先月分の食糧が配給されました。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
職人は当月分の食糧も要求しストライキを続け、5日後、当月分が配給され、ストライキは収まりました。しかし、その後も何度かストライキが発生しました。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
スカラベ(フンコロガシ)
古代のエジプト人は、糞玉を転がす姿を太陽の回転を司るケペラ神に重ね、『スカラベ』をケペラ神の化身と考えました。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
こうしたことから『スカラベ』は不死と復活の象徴とされ、その姿を象ったものはお守りとして崇められるようになりました。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
古代からストライキがあったなんて驚きですね。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
でも、食糧の遅滞なら生命を維持していくためには、ストライキは必然だったのでしょうね。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
ラムセス3世は自分の息子で最年長であったアメンヘルケプシェフを、後継者に指名しましたが、妻の一人のティティが、自分の息子ペンタウアーを王位に就かせるために、ラムセス3世を暗殺したとされています。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
自分はたくさんいる妻の一人。いつの世も、夫よりも自分が生んだ子供が大事なんだね。だって夫は血のつながりはないけど、子供は自分が生んだんだものね。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
息子を王にするために、夫の王を暗殺しようとしたなんて、怖い世の中ですね。でも、昔はどの国でもあったようですね。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
王様の息子に生まれても、幸せに思えている人は少ないのかもね。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
長い間、ラムセス3世が暗殺されたのか否かは明らかではなく、ラムセス3世のミイラの首の周りに包帯が厳重に巻かれていたものの、身体に明らかな外傷は無いと信じられてきたそうです。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
でも、科学の力は偉大で、時を超えて現代に解明してくれました。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
2011年、ドイツの犯罪化学チームが、ラムセス3世のミイラを調査し、首の周りに巻かれていた包帯の部分のコンピューター断層撮影を実施しました。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
断層撮影によると、喉首を横切って深い刃物傷があり、その傷は椎骨にまで達する深さでした。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
通廊の壁画 蛇の頭が3つで足もあります。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
2012年12月、エジプトの考古学者ザヒ・ハワスを中心とするチームが、ラムセス3世のミイラをCTにかけました。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
ラムセス3世は生存中に喉元を切られ、傷は左右7cmで背椎に達する致命傷であり、恐らく即死であったことがわかりました。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
ラムセス3世の暗殺には、多くの人間が関わかっていたという記述があります。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
暗殺に至った手順ははっきりしていませんが、蝋人形や呪術による方法が含まれていました。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
ラムセス3世は気管や食道、頸動脈などの主幹動脈は切断されているため、恐らく切断された時に大出血を起こして即死していただろうとしています。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
解析した画像から喉の傷の中に『ホルスの目』のお守りが埋め込まれているのを発見し、これによりエンバーミングをした段階で、すでに傷が存在していたことが裏付けっれました。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
2016年3月、ハウスとカイロ大学の医師サハル・サリームらによって、ラムセス3世のミイラを再度CTが行われ、喉元の殺傷以外に足の親指を切断された痕が発見されました。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
これらの状況により、ラムセス3世の襲撃は2人以上で実行され、1人はラムセス3世の正面から斧のような武器で攻撃し、(この時にラムセス3世の足の親指が切断)、もう1人が背後から短剣などの武器により、ラムセス3世の喉元を貫いたと考えられます。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
暗殺されたことが確定するまでは、『くさりへびに咬まれた傷が、ラムセス3世の死を引き起こした』という説もありました。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
これについて、ラムセス3世のミイラに、来世で蛇から身を守るためのお守りが付けられていたことや、暗殺者の一味であった食事と飲み物を給仕する召使は『蛇と蛇の王』と呼ばれていたことが根拠として挙げられていました。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
ラムセス3世の暗殺に成功したものの、この事件に関与した者は全員処刑されました。この時、ラムセス3世は65歳でした。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
処刑者は総数38人に死刑判決が下されましたが、息子のペンタウアーを始め有罪となった何人かは、自殺する選択を与えられました。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
歴史家のスーザン・レッダフォードは、ペンタウアーは毒を仰いで自殺する選択を与えられました。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
しかし、事件に関与した他の者は、生きたまま火刑に処されました。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
その遺骨・遺灰は通りにまき散らされるという、屈辱的な末路を与えられたと推測されています。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
亡くなったファラオは太陽に導かれ、西から冥界に沈み、東から再び地上に復活すると考えられていました。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
墓の壁には、冥界旅行の無事と、地上への復活を願う画が描かれているそうです。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
王家の谷では定期的に修復工事がされていて、公開されていても入場できるかはわかりません。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
ツアーではツタンカーメンの墓への入場は、旅のしおりなどで事前に知らされていましたがが、王家の谷のどの墓に入場するかは現地で知らされます。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
何日から何日まで修復工事と予定されていても、期日はあくまでも予定で、当日、ガイドさんが確認し確定されます。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
エジプトでは、もうすぐオープンと告知していても、延々オープンしないことは珍しくないそうです。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
もうすぐ、という言葉の意味わからないのかな? -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
わかっているけど、仕方がないのかな?
あまり深く?考えないのかもしれませんね。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
期日が設定されていても、出来ないものは出来ない?があたりまえ。 -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
期日は守るものという意識がないのかな? -
王家の谷
ラムセス3世(墓番号11)
守れたらラッキーぐらいにしか、思っていないのかも。 -
王家の谷
ラムセス9世(墓番号6)
墓番号の前にあるの『KV』は、Kings Valeyの略で、王家の人々の墓が多いためにそう呼ばれていました。 -
王家の谷
ラムセス9世(墓番号6)
墓番号は発見された順番につけられていて、1番の墓はラムセス7世で、1737年。 -
王家の谷
ラムセス9世(墓番号6)
ラムセス9世はラムセス3世の孫で、ラムセス3世の死後、その後を継いだラムセス4世からラムセス8世までが短期間の治世で亡くなり即位しました。 -
王家の谷
ラムセス9世(墓番号6)
ラムセス9世は約18年間在位しており、ラムセス3世の31年間、ラムセス11世のに次ぐ3番目に長い期間在位していました。 -
王家の谷
ラムセス9世(墓番号6)
ラムセス4世から8世までは短期間で亡くなり、それに伴って王権も加速的に衰退していました。 -
王家の谷
ラムセス9世(墓番号6)
ラムセス9世の治世には、王権の衰退に一時的な歯止めがかかり、若干の安定が得られました。 -
王家の谷
ラムセス9世(墓番号6)
建設事業の多くは、下エジプトで行われており、特にヘリオポリスの太陽神殿での事業に力を注ぎました。 -
王家の谷
ラムセス9世(墓番号6)
ヘリオポリス古王国時代からの太陽崇拝の中心地であり、伝統的な信仰に回帰することによって、上エジプトで増長するアメン神官団の権威に対抗していたことを伺わせています。 -
王家の谷
ラムセス9世(墓番号6)
西方のダクラ・オアシスとカナン地方のゲゼルでも、治世を記録する遺物が発見されており、エジプトが僅かながら周辺諸国への影響を残していたようです。 -
王家の谷
ラムセス9世(墓番号6)
しかし、アジアにおける領土はすでに失われていて、かつてエジプトの属国であったシリアやパレスティナは海の民と総称される諸民族の勢力が乱立する地となっていました。 -
王家の谷
ラムセス9世(墓番号6)
ラムセス9世の治世16年目頃、テーベ東岸の市長パセルの告発により、王家の谷の王墓群で盗掘が行われていたことが発見しました。 -
王家の谷
ラムセス9世(墓番号6)
この告発には西岸も市長で墓地の守衛を管轄するパウルアアを貶める意図がありました。 -
王家の谷
ラムセス9世(墓番号6)
この報告を受けた宰相カエムワセトは、王墓の調査を行った結果、第17王朝のセベクエムサフの墓を含む、多数の墓が荒らされていたことが明らかになりました。 -
王家の谷
ラムセス9世(墓番号6)
盗掘は治世9年目以前から行われており、埋葬されてから20年程しか経っていないラムセス6世の墓も、その標的になっていることが、この時の調査でわかったそうです。 -
王家の谷
ラムセス9世(墓番号6)
パウルアアは調査を主導して身の潔白を証明され、以降パセルの名は公文書に現れなくなりました。 -
王家の谷
ラムセス9世(墓番号6)
一連の事件は、盗掘に携わった犯人たちの取り調べや裁判を記録したパピルス文書から明らかにされたもので、それらは『墓泥棒のパピルス』と総称されます。 -
王家の谷
ラムセス9世(墓番号6) -
王家の谷
ラムセス9世(墓番号6)
入場まで時間がかかったりして、集合時間がだんだん時間が近づいてきました。 -
王家の谷
ラムセス9世(墓番号6)
あと一つ、ラムセス4世のお墓の見学が残っているけど、集合時間に間に合わなくなっちゃうかな? -
王家の谷
ラムセス9世(墓番号6)
一度、集合場所に行ってまだ一つ見学出来ていないって言おうかな?そうしたら、少し自由時間を延長するから見学して来ていいよって言われるかな?まず、ラムセス4世のお墓に行ってみよう。 -
王家の谷
ラムセス4世(墓番号2)
ラムセス4世の墓の前で、つまずき転んで右膝下を強打します。足が痛いことより、手に持っていたカメラのことが心配で足のことは後回しになります。 -
王家の谷
ラムセス4世(墓番号2)
カメラに外傷はなく、すぐに動かしてみると正常通り動きます。
良かった!!そういえば足はどうなったの? -
王家の谷
ラムセス4世(墓番号2)
服は砂まみれになってしまい、払いますが綺麗に落ちません。右膝下にはたん瘤が出来そ、の周りは内出血し青あざになっています。 -
王家の谷
ラムセス4世(墓番号2)
出血はなく気を取り直して見学します。
ブリュッセルで転び左手首を骨折したことが蘇ります。気を付けていたつもりだけど、またやっちゃった。 -
王家の谷
ラムセス4世(墓番号2)
天井にはエジプト人の宇宙観『昼の書と夜の書』が描かれています。女神ヌゥト(天空の女神)が空を形成していて、昼と夜とが背中合わせで描かれています。 -
王家の谷
ラムセス4世(墓番号2)
夜側はヌゥトの体に星がたくさん描かれ、太陽を飲み込み、アメンラー神が船に乗って旅をしている絵が描かれています。
その後、こぶは少しずつ小さくなっていくのですが、青あざが酷くて右足中に広がり、足の裏まで広がったのにはビックリでした。 -
王家の谷
ラムセス4世(墓番号2)
壁一面に描かれたヒエログリフ
昼側は、ヌゥトの口から太陽が生まれるところが描かれています。 -
王家の谷
ラムセス4世(墓番号2)
帰国後、10日ぐらいで青あざが消え、その後、こぶも消えていきました。 -
王家の谷
ラムセス4世(墓番号2)
念のために帰国後に病院に行こうか迷いましたが、歩けるし痛みもほとんどなかったので、結局行きませんでした。 -
王家の谷
ラムセス4世(墓番号2)
ラムセウ4世のお墓の入り口で転んでしまったのは、自由時間が少なくなっていたことを考えてしまって、気持ちと足が不調和音になってしまったのかもしれません。 -
王家の谷
ラムセス4世(墓番号2)
見学を終え集合場所に向かうと、『どうしたの?』と聞かれ、『ラムセス4世のお墓の入口で転びました』って答えました。『車イス必要?』って聞かれたけど『大丈夫です』って答えました。 -
王家の谷
ラムセス4世(墓番号2)
ラムセス4世は父ラムセス3世の息子で、父王が長命だったため、即位時には年齢がいっていて治世は6年だけでした。 -
王家の谷
ラムセス4世(墓番号2)
父王の治世を記録した41mにも及ぶ『大ハリス・パピルス』を副葬品として墓に収めるため作らせましたが、デル・エル・メディナ職人の墓で発見され、古物商に売りに出されていたそうです。 -
王家の谷
ラムセス4世(墓番号2)
ラムセス4世はラムセス3世の5番目の王子として、王妃ティティとの間に生まれました。後継者だった4人の兄が亡くなり、父の治世22年頃に香泰治となあっています。 -
王家の谷
ラムセス4世(墓番号2)
ラムセス3世の暗殺事件が発生し、即位しました。暗殺事件にかかわった人たちはほぼ全員が有罪判決をうけ、処刑されました。 -
アラバスターの店
カートに乗り込みバスへと移動し、アラバスターの店に向かいます。お店ではトイレを借りて、飲み物のサービスがあります。 -
アラバスターの店
店内に入る前に外で石を削り磨き形成していく実演をしていて、コーラを飲みながら見せていただきます。 -
アラバスターの店
この人は優秀な技術者さんです。 -
アラバスターの店
店内に入り商品を見ていきます。商品には値札が付いていないので、どのくらいするかわかりません。キレイですが購入する人はいませんでした。 -
アラバスターの店
ここでネフェルタリ王妃の墓のオプショナルツアーに参加する人はマイクロバス、参加しない人は乗ってきた大型バスでクルーズ船に戻ります。 -
イチオシ
王家の谷
ネフェルタリ王妃の墓
ネフェルタリ王妃の墓の見学時間は、10分ととても短いのに高額です。最高延長してもらっても15分、1日150名限定です。 -
王家の谷
ネフェルタリ王妃の墓
12月から50ドルも値上げになっています。写真撮影はスマホのみと聞いていましたが、カメラでもOKでした。(エジプトあるある) -
王家の谷
ネフェルタリ王妃の墓
カメラ撮影OKなのに、ほとんどシャッターがきれなくなって、パニック状態になりました。転んだ後のラムセス4世の墓では全く問題なく動いていたのに、何故、ネフェルタリ王妃の墓で急に動かなくなるの? -
王家の谷
ネフェルタリ王妃の墓
スマホで写真撮ったことはほとんどありません。カメラを諦めてスマホで撮れば良かったのに、カメラに固執し見学に集中できませんでした。 -
王家の谷
ネフェルタリ王妃の墓
ということで、せっかくの美しいネフェルタリの墓の写真はほとんど撮れませんでした。『お願いだからこだけ頑張ってお仕事して!』って頼んだけど、『もう動けない!無理!』ってRX100。 -
イチオシ
王家の谷
ネフェルタリ王妃の墓
ネフェルタリはラムセス2世の第一王妃として寵愛を受けました。アブシンベル小神殿はネフェルタリに捧げらました。 -
イチオシ
王家の谷
ネフェルタリ王妃の墓
1904年に発見された当初は、激しく損傷を受けていました。1986~1992年に修復プロジェストが行われ、壁画保存の観点から遺跡内の湿度を一定に保つため、1日150名、1人10分までと入場制限されています。 -
王家の谷
ネフェルタリ王妃の墓
エジプトの施設は管理が甘く、係員のチップで10分の制限時間は15分までは延長でき、スマホのみの撮影もカメラもOKとなっているのが現状です。 -
王家の谷
ネフェルタリ王妃の墓
この旅行記ではネフェルタリ王妃の墓の美しさが、全く伝わらなくて残念です。 -
王家の谷のチケット
カメラはその後、謎の復活を遂げえることになります。旅行の神様が直してくれたのかな? -
王家の谷のチケット
この事件を?『ネフェルタリ王妃の呪い』としよう。 -
ネフェルタリの墓のチケット
クルーズ船に戻り電池を交換ししばらくそのままにしていたら、再び通常モードになりました。その後、一度もお休みすることなく動いてくれました。 -
ネフェルタリの墓のチケット
電池の残量はあったので、決して電池切れではないのですが。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- aoitomoさん 2024/04/08 23:25:02
- ネフェルタリの墓も見学できたのですね~
- まほうのべるさん こんばんは~
王家の谷のツタンカーメンの墓プラス3つの墓が見学できるというパターンは
私の行ったツアーと同じです。
カメラ撮影料はどんどん緩和されているのですかね。
私は多くの場所で払わされました。(;´∀`)
エジプト考古学博物館ではカメラ2つで2倍払わされました。(;´∀`)
クフ王のピラミッドはカメラはダメでスマホならOKでした。
ツタンカーメンの話やハワード・カーターの話も
面白くてのめり込んでしまいますね。
ラムセス3世の墓もしっかり観光できたのも良かったのではないでしょうか。
私はラムセス3世の墓は見れてません。
自分が写った写真は1枚も撮らないってまほうのべるさん、
旅行記には顔を出さなくとも記念写真としても取らないのですか?
そして、3つの墓見学も時間配分を考えないと大変ですよ。
転ばれても大きなけがで無く良かったです~
ネフェルタリの墓も見学出来てラッキーです。
日本円にするといくらでしょうか?
確かにここも墓の係の人がチップをねだり、
チップを渡すと侵入してはいけない場所に立たせて記念撮影をしたりと
無茶苦茶でした。( ´艸`)
『RX100』も購入されてまだ数年では?
復活されて良かったですが、気をつけてくださいね~
続きも期待してます~
aoitomo
- まほうのべるさん からの返信 2024/04/09 10:07:10
- RE: ネフェルタリの墓も見学できたのですね?
- > まほうのべるさん こんばんは?
こんにちは、aoitomoさん。
いつも書込み有難うございます。
> 王家の谷のツタンカーメンの墓プラス3つの墓が見学できるというパターンは
> 私の行ったツアーと同じです。
ツアーの場合はツタンカーメンの墓+3つのお墓が基本なのだと思います。旅行記を見せていただいているとみな同じ様ですから。
> カメラ撮影料はどんどん緩和されているのですかね。
> 私は多くの場所で払わされました。(;´∀`)
> エジプト考古学博物館ではカメラ2つで2倍払わされました。(;´∀`)
> クフ王のピラミッドはカメラはダメでスマホならOKでした。
以前はカメラ撮影料は設定されていたらしいのですが、コロナ後観光客が激変して、観光客にたくさん来て欲しくて撮影料は撮らなくなったそうです。現地に行くまでは撮影料が必要だと思っていました。カメラはダメでも、スマホならOKの場所もありましたね。でも、スマホなら何故OKなのか理由がわかりませんが。
> ツタンカーメンの話やハワード・カーターの話も
> 面白くてのめり込んでしまいますね。
エジプト旅行は年末に決めたし、予習が出来ていなかったのですが、帰国後に調べると興味深い話がたくさん出てきました。
> ラムセス3世の墓もしっかり観光できたのも良かったのではないでしょうか。
> 私はラムセス3世の墓は見れてません。
3つの中でどのお墓を選ぶかは、日本語ガイドさん次第なので、事前にこのお墓に行きたいとアピールをしていれば、そのお墓も見学に入れてくれるかもしれませんね。
> 自分が写った写真は1枚も撮らないってまほうのべるさん、
> 旅行記には顔を出さなくとも記念写真としても取らないのですか?
以前は旅行の記念に必ず撮ってもらっていましたが、現在は自分の写真は1枚も撮っていません。自分の代わりにべるの写真を撮っています。
> そして、3つの墓見学も時間配分を考えないと大変ですよ。
> 転ばれても大きなけがで無く良かったです?
その場で行列を考えて3つのお墓の見学時間を配分するのは難しいと思います。
2つの見学しか出来ないと思っていましたが、最後のお墓に行列がなくスムーズに見学出来たので3つつも見学が出来ました。ブリュッセルの件があるので、転ばないように気を付けていたのですが、気が焦るとろくなことはありませんね。
> ネフェルタリの墓も見学出来てラッキーです。
> 日本円にするといくらでしょうか?
旅行会社のネフェルタリの墓のオプは書けませんでした。パンフレットに載っている金額なんですが。
> 確かにここも墓の係の人がチップをねだり、
> チップを渡すと侵入してはいけない場所に立たせて記念撮影をしたりと
> 無茶苦茶でした。( ´艸`)
チップを渡せばなんでも通るのがエジプトなんですよね。それも頻繁に行われているし。自分から禁止区間の写真を撮ってくれたり、時間延長されたり、スマモだけの撮影がカメラもOKになったりして、悪びれたところがなくてそれが通常になっているのが何とも言えませんね。
> 『RX100』も購入されてまだ数年では?
> 復活されて良かったですが、気をつけてくださいね?
購入してからそれほど経っていないのですが。
完全復活したのか?どこかに異常が残っているのか?はわかりません。
スマホで写真を撮ったことが無いので、RX100に万が一のことがあれば、落ち着いてスマホで撮ろうと思います。
> 続きも期待してます?
有難うございます・
まほうのべる
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
まほうのべるさんの関連旅行記
ルクソール(エジプト) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
121