2023/04/27 - 2023/04/28
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tyatyaさん
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ゴールデンウィーク直前の4月の終わり近く、錦糸町駅から5分ほどのホテルに宿泊し、レンタサイクルでの移動を中心に錦糸町亀戸付近を散策。今回は亀戸天神近くのお寺を散策した後、ホテルに立ち寄って徒歩で両国橋方面へ。さらに夕食を兼ねながら東日本橋駅よりさらに西の竹森神社まで向かいました。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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亀戸天神を参拝した後、すぐに東の普門院へ向かいました。亀戸天神は大分盛りは過ぎたとはいえ藤の季節でもあったこともあり人々で賑わっていましたがこちらば全く違った雰囲気でした。木々が多いこともあり何だか全く違った場所に来た感じです。1552年橋場に創建、1616年にこの地へ移転したといわれる歴史あるお寺です。移転の際に梵鐘を川に落としてしまい、そこが鐘ヶ淵と呼ばれているという言い伝えもあります。
普門院 寺・神社・教会
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境内には毘沙門堂があり、亀戸七福神の毘沙門天が祀られています。
普門院 寺・神社・教会
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境内をゆっくり回ると伊藤左千夫のお墓もこちらにありました。
普門院 寺・神社・教会
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普門寺のすぐ北側に光明寺があります。きれいな天台宗のお寺で、明治時代に入ってから再編された新葛西三十三所観音霊場の一つになっています。境内には区の文化財に指定されている石灯篭や庚申塔などもあり落ち着いた空気が流れています。
光明寺 寺・神社・教会
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また境内には江戸時代の浮世絵師で、初代豊国に入門した弟子である二世歌川豊国のお墓もあります。亀戸天神に参拝されたお後にお邪魔してみても。
光明寺 寺・神社・教会
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光明寺から自転車で2分ほど、横十間川の近くにあるお寺です。山門まで行ってみたら、工事中でそこから中に入って参拝することはできないようでした。庫裡の新築工事が行われているという掲示がありました。行基の作と言われる薬師が祀られている薬師堂のあるようでまた工事が終わった時に訪れたいと思います。
長寿寺 寺・神社・教会
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長寿寺から蔵前橋通りを渡って南側、亀戸野球場の近くに碑があります。明治40年に2万坪の土地に最新鋭の工場を建設したそうです。3度の洪水と関東大震災で被害を受けたが従業員の努力で再建してきたそうです。しかし東京大空襲により焼土なってしまいその後は運動場となり現在は団地が多く建っています。現在面影はありませんが、このような記念碑があることで、多くの人が懸命に働いていた場所だという記録が残り、知る事が出来て良かったです。
日清紡績創業の地 名所・史跡
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亀戸野球場の近くにもう一つモニュメントがあります。これが亀戸銭座跡の碑です。以前港区の芝網縄手にあった寛永通宝の鋳造発行を行う機関であった銭座がここにあったそうです。寛永通宝の背面は無印のものが多いそうですがここで造られた寛永通宝には「文」の文字が入っており、「背文銭」といわれているそうです。昔のお金に興味のある人には面白いモニュメントだと思います。
亀戸銭座跡 名所・史跡
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今日の宿泊地錦糸町駅南側のリッチモンドホテルに立ち寄ってから徒歩で、向かいました。ここは、大横川親水公園の南端にある橋です。橋ですが親水公園に架かっているのでここから川が見えるわけではありません。現在の場所より少し南側に360年前ほどに架けられたそうです。大横川開削時に竪川との交差地点に木橋があったようです。橋の両側が公園になっている現在はその面影はありませんが、由来碑で知ることができます。
撞木橋 名所・史跡
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撞木橋の北側の公園入り口付近に可愛らしいオブジェがあります。江戸時代、近くに材木置き場があり、職人たちが近辺に時の鐘がないと不便であることから設置されたそうです。現在残るのはこの可愛らしいオブジェだけですが、歴史に興味を持つきっかけになりそうです。
時の鐘 名所・史跡
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大横川親水公園の西側、撞木橋から徒歩2分ほどのところに辻札に似せた案内板があります。鬼平犯科帳を読んだり見たりしている人には興味深い案内が書かれています。平蔵が若いころに住んでいた屋敷跡で、その後一時家族で京都に移り住んでいたことは初めて知りました。
長谷川平蔵の旧邸 名所・史跡
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長谷川平蔵旧邸跡の案内板から北へすぐのところに五柱稲荷神社があります。八代将軍吉宗公の時代に京都伏見稲荷を勧請して創建したといわれています。特に盗難除けの信仰があり商家などはこぞって参拝したそうです。現在もきれいに管理されていて、近隣の方の信仰を集めているのだと感じられます。
五柱稲荷神社 寺・神社・教会
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さらに西へ進み、両国橋へ向かいました。墨田区には葛飾北斎が描いた風景をたどろうという案内板が名所に立てられています。こちらは両国橋南詰の両国橋児童公園に立てられていたものです。
両国橋 名所・史跡
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両国橋児童遊園の中には多くの碑があります。その中のひと際大きい碑が表忠碑です。日露戦争で戦死した方の慰霊碑で、大山巌氏の題字だそうです。この場所に何故この碑が建てられているのかは詳しいことはわかりませんでしたが、ついつい素通りせずに足を止めて考えることも大切だなと思いました。
表忠碑 (両国橋児童遊園) 名所・史跡
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両国橋児童遊園の中、大きな表忠碑の近くに、大高源五郎の句碑があります。忠臣蔵の四十七士の一人で、討ち入りの日を決定する重要な情報を入手したと言われています。俳人でお茶も嗜むことから、極秘の茶会の日を突き止め、吉良上野介の在宅日の情報をつかんだという、あの結構重要な場面の方です。
大高源五句碑 名所・史跡
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明暦の大火をきっかけに、1657年に架橋された両国橋。現在よりは少し下流だったそうです。現在の橋は1932年に建てられたもので、言問橋同様、ゲルバー式という方式の橋だそうです。親柱に大きな石の球体が乗っているのですが、これが単なるデザインなのか何か意味があるのかは分かりませんでした。
両国橋 名所・史跡
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両国橋から東日本橋駅方面へ徒歩5分ほどのところに矢ノ庫稲荷神社があります。江戸時代は近隣に幕府の米蔵が建っていたことから、この辺りが谷野蔵・矢之倉と呼ばれていたそうです。この倉の鎮神として建てられたのがここ矢ノ庫稲荷神社です。四角い建物と建物間に鎮座している都心らしい様子のお稲荷さんです。
矢ノ庫稲荷神社 寺・神社・教会
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東日本橋駅近く、横山町は日光・奥州道中沿いにあり、江戸初期には南に「浅草御堂」があったことから、江戸有数の商業地として発展した場所だそうです。明治時代以降は、隣接する馬喰町とともに、特に衣料品の問屋街として発展し、現在も多くの繊維問屋が軒を連ねています。今回は日が暮れ始めてから訪れたので大分ひっそりしていました。行くなら午前中がお勧めです。
横山町問屋街 名所・史跡
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東日本橋駅から徒歩8分ほどのところにある神社です。訪れた時は周囲は暗くなっていたのですが、お社には灯りがともされていて、参拝することができました。江戸時代よりこの付近に竹やぶが多く、竹職人の町ともいわれていたそうで、竹藪にちなんで竹森神社としたと言われています。案内板によると新橋の烏森神社同様ご神体を伏見稲荷からもらい受けた江戸七森の一つだとそうです。
竹森神社 寺・神社・教会
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例大祭の案内のイラストも素敵でした。
竹森神社 寺・神社・教会
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