![2024年元日の午後は、ウランバートルの観光です。一番重要なスフバートル広場は、カウントダウンの時に行ったからか割愛されていました。訪れたのは、ガンダン寺とボクドハーン宮殿博物館です。モンゴルではチベット仏教が復活しています。日本人と同様に無宗教と標榜する人の多いモンゴルですが、人民革命の折りの旗頭が活仏だったように、民衆の心の中にはチベット仏教が根付いています。中国から独立した後、市内には多くの寺院が建てられました。広い伽藍の中には色鮮やかなお堂やストゥーパがたくさん点在しています。ボクドハーン宮殿は、最後の活仏の住んだ冬の宮殿がそのまま博物館になっています。往時の暮らしぶりが見られる興味深い建物です。<br /> それまでまったく興味のなかったモンゴルでしたが、「VIVANT」を見て、ロケ地巡りをしたいという訳でもないのに、心のパイプが繋がりました。「極寒体験」の文字と、最低平均気温が-25℃という数字が興味を掻き立てました。行ってみて良かったです。久々に全身でおもしろかったです。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/88/36/650x_11883605.jpg?updated_at=1707573654)
2023/12/29 - 2024/01/02
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2024年元日の午後は、ウランバートルの観光です。一番重要なスフバートル広場は、カウントダウンの時に行ったからか割愛されていました。訪れたのは、ガンダン寺とボクドハーン宮殿博物館です。モンゴルではチベット仏教が復活しています。日本人と同様に無宗教と標榜する人の多いモンゴルですが、人民革命の折りの旗頭が活仏だったように、民衆の心の中にはチベット仏教が根付いています。中国から独立した後、市内には多くの寺院が建てられました。広い伽藍の中には色鮮やかなお堂やストゥーパがたくさん点在しています。ボクドハーン宮殿は、最後の活仏の住んだ冬の宮殿がそのまま博物館になっています。往時の暮らしぶりが見られる興味深い建物です。
それまでまったく興味のなかったモンゴルでしたが、「VIVANT」を見て、ロケ地巡りをしたいという訳でもないのに、心のパイプが繋がりました。「極寒体験」の文字と、最低平均気温が-25℃という数字が興味を掻き立てました。行ってみて良かったです。久々に全身でおもしろかったです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通手段
- 観光バス 飛行機
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
「初日の出特別列車」を降りて、コーカサス料理の昼食を摂りにレストランへ行きました。しかし、悲しいかな寝不足がここに来て頭痛となり、バスの中で休んでいることにしました。列車の中で、サンドイッチを2つも食べたのでお腹は減りません。みんなよく食べられるなあ。
レストランからボクドハーン宮殿博物館に向かっています。途中、「平和橋」を渡りました。ウランバートルの真ん中を東西に川が流れています。その川に沿って鉄道が敷かれ、市内は南北に分断されています。ここに3つの大きな橋があり、西側の全長262mの太陽橋は日本のODAで建設されました。
2012年(平成24)10月17日に開通したモンゴル最大の鋼鉄製橋梁は、日出づる国日本からのプレゼント、ということで太陽橋と命名されました。極寒期は工事が出来ない分、夜9時まで明るい夏に挽回したそうです。また、橋の部材は輸送用の道路がないことはわかっていたので、日本で製作して鉄道で運びました。10~20tという重さの橋桁を運ばなくてはならず、場合によっては3カ月もかかったそうです。 -
観光バスの中です。何故か窓の上の方には刺しゅうを施した幕が張られ、窓ガラスには内側にビニールシートが貼ってあります。簡易型二重窓なのですが、ご覧のように車窓は著しく犠牲になっています。明るい昼間だけ、なんとか見ることが出来ます。これも日本の技術で何とかならないかなあ。そう言えば、大型バスは日本車がまったくありませんでした。乗用車はプリウスがあんなに走っているのになあ。
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交差点にラクダのキャラバンの像がありました。
あれ?これ見た事がある・・・「VIVANT」で映ったのかな? -
ラクダに混じって犬もいます。シルクロードを彷彿とさせる像ですね。
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ボクドハーン宮殿博物館に入る予定でしたが、何故か開館しておらず、ガンダン寺に先にやって来ました。元日なので本来なら博物館は休館日ですが、特別に開けてもらっていますとガイドさんは言っていたのですが。何事もきちっとはいかないのがモンゴルでしょうか。後で開けてね。
ガンダン寺 寺院・教会
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スフバートル広場の西1㎞程のところにあります。
首都の中心部ですから、周りはビル群に囲まれているのですが、何故か寺の周囲だけ、あばら家と言える小さな家がびっしり取り巻いています。
広い伽藍の南側から入って行き、先ずは南東部にあるお堂を拝観します。
写真の2つの小堂は中にマニ車が入っています。チベット仏教寺院で必ず見られるもので、中に経典が入っており、1回回すと1冊読んだことになります。 -
法輪を挟んで座る鹿が屋根にいます。チベット仏教のお寺の象徴です。インドで始まった仏教は、チベットを経て敦煌、モンゴルへと伝播されて行きました。中央の法輪は仏の教えを表し、両脇の鹿は釈迦が「初転法輪(初めての説法)」を行った場所が鹿の多い場所を意味する鹿野苑(サルナート)だったので、説法を聴く鹿の姿がシンボルとなりました。
鹿野苑と聞くと「鹿苑寺(金閣寺)」を連想しますが、北山文化を発展させた足利義満の法号が「鹿苑院」だったことから名付けられたのだそうです。てっきり鹿野苑の転用かと思っていました。 -
螺髪ぐりぐり、目玉もぐりぐり、首が太くて、どうやって首輪を付けているのか不思議な狛犬くんです。日本の狛犬は鞠と仔犬を足で抑え込んでいるのが一般的で、拝殿に向かって右側に口を開けている「阿(あ)形」、左側に口を閉じている「吽(うん)形」となっているのが基本形です。モンゴルの狛犬は鞠はありましたが、もう一方は何も押さえていませんでした。そして両方「吽形」です。そもそも日本の狛犬は首輪はしてません。
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僧たちが歩いて行きました。装束はラマ僧と同様です。靴が大きなモンゴル・ブーツなのが目立ちます。ダウンコートなんて着てはいけないんだろうけど、寒いよね。
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新しいお寺なので、彫刻は少なく、専ら木に直接絵を描いています。
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門をくぐって小堂の敷地に入って行きます。ここが一番雪があった気がします。吹き溜まりになるのと、寺の関係者が整備するので、雪の塊が出来るからでしょうか。
快晴の空に雪が綺麗です。日本ならこの太陽で雪が解けるのですが(北海道などは除外)、常に-10℃以下のモンゴルではパサパサの雪が固まっています。 -
小堂の先から出て、先に進むと、真っ黄色に塗られた平べったい御堂がありました。なんと上の階につながる階段が玄関脇の外に、屋根の上を歩く形であります。うわ!登りたい!!もちろん、近付くことも出来ませんでした。あの建物は何だったんだろう。
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黄色い御堂の横にも小堂があります。入口に刺しゅうを施した垂れ幕と、上に経典の一部を掲載したと思われる扁額があるのは同じです。
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垂れ幕の刺繍は、おもしろい絵柄です。白象の上に猿が座り、兎を抱え、その上に鳥がいます。これは「親睦四瑞(トゥンパ・プンシ)」というお釈迦様の前世の説話「ジャータカ」に載っている話で、4種の動物が助け合って木の実を食べた事を表しています。
日本では「ジャータカ」の有名な逸話は「捨身飼虎(しゃしんしこ)」ですね。飢えた虎の子のために、釈迦が崖から飛び降りて自らの身体を食べさせたという話です。法隆寺の「玉虫厨子」に描かれていることで、良く知られています。 -
扁額に書いてあるのは、ひょっとしてチベット文字かな?
モンゴルは旧ソ連に占領された時に、キリル文字を使うように強制されました。それが現在まで残っていますが、再びモンゴルの縦書きの文字を復活させようと運動しています。 -
屋根の上の鳩が、目一杯、羽毛を膨らませて佇んでいます。風も無く穏やかな晴天なので、絶好のひなたぼっこですね。このガンダン寺の前の広場には、ものすごい数の鳩がいました。お寺で保護されているのか、参拝者が餌をやるのでしょう。
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お香をたく大鉢の上に燈籠を乗せたようなおもしろい形です。
六角形の面には、モンゴルの立て文字が見られます。 -
これ、何だと思います?ガイドさんに説明されるまで、目にも止まらなかったのですが、チベット仏教の参拝者が「五体投地」をする時に使うものだそうです。参道の石畳などで五体投地をしている人は見ますが、専用の板は初めて見ました。
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先程、垂れ幕の刺繍で見た「親睦四瑞」です。
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五体投地の板の先にあるお堂。雪除けなのか、上の方だけガラス張りになっています。
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そのガラス窓の下には、マニ車がずらっと並んでいます。無骨な真鍮製?のマニ車には、獣の顔が描かれています。魔除けでしょう。
カンボジアの寺院には、カーラとマカラというユーモラスな神獣があちこちにいます。アジアの寺院はヒンズーであれ、仏教であれ、相通じるものがあります。 -
お堂の中には仏像とストゥーパが安置されています。が、近寄れないので、ガラスの反射で見えません。おまけにツアーは、ここは通過。ちょっと待って。
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お堂の壁には、仏画が描かれています。もっと見たいなあ。
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お堂の前には寄進されたものなのか、新しい石像が並んでいます。
モンゴルのお寺について調べていたところ、ある旅行会社のHPにゴビ砂漠のハマリン寺院についての記事がありました。鉄道駅のあるサインシャンダの街から、ゴビ砂漠の中を40㎞走るとダンザンラブジャーが建立したハマリン寺院があります。巨大な寺院をゲルが取り巻いています。舗装道路が整備されたことから、ウランバートルからなんとか日帰りできるようになり、参拝するモンゴル人が増えているそうです。おもしろそうな場所です。近年、モンゴル人の仏教に対する熱意が高まっていて、お寺が発展しているそうです。 -
「親睦四瑞」の垂れ幕のあったお堂を振り返ります。
見事な寺院建築です。緑の陶器の屋根が綺麗です。全体的に中国風ですね。もっと見たいのに、ああツアーはもういない。 -
ツアーが目指すのは、あの建物です。ガンダン寺はモンゴル最大級の仏教寺院です。5,000人もの僧侶が修行しているそうです。
20世紀には社会主義政権による弾圧により閉鎖される仏教寺院が殆どでしたが、ガンダン寺は国内唯一の寺院として存続を許されていました。1921年の人民革命後にはチベット仏教復興の拠点となり、ダライ・ラマの訪問も受けるなど、モンゴルにおけるチベット仏教の中心としての機能を発揮しています。ガンダン寺 寺院・教会
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本堂までの参道には白い綺麗なストゥーパが左右対称に置かれています。ストゥーパには、カラフルな布が巻かれています。タルチョの代わりかしら?チベット仏教では、布にお経が書かれたタルチョをロープに繋げて、それがはためく度にお経を読んだことになり、ご利益が広まると考えられています。チベット仏教圏では、当たり前の風景ですが、不思議なことにモンゴルでは見掛けませんでした。
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中心のストゥーパを小さなストゥーパが囲んでいます。その1つ1つに結跏趺坐の仏像が安置されています。1段1段に雪が積もっていて可愛いです。
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本堂の西側には、現代風な建物がありました。社務所かな?
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東側には黄色い寺院会館?規模が大きい寺なので、事務所も必要です。
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ストゥーパたちは皆、南を向いていて、仏像も南にだけあります。後の3辺には、様々な神獣を描いてあります。
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近くの小屋の扉の中には、無数の燈明がありました。
あそこには何が安置されているんだろう。ああ、見たい。行きたい。 -
おや、色付きのストゥーパがありました。形も少し違うので、寄進者の好みかな?
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では、本堂に入ります。ガンダン寺の正式名称はガンダン・テクチェンリン寺。モンゴル語の発音なので、表記には様々あります。
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扉には、柱によく噛み付いている神獣の彫刻が嵌められています。
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モンゴル文字が彫り込まれた金色に輝くマニ車に出迎えられます。
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そのマニ車の向こうに見えるのが、本尊のグジェド・ジャンライシグ観音像です。
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本尊の足元には、奉納された仏像が並んでいます。その仏像は両手で何かを持っています。壺のようですが、その上の部分だけ緑色です。ブロッコリーのように見えます。また、右端の柱には「スリに注意」のステッカーが貼られています。悲しいなあ。
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種々雑多な奉納品が並んでいるのは、どこの寺も一緒です。
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それらを奉られているのが、グジェド・ジャンライシグ観音像です。
26.5mの立像は迫力があります。観音像は1911年に作られました。しかし、1938年に旧ソ連の「廃仏毀釈」政策によって破壊されてしまいました。1996年に多くの寄付金により再建されました。二代目の観音像は、ウランバートルの西にあるエルデネット鉱山産出の銅を使用し金箔を貼った美しい仏像です。 -
4本の腕を持つ、ちょっと珍しい(大抵は6本だったり、千本だったり)観音像です。
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右腕には水差しを持ち、
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左腕には鏡を持っています。
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日本の観音様は割とぞろっとした衣装ですが、こちらはモンゴル衣装の影響で、上着の裾はお尻までになっています。まさかモンゴル・ブーツは履いていないよね。
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向かって右側の脇侍。ヤマと呼ばれる閻魔大王です。
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天井から吊り下げられている飾り物。
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舞台小屋のような造りの木造で、朱塗りになっています。日本の寺と比較するとなんとなく安普請(やすぶしん)に見えます。これは、モンゴルでは大木が貴重だということが影響しているのかも知れません。天井には法輪が掲げられています。
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奉納品の仏像は、売店で販売しているのでしょうね。見事にどれも同じ物です。
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ダライ・ラマ14世の写真がありました。
2016年11月19日にダライ・ラマ14世は、ウランバートルを訪問しました。中国はダライ・ラマ14世のモンゴル訪問を阻止しようとし、それに失敗するとモンゴルから輸入する鉱物に高関税を課し、決まっていた元(げん)借款を凍結するなど厳しい制裁を発動しました。中国からの圧力に対抗するため、モンゴルはインドに接近する政策を取り始めました。 -
2023年3月8日、インドのダラムサラで8歳の少年が灌頂(かんじょう)という儀式に参加しました。少年はウランバートル在住で、「ジェブツンダンバ」の転生であるとダライ・ラマ14世に認定されたという東京新聞の記事を見つけました。以下は抜粋です。
「ジェブツンダンバ(モンゴルでの尊称はボグド・ゲゲン)は約400年前から転生が続き、8世は1911年に清から独立したモンゴルの君主でもあった。1924年の8世死去後、社会主義国となったモンゴルでは宗教が弾圧されたため、1932年にチベットのラサで生まれた9世の転生は秘密にされた。チベットやダラムサラで人生の大半を過ごした9世の存在が公表されたのは、モンゴルが民主化された後の91年。8世も9世(2012年死去)も民族はチベット人。」
「少年の祖母は元国会議員で鉱山会社の創業者。母はこの会社の経営トップであり、父はモンゴル国立大で数学を教える。ジェブツンダンバ10世は大富豪の家庭出身。少年は学校に通いつつ、放課後などに僧院で仏教の修行に励む。
18歳になった時点でジェブツンダンバ10世として生きるかを本人に選択させるという。10世の道を選べば、ダライ・ラマ14世のようにチベット仏教界を束ねる存在になることが期待される。(中略)10世の少年は双子であり、兄弟のどちらが10世かは未公表だ。米国生まれで米国籍も持つ。」このため、中国国内で別の高僧の転生とされた少年が行方不明になったようなことは、ある程度防げるのかも知れません。 -
バター彫刻のお飾りを模したもの。チベット仏教の祭壇には必ず奉納されていますが、それを作る技術がモンゴルには伝えられていないのか、実物は見掛けませんでした。(バターはたくさんありそうだけどねえ)
中国北西部、甘粛省にある拉卜楞(ラプラン)寺で2023年2月に、年に一度の「バター彫刻展」が開催されたそうです。2006年に中国国家級無形文化遺産に登録されました。バター彫刻は、ヤクのバターに鉱物顔料を混ぜ込んで作りますが、彫刻展が終わると、潰して保管され、来年また再利用するのだと中国メディアの記事にありました。え・・っと~~~本当???毎年同じバターを使うの?
因みにNYのお祭りに展示された350㎏のバター彫刻は、他の食品廃棄物と合わせ、農場の消化槽で分解して電気エネルギーへと変換されているのだそうです。こちらの方法なら現実的。 -
観音像の左の脇侍(わきじ)。本尊も悪くないけれど、こちらの脇侍には、何故か惹きつけられました。造りは大振りで繊細な感じはなく、うっとりする程美人でもない。それなのに引力がありました。それを魅力と言うのかもしれません。そもそも何菩薩?観音菩薩は、日本では阿弥陀如来の脇侍です。この仏像は脇侍とは言わないのかな。
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存在感なら、もちろん観音像の方なのに、どうしてこっちが気に入ったのかなあ。モンゴルの仏教寺院なんて、大して期待してはいませんでした。しかし、前以て画像を見てみたら、チベット仏教の寺院じゃないですか。びっくりしました。モンゴルって、あまり宗教色がないから。そこで、インパクトのある観音像の顔を表紙にしました。モンゴルで、え、これ?と思ってもらいたいので。
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お気に入りの脇侍の影に隠れるように、タンカ(仏画)がありました。おお、これはターラー女神?と思ったのですが、何故か膝の上に二人の子供を抱えています。片方は、あのブロッコリーを持っています。これは何だろう???
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こうして撮ると、観音菩薩が手にした水差しから、脇侍に何かが垂れて来ているように見えます。だから引力(魅力)が強いのかな?
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観音菩薩の周り3辺は、小さな仏像で埋め尽くされています。
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どの仏像も黄色い衣を着せかけられています。
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冠が髪の毛のように流れ落ちていて、女性のように見えます。
それぞれ、ちょっとずつ顔が違うみたい。 -
観音像の背後は、マニ車が並んでいました。
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そして一番後ろの壁も仏像がいっぱい。チベット仏教の寺院では、経典がたくさん置かれていることが多いです。モンゴルはソ連や中国にそれらを奪われてしまったのでしょう。
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この観音菩薩には光背(こうはい)が無いので、背中がスッキリ見えます。
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これらの仏像をもう少し、じっくり見たかったのですが、みんなスタスタ行っちゃった。モンゴルに仏像ファンは、普通来ないか。もったいないなあ。
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次に向かったのは、少し道を戻った西側にある新しい鉄骨の建物です。本来は1階から中に入れるのですが閉まっていて、外階段から2階に上がって来ました。元日だからなのか、通常とは違うことがチラホラ。
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さしずめ「大講堂」と言ったところでしょうか。新しい金ぴかの仏像がずらっと並んでいます。
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ここにダライ・ラマ14世が御座(おわし)ます。これほど尊敬を集めているダライ・ラマ14世も、御年88歳。今後が心配されます。
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壁にはタンカ(仏画)が並んでいます。
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仏たちは、密教独特の異形の衆です。腕が多数、額に第三の目があります。
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僧侶に占いをしてもらっている人がいます。おみくじなんかじゃダメなのね。
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屋内に金ぴかのストゥーパがありました。チベットのポタラ宮殿には、歴代ラマ(法王)たちのストゥーパがずらっとありました。
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ターラー女神のタンカに、歓喜仏。
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チベット仏教の仏は、額と両手の平に目を持っていますが、これほどハッキリ現わされているのは珍しいです。何故かおちょぼ口。
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本尊は、光背から須弥壇まですべて派手な仏像です。
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これだけ豪華絢爛な光背は滅多にないでしょう。日本でも化仏や仏塔がくっついている光背はありますが、こんなに登場人物が多いのは興味深いですね。
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千手千眼観音というのでしょうか。
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釈迦牟尼仏。さすがに衣装は質素ですが、光背は人物や動物が占めています。背後の壁には弟子たちが描かれています。
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こちらは歓喜仏。虎の皮の腰巻をして、ドクロを下げています。
チベット仏教では、白いドクロがたくさん登場します。お祭りで披露される踊りにも、骸骨が登場したりします。モンゴルでは昔から鳥葬が行われて来ました。3日で白骨になっていれば、生前の行いが良くて成仏すると言われます。骸骨に対する考え方は、火葬にしてしまう私達とは違うのかもしれません。 -
ターラー女神は、この世を救い切れない事を悲しんだ観音菩薩さまの涙から生まれた女神さまだそうです。涙は1粒だけではないので、ターラー女神はたくさんいます。人気があるのが白ターラーで、他に緑もいます。それぞれ違う色で表されるのだそうです。
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ヤマと呼ばれる閻魔様。
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珍しい玻璃(はり)で出来た仏塔。
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よくわからないけど、お金がいっぱい。どこから入れたんだろう。
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これが、昨年ダライ・ラマ14世によって認定されたジェブツンダンバ10世です。18歳になった時に、彼は何を選ぶのでしょうか。アメリカに逃げるか、モンゴルのダライ・ラマとなるのか。過酷な人生が待っています。
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ガンダン寺の見学を終え、今度こそボクドハーン宮殿博物館に入りました。
ボグドハーン宮殿博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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正式な門の手前に上部だけが立派な簡易門があります。
少しは雪が解けたのか、氷柱が出来ています。 -
外敵を防ぐ石壁には、見事な彫刻が施されています。
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ボグド・ハーン宮殿は、1893~1903年に建設されたモンゴル最後の王
ジェブツンダンバ(モンゴルでの尊称はボグド・ゲゲン)8世の冬の宮殿でした。 -
屋根の先端に動物がいますが、中国ではこれの数が多い程位が高いとされています。この屋根は、3~4頭ずつすべての段にいます。そして法輪と鹿も。
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門扉には、仁王像のような壁画。
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仁王像の上には、精巧な絵画が。これはなかなかいいです。
上から筆の先のようなものが、いくつも垂れ下がっていますが、これは蓮の蕾だと思います。インドのラダックの寺院でも見られました。 -
さすがに門飾りも立派です。
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門から先は撮影ができなくなるので、手前から撮っておきます。
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これまでで最も精密で美しい装飾です。ここから先、写真が撮れなくなるのは残念です。ここは、博物館になっているので、8世のコレクションをはじめ、贈答品、仏教関係の芸術品などが展示されています。モンゴルでは数少ない美術品を見られる場所です。
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竜頭蛇尾。甚だみっともないボクドハーン宮殿博物館の項ですが、ご勘弁ください。
さて、ウランバートル市内で夕食です。まだ17時前なんですけどね。お昼抜いてよかった。モンゴル風しゃぶしゃぶです。 -
1月2日。朝5時にホテルを出発して空港にやって来ました。
8時発のアエロモンゴリアです。まあ、このツアーは夜更かしと早起きをこなさなくてはならないので、結構たいへんです。直行便で6時間程度なのが救いです。
チンギスハーン国際空港は、日本の有償資金協力で建設され、2021年7月に開港しました。日本企業四社(三菱商事、成田空港、日本空港ビルデング及びJALUX)とモンゴル企業の合弁により設立されたNew Ulaanbaatar International Airport LLC.により運営管理されています。
日本とモンゴルは、1972年2月24日に外交関係を樹立し、2022年には50周年を迎えました。 -
夜明け前のチンギス・ハーン空港を飛び立ちます。
最後のVIVA撮影です。この空港は、第6話で乃木が到着した成田空港の場面を撮影しています。新庄が階上から乃木を見下ろしていたのは、じつはチンギス・ハーン空港だったのです。
また、砂漠を渡って日本に向かった空港は、このチンギス・ハーン空港の前に使用していたボヤント・オハー空港です。今は国内専用空港になっています。MIATモンゴル航空の協力により、空港を貸し切って撮影したそうです。第5話で、野崎が到着したのもボヤント・オハー空港です。 -
黒須が山本を連れてきた浜松空港は、チンギスハーン国際空港のモンゴル・エズニス航空( Eznis Airways)の格納庫で撮影されました。モンゴルなので本物の飛行機がある場所で撮影が出来たというトークがありました。
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最後のアエロモンゴリアの機内食です。
飛行機の中のシーンはアエロモンゴリアの実際の機体で撮影されました。
最近の特にヨーロッパ路線は、機内食がしょぼくれていますが、アエロモンゴリアはコロナ前の水準で良かったです。ただ、座席に画面がなく、電源も無かったのが悲しかったです。成田到着は30分以上遅れました。西から日本に飛んで行く飛行機が遅れるのは、あまりない事なのですが、アエロモンゴリアは行きも帰りも遅れていました。
「VIVANT」を見なければ、訪れることがなかったかもしれないモンゴルです。慌ただしい5日間のツアーでしたが、予想以上に楽しめました。やっぱり断然冬が楽しいと思います。冬だったからこそ楽しかった。そういう旅でした。
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