![草原の地、モンゴルに行ってきました。<br />ユーラシア大陸のほぼ真ん中に位置し、紀元前から多くの民族の攻防がなされた地です。<br />史跡を中心に見つつ、広い広いモンゴルを実感しました。<br />表紙写真は、ご存知、チンギスハーン(1162-1227)で、スフバートル広場(中国でいえば天安門広場のような場所)の前にある国会議事堂正門前に堂々鎮座されています。モンゴルといえば、チンギスハーンを思い浮かべますが、それ以前にも多くの民族~トルコ系、イラン系、チベット系、ウイグル系、モンゴル系、女真系、オイラート系、、、と様々な民族が駆け巡った大地です。<br />その足跡の一部を辿る旅です。<br /><br />【日程】<br />6月22日(土)関空ーウランバートル<br />6月23日(日)ウランバートル東南50㎞にあるトニュクク遺跡→ウランバートル市内博物館3か所<br />6月24日(月)ウランバートル→ハラホリン(カラコルム) ハラホリン博物館→エルデニー・ゾー→メルヒントルゴイ<br />6月25日(火)ハラホリン→ハルバルカス→オルホン河畔(ツァイダ博物館・ビルゲカガン碑文・キョルテギン碑文)→ハラホリン→ウランバートル<br />6月26日(水)ウランバートル市内・スフバートル広場→ノミンデパート→カシミヤ売店→チンギスハーン国際航空→関空<br />](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/91/35/650x_11913543.jpg?updated_at=1721638457)
2024/06/22 - 2024/06/26
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akitaineさん
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草原の地、モンゴルに行ってきました。
ユーラシア大陸のほぼ真ん中に位置し、紀元前から多くの民族の攻防がなされた地です。
史跡を中心に見つつ、広い広いモンゴルを実感しました。
表紙写真は、ご存知、チンギスハーン(1162-1227)で、スフバートル広場(中国でいえば天安門広場のような場所)の前にある国会議事堂正門前に堂々鎮座されています。モンゴルといえば、チンギスハーンを思い浮かべますが、それ以前にも多くの民族~トルコ系、イラン系、チベット系、ウイグル系、モンゴル系、女真系、オイラート系、、、と様々な民族が駆け巡った大地です。
その足跡の一部を辿る旅です。
【日程】
6月22日(土)関空ーウランバートル
6月23日(日)ウランバートル東南50㎞にあるトニュクク遺跡→ウランバートル市内博物館3か所
6月24日(月)ウランバートル→ハラホリン(カラコルム) ハラホリン博物館→エルデニー・ゾー→メルヒントルゴイ
6月25日(火)ハラホリン→ハルバルカス→オルホン河畔(ツァイダ博物館・ビルゲカガン碑文・キョルテギン碑文)→ハラホリン→ウランバートル
6月26日(水)ウランバートル市内・スフバートル広場→ノミンデパート→カシミヤ売店→チンギスハーン国際航空→関空
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ミアットモンゴル航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
関空からはウランバートル行直行便があります。MIATモンゴル航空でウランバートル行です。19:55発。現地は、日本より1時間遅い。23:35着。空港から市内まで50㎞くらい離れているので、ホテルに着くのは日を越してからになりました。
おまけに、ホテルに着いてまもなく部屋でくつろいでいたら停電!
お風呂に入っていました。暗闇で身支度して早々に就寝しましたが、よく眠れなかった。
明日が思いやられる。。。 -
翌日は、快晴。前日まで雨が降っていたようです。
この時期のモンゴルは朝は10度以下、昼は25度を超えることもあると聞いていたので、身構えていましたが、車窓の景色は爽やかな初夏の様子です。
ウランバートルは周囲を小高い山に囲まれた盆地。標高1350m。すでにちょっと高原。首都として高層ビルや近代的な建物が並んでいましたが、少し街を離れると、なだらかな山と草原の景色が続きました。 -
列車が見えます!モンゴル縦貫鉄道(シベリア鉄道)です。
北京ーウランバートルーモスクワを結ぶ鉄道です。ロシア国内に入ると、バイカル湖近くでシベリア鉄道に合流します。
大陸を走るシベリア鉄道、かなり前から興味を持っていました。広い大陸を超えてヨーロッパに行ってみたい。
ちなみに、本来のシベリア鉄道は、ウラジオストクーモスクワ間9,289㎞、北京ーモスクワ7,865㎞。北京からウランバートル経由の鉄道がモスクワ行最短ルートです。 -
本日の最初の訪問地は、ウランバートルから東南50㎞にあるツァガン・オボー遺跡にある突厥第二帝国(682-774)宰相であったトニュククの碑文です。
トニュククは前二代の皇帝および三代目のビルゲに仕え、老獪な政治家といわれています。
約1時間ほどで、到着。ほとんど何もない草原にポツンと建物が建っていました。現在、碑文は、この建物の中に保管されています。 -
建物内部。石像などが並んでいますが、簡易作業所のような建物です。
当初、碑文は立った状態でしたが、保管庫の中では横置きにされていました。左側。 -
建物に収納される前の写真。
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これが突厥文字で書かれた石碑の碑文。
研究により突厥文字は古代トルコ語であることが判明しました。
かつて東ユーラシアの覇者であった突厥人は、現在は西方でトルコやトルキメニスタンといった諸国のルーツと言えます。
これから2日後に行くオルホン河畔のビルゲ兄弟の碑文の前に作られた碑文であり、世界で初めて遊牧民族である突厥の文字で刻まれたこれら碑文は歴史的に大きな意味を持っています。 -
石像。頭がないのは、後世の別の民族が否定的に切り取ったのではないか、と参加者からの声。
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建物の隣でゲルの作成中。周囲を覆うフェルトが地面に干されていました。
遺跡を管理する作業員の宿舎だそうです。
ベッド、テーブル、ストーブ、排水シンクもありました。
この遺跡は、トルコ政府の援助の下整備されています。
ご先祖様だものね。 -
草原は、どこまでも平で広い。標高1512m。
草が香る。ハーブのような匂いがします。
エーデルワイスも咲いていました。山の中でしか見たことなかったのですが。
この旅行中、草原をたくさん歩き、常に高山植物や香草に出会うことになりました。 -
バスの車窓から山を見る。
山頂に雪が残っています。ウランバートルは国連加盟国中、最も寒い首都といわれています。冬はどんなだろうか。 -
のっけから、草原の中にある突厥石碑の洗礼を受け、ぐっと異文化世界に入り込み、静かな興奮を覚えました。
再びバスに乗り込み、ウランバートル市内に戻ります。
大きな川はトール川。昨夜からの雨で川は氾濫状態でした。リゾート施設が水没していました。晴れると水嵩が余計増える。山の永久凍土が溶けるからだそうです。日本では考えられない状況です。 -
市内に戻り、モンゴル国立歴史民俗博物館を見学。
石器時代から現代に至る歴史物が展示されていました。 -
博物館内の展示物
突厥時代 金のベルト部品。
ベルトをするのは男性と決まっていました。 -
モンゴル時代の王と王妃の服装
王妃の頭に載る高い飾りが特徴的。
現在でも民族舞踊で頭に同様な飾りをつけて踊ることがある。 -
嗅ぎタバコの壜。
17世紀中頃以降、遊牧民の間で社交の挨拶として広まりました。
「よう、久しぶり。ちょっと一服」という感じですか。 -
ここで昼食。スフバートル広場隣の近代的なビルの中にある立派なレストランでステーキをいただきました。
大きな青い皿の黒い肉がステーキ。ちょっと固かった。問題は、その右にある白いもの。
これは骨を半分に割ったもので、中にあるのは髄と思われます。スプーンですくって食べました。味付けしてあり、コラーゲンたっぷり。牧畜王国ですね。美味しかったです。 -
さて、次は2022年に日本の援助もあり建設されたチンギスハーン博物館です。
威風堂々たる建物は写真ばえするためか、結婚記念写真を撮っている場面に遭遇。絵になりますものね。 -
入口ドアの取っ手は、古代遺跡にもあった金の鹿をモチーフに使っています。
古代草原の地に住んでいた人々は、鹿を神聖な生き物と考えていました。美しいデザイン。
モンゴル人は祖先を「蒼き狼」と「雌鹿」する神話があります。
博物館内にも、青銅器時代の死者と弔うモニュメントとして「鹿石」が残っています。次にご披露します。 -
チンギスハーン博物館は9階建てで、年代的に古いものから階を上がるごとに年代も上がってきます。
鹿石(青銅器時代)
古来モンゴル平原の人は、鹿を神聖な生き物と崇め、死者の側にこのような鹿石を立てました。中には人の顔を一緒に彫ったものもあります。 -
これも鹿石。鹿の図が芸術的にデフォルメされたデザインが見事です。
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ビルゲ可汗の王冠。
ビルゲは、突厥第二帝国の3番目の王で(在位716-734)唐から大いに恐れられた人です。
今回は、ハラホリン近くでビルゲの碑文を見ます。 -
本日最後の訪問地、ボグドハーン宮殿博物館です。
何やらお寺のような建物が見えます。
ボグドハーン宮殿博物館は、1893年から1903年まで第8代ジェプツンダンバ・ホトグト(略称ボグドハーン)8世のための冬の宮殿として建てられました。
ボグトハーンは活仏でありチベット人でしたが、清朝支配下からモンゴルの独立皇帝として擁立されました。王であり僧でもあったわけです。
その後、ロシア支配下に下った後、再度ボグトハーンは君主として、ソビエト連邦の強い影響下で立憲君主国として国家運営が行われましたが、ボグトハーン死後は、モンゴル人民共和国として社会主義国となりました。
ソビエト連邦崩壊に合わせ、モンゴルも社会主義を放棄しました。1990年のことです。 -
そんな歴史を考えながら建物を見ると余計面白い。
チベット仏教寺院です。 -
入口の扉の絵が珍しい。
-
寺院の横に建つ白い洋風の建物が冬の宮殿。
ロシアの力により建ててもらったそうです。
当初、あまりにもロシア風で、清が気を悪くしたようなので、建物屋根の下に中国風の絵を描いて清の気をなだめたとか。
大国に挟まれた国は、あちこち気を遣ってたいへん、、、。
まだ明るい青空。この写真を撮影した時間は午後7時を回っていました。緯度が高いモンゴルの夏、夜は短いのだな。
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