2023/12/29 - 2024/01/02
77位(同エリア104件中)
ミズ旅撮る人さん
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まさか自分がモンゴルに行く事があるとは思ってもみませんでした。
大草原や遊牧民に興味がなかったので、旅行先の対象にはなりませんでした。
ところが、極寒のモンゴルでの年越ツアーを見つけ、頭にドラマ「VIVANT」の曲が流れて来ました。
あ、行きたい。そう思った人は少なくなかったようで、日程をずらして3種類のツアーがありましたが、総勢170名という巨大なプロジェクトになりました。5日間コースは、12/29に出発し、2日目はテレルジ国立公園に行き極寒体験、3日目はホスタイ国立公園に行き、希少な馬タヒを見て、一旦ホテルに戻った後、カウントダウンの花火を見に出掛けます。そして元旦には「初日の出列車」に乗車して初日の出を鑑賞。ウランバートルの簡単な観光とノミンデパートでの買い物。5日目は早朝から空港に向かって帰国です。
今回は成田からアエロモンゴリアでウランバートルに直行。翌日ウランバートルの北東70㎞にあるテレルジ国立公園に行きました。公園の手前にある巨大なチンギス・ハーン騎馬像に入って、博物館も見学。馬のたてがみ部分にある階段を上って、馬の頭の展望台から見渡す景色は、幻想的な雪景色。ああ、冬に来て良かったなと心底思える眺めでした。日本の冬景色とは全然違います。
モンゴルは1,000m以上の高地にあるので、ものすごく乾燥しています。それがこんな風に景色に影響するのです。雪が少なくて、気温だけが低い(常時-10℃以下)。それは意外にも、過ごしやすい環境でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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成田空港14:30発のアエロモンゴリアは、ウランバートルから13:30に飛んで来て、とんぼ返りする便です。
機体は小さなA319-112の3-3シート。最後尾は24番です。 -
その飛行機が成田に姿を見せたのは、既に私達の出発時刻を過ぎた頃でした。当然、出発は1時間遅れ。既にモンゴル時間が始まっていました。
この年末年始コースは4日・5日・6日間に分かれて募集され、5・6日間コースは29日出発。4日間コースは大晦日の出発です。5日間コースはアエロモンゴリア利用ですが、6日間コースはミアットモンゴル利用です。ミアットはアエロより1時間遅い出発でしたが、一緒になってしまいました。果たしてミアットは定刻に飛んだのでしょうか?ウランバートル空港では、見掛けませんでした。 -
3つのコースの中で唯一アエロモンゴリア利用なのが、この5日間コース。「VIVANT」で日本との往来に使っていたのがアエロモンゴリアです。これ、記念に持って帰りたかったな。
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アエロモンゴリアの機内食です。5時間余のフライトなので、食事はこれ1回です。最近あまり聞かれなくなった「チキンorビーフ」の声が懐かしかったです。どちらも和テイストの味付けで、まずまずのお味でした。
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ウランバートル空港は、中心街とは1時間程離れており、雪道なのと市街地の交通渋滞のため、もう少し時間が掛かります。
5日・6日コースは基本的にはウランバートルの北東にあるフラワーホテル宿泊になります。モンゴル初の日系ホテルです。
上から見るとH型をしていて、真ん中にフロント、左右に宿泊棟が接続しています。5階建てで残念ながらエレベーターは各棟に1つ。スーツケースを持ったら4人までしか乗れません。3階の部屋の人は普段は階段を使っていました(4連泊です)。フラワー ホテル ホテル
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部屋は、広さ、形、バスタブの有無がそれぞれ異なりますが、私の部屋は大当たりでした。まず、ドアの脇に冷蔵庫と湯沸かしポットなどのテーブルがあり、その向こうにバスタブのある浴室。ドアの向かって右側にはクローゼットとスーツケースを置く台があります。
フラワー ホテル ホテル
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部屋の中央には広々としたリビングスペース。
テレビは各国のチャンネルが受信出来て、NHKとNHKワールドを見ることが出来ました。モンゴルと日本の時差は1時間です。かなりリアルタイムで見られます。まさかモンゴルで紅白を見られるとは。
この3日後に能登半島地震が起こるのですが、このテレビでニュースをずっと見ていました。ヨーロッパにいたらBBC放送あたりで、ちらっと見られるだけだったでしょう。フラワー ホテル ホテル
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この部屋は、なんとベッドルームが別に付いていました。なんという贅沢。
このツアーでは、1泊1万円の追加料金で、中心部に建つベストウエスタンプレミアトゥーシンホテルにランクアップすることが出来ます。4泊で4万円追加です。34名中、6名が泊まりました。
でも、フラワーホテルで十分でした。寧ろ、大満足。二間続きを見た時に「このホテルで良かったな。」と思いました。フラワー ホテル ホテル
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なにしろ日本と同じ「大浴場」まで付いているのです。規模はそれほど大きくはないですが、浴衣(無いけどバスローブなら備え付けがある)にスリッパで歩きたくなります(禁止です)。
特筆すべきは、タオル類やバスローブの生地の良さ。ずっしりと厚みがあって、しっかりしているけど硬くない。これだけの品質のタオルがあるホテルは、今時そうはありません(もちろん超高級ホテルは別ですが)。フラワー ホテル ホテル
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翌朝、日本人が大量に宿泊しているので、朝食のレストランが混むため、先に出発する5日間コース(バッチの色から緑と呼ばれます)は6時にバイキングです。予想よりも狭いレストランに、配置の悪いバイキング。一番手前にフルーツなどのデザートが並び、その向こうの一歩入らないと取れない場所にカトラリーが。う~ん、ここがウィークポイントだわね。
ホテル出発は8時なので、朝食後もゆったり。でも、日の出が8:32なので、出発時もこんなに真っ暗。しかもクリスマスツリーやデコレーションがあちこちに平然とあります。割り切りの早い日本とはここが違います。モンゴルは旧正月だから、急いでクリスマスを片付ける必要がないのでしょう。フラワー ホテル ホテル
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夜明け前に出発なので、ちょっとずつ明るくなっていくウランバートルの中心街をバスは走って行きます。
観光バスは40名乗りのちょっと小さめ。34名のツアーでは、一人参加も相席となります(最前列は添乗員・ガイド席となるため)。 -
ベストウエスタンホテルに宿泊した人をピックアップしています。
この道の突き当りが中心部のスフバートル広場です。
かつてチンギス・ハーン広場と呼ばれた所ですが、「VIVANT」のロケ地です。ここにバルカ国際銀行があり、アリさんのGFL社があり、ノコルのMURUUDUL社があります。第1話で、バルカが初めて登場した時は、この広場からドローンが飛び立ちました。ものすごく見に行きたいのですが、このツアーは夜明け前にホテルを出て、とっぷり日が暮れてから帰って来ます。唯一のウランバートル市内観光でも広場には立ち寄りません。VIVAりたいのに、暗い中、通過するだけ。ここが大きなジレンマでした。Best Western Premier Tuushin Hotel ホテル
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バスが出発しました。スフバートル広場に東側から向かっています。
正面にギリシャ風円柱の立っている建物が国会議事堂です。
画面でわかると思いますが、添乗員席の真後ろに陣取って、正面の窓から見える風景を撮影しています。日除けやワイパーなどの障害物だらけで、視界は非常に悪いのですが、このバスには寒さ対策で、すべての窓に透明の厚いビニールシートが張り付けられていて、外が見えないのです。
バスの窓ガラスだけでは、-25℃になるモンゴルでは寒さを防ぎ切れないようです。 -
昨夜、空港からこのバスに乗って、車窓が望めないことがわかり、今日は頑張って最前列を狙いました。しかし、普通に座っていたのでは前列の背もたれがあるため、前の風景が見えないのです。通路に半分身を乗り出して、身を屈めないと地面しか撮れません。冬のモンゴルでは、車窓を撮るのは至難の業です。
スフバートル広場の東辺を南に向かっています。広場が右、左がバルカ国際銀行です。 -
広場の南端で、ウランバートルを東西に突き抜ける平和通りに入り、東に向かっています。
太陽の出る東に向かっているので、明るくなりました。
この時は-20℃を下回っていたと思いますが、雪がありません。
路面に凍り付いた薄いカチカチの雪の塊だけです。これでは除雪車の必要はないでしょう。 -
昨夜、現地ガイドのブルガンさんが「モンゴル人は日本車が大好きです。プリウスが10台並んでいるのが見られますよ。」と言っていました。早速、プリウスです。
モンゴルは右側通行で、左ハンドルです。日本から中古車を輸入しているのも多いので、右ハンドルの車も見掛けました。 -
ウランバートルには、市電や地下鉄はなく、主な交通手段は路線バスと自家用車です。そのため、ウランバートルの渋滞はひどいもので、町の上に黒い帽子のようなスモッグの雲が乗っているのが見られるのだそうです。
モンゴルの人口は345万人(2022年、外務省HPより)、ウランバートルの人口は169万人で、国民の半分がウランバートルに住んでいることがわかります。因みに面積は156万平方㎞、日本の4倍です。 -
12/30土曜日なので、通勤ラッシュはそれほどではありません。
路面は氷点下なので凍ってはいるけれど、汚れた粒雪が薄っすらあるだけです。だからなのか、モンゴル流の運転は雪道とは思えない突っ込みの良さと、車間の無さが見ていて怖いです。 -
朝焼けに向かって走って行きます。ガイドさんは見事な日本語で、のべつ幕無しにモンゴル情報を話し続けます。そう言えば、空港の入国審査の係官も日本語がペラペラでびっくりしました。
モンゴルは乾燥し過ぎて、スキー場に降る雪はスキーには適さないので、人工降雪機を使っているのだそうです。パウダーという可愛いものではなくて、投げ上げるとそのまま散ってしまうような、水気のない雪です。踏むとムギュ、ムギュっと音がしますが、まったく濡れません。
ウランバートルでは交通渋滞緩和のため、ナンバープレートが偶数と奇数で、通行できる日が制限されているのだそうです。昔シンガポールでも聞きましたが、お金持ちが多いので、それぞれのナンバーの車を1台ずつ所有して毎日運転するため効果がないそうです。モンゴルはどうなのかな? -
走っている車は3台ともプリウスですね。
ウランバートルには3つの石炭火力発電所があり、そこからお湯が市内全域に供給されています。日本だと海水で冷やすけれど、モンゴルでは貴重な熱源ですね。そのお湯は、パイプを使って各戸にセントラルヒーティングを完備させています。原子力発電所は無いそうです。
ウクライナ紛争のせいで、電力が不安定になり、停電が増えたそうです。停電になると電気だけでなく、お湯も来ないため、暖房が切れてしまうのだとか。なんと断水も伴うため、市民生活はかなり深刻に厳しい状況になってしまうようです。 -
ウランバートルの東端地域に来ました。「獅子の像」を中心にロータリーになっています。
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朝焼けで色付いて行く町には、相変わらずプリウスがいっぱい。
年間降水量が300ミリしかないモンゴル。雪は水分が無いので、まるで砂浜のようになっています。
こういう路面状態での運転って、どういう感じなのでしょう?スリップしている車は見ませんでした。たまたま見なかっただけ? -
市街地を抜け、AH3という有料道路に入りました。
日の出の時間を過ぎましたが、太陽は見えません。あの雲の中のようです。 -
AH3はアジアハイウェイで、南北にロシア国境から中国国境までを結ぶ延長1,041㎞の道です。
アジアハイウェイは、他に東の中国国境から西端のホフトの町までのAH32(延長2,520㎞)と、モンゴル西部でロシア国境から中国国境を結ぶ延長725㎞のAH4があります。
国土交通省の古い資料では、2005年時点では、3つのAHは未舗装部分が72%もあったそうで、さぞかし日本のODA(政府開発援助)が活躍したことでしょう。 -
朝焼けと雪景色が美しい車窓です。頑張って最前列に来て良かった。でも、ずっと身体を通路に乗り出して、身を屈めて撮っているので、なかなかにしんどいです。バスの座席は自由席。でも、毎日前方・中間・後方で変えなければならないので、ここに座れるのは今日一日だけ。頑張って撮らなくちゃ。このバスは座席も狭くて、冬服の着ぶくれ状態で座るととにかく窮屈。ああ、日本の観光バスが懐かしい。
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おや?隣に線路がある?このツアーでは「初日の出列車」に乗るのですが、ここを通る筈です。
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あ!もしかして列車が見える?長いぞ~~~
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おお!列車が曲がって、正面から来る。すごいタイミングでここを通ったなあ。
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鉄道が好きな人でないと、この感動はわからないんでしょうね。バスの中でせっせとシャッターを切っているのは私だけ。他の席からでは(ビニールシート越しでは)見えないからね~
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この線路はシベリア鉄道が通ります。かつてはモスクワ~ウラジオストク間を1週間掛けて走る列車だけを指しましたが、現在ではドイツ、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、カザフスタン、モンゴル、中国、北朝鮮と国際列車を直通運転しています(ウクライナ紛争で変更あり)。
ウランバートルを通るのは、北京からモスクワに向かう路線で、
中国製の緑色の車体です。ロシア・モンゴルと中国・北朝鮮は線路の幅(軌間)が異なるため国境付近のザバイカリスク駅などで台車ごと交換。また、国毎に食堂車は付け替えられるそうです。 -
緑色の車体。シベリア鉄道なのかなあ?
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朝日に照らされて、遠くの山々が見えて来ました。
平たい土地が多いので、ウランバートルの市民は、山や木々が生い茂っている場所が大好きなのだとか。
冬に限らず、夏も草地はあるけれど、森林がないようです。そのため、これから訪れるテレルジ国立公園や明日行くホスタイ国立公園は人気のリゾート地なのです。 -
モンゴルの珍しい雪景色にホクホクしています。
雪が少ない上に、水分が無いので、日本の雪のような重量感がありません。風が吹くと校庭の砂のように吹き上げられて、移動して行きます。 -
ああ、この白い大地を見に来たんだなあ。しかも朝焼けの色付き。
この特別な時間を大事にしなくちゃ。 -
北海道の人なら、よく見掛ける風景かもしれません。
道路の上を雪煙がうねっています。気温が低くて乾燥しているので、雪が塊にならないのです。昔、旭川でこれを見て、すごく感動しました。 -
突然、バスを停められました。検問です。警察官がバスに乗り込んで来ました。なんと飲酒運転の検問なのだそうです。モンゴルでは飲酒運転が非常に多いので、四六時中どこかで、こうした検問があります。警察官が差し出した機器に息を吹きかけて、呼気にアルコールが検出されなければOKです。観光バスの運転手まで検査しなければならないなんて、すごい国ですね。恐ろしく寒い日々なので、おそらく強いお酒をよく飲むのでしょう。北隣のロシアからウオッカも輸入されて来ます。
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テレルジ国立公園に向かう曲り道を通過して、もう少し東に進んだところに、大きな門が現れました。
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バスを降りて小高い丘の階段を上ると、巨大なチンギス・ハーンの騎馬像があります。
チンギス ハーン像テーマパーク 文化・芸術・歴史
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高さ40mのステンレス鋼の像で、2006~2008年にかけて製造された世界一の大きさのチンギス・ハーン像です。
チンギス ハーン像テーマパーク 文化・芸術・歴史
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周囲はただただ真っ白な雪原。青く澄んだ空に下弦の月が。
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こういう時は、逆光で撮るのも一興。
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この雪なら竹箒で除雪ができそう。一応、雪かき用の幅広プラスチックのスコップを使っていました。
雪の重量が全然違うので、日本の豪雪地帯に比べて随分楽そうです。 -
近景と遠景の間が白く霞んでいます。微細な雪が舞っているからです。
これもモンゴルの雪原ならではの風景です。 -
騎馬像の下の建物に入りました。大きな円柱形をしていて、中央は丸い広場にモンゴルの歴代の王(ハーン)の肖像が掲げられています。
肖像画の下にあるのはタショール(馬の鞭)の模型です。この場所は、チンギス・ハーンが金色のタショールを拾った場所といわれています。 -
一番上がモンゴル帝国の始祖チンギス・ハーンですが、その下は???
チンギス・ハーンの息子はジュチ・チャガタイ・オゴタイ・トゥルイ。第二代のハーンは長男ではなくオゴタイが継ぎました。長男と次男の系統はそれぞれキプチャク・ハン国とチャガタイ・ハン国を形成します。中国を制圧し元を作ったフビライはトゥルイの息子で、家系図がややこしくなって行きます。
14世紀後半、モンゴル帝国は最大版図をユーラシア全土に広げます。 -
世界最大のブーツです。本物の皮を百数十枚使って作ってあるのだそうです。
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二重扉を入って来ると、宮殿風の内装になっています。
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売店も2~3か所ありました。
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柱には、縦書きのモンゴル文字が書かれています。
日本の古典文学(源氏物語など)と同じように、読めないけれど流れるような筆致が綺麗です。 -
いきなりVIVAりました。
展望台へのエレベーターの中に貼ってあったのです。ツアーの人達が口々に「シールが貼ってあったね。」と言っています。思いがけない遭遇にニヤニヤしてしまいます。 -
エレーベーターを降りて、とっても狭い階段を上って行きます。
大きなガラス扉の向こうにコンクリートの階段が現れました。展望台はその先です。扉の外に出て、上を向くとチンギス像が間近でした。 -
イチオシ
チンギス・ハーンが持つタショール(馬の鞭)の向こうには、始めに通って来た門が見えます。なかなか雄大な景色です。
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もう1枚、遠近景の写真を。これだけ平原が広いと呆然としてしまいます。
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階段を上って振り返ります。なんと出入り口はチンギス・ハーンの股の下。う~~ん・・・
この階段は、馬のたてがみ部分になり、展望台は馬の頭です。 -
騎馬像のシルエットが長く雪原に伸びています。
ここは騎馬像を中心とした巨大なテーマパークになるそうで、2009年から順次施設がオープンしているのだとか。今はまだこれだけ。 -
騎馬像には興味はなかったけれど、展望台としては傑出しています。
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この景色を見ただけで、なんだろうこの満足感は。
-20℃付近の寒さでも、魅了されて簡単には降りたくない。
モンゴルの草原を見たいとは思っていなかったけれど、この雪原は見られて良かったです。 -
この展望台は、気象条件・強風および諸事情により、閉鎖される場合が多々あるそうです。吹きっ晒しなので、風が強かったらダメでしょうね。上がれて良かったです。
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チンギス・ハーン様、お会いできて光栄です。
モンゴル高原には、B.C.475年以降様々な騎馬遊牧民が国家を建国しました。東胡(とうこ)・匈奴(きょうど)・鮮卑(せんぴ)・突厥(とっけつ)・契丹(きったん)。いずれも中国の歴史を学ぶときに現れる強力な外敵です。彼らの侵入を防ぐために世界最大の建造物である万里の長城は作られました。それでもチンギスの孫であるフビライによって1271年中国は支配され、元となるのです。元は日本にも襲来し、「元寇」として歴史に刻まれています。
1206年にテムジンはチンギス・ハーンとしてモンゴル帝国を建設します。この辺りの話は、1980年にテレビ朝日開局20周年記念作品として「蒼き狼 成吉思汗の生涯」というドラマが作られました。主演のテムジンを加藤剛、妻を倍賞美津子、父を平幹二朗、部下を田中邦衛、ナレーションを仲代達矢というキャストでした。あまりに子供だったので、中身は覚えていませんが、ジンギスカンとの初めての出会いでした。 -
展望台の手摺にビシビシっと張り付いた雪の結晶。触ると痛そう。
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2台目のバスが到着しました。6日間コースの黄色バッジの団体です。
彼らは1時間後にホテルを出て、騎馬像とテレルジ国立公園に行き、そのままテレルジに宿泊します。
では、そろそろ下に降りましょうか。 -
大きなブーツのあった階の下に、小規模な博物館があります。
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モンゴル文字と肖像画。モンゴル文字って綺麗ですね。
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展示品の説明はモンゴル語と英語です。
現地ガイドの説明はあるのですが、撮影していると耳に入って来なくて・・・ -
20世紀の皮と銀で出来たディール(DEEL)って何?
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モンゴルの伝統的な生活様式と文化の展示。
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馬具。冬は遊牧の様子を見ることが出来ないので、ここでちょっと学べます。右端が伝統楽器の「馬頭琴」です。文字通り、上部に馬の頭が付いています。
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馬頭琴は胴体が台形をしています。表面には生活の様子が描かれています。今夜、馬頭琴のミニコンサートがあります。どんな音が奏でられるのでしょうか。
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礼装、式服。その装飾品。
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モンゴル帝国でも金は珍重されました。西へと版図を広げ、マルコポーロのようなヨーロッパ人とも交易をし、様々な貢物がもたらされました。
この器は、手で持つ部分が取っ手ではないのが珍しいです。 -
1368年に南京に成立した明朝が、軍を北上させると元は大都(北京)を放棄して元は滅亡し、モンゴル高原に後退しました。18世紀初めの清朝では、康煕帝に征服され清朝の支配下に入ります。
1911年の辛亥革命でモンゴルもチベット仏教の高僧(ラマ)を主権者として独立を宣言します。
1915年には、モンゴル高原北部は中国宗主権の下での自治が認められましたが、南部は中華人民共和国の内モンゴル自治区に留められました。現在でも両者は分断されたままです。 -
13~14世紀のモンゴルの武器。
ロシアと中国に支配を受けていた1921年。スフバートルやチョイバルサンらがモンゴル人民党を結成し、ソビエト赤軍の支援を受けて、外モンゴル人民臨時政府を樹立(モンゴル革命)。1924年に主権者であったラマが亡くなり、モンゴル人民共和国が成立しました。1938~1952年の間、ソ連の影響下にあったチョイバルサンが独裁体制をとるなど社会主義国家となっていましたが、1991年のソ連の崩壊によって、1992年に社会主義を放棄し、モンゴル国と改称しました。 -
ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)による支配によって、モンゴル古来の縦書きのモンゴル文字は使用を禁止され、キリル文字を強制されました。現在、モンゴル文字を復活させる活動が行われています。
ソ連による弾圧は厳しく、国家反逆罪で2万人以上が殺されたという事です。 -
ウランバートルとは「赤い英雄」という意味であり、社会主義の影響による名称なので、将来的には改称されるのではないかとガイドさんが話していました。そもそもモンゴルの首都は28回も変わっているのだそうです。さすがは遊牧民族。チンギス・ハーンの都はカラコルム(ウランバートルの南西)でした。
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13世紀の青磁です。中国との交易も盛んだったので、陶器は中国製が多かったことでしょう。
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モンゴル女性の装飾品
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遊牧民族の装飾品は、財産そのものですから豪華です。
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木製の台の装飾は、チベット仏教の影響が見られる模様です。
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1.ミルクをかけるためのスプーン「ツァツァル(TSATSAL)」
2.馬乳用の木のおたま
3.乳製品用の木のスプーン
どれが1でどれが2? -
かつてのモンゴル帝国の版図
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モンゴル帝国は大元を宗主として、フラグの建国したイル=ハン(汗)国、バトゥの建国したキプチャク=ハン国、チャガタイを祖とするチャガタイ=ハン国の3ハン国によって構成されます。現在はオゴタイ=ハン国の実体は無かったとされ、3ハン国とする説が有力なのだそうです。
14世紀にチャガタイ・ハン国がパミール高原を境に東西に分裂してティムール帝国(首都サマルカンド)が起こり、15世紀末にキプチャク・ハン国ではモスクワ大公国が成立し、1380年に独立しました。
モンゴル帝国は巨大にはなりましたが、領土を広げるだけで、統治することには長けていなかったようです。一気に広がり、短期間でソ連と中国に挟まれた小国になってしまいました。 -
本物の羊皮紙を初めて見ました。
ガイドさん情報によると、1歳以下の羊はどんなに柔らかくて美味しくても食べないのだそうです。年老いてから食用にします。家畜なので基本的には名前は付けません。ペットとして買う場合は、死んでも食べないそうです。
遊牧民は風葬にします。集落で決めた山に遺体を置いて、家畜が行かないようにしておきます。鳥獣が遺体を食べて3日で無くなったら、生前の行いが良かったとされます。現在では、火葬もしているそうです。 -
外に出ました。寒いけれど、清涼な空気に満たされて、身体がリラックスします。平均気温は最低が-25℃、最高が-15℃。どれだけ寒いのだろうかと思ったけれど、何故か心地良い気がします。カイロも貼っていないのに、必要と感じない。何故?
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枯れた草に雪が凍り付いています。
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ここでは樹氷は出来ないね。でも氷の花は、とても綺麗。
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イチオシ
モンゴルの人は、最低気温が-40℃、最高気温が40℃になるので、モンゴルは気候が厳しい国だと言います。
確かに-25℃くらいなら北海道でもなるけれど、-40℃は無いでしょう。しかし、湿度が低くて雪玉が作れない北海道ですら、雪は重いのです。雪下ろしは必要です。果たしてモンゴルで屋根の雪下ろしはするのでしょうか?ゲルの端をポンポンと叩けば、それで完了になりそう。
最近日本では40℃になる地域が増えました。インドでも酷暑期には40℃を越えますが、乾燥していて、肌が痛いくらいで過ごしやすかったです。モンゴルの夏も日本に比べたら、楽なんじゃないかしら?モンゴル人に、冬の北海道と夏の岐阜・埼玉・群馬に行ってもらいたいなあ。 -
-15℃くらいになると見られるダイヤモンドダストがキラキラ輝いています。
モンゴルに来る時に、服装は北海道の層雲峡氷瀑祭りに行く格好でと言われました。確かに氷瀑祭りは、二重に手袋をしても冷たくて、靴下も同様。夜なので、深々と冷えて凍えました。
ところが、モンゴルは濡れないので体温が取られません。耳を出さないようにして、風を通さない手袋をはめ、しっかり着込めば意外と楽勝でした。靴用カイロは毎日使いました。 -
振り仰いでみると、馬の頭の上に旅行会社の旗が見えます。
黄色バッジグループが展望台に到着したようです。
チンギス・ハーンの頭の上に展望台というのは、選択肢には無かったんでしょうね。 -
バスに乗って動き出すと、ラクダとすれ違いました。こんな場所でラクダ?ガイドさん曰く、ゴビ砂漠で6月に雪に降られて、半袖・スカートで大変だったことがあるそうです。ラクダは意外と寒さにも強いようです。
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今回はここまで。次回はテレルジ国立公園に行きます。
ツアー主催の「極寒体験」が待っています。
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