2022/05/28 - 2022/05/30
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しにあの旅人さん
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雁坂路を関東平野にむかってさらに下ります。
今回は武蔵御嶽神社、高坂神社。
ヤマトタケルは出ずっぱりです。
重忠さんも出演。
一書に曰く、
武蔵御嶽神社
「みたけ」なのか「おんたけ」なのか。全国に御嶽という山、神社はおおいのですが、ここは、「みたけ」です。
字からして険しい山ですが、幸いにも途中までケーブルカーがありました。
ケーブルカーには、登山準備おさおさ怠りない老若男女が、結構な数。
私どもふたり、乗り場近くの駐車場に車をおいてきての、軽装。
そしたら、ケーブルカーの皆さんしっかり登山支度。
幸いなことに,我々の旅装は,歩きやすい靴。荷物は,両手が空くように背負っております。それが救いでした。
ケーブルカー降りたら、すぐに神社かと思っておりましたら、けっこう歩きます。
よく知らないで来たので、道標に導かれて,もう着くかな,もう着くかな?と歩いてしまいました。
まあ、後期高齢者夫婦が歩けたのですから、結果としてはたいしたことないのですが。
それでも、知っていたら行ったかなぁって思う距離でした。とくに最後の階段と坂はしんどかった。
帰り道で、ハイヒールの女性にすれ違いました。ドライブデートで来たんだな。
歩くのつらかったのではないかしら?
ハイヒールは、だめになったわね。
By妻
参考資料は「ヤマトタケル空白の旅路 雁坂路1」に並べています。
引用では僭越ながら敬称を略させていただきます。
投稿日:2024/01/17
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
武蔵御嶽神社本殿です。
-
我野神社より関東平野を目指す秩父往還より少し外れます。
南西へ車で30kmほど。
ヤマトタケルのロマンが濃厚に残る神社です。 -
ケーブルカーの駅から神社へ向かう途中、三角形の山が見えてきます。
-
武蔵御嶽神社奥の院です。
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この中腹に男具那社(おぐなしゃ)があります。日本武尊がお祀りされています。
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本殿の奥に奥宮遙拝所があります。
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奥の院はここから片道40分、降りて登る登山道で、運動不足、足腰へろへろの私たち年寄りにお参りはできません。
ありがたく遙拝させていただきました。 -
一書に曰く
ケーブルカーの中の、バッチリ登山装備のかたがたは、きっと、この男具那社までもいったのでしょう。
私たちも、次は、、 -
この山の形のいいこと!
素晴らしいではありませんか!山です。どこからどう見ても山です。
分かりやすいし、きれいだし。こういう山が霊山とされます。
ほれぼれ。
By妻 -
「新編武蔵風土記稿」によると、日本武尊は御嶽山に陣営をすえて、東南の国々を平定。その後今の奥の院あたりで邪神の化身大白鹿に遭遇。しかしヤマトタケルは山蒜で鹿の目を打って殺してしまいます。そのとき霧が立ちこめて道に迷いますが、白狼が先導して御嶽山の本営に戻ることができました。
山蒜云々は日本書紀信濃坂、あるいは古事記の足柄山の峠のエピソードそのものです。日本武尊、私たちのヤマトタケルは武蔵御嶽神社と関係が深いのです。 -
大口真神(おおぐちまがみ)神社。
日本武尊由来の神社。
「新編武蔵風土記稿」の白狼の伝承を物語る神社です。 -
一書に曰く、
大口真神、狼です。狼さまを祀った神社。
狼には、幼き日に、シートンの「狼王ロボ」を読んだ日より憧れを抱いております。
ジャングル大帝のレオもいいのですが、実はライオンの雄って、雌に働かせて、一日寝てばっかりなんですってね。そんでもって、雌達が苦労して仕留めた獲物を、一番に食うそうで。
ね、やな感じでしょ。
それに比べて狼は、実によい。
弱き子供や雌から食べさせるのです。
「ダーウィンが来た」と「野性の王国」からの知識ですが。
狼王ロボだって、自分だけだったら絶対に捕まらない能力を持っているのに、
愚かな美しい妻を救い出すために、狡猾な人間に捕まってしまうのです。
そして、誇り高い彼は、人間から与えられる餌を拒否して餓死してしまうのです。
このお話に、幼い私が、どれほど感動したことか!
ということで、念には念を入れて、お参りしました。
By妻 -
狛狼、おくちぱっくりで阿形
-
吽形。
-
狛犬さんにお手をさせるのは、By妻の趣味です。
二人そろって右の方、何かを見ています。何を見ているんだろう。 -
摂社の「皇御孫命社(すめみまのみことしゃ)」
-
♪
-
こま豚が「皇御孫命社(すめみまのみことしゃ)」にいました。こまナントカは本来神社の警固が仕事なのですが、まったく怖くありません。
こま豚さんというのは初めてです。 -
一書に曰く、
豚ではなくて、イノシシではないかと思いますが、イノシシの顔ではないような。
私どもも気がつけば、数多く有名無名の神社をお参りして参りました。
社殿を護る狛犬さんにも、数えられないくらい出逢ってまいりました。
一般的には、もちろん狛犬さん、唐獅子さん。
狛ウサギ、狛猿、狛イノシシ、狛狸、、、それも正座ばかりではなく、跳んだりはねたり、ねそべっていたり。
知られざる芸術です。
By妻
本殿に不思議な狛犬さんがいました。 -
垂れ耳の狛犬さんです。
-
向かって左、お口を閉じているので吽形。
-
阿形。
狼でも和犬でも耳は立っています。耳が垂れているので洋犬ということです。洋犬の狛犬さんは初めて見ました。
一書に曰く
耳が垂れている狼って、おかしいよね。と、by夫が、ずっと文句垂れております。
これはですね。犬でも狼でも、自分が信頼するもの、服従するものに対しての態度なのですよ。
主人とか主人の大切な客人とかに、犬とか狼は、いえ犬しか知りませんが、こういう形で恭順を示します。
主人ヤマトタケルを慕って集う、全国の善男善女に、なにゆえヤマトタケルの護衛が敵意を示せようか。
ですから、よしよし、いい子だ いい子だ。と、私のように頭をなでてやるのが正解なのです。
ぐるる ぐるる。と、のどを鳴らしてくれるはず。
By妻 -
畠山重忠というと、御嶽神社宝物殿前の騎馬像が有名。
騎馬像の背後の宝物殿に、重忠奉納の国宝「赤糸縅大鎧」が展示されています。
「新編武蔵風土記稿」によれば、ヤマトタケルの甲冑は武蔵御嶽神社に祀られていました。この鎧は重忠がその鎧を模して作ったものだとなっています。 -
書き起こします。旧字は新字に変換。
★
宝物
日本武尊御鎧1領 聖武帝の御宇、天平八年今の南小曽木村なる岩倉より堀出して、当山に移せりと云う、享保年中神宝上覧ありしとき、日本武尊の御鎧は、武蔵国号由て起る処の品なればしめおくべしとて、上箱をご寄付ありしと云つとふ、
秩父重忠鎧一領 畠山重忠日本武尊の御鎧を模して着領とせしが、後に奉納せりといへり、(以下略)
★
ヤマトタケルが武蔵御嶽神社に立ち寄ったというのがすでに伝説であります。しかもタケルの時代の甲冑と重忠の大鎧はまったく別物です。 -
伝説をマジにつっこむのもナンですが、ヤマトタケルの時代、古代の鎧はこんな感じ。さきたま古墳郡将軍塚古墳館の古代鎧復元図です。6世紀頃。
-
出典「武蔵武士とその本拠」P5
こちらは重忠が武蔵御嶽神社に奉納したといわれる鎌倉時代の大鎧。複製です。オリジナルは国宝。
しかし重忠がヤマトタケルを崇敬して、鎧を神社に奉納したというのは、ありえないお話ではありません。ロマンとして、あってほしいと思うのは私たちだけではないはず。
「新編武蔵国風土記稿」のライターはきわめて実証主義で、本来根拠薄弱なことは書きません。それがこういうことを書いているのは、かれもまたそうあってほしいと、思っていたからでありましょう。
一書に曰く、
鎧兜って、戦闘具なのに、美しいのです。
どうせ血濡れるものを、なにゆえにこのように美しく造ったのでしょうか。
動物は、雄が雌に気に入ってもらうために、派手に美しくなっているそうです。
また、敵を脅かす為に、ケバケバしくなったりもするそうです。
畠山重忠の、どっ派手な鎧兜は、こっちでしょうかね。
それから、私も最近しみじみと思うのですが、年取って、しかもこんなご時世で外にも出ない日々だと、身なりにかまわなくなりました。
山姥と云われようが、安達ヶ原の鬼ババと見えようが、マスク一枚で隠したつもりで、恥も外聞も、もっと言えば意地も張りも消え失せております。
そうか!
意地、張りの発露。
畠山重忠さんは、命がけの戦場に、わが心を奮い立たせるために、この派手派手な鎧兜を着た。
さらに、それが、かの古代からのヒーローにちなんだものなら、勇気もわいてくるってもんです。
主婦の目からすると、この鎧兜、相当にお高い。もうちょっとお安いので。
と言いたいけれど、それが、息子の、夫の命の支えなら、仕方ないですわ。
お支払いいたしますわ。
皆さん
これが、文武両道、この国にこの男ありとうたわれた畠山重忠公を、お支えした鎧兜なるぞ!
心しては拝見するように!
はははーであります。
By妻 -
高坂(たかさか)神社にやってきました。
東松山市高坂1061 -
昔は八剣明神社といいました。高坂村の鎮守社でしたので、明治42年に高坂神社となりました。
創建は不明です。
「新編武蔵国風土記稿」の比企郡高坂村によると、延徳3年(1492年)の鰐口の銘には「武州入西郡高坂郷」という記述がありますから、そのころには村は存在し、おそらく神社も成立していたと思われます。
神社の境内には「高坂9号憤(剣前古墳)」と呼ばれる後期古墳がありますので、古代から何かの祭礼の場所であった可能性はあります。 -
「新編武蔵国風土記稿」より。
★八剣明神社 村の鎮守なり、祭神は日本武ノ尊と云(以下略)★
となっています。
15世紀に遡る伝承の可能性もあるのです。
大分薄まりましたが、ヤマトタケルのロマンの香りがまだ漂っています。 -
周りは住宅地と畑。
普通ですとそのままパスですが、神社の後ろに古墳があるのです。 -
本殿のむこうが小高くなっています。
-
本殿は古墳の上に乗っているような感じ。
-
北側の道路から見ると5mくらいの高さはあります。
この近くには消滅したものを含め13基の古墳があったそうです。高坂古墳群といわれます。
19世紀初めまでは、古墳の間に八剣明神社は佇んでおりました。
「新編武蔵風土記稿」をたよりに、雁坂峠を越えて関東平野に出てきました。武蔵国です。
タケルのロマンを追った人々の足跡です。
一書に曰く、
古墳です。
この高坂神社に限らず、神社って古墳の上、または中腹にあるのが多いです。
神社があると、古墳ありです。
古墳は、大抵は、その地方の名のある首長と関係あるお墓だから、聖地扱いされてきたのではないかと思います。
その聖地に、後の世に神社を建立したのは、聖地を護るためにはよいことでした。
例え、その神社が、その本来の人物と離れていたとしても。
護っておけば、いつの日か、聖地の謎を解明する日が来るのですから。
鎮守のお宮は、実は謎につつまれているのです。
それを、いつか、誰かが解いてくれます。
楽しみです。
未来に希望が見えますね。
By妻
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この旅行記へのコメント (4)
-
- 前日光さん 2024/02/15 23:51:36
- 狛狼だの、狛ぶた(いのしし?)だの、耳の垂れた狛犬様だの。。。(@_@)
- こんばんは。
ホント!いろいろいますね!
そしてまた、行く先々でいろいろ発見されますねぇ
今回、耳の垂れた狛犬様にビックリ!
珍しいですよねぇ。
私は見たことがありません。
皇御孫命社のは、豚に見えて仕方ありません。
でも分類としてはイノシシなのかな?
京都にもイノシシを祀った神社はいくらもありますから。
あまり腕の良くない職人が、イノシシのつもりで作ったのでしょうか?
畠山重忠が武蔵御嶽神社に奉納したといわれる大鎧は、重忠がヤマトタケルを崇敬していたからとのことですが、これもありえないことではなく、そこにロマンを感じるというしにあさん、かなりのロマンティストですね。
まぁ、堀辰雄や立原道造や竹久夢二に心惹かれるという時点で、気づいてはいたのですが。
同じロマンティストでも、by妻さんの方がものごとを冷静に捉えられているようです。
古墳の上や中腹には神社があるという説、一理あると思います。
神社はほぼ小高い場所にありますから、掘り返してみたらまばゆい遺跡がザックザクかもしれません。
それにしてもこの辺りには、けっこう華やかな神社があるのですねぇ。
武蔵御岳神社の華やかなこと!東照宮みたいですね。
ケーブルカーから降りてもけっこう歩くとか、知らなかったから行けたって、あるある話ですね。
私の音羽山観音寺参拝もそうでした。
急な坂道が一時間続くとあったのですが、そこまでではないだろうと思ったら、本当に一時間かかりました。
だんだん体力が失われてきているので、なるべく早いうちにいろいろ。。。と思っても、体がついていけません。
自分の好きなものが、自分が最も苦手とする体力を必要とするという矛盾に、いつも苦しめられます。
お二人の衰えを知らぬ体力に敬服いたします(+_+)
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2024/02/16 09:42:30
- Re: 狛狼だの、狛ぶた(いのしし?)だの、耳の垂れた狛犬様だの。。。(@_@)
- これはブタですよね。イノシシには見えない。しかもマンガぽくないですか。真面目に造ったのかな、という感じ。そんなに古いものには見えなかったです。
京都には狛イノシシがいるのですか!
たかがコマなんとかですが、その気になってみると実に面白い。
新編武蔵風土記稿は幕府の昌平黌がつくった真面目な地誌なのです。調査はおもに八王子千人同心がやったそうです。事前に質問表を送っておいて、後日担当者が2人セットで実地調査をするという念の入れ方。なるべく客観的にやろうと努力しております。
でもところどころに筆者の個人的好みが垣間見えておもしろい。武蔵御嶽神社もそれで、タケル君の鎧はその後どうなったか、はなくて重忠の鎧に集中しております。このひと、重忠が好きだったんだなあと、なんとなく納得。
200年前のロマンティスト、同士発見。
By夫の実証主義とBy妻の浪漫主義ということになっていますが、ときどき逆転します。
神社巡りと坂・階段はセットです。平地なら1時間半くらいは問題ないのですが、上り下りはダメですね。週3回の散歩と二階の階段昇降運動で足腰を鍛えようと思ったのですが、このところヤボ用で都会に出かけることが多く、思うばかりです。
-
- kummingさん 2024/02/07 12:01:08
- ヤマトタケル→畠山重忠?
- 先ほど、次のブログにカキコした後、こちらに戻って参りました(笑)
何となく、題名の「ヤマトタケル空白の旅路」から、いつのまにか畠山重忠さま、に巧妙に誘導されていた?ような気がする⁉︎ いえ、きっと私の気のせいでしょう。
ケーブルカーが通っているような山の上の神社、そこまで歩いて登る人がいるんだ!途中リタイア、遠くから遥拝で正解だと思います。片道40分の登山を要する場所に神社建立の労働を想像、世界中にある「こんな処にどうやって⁈」の一例ですね。
狛狼、狛豚、狛猪、どころか狛ウサギ、イノシシ、狸、まであるとは(°_°)以前、 狛犬、唐獅子の違いについて教えて頂きましたが、まだまだあった、狛シリーズでございます。耳が垂れているのは恭順の証、by妻さんの「ダーウインが来た」と「野生の王国」由来の知識、ライオンと狼の生態も知らず、そうなんですね! そーいえば、「狼少年ケン」も、ローマの始祖「ラムルスとロムス」も狼に育てられたんですよね(←何の関係があるんだ?)
南伊の旅でロマネスク建築で、入口や祭壇横に必ず座ってた、獅子、河馬、牛、あの子たちは経年劣化で原型をとどめていないのも多かった、丸っこい、石の塊だったり。
鎧兜が上位の人ほど目立つ、派手なのって、敵に見つけられ易くって、危なくない?と、常々その意図には疑問を持っていましたが、やはり、国威高揚、的な、自軍を奮い立たせ、敵に向けて「我ココにあり!」みたいな示威活動的な意味だったのでしょうか?威信を高める「えっへん!」
だいぶ薄まったヤマトタケルロマンのかほり、堪能させて頂きました。
いつか解かれる謎を秘め、古墳の上には神社あり、未来へと続く「ヤマトタケル空白の旅路」ですね♪
- しにあの旅人さん からの返信 2024/02/07 15:59:39
- Re: ヤマトタケル→畠山重忠?
- タケル君から重忠君に誘導、ばれたか。
ここのシリーズは10回くらいの予定なのですが、半分以上はタケル君関係なし。寄り道です。なんと魏志倭人伝、平家物語、はたまた万葉集など、牽強付会、我田引水、こじつけテクニックの鮮やかさをご披露する予定です。自信ある。
武蔵御嶽神社のこまナントカはご立派。さすが犬をつれて参拝していい神社です。実際にわんこがお参りしていましたよ。
おサルさんは日枝神社系統ではふつう。安中市の羊神社でこま羊はしょうがない。でもブタさんは初めて見ました。耳の垂れたこま洋犬も知らないなあ。
九州では逆立ちしたり、二本足で立ち上がったり、ユニークな狛犬、唐獅子
がいました。
ロマンのかほりは薄まるどころか、ほかのかほりに微妙にすり変わります。あまり気にしないでください。
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