2024/01/31 - 2024/01/31
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Reiseさん
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平清盛やその一族に関係する史跡を訪ねました。
平清盛は大輪田泊を開き、貿易などで繁栄を築く一方、福原遷都により、新しい都の建設を思い描いていました。
福原遷都による新しい都の建設は幻となってしまいますが、神戸には、平家一門の屋敷が多くありました。
今の神戸では、華やかな平家の一門の暮らしに思いを寄せますが、あっという間に源平の合戦も始まり、多くの戦いも行われています。寺社にも多くの逸話や伝説もあり、とても興味深かったです。
少しずつ、その歴史もたどりながら歩いてみたいと思っています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 自家用車 徒歩
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平清盛ゆかりの街に来ました。
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こんな説明板がありました。
平清盛の大きな構想~
貿易の拡大により、経済の発展を図り、都も貿易港と接する場所に造る、、、
もし、そんなことが実現されていたら、どんな都の様子だったのだろう~と想像します。 -
商店街の交差点に、平清盛の像がありました。
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平清盛は雪見御所を造り、この土地で10年ほど暮らします。
暖かいという土地の気候と、敵から攻めにくいという利点もあったようです。
結局、反平家の以仁王と源頼政の挙兵で、福原遷都からわずか、170日という短い期間で都を京都に戻します。
福原京の構想や計画も着々と進められていたものの、平清盛の大きな野望は未完のまま終わってしまいます。 -
イチオシ
きりりとした、若いころの清盛像なんですね~。
イケメンです。
希望に満ちています。 -
祇園神社に向かいます。
ここは坂。
祇園坂。 -
緩やかな坂になっていました。
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振り返ると商店街。
昔からある商店街です。 -
途中、立派な松と石碑があります。
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賽神の松跡。
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このあたりは祇園遺跡があったところでもあります。
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説明板がありました。
このあたり、古代からの道があり、旅人を見守る道祖神が置かれていたそうです。
賽の神も祀られ、榎が倒れたところ、馬具などの埋めていたものが出てきたそうですが、祟りを恐れて埋め戻したそうです。
また大きな松もあって、和田を通る船からも目印になっていたそうですから、立派な大木の松があったのでしょう~。いまはありません。
また、このあたりは祇園遺跡あと。
1180年に福原の遷都となり、半年あまりの短い期間ですが、都だったこの地。福原荘、和田荘とよばれ、清盛の邸宅も平野殿と呼ばれてこのあたりにあったとのことです。
大輪田泊も福原荘、和田荘も見渡すことができる場所です。
このあたりからは、貴族の邸宅の庭園跡や宋からの輸入の陶器などが出土したそうです。
でも、まだまだ貴族の邸宅や池は発掘されていないそうです。
今はすっかり、その当時の面影はありません。 -
祇園神社に来ました。
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祇園まつりも行われるのですね~。
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平清盛が大輪田泊の風よけのために人工の島、経ヶ島を造る計画を練った場所が、この神社の裏にあった潮音山上伽寺だったそうです。
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88段の厄除らしいですが、険しい石段を上ります。
今回の歩いたところは坂や石段が多くて、、、汗
もう腰痛も始まり大変でした。
日頃の運動不足のおおかげです。。(-_-;)
でも開運厄除なんて、観ると、がんばらなくては、、、みたいな
単純なおばあです。笑 -
途中、記念碑と燈籠が見えました。
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生島四郎、、、お恥ずかしいことに、このお名前も初めて聞きました。
1864年完成の神戸海軍操練所の建設には、旧神戸村の大庄屋生島四郎の支援があったそうですが、勝海舟とも意気投合し、勝海舟は一時期、生島四郎の別邸を寓居としていたようです。
坂本龍馬もこの場所を訪ねたそうです。 -
こちらは生島四郎が寄進したといわれる石燈籠です。
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反対側にも。
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こちらはよりはっきりと名前がわかります。
さて、この生島四郎の邸宅跡があるという記事をネットで見つけ(たぶん、かなり前のもの、、、)こういうことに興味のある私は、近くの邸宅跡を探しました。
かれこれ1時間あまり。
住所を頼りにクルクル回りまわって、近隣の方に聞きまくり、表示も何にもない門ですから、寒い中に汗だくになりました。笑 -
このあたり、句碑やちょっと珍しいものも。
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風車燈籠です。
風のエネルギーを使います。
面白いですね~。 -
こちらです。
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祇園神社から降りたところ、すぐ左の小さな路をゆくと、
こんな表示が。
古くから街道として開かれていた道だったのですね~。 -
今は民家の間の小さな路です。
生島四郎さんの邸宅はこの通りを歩いたところあたりにあったそうなので、
ひたすら歩きます。
幕末のころは坂本龍馬も勝海舟も頻繁に歩いたことでしょう~。
勝海舟は寓居としていたそうですし、坂本龍馬も頻繁に訪れたといわれています。 -
生島四郎の邸宅跡、住所を頼りに探したのですが、とうとう見つからず。。
こういったとき、強い敗北感です。←おおげさ。
坂道をのぼり、ぐるぐる回りました。
いろんな方に聞きましたが、誰もご存知なかった。。
そして、小さな脳みそをひねり、寄進のあった祇園神社にお伺いしてみると、かつてあった門や庭園も全て撤去されて、いまは新しい家が数件建っていますとのこと。。。。説明板もないとのことでした。
がっくりです。
でも、もっと、早く祇園神社の方にお聞きしておけばよかった、、と猛省。
とても丁寧に説明してくださって、、、感謝です。
でもでも、こういった歴史的な建物、遺蹟は地域の宝物ではないか、、と個人的には思うのです。
せめて、小さな看板か案内板でもあれば歴史の一部が語り継がれていけるのになぁ~と余計なお世話なんですが、残念でした。
こうやって、どんどん昔のことは忘れられ、消えていくのだろうか~。
これは、邸宅跡を探しているとき、良い香りの梅の花。 -
見つけたい場所が見つからないと、テンションが下がります。
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あらかじめ順序を決めていた、平家に関わる寺社めぐりに戻ります。
ここには、もともと平清盛の寄進で七堂の伽藍があったそうですが、源平合戦で焼失してしまったそうです。 -
境内。
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大木がありました。
市民の木とあります。
槇柏。 -
枝垂れ桜?
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小高い場所にあるのは、祥福寺。
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こちらは長州藩士が1868年のころに滞在していたと聞きました。
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拝観したいと思っていましたが、このような説明がありました。
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とても大きなお寺のようです。
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すぐ近くの神社。
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説明板がありました。
五宮神社です。
由緒のある神社です。 -
山を背景に、広い神社。
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お隣の祥福院の塔が見えます。
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人を導く神、猿田彦命。
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本堂。
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こちらにも小さなお社。
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古木がありました。
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平野にあるトーホースーパーで、祇園遺跡から出土した遺物を展示していると聞いたのでいってみました。
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3階にあるようです。
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ありました。
こちらのコーナーのようです。 -
中国白磁や青磁の破片など、平安時代のものから、弥生時代の土器などがありました。
発掘の様子のパネル。
でもこのコーナー一角のみ。 -
説明があります。
このビルを建設にするにあたり、平安時代の遺構が見つかったそうで、
おそらく平家にゆかりのある邸宅の跡だそうです。
祇園遺跡は広範囲に及ぶようです。
弥生時代のものも同時に見つかっています。 -
ほかにも空きのスペースもあるようなので、もう少し展示スペースが増えたらよいなぁ~とおもいました。
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平野商店街あたりにきています。
平清盛もキャラクターができており、、きよもん、、だそうです。 -
ところどころに、このような看板、地図があり、平家ゆかりの地などの表示もあります。
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湊川温泉。
かつての平清盛邸からも近く、湯屋に行ったとの記載が残っているそうです。
昔からあった温泉なんですね~。 -
本日は定休日。
側に川も流れて、風景もよいです。 -
イチオシ
商店街にはもうひとつ、平清盛のモニュメント。
バス停のそば。 -
こちらは浄海入道 平清盛像とあります。
こちらは少しお歳をとった清盛像。 -
略歴がありました。
1168年にこの平野の土地に雪見御所をつくり、この土地をとても好んだそうです。
気候も暖かく、敵からも攻めにくいということもあったようですが。
福原遷都も6か月足らずで、また都を京都に戻しますが、
大輪田の泊の修復も行い、貿易による国の経済発展を見据えていたという
現実的な考えももち、源氏との戦いも始まる前に亡くなりますが、
もし、源氏の台頭を抑え、平氏の時代が続いていたら、どうなっていたのだろう~
と、考えることがあります。 -
平家寺社巡りの続きですが、
バス停の近くにあった喫茶店。
たのしそうです。 -
歩いていると、嘉納治五郎が揮毫したであろう、大きな碑がありました。
嘉納治五郎も神戸の出身です。 -
みなとやま水族館がありました。
そういえば、小学校の空き地を利用して、新しい施設ができたと聞いていましたが。
今度、孫を連れてきてみよう~。 -
もと湊山小学校の空き地ですね。
お花屋さんもあって、面白そうです。 -
平清盛が別荘 雪見御所といわれる住まいを造ったのがこのあたり。
碑と説明板があります。
雪見御所、、きれいな名前です。 -
福原には平清盛の住まいがいくつかあったそうですが、この雪見御所もそのひとつ。
地名にもなっています。
近隣には平家ゆかりの人々の邸宅もあり、それらは祇園遺跡とよばれて
発掘もされていました。
この場所からは、大輪田の泊も見下ろせたといいますから、
いまのようなビルや高い建物などがない当時としては、恰好の場所だったのかもしれません。 -
川を渡って、少し歩くと、マンションのちかく、東宮殿下の石碑と水害の供養の碑、お地蔵さんの一角がありました。
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荒田八幡神社に来ました。
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公園が音亜也にあり、不思議な樹々がまんなかに。
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説明板にもありますが、この辺りは、一段と高い土地になっています。
見晴らしの良い場所だったのですね。
以前、水害のときも免れたと聞きました。
平清盛の弟の頼盛の山荘があった場所でもあります。
広い邸宅だったようです。
1180年には安徳天皇の行在所ともなった場所でもあり、石碑もありました。 -
ここまでも、坂道になっていますが、さらに石段をのぼると、高い土地に。
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祭神は応仁天皇、素戔嗚尊、安徳天皇です。
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安徳天皇行在所の石碑。
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福原遷都800年の記念碑もありました。
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拝殿。
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清荒社
高田稲荷社とあります。 -
ここにも地図とポイント地名。
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近くに宝地院というお寺。
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説明板がありました。
安徳天皇の菩提を弔うために1379年に創建されたそうです。
この寺域も、かつては平頼盛の山荘があった場所だったそうです。 -
お隣は幼稚園?併設されているようでした。
門が閉まっていました。 -
入口に小さなお地蔵さん。
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このあたりにはお寺も多いです。
仏立寺。 -
曹洞宗のお寺
永昌寺。 -
夢野八幡神社へ向かいます。
新湊川商店街という看板も見えます。
昔ながらの通りのようなところを通り、 -
坂道が続き、ちょっとヘトヘトです。
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もうすでに、このあたりも結構、高い場所。
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夢野八幡神社に到着しました。
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説明板にもありますように、平清盛が福原遷都にさきだち、
1177年に建立され、ここで、新しい都の構想を練り、新しい都の位置を測定したそうです。
とても眺めの良い場所だったのですね。 -
坂道を登ってきて、この急な石段を観て、クラクラ、、、。
とても急です。 -
お堂が上に。
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山の中の静寂な場所にあります。
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樹々がさえぎっていますが、遠くまで臨めます。
むかしは、もっと建物も少なかったでしょうから、さらに遠くの海もみわたせたのかも、、です。
平清盛、、ここで、どんな構想を練ったのでしょう~。
具体的に都の構想が浮かんできたことでしょう~。 -
春若大明神とあります。
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湧水が。
石段もぬれていて、ちょっと危険でした。 -
きれいに梅が咲いていました。
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さらに坂道を登り、氷室神社に向かいます。
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ここまで来ても、かなり眺望良いです。
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かなり勾配きつい坂道をのぼって到着しました。
今日は坂道と急な石段で疲労困憊しました。
いかに日頃、楽チンな生活をしているか、、。(-_-;) -
れんあいべんてん、、、とあります。
私にはとおーーーに、必要がないとはいえ、どんな神社なんだろう~と
興味はあります。 -
山を背に神社はあります。
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由緒があります。
この土地、夢野というところは、皇室と深いゆかりのある土地のようです。 -
興味深い説明板がありました。
応神天皇の誕生により、後継者で悩ましい問題になります。
かご坂の皇子と忍熊皇子の悲劇により、二人の皇子は亡くなります。
かご坂の皇子は猪に襲われなくなり、この夢の後に墳墓が築かれたといわれています。
また、こちらには、氷室といわれる天然の氷が取れる場所が古代よりあったとのことで、仁徳天皇の兄の額田大中彦皇子がこの夢野の地で狩りをしていたところ、氷室を見つけます。
早速天皇に持ってかえり、氷を食べた天皇が喜ばれたと。
毎年、暑くなるころに、こちらの氷室の氷を天皇に届けられるようになったとのことでした。 -
平清盛の弟の教盛の長男通盛、その弟の教経がいましたが、
通盛は小宰相という奥さんがいて、とても仲良く過ごしていました。
その後源平合戦が始まります。
氷室神社の近くに陣を張った通盛、教経の兄。
結局、通盛は戦死してしまいますが、その前日に小宰相と最後の別れをしたといわれています。
その際に、小宰相は身ごもったことを伝えますが、船の上で通盛の戦死を知った小宰相は海に身を投げなくなってしまいます。
平家物語からだそうですが、
戦いさえなければ、平和に仲良く暮らしていけたかもしれないのに、、
切ない話です。 -
れんあいべんてん、、、といわれるだけあり、若者向けというような
雰囲気も。 -
大国主命は祭神ですが、よく知られている説話。
いなばのしろうさぎ。
子供のころに、おばあちゃんがよく話してくれました。
学校でも、学芸会で歌も歌いました。
(半世紀以上もまえ)
ウサギの毛が亡くなり、可哀想で仕方がなかった覚えがあります。
塩水で、痛すぎ~。 -
うさぎたち。
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この夢野に関する郷土の民話もあります。
鹿の夢しらせ、、良いように思うと良くなり、悪いように思えば悪くなる、、、という不思議なお話と、
夢野という地名になったという民話。 -
山のなか、鹿も沢山いたでしょう~今もいるかな。。。
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境内の図です。
神社の西のほうは、源義経が駆け下りてきた鴨超の逆落とし地もあるそうです。
湊川の合戦時には楠木正成が会下山に砦を築いたそうです。
会下山は近くにあります。
歴史的にも様々な大きなことにもかかわっている場所です。 -
拝殿。
御祭神は大国主大神、仁徳天皇、市杵島姫命(れんあい弁天)、宇迦之御魂神です。 -
小さなお社もあります。
神社の由緒によると、創建は明らかではありませんが、
仲哀天皇のころ、200年のころや仁徳天皇の時代374年にはこの夢野に関する記述があるようです。
平安時代になると、平清盛が兵庫七弁天の一社として広島の厳島神社の一杵島姫命を勧請したそうです。
神社の付近には清盛の弟の教盛の別邸があって一時期後白河法皇も子の庭内に幽閉されていたことがあります。 -
古い社、石塔などが多いです。
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明治8年に、京都の伏見稲荷大社より、稲荷神社を勧請したそうです。
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お堂があります。
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中には石碑などが多くありました。
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氷室がこの奥にあります。
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山の中を入っていくかんじ。
ひんやりとした感覚が増していきます。 -
説明板もありましたが、下に落ちていて?よく読めませんでした。
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応神天皇を祀ってある、、、とききましたが。
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山の岩をくりぬいたようなところ。。。
神秘的です。 -
ひんやりとした石の穴のようでした。
夏の間、天皇に氷を献上したそうですから、一定の温度で氷を保存できた場所だったのでしょうか。
氷、、貴重ですよね。 -
ふと、鹿とかも出てきそうな山の中といったかんじでした。
ひんやりとした空気が漂っています。 -
稲荷社の前にはきりりとした狐。
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反対側にも。
どことなく、京都の伏見稲荷の狐にも似ています。 -
恋愛弁天、おしゃれ弁天というのもありました。
また、まわってみたいです。 -
古くから信仰があり、また現代にも信仰され続ける神社でした。
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縁結びの信仰。
そのほかにも、、、 -
ご利益がのぼりで、ずらり、、。
商売繁盛とか、病気平癒などもありましたよ。 -
立江地蔵尊が近くにあるようですが、
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下から観ると、お地蔵さんがずらり。
もう、ここにきて、いよいよ腰痛まで始まり、情けないですが
上まで上がる気力も体力もなし。(-_-;) -
ここからの眺望もよしです。
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本日、最後の拝観、、熊野神社にやってきました。
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美しい拝殿です。
御祭神は伊弉諾尊、伊弉冊命。(いざなぎのみこと、いざなみのみこと)
神社のパンフレットによると、平清盛が福原遷都の際に、皇城鎮護の神として、後白河法皇の崇敬していた紀州の熊野権現を勧請して、この地で祀り始めたそうです。
その後、京都に都がもどされますが、地元の方々が大切に守ってこられた神社のようです。 -
荒木稲荷大神とありました。
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大木があります。
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古殿神社という小さなお社。
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遥拝所のようなところでしょうか。
諸宮とありました。
いくつかの神社などがありました。 -
金毘羅神社の小さなお社。
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蝋梅です。
強い香りが漂っていました。
春が待ち遠しくなります。 -
寒いなか、健気に咲く梅の花。
雪も降らないとよいなぁ~。 -
こちらの木は花をたくさんつけていました。
梅の花は強さを感じます。寒い空気のなかでしっかりと花をつけて。
余談ですが、友人に梅ちゃんという名前の人がいて、名前の通り、可愛くて
強くて。この時期になると、彼女を思い出してしまうのです。お母さんが付けたお名前だそうです。また会いたいなぁ~。コロナからめったに会えません。
今日は、歩いてあちこち回ると、平清盛の福原遷都の強い気持ちをひしひしと感じました。
新しい都への希望、都の建設に向けての熱情、多くの神社を建立して
信仰にも支えられていたこと、、、
しかし、新しい都の建設もできず、貿易での経済増強も、途中で終わり、源氏の台頭もあり、清盛の夢ははかなく終わってしまいます。
とても波乱の時代です。
清盛の住まいのあったあたり、平家一門の邸宅のあったあたり、
今は、その痕跡を探すことはなかなかできません。
祇園遺跡と呼ばれるそのあたり、もし、邸宅の様子が少しでもわかる
資料館などがあると面白いのになぁ~と個人的におもいました。
平清盛、源平合戦、源氏の時代、、、このあたり、特に不得意で、知識もあまりありません。。もっと勉強しないと。←いつも決意だけ。 -
牛神社というお社もありました。
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可愛い牛さんが鎮座。
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大神神社。
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丸い力石がありました。
むかし、持ち上げて競争などをしたそうですね。。 -
霊安殿。
神社に貢献された方々をお祀りしているそうです。 -
境内。
多くのお社も集まり、大切に守られている神社のようでした。 -
入口にあった説明板。
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神戸駅までのバスがちょうどやってきて、ラッキーポンキチです。
今回は足が痛い、腰が痛い、、、と根をあげてましたが、
歩数が18000歩になっていました。
沢山歩いたのは嬉しいですが、シップも必要になりました。 -
帰りはJR芦屋駅で降りました。
用事があり、夫と待ち合わせ。 -
美味しいタコ焼き。
二人で半分ずつ、食べてちょうど良い量です。
大きなタコ焼き、モチモチの生地が大好きです。
疲れもとれます。 -
そういえば、芦屋の駅の自動販売機。
ビーフン以外にもこんなに種類が増えていました。
(ビーフンは以前に買ったことがあります)
便利ですねぇ~。今度利用してみよう!!
長くなりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(*^^*)
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