2024/01/26 - 2024/01/26
63位(同エリア134件中)
Reiseさん
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川西市を歩きました。清和源氏の礎を築いたといわれる源満仲、その後の源氏の源頼朝をはじめ、多くの源氏の祖先となる人物です。川西の多田という土地に多田院を建立、のちの多田神社になります。多田神社は樹々に囲まれ、静かな森の中にあるような雰囲気の神社でした。門をくぐると、とても神聖な雰囲気です。源満仲の陵もあり、源満仲とのつながりの深い神社でした。
川西には賀茂遺跡という大きな遺跡が発見されましたが、今は住宅地になっています。
発掘された場所などの遺跡跡が今も保存されています。看板の説明がありました。近くに鴨神社もあります。
ナイチンゲール像は世界に二つしかないそうです。身長が175㎝あったそうで、等身大のものだそうです。優しい中にも威厳のある雰囲気の像でした。敷地内には戦争で命を落とした看護に従事した人々や赤十字に尽力した人々のための慰霊塔がありました。近くには栄根廃寺あともあります。
そこで観た石碑、初めて聞く名前の人物で、銭屋五兵衛の慰霊碑でした。加賀の人で、海運業などをした人物ですが、干拓事業に関わったことで、そこでの魚を食べた人々が中毒死する事件の加害者として検挙され非業の死を遂げた人です。
かつてあったお寺、栄根寺の本寺で西光寺というお寺が銭屋五兵衛と関わりがあったとのことで、ここに碑を建てたとのことです。
偶然知った歴史の一つです。
この歳になっても、まだまだ知らないことが沢山あるなぁ~としみじみ感じ入りました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 自家用車 徒歩
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川西市に来ました。
ここは、鴨神社。
平安中期に編纂された延喜式にも載っている歴史のある神社のようです。
御祭神は、京都の上賀茂神社と同じ、別雷命。 -
石段を登って、
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さらに鳥居をくぐって、先に参道があるようです。
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石段を上がってすぐ右にあるのが石の庭のような屋に、さらに石造物があります。
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反対側。
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反対側にも石の庭のようなところ。
入ることはできません。 -
賀茂遺跡についての説明板がありました。
神社の周辺には賀茂遺跡が広がっています。
旧石器時代から平安時代まで、幅広い時代の遺跡が確認されているようですが、最盛期には500人もの人々が住んでいたとか。。 -
賀茂遺跡の石碑もあります。
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鳥居をくぐり、
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樹々に囲まれ、静かな参道を歩きます。
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途中、とても古そうな石灯籠があちこちに。
でも、震災でも、多くの石灯篭も倒れ、破損したようですが。 -
参道途中に、祓所があります。
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拝殿が見えてきました。
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砲弾がみえました。
阪神淡路大震災の碑もありました。
このあたりも、また神社も大きなひがいをうけたようです。 -
美しい朱色の拝殿。
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向かって左のほうに、延喜社。
延命長寿の神様を祀っているそうです。 -
ここにも、賀茂遺跡の大きな看板。
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参道には立派な南天が赤い実をいっぱいつけていました。
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加茂遺跡を見学したい、、、と歩きだします。
スマホ片手に、神社の横の道を歩きます。 -
スマホの示す、遺跡の跡はこのあたり。
民家や空き地など。 -
神社の裏の空き地も加茂遺跡があったところだそうです。
今は、草の生えた空き地。
柵もあり、中には入れません。 -
ここも遺跡があったところだそうです。
今は公園。
しかし、探せど、さがせど、遺跡の説明の看板もないし、
諦めようかな、、、と思ってました。 -
ちょうど近くにいらっしゃった方に加茂遺跡はどこでしょうか、、、とお聞きしましたら、この道を下り、左のほうに公園があり、そこに説明看板があります、また、少し下ったところには方形周溝墓の跡がある琴を教えてくれました。
ほとんど、あきらめて、もう次の場所へ行こうと思っていたので、
とても嬉しいです。
やはり、最後は人に助けてもらうことになります。
感謝です。 -
果樹園もありました。
その道を教えてくださった方によると、このあたりは一面が加茂遺跡だったところらしく、そこは今は住宅地になっているとのことでした。 -
柵がありますが、このあたりも遺跡のあたり。
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こんな看板のところに行きつきました。
ここは弥生時代の集落の跡があったところのようです。
ここも柵で、中には入れませんでした。 -
ビニールシートも敷かれています。
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そして、さらに下ったところあたりに、方形周溝墓があったところ。
今は広い空き地です。
全く、遺跡の跡という感じではありませんでした。 -
説明板もありました。
このあたりには多くの人々が暮らす集落があったのですね。
大型の方形周溝墓跡です。
集落の権力を持った人やその親族のお墓ではないか、、と書かれていました。 -
とても寒い日で、とうとう、また休憩です。
ここもレトロな喫茶店でした。
珈琲も美味しくて、さらにジャズがかかっていて、とても居心地がよかったです。
ご夫婦でされているようでした。
ちょっと休んでまた元気になります。 -
更に歩いて、素敵な名前の橋を渡ります。
夜の風景をみてみたいです、、きれいなんでしょうね~。 -
栄根廃寺公園に行く途中ですが、道を間違えてしまいました。。
よくあります。。
線路わきに小さな神社がありました。
小戸神社 寺畑遥拝所とあります。 -
小戸神社はおおべじんじゃと読みますが、川西市にある延喜式にも載っている古い神社ですが、その神社の遥拝所ということでしょうか。
地元の人の氏神さま、、
丁寧に手入れをされた神社でした。 -
この古い石灯籠にも寛政の文字。
江戸時代のものです。 -
こちらにも古い石碑?がありました。
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スマホの地図を片手に、遺跡を目指していましたら、
こちらにも、こんな碑が。 -
民家の間にこんな表示。
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開けた広場があって、
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イチオシ
ナイチンゲール像がありました。
世界に二基あるだけだそうです。
175㎝という長身の女性だったようですが、等身大のブロンズ像です。
キリリとした、威厳の有る様子の像。看護に人生を捧げた強い女性をおもわせます。
ロンドンの聖トーマス病院ナイチンゲール看護学校の入内嶋に立つ像を模して造られたそうです。 -
説明にもありますが、この土地の所有者の宗教法人「福田海」の創立者中山通幽氏が療養中に入院していた日本赤十字病院での看護に感激し、像を建立したそうです。
昭和11年です。
毎年、看護の日には近隣の看護学生が訪れ、博愛と奉仕の精神を誓っている、、、と聞きましたが、今も行われているのでしょうか。。 -
こちらにも説明板。
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この敷地内にはもうひとつの石塔。
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戦地で命を落とした看護師さんたちと、看護に一生をささげた看護師さんたちを祀っています。
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さらに、歩いて、
栄根廃寺遺跡公園に来ました。
栄根廃寺は奈良時代に創建され、薬師如来を祀る薬師堂もあり、源満仲、頼光らも信仰していたそうです。
源満仲は祈願所として、再興したといわれています。
その後、薬師堂は阪神・淡路大震災で全壊してしまったそう。 -
広い敷地内に中央に須弥壇のある仏堂跡が復元されています。
仏堂は、平安末期に建立されたと考えられています。 -
説明板があります。
近くの栄根遺跡からは奈良時代の墨壺と木の削りくずが出土したそうで、奈良時代の造営の際に使われたものではないかといわれています。 -
この公園には、銭屋五兵衛という人物の顕彰碑がありました。
お恥ずかしいのですが、初めて、聞く名前でした。 -
銭屋五兵衛の説明板があります。
江戸時代後期の加賀の商人、開運業者で、蝦夷地や樺太、香港、アモイ。ロシア、朝鮮などにも交易をおこない、金沢藩の御用商人も勤めた人物ですが、河北潟の干拓・開発事業を行った際に、使った石灰で魚が死んだことから、毒を使ったと告発され、獄につながり亡くなります。
その一族も、また関わった人々も悲惨な結末を迎えるなどして、財産も没収され、家名も断絶となっています。 -
そこで、栄根寺の本寺であった西光寺は銭屋五兵衛と交流があったことから、彼の遺徳をしのんで、碑を建立したそうです。
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延命地蔵も祀ってありました。
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さらに上のほうにあってみると、小さな神社のお社。
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近くにあった看板。。
再建はもうないのでしょうか~。
薬師堂や仏堂、、みてみたいです。 -
更に歩いて、駅のほうへ。
多田神社へ向かうためです。
バスの時間、間に合うかなぁ~。 -
ちょっと寂しい遺跡公園でした。
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イチオシ
時間がなくて、走っているというのに、こんなマンホールには気になります。
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可愛い~。
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多田神社にも留まるバスに間に合いました。
多田神社というバス停でおりて、帰りの時刻表をみましたら、
あまり頻繁には来ないみたいです。
1時間に1本とか2本とか、、。 -
大きな鳥居をくぐります。
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橋を渡ります。
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下の川、結構、勢いよく流れています。
荒々しい風景。 -
川べりに食事をするところもあるようです。
眺めもよいでしょうね~。 -
とてもきつい石段を上っていきました。
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イチオシ
とても清廉された門の雰囲気。
提灯や白い布(名前知らなくてすみません)の紋がとても美しいです。
提灯の紋は源氏の家紋で神紋にもなっている笹竜胆(ささりんどう)と徳川氏の家紋の三つ葉葵です。
徳川家綱によって再建されている建物も多かったです。 -
あまりにも急だったので、上から写真撮ってみました。
やはり、激しく急な石段でした。 -
境内も広いです。
多田神社は970年に創建、多田院、多田大権現社ともいわれる、清和源氏発祥の地となる神社です。
源満仲はこの多田盆地に移り住み、多田神社の前身の多田院を創建しました。
源満仲は清和天皇の曾孫であり、武将でもあった人物です。
御祭神は源満仲、源頼光、源頼義、源義家の五公。 -
案内板などがずらり。
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神社には大量の古文書も残っているようです。
貴重な資料ですね。 -
地図を見ても、広い敷地です。
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源満仲の子、頼光は酒?童子退治を行った人物として有名ですが、そのときの家来の一人が、坂田金時で、頼光も優秀な家来 頼光四天王の一人です。
坂田金時、、きんたろうさん、、伝説の人ともいわれてもいますが、
きっと、頼光も有能な家来が集まってくるほどの人物だったのでしょうね。 -
ここにも神社の説明板。
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拝殿に向かう途中にある、宝物館。
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国宝など貴重な資料があるようですが、現在休館中。
残念です。
コンクリートの頑丈な建物でした。 -
イチオシ
随神門。
徳川家綱により再興されたもの。
どことなく、ここも優雅な雰囲気です。 -
由緒の書かれた?説明板がありました。
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弓などの武器を持った、豊岩間戸尊と櫛岩間戸尊の二体が守ります。
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こちらは刀が見えます。
貴族の外出の際に警護をする人たちを示しているのかと思っていたのですが、武家の様子の守り神でした。 -
随神門をくぐると、さらに空気がピンと張りつめたような空気。
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とても神聖な場所にはいてきたという感があります。
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ふとみましたら、こんな石碑。
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奥のほうにお蔵がありますが、石灯籠も時間の経過を感じます。
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遥拝所もあります。
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時が止まったような静けさ。
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こちらは神馬舎。
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可愛い馬です。
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イチオシ
珍しい植物も多そうです。
唐椿。
キャプテンロー。 -
説明板。
旧多田院の檀家の島津氏より贈られたものだそうですが、国内最大だそうです。
ふさふさとした葉っぱ、椿に似た花が咲くそうです、、みてみたい。
原産は中国の雲南。
南の地方の植物なんですね~。 -
イチオシ
拝殿。
徳川家綱により再興されたものです。
入母屋造、檜皮葺の屋根、こちらも、どこか高貴な雰囲気。 -
ここにも提灯にも徳川家の家紋が。
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とても整然とされていました。
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後ろのに見えるのが本殿。
1667年に徳川家綱により創建。 -
奥が本殿。美しい建物でした。
柵があり、許可なくしては中には入れません。 -
本殿。
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拝殿、本殿の奥に、源満仲、源頼光の御廟があります。
足利将軍の分骨も納められているそうです。 -
柵の外から。
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御廟。
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説明板があります。
多田院の鳴動についてですが、
源満仲が亡くなる時に、遺言で、何かあるときは鳴動を起こすと残したそうで、その後も何かのときには鳴動がおこります。
たとえば、源頼朝敵追討時など、資料によると計17回ほどの鳴動があり、その度、幕府に注進したそうです。
鳴動というと、不吉な時が多いそうですが、ここは吉のときにある鳴動だそうです。 -
拝殿前の獅子も、勇ましいです。
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こちらも古いもののようです。
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さりげに石灯籠をみてみましたら、
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元禄とありました。
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境内を散策します。
とても、ごつごつとした大木ありました。 -
こちらにも何かありそうです。
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旧多田院の釈迦堂跡とありました。
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そのお隣に赤い鳥居。
田尻稲荷社。 -
宇迦之御魂命をお祀りしています。
旧多田荘の田尻より移築されたそうです。
全面に赤のお社。 -
厳島神社。
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市杵嶋姫命をお祀りしています。
旧多田院の弁財天女。室町時代後期に創建されたものだそうです。 -
そのお隣に、料理の神様を祀ったお社。
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包丁塚とありました。
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六所宮。
伊勢などの神々をお祀りしています。
旧多田院の鎮守社として、多田村72の村の総社として鎌倉期に創建。 -
御祭神の説明があります。
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現在の建物は室町時代に造られたもので、三間社づくり。
貴重な建物です。
とてもカラフルな建物でした。 -
西門。
こちらも徳川家綱による再興。
高麗門としては珍しい様式だそうです。 -
説明板。
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内側からみたところ。
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南大門、内側から。
仁王像があったそうですが、明治の神仏分離で、満願寺というお寺に移されているそうです。 -
境内、大木が潔く、高くそびえたっています。
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すがすがしい~。
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東門。
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説明板がここにもあります。
徳川家綱によって再興。
江戸時代の遺構としては貴重だそうです。 -
多田の市ののぼりが建ってました。
市がたつんでしょうか~。 -
はるか昔から立ち並んでいたのではないか、、、と思うような巨木がありました。
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歴史を感じる神社でした。
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川のごつごつとした岩。
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このあたりは、源氏に関わるお寺や遺蹟が沢山あるようです。
またいつか、周ってみたいなぁ~。 -
近隣のお店の看板で、こんなのを見つけました。
川西は三ツ矢サイダーの発祥の地!
ずっと、疑問だったのが、どうして、この三ツ矢という名前と、この矢の模様、、、
我が家の夫の大好きな三ツ矢サイダー、、、冷蔵庫には必ず、1本は入っています。
ちょっと調べてみましたら、
近くの平野鉱泉でイギリス人のウィリアム・ガランによって炭酸水が発見されて、炭酸水の工場が造られたそうです。
その後、三菱財閥が宮内庁から多田鉱泉の払い下げを受け、三菱商会が炭酸水「平野水」として販売。その後、三ツ矢平野水という名前に。
三ツ矢の名前は、源満仲が矢の落ちたところに築城するようにとのお告げで、矢を打ったところ、多田沼に住み着いて人々を苦しめていた龍にあったそうです。
源満仲は、そこに居住することになりますが、満仲が放った矢を見つけた人に三ツ矢という姓と三本の矢羽根の紋を与えたそうです。
その言い伝えから、多田の平野水の炭酸を三ツ矢という名前を付けるに至ったそうです。。。
なるほど、、です。やっと名前も、この矢の柄の意味もわかりました。
工場のあったところに、三ツ矢塔というのがあるそうで、いつか行ってみたいと思っています。 -
冬の景色です。
橋を渡りながら、困ったことに気づきました。
あまりにも早く拝観が終わり、バスの時間まで30分以上あります。
近くにはちょっと休めるところも見つからず、、、
じっと待つには寒いし、、 -
ふわふわの植物、、名前忘れました。
じっと30分を待つくらいなら次のバス停まで歩いてみよう~と軽く考え、 -
我が家にもある、西洋ヒイラギですが、
うちのは、今年はこんなに花も咲かなかったなぁ~。
道沿いの西洋ひいらぎ、勢いよく可愛い花が咲いていました。
近隣の方につぎのバス停をお聞きしましたら、とんでもなく遠いことが判明。
バイパスのある道まで坂道を上がって行ったほうが良い、、と教えてもらい、もう、このあたりから、足が棒のようになり、、
ここまで来ると、バスは頻繁にくるようで、助かりました。ふう。 -
JR川西池田駅のロータリーに来ました。
源満仲の像があります。 -
お若いころの満仲像なのか、、
-
イチオシ
とても躍動感ある像でした。
-
説明板にもありますが、
源満仲は清和天皇の曾孫。
主だった源氏の祖に当たる人物です。 -
阪急の能勢口に戻って、駅まわりのビルも周ってみました。
お買い物も楽しいショッピングエリアで、楽しいです。
広場にはこんなオブジェもありました。
夜になるとライトアップされるのでしょう~。
なんだかほんわりするオブジェでした。
最後までお読みいだいて、ありがとうございます。^^
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