2024/01/15 - 2024/01/15
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hijunoさん
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大蔵海岸公園あたりに用事があり、海辺の美しい景色を眺め、花火大会での事故に祈り、長田神社に行きました。
長田神社は神功皇后とのゆかりのある神社です。創建も古く201年。
ちょうど、ドント焼きをしていました。
楽しみにしていた宝物館は一般には公開されず、特別な場合のみ公開するとのことで、ちょっと残念でした。
周辺には源平の勇士の碑があり、また源平の戦いで亡くなった平忠度を祀る二か所を周りました。
兵庫には源平の戦いの史跡が多いです。
でも、古来から亡くなった人も大切に祀り、守ってきた歴史もありました。
現在も大切に祀られ、信仰の対象とも変化しています。
今ではすっかり静かな風景です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 自家用車 徒歩
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用事があり、朝霧駅から大蔵海岸公園。
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明石海峡も見渡せる美しい公園。
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堀江謙一さんの太平洋単独横断の際に使ったマーメードⅡ号も見えます。
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地図。
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下に降りて、ヨットを見てみます。
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説明板。
正しくはMALT'SマーメードⅡ号。
1999年に堀江謙一氏が太平洋を単独横断し、サンフランシスコからこの大蔵海岸に到着した際のヨットです。 -
モニュメントも
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手形がありました。
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説明板にもありましたが、
帆はペットボトルのリサイクルだったそうです。
もっとびっくりしたのは、船体が業務用の生ビールのステンレス樽528個を手作業で作ったということ。 -
生活用の電力も、太陽や風力による自然の電力。
自然の力を利用したヨット。 -
公園、小さな子供の遊ぶ遊具もありました。
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今は静かな海岸ですが、明石の花火大会では多くの人々でにぎわいます。
イベントも多いところ。
かつて、明石海岸の歩道橋で、大事故が起こり、多くの人々が亡くなり、また負傷された歩道橋もありました。
歩道橋にはお地蔵さんとお花があり、今もお祀りされています。
忘れてはいけない事故です。
そっと手を合わせて祈りました。 -
山陽電鉄にのり高速長田でおりました。
この後、商店街が続きますがこんな大きな石碑が建っていました。 -
地図や昔の写真と現在の写真の対比が面白いです。
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赤い鳥居。
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楽しいお店が沢山ありました。
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ソースもこんなに種類があるなんて、、、。
面白いです。
帰りに買って帰ろう、、、と思い、帰りは違うルートで。
ぜひに次回に。
関西人の私達は、ソースの消費量、半端ないです。笑 -
大鳥居もあるのですが、商店街から行くと、こちらの門に行きつきました。
ドント焼きをしているようです。
懐かしいな。
子供の小さいころにはお習字やらもっていきました。 -
こちらの門から。
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こちらが大鳥居。
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境内、とても大きな樹木がありました。
エネルギーを感じます。 -
長田神社。
由緒は古く、神功皇后が三韓遠征からの帰りに、新羅から難波に帰る途中、武庫の水門あたりで船が進まなくなり、占いにより、事代主神より、「吾を長田の国に祀れ」と信託があり、それにより創建されたといわれています。
201年です。 -
とても美しい本殿でした。
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七福神のお社。
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ご神祭は応神天皇を祀る八幡神社。
こちらの神社は神功皇后と関わりのある神社。
応神天皇は神功皇后のお子様です。 -
境内の奥に楠宮稲荷神社があります。
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赤いお社。
神秘的でした。 -
神社の縁起が書いてありました。
昔、台風で川の水が増水し、アカエイの群がこの神社の境内にも入り、人々が追いかけたところ、楠のところで姿が見えなくなり、それ以降、これ以降楠をご神木として、信仰するようになり、また、アカエイを食べることを絶ち祈願すると、病気平癒、とくに腫物や痔などにご利益があるとのことで、それ以降多くの人々がアカエイ絵馬を書き、祈願しているとのことです。 -
そのご神木の楠の大木。
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神社の中を通れるようになっており、
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境内には多くの古い石灯篭がありました。
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江戸時代、元禄とみえます。
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弘安などの年号もあるらしいですが、元禄のみ発見しました。
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また、こんな石灯篭も。
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明治期には中村時蔵が、昭和13年には中村吉右衛門がうたを詠んでいます。
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天照大御神をお祀りしていました。
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変わったモニュメントがありました。
眼鏡碑とあります。
説明板が消えかかり、よくわかりません。。。
かつて、ここで、眼鏡業者が古い眼鏡を供養するということがあったようですが。。。 -
案内板。
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つづいて、源平の勇士の碑を目標に歩いています。
新湊川 川べりに公園があり、 -
御船山旧跡がありました。
明治期に湊川改修があったようで、場所は違うようですが、
御船山という丘があり、長田神社の土地でした。 -
説明板があります。
ここには、神功皇后が船をつけたところで、
長田の神の鎮座のときには、御船具、黄金の船を埋めた場所と伝承があります。
この土地の名前は御船通といいます。 -
休めるスペースもありました。
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なんだか、古い様子にみえますが、今も使えるのかな、、、
この水はのめません、、とありました。 -
川向うに源平勇士の碑が見えました。
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新湊川橋。
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橋を渡り、
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説明板によると、源平一の谷の合戦で亡くなった平通盛、源氏の木村源吾重章、猪俣小平六則綱らの碑がこの付近にあったそうですが、その後、平知章の碑もこちらに移して、源平ともに弔ったとのことです。
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正面に見える碑の平知章は父の知盛を救おうとして討たれ、また知章を救おうとして家臣の監物太郎頼賢も討たれています。
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三角の碑が平通盛の碑で、平知章の父知盛のいとこで、多くの合戦に出陣、一の谷で討ち取られてしまいます。
そのころ奥さんの小宰相は妊娠中で、子供のできたことをとても喜んでいた平通盛でしたが、亡くなったことを知ると、小宰相も海に身を投げなくなったそうです。
その隣に並んでいるのは、源氏の猪俣正平六則綱、木村源悟重章の碑です。 -
今は戦いも感じられない、静かな風景です。
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こちらのバス停からバスに乗り、平忠度の腕塚、胴塚を訪ねます。
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看板がありました。
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スマホを頼りに、歩きます。
小さな石表示がありました。 -
こちらがお祀りしているところです。
周りは家々。 -
説明板があります。
平忠度は平清盛の末の弟で、武芸にも歌にも優れていた人物で、
一の谷の合戦で、討ち取られてしまいます。
ここは、腕を切り落とされ、埋められたといわれる場所だそうです。
最期、負傷した忠度は覚悟をして念仏を唱え、討ち取られますが、エビラには歌が書かれた紙が入っていたということです。 -
石塔があります。
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こちらの建物にお祀りされていました。
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大切に守られています。
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その後、腕や腰、足の痛みを取ると人々から信仰されるようになったそうです。
故人を大切に祀り、またそれが信仰へと変化していく、、、時間の経過とともに変化していきます。 -
10分ほど歩いたところに、さらに平忠度の胴塚があります。
こちらも民家に囲まれたところです。 -
こちらも大切にお祀りされていました。
亡くなった人への畏敬の念が感じられます。
古来から現在も、地元の人々に大切に守られたことを感じました。 -
優れた人物だったこともあり、後世の人々が篤く弔ってきたのだと思います。
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小さな石塔や、
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古い石灯篭もありました。
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こちらにも説明がありました。
平忠度は平家一門の花といわれるほど、文武に優れた人物であったこと、また歌も優れ、藤原俊成に師事し、千載集には詠み人知らずとして、歌が載るような歌道にも優れた人物であったこと、、、
このような人物が亡くなったことを味方も敵も惜しんだそうです。
説明板には平氏の系図があり、神戸で戦死した平氏がわかります。
平氏の滅亡に至るまで、本当に様々なドラマがあったのですね。
平家物語を読んでみたくなりました。
今は周囲も戦いのみじんも感じられないような静けさがあります。
平和です。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。^^
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