2024/01/09 - 2024/01/12
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公共交通トラベラーkenさん
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2024年1月9日(火)~12日(金)の3泊4日、三重県旅行に行ってきました。
年の初めにお伊勢さまを参拝しようという、非常に日本人らしい思いつきです。
お伊勢参りの他に二見浦や鳥羽の観光にも行きます。正月休みも終わって、観光客も少なくなった街をのんびり歩き回って楽しい観光ができました。
旅行記その4は最終日、伊勢神宮内宮の参拝になります。ついでにおかげ横丁で買い食いを楽しみました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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旅行最終日です。
本日もホテルの朝食バイキングから。メニューは毎日ほぼ同じものです。手作り豆腐がなかなか美味しい。野菜ジュースは後味にピリピリした刺激が残る不思議な味。 -
ホテルに大きな荷物を預けて伊勢市駅から観光スタートです。
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今回の旅で初めて近鉄線を利用します。
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五十鈴川駅で下車。古市参宮街道という道を歩きます。
伊勢参拝は外宮→内宮という順番で行いますが、御木本道路、御幸道路という広い道が整備される前は、小田橋から牛谷坂までの小高い丘陵沿いの「古市街道(間の山)」が、外宮から内宮に至る唯一の道でした。 -
長峯神社という神社があります。尾根伝い続く古市参宮街道の地形からついた名前です。ご祭神はアメノウズメノミコト。天岩戸の前で舞をまった神様として、伊勢音頭の遊女や古市歌舞伎の役者の祖神として祀られています。
「伊勢音頭とは、江戸時代の伊勢国で唄われ全国に広まった民謡のこと。ただし古くは、伊勢古市の遊廓で遊女が唄い踊るために使う音曲のことも称した。」とウィキペディアに書いてありました。長峯神社 寺・神社・教会
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江戸時代の古市街道筋には、江戸の吉原、京都の島原と並んで三大遊郭、あるいは大阪の新町、長崎の丸山を加えた五大遊郭の一つに数えられる古市遊郭が存在していました。江戸後期には70軒の妓楼が建ちならび、1千人を超える遊女がいたそうです。
お伊勢参りを済ませた男性はここで「精進落とし」をしてからそれぞれの国へ帰っていきました。 -
また歌舞伎興行も盛んに行われ、江戸・京都・大坂に次ぐ演劇の先進地域でした。当時の伊勢の舞台は三都への登竜門とも言うべき場所だったそうです。
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長峯神社のすぐ近くに元妓楼の麻吉旅館があります。
明治期に古市を迂回する道路が整備され、遊廓は衰退します。その後、戦災によって建物もほとんど失なわれ、昭和33年の売春防止法施行によって「遊廓」は完全に消え去ります。麻吉旅館は元妓楼旅館としてただ一軒だけ残った、往時の古市の姿を伝える貴重な存在です。麻吉旅館 宿・ホテル
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十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも登場するそうです。
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丘陵地の斜面に沿って「懸崖造(けんがいづく)り」とよばれる木造5階建ての建物が続きます。建物の外観を眺めながら階段の路地を下っていきましょう。
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いつか泊まってみたいものです。
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お伊勢参りと遊郭がセットで繁栄してきたという、聖と俗に関する江戸時代人のバランス感覚がとても健全で良いと思います。
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あと2~3軒こんな建物が残っていたら、かなり面白い観光エリアになったでしょうが、麻吉旅館以外は普通の住宅街になってしまっているのが残念なところです。
階段を登って古市参宮街道に戻ります。 -
よく見ると古い町並みの名残が残っています。
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伊勢古市参宮街道資料館という施設があります。
伊勢古市参宮街道資料館 美術館・博物館
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伊勢歌舞伎や古市妓楼についての関連資料が展示されています。
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小さな展示スペースですが、歌舞伎と妓楼にテーマを絞っているので案外見ごたえがあります。しかもつい先ほどまで実際に歩いてきた場所に関する展示なので余計に興味が湧きます。
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写真資料もかなり豊富に残っているようです。
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間の山(あいのやま)お杉・お玉の資料。江戸時代に全国的に有名だった女大道芸人たちなんだそうです。
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古市を代表する妓楼だった杉本屋の写真。
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古市三大妓楼の一つ、油屋の写真。現在の近鉄鳥羽線が参道と交差するあたりに建っていました。
三大妓楼の残り一つは備前屋と言います。この備前屋の主人だった太田小三郎を中心に結成された神苑会という組織は、伊勢神宮の神苑の整備、賓日館・神宮農業館・神宮徴古館・勾玉池などの神宮関係施設の建設を行い、現在の伊勢の基礎を作り上げていきました。かなりすごい人ですが、あまり有名になっていませんね。 -
参道に戻ります。
雪峰稲荷という神社がありました。 -
「三重県伊勢市小俣町の伊勢一刀彫職人、太田結衣さん(34)が27日、同市桜木町の雪峰稲荷から譲り受けたクスノキを使って彫り上げた白狐(びゃっこ)一対を同神社に奉納した。」というニュースがネットに出ていました。2023年1月のニュースでした。手前にある木彫りのやつですね。
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牛谷坂の途中にある大きな両宮常夜灯。牛谷坂の名前は昔このあたりに「牛鬼」という妖怪が出たという伝説が由来らしい。常夜灯の手前には石碑が建っていて「奉献両宮常夜灯 東京神田旭町 富樫文治」と書かれていました。富樫文治という人は日本銀行小樽支店の施工者なんだそうです。
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牛谷坂を下ったところに猿田彦神社があります。天孫降臨の際、ニニギノミコトを地上まで案内したので、「みちひらき」の神様として信仰を集めている神様です。
この神様は調べてみると色々と謎が多いようで、その手の書籍もたくさん出ています。私はやはり手塚治虫の「火の鳥」に出てくるサルタヒコの印象が一番強いですね。猿田彦神社 寺・神社・教会
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境内には佐瑠女神社もあります。こちらの御祭神は芸能上達や縁結び等の信仰があつい天宇受売命(アメノウズメノミコト)。天孫降臨の後、猿田彦の妻になったとされています。
佐瑠女神社 寺・神社・教会
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さざれ石もあります。
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そういえば猿田彦珈琲なんていうのもあったような。
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拝殿正面にある方位石。昭和11年の御造営まで永く御神座のあった特別な場所にあります。
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やっと皇大神宮(内宮)に近づいて来ましたが、もう少し寄り道します。広い駐車場の奥にひっそりと社殿がいくつか建っています。
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津長神社。
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昔、五十鈴川の船着場があり、津長原といわれていました。祭神は栖長比賣命(すながひめのみこと)という水の神様。同じ社殿の中に新川神社、石井神社も同座しています。
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続いて饗土橋姫神社。
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御祭神は宇治橋守護の神。
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大水神社
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祭神は大山祇御祖命(おおやまづみのみおやのみこと)。川相神社と熊淵神社も同座しています。
後ろに見えるのは大水神社のクスノキ。 -
駐車場には大型観光バスがたくさん来ています。正月休みの個人参拝客の波はひと段落ついて、会社などの初詣が始まっているようです。背広姿の集団がまとまって内宮の方に歩いて行きます。
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やっと内宮参拝です。
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宇治橋を渡って五十鈴川を渡ります。
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五十鈴川。倭姫命(やまとひめのみこと)が御裳のすそを濯いだことから御裳濯川(みもすそがわ)とも呼ばれるそうです。倭姫命は第11代垂仁(すいにん)天皇の皇女で、天照大神を現在の伊勢神宮の地に祀り、その後天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に仕え、「斎宮」の起源になった人物とされています。ヤマトタケルに草薙剣を渡したのもこの倭姫命です。
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宇治橋を渡りました。もうここは神域です。
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御手洗場。参拝者はここで手を清めます。
五十鈴川 自然・景勝地
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旅行前に、五十鈴川の御手洗場にさい銭を投げる人が多くて困っているというニュースを見ました。「ここにお金を投げ入れても意味がないうえにお浄めの場所をけがしてしまうのでやめましょう」とのことです。
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瀧祭神。五十鈴川守護の水の神です。古来から社殿のない石神としてまつられ、別宮に準じて祭典が奉仕される特殊な神なんだそうです。内宮に詣でる前に滝祭神を参拝すると、天照大神に願い事を取り次いでくれると言われているそうです。
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鳥居の先に風日祈宮橋があります。
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島路川を渡った先にあるのが皇大神宮別宮風日祈宮(かざひのみのみや)。ご祭神は風雨を司る神、級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長戸辺命(しなとべのみこと)。元々「風神社」と呼ばれていたが、元寇の際に神風を吹かせたのは風神社の神であるとされたことから、「風日祈宮」の宮号が宣下されました。
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いよいよ正宮皇大神宮に参拝です。
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ここから先は写真撮影禁止です。
皇室の御祖神であり、日本国民の総氏神「天照大御神」をお祀りする正宮ですから、姿勢を正してしっかりお参りしましょう。 -
なかなか緊張しましたね。参拝を終えて遊郭に駆け込んだ江戸時代の人の気持ちがわかります。
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荒祭宮(あらまつりのみや)。天照大御神の荒御魂(あらみたま)をお祀りしています。荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂。これに対し、神の優しく平和的な側面を和魂(にぎみたま)と呼びます。
こちらにも大行列ができていました。 -
外御厩。
外宮同様、大変毛並みの良いお馬さんが静かに立っていました。 -
内宮参拝が終わりました。日本人としての勤めを果たしたという清々しい気持ちです。おはらい町にきて買い食いを楽しみましょう。よく理解していなかったのですが、宇治橋前から猿田彦神社方面へ真っすぐ続く通りが「おはらい町」で、おはらい町の中程に「おかげ横丁」という横丁があるということらしいです。
おはらい町 名所・史跡
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まずは、だんご屋で黒蜜とみたらし。やはり伊勢うどんの流れを汲むのか、団子はふわふわした柔らかい食感です。それはそれでいいのですが、もう少し香ばしく焼いてくれるともっと良かったかなと思いました。
だんご屋 グルメ・レストラン
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次は「豚捨」のミンチカツ。豚捨は、専属契約を結んだ畜産農家で丹精込めて肥育された未経産の黒毛和牛、松阪牛のルーツとされる伊勢肉を創業以来販売し続け、名産伊勢肉の看板を掲げている伊勢の有名なお肉屋さんです。
おかげ横丁 豚捨 グルメ・レストラン
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ミンチカツ。すごくうまいです。
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ついでにコロッケも購入。こちらも大変美味です。
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神恩太鼓という太鼓やぐらがありました。この辺りがおかげ横丁になるようです。
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そして赤福本店。伊勢といったら赤福ですね。
赤福 本店 グルメ・レストラン
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さすがに少し混んでいましたが、客の回転が速いので注文してから赤福が運ばれてくるまでに座敷の縁側の席が空きました。
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混んでいるときは座敷に上がって頂くのでしょうが、この日はそこまでではなかったので、みんな縁に座ってお茶をしていました。
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五十鈴川を眺めながら赤福を一口、二口で平らげ、お茶で流し込みます。とてもうまいです。
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甘い赤福の後は日本酒です。伊勢萬内宮前酒造場に入ります。店頭では、『おかげさま』や『老緑』の直販、その場で試飲もできます。店の裏では実際にお酒を造っているそうです。
伊勢萬 内宮前酒造場 専門店
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一番人気の、伊勢の地酒「おかげさま」しぼりたて生原酒を注文。おちょこにこぼれる寸前まで注いでくれます。半合350円。大変美味しいお酒でした。
これにておかげ横丁食べ歩きは終了。旅行中にこんなに立て続けに買い食いしたのは初めてかもしれません。 -
おかげ座神話の館。珍しい日本神話の体験施設です。和紙人形で神話の名場面を再現した展示があるということで楽しみにしていたのですが、残念ながらこの日はお休みでした。
おかげ座 美術館・博物館
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賑やかな飲食店街も終わりに近づいてきました。神宮道場と書かれた門があります。神職を志す者の研修施設であり1973年(昭和48年)までは神宮司庁として使用された歴史ある建築物です。
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神宮道場の向かい側にすごい門構えの建物があります。神宮祭主職舎(旧慶光院)という所らしい。明治初期に廃寺となった旧慶光院の客殿を利用した神宮祭主のための施設とのこと。塀の上からチラッと見える屋根がなんだかすごそう。
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内宮おかげ参道地下道をくぐると広い駐車場があります。その端の方にお伊勢まいり資料館という施設があります。浜幸パールという真珠販売店の2階にあります。江戸時代に全盛を極めた「おかげまいり」・「参宮道中」など昔の民俗文化を、和紙人形を主軸にパノラマ式で再現してあります。写真撮影禁止なので中の様子は紹介できませんが、フロア全体を使った巨大なパノラマセットはかなりの見ごたえでした。地味にすごい施設です。
これにて2024年最初の旅行は無事終了です。歳初めにお伊勢参りが出来たので今年は間違いなく良い旅のできる1年になります。
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